第4話
水道にあるターミナル島へ辿り着いた時には、もう昼の十時だった。何をやるにも遅い時間帯だ。品卸はレンジャーに見つかりにくい夜中にやるのが、パッセンジャーの決まりだったし、仕事のために必要なジャケット――というより免許腕章がないんだから、どのみち仕事はもらえない。
島へ来た理由はひとつ。飯が食いたい。パッセンジャー組合の事務小屋には寄らなかった。どのみち給料なんて、滞納とピンハネでほとんど手に入らんだろう。
だけど臨時収入はある。俺はさきほど、火伏からスッた財布を、ポケットから取り出した。バイクの燃料メーターも、ほぼ底だ。この金があれば、俺は一日生き延びられる。
もう飯を食うことしか考えられない。波止場へバイクを係留し、港の屋台街に駆け込んだ。
丼ものの屋台に陣取り、500イェンをカウンターに置く。数分せず、ミートシートを固めたパテを、デンプン粥にのせて、塩を振っただけの丼が出てきた。
安定してマズい。それでも、この辺ではマシな飯だった。一番マシなのは、港で魚を自前で釣ることだが、そんな元気もない。二日ぶりに食う暖かい飯は、それなりに胃を満足させた。飯を掻き込んでいると、痩せこけた髭の店主がボソボソと話しかけてきた。
「お前さん久しぶりだが、よくこの飯に払う金があったな。餓死したかと思ってた」
「拾いものをしたのさ」
と、俺は火伏からスった財布を、これ見よがしにヒラヒラ振る。
店主は無言でカウンターに乗り出し、俺の手から財布をひったくろうとしたが、俺はのけ反って、財布をウェットスーツのポケットへ仕舞った。
「盗人が」
店主が恨み言を吐く。もし財布をひったくることができていたなら、その言葉はきっと出てこなかっただろう。俺はカラの丼をわざと投げつけて、店を出た。
飯を食えたのは良いが、急にモノを食ったせいで。とてつもなくめまいがする。バイクに乗れる状態じゃない。町の中心から外れると廃墟が広がっていて、人影は見えなくなる。今の世の中はもう、滅ぶのを待つだけの状態だ。人口はどんどん減り、食べ物も着るものも滅多に見つからない。暇を持て余した俺はあてどなく、廃墟を彷徨った。宇宙開発とやらの人員徴募が、東京内海でも激しいせいだ。徴募された人間は、南の果てにあるという打ち上げ基地とやらに連れていかれ、二度と戻ってこない。そんなこんなで、今の地球人口は一億もいないという噂だ。人より魚を探す方が楽なほど人口は減っている。こんな滅びかけの世界で、俺は臆病なまま、なにもできず野垂れ死にたいのか? それとも、好き放題暴れて、あえて死を選びたいのか。
崩れかけたビルの壁にもたれかかり、大きく息を吐く。そのとき心の中で、何かがざわついた。……ゼットが呼んでいる。俺が名前を呼ぶ瞬間を、奴は待っている。吐き気をこらえ、俺は立ち上がる。恐怖が魂を揺さぶる。魂の奥底に、俺とは違う何かが潜んでいる。
「出て来な、ゼット。アンタと話がしたい」
俺が名前を呼んだとき、真っ黒な旋風が視界を覆った。
「うわっ!」
びゅうびゅうと吹きすさぶ風が、俺を取り巻く。しばらくして、視界が晴れた。奴は俺の前に浮いていた。
『やっと私の名を呼んでくれたか。私はゼット。エイリアンエンジンの一号機、風の神、そして、君の相棒さ』
出た。紅黒のスーツを着込んだ白仮面のヴィランが、腕を組んで現れた。ゼットの姿は半透明に霞んで見えた。
「なんで、今の今まで出てこなかったんだよ。エイリアン」
『君が腹ペコでテレマ出力が足りなかったんだよ。神にも安息は必要なのさ。んぐお』
そういうとゼットは、擦り合わせた手のひらを頬にあて、おやすみのポーズをとる。ホント腹立つなコイツ。
「アンタは、俺の魂が欲しいのか」
『ノンノン。機械に魂を吹き込む秘術を、ディクタトルから盗みたいだけさ。君に、その手伝いを頼みたいの』
「その代りに、アンタは何をくれるんだ」
『私の力、圧力ガジェットをくれてやろう。君はこのまま惨めに死にたくないんじゃないか? わたしと組もうじゃないか。私は魂の秘術を盗めるし、君は力を思いのままに役立てられる。利害の一致だよ』
「俺は……手紙配りのマヌケさ。火伏もアンタも、勘違いしてる」
俺が弱弱しく言うと、ゼットは声を張り上げた。
『ダウト! 君が小物なら、今頃パニくってたはずだ。だが、君はつとめて冷静でクレバーだ。さらに、君は素晴らしいテレマを持っている。私と適合する紅いテレマをな。その力を十全に発揮したいはずだ。違うか?』
そう一気にまくし立て、なおも奴はしゃべり続ける。
『君はこのまま、ディクタトルの暴走に巻き込まれて死にたいのかい? 協力しようよぉ。一対一の契約さ。ファウストを誑かした悪魔より寛大だろ? え?』
白い仮面が、俺の眼前に迫りくる。覗き穴には、金色の瞳が嵌っていた。
「アンタの言い分には分がある。ディクタトルを殺さなきゃ、俺は死ぬんだな」
『聞き分けがよろしい。いい子だね。逃げ回って死ぬよりも、戦って生き残るほうが、良いだろ?』
「反乱の勝算はあるのかよ、ディクタトルとレンジャーは最強の双子だ」
すると、舌打ちのリズムに合わせ、ゼットはひとさし指をふり、
『もっちろん。私に任せなさい。ディクタトル暗殺には、我が妻ティーを復活させねばならぬ。彼女の力が、私を完全体にしてくれるんだ。君の魂は鎖に縛られ、飢えている。焼け付いた欲望を、歓びに換えてみせろ!』
傲慢な風神は、両手を広げて言い切った。ゼットは自信満々だった。まるで、破滅を喜ぶかのように。俺はカオリ先生の言葉を思い出した。ゼットはかつて悪魔として封印されたと。古代の人類が、なぜゼットを封印したのかよく分かる。コイツは危険すぎる。
「答えは保留だ。……レンジャーを相手にしたくない、レンジャーに恩人がいるんだ」
俺が言うと、ゼットはため息をついて首を振る。
『そんな引け腰だから、君はカオリちゃんに愛想をつかされたんじゃないかい?』
「話を最後まで聞け! とりあえず、アンタの妻は助けてやる! 骸骨のまんまじゃ不気味でしょうがないからな」
苛立ちが胸を掠め、俺は怒鳴り返した。
『おうおう怖い怖い。ま、仮契約だな? ティーが目覚めるには、デッかい発電機が要る。それを見つけ、彼女の両こめかみに電圧をぶち込んでくれ。賢明な君ならわかるだろうが、くれぐれもバレない様にね?』
黒いつむじ風が、奴を覆い隠そうとする。また、おねんねするつもりらしい。
「ま、待て」
俺は急いで奴を呼び止めた。
『あ?』
「俺の上着どこやった」
免許をなくして焦らない奴がいれば、そいつは大物かとんでもないバカかのどっちかだ。ゼットは露骨に目を逸らした。俺の商売道具をどうしたんだ、お前。おい。
『あー。とりあえず、私の肉体をこう変えてやる』
「え。ウォッ!」
ゼットは指を鳴らすしぐさをした。すると、ウェットスーツの隙間から、無数のワイヤーが伸び出てきた。真っ黒なワイヤーは蛇のようにうねりながら、俺の上半身へ巻き付いてきやがった。
「なっ、なにしやがる!」
『まあまて、ほら、出来上がり』
ほどなくしてワイヤーは、一気にへ引っ込んだ。すると、俺の上着は復活していた。しわもオイル汚れも、見覚えのあるヨレヨレのジャケット。死んだ養父から引き取った、形見の一つだ。
『じゃあね。私は寝るよ。不完全な私は、三十分以上活動できないんだ』
そうゼットは嘯き、黒い風にかき消されるように、目の前からいなくなる。
俺は舌打ちした。この世界の誰もが、風に背を向けて楽をする。なのに、俺は向かい風に逆らわなきゃいけないってのか。ヴィランになって恩人に殺されるくらいなら、中性子爆弾とやらで蒸発する方が、マシなんじゃないか。
放浪から戻り、自分のバイクが係留されてある波止場までたどり着き、俺は水上のバイクへ給油した。港の管理夫から、10000イェンもの大金で、バイオ燃料の小さな缶を買った。バイオ燃料は西の執政領が独占生産していて、無茶苦茶な高級品だ。なんでも二十メートルものサトウキビを、すりつぶしたあと腐らせて作るのだとか噂で聞く。俺が常日頃飢え死にしかけているのは、このサトウキビの腐りカスのせいでもあった。
防波堤の掲示板には、突撃員募集のポスターが貼ってあった。レンジャー軍は、少数精鋭のレンジャーと、それを補佐する大量の突撃員で構成されている。一大隊にレンジャーは2人、突撃員は500人といった塩梅だ。テレマエンジンとバトルドレスを支給されるレンジャーと違って、突撃員は簡易アーマーとパルスライフルだけしか装備できない。その貧弱な装備で、ヴィランと戦うのだ。一度入隊すると帰ってこないだの、洗脳されるだのと噂されても、軍役を務めれば年金が支給されるため、人気の高い職業だった。
燃料缶の中身はあっという間にカラになる。スクラップ屋へ売るために、缶を踏みつぶしていた時。誰かが俺の背中をトントンと叩いた。
「ひぇっ」
びっくりした。誰だ。さっきの丼屋のおやじが、手下を引き連れて復讐でも来たのか? 俺は後ろを振り返って、凍り付いた。
「驚かせてすまない。私はしがないレンジャーで、仲町というものだ。君が末広だな?」
レンジャー制服を纏ったカオリ先生が、俺の真後ろに立っていた。息が詰まる。俺は一時期、難民キャンプにぶち込まれていたことがある。そのとき、警備レンジャーだったカオリ先生は何の繋がりもない俺に、文字や歴史を教えてくれた恩師だった。とはいっても、出世したカオリ先生が、俺を覚えているとも思えない。
カオリ先生は他に一人、緑髪の男を従えていた。こいつもレンジャーの制服を着ている。テレマエンジンの副作用で、レンジャーの皮膚や髪は、異様な色に染まっていることが多い。
俺はなんとか、言葉を絞り出した。
「え、あ、はい。私は末広ですが……レンジャーの方がどうして?」
「少しばかり時間を貰えるか? 渡したいものがあるのだ」
「いいですよ。喜んで」
やっとのことで、俺は言葉を継ぐ。今すぐ逃げだしたかった。育ての親の死に様が、脳裏によぎった。レンジャーに逮捕される間際、隠し持っていた毒薬錠をかみ砕いて、養父は死んだ。俺もああいう風に死ぬのだろか? でも、逃げれば追われる。
「ディクタトルの勅令により計画は書き換えられる。異論はないな?」
緑髪のレンジャーが、脅すように言う。ミステリならば奴らが正義の探偵で、俺は犯人だ。この場は嘘をついて、探偵達をはぐらかさないといけねえ。愛想笑いで、俺はすっとぼけた。
「あの仲町少佐。プレゼントとはなんでしょうか」
「この免許を返そう。お前のものだろう?」
カオリ先生は腰のポーチから、ジャケットをバサッと広げて、俺に突き付けてきた。俺は驚きでのけ反った。そいつは、元のジャケットじゃねえか! どういうわけで、レンジャーがそれを持ってんだよ?
「……これ、俺のですか?」
「もちろん。腕章には識別チップが仕込まれている。パッセンジャーの労働従事免許だ」
カオリ先生がジャケットの腕章をめくり返す。そこには、とても小さな黒い金属片が張り付けてある。……え、そんなチップが張り付けられてるなんて知らなかった。視界がゆがむ。まさか、俺の正体はバレているのか? ぎらついた抜き身の刀が、喉元に突き付けられているように錯覚した。
『ピンチじゃないか末広くん』
その時、バリトンボイスが頭蓋で反響した……。
(ゼットか。お前の出番じゃねえんだ)
目を瞑り、奴へ内心語り掛けた。
『はっはっは御冗談。最強の私は、なんでもできるぞ。私と融合すれば、この二人をすぐ……あー、無力化できる。ピンチが大チャンスになるんだゾ。 だから。私に身体を貸すのだ、末広くん』
歯ぎしりした。直感する。こいつは俺の肉体を奪おうとしている。融合すれば、俺の意識は二度と戻って来ない。そもそも誰のせいで、俺はレンジャーに追い込まれてる? ゼットが大暴れして、レンジャーの注意を引き付けたからだ。ゼットの昨晩の悪事は、不味いやり方だ。もっと冴えた悪事のやり方なんて、幾らでもあるだろうに。
『なあ? どっちだ。死ぬのか、生きるのか』
追いつめられる息苦しさに、もう頭が来ていた。機械やレンジャーの分際で、魂を縛り付けるな! 思い通りに生きたいんだ俺は! だったら自力で、自分で考えて、生き抜かなきゃなんねえんだ! もうヴィランになってやる。それが俺の決断だ!
(黙れッ! これは、俺の身体だ! 俺の魂だ! 俺の好きにさせろ!)
『あれ? 古代の生贄は、素直に従ったんだけどな。ま、そこまで言うならやってみな。ただし、穏便に済まないなら……わかってるよね?』
捨て台詞を残して、ゼットの声は一旦ひっこんだ。懐中時計の秒針は、二秒だけ未来に進んでいた。カオリ先生は、不思議そうに首を傾げた。不思議と思考が冴えてきた。東京内海の景色が、澄んで見えてくるほどに。ヴィランの俺を処分するなら、レンジャーは話しかけてこないはず。このヒーローたちが、俺へ会いに来た理由は何だ。
「それで。俺はこれからどうなるんです」
俺はカオリ先生にカマをかけた。
「へ?」
「この後の俺はどこかへ連れてかれたりするんですか」
「なんでだ? キミはヴィランに襲われて、上着を盗まれた被害者だろう? ナイトシーカーの報告では君は業務中、テンペストと呼ばれているヴィランに襲撃され、金品と衣服を強奪されたとある。それで間違いないかな」
「はぇ」
なんだって? 肩すかしを喰らって、変な声が出ちまった。
「我々は被害者へ見舞金を渡しに来たんだ。ジャケットのポケットに見舞金が入っている、受け取れ」
と、緑髪のタイタンは睨んできた。不味い。
「ん、どうした?」
と、カオリ先生。
「あいえ、俺がヴィランだと疑われてるのかと勘違いしたんです。あの紅黒の怪人に襲われた上に、濡れ衣も着せられているかと、ずっと怯えてたんです」
心底ほっとした風に俺は言う。すると、カオリ先生はほがらかに笑った。
「いやいや。調査の結果では、君に怪しい所はない。君はテレマエンジンとは不適応のはずだ。ナイトシーカーの調査でも、君のアリバイは立証されているし、問題はないぞ」
そうさ、俺はテレマエンジンを動かせない一般人だよ。俺は不満を顔に出さず、すこしばかり話を振った。
「それで、どうして師団長の仲町さんが、わざわざ俺の免許を持ってきたんです?」
俺はカオリ先生に聞いた。するとカオリ先生は、ぼっと顔を赤らめた。
「それは、私はあのヴィランと交戦して、そのぅ…… 取り逃しはしたが、君の上着を奪い返したんだ! それで捜査も任されて、とりあえず君に会いに来たというわけだ!」
と早口で喋り倒した彼女は、俺にジャケットを押し付けてきた。相変わらず嘘をつくのが下手だな、アンタ。
「いやはや。ありがとうございます。ほとんど無害の私では役立ちませんが、捜査が進むことを願っています」
俺は喜びを押し殺して、頭を下げた。綱渡りの終点が見えてきたぜ。このまま二人が帰れば終了。喉元過ぎればなんとやら、だ。カオリ先生の他人行儀な物言いに、ちょっとガッカリしたけれど。やっぱ、カオリ先生は俺を覚えちゃいないらしい。妙な達成感に満たされながら、俺は頭を上げた。そして白目を剥いた。
レーザーカノンの砲口が、俺の額を狙っていたから。は?
「トールハンマー、アクティブ。それで終わりと思ったか」
緑髪のレンジャーが冷やかに言う。マキアエンジンの低い唸り声が響く。カオリ先生が慌てて聞いた。
「お、おい、勅使河原大尉、なにをしている!」
「配達夫ごときがヴィランに変身できるはずはない。だがな、お前がヴィランの共犯者である疑いは残っている。お前の不審点は二つ。なぜ事件後にレンジャー軍へ出頭しなかった? なぜお前は二着の同じ上着を持っている? 答えてもらおう」
本物のジャケットを握りしめ、俺は泡を吹きかける。そりゃそうだ。なんで俺は二着の同じ上着を持ってるんだ。アホか、俺は。
「ちょっと大尉。事情聴取は計画に無いはずだ」
「この容疑者を拷問すれば、ヴィランの証拠は出てくるはずですよ。どうせこの海域のパッセンジャーだ、裏で違法物資の積卸でもやってたんでしょう」
「いつものキョーさんらしくないぞ。どうしたんだ」
と、カオリ先生。初対面だがキョーさんは、いつもこんな感じじゃなかろうか。
「悔しいんですよ。貴方を守れなかったのは、バディの私が不甲斐なかったからです。あの時、テレマ粒子の攪乱に騙されてなかったらば、貴方を辱めから守れたはずなのに」
「……そんないつまでも子ども扱いしないでくれ。キョーさん。私はもう一人前のレンジャーだ」
カオリ先生の声が、少しだけ低くなる。俺そっちのけで、二人は自分たちの問題に熱中し始めた。
「しかし私は、副官だ。上官を危険にさらすなど」
「部下の失敗は上司の責任だ」
「そう割り切れるもんかよ!」
年下の上司と年上の部下。アンタらの関係、スゴいめんどくさそうだな。って、んなもん、今はどうでもいい。キョーちゃんの疑いを解かないと、俺達三人とも破滅だ。俺の魂の奥で、ゼットの欲望が渦巻き始めていた。舌なめずりをして、破滅を願ってやがる。
「すみません」
吐き気を堪えて、俺は演じた。レンジャー相手に気遅れなんてするものか。もう俺は、ヴィランだ。
「なんだ。弁解があるなら聞いてやるぞ」
と、キョーさんは威圧する。
「俺は出頭するのが怖かったんです。レンジャーに捕まる養父を、間近で見ていたので。今着ている上着は……その父の形見です。アイツは俺と同じパッセンジャーでしたから」
ためらいがちに嘘を吐く。父の死を悔やむ、善良な市民として。養父は真昼間から飲んだくれて、働かないマヌケだった。けれど、俺を殴ったりしなかったし、飯を食わせてくれたし恨みはない。そんなアイツがパッセンジャーだったのは本当だ。嘘をつくコツは、事実の中に嘘を潜り込ませること。チラッとカオリ先生の表情を伺う。
「勅使河原恭也大尉。エンジンを停止させろ。人の不幸に立ち入るのは、無粋だ」
佐久間は、渋い顔でエンジンのスロットルを引いた。
「……我々とて、鬼ではない。だが今後、疑わしき行動を取れば、警告だけでは済まん。帰るぞ、カオリ」
踵を返し、勅使河原は港の出口へ向かって歩き始めた。
「だから! 私が上司なんだぞ!」
カオリ先生が勅使河原の後を追う。先生は、悪いレンジャーではない。だったら、この世の中で何かが悪いのだろう。それは、俺か。俺は彼女の良心に漬け込んだんだ。
二人の姿が見えなくなって、俺はハイドロバイクに跨ったまま海図をぼおっと見つめていた。 中世時代のバイクで燃料タンクに当たる部位が、ハイドロバイクでは海図とコンパスを据え付けるチャートテーブルになっている。思考は澄んでいた。
「悪事は速い方がいい。派手にやるぞ、ゼット」
俺は呟くように言った。夕陽が落ちて、だんだんとあたりは暗くなり始めていた。夜は悪を成すためにある。
『あ? なんだって? もう一回言ってくれ』
「うるせえ! これから、お前のフィアンセを迎えに行くんだよ」
俺は決めた。せっかくヴィランになれたんだ。気に入らないものをぶっ壊して、奪ってやる。俺は、思い通りに生きたい。思い通りに生きるには、いったいどうすればいい?
『ふうん……頼むよピカレスク』
紐で括られた定規と耐水鉛筆で、テーブルの耐水海図に線を引く。火伏はきっとまだ俺の仮屋で待ちぼうけているだろう。
俺のテレマは息を吹き返し、燃え上がり始める。
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