だいたい池袋の辺りで猫合戦~日本書紀第十八巻安閑天皇記より~
葛西 秋
第1話 だいたいいつだって巻き込まれるところから話は始まる
――上毛野の長である寅衛門(中年トラ猫)と、その家臣の寅吉(後期高齢者トラ猫)による会話劇
寅衛門「おお~、今日も見事に
寅吉「いや~殿、ほんと、いい天気ですね~。我々の虎毛もふかふかですな!」
寅衛門「……」
寅吉「ん? どうしました?」
寅衛門「いや、この時代の儂の呼び方、殿でいいの?」
寅吉「じゃ、何て呼べばいいんです?
寅衛門「……いちおう儂、ここの地一帯を治めている豪族の
寅吉「あ、それでいいじゃないですか、長、オサァッ!」
寅衛門「なんだよ急に叫ぶなよ、カラスかよ」
寅吉「じゃ今後は長って呼びます、
寅衛門「どこのアーミーだよ」
寅吉「で、我々が治めているところのこの上毛野ですが、今でいうところの群馬県高崎から前橋、利根川の水源に近い流域に広がっております」
寅衛門「水が豊富だからなあ、稲作がはかどる」
寅吉「榛名山を越えると草津に抜けて、その向こうは長野県長野市という地理条件」
寅衛門「長野ほど寒くなく、けれど川は流れて程よい気候の過ごしやすい場所、それが上毛野」
寅吉「おとなり、栃木の方へは下毛野という土地が広がっております」
寅衛門「下毛野のやつら、最近何してんの?」
寅吉「なんか常陸の方の海に抜ける道を作ろうとしてるみたいです」
寅衛門「あっちの海、何かあったけ」
寅吉「ほら、あれですよ、アンコウ鍋」
寅衛門「ああ、まだ食べたことないな、じゃなくて、文化! 歴史的文化の流通ってあったっけ、あっちの海」
寅吉「ないっすね。あっちの海めっちゃ広いからまだ何も来てないです。あっちの海から何か来るのは、えっと今が西暦五百三十二年だから、これから千二百年後ぐらいからですかねえ」
寅衛門「まだアメリカは影も形もないか」
寅吉「ちょっと長ぁ、メタな話はそこまでにしてくださいよ」
寅衛門「お前がこの話、ふってきたんじゃないのか」
寅吉「はいはい、それはともかく、長、どうやらどこかから伝令が来たようですぞ」
寅衛門「受け取ったのは猫の手に収まるサイズの刻書土器」
寅吉「ははあ、南武蔵の
寅衛門「“元気してる?”」
寅吉「めっちゃ日常会話!」
寅衛門「“おひさ♡ めっちゃ元気だお!”」柔らか粘土に肉球ポンッ
寅吉「……それが返事でいいんですか?」
寅衛門「お前なあ、今でこそ即時レスポンスが求められるSNS時代だが、古代であろうがコミュニケーションの在り方、重要性にはさほど違いはない。要は心だ」
寅吉「……古代の伝令制度を使って現代のSNS並みの会話をする方がいかんでしょうが」
寅衛門「ふん、送ったぞ」
寅吉「……いいんですか」
寅衛門「返事は、だいたい往復で五日後かな。あとは毛づくろいして昼寝でもして待っておればいいだけだ。なに、そんなに急ぐ用事なんかじゃないだろ、あの文面では。相手のペースに合わせるのも礼儀の一つ」
寅吉「ははあ、やはり豪族の長ともなりますと、心構えに余裕がありますなあ! じゃあこの間ワシが見つけた日当たりが良い具合な場所にご案内しますから、そこで昼寝でもいたしましょう」
寅衛門「おお、良いな、昼寝だ昼寝だ」
――五日後。
寅吉「あ、長。小杵さんから伝令がまた来ましたよ。この間の返事ですかね」
寅衛門「ふむふむ、“埼玉の
寅吉「……」
寅衛門「……」
寅衛門・寅吉「急・展・開!」
寅吉「え? え? なんで? なんで南武蔵こと町田の奴らと埼玉の奴らが喧嘩を始めたんですか?」
寅衛門「埼玉が町田のことを“神奈川のやつら”って呼んだのか?」
寅吉「またそんなセンシティブな!」
寅衛門「いや、十分に火種を含んだ問題だ。北の練馬に南の町田」
寅吉「……練馬区と池袋のある豊島区を一緒にしていいんすか」
寅衛門「どこが埼玉で、どこまでが神奈川で、どこからが東京か。その問題は東急東横線ならびに西武線ユーザーに常に付きまとう永遠の命題」
寅吉「とりあえず全員、奥多摩送りにしちゃっていいんじゃないですかね、そんなこと気にしてるローカルは」
寅衛門「いやでもほんと昔から争いがあるだよブクロこと池袋辺りは。戦国時代辺りにもあっただろう、確か豊島の古戦場とかいう」
寅吉「今だって池袋は東京23区山手線の駅なのに埼玉県の植民地とか言われてますが、戦国をさかのぼって古代からそんな争いがあったんですねえ」
寅衛門「なんなんだろうな、土地に染み付いた呪いかな」
寅吉「ほんと西武線ユーザー以外に何も効力がない呪いですね」
寅衛門「雨でも雪でも、何が何でも動くよ西武線! 社畜を運ぶよ西武線!」
寅吉「社畜の呪いは時をも超えるのか……」
寅衛門「東急線は分からんが、似たようなもんだろ。京急とかも」
寅吉「で、どうするんです? 長は南武蔵の小杵さんの味方、するんですか?」
寅衛門「う~ん、いうて埼玉と南多摩の争いだろ?
寅吉「小杵さん、毎年夏になると多摩川の鮎を送ってくれますね」
寅衛門「あ、そういやそうだな。あれ、旨いんだよな」
寅吉「どうしましょ、今年は二割増しで送ってこい、と要求してみましょうか」
寅衛門「ダメもとで三割増しと言ってみよう」
寅吉「じゃあそれで小杵さんの味方ってことですね」
寅衛門「いうて池袋にあいつらがたむろってニャーニャー鳴くだけだろ。多摩川の鮎を食いながら、成り行きを見ていればよかろう」
寅吉「塩焼きが美味しいですかねえ」
寅衛門「最近血圧が気になるから薄塩にしとくわ、儂」
寅吉「甘露煮にするのもまたおいしいものですよね、鮎」
寅衛門「楽しみだなあ」
……その時は、まさかあんなことになるとは、誰も思っていなかったのです。
*注・このお話は日本書紀に準拠しています。
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