異世界から来た聖女サマが何故かモブおっさん兵士の俺にご執心なんだが

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

異世界から来た聖女サマが何故かモブおっさん兵士の俺にご執心なんだが

 某国の王城の裏門。そこが、俺の職場だ。

 俺は名もなきモブ兵士。と言いたいところだが、勿論名前はある。ローランだ。よくある名前なので兵士の中にも何人かいる。

 俺の仕事は、門番だ。決まったシフトの時間、裏門に立っているだけ。何故裏門なのかと言うと、俺が既におっさんと呼ばれる年齢だからだろう。正門にはもっと見栄えのする若い奴が立つ。十八で王城に勤めだして、もう二十五年になる。昇進も何度か打診されたが、面倒なので適当な理由をつけて断った。俺は定年まで大して責任もない楽な仕事をぼーっとしていたい。波風立てず、緩く楽に。それが俺のモットー、だったのに。


「ローラン!」


 甲高い声に、俺は顔を歪めた。見ると、ひらひらとしたドレスの裾を持ち上げて、走ってくる影がある。


「……今日は何の用ですか、聖女サマ」

「もう! ミレイって名前で呼んでって、何度も言ってるでしょ!」


 ミレイと名乗った彼女は、ぷんぷんと効果音が付きそうな様子で怒ってみせた。

 しかし怒っていても、わざとやっているんじゃないかと思うくらいに可愛らしい。

 つやつやとした栗色の髪は柔らかくウェーブしていて、同じ色の瞳はぱっちりと大きく丸い。顔は片手で掴めるんじゃないかと思うほど小さく、背丈も小柄だ。それなのにアンバランスなほどに豊かな胸をしており、肌は陶磁器のように白く滑らかである。いや触ったことはないが。

 どれだけ神に愛されればそんな容姿で生まれてこれるのか。そんな彼女は、自分の名前を説明する時に、故郷の文字で「美しく、麗しい」と書くのだと説明した。親はこの容姿に成長することを確信していたのだろうか。とんでもなく美形の両親から生まれてきたに違いない。

 対して俺は、顔は平々凡々。垂れ目で覇気がない顔は、意識して引き締めていないとやる気がないように見えるらしい。実際だいたいない。体型は中肉中背、仮にも兵士だというのに最近酒のせいで腹がちょっとやばい。門番という役職上、最低限の身だしなみは整えているが、それくらいだ。

 だというのに。この大層可愛らしい聖女サマは、俺のシフトの時間中に、必ずと言っていいほど裏門に現れる。


「お勤めは終わったんですか?」

「もちろん! ちゃんと終わらせてからきたわよ。えらい? 褒めてくれてもいいのよ?」


 期待を込めたきらきらとした目で見上げてくるが、それを無視して、俺は気のない返事をした。


「はいはい、えらいえらい」


 望んだ態度ではなかったことに、ミレイは頬を膨らませた。

 返事こそ適当にしたものの、実際よくやっているとは思う。彼女は、ある日突然この国の王族に「召喚」され、「聖女として国を守ってほしい」と依頼されたのだ。

 実はこの国には、最近まで魔物が出没していた。俺も何度か戦闘に駆り出されたことがある。ほとんど戦闘経験のない俺のようなおっさんまで動員されるほど、この国には余裕がなかった。

 そこで一発逆転を狙ったのが、「聖女召喚」だ。異世界から召喚される聖女は、強大な守護の力を有していて、結界を張ることで魔物の侵入を拒むことができる。おかげでこの国一帯は結界に守られ、魔物が出没することはなくなった。

 と、いうようなことを、俺のような末端の兵士は何もかもが済んだ後で知らされた。聞いた時の感想は「なんじゃそりゃ」だ。異世界からの召喚というのも訳が分からなければ、この国に縁もゆかりもない一女性に国の存亡を賭けてしまう王族の発想もやばい。俺なんでそんな王家に仕えてるんだろう。

 しかし何を思ったところで、事は全て済んだ後だ。俺は訪れた平和を享受するのみ。

 役目を終えた彼女は帰すのかと思いきや、結界の維持のためには毎日聖女が力を込める必要があるらしい。そのため、ミレイは一日一回、大聖堂にて祈りを捧げる儀式を行っている。

 普通に考えればなかなか悲惨な状況だと思われるが、彼女はいつも明るく笑っているので、それを感じさせない。待遇は王族が気合いを入れて丁重にもてなしているようなので、生活に不便はないだろう。

 祈りの儀式以外は、ミレイは自由にすることが許されている。聖女という立場上、街に降りる時などは護衛が付くが、城の中ではだいたいどこにでも兵がいるので、比較的自由だ。だから、この裏門にも一人で気軽にやってくる。


「で、何の用なんです」

「もう! 見れば分かるでしょ!」


 そう言って、彼女はまた期待を込めた目で俺を見上げた。俺は彼女の姿を上から下まで眺めたが、分からない。こういう時、女が言いそうなことを適当に上げてみる。


「あー……髪切りました?」

「切ってないわよ!」

「背が伸びた」

「そんなわけないでしょ!」


 もう! と怒って、彼女はドレスの裾を持ち、その場でくるっと回って見せた。


「これ! このドレス、新しいのを貰ったの。どう?」

「ああ、なるほど」


 なるほど、とは言ったが、内心は「で?」である。ドレスなど、王族が腐るほど贈ってくれるんじゃないのか。


「可愛いって言って!」

「カワイイ」

「知ってる!」


 明らかに棒読みだったが、ミレイは嬉しそうに笑った。何がそんなに嬉しいのか。要求をはっきり口に出してくれるところは、分かりやすくていいのだが。気づくまで当てさせられたらさすがに相手をしていられない。


「なんだっていちいち俺に見せにくるんだか」

「だって、ローランに可愛いって言ってほしかったんだもの」

「そんなの、殿下が歯の浮くような台詞でいくらでも褒めてくれるでしょうよ」

「好きな人に褒めてほしいの。当然でしょ?」


 これだ。

 俺は閉口した。何故か、この聖女サマは、俺のことが好きだという。

 正直、心当たりが全くない。からかわれているのか、何か企みがあるのか。

 例えばこれが下女だったのなら、罠だと分かっていても「ありがとう、いただきます」と言ってしまうところなのだが、何せ聖女サマである。うっかり手を出した日には、首が飛びかねない。無論、仕事ではなく物理の方で。


「あなたそれ、他の人に言ってないでしょうね」

「私は言ってもいいんだけど、ローランが絶対嫌だって言うからちゃんと内緒にしてるわよ」

「そりゃどうも。そのまま黙っててくださいよ」


 救国の聖女サマが一介の兵士に惚れているなんて噂が流れでもしたら、大騒ぎになる。冗談じゃない、俺は平凡に緩く生きたい。


「誰にも言わないから、いい加減返事ちょうだいよ」

「……国を救ってくれたことには、感謝してますよ」

「またそれ!」


 言って、彼女はむくれた。こっちの立場も考えてほしい。はっきり断ったら、告白が事実になってしまう。そうならないように、のらりくらり誤魔化しているのに。


 のらりくらりと、はぐらかして。付かず離れずの、曖昧な関係のまま、月日は過ぎていった。

 しかし、変化のない物事など、ない。


***


「結婚?」


 あまりに突然の言葉に、俺は柄にもなく大きな声を出した。暗く沈んだ顔で、足元にしゃがみこんだミレイが頷く。


「結界は、ずっと私が力を使って張り続けてないといけないでしょ。このままずっと城にいるなら、いっそ王子と結婚して、国を継いでくれって王様に言われたの。……私の子どもなら、そのまま聖女の力を受け継ぐかもしれないし、って」


 王族の考えそうなことだ。結局彼女は、国のための駒の一つなのだろう。そうだとしても。


「いいんじゃないですか」


 俺の言葉に、ミレイは絶望したような目でこちらを見た。それを視界に入れないようにして、そのまま言葉を続ける。


「国のやり方としてはどうかと思いますが、殿下個人は悪い人じゃありません。聖女サマは、城以外に身を寄せる場所がないでしょう。王家に入れば、仮に聖女としての力がなくなっても、この先の生活は保障されます」


 彼女は今「聖女」であることに守られている。それだけで、賓客としてもてなされている。しかし、それはいつまで続くのか。魔物が発生しなくなったら、結界は必要なくなる。彼女の力が失われれば、聖女ではなくなる。そうなった時、後ろ盾のない彼女は自分ではどうすることもできない。

 だが、王家の身内になれば、話は別だ。聖女を娶るならば当然正妻だろう、王妃をそう簡単に排除することはない。後継ぎの男児でも生んでいれば、尚安泰だ。余談だが、殿下は大層な美形である。きっと二人の子どもは人間離れした美しさを持つに違いない。

 何も間違っていない。俺は正しいことを言っている。そのはずなのに、胸の奥がじくじくと痛む。


「……それ、本気で言ってるの?」

「勿論」

「ローランは、私が、他の人のものになってもいいの?」

「そもそも、口を出すような関係じゃないでしょう、俺達」


 冷たくも聞こえるその言葉に、ミレイは泣き出す寸前だった。顔が、見られない。


「……わかった」


 いつもとは違う低い声でそう言って、ミレイは立ち上がった。


「ローランのことは、諦める。だから、最後の思い出にキスしてちょうだい」


 涙で揺れる瞳に、動悸がした。


「……誰かに見られたら」

「誰もいないわよ、こんなところ。今まで一度だって見られたことないじゃない」


 不思議なことに、ミレイの言う通りだった。裏門は、決して使われていないわけじゃない。しかしどうしたことか、彼女が来るときはいつも、人っ子一人見当たらない。彼女からしたら、ここは誰も寄りつかない場所、という認識なのだろう。

 縋るような彼女の瞳に、これっきりならば、と俺は息を吐いた。

 頬に手を滑らせ、腰を屈めて顔を近づける。


「……目くらい閉じてくださいよ」

「嫌よ。あなたの顔を、覚えておきたいの」


 やりにくい、と俺は内心舌打ちした。しかし、彼女が頑固なことは知っている。仕方なく、そのまま口づけた。少しだけ食んで、ゆっくりと離す。目の焦点が合う距離まで離れたところで、彼女の睫毛が震えた。


(――あ……)


 視線がかち合って、気づいた。こいつ、本当に、俺のことが好きなんだ。

 途端にひどい罪悪感に襲われた。俺は一度も、ミレイの告白をまともに受け取ったことはなかった。自分の気持ちを答えたことも、一度もない。そんな曖昧な状態のままで、こんな傷だけ残すようなこと。

 同情するような顔をしてしまったのだろう。俺の顔を見たミレイはむっとして、両手を回して今度は自分から唇を重ねた。呆気に取られていると、彼女の舌が入ってくる。


(あーあ)


 なんでそう、自分から傷口を広げるような真似を。

 慣れていないのだろうに、必死な彼女が憐れで、可哀そうで、――愛しくて。


(くっそ!)


 内心で自分への罵詈雑言を並べ立てながら、俺はたどたどしい彼女を導くように、舌を絡めた。

 好意がないわけ、ないだろう。こんな誰もが見惚れるような容姿の女が、毎回毎回、満面の笑みで自分に、自分だけに会いに来ては「好きだ」と言ってくる。そりゃ絆されもするだろう。

 意識しないようにしていた。受け入れるわけにはいかなかった。なんてったって、聖女サマだ。釣り合うわけがない。何の責任も取れない。好きなだけで一緒にいられるなんて、そんな夢を語れる年齢はとっくに過ぎている。

 これでいい。彼女だって、きっと気の迷いか何かだ。絶対殿下の方が、若いし、いい男だし、金持ちだし、幸せにしてくれる。ミレイのためになる。将来、きっとそうして良かったと思う。

 いくつもの言い訳を用意して、彼女が満足するまで、甘い戯れに付き合った。

 付き合ってやったのだと、思いたかった。


「――ありがとう」


 長い時間の後、唇を離したミレイがそう言った。俺は、答えられなかった。


「私のわがまま、聞いてもらったんだもの。もう、嫌なことから逃げるわけにはいかないわね」


 妙な言い回しに、俺は首を傾げた。


「本当は、私を攫って逃げて、って言いたかったけど……それはもう時効ね」


 その言葉に、急に記憶が蘇る。まだ、魔物が国に入り込んでいた時。俺が、戦闘に駆り出されていた頃。夜の闇の中で、頭から布を被り蹲って泣きじゃくる女を、城で見たことがある。


『一人でどうした? 迷ったか?』

『わ、私、ここに、来たくて来たんじゃないの。うちに、帰りたくて、出てきたけど、どこにも行けなくて』

『あー……そっかそっか。そうだよなぁ、こんなとこ、嫌だよなぁ』

『え……』

『嫌なことからはな、逃げてもいいんだぞ』

『え、え? でも、私がいなくなったら、みんな困るって言われて』

『言わせとけそんなん。一人いなくなったくらいで困るなら、もー潰れてしまえ……ってやっべ、これ内緒な』

『おじさんは、逃げないの?』

『いや逃げて―わ。今すぐダッシュで逃げて―わ。けどまぁ、なんだかんだで……俺はこの国、好きだからなぁ』

『そう……なの……』

『でもさすがに疲労が好きを超えてきたかもしんない。そうだ、おじさんが君を攫って逃げてあげようか?』

『ふふ、おじさん、変な人なのね』

『おじさんは至って普通の一般兵士だよ。ちょっと脱走兵に憧れ始めてるだけの』

『大丈夫。私、逃げないわ。おじさんの好きなこの国に、興味が出てきたから』


 そう言って笑った女は、暗い闇の中、布から覗かせた僅かな顔でさえも、大層美しいと思った。俺はその女を、徴兵されてきた従軍看護婦か何かだと思っていた。こんな女に手当てされるなら、まぁ悪くないか、などと思っていたが、結局その後すぐに聖女が結界を張り、俺は門番の仕事に戻った。


「お前、あの時の――!」


 声を上げた俺に、ミレイは軽く笑った。


「やっと思い出したの?」


 つまり、彼女はずっとあの時のことを覚えていて。わざわざ、俺を探し出して。

 そもそも彼女がこの国を助けた理由は。城に残っている理由は。


「私、あの時ローランのこと好きになったのよ」


 そう言って微笑んだ彼女は、今までで一番、美しかった。

 俺が見惚れて言葉を失っている内に、彼女は背を向けて歩き出した。


「さよなら」


 反射的に呼び止めようとして、堪えた。呼び止めて、どうする。何を言う。彼女の気持ちには、応えられないのに。

 俺は、ただ黙ってその場に立ち尽くした。


***


「お疲れ様です、交代です」

「……おう」


 俺のシフトの時間が終わって、交代の兵士が来た。

 この日、ミレイは会いに来なかった。俺のシフトの日は必ず来ていたのに、勤務終了まで、遂に一度も顔を見せなかった。それはそうだろう、と思いながらも、もやもやが晴れない。


「そうだ、ローラン先輩。知ってますか? 今日、殿下が聖女様とご婚約されるそうですよ」

「……は?」


 交代の兵士の言葉に、俺は動きを止めた。ミレイから結婚の話を聞いたのは、つい昨日のことだ。いくらなんでも、展開が早すぎやしないだろうか。


「お披露目はまだ先ですけど、まずは内々に契約だけでも交わそうってことらしくて。聖女様を国に繋ぎ留めるために、どうも陛下が焦っておられるようですね」


 あの野郎。自国の国王に向かって、絶対に口に出せない言葉を胸中で吐き出してしまった。

 いや、何を憤ることがある。めでたいことだ。それでいいと、決めたはずだ。決めた、はずなのに。


「ちなみに部屋は鈴蘭の間です。部屋の見張りは俺の同期で、先輩のことも知っています」


 妙に具体的な情報に、俺は思わず後輩である兵士の顔をジト目で見た。


「お前……なんか、知ってる?」

「まぁ、あれだけ会ってて、気づかれてないと思う方がおかしいですよね」


 俺は頭を抱えた。ミレイといる時、誰も来ないのは変だと思っていた。あれは、意図されて作り上げられた状況だったのだ。


「言っておきますが、別に先輩のためじゃないです。俺達、聖女様の味方なので」

「……あ、そ」

「今からダッシュで行けば間に合いますよ。間に合わなかったら、攫って逃げればいいんじゃないですか」

「言うねぇ」


 にやけた顔で見る俺に、後輩の兵士はふんと鼻を鳴らした。

 俺は軽く足を回してから、片足を引き、ぐっと力を込めた。


「おっさんを走らせるとか、鬼畜かよ。こりゃ、面と向かって文句言ってやらねぇと、な!」


 過去一、気合いを入れて走り出した。多少だらしなくなってしまったが、腐っても兵士だ。まだ、この体は動く。


 残された後輩の兵士は、小さく呟いた。


「――ご武運を」


***


 走る。走る。走る。

 息が切れてきた。たまにすれ違うメイドから悲鳴が上がったり、使用人の怒声が飛ぶ。しかし、止まっていられない。

 何を。何を、言うつもりなのだろう。間に合ったとして、俺は。


 鈴蘭の間が見えてきた。扉の前には二人の兵士が立っていたが、俺に気づくと道を開けた。

 くっそ、なんか笑顔なのがむかつくな!

 青筋を立てながら、走ってきた勢いのまま扉を開けた。


「その婚約、ちょっと待った!!」


 息を切らせて部屋の中を見ると、豪奢な部屋の中には、ミレイと殿下の二人きりだった。

 向かい合わせにテーブルの前に座り、テーブルの上には何やら書面が置かれている。


「ローラン!?」


 ミレイが驚きの声を上げて立ち上がった。大股で彼女に近づき、ぐいと腕を引く。


「殿下」


 殿下の青い瞳が、俺を見据える。精巧な人形のように美しいその造形に思わず気後れするが、ぐっと腹に力を込めた。


は、俺と、結婚する予定なんです。申し訳ありませんが、殿下でも、お渡しすることはできません」


 きっぱりと言い切った俺を、殿下がじっと見つめる。なんだ。何か言え。こめかみを汗が伝う。


「ローラン! それってプロポーズよね!」


 きゃー! と歓声を上げながら、ミレイが俺に思いきり抱き着いた。


「おま、空気読め! 殿下の御前だぞ!」


 それを言ってしまえば、俺の振る舞いも侮辱罪に問われてもおかしくないものだが。

 ミレイを引き剥がそうとしていると、くつくつと笑い声が聞こえた。声の主は、一人しかいない。


「す、すまない。笑うつもりは、なかったんだが」


 表情を緩めた殿下は、人間味が感じられた。少なくとも怒ってはいなさそうだと、肩の力が抜けた。


「ローラン。まず、君の心配を解いておこう。私はミレイと婚約する気はないよ」

「へ?」


 自分の名前を憶えられていたことに僅かに喜びを感じながらも、聞いていた話と違うことに、間抜けな声を上げた。


「父上は、確かにそうするつもりだったようだけどね。それは、私の意志も彼女の意志も無視したものだったから。私の方から話をして、白紙にした」


 道理で、陛下がこの場にいないはずだ。俺が乗り込んだ段階で、まさか既に話がついていたとは。

 徒労に終わったこと、赤っ恥をかいただけの結果に、俺は思わず膝から崩れ落ちた。


「しかし、君の情熱には感動した。私も、負けていられないと思ったよ。立場の違いなどで怯んでいては、本当の愛は手に入れられないね」


 本当の愛、などと言われるとこっぱずかしい。純粋な目で語るのをやめてほしい。

 だが、この言い方。殿下は、もしかして。


「そうですわ、殿下! 身分差など些細なことです。真心を込めて本気でぶつかれば、乙女の心は動くのです!」

「ありがとう、ミレイ。君達を見て、勇気を貰った。私も、彼女に会いに行ってこようかな」


 ミレイは殿下を応援するようにぶんぶんと手を振った。それに軽く手を振り返し、殿下は部屋を出ていった。


「なぁ、殿下って」

「メイドのサリーが好きなの。絶対内緒よ」


 ミレイから告げられた内容に、息を呑む。王族がメイドと、など前代未聞だ。しかもそれに火をつけたのが俺なのだとしたら、既に胃が痛い。


「ねぇ、ローラン。さっきの言葉、私、もう一度ちゃんと聞きたいわ」


 心底幸せそうな笑顔に、ぐぅと言葉を詰まらせる。可愛い。これからどんな苦労が待っているかも知らないで。

 俺は長い長い溜息を吐いた。言ってしまった言葉は、戻らない。まぁ、撤回する気もないんだが。

 平凡からは遠ざかるだろう。これから何が起こるか、予想もつかない。それでも。彼女にこんな顔をさせられるのは、俺だけなのだ。だったら、この笑顔を守れるのも、俺だけなのだろう。

 生涯をかけて。


「俺と、結婚してください」

「――はい!」

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