エピローグ② 海と同じ色の宝石を

 ベレロニードの市外から少し離れた高台から見下ろすと、行き来する人馬の列がよく見えた。イスラズールの金銀や宝石を携えて海岸を──停泊する船を目指した馬車は、帰りには生地や香辛料の袋を載せているのだろう。売買というか交換の比率については、クラウディオとアンナリーザを初めとする面々で交渉済みだ。新王の即位の祝福と、大陸との交易再開を記念する意味を込めて、比率レートを提案していた。


 アンナリーザの隣に並んだユリウスが、海に反射する陽光に目を細め、額に手をかざす。


「こうして見ると、人の営みなど小さいものですね」

「ええ。この大地の開拓は、まだまだ始まったばかり、なのでしょうね」


 外交上のやり取りや、ベレロニードの名士との社交が一段落したところでの、息抜きの遠足のようなものだった。王族の身には慣れたこととはいえ、知らない人ばかりと合い続けるのは気疲れするもので──ユリウスが、気を遣って連れ出してくれたのだ。供の者はもちろんいるけれど、彼女たちを気遣ってかほど良い距離を置いてくれている。海を望んでいると、まるでいつかの蝶の群れを見た時のようにふたりきり、な気がして、すこし、鼓動が早くなる。


「種や苗も、喜んでいただけるそうです。上手く根付くかどうか、もといた動植物を脅かさないか、よくよく様子を見ないといけませんが」


 《海狼ルポディマーレ》号に積んでいた貨物は、ディートハルトたちが拘束されていた間は手つかずのままだったという。大陸からの物資を目の前に、ベレロニードの市民たちは息を呑んで様子を窺うことしかできなかった。けれど、王宮を中心とした緊張が解けた今は、街にも活気が戻っている。香辛料や酒といった嗜好品はもちろんのこと、アンナリーザの案で積ませた種や苗も歓迎された。輸入に頼るだけでなく、できることならこの地で育てられれば──とは、地に足をつけて暮らす者なら当然の発想だったのだろう。


(開拓地では砂糖までできていたなんて、恨まれてしまうかしら。いいえ、これからは誰もがその恩恵に浴することができるのだもの、歓迎されると良い……!)


 不安を期待と希望が上回る胸の裡は、きっとユリウスも同じだろう。アンナリーザを見下ろし、微笑んでくれる彼の眼差しはどこまでも優しかった。眼鏡のレンズが煌めいて──そう、予備の眼鏡を回収することができたのも、良いことだった。


「その辺り、私も助言できれば良いと思っています。貴重な種が失われることがあっては父に恨まれるし人類にとっても損失ですから」

「そうですね。……あの、お父上のご評判は伺いましたから」


 ユリウスの父を知っているのは、他人には言えないことだから、アンナリーザは慌てて誤魔化した。幸いに、ユリウスは聞き咎めた様子はなく、ただ、表情を真剣なものに改めた。


「クラウディオ殿下──陛下に、宝石の採掘の許可を願おうと思っています。青玉サファイアが良いでしょう。あの海のような、深く、どこまでも青い色の逸品を見つけたいものです」

「それは、素晴らしいことですわね……?」


 ユリウスは花や蝶を好むとばかり思っていたけれど、宝石も美しいことには変わりはないだろう。それこそ父君への土産とか──


(贈りたい女性かたがいらっしゃるのかしら)


 ふと頭を過ぎった考えは、なぜかアンナリーザの胸をちくりと刺した。訳も意味もなく俯いた彼女を、ユリウスが覗き込んでくる。


「美しく、青い──アンナリーザ様の目の色の、指輪にするのにちょうど良い宝石を。見つけたら、受け取ってくださいますか?」

「え──」


 慌てて顔を上げれば、眼鏡越しの翠の目が、不安げな表情を湛えていた。ぱちぱちと、アンナリーザが瞬く間にも、ユリウスは必死の面持ちで言葉を重ねる。


「フアナ様の宝石の蝶ほどのものにはさすがにできないでしょう。まして、本物の蝶の翅の輝きには及びませんが──せめて、この手で見つけ出した宝石を捧げたいのです」

「それは、あの」


 ここまで言われて分からないほど、アンナリーザでは愚かではない。でも、これは求婚なのですか、と確かめるのも愚かしく、そしてこの上なく恥ずかしくて、唇がわななくだけで言葉にならない。それでも、彼女の理解を汲んでくれたのだろう、ユリウスは大きく頷いた。そして、優雅な所作でその場に跪く。


「正式な申し込みは、帰国してからということになりますが、アンナリーザ様のお気持ちを……その、伺っておきたく……」


 太陽はまだ高く、夕焼けが海を染めるには早すぎる。けれど、彼女を見上げるユリウスの頬は真っ赤になっていた。きっと、アンナリーザの顔も──何なら首まで、同様だろう。


「わ、私でよろしければ……! よ、喜んで……お受け、したいですわ……! あの、どうかお立ちになって──」


 手を差し伸べて、指に感じたユリウスの体温に動揺して、慌てて離してしまって。均衡を崩した彼とあやうくぶつかりかけては謝り合って──互いにまともに顔を合わせることができなくて。海に目をさまよわせると、水平線を破る三角の白いものが見えた。しかもそれは、みるみるうちに大きさを増し、こちらへ──陸地へ近づいてくる。


「……あれは?」

「船──いえ、船団、ですね」


 海賊船が、昼日中に堂々と入港することもあるのかどうか。それに、帆に風を孕ませて進む船たちは、海賊船にしては整然と、堂々としているような。まるで、正規の商船や戦艦の一段のように。不審に照れも忘れて、アンナリーザとユリウスが顔を見合わせるうち、船の詳細も見えてくる。遠目にも明らかに、誇らかに帆に描かれているのは──


「……マルディバルの紋章のように見えるのですが」

「はい、正しく……でも、なぜ、今?」


 祖国の紋章を見間違えるはずもなく、アンナリーザは頷き、けれどやはり首を傾げた。彼女の誘拐の報が祖国に届いているはずもなく──というかそもそも報せてもいないと思う──、父や兄が心配を募らせるほどには時間も経っていないだろうに。


「戻りましょう。クラウディオ陛下もお悩みになるでしょうし──思ったよりも早く報告できるのかもしれません。その、私と……貴女の、ことを」

「え、ええ」


 改めてユリウスに手を差し出されて、恐る恐る握り返す。今度こそ振りほどいてしまうことのないように。掌に伝わる熱と、仄めかされた「これから」のこと。二重の意味で頬が熱くなるのを感じながら、ふたりして馬上の人になる。多くを命じるまでもなく、船を目にした供の者たちも、急いで王宮に戻る構えになっている。


 アンナリーザはまだ知らない。突如現れた船に、兄ティボルトだけでなく、ラクセンバッハ侯爵アルフレートも、ユリウスの父ヴェルフェンツァーン侯爵カールも乗っていたことを。ふたりの婚約について、思いのほかに早く、しかも双方の身内に同時に伝えることができること。カールが豪快に笑って祝福してくれたのに対して、ティボルトを宥めるのは少し苦労すること。アンナリーザとユリウス、クラウディオとフアナ、それに、ディートハルトとセラフィナ──三組の慶事が重なって、かつ、異国からの貴賓を迎えて、ベレロニードが湧きたつことも。


「しっかり掴まってください」

「はい!」


 ただ、ユリウスの腕の中で、確信していたことは、ある。アンナリーザの人生はまだ始まったばかりで、今度こそは幸せに満ちたものになるだろうということだ。

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転生した悲劇の王妃は今世の幸せを死守したい 悠井すみれ @Veilchen

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