#      

何かが、足りない。

文也ふみやの困惑は、止まらなかった。

頭から、何かが抜け落ちている。

借りてきた映画の、ワンシーン。

キスなんて、した事ないのに。

熱が、伝わってこない。

あるべきものが、そこに無いのだ。

没入感が、失せてしまった。

画面の、向こう側。

味気ない、キスをしている。

化石のような、二人のキス。

見てると何だか、虚しくなる。

安っぽい絵の、作り方。

古臭くて、色彩も無い。

名作を、見ていた筈なのに。

大好きだった、不朽の名作。

モノクロも含めて、愛していた。

その、筈だった。

どうして、なのだろうか。

急に、愛せなくなってしまった。

単に、飽きたのだと思った。

一種の倦怠だと、勘違いしていた。

しかし、何かが違う。

憂鬱、なのである。

世界の色が、褪せて見える。

灰色の林檎、モノローグ。

どれもが、同じに思えてしまう。

独り言。役者の台詞セリフ、手の触感。

冷たくて、仕方がない。

死体のように、ヒヤリと。

背筋に、走ったもの。

感覚の正体が、分からない。

まるで、悪魔のように。

気持ちが、勝手に動いている。

覗き込むような、その気持ち。

林檎の色素が、見える。

赤は失せて、灰の色。

影のような、薄い色合い。

視界が、歪んでいる。

明らかに、重なってる。

スクリーンの内側、自分の視界。

舌から、消えてしまった。

肌の温もり。

浮かんできた、キスの熱量が。

吸い込まれる。

林檎は、甘酸っぱかったのに。

あんなにも、灰色だというのに。

既に、忘れてしまった。

喉の、奥底。

流れ落ちゆく、暗い味わい。

乾いている。

砂のような、静けさで。

シトリ。

また、シトリと。

腹の内へと、収まってゆく。

冷たい、木霊。

手にした林檎の、触り心地。

脈を、打っている。

自分の血液が。

まるで、他人の肌のように。

熱を、帯びてゆくのが分かる。

林檎だ。

林檎を、手にしている。

現実の物ではない。

ただの、小道具ではないのだ。

心臓。

まさに、彼女の心を掴んでいる。

この、映画の主人公のように。

象徴を、支配したつもりだった。

手の内に、林檎を収めたのである。

しかし、これは灰色だ。

全くもって、本物ではない。

自分を見つめる、赤いまなこ

嘘をついてる、表情が見える。

そう、自分には見えている。

彼女の、まぼろし……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

にせ物の愛、モノトーンの ポテトマト @potetomato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説