第2話 だいたい物事は思った通りにはいかない
寅衛門「で、あの南武蔵の小杵と埼玉の……だれだっけ?」
寅吉「使主さんですかね」
寅衛門「そうそう、あの二人の決戦とやらはいつなんだ? この間、うちに伝令が来てからもう一月ぐらい経つが」
寅吉「そろそろじゃないですかねえ。南武蔵は遠いし、特に物見を出しているわけではないから分からんですなあ」
寅衛門「夏は嫌だな」
寅吉「そうですのう。我々の今いる上毛野は前橋が温度の基準点となっている土地ですし」
寅衛門「ほんとうに嫌だなあ、また今年の夏は四十二度とかになるんかなあ。やめてくれよ、まさかの四十五度越えは」
寅吉「いうて今は西暦五百年代前半ですから、これから次第に気温が下がって寒冷期に突入する頃合いです」
寅衛門「じゃあ暑さよりも冷害を心配しなくてはならんか」
寅吉「今のところ稲は順調に育っています。さやさやと稲の若苗が風にそよぐ風景はまさしく日本百景」
寅衛門「稲が順調ならそれは安心。しかし稲の生育状況に目を光らせねばならん時期に、なんでまたあいつら、喧嘩することになったんだ?」
寅吉「長、もう少し事情を小杵さんに聞いてみた方がいいんじゃないですか?」
寅衛門「そうだなあ。先日届いた鮎の御礼がてら、ちょっと手紙を出してみるか。準備、頼んだぞ」
寅吉「え? ワシが準備?」
寅衛門「……なんでナチュラルに意外そうな顔をするんだ。しろよ、ほら、儂はここ上毛野の長だぞ」
寅吉「……ッチッ」
寅衛門「あ、今舌打ちしたな!」
寅吉「してませんよ~。はいはい、準備すればいいんですね! じゃあ、必要なものを持ってきます!」ドタドタ
寅衛門「……最初から、はいかしこまり~、と云うておけばいいものを」
寅吉「ふんぬっ!」
どったん
寅吉「ふおんぬっ!」
ばったん
寅吉「ふぬっ!」
ばちん
寅吉「ふおおおおっ!」
べたん
寅衛門「……確かに、文字を記すのは土器だけれども! 手紙の準備は粘土をこねるところから始まるけれども!」
寅吉「ふぬうう!……あ~、年寄りには重労働じゃな~ぁ。いや~大変だな~。あ!イタタタタ、腰が……」
寅衛門「手のひらサイズの刻字土器を作るのになんで20 kgの粘土を捏ねているんだよ。使うだけの材料でいいんだよ、いつも通りに準備しろよ」
寅吉「……あ、職場環境ギスギス系の歯医者と歯科技工士の会話みたいっすね」
寅衛門「そんなマニアックなネタはいらない」
寅吉「じゃあ、はい。ワシの肉球のぬくもりてぃ溢れる生粘土」
寅衛門「うわあ、じんわり生あったかいぃ」
寅吉「なんて書いて送るんですか?」
寅衛門「"うちら、どこに行けばいいの? 待ち合わせはいつ?"」
寅吉「……上野毛の長とは思えない指示待ち丸出し文章ですね」
寅衛門「うん? 何か川の方に誰か来たのか」
寅吉「ほほう、皆が集まっておりますな、なんでしょう」
寅衛門「行ってみるか」
寅吉「で、長ともあろうお方がなんで河原にこっそり、こんな草葉の陰に隠れるんですか」
寅衛門「我々のトラ毛は葦の草陰に溶け込むための色だ。有効活用せんとな!」
寅吉「かっこいいこと言ってるようで実態はノゾキのようなもんですが」
寅衛門「いいから黙れよ。なんかあの船に乗ってきた連中、毛色が違くないか?」
寅吉「そういえばそうですね。あの灰色っぽい毛色はこの辺りでは見ない猫です」
寅衛門「やべ! みつかった!」
寅吉「なんで隠れるんすか、ご自分の家来ですよ、こっちに来るのは」
寅衛門「なんか習性で」
寅吉「あ~、ご苦労ご苦労。で、何者じゃな? あやつらは。ほうほう、西の方から。ふむふむ、山を越えて。へ~」
寅衛門「なんだよ」
寅吉「なんか西の方から来た猫みたいです。ヤマト系と名乗っておるみたいですが、血統書がないですし、そもそも猫ですし、そんなん言われても困りますよね」
寅衛門「……ヤマト?」
寅吉「おや、聞き覚えがおありですか」
寅衛門「う~ん。この間、春奈ちゃんに会いに行ったときにそんな言葉を聞いたような」
寅吉「……ちょっと長。いつの間に春奈ちゃんのところに行ったんですか。ワシ、聞いてませんよ。抜け駆けじゃあないッスか! ひどい!!!」
寅衛門「何言ってるんだ、春奈ちゃんのところには妻同伴で行ってきたんだぞ、公用だ」
寅吉「公用ってことは、他にも何匹かお供したんですよね? 何でワシにも声をかけてくださらなかったんですか!」
寅衛門「だってそれは、って、今はその話じゃない。確かにヤマト系と言ったのか、あいつらは」
寅吉「ごまかさないで下サイッ!」
寅衛門「いいから、こだわるなよそこに! もっと大変なことになるかもしれんのだぞ!」
寅吉「なにがですか」
寅衛門「春奈ちゃんによれば、相模の国の大山にもヤマトを名乗る者たちが訪れたそうだ」
寅吉「ああ、大山ですか。知り合いがいるんですが最近会ってないですな」
寅衛門「それで、ヤマトと接触した、という報告があった後、音信が途絶えた」
寅吉「……え?」
寅衛門「不審に思って何回か便りを送ったのだが無視されて、ようやく1年後に返事が届いたそうだ。そしてその返事は木簡に記されていた」
寅吉「……木簡」
寅衛門「刻字土器ではない」
寅吉「そっちの方が手軽だ! 長、うちもその技術、導入しましょうよ!」
寅衛門「そんなにほいほいと新技術を取り入れられるほど我々の内部留保には余裕がない!」
寅吉「……これだから中小企業は」
寅衛門「毎年、いや、毎月かつかつ」
寅吉「この円高でさらに業績が厳しく。おのれ、ロシア」
寅衛門「で、どうやら春奈ちゃんとずっトモだった大山の阿夫利ちゃんの様子がおかしくなったようだと」
寅吉「どうしたんでしょうね」
寅衛門「すぐでなくても構わない、機会があれば阿夫利ちゃんの様子を調べてほしい、と春奈ちゃんにお願いされていたのだが、今がその機会かもしれんな」
寅吉「相模の大山なら、町田の小杵さんに頼んで調べてもらいましょうか」
寅衛門「そう、だな。……だがやはり我が地の者を直接かの地に派遣しよう」
寅吉「小杵さんからもらえる情報とは違うかもしれませんしなあ」
寅衛門「この問題、少し慎重になった方が良さそうだ」
寅吉「ヒゲが心なしかプルプルと震えます」
寅衛門「変事が起きていなければいいのだが……」
寅吉「珍しくシリアスな感じで次話に引っ張りますね……」
だいたい池袋の辺りで猫合戦~日本書紀第十八巻安閑天皇記より~ 葛西 秋 @gonnozui0123
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