だからどうか……

 七夕節句。星のお祭り。

 東洋人街は提灯や短冊が飾られ鮮やかに彩られる。みんな浮き浮きしながら街を歩いていた。出店や屋台で料理やお菓子を買って食べ歩く人もいれば、舞台の上で繰り広げられる舞を眺めたり、演奏される音楽に耳を傾けたりする人もいた。賑やかなお祭りだった。例年この時期が私は大好きだ。

 父も料理を出していた。屋台でリャオメンを提供している。父の味が大好きな常連や、匂いにつられてやってきた一見さんなんかも姿を現し、父の料理に舌鼓を打つ。

 グレアムさんとシャロンさんがやってきたのは、屋台の運営が終わってお祭りも終盤に差し掛かった時だった。その頃にやってくる手筈だった。

「おや、グレアムさん」

 父が顔を綻ばせる。

「いつもご贔屓にしていただきありがとうございます。おかげさまで騎士団の方もよく来られて……」

「いえ、ハオレンさんの料理はセントクルス一ですから」

 父はにっこり笑った。

「言い過ぎですよ。ですが、嬉しいです」

 するとグレアムさんは微笑んだまま続けた。

「日頃お世話になっているハオレンさんにお礼をするのに、このお祭りは良い機会だと思うのです」

 グレアムさんが騎士団流にお辞儀をした。

「どうか僕たちと夕食を」

「そ、そんなグレアムさん」

 騎士団と夕食だなんてこの国では滅多に与れない名誉だ。

「私なんかがそんな……」

「日頃の感謝の気持ちなのです。ハオレンさん」

 グレアムさんは誠実に続けた。

「どうか、ご一緒に」

 父は私の方を見た。私は頷いた。

「でしたら、まぁ……」

 父は前掛けを外した。

「店の片づけは後でするとして。ご一緒しましょうか」

 かくして父と私はグレアムさんとシャロンさんに連れられて、ユシェンさんの店に行った。これも計画通りだ。グレアムさんは私たちのために頭を下げてユシェンさんの店の厨房を使わせてもらうよう頼んだ。料理をするのは……もちろんダニーだ。

 ひとしきり皿が運ばれてくると、父はくんくんと鼻を動かして、それからムッとグレアムさんを見た。それから一言放った。

「ダニーですな」

 しかしグレアムさんは真っ直ぐ父を見た。

「そうです」

 さすがですね、とグレアムさんは続けた。

「匂いで料理人が分かるのですか」

「私の店の料理に似ている。こんな真似事ができるのは傍で見ている人間だけだ」

 申し訳ないのですが……。

 父は席を立った。

「セントクルス人が頭がいいことは認めます。ですが東洋料理は頭脳だけじゃ作れない。繊細な感覚が必要なのです。ダニーはセントクルス人だ。もうお分かりですね」

 しかしグレアムさんは立ち上がった父に告げた。

「ハオレンさんの国は『礼節の国』だとうかがっております」

 グレアムさんは険しい顔をする父に臆することなく続けた。

「今日は僕たちにとって……」と、シャロンさんと自身を示す。

「僕たちにとって特別な日なのです。だからどうか、一緒に食事をしてください。礼を尽くしますので」

 この作戦を店で初めて聞いた時、私は本当に上手い作戦だと舌を巻いた。礼には礼で応えるのが「礼節の国」のやり方だ。グレアムさんは先手を打った。まず礼を払った。父はこれに対して、礼で応えなければならない。

 父はムッとしたまま席に着き直した。それから、仕方ない、とため息をついてから箸を取った。

「どうせダニーの作った料理なんて……」

 と、言いながら芋と豚肉の細切り炒めを口に運ぶ。それから一瞬だけ目を丸くした。が、すぐに目を細めた。

「食えなくはない」

 もう一口、食べる。

「まぁ、実力はある方でしょうな」

「お口に合いましたか」シャロンさんがにっこり訊ねる。若い女性に微笑まれたからだろう。父も微笑み返し告げた。

「ええ、まぁ、ダニーにしちゃよくできている」

 するとシャロンさんは待っていましたとばかりに続けた。

「実はもうひとつ、食べてほしいものがあるんです」

 それからシャロンさんは厨房に向かって手を挙げた。

「これを」

 それからダニーが運んできたのは、籠の中に山盛りにされたシータンクオだった。固められた砂糖がきらきらと輝いている。まるで本物の星みたいなお菓子だ。父もその見た目に一瞬、息を呑んでから、今度はシャロンさんを見つめた。それから低い声でつぶやいた。

「この菓子は私たちの国では特別なものです」

 さらに続けた。

「まずいものを食べさせられたら、それは無礼に当たります」

「大丈夫です」

 シャロンさんは微笑んだまま告げた。

「きっとお口に合いますよ」

 父はしばらく黙っていた。まるでそう、シャロンさんを試すかのように。

 だが彼女が笑顔を崩さないでいると、父はやがて諦めたようにシータンクオを手に取り、一口頬張った。父の顔が崩壊したのはその時だった。

「こ、これは……!」

 口から零れそうになる餡子を手の甲で押さえる。

「これは……これは……妻のシータンクオだ!」

 父の目に涙が浮かんだのはその時だった。

「これは……これは、そう、これは……」

 するとシャロンさんがつぶやいた。

「ハスの花がお好きなのは奥様ですね」

 父が涙で濡れた顔を持ち上げた。

「そ、そうですが……」

「ハオレンさんのお店の中に飾られていた花の絵は全部ハスの花の絵でした。水面から顔を覗かせる、ピンクの花。カレンダーにも、玄関の暖簾にも、テーブルクロスにもあしらわれていた。きっと思い入れのある花なのだと思いました」

 それからシャロンさんは続けた。

「聞いたところによると、娘のリィエンツさんの趣味でもない。お母様の、奥様の趣味なのだと分かりました」

 そこに来て……とシャロンさんは人差し指を立てた。

「お母様しか作れない秘伝の砂糖菓子。中身は『木の実を甘く煮詰めてほぐして練ったもの』。『木の実』、『実』です。ハスの花からも実はとれますね」

「まさか……」と父は絶句した。

「ええ、アンコにハスの実を混ぜてみるよう提案してみました。するとリィエンツさんが『お母様の味だ』と……」

 父が私を見た。そう、私には分かっていた。シャロンさんの提案でダニーが作ったシータンクオが、母の作るそれと完全に一致すると。

「ですが私はレシピを考案しただけです。ハスの花の実とアンコをどれくらいの比率で混ぜるか、お母様の味に近づけるのはどれくらい煮詰めてどれくらい練ればいいのか、考えたのはダニーくんです。作ったのも……もちろん、ダニーくんです」

「あっ、あの、ハオレンさん!」

 ダニーがここで、大きく頭を下げた。

「僕の腕がまだまだなのは承知の上です! でも僕はもっと上手くなりたい! ハオレンさんの下でもっと料理を学びたいんです。そして、そう、リィエンツさんも幸せにしたい……だから、どうか……」

 ダニーが、ハッキリと告げた。

「僕を認めてください! 料理でも、リィエンツさんのパートナーとしても! こんな僕ですが、娘さんと結婚させてください」

「お父さんお願い!」

 私もダニーの隣に立って頭を下げた。ダニーと同じくらい深々と頭を下げた。お願いします、どうか……そんな思いを込めて頭を下げた。

 少しの間、沈黙が流れた。

 だがそれを破ったのは父だった。まず、父のため息が聞こえた。

「グレアムさん。私の国でこのお菓子は特別な日に食べるものなのです。それはそう、今日のような……特別な日、祝うべき日に食べるお菓子なのです」

 グレアムさんもシャロンさんも黙って父を見つめていた。やがて父がつぶやいた。

「ダニー。お前は駄目だ。まだまだだ」

 ダニーが私の隣で鼻をすするのが聞こえた。

「このセントクルスという大きな国で、東洋の伝統的な料理を作れる職人が何人いるか……その中に並ぶなら、お前は全く駄目だ。なってない」

 だから、と父が続けた。

「修行をするぞ。明日から毎朝早くに厨房に来い。少しでも遅刻してみろ。店から追い出すどころかリィエンツの顔は二度と見せん!」

 それから父が席から立つ音が聞こえた。私は身を起こして父を見た。

「お父さん!」

 その背中に私は叫んだ。

「ありがとう!」

「ふん」

 父は小さく……だがハッキリ聞こえるように、そして満足そうに、鼻を鳴らした。



 祭りは夜遅くまで続いた。私はグレアムさんとシャロンさん、それからお母様と、ダニーと一緒に祭りを回った。綺麗な装飾、舞、歌、それぞれ楽しんだ。それから街の片隅に飾られた蓄竹シーチュウのところに来た。

「祖国では、願いを込めた短冊をこの竹に飾るのです」

「これ、魔蓄の材料になる植物ですよね」

 グレアムさんが感心したようにつぶやいた。

「こんな大きな植物なんだ」

「祖国ではよく見かけるものです。これの若芽がとにかく美味しいんですよ」

「食用にもなるのか……」グレアムさんはしきりに頷いていた。

「まだまだ知らないことがいっぱいあるな」

「はい、これ」

 私は短冊を二人に渡した。

「願い事を」

 傍の机を示す。筆と硯が置かれた机だ。グレアムさんとシャロンさんに筆が使えるか心配だったが、しかし二人とも器用だった。二人が短冊に願い事を書いた。

「何を書いたんです?」

 私はシャロンさんの傍に寄った。女の子同士、秘密は共有しなくっちゃ。するとシャロンさんは照れたように笑った。それから短冊を示す。

 そこにそう、あったのは……。

 私と同じ、空に浮かんだ姫様のような、切実で、淡い、でも耽美な、乙女らしい願いだった。


 了

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父の胃袋をつかむ最善のレシピ 飯田太朗 @taroIda

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