第7話
左目を開けると、俺は紅い竜巻の中心に膝をついていた。
ワイヤーはするすると、背広の隙間から、体内へと収納されてゆく。
左腕に懐中時計のチェーンが巻き付いている。時計の蓋が鏡のように、自分の顔を映し出す。俺は、紅い仮面を被っていた。テンペストとは違って、顔の輪郭がはっきりとわかる、真っ赤な仮面だ。
赤みがかった黒い背広に、赤いチョッキと手袋。俺は黒紅のヴィランに変身していた。
「今のキミは、末広? それとも神様?」
火伏が、おそるおそる聞いてきた。
「意識は末広だけどな。生まれ変わった気分だ。もやもやした不安が、綺麗さっぱり無え。これがヴィランか」
頭の中で、ゼットの声が反響する。
『おーい。末広くん。死んでたら返事してくれ』
(一度お前の頭をかち割って、中身を見たいな)
『んー。私に脳みそは無いぞ。で。君はテレマエンジンを使えるのか』
(テレマエンジンの駆動方法は分かる。だがな。テレマエンジンを動かせたことは一度もない。俺のテレマは、不安定だからよ)
『確かに君のテレマは不安定だ。しかし、パワーは絶大だ。分かるだろう? これまでずっと燻ってきた魂が、熱く輝くのを。魂を、回転させてみろよ』
興奮や怒りといった感情は、テレマをオーバーヒートさせる。けれど、今は違う。心は、澄んでいた。
『テンペスト操縦法、その一! 集中しろ! あの風車が回る姿をイメージしろ!』
知ってらあ。そんくらい。俺は左目をつぶって、深呼吸した。
色々な雑念が、頭の中で漂っている。その中から、一つの思いを掴み、それだけに集中する。瞼の奥にある赤い光に、俺は意識を集中させた。
あの風車が回る光景をはっきりイメージした瞬間、俺は瞼を開く。スーツのストライプが、真っ赤に輝き始めていた。懐中時計のテレマメーターは、振り切れんばかりだ。
『操縦法、その二。私とギアを合わせろ。私の思念と同期するんだ。躊躇せず一気に、私の方へ魂を移せ』
(滝に飛び込むごとく、か)
俺は目を瞑り、瞼の奥にある紅い光を掴んだ。迷いなく、一つの目的のために。
『私は、夢見る機械だ。私はテレマを手に入れたい。テレマなくして、母星の再生任務は務まらぬ。青く輝く海の星。母なる星の美しさを忘れた時など、一秒もない。あの惑星を再生することこそ、私の夢であり、任務だから!』
ゼットの欲望が、俺の心に流れ込んでくる。
こいつの思いは、本物らしい。
だったら、叶えてやる。その機械の夢を。これまでの人生で、俺は何一つ見つけられていない。幸せも、希望も、安心も。臆病さを乗り越えて、自分らしく生きていたい。
「回れッ!」
末広とゼットの雄叫びが、共鳴する。俺はシグナルカノンを構えて引き金を下ろす。
シグナルキャノンの砲口から、巨大な赤い竜巻が飛び出した。
発電機の風車が、紅い風を受けて回転を増す。
廃工場の屋根が振動で剥がれかけ、白い高波が、岸壁に叩き付けられる。
発電機のモーターが、悲鳴のような甲高い唸り声を立てる。
もういいだろう!
「今だ、ロリポット! 電源を入れるんだ!」
「アイアイ!」
ロリポットが配電盤のレバーをガチャンと下ろす。青い電光が、ロボット島を真っ青に照らした。あまりの電圧にケーブルは溶け消えて、真っ黒な煙が辺り一面に立ち込める。黒煙のただ中で、俺は右こぶしをぎゅっと握りしめた。俺にも、これだけの力があるんだ。
「フィアンセを迎えに行きな。ゼット」
俺はつぶやいた。
『え、いいの? ここで君の自我を強奪したら、どうなるかなあ』
「お前の願い、母星の再生は不可能になるぜ」
『ふうん? ……ちょっとは、タフになったね末広くん?』
仮面から左目がすうっと消えて、右目がカッと開く。仮面の色は、赤から白へと切り替わる。俺の意識は、眠らなかった。
私はゼット。さあて。やっとご対面の時だな。私は咳ばらいをし、スーツの襟を正し、最後に靴に汚れが無いか確かめた。
そして、両手を広げて叫んだ。
「さあ、来たまえ! ヘラ、ブーシュカ、イシュタル……いいや! 我が愛しのティー!」
煙を掻き分けて、裸体の少女がふらりと、目の前に現れた。
真っ白な素肌に、鳶色の瞳。髪は長くしだれかかった赤茶色。
顔はちょっと陰気だが、化粧を施せば、とてもきれいだろう。
その体躯は……なんというか貧相だ。骨っぽい。絶壁。うむ……全然違う。この女はティーじゃないんだけど。ティーは金髪碧眼の豊満な女だ。じゃあ誰だコレ。え、なに、こわい。私は力の限り叫んだ。
「誰だァ⁈ お前ェ⁉」
ティーじゃない! 誰よこの女!
(おい。人違いなんて聞いてねえぞ。お前の右目はビー玉か?)
末広くんの意志がわめき散らす。うわメッチャ恥ずかしい、メッチャ恥ずかしい!
「い、いや。そんなはずはない! 機械の私が妻を取り違えるなど、有り得ぬ!」
(お前は神話で貪るように女抱いてたろ。そりゃ取り違えるだろーよ)
「やかましい! 据え膳は飯どころか膳まで食うのが私のモットーだ!」
(そんなモットー捨てちまえ馬鹿野郎!)
「バカって言った方がバカだぞ!」
(うるせえバカ! アホ! バホ!)
崇高な論争を、末広君と交している時だった。あろうことか、少女は私目掛けて電撃を放ってきた!
「ほおっ⁉」
とっさに紅い突風をぶつけ、電圧を散らせる。蒼い矢は、バチバチっと空中ではじけ飛んだ。不遜な女を縛るべく、私は袖先からワイヤーを飛ばした。が、彼女はあろうことかワイヤーをわしづかみ、思い切り引っ張った。
「ほっ⁉」
綱引きに負けた私は、うつ伏せで引きずられる羽目になる。私の仮面がコンクリートの地面でごりごり削れ、火花が散る。一度ならず、二度までも!
(さっきからほっ、ほっ、うるせえぞお前)
「くそう、くそう! 一旦離脱するぞ! ジェット、スパロー!」
ワイヤーを外し、踵からロケット気流を噴出させ、私は夜空高く飛び上がった。私は島を旋回しながら、目を細めた。あの女を殺すのは造作ない。私は神で、あの女はあくまで人間だ。ティーではない。だが、この島を破壊せず、彼女を捕まえるとなると……不可能だ。どうすればいい?
(分かったぞ、彼女は俺と一緒だぜ)
突然、末広が分かったような口を利く。はらたつ。
「なにが一緒なんだい? 身長か? お前チビだもんな。え?」
(ぶっ殺すぞ。彼女はティーの生贄だ。ティーじゃなくて、生贄が蘇ったんだよ)
「むう。つまり、私と末広で言うと、私ではなく末広側の意識だけが蘇ったのか。どうするね? 私の予定は狂ってしまったよ。ティーの永久保存ガジェットは、生贄が扱える代物じゃない」
(なんだ、神様が弱弱しい)
「私は魂無き機械だぞ? その、アドリブには、弱いんだ」
(なら、俺にいい考えがあるぜ。シグナルキャノンで照明弾を撃ちな。弾はベルトに吊るしてある。使い方は俺の記憶から分かるだろ)
なんとかキャノンというのは、この取っ手の付いた筒のことか。 私は取っ手を掴み取り、キャノンから出っ張っているレバーを引いた。鉄の筒は二つに折れて、装填口が現れる。ふむ? これは、何かを発射するための道具だな。
「それで、照明弾を撃つ理由はなんだい?」
(説明してる暇はねえ! 見ろよ、相手さんは大技を出す気満々だ、早くしろ)
裸の女の周りに、ユニゾン粒子と稲妻のベールが形成されていた。生贄が放とうとしているあの技は……私の必殺技、オケアノスじゃないか!アレを放たれたら、火伏ちゃんどころか、この浮き工場まで消し飛んでしまう。そう考えた瞬間、末広くんのテレマが怒りに燃えた。わかったわかった。ちゃんと仕事してあげるって! 旋回から急降下へ移り、私はシグナルキャノンを構えた。
「ええいままよ! どっかーん!」
ろくに照準も定めず、私は引き金を引いた。
打ち出された照明弾は、空中で破裂し、真っ赤な花火を産み出した。
紅い閃光が、ロボット島を眩しく照らす。それと同時に、生贄ちゃんのテレマ反応が、がくっと下がった。
ん? どうして急にオケアノスを納めたんだ? 光が収束して視界が回復する。ティーの生贄ちゃんは、放心状態でその場へうずくまっていた。
こんどこそ、ワイヤーで生贄ちゃんをガンジガラメに縛った。これでもう暴れられまい。
「ああ。彼女をびっくりさせるための、照明弾だったわけか」
(そうさ。ビビりの俺が考えただけあるだろ)
「自慢できる事かねえ」
火伏ちゃんが屋根裏から、ひょこっと顔を出した。
「あのー。神さま。どうしたの? 夫婦喧嘩?」
「うん。まあ、その。私は失敗したようだ。これはティーではない」
「はえ?」
ぽかんとした顔のまま、火伏ちゃんは固まった。
そして、ティーの生贄は、メソメソと泣き始めた。
「うう、うえええええええええええん、ひええええええええええええん」
……。
「すえひろくん、あとは頼んだ。私は眠る」
(は?)
そういうやいなや、肉体の主導権は俺に戻り、さらに、テンペストの衣装は瞬く間にワイヤーへ変形して解け、俺の仕事着であるウェットスーツとライフジャケットに早変わりする。ったいどんな物理法則で、このイカレた機械が動いているのか、さっぱりわからない。目の前には、泣きじゃくる裸の女をとり囲む、ボロボロのメイドロボットたちがいる。
ロリポットたちは何をするでもなく、裸の女を二重三重に囲み、じいっと見つめていた。
「なにこの景色」
火伏がボソッとつぶやく。
「知るかッ!」
俺はキレた。何にキレたのかは自分でもわからない。
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