三冊目『花束ロボットのボン』

「さぁて最後の奴、読ませてもらおっかな」


 畳上に横座りした由衣は最後の絵本を広げ、朗読に感情を込める為に、もう一度絵本に目を通す。


 遊び心の『ゆきと いっしょに あそぼ』と教養の『どんぐりの すもうたいかい』ときて、三冊目は——真壁康介まかべこうすけっつうぺーぺーの……を詰め込んだ、絵本だ。


「遂に『花束はなたばロボットのボン』か——」

「作品名、すっごくいい! ロボットっていう機械的な単語に花って植物の並び! これだけで期待値高まる〜」

「いかに駄作か確認する絵本に期待してどうする」

「だからだよ〜。こんな魅力的タイトルでどうしたら駄作になるのか、読み上げるの超楽しみぃ〜」

「……」


 無邪気に皮肉る由衣の笑顔に、頭に痒みが走って右手でポリポリ撫でる。だが、それはマジで駄作だ。ハッキリと言える。その証拠の一つに気付いたのか、目の前の由衣が絵本を読み進めながら、首を傾げた。


「あのさ、これだけなんでコピー本なの?」

「予算……足んなかったんだよ」

「予算? 絵本キットって千円かからないよね。まさか即売会にでも参加したワケ?」


 ペラペラと薄っぺらい音が主張してくる。確かに絵本の展示即売会は存在して、足を運んだ事もある。ハードカバーで製本された絵本がいくつも並ぶ、最高のイベントだ。


「参加してねぇよ。絵本ってやつは無線・リング・糸かがりと手間のかかる綴じ方に加えて、高解像度のスキャンと撮影が絡む分野だ。同人誌って奴より何倍も金が掛かる」

「……聞いただけで、高校生には無理そう」

「キットで手作りするならまだしも、複数相手に配るならコピー本が限界だ。分かったか?」

「へぇー、勉強になりまーす」


 由衣は俺の説明を軽くあしらいつつ、低予算漂う絵本をペラッと読み進めていく。……俺の発言の違和感に、流石の幼馴染でも気付かないか。何でそれがコピー本なのか、それは——。


「——うん、イメージ掴めた。早速読むね」

「へーい、さっさと始めてくれや」


 俺はパチパチと拍手を適当に送り、胡座あぐらで傾聴姿勢を取る。こっちは二冊読み聞かせられたんだぞ、由衣の朗読の上手さは十分、伝わってる。もう集中して聞く必要はねえ。


「……。あのさ、ここに——きて欲しいんだけど」


 ポンポンと畳を叩く音がした。その元を辿ると由衣が、膝の目の前にある空間を手で示しているのが分かった。それだけしか分からんかった。


「へ? きてってなにが?」

「私は、読み聞かせの練習がしたいって言ったよね? ここに——座ってよ」


 由衣は再び畳をポンポン叩く。その音でやっと頭が反応した。こいつ俺の想定年齢をここにきて下げて来やがった。子供を膝上に乗せて読み聞かせる奴——やるつもりだ。


「俺重いぞ、いいのか?」

「私の膝が潰れるでしょバカ! 康介が座るのは、ここ! こーこッ!」


 バァンバァンと畳が唸りを上げる。まぁ……流石に女子の膝上に、男が座るのはねぇよな。だが、もう一つ問題がある。分かってないようだから言ってやるとしよう。


「——本当に、いいのか?」

「だから、ここにきてってば! 子供役の癖に、先生の言う事も聞けないのぉ?」

「わぁったよ! 腹立つ指図する先生だな!」


 先生の煽りに、男子高校園児生はカチィンと立ち上がり、畳をドカドカ蹴りながら迫る。無垢過ぎるだろこいつ、同年代の異性と密着する事に抵抗ないのか!


「おらよ! これでいいんだな⁉︎」


 ズドンッと、由衣の膝の前に腰を落として座ってやった。こんな奴に、ご丁寧な正座も体操座りも不要だ。悪態を込めて胡座あぐらかいてやる。


「——うん、いいよ。じゃあ絵本を目の前に見せるから手、伸ばすね」


 両脇の間から、由衣の柔らかい手が俺を包む様に伸びた。流石にギョッと驚いた瞬間、目の前に俺のペラッペラな薄い絵本が広げられる。——窮屈だ。


「あのさ、もうちょい絵本を奥に持ってこれねぇか? 見にくくてしょうがねぇよ」

「康介の背中が広過ぎなの。悪いけど、これで我慢して」


 あっさりとした由衣の返事。真後ろにいるから、表情が一切見えん。——にしても、どつき合いはしょっちゅうやるが、お互いこんな近くで座るのは、いつ以来だろう——。


「……。じゃあ、読み聞かせ始めるね。——ああもう、康介の身体おっき過ぎ。私に絵本が見えないよぅ……」


 ピタッと背中に由衣の身体が吸い付く。左肩に由衣の顎が乗る。今日ほど、ガキの頃に戻りたいと思った事はない。高校三年生、お互い大人に片足突っ込んでる年齢。いいのか、こんな事して。


「おい、由衣」

「なあに?」

「……なんでも、ねえ」


 俺らは——ただの幼馴染だ。夢に向かって、対抗心を燃やしながらここまできた。真壁康介まかべこうすけ樋口由衣ひぐちゆいに、それ以上の関係はないんだ。だから……由衣の恋愛事情も知らない。言わないだけで、聞かないだけで、彼氏とか——実は、いたりするんだろうか。


「さっさと始めてくれ」

「うん」


 由衣の吐息が左耳を通り抜けた。密着する熱苦しさになんか色々、どうにかなりそうだが、視界に入った俺の駄作が、落ち着かせてくれる。


花束はなたばロボットの——ボン」


 作品名を由衣が読み上げた。表紙は木製ロボットのボンの体から、様々な種類の花が芽吹く神秘的な絵が一つあるだけ。色鉛筆のふんわりとしたタッチが、優しさと温かみを読者に分け与える。



花束はなたばロボットは

いわごとで かつやくする

みんなに大人気だいにんきの ロボットです


おたんじょう けっこんしき

七五三しちごさん かんれきいわ

入学式にゅうがくしき 卒業式そつぎょうしき


そんなときに 花束はなたばロボットは

体中からだじゅうから はなかせて

人々ひとびとを よろばせるのです


しかしおいわいが わると

こうして やまてられます


つくられたロボット なので

地球ちきゅうやさしいのですが


いわ以外いがいでは やくてないのです


 ——想定読者層は、小学校中学年。だから、それなりの漢字をルビ振り込みで絵本に採用している。これを作ったのは、高三の春……数ヶ月前の事だ。確実に保育士の道へ向かっていく由衣に追いつく為に、俺は——行動した。



このやまに てられた

花束はなたばロボットは ボンという名前なまえでした


しかしボンは

ほか花束はなたばロボットとちがって

まだからだから はなかせていません


ボンはだれかの おいわいを

するまえに てられてしまったようです


 ——由衣の優しい朗読が、すぐそこからする。恋人関係でもない、高三の男女がこんな事をしていいかなんて、今は問題じゃない。目の前にある、俺が作った絵本を見れば見るほど——分からない。



ボンのなかには こころがありました

それは、からだもとになっている

まだつぼみのはなからまれた

しぜんゆたかなこころです


こころによって意思いしをもったボンは

つよく ねがいます


ぼくは からだのおかけで

このままぼくで いていいのだけど

それは 本当ほんとうのぼくじゃないし

花束はなたばロボットじゃないんだ


ぼくは 誰かのおいわいを

してあげなきゃ いけないんだ


みんなを しぜんに

かえしてあげなきゃ いけないんだ


ボンはそれを かなえるために

てられたやまから ひとさがしに

うごしました


「——あのさ、由衣……」


 ここに来て俺から、絵本の世界をぶった斬る。見れば見るほどマジで分からねえよ。教えてくれよ。何が——いけなかったんだ。


「この絵本。賞に出したけど、落選したんだ」

「……そう、なんだね——」


 話し相手を尊重する、由衣の寄り添う様な優しい声が背中からする。温もりが伝わってくる。そして俺は焦った。高校卒業まで一年しかねえ、進路を決めなくちゃいけねえ。由衣に置いていかれる。もう、頭ン中ぐちゃぐちゃだった。


「——納得する為に、持ち込み可能な出版社に約束取り付けて行ったんだ……でも、無名の高校生ってだけで、表紙も見ずに突き返された。自信があるなら、お得意のネット媒体で評価されてから来いって——」

「うん」

「大人達は忙しそうで、見てくれそうにねぇから——次は母校の小学校に頼み込んで……図書室に置いて貰う事にした。子供なら、手に取って貰えるかもしれないって期待した」

「……うん」

「……一週間後、ボロボロに破かれて、俺の絵本は返ってきた」

「……」


「男子児童複数人によるイタズラらしい。まあ、イタズラならしょうがねぇよな。原本やられちまったから、コピー本しか手元に残ってねぇんだわ。ほんと、容赦ねぇよな子供って——」


 何言ってんだ俺は。由衣の読み聞かせのはずなのに、自分勝手な事を何で語り始めてんだ——おかしいだろ。


「マジ、絵本作家ってだりぃな、ってなった」

「……康介」


「もう世の中には、エリック・カールの様な愛される絵本がいっぱいある。新しい本なんて……いらないくらいにな」

「ねぇ、康介」

「だから俺は、絵本作家にならなくても」


 その夢を手放そうとした俺の暇な両手に、薄っぺらいコピー本が添えられる。諦めた言葉に蓋をしてくれる様に、由衣の右手が——俺の頭を優しく撫でた。


「辛かったね、康介——」

「……」

「ホント、昔っからそうやって一人で突っ走ってさ。どうせ私にドヤ顔する為に、内緒で何か功績作ろうとしたんでしょ」

「……なんで、バレたし」

「だって今まで、一度も私に絵本見せなかったんだもん。そんな事だろうと思ってた」


 母性が俺を満たす。由衣にだけは負けたくなかった。絵本ですげえ事、成し遂げて驚かせたかった。だから必死こいて色々やってきたのに、全部空回りして、否定されて、どうしたら——由衣に勝てんのか、分かんなくなった。


「ちくしょう……ち……くしょ……ぅッ!」


 俺は、左手でくしゃ……と完成品だったはずの絵本を握りしめ、右手で目を覆って情けなく泣き出した。大声出したいくらい辛いのを必死に我慢して、由衣に抱きしめられながら、肩をしゃくり上げて静かに泣く。


「よしよし」

「……ッくそ……ガキ扱いすんな……ッ」


 カッコ悪い。情けない。幼馴染に頭撫でられて、ギュッと抱きしめられながら男泣きとかさ。でも、由衣だから見せられる。他の奴だったら絶対無理だ。


「……諦めちゃうの? 絵本作家」


 再確認に様に、由衣は言ってきた。俺が畳の上でゴロゴロしてた時、見下しながら言った言葉を。——でも、さっきと何かが違うのはなんでだ?


「諦めないでよ、絵本作家」


 その答えを、すぐに由衣は口にした。現実を覆い隠していた右手をどかすと、目の前には、涙と左手でぐしゃぐしゃになって、未完成になっちまった、絵本があった。


「康介の絵本を知って貰えるように、私がたくさんの人に読み聞かせるから、大切にするから……好きになって貰える様に、頑張るから!」

「……」

「だから……私に、頑張る理由を! 真壁康介まかべこうすけ!」


 その言葉に、瞳に熱がこもる。涙が一気に乾く。歪んだ顔が、笑顔に溶けていく。対抗心に、火が付いた。


「ちげえよ、由衣。俺は真壁康介まかべこうすけじゃねぇ」


 俺は由衣の撫でる右手と、抱きしめる左手を解いて、よっこらしょと立ち上がる。そして待ちに待ったドヤ顔で、由衣を見下してやるのだ。


「俺は、日本のエリック・カールと後に呼ばれる男——全国の子供達と、その親から好かれる『まかべ・こーすけ』って名の……絵本作家なんだからな!」


 やっと見えた由衣の顔は、好敵手と会えた様なワクワクした表情だった。座り込んでいた由衣は、バッと立ち上がり俺と対等に並んだ。


「どんな事があっても——成長を見守れる保育士に、私は。子供人気なら、絶対負けないから……!」

「おう、俺の絵本に勝てると思うなよ。だからこれは、お預けだ」


 俺は左手にある、一度完成したのに、涙と自身の弱さでぐちゃぐちゃになった絵本を左手で示した。コピー本だからって雑に扱い過ぎだが——今は、これでいい。


「はぁ? まだ結末まで読み聞かせてないじゃん! オチは知ってるけど……」

「俺はもう一度『花束はなたばロボットのボン』を作り上げる。この続きは——出版されたら、また読み聞かせてくれ」

「なんなのそれ〜……でも、楽しみにしとく!」


 由衣のニッと微笑む顔を視界に入れた後、俺はコピー本を広げた。まだ途中までしか読まれてない、俺と由衣だけが結末を知る絵本——。


「早く続きが読みてえだろ、由衣!」

「さっさと完成させてよね、康介!」

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幼馴染が俺に、絵本を読み聞かせてくれるらしい 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR

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