キューピットの火矢

人生

 キューピットの火矢




 マッチポンプという言葉がある。

 分かりやすくいえば、「自作自演」――つまり、マッチで火をつけ火事騒ぎを起こし、自分でポンプを使って消火する――そうやって、利益を得る。


 問題を解決すると持ち掛けて恩を売ったり、トラブルの収拾によって名声を得たり――理由は様々だろう。


 だけど、なぜそんなことをするのか?


 何もないところに突然火が起きるわけもなし――怪しいのは明白だ。


 火をつけたのはお前だ、と――そうやって罪が暴かれることを、考えていないのだろうか?




 ――その日は午前の最後に調理実習があり、森空もりあき美空みそらのグループは余った素材でクッキーを作るなどしたのだが――美味しそう、可愛い、誰にあげるのーきゃっきゃとひとしきり話題に花を添えていたそれがまさか、あんな事件を引き起こすなど思いもしないまま――


 昼休みを挟み、午後の授業。性格の悪い数学教師が突然のテスト宣言。期末も近いし腕試しにお一つどうぞ、赤点なら放課後に補習付きとかいうありがた迷惑な抜き打ちテスト。もちろんブーイングはあがるものの……いかんせんこのクラスには学年トップが数名いて、そのどいつもこいつも競争意識が高いときた。だから教師も調子に乗るし、やる気十分な様子の万年二位。かくして授業の前半はプリントとにらめっこすることになったのだが――


「せ、せんせい……」


 ぐるるる、と。授業中で静かなためか、離れた森空の席まで届く腹の音。


 手を上げ席を立ったのはかの万年二位くんである。片手はお腹を押さえやや前かがみ。


「と、トイレに……」


「じゃあカンニング防止のためにも放課後補習な」


「く……」


 なんとも悔しそうな顔をしながら、二位くんは小走りに教室を出て行った。


 そんな珍事もあったが間もなく時間がきてテストは終了。残る時間は今学期の学習内容の復習に充てられた。ちなみに、二位くんは授業が終わるぎりぎりになって戻ってきたのであるが――


 休み時間、それは起こった。


 残る一科目。やや眠たくなってきたがこれさえ乗り切れば待ちに待った放課後――というところで、眠気覚ましのサプライズ。


「誰かがオレに毒を盛った! 犯人はこの中にいる!」


 と、指をさす指をさす。森空を含め教室のあちこちにいる数名の、特定の女子の顔に不躾な人差し指。


 それは、こころなしかげっそりしている二位くんであった。


 次の授業の準備をしながらお喋りなどに興じていたクラスメイトたちがゆっくりと口を閉じていく。教室が静かになるまでに一分ほどかかったが、他所のクラスは当然平常運転。しかし二位くんが何かを語るには十分な雰囲気がつくられた。


「四時間目に調理実習やったよな? それで、お前たち……森空のグループがクッキーつくってただろ」


 名指しされ、森空に視線が集まる。何事だろうとぼんやりしていた彼女もおのずと姿勢を正す。何やら他人事ではないようだ。


「昼休みだ。そのクッキーが、オレの机にあった。オレはそれを食べた。そして、腹を壊した。……誰かがオレに毒を盛ったんだ! テストを受けさせないために!」


 さすが学年二位なだけあって、簡潔で分かりやすい。しかし、要領を得ないというか、森空にはすぐにはハイソウデスカと頷ける話ではない。当然それは森空と同じグループだった他の女子も同様で、


「なんでうちらのクッキーのせいだって決めつけてんの? あんたらが実習でつくったものがあたったんじゃない?」


「腹を壊したのはオレだけだ。同じもの食った同じグループのヤツらはみんな変わりない。オレだけが食べたもの、それは例のクッキー。クッキーに毒が仕込まれてたに違いない。そして、お前たちの中の誰かがオレを陥れたんだ」


 なるほど確かにその通り。しかし、「毒」だの「陥れた」だの、発想がややぶっ飛んでいないか? と首を捻る森空である。睨む二位くん。が、その視線は他の容疑者のあいだを泳ぎ――


「オレを陥れて得をするヤツ。クッキーをつくれる人間――それはお前だ、花咲はなさき貴音たかね……!」


 びしぃっ! と指さしたのは、転校してきてすぐの前期の期末で学年一位をとり、凡人を寄せ付けない孤高のオーラをまとうクール系女子、花咲貴音である。


 教室に漂う「なるほど」「そうか」といった空気。ライバルになりうる二位くんを蹴落として得をするのは彼女しかいないと誰もがなんとなく頷いている。そうさせる勢いが二位くんのアクションにはあったのだ。


「…………」


 指名された彼女は、珍しく口を半開きにした間の抜けた表情で固まっている。それもそうだろう。仕方ない。指をさした格好のまま固まっていた二位くんもにわかに気まずそうに視線を逸らし、腕を下ろす。


 弁明を待っていた。誰もが彼女のリアクションを期待していた。しかし、普段からあまり口数の多い方ではない彼女がどんな反応をするかなんて、誰も想像できなかった。


 教室に沈黙が満ちる。


「そういえば……」


 と、森空はぼそっと声をもらす。


「調理実習のあと、花咲さんが一番に教室に戻っていったような……」


 ぐるんっ、と森空を振り返る前期一位である。当然だ。後ろから刺したに等しい発言だった。


「決まりだな」


 得意げな二位くん――だが、


「でもさぁ、それ、あたしでもやれるわけじゃん? 他の子でもやれるわけで」


「あ?」


 森空の発言に顔をしかめる二位くんである。


「というか、毒を盛ってテストを受けられなくした――っていうけど、そもそも、抜き打ちテストだったでしょ? 五時間目にテストが来るなんて、調理実習の時点じゃ分からなかったんじゃない? 毒を盛ったっていうなら、前日から準備する必要もあったろうし」


 ただ、まあ、あの教師の性格上、期末前のどこかのタイミングでテストが来ることは予想できただろうが――


「たまたま、誰かがキミにクッキーを贈って、それがあたったってだけなんじゃないかな? テストとか関係なしに、偶然。そもそも、別に成績にかかわるテストじゃないし? 受けられなくても放課後に補習と一緒にやらされるでしょ。『テストを受けさせない』って動機で毒を盛るってのは……弱いんじゃないかなぁ?」


「いや……でも、内申に響くかも……」


「補習サボらなければ大丈夫じゃない? というかぁ……花咲さんのクッキーだって言うけど――え? 何? 花咲さんからもらったって根拠は? 『もらった』って自慢したい系?」


「は、はあ……!?」


 顔を真っ赤にする二位くんである。


「まあ、花咲さんの手作りかもしれないねぇ。成績は良くても料理の腕はクソ下手だったのかも――その真偽はともかく……犯人捜し、続ける? もう過ぎたことだし、匿名の女子からクッキーもらったって良い思い出だけ残して終わりにしない?」


 犯人を捜すのは野暮だよ――特定するってことはつまり、その子の料理の腕が壊滅的だってみんなに知らしめることになるんだから――


「ぐ……」


 さすがに押し黙る二位くんである。はい、論破。ざまぁ、と声には出さず表情で告げる森空。憎々しげに睨まれるが、二位くんはそれ以上の追及は諦めたようだった。


 ちなみに彼と森空は幼稚園からの付き合い……いわゆる幼馴染みというやつなので、彼にどう思われようがまったく構わない森空なのである。


(勝った)


 と、森空はほくそ笑み、机の中から調理実習で作ったクッキーを取り出す。みんなラッピングなどはせず適当な袋に入れているだけなので、見分けはつかない。これが花咲のクッキーだと言い張ることも出来ただろう。彼女からもらったと言えば、仮に持ち物検査をされ、花咲がクッキーを提出できなかったとしても二位くんの追及をかわせる算段だった。


 さて、授業前に勝利の美酒おやつタイムでも――と思っていた森空の上に影がさした。




「――やったな?」


 大人しそうな印象を受けるか細い声に反して、敵意を感じさせる鋭い口調だった。


 見れば、森空の机の横に花咲貴音が立っている。


「私のクッキーと、毒入りのものをすり替えた」


「ええー、何を根拠にそんな」


 おどける森空に対し、花咲は冷め切った表情で、


「一番に教室に戻っていった……と、私に疑いを向けた。二番目に戻ってきたあなたが」


「なるほど確かにその通り――ええー、でも、すり替えたっていうのは、どうなの? 花咲さんのクッキーが壊滅的だっただけかもよ?」


「クッキーなんかに失敗する余地はない」


 さすがは成績一位、なんでもそつなくこなす完璧主義者だ。言うことが違う。調理実習の時もスマホでレシピを調べその記述通りにキチンと作業を進めていて、手際は良いが見てる側からすると面倒くさいくらいだった。


「でも、レシピにない、隠し味入れたんでしょ? 愛情という名のポイズン


「…………」


 花咲が唇を噛む。ほのかに頬を紅潮させているが、たぶん照れより怒りの方が小さじ一杯ぶん多い。


「仮に、あたしが毒入りクッキー作ったとしてさぁ……なんの得があるの? マッチポンプじゃん。自分でトラブル起こして、それを解決するなんて。まあ、花咲さんを庇ってあげたっていう恩が出来たけど」


「恩なんて、感じない。全部、あなたの仕業だもの」


「決めつけだよー」


 とは言うものの、森空は「降参」というように両手を上げる。クッキーは机の上に。そろそろ次の授業が始まるから、しばらくはお預けだ。


 花咲がぽつりと、


「……目立ちたかったの? でなければ、これは誰も得しない……ただの、嫌がらせよ」


 巻き込まれたみんながみんな気まずい想いをする。恥ずかしい目に合う。火傷のように顔が赤くなる――唯一、火を放った犯人以外は。


 だとするなら、放火犯はさぞ愉快だろう。火遊びが好きなんて、どうかしてる。私の怒りに火がついたわ。とでも言いたげに花咲は森空を睨む。全て森空の想像だが。


「ええー、でもさぁ……花咲さんは、クッキーをあいつの机に入れたわけで」


「……それが、何か」


「でもそれだけだと、誰からのものかなんてあっちは気付かないわけで。……それを、どういうかたちであれ気付かせてあげた――という点においては、評価されてもいいんじゃない?」


「……む」


「ついでに言うなら、今回の一件であちらさんは明確に花咲さんを意識した――というか、してることが発覚したわけで。あれって小学生が好きな子をいじめたくなるような感じのやつでしょ」


「…………」


「そういう意味では? あたしは二人の仲を取り持つ恋のキューピットさんになったわけですよ。恋の炎を灯したわけですね。さらに言うなら、完璧超人でとっつきにくい感じの花咲さんにも料理が下手っていう欠点チャームポイントがあったんだー、という空気が生まれたわけで。――花咲さんも、本当はちょっとラッキーだなんて思ってるんじゃない?」


「何を……」


「あいつは補習が決定している。テストの内容はまあみんな赤点くらい余裕で回避できるレベル――ということは、テストを手抜きして自分も補習を受けることになれば、放課後はあいつと二人きりになれるんじゃ? ――とか、考えたんじゃない?」


「っ」


「へい、図星だ」


「……いつか、火傷するわよ」


 と言い捨て、花咲は自分の席に戻っていった。休み時間が終わったのだ。


 森空はにやにやしながら、教師がやってくるまでに一口味わおうと、クッキーを取り出した。


「うーん、恋の味」



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