第3話

さざ波の音が船窓から聞こえる。ここは、東京内海でも相当東に位置する岩礁だ。この海域に廃棄されたこの小さな難破船が、俺の住処だった。狭い船倉を見回す。どこぞの海賊が書いたであろう、スプレーの落書き。錆びついた壁。

 その中心には気味の悪りい青銅製の骸骨が横たわっていた。この寂れた風景から明らかに浮いている。ため息が勝手に漏れた。昨日の俺はヴィランに化けて、この骸骨を盗んできたらしい。記憶はおぼろげにしか残ってない。ただ、カオリ先生を裸にしたことだけは、はっきりと覚えていた。あんな再会を果たすなら、レンジャーに捕まる方がまだマシだった。俺は振り向いた。わがままに飛び跳ねた長い銀髪の持ち主は、所在なく床にペタンと座っていた。整った鼻目立ちと、透き通った肌、ガラス細工のような紫色の瞳の少女は、ぼーっと海を眺めている。ぽやんとした視線は、見えない何かを追っているみたいだった。

「火伏閣下」

 呼びかけると、火伏はこちらを見つめた。

「なんですかー?」

「どうすんだ、これから。レンジャーに出頭するか?」

「出頭すれば殺されちゃうよ」

 と言って、火伏は首をかしげた。

「だな、殺される。俺はヴィランだからな」

「でしょー」

 骸骨を見つめて俺は肩を落とす。窃盗もヴィラン罪も、死刑罪だ。今の世の中じゃあ、即決死刑は珍しくない。俺はいつ殺されてもおかしくない身分だし、驚く事でもなかった。

 驚きも恐怖もない。胸にあるのは惨めさだけだった。そもそも俺は本当に、ヴィランになっちまったんだろうか? 右手のひらを開いてから、ぎゅっと握ってみる。何も変わらない。ホントなら、俺がヴィランになれるはずがない。俺の魂はテレマエンジンを動かせないほど弱っちいはずだ。けれど、骸骨はここにある。

 小さな窓からは東京内海の水平線と、コンクリの島々が見えた。この海域の周囲には、廃棄された無人島が幾つかある。島々を繋ぐ朽ちた橋の下を、漁を終えた漁船がくぐり通っていた。魚のおこぼれを狙うウミネコたちが、その漁船をしつこく追い回している。そんないつもの風景は、まるで俺を見捨てているように見えた。きっと俺は思いつめた顔で、外の風景を見つめていたのだろう。火伏が聞いてきた。

「怒ってる?」

「どうしてそう思う」

「テレマに紅い色が混じってるから。でもなんで怒ってんの?」

「あのな。ヴィランへ勝手に改造されて、怒らない奴がいるか?」

 腹立たしく言ってやると、火伏はしょんぼりした。だが、すぐ何かを思いついたように、ぱっと笑顔になった。

「あ。でもヴィランになったこと、わたし以外にはバレてないから、だいじょぶ」

「そうか……そういう問題じゃねえ! 俺をヴィランにしたことが、アウトなんだよ!」

 屈託のない火伏の笑みで、騙されそうになった。

「それで、提案があるんだけど」

 と話をぶった切り、火伏は右手を高々と上げた。

「お前、俺の表情が見えてるか?」

「このあたりには任務でも来たことが無いから、案内してー」

 俺は右目をすがめて、思いっきり嫌そうな顔をしてみせた。が、効果が無いことを悟って立ち上がった。

 

 難破船の外に出ると、無数の島々と、白波ばかりの光景が広がっている。朝焼けが甲板を照らしていた。迫ッ苦しい甲板の上には、錆びついたコンテナたちがうち捨てられている。東京内海の潮風は強くて、火伏の制服の襟をはためかせた。

「わー絶景かな絶景かな」

「火伏閣下。そろそろ俺は仕事を拾いに、ターミナル島まで出勤したいんだがね」

「今日は休も? それより大事な話あるからさ」

「お前に決められるのは癪だ。それで、何やってんだお前」

 火伏はコンテナへよじ登ろうとしていた。

「ここ登ったらもっと綺麗そうじゃん?」

「風が強いからやめておけ」

「危険を覚悟しないと、欲しい景色は手にはいんないんだ」

 カッコつけた台詞だな。でも、コンテナからずり落ちながら言うセリフか? 見てられん。俺は手をついてしゃがんでやった。

「俺を踏み台にすりゃ、登れるだろ」

「わー。便利」 

 便利って何だオラ。火伏は遠慮なくハイブーツのまま、俺の肩を踏んだ。さっきから火伏との会話が、どうも噛み合わなくてイライラする。

「夜の巡回任務と違って、すっごい明るいなあ。始めて見たかも」

「巡回? おまえさん、いつもは何をやってんだ」

「ナイトシーカーだよ。聞いたことない? 犯罪や事件が起こってないか、空から監視する特殊部隊やってるよ」

そんなに軽々しく特殊部隊の隊員だと言うやつがあるか。俺は憮然として返事した。

「噂では。貴族様しか入れない空軍のことだろう。レンジャー軍とはまた別の軍隊だ」

「そだねー。でも、ナイトシーカーだから夜しか空を飛べないんだ。こんな晴れた東京内海はひさしぶり」

 火伏は喜んでいたが、俺は渋い顔で波間を見ていた。コンテナの上から望んだ東京内海の波は、かなり荒れ狂っていた。これだとハイドロバイクの操縦に難儀する。火伏が見える島々の名前を聞いてきたので、片っ端から教えてやった。

 ロボット島に、砲弾島、ジャンク島に、平野島、キノコ島などなど。見える範囲でもキリがない。透明な海の底には、ビルや工場跡がぼんやりと見えた。かつて東京と呼ばれたこの地域は、地盤沈下と海面上昇が重なり、ほとんど水没している。

 陸地なのは、山の手線要塞に囲われた菱形の監政島だけ。監政島は、世界を支配するコンピューター、ディクタトルと、その手下であるレンジャーの本拠地だ。その周囲に、大小三千の島が散らばっている。一通り説明してから、俺は言った。

「アリアンナ様よお。お前さん、俺に悪事をやれつったな?」

「うん。そだよ」

「何をやらせる気だ」

「監政島のAI『ディクタトル』を破壊してほしいんだ。東京内海から世界を支配するあの機械は、もうイカれてる」

 火伏は言った。熱に浮かされているように。この華奢な体のどこに、それだけの情熱があるのか、俺にはわからない。ただ、そのお願いは現実離れしていた。ディクタトルってのは今の地球政府そのものだ。レンジャーを支配下に置く、いわば帝王のようなもの。火伏のような貴族でも、小指一本で滅ぼせるはずだ。

「いい企みだ。でも、俺は乗らねえ。俺は密輸品や手紙の配達夫でしかないパッセンジャーだ。殺しを稼業にしたことなんてない。俺は生きるのでも精一杯でね。来月には飢え死にしてるかもしれねえ」

「飢え死にの心配はないよ。たぶん今年の八月中に全生命が死に絶えるよう、ディクタトルは世界中の中性子水爆を爆発させるから」

 さも当然、という風に火伏は言った。……ああ?

「あ?」

「今のディクタトルの目的は、人類を含めた真核生物を高熱で蒸し殺した後、地球を無菌の水の星に変える事なんだあ。それが、イカれた彼の導いた、究極の解決法だから。天罰から自らを守る、最高の解決法だね」

 火伏の返事に、しばし言葉が見つからなかった。 なにより火伏が、それほど悲しくなさそうなことに、俺は途方もない息苦しさを覚えた。こういう時、なんて言えばいいんだろう。 マジで? 嘘だろ? 

「嘘つけ」

「ホントだもん。だから、わたしは狂人のような真似をしてるんだ。狂ったコンピューターを殺すために。世界を復旧させる火伏家の使命として。この危機を救う神様を蘇らせたのも、そのため。神さまは、魂を捧げた人間の願いをかなえてくれる。それがゼットさんだよ」

 神がいるなら、人間は絶滅の危機に立っていないし、俺はこんなところに住んでないし、飢え死に怯えることもねえんだぞ。だが、火伏は真剣な顔つきで、じっと俺を見つめてきた。その瞳は紫の炎を散らし、俺を射すくめる。理解してしまった。火伏は本気で、神がいると言っている。昨日の記憶が、蘇ってくる。確か、テンペストは自分の事を『太古の神様』だと嘯いていた。そして自分が、宇宙人製のロボットだってことも。

「俺が融合したテレマエンジン……ゼットが、神だってのか」

「そ。ゼットさんは、正真正銘の神様なんだ。太古の地球に降ってきた、異星人の造ったエイリアンエンジン……もう知ってると思ってたんだけど」

 火伏もカオリ先生も、コレのことを神だと言う。冷汗が背中に滲んだ。母親に捨てられてスラム島で死にかけていた時、もう驚くことは無いと思ってた。俺がヴィランになったことだって、今の世の中の常識でなんとか説明がつくんだ。けれど、神が、エイリアンロボ? そいつが俺に憑依してるだと? めまいを覚えて、俺はしゃがみこんだ。

「それは……ホントなんだな」

「うん。アタシもかみさまに呼び出された時、びっくりしたもの。ゼット様は、魂が欲しいんだ。テレマエンジンを制御する人間の魂だよ。テレマがなにか、わかる?」

「テレマの説明は、本で読んでらあ。人間が持ってる意識は、平行次元のとある粒子と共振する。その共振効果を動力に変えて、テレマエンジンの粒子モーターが回るんだ。一握りの人間だけがテレマエンジンを動かせる」

 古本から学んだ知識をつらつら述べると、火伏は手袋をはめた両手をぽふぽふ叩いた。馬鹿にされてるようでムカつく。

「かしこいかしこい。でもゼットさんはあくまでテレマエンジンで、動力源の魂を持ってないんだだからさ、ヴィランやってくれる?」

 紫の瞳が、爛々と輝く。とびっきり綺麗な笑顔に、もうちょっとで流されるところだった。

「いや、特に。その話には乗らねえ」

「……すえひろがヴィランやってくんないと、世界は滅ぶけど、それでもいいの?」

 おずおずと火伏は聞いてくる。悪魔に身体を明け渡すのは、そんな簡単な事じゃないだろう? それに、俺はレンジャーを敵に回したくはない。どうしても。子供のころ、字を覚えた俺をほめてくれたカオリ先生の笑顔を、今でも覚えている。彼女を裏切りたくはなかった。

「変な話だけどよ、レンジャーと敵対するくらいなら、蒸し殺された方がいいかもしれん」

「そんな。ショック」

 火伏は言う。その紫の瞳に、灼けついた欲望が見てとれる。が、その欲望がどういうものか、分かりかねた。

「それならレンジャーに頼れよ。俺に、ヴィランやらせてどうするってんだ」

「レンジャーはディクタトルの子分だもん。レンジャーはディクタトルに絶対逆らえない。それに、すえひろにはディクタトルを打ち倒す資格がある。テンペストと融合できるテレマの持ち主っていう、資格があるの」

 俺は母親に捨てられてからこの方、資格なんて何一つとっちゃいない。

「勝手に言ってろ。俺は仕事を取りに行く。世界が滅びるにしても、飯は食いたい。それに今日は、この前の仕事の給料が入る予定になってっから」

「心変わり、期待してるね? あ。そうだ。コンテナから降りるとき、また踏んでいい?」

「一つ言っておく。靴は脱いでくれ」

「はぁい」

 その後、俺はハイドロバイクに乗って、密輸島に向けて舵を切った。俺のバイクは、水中翼と水流ジェットで水上を走行する、通常動力のエンジンボートだ。正式名はハイドロフォイル水上バイクだが、面倒なのでだいたいハイドロバイクと呼ばれる。火伏に乗るかと聞いたが、彼女は首をふるふる振った。どうも、難破船に居座るつもりらしい。勝手にやってろ。

夏の朝焼けはいつしか、曇りなく透明な青い空へと移り変わり始めていた。俺がヴィランになった事なんて、嘘かのように見えた。

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