灰色の液体、疼く闇の右手、大人のおやつ……その正体は、なんと全て茄子料理!?
唐突に始まる灰汁談義は、実は主人公がアク抜きをせずに茄子の味噌汁をつくってしまったことから。そんな味噌汁も美味しく食べてくれた(万年貧乏な)後輩の沢村。実は料理上手な彼に茄子の大量消費を手伝ってもらったことから始まる男二人のルームシェアとめくるめく美味しいごはんの数々。
ドラマにもなった某作品を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらはあくまでほのぼの先輩後輩の仲ですが、そんな彼らにあれこれ言いたがる同僚もいたりして、多種多様な価値観とそれなりの対立と、でもやっぱり「うまいメシさえあればいい」のタイトル通り、美味しいごはんで軽やかにのりこえていく二人の日常。
ちょっぴり疲れた日々に、なんだかとっても癒しと元気をもらえてもっとこの二人を見ていたいなあと思えるお話でした。
おすすめです!
「うまいメシさえあればいい」
「先輩後輩、男ふたり暮らしのごはんといろいろ」
「それ以上でもそれ以下でもない」
と、非常に端的な謳い文句に嘘偽りなし。
官能的(※食欲)なごはん描写に、思わず腹の虫が騒いでしまいました。
でも、決してごはん描写だけの作品ではありません。
男ふたり――松橋と沢村は先輩後輩の仲。ふたりがルームシェアをするわけは、おいしいごはんをいっぱい食べるため。仲良くごはんを分け合うふたりの姿は、読んでいてとてもしあわせな気持ちになります。
令和を迎えたとはいえ、日本ではまだまだ成人男性ふたりの同居はめずらしいもの。
男ふたりで同居なんて、男が料理なんて――ひと昔前の価値観を持つ人間の目には訝しく映ることもあるけれど、そういう相手さえストーリー上「男ふたり」の劣位に置くのではなく、適切な距離感を保ちつつも思慮深いまなざしを向けているのが、「うまいメシ」を「うまいメシ」たらしめている真の隠し味です。
読み終わったとき、「うまいメシさえあればいい」という言葉は、彼らも、彼ら以外のあり方も、すべてひっくるめて肯定してくれる素敵なパワーワードになっているでしょう。
自分の機嫌は自分で取るのが大人のたしなみ……みたいなことがさも「常識」みたいに語られてますけど、それって難易度高いですよね?実際問題として。
仕事のことでイラッときたり、青ざめたり、人間関係的に「黙れ」と思うことなんかをぐっと堪えて対応せざるをえなかったり。
そういうことの積み重ねのなかで、自分で自分の機嫌をとれと言われましても……ねえ……
なにかでリセットしたいな、と思うわけですけれども、そんな都合のよいものあるわけ……
あった!
日常の細々としたやっかいごと、気の重いあれこれをリセットしていく『うまいメシ』。
でもこの『メシ』、ひとりじゃなくてふたり(以上)で食べてるから余計に美味しいんだろうな、という気もちょっとする。
気の置けない同居人との、なんでもない(でもそれがいい)日常の物語。