第5話
難破船に着いたのは、五時ごろだった。船の縁から火伏がぼーっと、夕陽の沈没を眺めていた。そのわきには、カラスへ装甲を張り付けて、二十倍ぐらいの大きさにしたような鳥がいた。あれはナイトシーカーの乗機である、サイボーグの怪鳥『グリフォン』だ。噂は聞いたことがあったが、見るのは初めてだ。ナイトシーカーはサイボーグの怪鳥の背中に騎乗して、夜の東京内海を偵察する。
俺のバイクが接岸したとき火伏はむくれ面で、両手をばっと突き出してきた。
「ねー。返して」
何がとは言わなかった。俺はバイクの錨を卸してから、船の縄梯子を登る。登り切ってから、いくぶんか軽くなった財布を、火伏へトスした。
「中身は手付金として、貰っておいた」
と俺が言うと、途端に火伏の顔がぱあっと明るくなった。火伏がおどけた仕草で、俺へ敬礼する。
「テレマの色が変わったね。その気になった?」
「どうせ死ぬなら、ビチ糞垂れのイカレたコンピューターを、ファックしてから死ぬ気になったんだよ」
「かっこいいじゃん。じゃあこれからどうする? さっそくディクタトル殺しに行く?」
「そんな簡単に殺せるもんじゃねえだろ。悪事の手筈には段取りが要るんだよ。ゼットには作戦があるらしい、それに今はついていくことにする」
そのとき、心がざわついた。ゼットが、俺の肉体を奪おうとしている。内心でゼットへ毒づいた。
(なんのつもりだ? エイリアン)
『火伏ちゃんとお話ししたい。ちょっと身体を貸してくれ』
……。俺はくぎを刺した。
(ここで火伏を汚したり、俺を殺してみたりしてみろ。お前は永遠に、魂を手に出来ない)
『そこまで私も馬鹿じゃあない。安心しな』
瞼を開く。火伏がじっと、俺を見つめている。
「その前に火伏。ゼットがお前に会いたいって言ってるぜ。どうする」
火伏は目を輝かせながら、頷いた。すると、頭を殴りつけられたような衝撃と共に、俺は意識を失った。
私は頭の山岳帽をとり、火伏ちゃんへにっこり笑う。
すると、火伏ちゃんは口をぽかんと開けて、首をかしげる。まあ末広くんがにっこり笑うなんて、ありえないからね。
「え、どした? すえひろ」
「末広くんの意識は眠ってる。私だ。ゼットさ。こうして巫女様と顔を合わせるのは、初めてだね」
顔や服は末広くんだが、意識は私。ゼットなのだ。帽子を胸に当てて、火伏ちゃんへ恭しくおじぎした。
火伏ちゃんはきょとんとしてから、恥ずかしそうに伸び放題の銀髪を手ぐしする。
「わたしが、巫女? そんな立派なもんじゃないよ。単なる、ディクタトルの手駒だよ」
「君は、私の信託を受信したのだから、巫女さ。火伏ちゃんが私の救難信号を見つけなければ、私はずっと監政島の研究所で閉じ込められていたままだった」
そうなのだ。話はすっごい長くなるけど。五千年前に古代人の罠にかかった私は、海底に投げ込まれ仮死状態に陥った。それから四千年後。当時の人類がマリアナ海溝深くから私を見つけ出し、引き揚げた。そして私の構造を元に、人間はニセモノのテレマエンジンを造った。それははいいが、あろうことか当時の人類は、私を仮死状態のまま放置しやがったのだ。
そして千年がたった後。私の声にようやく気付いた巫女が現れた。それが火伏ちゃんだった。彼女は仮死状態の私へ、こっそりテレマ出力を分け与えてくれたのさ。そのまま、ワイヤー姿の私は、蛇のようにするするっと監獄から逃げだせたわけさ。
「火伏ちゃん。どうして、私の救難信号に気付けたんだい」
「わたしの両目は特別なテレマエンジンなんだ。この眼は魂の色と、その反射光を視覚できるの。そのおかげで、ゼットさんが周囲のテレマを攪乱しているのを見つけられたんだ。他にも他人の視覚へ、幻覚を投影することもできるよ。この幻影ガジェットを使って、わたしたちは怪人を見つけてレンジャーに報告するの。それが、偵察部隊ナイトシーカーの任務」
なるほど。だから火伏ちゃんは、きままに行動できるのか。レーダーは探し回るのが仕事だもの。火伏ちゃんは、私の姿をじーっと見つめたまま、首をかしげ黙り込んでしまった。
「なんだい?」
「風神様はヒゲモジャだと思ってた。今のゼットさんはヒゲモジャじゃないの? この前は黒紅のスーツで白仮面で、思ってたのとは違ったよ」
と、火伏ちゃんが言う。さては、あの私のカッコよさに戸惑っているな? 私は得意げに答えてあげた。
「モデルチェンジしたの。あの方がイケてるだろ?」
「あの格好も浮いてるけど」
「え、褒めてくれると思ってた」
ぬうー、末広くんの知識を引っ掻き回して、あの服装を見つけたというのに。なんだか気まずいじゃないか。よし、全力で話をすり替えてやろう。
「ところで火伏ちゃん! 私の身体がどうなってるか、知りたくないかい!」
「え、別にいいよ」
「そっか! 知りたいんだね! 私の本体は、炭素チューブワイヤーさ。細さは0.2ナノミリメートル、全長1万メートル。このワイヤーが十数億本も重なり合って、私になる。チューブ一本一本が、私の骨、筋肉、神経、頭脳、そして血管だ。宇宙人の超技術! カッコいいだろ!」
末広くんの肉体には、私のワイヤーチューブ構造が、隅々まで喰いこんでいる。末広くんのテレマ出力は、私のワイヤーで圧力に変換されて、チューブ内を駆け巡る。この構造が、超人的な身体能力と、風圧ガジェットの秘密なのさ! 私は背筋を伸ばし、ぼーっとした火伏ちゃんを見つめる。反応はどうだ。
「神さまの束。あー、神束だ」
「私の話聞いてたか?」
「聴いてたよ。で、その縄跳びみたいな身体で、何ができるのでしょうか?」
「馬鹿にしてんのか? 私のガジェットは気圧の操作。これは、惑星へ雨を降らせるために必要なガジェットだな。ちなみに、ティーのガジェットはテレマ保存。これは、我々テレマエンジンの動力源、テレマ出力を永久保存する機能さ。私たちは惑星を開発する機械だからね。そして、ティーには莫大なテレマが保存されている。まあ、我々の作り主が必死こいてかき集めた、偽のユニゾン粒子としてね」
「へーすごい。エイリアンエンジンの品種改良で、人類は猿から進化したってきいた。私たちにとって、あなたたちは神だよね。その、どういう経緯があって、この星に来たのかは知んないけど」
私は人差し指を立ててみる。火伏ちゃんは、ぽやんとその指先を見つめた。
「まあ、昔話をしようじゃないか。とある惑星が、コンピューターの暴走で荒れ果ててね。惑星の生命はたちまち絶滅の淵に追いやられた。その星のエイリアンは、どうしたと思う? 代わりの惑星を作るために、惑星開発エンジンを超光速ロケットで打ち上げたのさ。パイロットを乗せて四方八方にね。で、そのロケットの一つが重力に引かれて数万年前、この地球に落ちた。まあエイリアンが惑星ごと滅んで、パイロットも骨になった頃だけどね」
右手を左右に動かしてみる。火伏ちゃんは、指を目で追ってきょろきょろする。あっはっは。……いや、火伏ちゃんで遊んでいる場合じゃなかった。真面目な話をしてんだよ、私は。
「それが、貴方達?」
「そう。銀河の反対側から来た、異邦モノだ。そんな私に、君はお願い事をしたいようだ。それは何かな?」
さて、ちょっと真面目になろう。手をすり合わせて、火伏ちゃんに問いかけた。紫色の瞳に、熱っぽい意志が燈る。
「ディクタトルを破壊したい」
「理由はなんだい。君の家は宇宙開発を諦めてないらしいが、それが理由か?」
首を傾げて問うと、火伏ちゃんは唇を噛みしめて、考え込んだ。
「それもあるけど。それより、他人の過ちに動かされ続ける人生を変えたいの。自分の好きなものを守るために。とにかく、行動しなきゃ。そのために、力を貸してほしいの」
紫の瞳は、神を前にして怯えもせず、輝いていた。いいね。そういう魂の滾りが、私は欲しいんだよ。ちょっと妬いちゃうね。
「私の報酬はなにかね?」
「貴方は魂が欲しいはずです。監政島は、魂を機械に宿す研究に成功しました。その秘儀をあなたに差し上げます」
「善き哉。この、灰色の世界を嵐で掻き回してみせよう。 ま、こしゃまくれた話は終わろっ。さっそくティーと融合しに行かなきゃ。末広君とは話付けといたから。行こ行こ」
が、火伏ちゃんは迷う仕草を見せた。どした? もしかして、私のテンションについてけない? 残念だねえ。
「えっと。その前にシャワーを浴びていい? 実は昨日から忙しくて、身体、洗えてなくて」
と、火伏ちゃんは手に持った大きなカバンを掲げて言った。そんなかに着替えがあるらしい。めずらしく恥ずかしそうだな。別に私ァ気にしないけどね。機械だし……ん?
末広くんの魂が過敏に反応した。懐中時計を確かめる。妙なことに、テレマメーターが揺れ動いている。ははあ。なるほど? 末広くんは、火伏ちゃんのシャワーを想像したのかな? この童貞野郎。そうだな……私をエイリアン呼ばわりして崇めないバツだ。末広君に、仕返ししてやろう
私は火伏ちゃんに顔を近づけて、その紫の瞳をのぞき込む。すると、彼女はびっくりしたように飛びのき、手のひらで顔を隠した。あー。いいね。そういう仕草、大好きだよ私。
「わたしの言うことをきいてよ。いじわる」
「ごめんねえ? 一つお願いをしていいだろうかね?」
「え。うん。出来ることなら」
「末広くんはね、不安で不安でしょうがないんだ。その恐怖症を直してもらえないかな」
「わたしが?」
「そっ。そうじゃないと、私は好みの女性すら抱けないままさ。できるかい?」
そっと火伏ちゃんの両肩を掴む。すると、彼女は困りはてて眉根を寄せる。うぇっへへへ。こういうのも大好き。今どきはこんなスキンシップでも捕まるそうだ。神さまもセクハラで逮捕されるのだ。
「え。なにすればいいの」
「交際だよ。スキンシップだよ。キスでもしてみれば? 多分コイツちょろいし」
「そんなの、昔の小説とか……そういうのでしか知らないよ」
「箱入り娘だねえ。ならば、キスをお教えしよう。魂の交歓とは、こういうことだよ」
と、私が火伏ちゃんの顎へ触った時だった。末広くんの魂が怒りを巻き上げた。まさに火山の噴火の如し。
「あっはっは! 私を侮った罰だ末広く……ほおおおお⁉」
突然、スーツの袖口から真っ赤なワイヤーが伸び出てきた! そして赤いワイヤーは、瞬く間に私をがんじがらめに縛る! お、オノレー! 肉体の支配権は、末広くんにあるというのか! や、やめんかこの……
膝をついた俺の肉体から、黒い煙がぼわんと舞う。俺が主導権を取り返したんだ。
ゼットに打ち勝った俺は、ゆらり、と立ち上がる。
「さっさとシャワー浴びて来い。発電機まで案内してほしいならな」
「それで、キスするのん?」
「しねえよ。シャワー槽は船尾にある。俺は島に行く準備するから、入って来い」
と、俺が反対方向を指さすと、火伏はふらっと出て行った。
バイクの隠し扉を開いた。火伏が戻ってくるまでに、俺はその二重底へ、必要なものを詰め込んだ。照明弾用の鉄砲。発煙缶、懐中電灯。それと、ティーの遺骸。
支度が終わったころには、あたりは真っ暗になっていた。密航にはうってつけの時間だ。
火伏は詰襟の礼服から、動きやすそうな飛行服に着替えて戻ってきた。それがナイトシーカーの軍服だそうだ。なんとなく、さっきの礼服より様になっている気がした。グリフォンが寂しそうにガーと鳴く。
俺の難破船と周囲の島々は、レンジャーも寄り付けない暗礁地帯になっている。
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