note.x-男の先生の課題だね〜

 第二学童を希望する新任の先生が来たこともあって、今月の後半はほとんど第一への出勤に塗り替えられた。今日もオレは第一だった。

 学童に着くと、いつものナタリアとヤコブ、それからマチェイ先生が来ていた。

 男三人とは珍しい。

 女手が欲しいなどと日頃ぼやいていたナタリアは心の中で舌打ちしていることだろう。

 すでに打ち合わせは終わっていたらしく、それぞれ離れた場所でくつろぎながら、雑談をしていた。

 思いもかけない話が出てきたのは、そんな中でのことだった。

 突然、ナタリアがオレに話を振ってきた。

「そうだルカ先生。アグニシュカちゃんのことなんだけど――あの子、結構ルカ先生にくっ付いてくるでしょ?」

「……? はい」

 アグニシュカ。一年生の女の子だ。

 時々、一緒に遊ぶでもなく近くに寄って来ることがあるのだが……それがどうかしたのだろうか?

 嫌な予感がした。

 場が凍りついたように、オレには感じられた。

 居合わせた職員の視線が、名指しされたオレに集まっている。

 ナタリアはいつもの圧迫感のある口調で、オレに告げた。

「ルカ先生にその気がないとは思うし、子供の方から来てるのは百も承知だけど、ちょっと接し方に気を付けた方がいいよ」

「!?」

「私たちはアグニシュカちゃんがそういう子だって知ってるからいいけど、なにも知らない保護者たちからはそういう目で見られるかもしれない。自分を守るためにも距離感は考えた方がいいよ」

「はい」

 ……はぁ?

 口ぶりと文脈から、そんなことだろうと思っていた。だが――

 それを……オレに……言う?

 疑問符しか出てこなかった。

 そもそもオレは、アグニシュカと一緒にいる時間自体、そんなに長くないぞ? もっと長い時間一緒に遊んでいる子は何人もいる。

 しかも半分くらいの時間は子供たちから頼まれた絵を描いているし……

 え? なんで?

 アグニシュカは確かによくくっ付いてくる。オレが手持ち無沙汰にしている時とかに、わぁっと両手を広げて向かってくる。

 が、それだけだ。

 強引に膝に乗ってきてたソーニャやハンナと比べれば全然大したことない。というか、一年生ならばそういう子はいくらでもいる。

 え? あんた、子供に懐かれたことないの?

 アグニシュカが両手を広げて向かって来る時、オレはこっちからも手を出してハイタッチしたり、手を繋いだりして上手くかわしていた。

 これで問題だというのなら、一体どうしろと?

 手と手を合わせることで適切な距離を保つと同時に、甘えたい気持ちを受け止める――それは、一番くっ付き癖の激しかったソーニャを撃退するために身に付けた、オレなりの工夫だった。

 で、そこにいるヤコブ先生はというと――抱き付かれるがままだ。「ヤメろよ! エッチ!」と言いながら女の子にくっ付かれているのはもう見慣れた光景だ。

 そもそも去年のヤコブは子供たちを手当たり次第に抱っこしまくっていた。保護者の来ている玄関の前で、背丈もそれなりにあるソーニャを抱き上げていたこともあった。

 それだけじゃない。やたらと男の子をでんぐり返しさせるし、ついでにお尻も叩くし、「カンチョーするぞ!」「ポコ○ン触っちゃうぞ!」と言ったり、

 女の子に対しても「パンツ見えてるぞ!」「スカートの中に入ったぞ!」などと危なっかしい言動が目立った。

 そうしたヤコブの振る舞いは、ルシアの件で深く傷付いていたオレには許し難いものだったし、ユスティナにもその手が伸びかかったことで危機感を覚えて、オレはついにゾフィアに二度目の愚痴をこぼしたのだった。

 ルシアがいなくなったのに、ほとんどなにも変わっていないじゃないかと。自分は抱っこも膝乗せも遠慮するよう言われているのに、どうしてあの人は抱っこ膝乗せしまくっているのかと。

 そのヤコブ先生の前で、この話がなされている。

 ヤコブではなく、このオレが名指しで。

 ナニコレ? ナニこの茶番?

 だがオレが一番許せなかったのは、ナタリアの次の一言だった。

「まあ、男の先生の課題だね〜」

 ……バカにしているのか?

 運命を司る神様がサディストだったとして、今のオレに掛ける言葉としてここまで酷いものを思い付くだろうか? 殺しに来てる?

 ナタリア――あんたは一番踏んではいけない地雷を踏んだ。

 去年、ヘンリクにベタベタしていたルシアは女だ。

 オレはヘンリクを一年生の頃から一番近くで見てきたから、ヘンリクにくっ付き癖がないことは百も承知だ。そしてルシアが来てからの一部始終もずっと観察してる。明らかにルシアの方からがっついていた。

 その時、学童はちゃんと注意してくれたのか!?

 一番好きだったヘンリクが、変な女に抱かれながら学童をやめていった。最高だったはずの思い出の最後には、どうしてもあの気持ち悪い光景が付きまとう。もう取り返しがつかない。

 第二で何人もの男の子のお尻を叩いていたイザベラも女だ。

「汚い言葉は使いません」「女の子には触りません」などと偉そうに言っておきながら、自分は男の子のプライベートゾーンを全員コンプリートしそうな勢いで触る。本当に胸糞悪い。

 女の先生も最低限のこと守れよ!

 女が男の子にやるなら問題ない――そういうダブルスタンダードがオレは一番許せないんだ。

 ナタリア。あんただってそうだ。

 あんたがティモのお尻を叩いたところをオレは目撃してる。

 男の子に「私のこと好きなんでしょ〜」と声掛けするところも見ている。

 それはいいのか? どの口が言っている?

 男が女の子にやるのはダメで、逆は許される理由はある?

 あんたはこの前、男の子にレディーファーストを強要していたが、そういうことか?

 女たちの度を超えたスキンシップをこっちは黙って見ていることしかできなかったのに、こっちは甘えてくる女の子と手を合わせるだけで問題視される。

 クソみたいな現実を突き付けられた気分だった。

「女の先生もなにもしないとは限らないけどね」

 と、取って付けたようにナタリアは言った。

 自己紹介ですか?


 それにしても、ジェロブ・コンプレックスのオレがこんな事態に直面するのがなんとも皮肉だ。

 オレはジェロブ・コンプレックスという自覚があるからこそ、女の子のみならず、男の子との距離感も間違えないよう心掛けてきた。

 他の職員の逸脱した行動を目の当たりにしても、じゃあオレも――とはならなかった。それは善悪を自分で判断できない愚者のすることだ。

 それでも、男の子との接し方は妥協していた。

「甘えてくる子を突き放すことはないですよ」という、アルフレッド先生からの助言を得てからは、男の子が膝に乗ってくるのも無闇に断らなくなった。

 なのに、指摘されたのは女の子との接し方だ。

 半分くらいの職員が男の子のお尻を触っていたことについては、なにも言わないのか?

 あんたらがやっているのは、保護者からどう思われるか以前の問題じゃないのか?

 男が女の子のお尻を触ったら捕まるだろう?

 逆なら許されるなどという話は聞いたことがない。

 むしろ、勝手にプライベートゾーンを触るのは年齢性別問わず性暴力だと、政府も言っているじゃないか。

 オレは犯罪行為を見過ごしてしまっているのだろうか――

 でも不思議なことに、女が男の子のお尻を触って捕まったという話はまったく聞かない。不思議な世の中だ。


     *  *  *


 オレはナタリアの真意を考えていた。

 たまたま打ち合わせで話していたことを、あとから来たオレに言っただけなのだろうか?

 それともヤコブに直接言うと角が立つから、一番大人しそうなオレを見せしめにしたのだろうか?

 ナタリアは普段の言動からして男の職員に偏見を抱いているようだし……

 タチが悪いのは、居合わせた職員みんなの前でそれを言ったという点だ。

 マチェイ先生なんかは普段こっちには来ないから、オレとアグニシュカの関係をよく知らない。そういう人の前で、あんなぼかした言い回しで、あたかもオレに問題行動があったかのように言えば、オレはそういう目で見られてしまう。それが狙いなのか……?

 とりあえず、オレはまたゾフィア先生に相談することにした。

 ナタリアとはレオンの勉強を巡っても軋轢があって、そのこともゾフィアに相談していた。ゾフィアは去年からナタリアのことで愚痴をこぼしていたから、味方してくれるはずだ。

 オレはもう一人で抱え込むだけじゃない。

 今は味方がいる。

 ただ、レオンの件はオレの知らぬ間にゾフィアが遠回しに抗議してくれたようだが、オレの不満がナタリアに悟られたんじゃないかと心配ではある。

 今回のことも、それを受けての報復と考えられなくもない。その気になれば、私はいつでもあなたを陥れられる――そういう脅しとも取れる。

 ゾフィアには軽率に動かないようには言っておいた方がよさそうだ。


 ゾフィア先生には相談したいことがあるとだけチャットで伝えてあった。

 この日は第二学童で閉室まで勤務の予定だ。子供の前ではとても話せないから、今日しかない。今日を逃すと閉室前に帰るシフトがしばらく続くことになる。

 ところが昼前になって、オレはシフトの変更を告げられた。

 今日は第一。ナタリアのところだった。

 対面での相談は見送るしかなさそうだ。


 だが悪いことばかりではない。

 今日は気温もそこそこで、久し振りに外遊びに行けそうだった。校庭から遠い第二学童だったら、上の学年の授業が長いのもあって今日は外へは行けなかった。だが第一なら行ける。

 そして外遊びに行けば、ヘンリクに会える!

 冬休み中は、今年から導入された低温アラートのお陰でほとんど外遊びには行けなかった。

 子供たちの安全を考えれば仕方ないのだが、そのせいでオレは冬休み中に一度もヘンリクに会っていない。最長記録更新だ。ヘンリクの十歳の誕生日を祝うこともできなかった。

 でもこれでやっと……

 いた!

 およそ一ヶ月半ぶりのヘンリクだ。

 今日も友達とバスケをしている。

 遠くから見ていることしかできないけど、これからもヘンリクの姿を拝めそうでオレは安堵した。このまま卒業までほとんど毎日校庭に来てくれ。オレもこの学童に残り続けるから。


 一方のナタリアである。

 今日は平穏無事に終わるかに思えたのだが、気になる出来事があった。

 一年生のシュムエルが、先程から何度もトイレに行っていて、ナタリアからも「さっきから何回もトイレ行ってるけど大丈夫?」と声が掛かっていた。

 しばらくすると、トイレの中から「出た!」という声が聞こえてきた。

「出たって……」

 ナタリアはユリア先生と顔を見合わせて苦笑した。

 それからなにを思い立ったのか、ニヤニヤしながら個室の中に入って行ったのだった。

「!?」

 訳が分からなかった。

 それは必要なこと?

 便秘はもう解決しているはずだ。それにシュムエルはトイレの介助が必要な子ではない。必要だとしても、今日は男の先生が二人もいる。女のナタリアが男の子のトイレを見に行く必要性がまったく分からなかった。

 なにしに行ったの? 大を見に行ったの?

 元々シュムエルは癇癪の激しい子だった。だがナタリアは癇癪には癇癪で対抗する方法で、徐々に手懐けていった。そしてそれを周囲に自慢しているような節もある。

 私とシュムエルの仲だからいいでしょと――そういうことか?

 思い起こすのは、かつてナタリアがグレーゾーンの男の子のトイレ介助をした時のことを、のろけ話のように話していたことだ。

「見ないで」という男の子に対し、「じゃあ自分でできるんですか」と。

 そういう人のプライベートなことをペラペラ話すのはデリカシーがないなと当時は思ったし、今日の出来事を見て、また印象が変わった。

 これは……なんと言うべきか……

 ルシアが権力を手に入れて戻ってきたかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻想歴史資料館 断片集 幻想歴史資料館@ナマオ @namao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ