11. 経験と事実、リスクと利益


 ***


 聳え立つ巨大な灰色の壁が、白昼の青空を圧迫していた。

 貴族たちの屋敷をはじめ、議事堂や宮殿、魔法学校。それら全てはあの【富の壁】によって物理的にも心理的にも俗世と隔離される。

 昨日まで衣食住を与えられていた修道院のあるアトラス街も、今や富の壁の向こう側。目が覚めた時、既に私は貴族街の巨大病院の一室でベッドに横たわっていた。


「なるほど、話は大体分かった。記憶も所々ボヤけているが、少しずつ思い出せそうな気がする。

 カギを持っていた私はアランたちに拉致され、ウーズナム社が所有する倉庫のなかで拷問を受けていた。そこを嗅ぎつけたお前が乱入、男たちを全員半殺しにして私を救助してくれたというワケだ」

「まあ、そういうことになるな」


 病室の備品や装飾品は金や銀を加工したものばかり。廊下はまるで宮殿のように真っ白なタイルの上に赤い絨毯が敷かれ、小ぶりなシャンデリアが等間隔に吊られているという無駄遣いの極みみたいな病院。

 扉を一枚開けるたびに呆れる院内を歩いてきたが、こうして中庭に出てきてそれも限界を突破した。

 噴水広場の彫像、外灯、花壇、アトラス街にいる全労働者の年収をもってしても、これだけ豪華な中庭を築くことは不可能だろう。


「あの場にいた男たちは全員ゴツかったぞ、それをひとりで?」

「全員素人なんだし、大したことじゃねえよ」

「大したことだバカ」


 中庭の一角にあった白いベンチに腰掛け、リチャードの顔を見上げる。

 小刻みに揺れる彼の足といい、私を避けるように遠くを見つめる目といい、居心地の悪さが手に取るように分かった。


「しかしまあ、助けられたのは事実だ。礼を言う」

「なあモナ、お前手を引け」

「はぁ?」

「今回の件、俺らが思ってるよりヤバいってのがよく分かった。お前を巻き込んだ俺が軽率だった、本当にすまん……」


 はじまりは娼婦に恋した男の遺産を探して分け前をもらうだけの話だった。

 いざ蓋を開けてみれば、通り魔事件に会社ぐるみの犯罪行為。そしてそれを隠蔽せんとする連中からの襲撃。

 実際に私がキツい拷問を受けたことが、彼に罪悪感を背負わせてしまっているのだろう。


「……欲しい家具がある」


 拷問は本当にキツかった。

 殴られ、指を折られ、息ができないほど酒を詰めこまれた。


「修道院の奉仕活動なんて一生続けてても、手にすることができない高級アンティーク品だ」

「モナ?」

「これだけヒドい目にあわされたんだ。遺産の分け前をたっぷりもらったあと、連中の犯罪行為を公にして報いは受けさせてやる」


 その屈辱が、闘争心に火をつけた。


「本当にいいんだな?」

「当然だ、私たちが考えている以上に魔法のカギは重大な秘密を隠しているのかもしれない」

「偽装銅証以外にってことか」


 サムソン・ウーズナムが代表を務めるウーズナム社は、ここ数年で膨大な利益をあげている。

 その理由のひとつが、偽装銅証による国外貿易の円滑化。スロライナ連合王国内での国外貿易に使われる馬車のシェア率の大半をウーズナム社が握っていて、それが膨大な利益に繋がっている。

 しかし、本当にそれだけが利益急増の原因だろうか。


「具体的に何が、という説明ができるほど考えはまとまっていない。だが何かが引っかかる」


 通行銅証を偽装するのは、即刻ブタ小屋行きの犯罪だ。

 人殺しという罪を重ねる覚悟でアランたちが隠蔽したがるのも理解できる。


「何かってなんだよ」

「それが分からないんだ。確実に言えるのは、【今の私が得ている情報】と【経験から推測した事実】が微妙に噛み合っていない」


 サムソンの記憶のなかで得た情報は、大きく三つ。

 ひとつ、ウーズナム社は謎の男と関係を持ち、シンカンで何かしらのミスを犯している。それを隠蔽するために失敗した下っ端を殺す計画を企てていた。

 もうひとつは、謎の男との会談の際に見たシンカンとスロライナの二ヶ国を結ぶ密輸ルートを記した布地図。

 最後に、シンカンとの貿易で生む【膨大な利益】。元をたどればウーズナム社のあげる膨大な利益というのが遺産騒動のキッカケ。

 しかしシンカンはスロライナから非常に遠く、行き来を繰り返す物流はかかる費用もバカにならない。人と馬は消耗し、車輪は削れて荷台もボロボロになるたびに交換していては、実際に手元に残る金なんてたかが知れている。

 偽装銅証をつくったのが謎の男だとするなら、彼らとのドス黒い付き合いにだって金はかかるだろう。


「そうか、違和感の正体はこれか」


 情報を整理していると、ようやく透明で無形だった違和感の輪郭が見えはじめた。


「なんか分かったのか」

「【リスク】と【利益】が噛み合っていないんだ。

 サムソン・ウーズナムの記憶から察するに、連中の大きな取引先は東の大国シンカン。しかしスロライナとシンカンの距離は遠く、人、馬、物の消耗は激しい。当然、金銭的な消耗も比例する。

 国外貿易のシェア率をいくら高めても、実際に利益となる部分は少ないというのに、彼らは偽装銅証を用いての国境横断という非常に大きなリスクを背負って動いている。それこそ、嗅ぎつけた私やリチャードの殺害に躊躇がないほどだ」


 修道院の外で働いたことがない私に、物流稼業のノウハウは分からない。

 簡単な足し引きで成り立つ机上の空論でしかない私の妄想は的外れなのかもしれない。


「なるほどな、言われてみればたしかに……怪しい匂いがぷんぷんするぜ」


 それでもこれは、私がようやく見つけた情報と事実の間に生まれた微妙な違和感の正体。真実への渡し舟。


「聞くまでもないと思うが、魔法のカギは回収したか?」

「モチロン」


 そう言って無邪気な笑みを浮かべると、リチャードはポケットからあの古びたカギを取り出した。


「サムソン・ウーズナムの自宅にカギと関連するような金庫や扉はなかった。だとすれば次は……」

「ウーズナム社の社屋」


 その日の晩、私たちは貴族街から飛び出し、アトラス街にあるウーズナム社へ向かった。

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