連作『紫陽花』

真鶴 黎

連作『紫陽花』

 その絵画は持ち主によって色や姿を変える。一人の持ち主の元であっても様相が変化する。この絵画の変化は経年劣化によるものではないぐらい鮮やかに色を移ろわせる。


 冷淡な持ち主の元ではぞっとするような青や青紫。

 強い愛情を持つ持ち主の元では生き生きとしたピンク。

 辛抱強い持ち主の元では葉の色が滲み出た薄緑。

 寛容な心の持ち主の元では様々な価値を受け入れるかのような白。


 持ち主と家族の関係がよければ手毬が連なる。

 逆に、家族仲が悪化すると色が褪せて空虚な残骸となり果てる。

 自信に溢れているときは堂々たる様相を見せる。

 その自信が落ち着き、謙虚になると、控えめで慎ましく頭を垂れる。

 

 そんな神秘的とも、奇怪とも言われる絵画がある。



 連作『紫陽花』



 その名のとおり、紫陽花が描かれた作品である。青々とした葉と共に毬のような花が描かれ、雨に濡れたその様が写実的だと評される逸品である。

 一人の持ち主の元でも姿を変える絵画。“七変化の絵画”、“移り気の絵画”とも言われるこの作品は残っている写真や資料によると、約五百の姿を見せたそうだ。あくまで、この数字は最低値であり、記録に残っていない姿を加えるともっと多いはずだと推測されている。

 この作品は人々の目を惹きつける絵である一方、謎の多い絵画として興味の対象となる絵画でもある。

 絵の片隅にひっそりと描かれたサインから作者の名前はわかっているものの、作者の経歴はわからない。つい百年ほど前に見つかった作品は保存状態がいいにも関わらず、描かれた年代もよくわかっていない。描かれた理由も不明。題名については後世につけられたものであるため、作者が意図したタイトルも伝わっていない。

 謎の多いこの絵画の一番の謎は絵具だ。絵具の材料が不明という一番肝心な部分がわかっていないのだ。何せ、色や花の様子を変える絵画だ。不思議な絵具で描かれたことが容易に想像できる。サンプルを採取しても、雨水のような成分が検出される以外のことは特定ができない。

 持ち主の心情や性格が変わるように色が移ろう絵画。まるで、土壌のpHによって色が変わる紫陽花の花のようだとも言われる。たった一枚の絵画でありながら様々な姿を見せるその絵画を連作と言う者が増えてきた。そのため、“連作”の二文字を冠し、連作『紫陽花』と呼ばれるようになった。



 神秘的な絵画、七変化の絵画であることから、手に入れたいと願うコレクターも多い。たった一枚の絵画であるにも関わらず、連作の名を冠するためか、今までに見せてきた姿にも価値があるとして落札額が高騰している逸品である。

 しかし、この絵画の一番の特徴である絵画が移り変わる様が気に入らないといったコレクターがいた。透明度の高い美しい青の紫陽花の姿を気に入って手に入れたのだが、段々と色が移り変わり、青と赤の二色の花をつけたことが気に入らなかったそうだ。そして、コレクターは絵画を額から取り出して雨ざらしにしてしまった。

 くっきりとした鮮やかな色の花を咲かせていた絵画は泥を被り、艶やかな雨粒が穢れてしまった。


「この浮気者が!」


 そうコレクターが絵画に罵声を浴びさせたという。当時、コレクターの妻が不倫をしていたこともあり、気が立っていたとも言われている。皮肉なことに、紫陽花の花言葉のひとつ、浮気という語を絵画に浴びせた。

 その後、家の者が別のコレクターの元へ絵画を持ち込んだ。持ち込まれた当時、色が滲みだし、まるで、紫陽花が泣いて色が落ちたかのように白い花を咲かせていたものの、泥汚れが激しかった。また、落ちてしまった色が青と赤の花びらとなり、絵画の地面に散っていたそうだ。

 絵画が汚されてしまったという話は持ち込まれたコレクターにより、コレクターたちの間で話が広まった。持ち込まれたコレクターは絵画を急ぎ買い取り、すぐさま修復した。ちなみに、元の持ち主は、絵画を手放した後、妻と別れて遠方へ行ってしまったらしく、名前を聞くことは一切なくなった。

 長い修復の月日を経て瑞々しい作風の紫陽花が咲く様子が描かれた絵画へと戻った。しかし、連作と呼ばれる特徴が消え、二度と姿が移り変わることはなかった。汚されてしまった当時の赤紫色の花を咲かせた姿のまま、ずっと移ろうことがなかった。




 そんな謎だらけの絵画が発見されてから約百五十年後、修復されてから数年後に画家が書いたと思われるノートの一部が発見された。これはとある画家の孫が祖父が遺した絵画の整理をしているときに見つけた。なぜ祖父が持っていたのか、孫には心当たりがないらしい。

 こちらは保存状態が悪く、年代判定も解読も難航した。苦労の末、何とか解読ができた部分には画家がこの絵画に込めた思いが綴られていた。


 【土壌によって色が移ろう紫陽花のように、持ち主や飾られる場所によって作品の中の紫陽花も色が変わる。だから、この作品はいくつもの姿が連なることで作品となる。永遠に完成することのない私の最高傑作だ。】


 画家が綴ったとおり、この絵画は数多の持ち主の元を渡り歩き、様々な姿を見せて注目を浴びた。しかし、転々とし、姿が移り変わっていくことが災いして二度と姿を変えることはなかった。

 名もなき画家の最高傑作は二度と完成しない絵画となってしまい、魅力も失われてしまった。連作と二文字を冠されることがなくなってしまった。

 そして、絵画はひっそりとどこかへ消えてしまい、人々の注目は別の絵画へと移り変わってしまった。

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連作『紫陽花』 真鶴 黎 @manazuru_rei

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