空想

秋色

―imagination―

 テレビのニュースでブルーのワンピースを着た天気予報士が傘を片手に話している。


「関東地方にもあと少しで梅雨がやって来ますよ。皆さん、ちゃんと準備は出来ていますか」


 五才の星菜せいなはつぶやいた。

「ツユが来るんだ。ツユさんが」


 何日か前に、星菜が「梅雨」の事を聞いたのは、母の紗季子からだった。


「もうすぐ梅雨が来るから、雨の日が多くなってお外で遊べなくなるよ」


「え? どうして? ツユさんが来たら雨が降るの?」


「そうよ」


「ツユさんって怖い?」


「怖くない怖くない。梅雨と仲良くするのには、家で過ごして危ないお外に行かなければいいだけ」



 それが何日か前の会話。星菜は、隣の居間にいる祖父母と母親に呼びかけた。


「ねえ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃん。ツユさんってここにも来るんでしょ? お菓子とかジュースとか用意しとかなきゃ」



「星ちゃん、梅雨が来るからってお菓子なんて用意しなくていいのよ」


「だって準備するよう、テレビのニュースで言ってたよ」


「お花の絵のついた傘を買ったでしょ? それが準備なの」


「なあんだ。傘を持って待つだけなんだ」


星菜はテレビの前に戻った。





 母親の紗季子はテーブルの向かい側にいる両親の方に向き直った。そこでは白いテーブルを挟み、深刻な話が、続いている。


「とにかく田舎に帰って来いって話なら、もう聞かない。私のしているビーズ細工デザイナーは都会の方が仕事があるのよ」


「でもやってる在宅の仕事だけでは生活はギリギリなんでしょ? だったらここでデザイナーとしてもっとちゃんと生計たてられる位の勤め口を探すか、田舎に帰って別の仕事についたら?」紗季子の母は娘を説得しようとした。


「だって娘の星菜がいるから家で出来る仕事の方が便利なの」


「星菜ちゃんがいるからこそよ。孫娘に貧しい暮らしなんてさせたくないの。ちゃんとしたお給料を払ってくれる会社に勤めたら保育園にだって入れるでしょ? それに託児所のある会社だったらそこに預けられるかもしれないし。


 それにほら、さっきだって星菜ちゃんは梅雨がまるで友達か何かのように言ってた。テレビに写る地方のマスコットキャラも友達のように思ってたり、同年代のお友達が少ないからなんじゃないかしら?」

紗季子の反論は続いた。



「そんなのは、子どもの頃にはよくある事じゃないのか?」と紗季子の父、つまり星菜の祖父が口を挟む。


「そうよ。私だってよく空想上の友達と遊んでたって母さん達、言ってるじゃない?」と紗季子。


「だから心配なのよ。紗季子は小さい頃から空想ばかりしてて、空想と現実の区別がつかない子になるんじゃないかってよく心配したものよ。弟の宏行は、友達も多くてよく外で遊びに行くし、そんな心配なかったのに」


「もう! いい加減いちいち宏ちゃんと比べるの、やめてくれる?」


「ただ、本当の事を言っただけよ。宏行だって星菜ちゃんの事は気にしてるのよ。もし田舎に戻って来るんなら、いつでも自分の家に遊びに来ていいからって言ってるのよ。そうしたら自分の子ども達とも遊べるし、そろって出かけられるのにって」


 父親もこれには賛成した。

「星菜にとって宏行みたいな叔父が近くにいる環境はいいんじゃないかな。宏行は、子どもの頃から成績表にいつも『明朗で誰とでも仲良くできる』って書かれてたしな。勉強は紗季子の方ができてたけど。あ、そうだ、七月の連休にキャンプするんで星菜や紗季子も招待したいって。返事を聞いておくよう、あいつから言われてるんだ」


 テーブルの上には弟からのお土産のういろうがポツンと一箱。



***



 紗季子は、思いにふけっていた。


――両親の言う事は間違ってはいない。弟の宏行は子どもの頃から明るく活発で、誰からも好かれていたっけ。――


そんな弟に対する劣等感のあまり、つい、いじけた事を考えてしまう。


――星菜はああいう大人に育てられた方が幸せなのではないだろうか? 人見知りな所のある星菜も宏行には懐いてるしな。


 夢見がちで家にいる方が外で遊ぶより好きだった、引っ込み思案の自分の少女時代。大人になって結婚した相手は、自分より社交性に富んでいて、心強かった。でも数年後に「生涯を共にするのはもっと明るく活発な女性とがいい」なんて言われて、別れを告げられ。

 星菜は、空想癖のあった自分に似ているのだろうか? このまま一緒に居すぎると、ますます似てきて、将来、自分と同じように生き辛い思いをするのだろうか? ――






 紗季子は、スマートフォンを鞄から取り出し、弟に電話した。


「姉ちゃん?」


「ういろうをありがとう。いつも思ってたけど、渋いの選ぶよね」


紗季子は、ういろうの箱を手に取り、見る。

――地味な包装紙。名物だからってこういうの、選ぶのかな――


「姉ちゃん、懐かしいだろ?」


「は?」


「ところでキャンプの事、考えてくれた?」


「うーん。私は仕事あるし、行けない」


「仕事、少しは休めばいいじゃん。でも無理なら星菜ちゃんだけでも。俺、神奈川に用もあるし、迎えに行くから」


「でもキャンプとか、危なくない?」


「危なくないよ〜。俺んちの庭でやるんだから」


「え!? 何それ。じゃー危なくはないけど、キャンプを家の庭でやるの? それって宏ちゃんちの子ども達、知ってるの?」


「子ども達は大喜びだよ。星も見れるし、カレーも作るし、花壇の花も見れる。仕事休めないヨメも参加できるし。花壇の花を野草と思えばいいさ。……っつーか姉ちゃんに教えてもらったんだよ」


「私が? 何を?」


「昔、雨の日、外に出れなくて退屈してたら、姉ちゃんがお客さんごっこしようって、画用紙でちっちゃな箱作って、学校で余ったセロハン紙もらってたからそれを貼って『ほら、ういろうです』って」


「ああ! やってた!」


「あれ、いがいと面白かった」


「まじで? あんたが?」


「うん。ウチらの親、頭が固いっつーか、俺らが小ちゃい時も遊ばせ方が古くてスタンダードだったろ。それに比べると姉ちゃんの考えた遊び、

いつも面白かった。それで、山へ行ったつもりのキャンプを思いついたんだ。前にもやったけど、近所の子達にも好評だよ」


「それでさっき、ういろうが懐かしいだろとか、言ってたんだ」


「今頃気がついたのか。いつもお土産はういろうにしてるのに」


 懐かしい昔の“ごっこ遊び”。広告の紙や通販のカタログに載ったお菓子や器やインテリアを見ながら、空想を広げ、画用紙や色紙、セロハン紙を工夫して、様々な遊び道具を作った。雨の日には退屈している弟にそれを見せて遊んだ。

 あの遊び、あの時間があって、今、デザイナーの端くれになったんだった。そのうち身近な雑貨やお菓子をビーズで作る事を思いついたのだ。そんな趣味が辛い時も自分を励まし続けた。


――あ、そう言えば。何日か前、見たっけ。中堅文房具会社の専属デザイナーの募集広告。何気なく目に入り、気にはなってたけど。就活してみようかな――


「姉ちゃん、黙っちゃってどうしたの?」


「いや、ちょっと就活の事、考えててんだ。興味ある仕事の募集あってね。ダメ元で受けてみようかなって」


「姉ちゃん、センスいいしさ。ダメ元とか言わず、狙おーよ」


「んー。そんな自信はないんだけどね。でも行ってみる。キャンプの事、お願いしていいかな。星菜も宏ちゃんの遥斗君達に会いたがってるし」


「良かった。ヨメも星ちゃん来るの、楽しみにしてる。うちのコと違って、ヨメの手作りワンピースを気に入ってくれるから。あれ可愛いって言ってくれるの、星ちゃんだけだからな。はは。じゃ、また決まったら迎えに行く日取りの事、電話するから。車で東名高速道路通るの楽しみだな」


「宏ちゃん、新幹線だと半分の時間で来れるんだよ」


「だけど子どもも連れていきたいし人数分のチケットより高速代の方が安いんだよ。第一、俺の楽しみなんだ」


「昔から車好きだもんね。奥さんのメグちゃんにもよろしく言ってね。ありがとう」


――ありがとう、出来のいい弟。こんな姉に気を使ってくれて――




*****




 梅雨の開けた初夏の空は一面の水色。ワゴン車が一般道に出てから、角のコンビニの駐車場に停車する。


「さあ、もうすぐ着くぞ。あのコンビニで買い物してからおじいちゃんとおばあちゃんの家に行こう」と宏行は車内の子ども達に言った。



 助手席には長男の遥斗。後部座席には次男の涼真と一人娘の由岐、そして星菜が座っている。遥斗は星菜の二才上、涼真は一才年上のお兄さんで由岐は星菜より一つ下のお喋りな女の子だ。


「父ちゃん、僕達もここで降りていい?」と涼真が訊く。


「ダメだ。涼真は特に。横浜でも星ちゃんちの団地の中でウロウロして探すの、大変だったんだからな」


「探検してただけなのに」


「大人しくここで待ってな。すぐ戻って来るから」






「ね、星ちゃん、後で大きな公園で遊ぼうよ。すべり台の上からすごい景色、見れるんだ」と遥斗が言う。


「それと四人乗りのブランコにもね」と由岐。


「うん……」


「星ちゃん、もしかしてママの事、思い出してる? それならだいじょうぶ。ママは用事が済んだらこっちに来るって言ってたんだろ。その時一緒に遊べるよ」と遥斗。



「星ちゃんは、ヨコハマのお友達の事も寂しがってるんじゃないかな。僕、星ちゃんちの団地でその女の人に会ったんだよ。そうだ、星ちゃんによろしくって言ってた」と涼真が言う。


「へえ、近所に仲良しの友達がいたんだね」と遥斗が言う。


「え? お友達って?」と星菜。


「だからぁ、出かける時、星ちゃんの団地、探検してたでしょ? その時、綺麗な女の人に会ったんだよ。しばらく遠くに行くから星菜ちゃんにお別れ言いに来たって。だから星ちゃんを呼びに行こうとしたんだけど、『急ぐからいいの。また来年になったら戻って来るって伝えて』って言ったんだよ」


「星ちゃん、誰か分かる?」と由岐が訊いた。


「うーん。あ、もしかして……ツユさん?」


「ツユさんって人なんだ」


「いや、分からない。会った事ない」と星菜は首を傾げる。


「え〜! お友達なのに会った事ないって? じゃあどこで名前を知ったの?」


「だって……。じゃあ雨を降らすのは誰?」


「雲の上の神様? じゃない? え、天気予報でよく言ってる『梅雨』って事?」と由岐。


「まさかお別れの挨拶に来たのは梅雨?」と遥斗。


「ただのセールスのお姉さんかもよ」と一番年下の由岐が冷静に言う。


「いや、ツユさんという事にしとこうよ。楽しいから」と涼真が言うと、「うん、来年の梅雨が来るのが楽しみになるしね」と遥斗も言った。




「戻ったぞ」と宏行が車のドアを開けて大きな声で言ったので、四人の子ども達はビックリした。


「何だ。秘密の相談かよ」


「大人には内緒な話なの」と涼真。


「なんだ、せっかくソフトクリーム買って来たのに」


「やった! 食べよ」そこは意見が合う。


「ドライブもあと少しで終わりだからな」


「父ちゃん、少し残念なんだろ。高速道路を車を走らせてる時とか、すっごく楽しそうだもん」遥斗が言う。


「そりゃ車の運転が好きだからな。それにキャンプが楽しみだからさ」


「そうなんだぁ」車の中は納得の嵐だ。


「星菜ちゃんも楽しみだろ? 明日にはママも来るしな。ママは新しいお仕事に慣れたみたいだね」と宏行が星菜にソフトクリームを渡しながら言った。


「うん。雨の日のお陰だって言ってた」


「雨の日のお陰って?」と由岐。


「うーん、よく分かんない」と星菜。


「いいんだよ。姉ちゃん、つまり星菜ちゃんママにとって雨の日は、幸せを連れてくるものなんだ。父ちゃんにとっての車だよ」


「ほんっと父ちゃんの車はそうだね。謎の楽しみだね」涼真が笑う。


レモン色の向日葵の花がコンビニ横のレストランの庭園で揺れている。


――言えるわけないよな――


宏行は心の中で呟いた。


――子どもの頃、東名高速道路を透明高速道路と勘違いしてワクワクしてたなんて。だから今は透明じゃないって分かってるけど、通るたびに青空の中を走ってるような最高の気分になるなんてさ――



 それから数分後、ワゴン車は、太陽の光をキラキラ反射させ、走っていく。




***Fin***











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空想 秋色 @autumn-hue

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