ジェロブ・ルネッサンス〜少年耽美主義〜

note.x-ポンポン

「うんこ」

「ライアン君、汚い言葉は使っちゃいけません」

「うんこ」

 おやつの時間のことだった。

 二年生以上はまだ授業があるから、この日は先に帰ってきた一年生をメインルームに集めて、先におやつを食べさせていた。

 下ネタを連発しているのはライアン。やんちゃなメラン人移民の子だ。

 下品な言葉を使うのはおかしいことなんだと、イザベラ先生が力説するが、ライアンの心にはまったく響かないようだ。

「姿勢悪いよ。お尻つけて食べなさい」

「お尻って言った〜」

「お尻はおかしくないでしょ」

 やれやれ……オレは内心このやり取りを面白がっていた。

 食事中だからオレも注意はするが、これくらいの下ネタは可愛いものではないか。嫌がる子がいなければ基本的にスルーだ。

 部屋の移動中にライアンが「先生、うんこ作って」と言い出して、お迎えに来ていたピョートルの母が爆笑するということもあった。

 下ネタそのものが悪いわけじゃない。

 ライアンは人を楽しませたくて言っているんだ。

 そんなことを考えているうちに、ライアンも食べることに集中して部屋の中は静かになっていた。

 ややあって、イザベラ先生がふとあることに気付いた。

「あれ? ライアン君、ズボン前後ろ反対じゃない?」

 見てみると、ライアンのズボンのサイドポケットが後ろ側に付いていた。ちょっと不自然だ。

 ライアンはなんのことやらといった顔だ。

 するとイザベラ先生はライアンの元へやって来て――

 え……?

 いきなりズボンを引っ張って中を見たのだった。

 前から――後ろから――

 パンツ見えちゃってる……

「ああ、なんだ。元々そういうズボンなのね」

 タグを確認したらしい。

 オレはイザベラ先生のデリカシーのなさに驚いたものだが、それだけではなかった。

 ズボンから手を離すついでに、イザベラ先生はライアンのお尻をポンッと叩いたのだった。

「お尻触らないで」

 ライアンが文句を言ったが、イザベラ先生は誤魔化すように笑って、

「ついつい触っちゃった〜、ポンポン」

 とまたお尻を叩く。

「触らないで」

 二回目。

 触らないでって言ってるのになんでまた触る?

 スキンシップですよとか、親心ですよとか、そうアピールしているつもりか?

 腹の奥底に燻っていた炎が再び燃え上がるのを感じた。

 イザベラ先生が男の子のお尻を叩くのは、以前にも何度か目撃していた。宿題中やおやつの時間に騒いでいたピョートル、ピーターらがやられている。

 ポンと叩くなら肩を叩けばいいのに、なぜお尻を触る必要がある?

 あんたもルシアと同じか!?

 思い返せば思い返すほど、疑念が深まっていく。

 そういえば二年前くらいにも、「ちんちんパンチされた」とお股を押さえるピョートルに、冗談めかして「揉んであげよっか?」と言ったことがあった。

 一年生のパヴェルがトイレのドアを開けっ放しにしていた時も、「お家じゃないんだから〜」「フタはちゃんと上げてる?」などと話し掛けながら、ずっと覗き込むような様子も見られた。

「汚い言葉は使いません」と偉そうに言っている大人が平気でそういうことをする。そういう大人に限って「エッチはいけません」などという世迷い事を言うのだ。

 下ネタを言うのとお尻を触るのとどっちが悪い?

 下ネタの方が百倍マシだ。

 ここ最近では、プライベートゾーンという言葉を使った性教育が徐々に広まっているらしい。

 ルヴフ小学校もまったくの無縁ではなさそうだった。

 去年はレオンが、「胸とかお尻とか、水着に隠れる所は他の人に触らせちゃダメなんだって」といったようなことを、オレに話してきたことがあった。

 でもうちの先生たちは平気で触って来るね。おかしいね。

 オレは今までの記憶を掘り起こしながら、顔馴染みの職員のうち何人がそれに該当するのかを数えてみて、愕然とした。

 実に半数近くの先生が、それをやっていたのだ。


     *  *  *


 また別の日、オレは久し振りに第一の方に出勤した。

 第一学童は校庭が目と鼻の先で、外遊びに行く機会が多い。外遊びに行けば高確率でヘンリクに会えるから、オレは上機嫌だった。

 おまけに――

「ルカ先生〜、久し振り〜」

 オレの姿を見付けるや、ティモがハグで迎えてくれた。

 正面から抱き合うのも人目が気になるから、半分肩を組む形のハグになった。

 オレが第二に異動になって会う回数が減ってから、ティモはずっとこんな調子だ。レオンもそうだが、以前にも増して愛おしく感じる。

 久々に満たされた気分だ。

 第一に行く時はいつだってそうだ。

 ところが、子供たちが続々と宿題を終えて本を読み始めた頃になって、気になる出来事があった。

 ほんの一瞬のことだった。

 ティモが座るローテーブルの後ろをナタリア先生が通る時――

 パンッ

 ナタリア先生がティモのお尻を叩いたのだった。

 本を読んでいるティモの姿勢が悪くて、通れなかったからだろうか。

 裏切られたような気分だった。

 お局のような存在感を放つナタリア先生に、オレは元々好印象は抱いていなかった。

 しかし完璧主義で、職業倫理に関してはしっかりしているような印象はあったから、なんとなく信頼はしていたのだ。

 なのに、どうして――

 この仕事を始めてから最初の半年間は、オレはナタリア先生の下で働いていた。

 ある日の打ち合わせで、ナタリア先生は上級生になったグレーゾーンの男の子の思い出話をしたのだが、トイレの世話の時に「見ないで」と言う男の子に「じゃあ自分でできるんですか」とからかったことを、のろけ話のように話していた。

 そうだ……そういう奴だったな。

 あまりにも……デリカシーがない。

 男女を逆にしてこの話がされていたとしたら、みんなはナタリア先生にどんな印象を抱くだろうか。ゾッとするに違いない。

 相手が男の子なら許されるのか?


 これでとうとう、必要もなく男の子のお尻を触った職員は半数を超えた。

 ルシア――オレのトラウマの元凶……ヘンリクへの執拗なボディータッチとバックハグ……複数の男の子のお尻を叩く場面も何度か目撃している。

 ダヴィド――ヘンリクのお尻を叩いたのがこいつだった。見間違いじゃなければ、ミカエルの股を足でグリグリして遊んでいたこともあった。

 ヤコブ――手当たり次第の抱っこにおんぶ。ルネに対する「カンチョーするぞ」「ポコチン触っちゃうぞ」といった言動。やたら男の子をでんぐり返しさせるし、その時にテディのお尻を叩いていた。女の子に対する言動も危なっかしい。この前は校庭で前屈をしてふざけていた女の子のお尻を叩いていた。

 マティルダ――打ち合わせで「姿勢悪い子いたらお尻叩いちゃっていいんで」と言った張本人。自身も一度だけ、小生意気なピーターを逆さに抱き上げてお尻を叩きまくっていた。

 これらにイザベラ、ナタリアと続く。

 ゾフィア先生もちょっと疑わしい。第二の主任になってから、やたらと三年生の男の子をくすぐり回しているのが目に付く。見間違いだと信じたいが、去年はアルベルトをくすぐっている時にカンチョーまでしているように見えた。ゾフィア先生が巨体で男の子に覆い被さって一方的にくすぐる様は、しばしばオレにルシアのトラウマを呼び起こさせた。

 こうなると、どいつもこいつもルシアと同じように見えてくる。

 どいつもこいつも、保育にかこつけて男の子にいかがわしいことをする。女の子にやれば問題になるであろうことを平然と……

 そして恐らくこれは、ルヴフ学童に限った話ではないだろう。

 これだけ大勢の人がやっているのだ。きっとこの国ではありふれたことなんだろう。


 性的グルーミングという言葉がある。

 わいせつな目的を隠して子供に近付き、信頼を得た上で行為に及ぶというものだ。大人を信用し切った子供たちは抵抗感が薄れ、場合によっては被害に遭ったことにすら気付かないことがあるという。

 うちの職員たちはどうか。

 保育者という立場を利用して子供を手懐けて、スキンシップ、指導の一環という名目でペタペタとプライベートゾーンを触る――一体、性的グルーミングとなんの違いがあるのだろうか?

 世の人々は、「男はそんなに気にしないだろ。考え過ぎだ」と言うかもしれない。

 でもオレからすれば、世間のそうした空気感がすでにグルーミングなんだ。

「男の子は雑に扱ってもいい」「男がやられるのはギャグだから」「男が恥ずかしがるな」という感覚がこの国には広く蔓延っている。男の子たちも生まれた時からこうした感覚を刷り込まれ、やられることへの抵抗感が薄れ、被害に遭っても気付かない。だから表沙汰にならない。

 世間では男の子が被害に遭うのはレアケースだと思われているようだが、本当にそうなのだろうか?

 オレの目が届く範囲だけでも、これだけ多くのいかがわしいことが起きているというのに……

 欺瞞とは、こういう胸糞悪いことを言うのだろう。

 でもオレは、黙って見ていることしかできない。

 誰も問題視しない中、お尻を触られる男の子もほとんど文句を言わない中で声を上げても、オレの方がおかしいと思われかねないから。

 ジェロブ・コンプレックスという負い目もあるだろう。

 そうでない(と装う)人たちよりも少年たちの性を尊重しているのに、なぜ負い目を感じなければならないのかとモヤモヤしつつも、オレは保身のために傍観者となってしまっている。


 結局、みんな少年が好きなんだ。

 ジェロブ・コンプレックスなどという長ったらしい言葉なんていらない。子供が魅力的なのは真理なのだから、少年に惹かれるのはなにもおかしなことではない。

 でもこの有り様は、少年たちが本当に愛されていると言えるのだろうか?

 興味ない風を装っている奴らが少年たちを騙して、いいように弄んでいるだけじゃないか。


     *  *  *


「ハグ!」

 おもちゃを片付ける時のこと。

 一年生の甘えん坊男子――パヴェルが、マーブルラン(ビー玉を転がすおもちゃ)のタワーを抱き潰して解体しているところをオレは見た。

「ハグはいいことだよ」とパヴェルはさらにつぶやく。

 いいことか……

 抱っこや膝乗せを遠慮するよう言われてきたオレとしては、複雑な気持ちだった。

 分かっているさ。スキンシップが大切なものであることくらい……

 セクハラになるケースも少なからずあるけれど、本来はお互いにとって幸せなものだった。お尻をタッチするスキンシップも、一昔前までは親子のスキンシップとして多くの人がやっていたことだ。

 でもオレは許せなかったんだ。

 家族ではない先生という立場を弁えて、オレがスキンシップを遠慮していた一方で、他の職員が求められもしないのに子供のお尻を叩いたり、抱き付いたり、着衣が乱れるほどにくすぐり倒したりする光景を見せられて、心穏やかではいられなかったんだ。

 ましてや、最愛のヘンリクがそれをやられていたとあっては……

 オレはどうすればよかったんだ?

「ルカ先生、抱っこ~」

 パヴェルが抱っこを求めてくる。

 ―――うちの方針としては、基本的に抱っこや膝乗せはなしです……

 ―――でも子供が甘えてくるのを突き放すことはないですよ……

 昨年度末のカウンセリングの時のアルフレッド先生の言葉が、脳裏をよぎる。

 そうか……そうだよな……

 オレだって、今までまったく抱っこや膝乗せをしなかったわけじゃない。

 ヘンリクにも一、二回だけ、頼まれて抱っこをしたことがあった。

 ―――ルカ先生は優しいね……

 降ろした時にヘンリクはそう言ったが、そうじゃない。

 普段は断っているが、オレだって本当は抱っこしたかったんだ。ヘンリクが望むのなら膝にも遠慮なく乗ってもらいたかった。

 今となっては後悔ばかりだ。どうしようもなかったことだけれども……

「もうすぐ帰りの会だから、ちょっとだけだよ」

 オレはパヴェルを抱き上げた。

 抱っこは禁止という感覚呪いが染みついているせいで、まだ少し罪悪感はある。

 でも子供たちが求めるのならば、それで喜んでもらえるのなら――オレはもう無闇に断ったりしない。

 子供たちからの愛情は、ありがたくいただくとしよう。


 子供を抱っこしたり膝に乗せたりしていると、ヘンリクともこうしたかったという後悔で、なんとも言えない気分になるのだけれど……

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