09.招かれざる者


 ジャガイモのスープと小麦の粉っぽさが残るぱっさぱさのパン。肉食を規制する修道院の食事の味は薄く、元々好きではなかった。ケチャップとマスタードをべたべたに塗ったバカの味のほうが絶対美味いに決まっている。

 今朝も昼間も、味のない食事を嫌々口にしたのだが、今日の感覚はどこか違う。味がないことの嫌悪というより、反吐がでるほど不味い。

 修道院なんて十年近く住んでいるのに、今日は自室から聖堂へ向かう途中で道が分からなくなったりもした。

 体に刻まれた感覚が書き換えられているような、頭のなかの記憶に靄がかかってしまっているような、妙な感覚が私を阻害している気がしてならない。


「おい猫ども、食事の時間だ」


 聖堂周囲の掃除が終われば、次の仕事は今朝から修道院で飼いはじめた猫の世話である。

 最近、修道院で増えはじめたネズミ対策としてウォーカー司祭が連れてきた猫は全部で五匹。それら全てに一日も経たず懐かれてしまい、本来ならばしなくていいはずの世話役を理不尽に押しつけられたというワケだ。


「まったく、なんで私がこんなことまで」


 腰をかがめた私の背を足場にして頭に乗った三毛猫が、ミケ。

 一番に飛びこんできて差し出した皿のなかの刻んだ野菜を食べはじめた食いしん坊の灰色がモカで、遅れてやってきた虎のような模様がマロン。

 修道服の裾に爪をたてた白猫は、たしかベルといったか。私の尻に何度も頭突きしている黒猫はキナコだ。


「ついにお前にも友だちができたってか?」


 猫たちに面倒な絡み方をされる私を嘲笑ったのは、修道院の中庭にやってきたリチャード。


「こいつらが勝手に懐いているだけだ」

「野良猫でも拾ってきてんの?」

「ウォーカー司祭が修道院のネズミ対策にと猫好きの知人から譲り受けたらしい」


 修道服を引っかいていた白猫のベルの両脇を抱えて持ちあげてみると、柔らかそうな白い腹が伸びた。

 私が立ちあがろうとしても頭に乗ったミケは降りる素振りすら見せない。前足を私の顔まで垂らし、じぃっとその場から動かず、結局私が立ちあがってもミケは頭の上でニャアニャア鳴いている。


「カギはあったか?」


 両手に抱えていたベルが大きな口をあけて鳴いた。


「すまん、そいつの鳴き声で聞こえなかった」

「カギはあったかと聞いてるんだ」

「殺害現場近くの側溝にはなかった。というか、回収されてたみてぇだな」

「やはりそうか」


 魔法のカギは、ようやく見つけた遺産に関する唯一の手がかり。

 それを手にできなかったとなれば、もう私たちがサムソンの遺産に辿り着くことは難しい。

 刹那、


「でも、手に入れてないとは言ってないだろ?」


 リチャードがポケットから錆びついた古臭いカギを取り出して、少年みたく無邪気に微笑んだ。


「はぁ? お前、さっき殺害現場にはなかったと言ったばかりだろう」

「念のため警官隊のとこに行ってみたら、事件のあとに現場近くで見つけたこれを回収してたらしい。血の付着したカギを証拠品のひとつとして保管してたところを、頼んで拝借してきた」

「頼んだくらいで警官隊が大事な証拠品を渡すと思えない。お前まさか、権力を使ったな?」


 リチャードの手を離れて真上に投げられたカギが最高到達点に至り、落ちてくる。


「お前に死霊術があるように、俺には権力があるってこと。街を守る警官隊つっても、結局のところ民間組織だからな、話が分かるヤツは多いぜ」

「ろくに仕事もしない税金泥棒のくせに、こういう時だけは使えるじゃないか」

「猫に囲まれてニャーニャー鳴かれてるシスターの衣食住も、市民の税金でまかなわれてんだよ」


 抱えていたベルを地面に降ろすのと同時に、ミケが私の後頭部を踏み台にして大きく飛んだ。


「とにかく、これで遺産探しも大詰めだ。早速行くとしようか」

「行くってどこに」

「アトラス街六番地にある、サムソン・ウーズナムの家だ」


 * * *


 他人の記憶のなかに侵入するというのは、奇妙な気分だ。自分と他人の境界線を見失い、食や衣服などの好みに変化をもたらすこともある。

 なかでも特筆して奇妙なのが記憶の残留。未だに私のなかにはサムソンの記憶が残留し、寝起きなんかで頭が回っていないタイミングだと、自分の体験とサムソンの体験がごちゃ混ぜになる。

 今朝、住み慣れたはずの修道院で道に迷ったのも、死霊術のリバウンドで発現した記憶障害が原因だろう。


「この先を曲がったところがサムソン・ウーズナムの自宅だ」

「記憶のなかで自宅を見たのか?」

「そんなところさ」


 アトラス街とひと括りにしても該当する区画は広く、おまけに幾つもの社屋や家屋が軒を連ねる都会である。

 初めて踏みいる六番地で一本も道を違えずサムソンの自宅へ辿り着けたのは、私のなかに未だ彼の記憶が居座っているから。


「ここだ」

「サムソンほどの経営者が、こんなところに住んでたとはな」


 アトラス街で人が住むといえば集合住宅アパートが主流であるものの、なかには景気のいい経営者が土地を買って一戸建てに住むこともある。

 間違いなくサムソンは後者に該当する人物なのだが、私たちの前に現れたのは、二階建ての部屋が三軒併合するアパート。とてもじゃないが、サムソンほどの経済力を持つ男の住処とは思えない。


「こっちだ」


 一番左がサムソンの自宅だが、不思議なことにその部屋の扉はカギがかかっていなかった。


「モナ、下がってろ」

「ああ」


 不用心なだけとも考えたが、やはり様子がおかしい。

 最初にドアノブへ手をかけた私と変わり、リチャードが恐る恐る扉を開いた。


「こいつはひでぇ」


 案の定、部屋は荒らされている。

 私たちより前に招かれざる客が部屋を訪れたのだろう。

 それがどのタイミングなのかは分からない。もしかすると、まだなかに誰かいるかもしれない。


「気をつけろよ、リチャード」

「伊達に騎士団やってねぇっての」


 腰のベルトに挟んで隠していた拳銃を抜くと、リチャードは踏み入った。

 銃を構える彼の背中にぴったりとくっついて私も続く。

 クローゼット、棚、ベッド。部屋のなかのありとあらゆる場所が物色された形跡とともに、衣服や雑貨類が床を覆い隠すほど散らばっている。


「もう誰もいねぇみたいだな」

「そのようだ」


 二階建ての家をひと通り見たが、リチャードの言うとおり人の気配はない。

 どうやら部屋が荒らされたのは私たちが訪れるより前だったらしく、もう犯人はどこかへ行ってしまったのだろう。


「金庫のひとつでもあるかと思ってたが、今のところ影も形も見当たんねぇぞ」


 警戒をといたリチャードが銃をおろしてポケットからカギを取り出した。

 私たちがサムソンの家を訪れた最大の理由は、カギによって開けることのできるを探るため。

 しかし、どの部屋を覗いても古いカギが刺さりそうな箇所はなかった。


「魔法のカギ、か」


 リチャードが呟いた。


「どうした?」

「いやさ、魔術となんか関係あんのかなぁと思ってさ」

「魔法というのは魔術の別称だ。地域によっては魔法の呼称が根づいたところもあるし、子どもに見せる御伽噺では魔法が使われている。

 政府が正式名称としているのは魔術のほうだが、母とママのような違いさ」

「じゃあ、やっぱ魔術と関係あんのか」

「さぁな、それは魔術師じゃないと分からない。

 大体、聖教騎士団は爵位継承の争いから漏れた貴族の受け皿だろう? お前だって元貴族の騎士なのだから、魔術学校で学んでいてもおかしくないはずだ」

「俺の場合、コネで入ったんだよ。最近は継承権を棄ててコネ入団で魔術が使えない騎士っていうのも増えてんだぜ?

 家を継ぐつもりがなけりゃ、わざわざ学校でお勉強する必要も、社交会で利口なフリをする必要もないしな」


 ひと通り探り終えた一階から二階にあがる階段の途中、リチャードがカギを指先でくるくるまわしながらケタケタ笑う。


「善良な市民から巻き上げた税金で、こんな無能を養っていると思うと腸が煮えくり返る」


 そんな彼の後ろ姿に少し苛立ちを覚え、彼の指先で愉快そうにまわるカギを取りあげた。


「あのなぁ、礼拝にも参加しないで懺悔室で適当ぬかしてるシスターの飯も服も税金からまかなわれてんの忘れたか? お前が今着てる修道服それって結構高いんだぞ」

「……話を戻そうか」

「だな、お互い傷を抉りあうだけだ」


 寝室の荒らされかたは、特にヒドい。

 荒らした犯人も私たちと同じく、寝室に遺産の手がかりがあると考えたのだろう。


「私の考えでは、魔法のカギっていうのはあくまで比喩に過ぎないだろう。言うまでもないが、金を生むような魔術は存在しない。

 間接的に金稼ぎできるような魔術が絡んだカギだとすれば、魔法なんて御伽噺みたいな言葉を使うと思えないな。だからこれは、もっと別の方法で金を生みだすカギではないだろうか」

「別の方法?」

「偽装銅証の製造法か、もしくは別の違法行為にまつわるものか、ある程度の想像はつくが真実は分からない」


 ベッドの上に放られていた人の上半身ほどある大きな額縁を、表にしてみる。

 非常にウデのいい画家が描いた肩を抱きあう男女の絵。

 少し若い気もするが、男のほうはきっとサムソンだろう。私が記憶に心中した際、金属や鏡に映ったサムソンの容姿とどこか似ている。


「この女、どこかで見たことあるような……」


 サムソンの大きな手に肩を抱かれた長い金髪の女性は誰か分からない。

 しかし、どこかで見たことある気がしてならない。

 それもそのはずだ、まだ私のなかにはサムソンがいる。私のなかのサムソンが、女のことを知っているに違いない。


「なんかあったのか?」

「いや、ただの絵だ」

「ったく、しっかりしてくれよ」


 背中越しに聞こえた声は、心にじりじりと焼きつくような不快感を覚えた。


「なんだと? 私が遊んでいるとでも言いたいのか?」

「そこまで言ってねぇだろ」

「さっにのカギの時もそうだ、お前は明らかにコイツ使えねぇなという顔をしていた」

「なにを急にキレてんだよ、そこまでは思ってねぇっての! お前そういうとこあるよな!」


 急にキレた、というのは心外だ。

 あたかも私が急に我を忘れてキレ散らかすヒステリックバカ女のように言うが、それは違う。

 小さく積みあがってきたイライラが均衡を保てず、こうして今私の感情と言葉を通して露呈しただけの話だ。


「勝手にしろ、私はこの件から手を引かせてもらう。お前の儲け話に付き合うとろくなことにならないのは、今にはじまったことではないからな!

 もう二度と私に怪しい話を持ってくるな、分かったか!」


 彼の話にのると、いつもバカを見る。

 今回は額が額だったから判断力が麻痺していただけの話だ。

 私はそもそも、この世で一番『めんどくさいこと』が嫌いなのだから、わざわざこんな面倒ごとに首を突っ込んでやる筋合いはない。


 リチャードを寝室に置いて、私は家を飛びだした。

 当然、彼は追ってこない。

 結局のところ、私よりも娼婦や遺産のほうが大事なのだろう。


「シスターさん」


 六番地から一刻も早く離れようとした私の前に、ふたりの屈強な男が立ち塞がった。

 勿論、私は彼らを知らない。


「なんだお前ら、ナンパなら相手を選べ」

「ナンパじゃないんだなぁ、これが」

「はぁ?」

「ちょっと聞きたいことがあるんですよ」


 ふたりは互いに顔を見合わせ、けらけらと笑いあう。それが不気味で仕方なかった。


「だったら他を当たれ、私は今、非常に気分が悪いんだ。お前たちみたいな下層の人間の相手をしている暇は──」

「街のシスターさんが、サムソンの自宅に何の用があったんですか?」


 男の問いを受け、憤りも血の気もさぁっと引いた。

 鼓動がはやくなり、体温が少しあがったのを感じる。


「お前たち、何者だ」


 この状況はマズい。

 即座に察して、リチャードのもとへ戻ろうと振り返った途端、背後にいた別の男に思い切り殴られた。

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