人は燃えるゴミに含まれるか

小狸

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 十年ぶりに実家に戻った時に、僕は生まれて初めて言葉を失った。



 別の県に就職し、家に仕送りもせず、なかなか帰りもしない親不孝者の僕であったけれど、流石に弟が結婚すると聞いたら、急ぎ帰省くらいはする。


 弟。


 年齢は二つ下で、優秀な弟だった。大学で一人暮らしをするようになってからは疎遠にはなっていたが、弟が女性と交際を始めてから、連絡を取るようになっていたのである。


 そんな弟の婚約、そして結婚。


 家族とは半ば縁が切れたようなものではあるけれど、純粋に祝っておきたいという気持ちのもと、久方ぶりに帰省した。


 一応言っておくと「言葉を失った」あくまで比喩である。失語症になったという訳ではない。


 そういう慣用表現があってこそのものだと理解して欲しい。ふと何を言って良いのか分からずに思考が停止してしまった。


 あ、という声が出たと思う。


 実家は、ごみ屋敷になっていた。

 

 *

 

 玄関は、母が几帳面に管理していた植物が伸び放題になっていて、見るかげもなかった。蔦が複雑に絡まり、足を踏み入れるたびに何らかの昆虫がぴょんと跳ねた。虫が駄目でない人間でよかったと思う。生茂った草を描き分け玄関まで辿り着き、チャイムを鳴らした。


 音は鳴らなかった。


 恐る恐る扉に手をかけると、鍵がかかっていなかった。


 僕が小学生の頃、この辺りで空き巣が多発してからというのも、防犯面はきちんとしていると思った。というか父も母も、そういうところを抜かるような人ではなかったと思うのだが、どうしたことだろう。


 そう思って、扉を開けると。


 紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙、紙。


 大量の紙が、玄関近くから敷き詰められて、壁を創造していた。


「ッ……!」


 紙は多種多様である。行政から郵送されて来る申請書類、新聞紙、A 4の用紙、B5の用紙、その他その他、逆にゴミの類がなかったために怖くなった。一体どこからその紙を調達したのか、不思議に思ったくらいである。


「あら、お帰り」


 僕が呆然と立ち尽くす中、母はそうして平然と返した。


「……これは、一体どういうことだよ」


「どうって、見たままよ。どれも捨てられない、大切な紙なの」


 何を言っているのか分からなかった。


「捨てられないって、生活する空間がもうないじゃないか」


 玄関からリビングの方にまで、紙の壁は浸食していた。


 まるで獣道がごとく、人の通る場所にくっきりと跡が付いている。進んでも進んでも床が見えなかったために、自分が全く別の空間にいるのではないかという錯覚に囚われた。


 一枚の紙が、足を塞いでいた。


「駄目よ、勝手に捨てたら。全部使うものなんだから」


 全部使うもの。


 一体何を言っているのだろう。


「……何に使うんだよ」


「何って、色々よ。そこの紙は、再来週町内会に提出するものだから、とっておいて頂戴」


 母はそう言って、指を差した。


 その紙がどこの紙を指し示しているのかが、全く分からなかった。


「……やばいって。何言ってんだよ、母さん」


 僕はそう言って、足元に乱立していた紙の一枚を手に取った。それは無地のA4の紙であった。


「こんなもの、あったって無駄じゃないか」


 僕はそれを破い……


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 たと、ほとんど同時に。


 母が、発狂した。


「何するの、何するの、何するの、やめてやめてやめてやめて! どうして紙を退けるの、それは必要なものだって言ったわよね、どうして分からないの! あなたはそんなことも分からない、 馬鹿だったというの!」


「ご、ごめん、謝るよ」


「謝って許されることじゃないわ! ありえないありえない。どうして分からないの。駄目って言ったのが分からないの? どうして私の嫌なことをするの? どうして、どうして理解してくれないの? ねえ!」


「や、悪かったって」


「しかも破くなんて、最低、最悪、どうしてそんなことをするの、一枚だって欠けちゃいけないの、分かった? 分かったら返事をして頂戴、ねえ、どうして何も言わないの? 分からないの?」


 ここにこうして記述しているのはあくまで抜粋であり、本当はもっと長い間、母は喚いていた。


 近隣の住民に声が伝わるかと思ったけれど、紙が全てを吸収してしまったらしい。


 母は、間違いなく壊れてしまっていた。


 適当に理由をつけて、僕はその日の夜、家を抜け出した。


 怖いとか、恐ろしいとか。


 もうそういう次元ではなかった。


 ここにいてはいけないと思ったからである。


 母は、紙だらけの居間を指差して「今日はここに寝ると良いわ」と言った辺りが、限界であった。


 疲労感と疲弊感で切り詰められながら、僕は独り身の家に帰り、ベッドに横になった。


 母に、一体何があったのか。


 そればかりが頭を巡っていた。


 目が覚めたのは、深夜であった。汗がびっしょりかいていたので、冷水を浴びた。その最中、ふと僕は、思い至った。


 思い至って、しまった。


「あれ」


 声が出たように思う。


 そもそも僕は、弟の結婚式を祝するために実家へと戻ったのではなかったか。


 にもかかわらず、弟はいなかった。

 弟へと連絡をしたが、返信どころか既読すらつかなかった。

 休日だったというのに、父の姿も見えなかった。

 一体、あの家で何があったのか。

 それを知るのは、もう少し後の話である。

 取り急ぎ、僕が帰って二日程経った後。

 実家が全焼した。

 

 ✳︎


 Afetr Festivalあとのまつり


 遺体は四つ、弟、その婚約者のもの、父のもの、そして母のものであった。


 弟と婚約者、父の遺体にはかなりの損壊が認められた。


 司法解剖の結果、火傷よりも前に何らかの外傷により死亡したと思われる。


 そして最も軽度の火傷であった母の遺体を鑑識したところ、脳に病変部位が見つかったそうだ。


 俗にいう、腫瘍というものらしい。


 何が起きたのか、何があったのかは分からないが、警察の見解をそのままコピペすると、脳腫瘍により母の人格が崩壊し、弟と婚約者を殺害、父も殺害、それを隠すために大量の紙で隠蔽。弟を装って僕へとメールを出し、最後に僕を殺そうとした、というところに落ち着いたらしい。


 病変部位が思ったより大きく、日常生活に支障をきたしかねない状態であった。

 

 火を付けたのは意図的か、偶発的かは分からない。


 思った以上に、救いも何もない展開で、正直涙すら出なかった。


 こうして僕は生き残ってしまった。


 明日もきっと、一人で生きる。


 寂しくはない。


 ただ、孤独だというだけだ。



おわり

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