次の日……

 次の日、永山は朝練に欠席した。風邪でも引いたのか、それとも寝坊したのかはわからない。けれど昨日のことがあるから、ちょっと嫌な予感を覚えた。


 その予感は、この後的中してしまった。


 朝のホームルームが始まる直前、永山は1年C組の教室に入ってきた。彼の様子は、昨日とはまるで違っていた。


「……残さなきゃよかった」


 永山は俺に対してぼそっとつぶやいた。彼のかわいらしかったパッチリお目目は半開きで、白目は黄色く濁っている。その目の下にはくっきりとクマができていた。目だけでなく、色白だった頬も黄色みを帯びている。俺はどう返すべきかわからず、口を動かしても言葉をつむげなかった。


 永山は中身の入っていなさそうなスクールバッグを机横のフックにかけると、まるでヨボヨボの老人のような動きで着席した。何があったのかはわからないが、この永山の変貌ぶりは、昨日のできごとを知る俺を恐怖させるに十分だった。


 結局、永山は一時間目の世界史Bだけを受けて早退してしまった。


「今日の永山おかしくね」

「何かの病気かな」

「昨日まで元気だったのに」


 そうしたクラスメイトの声が、遠くから聞こえてくる雑音のように感じられた。


 それから、永山は頻繁に遅刻、早退、欠席をするようになった。当然、部活にも来ない。一か月もすると、もう学校にさえ来なくなった。学期末テストも欠席し、そのまま春休みまで一日も来なかった。何度も永山と連絡をとろうと試みたが、何も返事はなかった。

 同級生なのに、何だか弟のように感じられる男だった。永山とは一年間、同じクラスかつ同じ部活ということで、それなりに親しく付き合ってきた。だから、永山が何の連絡もなく姿を見せなくなったことには、不気味さよりも寂しさを感じた。


*****


 新学期が始まり、俺は二年生になった。永山とは相変わらず音信不通だった。それどころか、永山は学校を退学してしまったらしく、新しい名簿に彼の名前はなかった。


 二年生になって、三か月が経ったある日のこと。大会の選抜メンバーから漏れたことで、俺は無気力になっていた。スポーツ推薦狙いで必死に頑張ってきたのだが、その努力はとうとう報われなかった。

 ずっと打ち込んできた弓道だったが、何の実りもなかったことで、もう気持ちが切れてしまった。弓道部をやめてしまおうか。いや、もう登校すら億劫だ。そんな心境だから、授業も身に入らない。明日から学期末テストだが、こんな取るものも手につかない状態では、テストでいい点をとれるビジョンも見えなかった。勉強もだめ、弓道もだめ、お先真っ暗としか言いようがない。


 漢文の授業を終えた後、一人でカフェテリアに向かっていた。今日の日替わりメニューは「ナマズ姿煮定食」だった。

 そういえば……これは確か、永山が気に入っていたメニューだ。もう連絡がとれなくなって結構経つけど、どうしてるんだろうか。

 何の気なしに、「ナマズ姿煮定食」を頼んでみた。姿煮というだけあって、用水路とかにいるようなあのナマズが、そのまんま土鍋に盛られている。四本のヒゲを伸ばしたひょうきんな顔は、グロテスクというよりむしろかわいらしさすらあった。

 

 しかし……俺が驚いたのは、ナマズだけではなかった。トレーの隅の小皿に、たくあんが乗っていたのだ。


 ――これを残したら、永山に何があったかわかるかもしれない。


 俺は永山の顔を思い出しながら、高校のカフェテリアで出るとは思えない異様な料理を食した。ただ一つ、小皿に盛られたたくあんだけを残して。

 立ち上がってトレーを持ち上げたとき、どうやら俺は全身が震えているらしかった。返却台への道のりが、まるで三十三間堂の廊下のように長く感じる。胸の高鳴りは最高潮に達していて、今なら自分の心臓の位置がはっきりわかりそうだった。


 あの永山に何が起こったのか、これでわかる。学校を退学になろうがどうでもいい……


 もうすぐ返却台にたどり着く、まさにそのとき、振り向いた古田さんと目が合った。


「ひえ……」


 情けない声が、自然と漏れ出た。その目は半開きで、白目はたくあんのように黄色く濁っている。「歯の根が合わない」という慣用句を、こんなところで実感するとは思わなかった。


 ――あのときの永山と、同じ目だ。


 そんな俺のポケットの中で、スマホがぶるるっと振動した。驚いた俺は急いで近くの長テーブルにトレーを置いて、スマホを見た。母からのメッセージが、メッセージアプリに届いていた。


「ニュースでやってた自殺した子……ゆうきが仲良くしてた子だよね」


 すべてを察した俺は急いでテーブルに戻り、たくあんを手づかみで口に放り込んだ。

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食堂のおばちゃん 武州人也 @hagachi-hm

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