ヨーカイズ・インク
ぴとん
第1話 オーバーベット
この国から闇が消えて久しい。
かつて日本人は夜を恐れていた。先の見えない暗闇の先に、恐ろしいナニカが潜んでいることを想像し、足を震わせながら夜道を歩いたものだった。
森羅万象、摩訶不思議。魑魅魍魎が跋扈するかつての時代。
その頃には、『妖怪』なる異形の者どもがそこらかしこに溢れていた。
妖怪はひとを驚かることでその存在を維持していた。
大きく揺れ動く人間の感情。それが妖怪にとっての食糧、エネルギー源だったのだ。
しかし。
街中には、灯りが設置され、夜道が照らされたことにより、この国に妖怪たちの居場所はなくなった。
彼らはわずかに残った暗闇に逃げ込んだ。そして存在を維持するために、恐怖に変わるエネルギー源を得る方法を考えた。
驚かしたときの恐怖以外の、大きな感情。
一部の妖怪たちはそれを求めて、新たな舞台に上がった。
ライトの影でふたりの女子高生、大葉オンプと戸部ミツハは、唾を飲み込んだ。
「いくよ」
「うん……!」
緊張した大葉の視線に、戸部はカクカクと頷く。
司会がマイクを通して景気良く、ふたりのコンビ名を呼ぶ。
「続いては女子高生漫才師のこの2人!『オーバーベット』です!」
「「はいどうも〜!」」
舞台袖から勢いよく飛び出す大葉と戸部。
センターマイクの両脇に立つと、観客席が隈なく目に入った。
つまらなそうに欠伸をしている中年男、携帯をいじる若い女、審査してやるぞとばかりに目をギラギラしたメガネの男。
大葉は内心ほくそ笑んだ。
(すぐ全員を大口開けて笑わせてやるよ!)
「大葉です」
「戸部でーすっ」
「「オーバーベットですよろしくお願いしまーす」」
2人で声を揃えた自己紹介のあと、戸部が半身を大葉のほうに向けて、話し始める。
「この間そこのハンバーガーショップでポテト食べたんだけどさ」
「あーハンバーガー屋のポテト美味しいよねセットでよく頼むよ単品で頼んだの?」
「うん単品。小腹空いてたからね。Lサイズ頼んだのよ」
「小腹でL?多くない?まぁまぁそのくらいの腹の空き具合だったのね」
「それでね、本数数えたんだけどおかしいのよ。前に頼んだときより1本足りなかったの」
「本数わざわざ数えたの?1本ってそれは誤差でしょ……」
「いや許せないよ、こっちは同じ値段払ってんだよ?それで量が違うってそれは納得できないよ」
「うーんでも本数違ってもさグラム数同じだったかもしれないよ?」
「いや!それはない!だって私、手に持っただけでどんなものもグラム数わかるもん!」
「えーそれは嘘でしょ。じゃあこのスマホ持ってみてよ。最近買い替えたときスペックかなり調べたから私はこのスマホの重さ知ってるのよ。手のひらに乗せるから、重さ当ててみて」
「いいよ。絶対当てれるから。カバー外すね?……ん〜はいはいはい、はい。これはもう173gね」
「えぇ!?当たりだよ……なんでわかんのすご。じゃあこれは?私のメガネ。毎日顔にかけるものだから、これも買うとき重さ調べたのよ」
「25」
「あたり!?すごっ……ちょっとあんた寿司屋なってよ」
「え?何で、寿司屋」
「寿司職人ってのはシャリを握るとき毎回同じ量だけ桶から米を取って握るのよ。その重さを測る才能、寿司屋向いてるよ」
「ならないよ。私ジャンクフードの方が好きだし。話戻すけど、それでねポテト足りないの許せなかったから店員に詰め寄ったのよ。ポテトが1本足りなかったんですけど!って」
「クレーマーじゃん、誤差だと思うけどな」
「いや。実はこのハンバーガーショップ常連でさ、前回だけじゃなく前々回、前々々回も、ポテトの本数かぞえてて、毎回本数一緒だったのよ。今回だけポテトが1本足りなかったのよ」
「ええ!?毎回数えてたの?」
「そしたら店員さん申し訳なさそうに、『すみませんお客様、本日いつもポテトを担当してるヤマシロさんお休みでして急遽別のものがポテトを揚げておりますって」
「……ちょっと待って。前回、前々回とかはヤマシロさんがあなたにポテトを出してて、そのポテトの本数も重さが毎回同じだったってこと?」
「そうそう」
「ヤマシロさん、寿司屋なりなよ!」
「ええ?」
「ヤマシロさん毎回同じ量ポテト掬えるんでしょ?それもう寿司屋なるしかないよ」
「ヤマシロさん歴代店員の中でもかなり優秀だったらしいから無理だよ。ショップの人もヤマシロさんいなくて困ってたし」
「いや!ヤマシロさんは寿司屋になるべきだよ!職人技をバーガーショップで腐らせとくわけにはいかない!」
「ハンバーガーショップだって立派な仕事でしょ」
「ちょっと待ってちょっと待って。事の重大さわかってる?」
「え?ハンバーガーショップでポテトが足りないってだけの話でしょ?」
「いま!寿司屋業界の未来がかかってるんだよ!!!時代の転換期にいるんだよ!?なぜそれがわからない!」
「何言ってんのさっきから」
「ヤマシロさんは寿司屋になるべき存在なのよ!ヤマシロさんがあげるべきはポテトじゃない……マグロよ」
「寿司屋は漁出ないって」
「あんたも他人事じゃないんだからね?あんたの才もヤマシロさんに次ぐものよ。ヤマシロさんが寿司屋にならないなら、あなたが寿司屋になりなさい」
「やだって私ジャンクフードの方好きだし」
「寿司も元々ジャンクフードよ!屋台で食べられていた庶民食。それがいまや職人技が評価されて世界に羽ばたく日本食の代表となった。いい?あんたは世界で戦うのよ」
「いいってば」
「いまから銀座行くわよ。そして寿司屋に弟子入り、コメ炊き3年からスタートよ!」
「ちょ一回話聞いてよ。あのね、それでヤマシロさんインフルエンザだからしばらく復帰できないって聞いて、困ってそうだったから私そのハンバーガーショップに急遽バイト入ることになったのよ」
「……え?」
「だからバイト先はもうあるの。寿司屋に弟子入りはしない」
「……そんなあと一歩遅かったか……」
「いやーワンオペきついからさ、ヤマシロさんが帰ってきたら一緒にポテトあげるんだ。だからヤマシロさんも渡さないよ」
「くっ……」
「だからあきらめて?私は寿司屋にはならない」
「……仕方ない認めるわ、あなたとヤマシロさんは2人で、そのハンバーガーショップのポテトを世界に轟くものにしなさい」
「チェーン店なんだけどなぁ」
「……頼んだわよ、未来の人間国宝さん?」
「あと世界で一番売れてるのはハンバーガーの方らしいけどね、どうもありがとうございましたー」
戸部と大葉は、頭を下げるとライトが暗転した。
その間に、2人はそそくさと舞台袖に帰っていく。
「滑ってたなぁ」
先輩芸人である妖怪、一反木綿が戸部と大葉に声をかける。
「お疲れ様です……」
大葉は沈んだ顔をしていた。ウケなかったことと、客席から笑い声を得られなかったそとが響いている。
笑いの感情を引き出せなければ、妖怪である以上エネルギーを得られないのだ。
戸部も疲れた様子で、水をがぶ飲みしていた。
「ふひぃ。いやぁ湧かなかったですねー。一反さんすごいですね。あんなに反応もらえて」
「まぁな芸で食ってる歴が違うのよ」
一反木綿はニヒヒ、と笑う。ちなみに一反木綿とは布切れの妖怪なのだが、彼は今人間体に化けている。
大葉と戸部の出番の前、一反木綿は舞台で布一枚を使ってさまざまな形のものを作る芸を行った。
船や鳥など、リクエストに応じて布の形を変えて表現するその芸はいつも客ウケがよかった。
大葉はため息をつく。戸部も肩を落とす。
「漫才って難しいですね……」
「ほんとだね……」
現在、多くの妖怪たちは、恐怖の感情に代わって、お笑い芸人として笑いの感情を得ることで生活している。
お笑いの仕事は薄暗い舞台上や、深夜収録のテレビ番組などが多い。妖怪にとってこれ以上なく適した仕事だったのだ。
あまりに妖怪にとってお笑い芸人は都合のいい職業なので、一説には、お笑い芸人の7割は妖怪だとも言われているほどである。
「早くかまいたちさんとかアインシュタインさんみたいに売れたいな」
戸部は遠くを見つめる。大葉はそんな彼女の肩に手を置いた。
「……売れるわよ、私たちだって絶対」
女子高生の姿をしているが、この2人もまた妖怪である。
戸部はべとべとさん。夜道を歩くひとの背中を追いかける妖怪。
大葉はおんぶおばけ。人の背中にくっつく妖怪である。
若い彼女たちは、女子高生として学校に通うかたわら、こうして毎晩、舞台に立ってお笑い芸人をして、笑いの感情を稼いでいるのだ。
一反木綿は青い2人に、アドバイスをかける。
「自分に合った芸を見つけることが売れる近道だな。頑張れよ」
「はい……」「ありがとうございます」
ベトベトさんとおんぶおばけのお笑いコンビ、「オーバーベット」。
果たしてこのふたりが、人気お笑い芸人になれるのかは、神のみぞ知るところではあるが。
しかし、10年後もしかしたら彼女たちは先輩芸人たちの背中に食らいついているかもしれない。
背中を追う妖怪、べとべとさんとおんぶおばけなのだ。
ない話でもないだろう。
大葉はカバンから紙の束を出して、戸部に手渡す。
「はい、新作書いてきたからネタ合わせするわよ」
「えー!また?覚えられるかなぁ」
口を尖らす戸部の耳を、大葉は引っ張る。
「覚えなさい!」
「うぅ〜わかったよぉ……」
ふたりは劇場の空き部屋に行って、ネタ合わせをするのだった。
こうして、明日も2人の妖怪コンビ、「オーバーベット」は薄暗い地下の劇場ライブで、漫才をするのだ。
そう。
いつか陽の光を浴びるまで。
ヨーカイズ・インク ぴとん @Piton-T
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