10.拷問
***
「おい、起きろ!」
急に襲った冷たい肌触りと溺れるような感覚で、ようやく意識を取り戻した。
「う……」
ボヤけた視界が、少しずつ元通りになってゆく。
下を見れば、一糸纏わず生まれたままの姿で椅子に縛りつけられた自分の体。
視線をあげていくと、ボロボロの木製バケツを持った見知らぬ男の姿があった。
私は今、この男にバケツ一杯の水をかけられて目を覚ましたのだろう。
「女を剥いて縛りつけ、おまけに冷水を浴びせる。まったく、趣味の悪い──」
傍らにいた男に思い切り顔を殴られ、今まで感じたことのない激痛に襲われた。
当然である。二十一年生きてきて、人に殴られたことなんかない。
殴られたことがなければ、その痛みも知る術はなかった。
「おい、余計なことは喋らず知ってることを全部吐け。でないと次はコイツら全員の相手をしてもらうことになるぞ」
そう言って私を殴った男は下衆な笑みを浮かべた。
幾つかのランタンが置かれた広く薄暗い部屋には、私を取り囲む男たちが六人から七人程度。
ここで妙なことをすれば殺されるか、もしくは彼ら全員に犯されるか、そのどちらかだろう。
「おい、シスターにその言い方はやめろ」
私を殴ったり脅したりと荒っぽい男を静止したのは、新たに部屋を訪れた紳士服姿の男だった。
こんな盗賊みたいな連中と街の修道女である私に接点なんか当然ない。しかし、新たに現れたこの男のことを私は知っている。
「部下が無礼を働き、申し訳ありません。その、シスター……」
「モナだ」
「丁寧にありがとうございます」
「そう言うお前はたしか、アラン」
そう、この男はサムソンの記憶のなかに登場した、サムソンが最も信頼を寄せる男アラン。
「どうして俺の名を……」
「さぁ、どうしてだろうな」
そう言ってアランに笑ってみせた途端、彼は苛立ちを募らせたように口角をピクピクと動かしながら歩み寄り、私の髪の毛を掴んだ。
「シスターモナ、あなたの服からこんなものを見つけました。どうしてあなたがこれを持っているのでしょうか」
アランが私の目の数センチほど先にだしたのは、錆びた古臭いカギ。
リチャードの手から取り上げたきり、そのまま私が所有してしまっていたのをようやく思い出した。
「……知らない」
「おいテメェ、まだシラを切るつもりじゃ──」
「待てエドワード」
どうやらさっきから私に暴行を加えていた荒々しい男はエドワードというらしい。
またぶん殴られるかと思ったが、カギをポケットにおさめるアランのたったひと言でエドワードは踏みとどまった。
「質問を変えましょう、このカギについて知っていることは?」
「何も知らない」
アランが別の男に顎で合図すると、椅子の後ろで縛られた手に生温かい人肌の感触がした。
「私もアルメストの信徒です。アトラス街の聖堂でも何度か礼拝にいったことがあるので、できればシスターに乱暴な真似はしたくありません」
「修道女を裸にして拘束するヤツが、何を今更」
心なしか、私の髪を引っ張る手の力が強くなったような気もする。
ウーズナム社のアランがここにいるということは、私を拉致した連中は会社の関係者である可能性が高い。
だとすれば、彼らがカギを欲しがる理由は大体ふたつほど仮定できる。
ひとつは、私と同じくウーズナム社を仕切っていたサムソンの財産目当て。もうひとつは、ウーズナム社が行ってきた犯罪行為の隠蔽。
「さあ、シスター、我々の気が変わって無惨な純潔の失い方をしないうちに」
互いの鼻の頭が接触しそうなほど顔を近づけたアランの表情は、気味が悪いほどの仏頂面。
言葉遣いも丁寧を装っているが、どこか高圧的だった。
「だから、何も知らないと──」
「やれ」
────痛。
「ぃああぁぁっ!」
────指を折られた。
「知らないっ! 本当に、何もっ!」
折られた左手の中指が、とんでもなく熱い。とんでもなく痛い。
痛すぎて痛すぎて痛すぎて、泣けてきた。
「地下室のカギをどこで手に入れた」
「私に聞くなっ! それはカギを手に入れた本人に――」
—―――激痛。
「いぎぃぃぃぃぃっ!」
—―――今度は、別の指。
「分かった、分かったから! 知ってることはなんでも話す!」
声を張りあげていないと、痛みで気が狂いそうになる。
「遺産のウワサを聞いただけなんだ! カギは警官隊が回収していた証拠品のなかから知人が預かってきた!」
涙がとまらない。
鼻水がとまらない。
痛みがとまらない。
「これで私の知ってること全部だ、嘘じゃない!」
「知人ってのは茶髪の熊みてぇな男か」
「そうだ、そいつだ!」
どうやらアランはリチャードのことも認知しているらしい。
「名前は? どこのどいつだ」
「名前は……」
リチャード・ジョーンズ。その名が、喉でとまった。
たしかに、彼は私にとって友人であり恩人。
しかしこの状況で口を閉ざせば私自身がどうなるか、分かったものじゃない。
「もう一度聞く、熊男の名前は?」
今度は胸を千切らんばかりに強くつねられた。
「痛っ!」
「今度は腕か、脚か、どちらかが折れる。シスターさんも痛いのはもうイヤなはず」
「リチャードだ! 所属は知らないっ! 礼拝によく来る男で、彼からウワサを聞いたんだ!」
「……なるほど」
アランの手が私から離れると、ずっと背後で指を握っていたエドワードもその場で立ちあがった。
ようやく地獄の時間が終わる。
「その女の言うこと信じるんですか」
「シスターは善良な市民に嘘なんかつかない、そうですよね?」
不敵な笑みを浮かべるアランが部屋の隅まで歩いて持ってきたのは、まだ新品のウイスキー瓶。
「とはいえ、このことを知っている人間を生かしてはおけない」
「待て! ここでのことは誰にも言わない! 信じてくれ!」
再び目の前に立ったアランは笑みを浮かべたまま、ウイスキーをあける。
痛みによる地獄は終わったが、今度は私を本物の地獄に落としてしまおうというらしい。
「シスターを殺したとバレたら死罪は免れない」
「そうだ、私を殺せば偽装銅証がバレるよりももっと……あっ」
口を滑らせてしまった次の瞬間、アランの右足が私の腹を捉えた。
革製の靴底が思い切りぶつかる痛みも勢いも想像以上で、縛りつけられた椅子とともに後ろへ倒れこんた。
「熊男を探して殺せ、コイツらは絶対に生かすな!」
アランの号令で、幾人かの男が部屋を出ていく。
「シスターというのは大変な仕事でしょう? ついつい酒を飲みすぎて、ついつい死んでしまうのも仕方ない」
「警官隊も騎士団もバカじゃない、私を殺せば必ずお前たちの尻尾を掴む! 罪を隠すために罪を重ね、お前たちの死にざまはきっとろくなものでは――」
刹那、鼻をつままれ、真っ逆さまにしたウイスキー瓶を口に突っ込まれた。
「んんっ!」
どれだけ暴れても、私の力で成人男性の腕を振りほどけるはずがない。
「アランさん、そいつ殺しちまうのか?」
「当然だ、このまま酒漬けになって死んでもらう」
息ができない。
しようとすれば、度数の強いウイスキーが濁流のように喉を通っていく。
「こんなイイ女の裸見せつけられて、俺もう限界っすよ。一発だけヤっていいすか」
「ダメだ、死んだシスターの股から血が出てたら強姦を疑われるだろ」
喉が焼けるように熱い。
咽るたびに酒が鼻まで流れ、顔全体をアルコールに焼かれているようだ。
「それにお前、シスターを犯したら神罰がくだるかもしれないぜ」
胃からなにかがこみあげてくる。
頭がくらくらして、視界がボヤけて、意識が遠のく。
ようやく空になった瓶が口から離れても、呼吸が浅くてずっと息苦しい。
「うぅ……おえっ……」
今日食べた全部が逆流し、口から飛散する。
最後に見たのは、部屋の扉を蹴破って侵入してくるリチャードの姿だった。
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