note.x-自分の力で

 この日、オレは第一学童に行くことになった。

 第二学童への異動が告げられた時は絶望したものだったが、今月は第一への出勤も複数回あって、今後もそんな感じのシフトになるようだった。

 新年度が始まってもう一ヶ月ほどになる。

 新一年生は学童に慣れてきて、上の学年は勉強が難しくなってくる頃合いだった。

 宿題の時間になると、やはりあの子が助けを求めてきた。

「ルカ先生〜、分かんない」

 二年生となったレオンだ。

 レオンは一年生の時からずっと算数が苦手で、オレが付きっきりで宿題のサポートをすることが多かった。

 オレは早速レオンの宿題を見ることにしたのだが――

「ルカ先生。ちょっといいですか?」

 教え始めて間もなくして、ナタリア先生から声が掛かった。

「いつも教えてくれてるみたいですけど、レオン君は宿題手伝わないでください。レオン君、今成績が結構ヤバいみたいで、繰り上がりの計算も全然できないんです。今まで付きっきりで宿題教えてたから、自分で考える力が身に付いていないんです」

 それってつまり、オレのせいだと言いたいのか?

 オレは内心納得行かなかったが、抗弁を許さないようなナタリア先生の圧に押されて、はいはいと頷くことしかできなかった。

「可哀想なのは分かるけど、やっぱりそこで甘やかしちゃうとレオン君のためにならないので、そこだけは守るようにお願いします」

 本当にそれはレオンのためなのか?

 マティルダ先生からどんな引き継ぎがあったのかは知らないが、ナタリア先生はレオンのことを理解した上で言ってるのか?

 レオンの算数が壊滅的なのは、なにも今に始まったことじゃない。

 指を使って数えることすらまともにできなかった。

 だからオレは一緒に指で数えたりして、最低限のことをできるまで付きっきりでサポートしていたんだ。

 レオンは物事を理解するのもとにかく時間が掛かる。

 学校の授業だけでは理解できないから、オレが時間を掛けて、学校で習うことを分かりやすい表現で噛み砕いて、繰り返し教えていたんじゃないか。

 そうしないと学校の授業に置いて行かれてしまうから。

 オレが甘やかしたから成績が落ちたなんて、なにを根拠に言っているんだ?

 レオンの宿題を手伝わない方針はもう半年ほど前から始まっていた。

 恐らくはマティルダ先生の指示があったのだろう。レオンがオレを呼んでも、周りの先生が「自分の力でやりなさい」とストップを掛けるようになった。おかげでオレがレオンの宿題を見る機会はめっぽう減ってしまった。

 それで状況はよくなったのか?

 むしろそれが悪化の原因じゃないのか?

 レオンにはサポートが必要だ。必要なサポートを切ったら成績が落ちるのは当たり前じゃないか。

 今までの成績はどうだったんだ?

 サポートがあったからかろうじて授業に付いていけてたんじゃないのか?

 塾を辞めて成績が落ちたのなら、それは塾を辞めたせいだ。

 塾で勉強を教えたから成績が落ちたと言う阿呆がどこにいる?

 不可解な要求にオレは腹が立って仕方がなかった。

 結局は、レオンの学習状況を把握していない人たちが、どこかで聞き齧ったような勉強方法を得意げに持ち出して掻き回しているだけじゃないか。

 自分で考える力?

 授業で習ったことすら頭に入っていない子を放っておけば、自力で解き方を導き出せるとでも? 笑わせんな!

 そんな天才数学者ならそもそも授業だけで理解できるし、宿題ごときで助けを求めない。


 去年の冬休み、勉強の時間にレオンがまだ習ってもいない問題を家から持ってきていたのをオレは覚えている。

 今習っている内容すらおぼつかないのに、どんどん先に進めようとする家庭の方針に、オレはマティルダ先生と首を傾げたものだった。

 当然レオンが自力で解けるわけもなく、オレが付きっきりで教えざるを得なかった。

 それを今さら、オレが甘やかしたから成績が落ちたと?

 ふざけるのも大概にしろ!


 例えば、ルネは最初の頃、読み書きすらままならなかったから、算数の文章をオレが代わりに読んでいた。ところがそれもある日、マティルダ先生から「自分の力にならないから」とストップが掛かってしまった。

 文字も分からない人が文章と睨めっこして、果たしてなんの役に立つのだろうか?

 時間の無駄でしかない。

 算数だってそうだ。

 問題を解くには、前提となる知識や考え方が必要になる。レオンは学校の授業だけではそれが身に付かないから、補習のような形で、繰り返し教える必要がある。

 自分の力で考えるのはそれからだ。

 勉強を手伝い過ぎると自主性や考える力が身に付かないという話はよく聞くが、それは授業の内容をすんなり理解できる子の話だろう。

 ケースバイケース。世の中にはサポートの必要な子もいる。

 なのになぜ、ルネやレオン、サポートの必要な子に限ってこのやり方を適用してしまうのだろうか。


 指を使って数えられるようになるまでは、オレもレオンが問題を解くのをそばで見守り、時には手助けもした。

 でもそこから先は、冬休み頃には、一緒にやるのは基本的に最初の問題だけにとどめるようにしていた。最初の問題を使って、基本的な解き方を解説し、そこから先は自分でやるよう促すのだ。

「やり方は教える。解くのは自分で」とは何度も言い聞かせたものだ。

 これが甘やかしや自分で考える機会を奪う行為だとはまったく思わない。これが甘やかしならば学校の授業もやめるべきという話になる。


 問題を解くのは一人でやるよう促した当初は、レオンと一悶着あった。

「答え教えて」と言うばかりで、解説を聞こうとしないレオンと口論にもなった。

 それでも、他の子たちがとっくに遊び時間になっている中、レオンが怒った顔をして、泣きそうになりながらも、一人でやり切った宿題を見せに来たものだった。

 それからレオンはオレの話に耳を傾けるようになった。レオンも「隣で見てて」と甘えることはあれど、やり方さえ理解すれば宿題は特に面倒くさがることなくやっていた。

 これならなんとかなりそう――そう思っていた矢先の、ルカ先生禁止令だった。

 あの苦労はなんだったのか。

 全部台無しだ。

 一番サポートが必要なレオンは放ったらかしで、レオンほど勉強の苦手じゃない子が長時間宿題を教えられているのを見ると、どうも迷走している気がして苛立たしかった。

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