二冊目『どんぐりの すもうたいかい』

「康介、次これ読んでみていい?」


 畳上に楽に座って、痺れを取り除く様に足を撫でていると、由衣が俺に押し付けてきたのは『どんぐりの すもうたいかい』という絵本。これは高一の時、美術部に混じって作った奴だな、なつかしい。


「なんだっていいだろ。結局どれも——」

「駄作って言葉禁止——ッ!」


 由衣に頭を押さえ付けられて、ガクッと視点が畳に向いた。ちくしょう……言われっぱなしの俺じゃないぞ。反撃に由衣の両手をガシッと掴み、遊んでる場合じゃないぞと忠告してやるのだ。


「あのよぉ、そういう由衣は進路どうなってんだよ。こんな事してられる程、暇じゃ無いだろ」

「んー? 確かに私が受ける女子短大って小論文もあるし、共通テストもあるし、もう二学期だし、やばいよね〜」

「危機感ねぇ顔しやがって……」

「あはは。でも保育士の受験なんて、勉強頑張ればどーにでもなるからね」


 くぁあと、俺の顔が脱力する。余裕ですか。はい、そうですかあ。……実際、由衣って俺より学力良いし、保育分野では相応の努力してるし、何にも言い返せねぇんだよなぁ……。


「へいへい、余裕で保育士になれる勝ち組の由衣と比べて、どーせ俺は将来不安定な負け組ですよ〜」


「そんな事ないよ」


 普通の声のトーンなのに、何か地雷を踏んだような不穏を感じて、顔が引き締まる。目の前の由衣の表情は、めちゃくちゃ真剣だ。


 ……付き合いが長い、幼馴染だから分かる。俺は何か、由衣に対してまずい事言っちまってるんだ。勉強の事か——そういや、保育士って資格取る為の筆記が、一番大変なんだよな。余裕って言葉は流石に、配慮なさ過ぎかもな……。


「あのさ、由衣。俺ちょっと言いぎ——」

「それよりさ、次の絵本読んでみるから……ちゃんと聞いててね?」


 俺は嫌がらせで、ずっと由衣の両腕を掴んでいた。それなのに、右手にある俺の作った絵本は落としたり、離したりせず、大事そうに持ってくれている。


「……。おう、じゃあ読み聞かせてくれや」


 これ以上邪魔はよくない。スッと由衣の腕を離して、体操座りで傾聴姿勢を取る。……正座は、もう懲り懲りだ。


「オッケー。次は遠慮なく、私の朗読でダメなところを指摘してね。絵本の内容でまた、あれこれ言ったら……わかるよね?」

「ヒッ……わ、分かった、分かったって!」


 禍々しい由衣の圧力に、勝てる気がしない。俺は完全に萎縮して、今にも転がりそうな程に身体を丸くした。


「じゃあ、読むね。——どんぐりの すもうたいかい——」


 さっきと同様、由衣は個性的で可愛らしいどんぐりのイラストが散りばめられた表紙を、相手側からよく見えるように読み聞かせを始めた。この絵本は、力強い質感を出すために油絵具あぶらえのぐをがっつり使ってる。どんぐりが主役だから基本色は茶だが、色々な単色を入れて個性を出そうとしたり……文章よりは、絵にこだわったやつだな。


どんぐりたちは もりでまいにち

ちからくらべを していました


あるひ だれがいちばん つよいか

すもうで きめることにしたのです


いちばんになりたい どんぐりたちは

きりかぶに たくさんあつまりました


まんまる〜ぅい クヌギ

のっぽの—— マテバシイ

おしゃれの シラカシ

はずかしがりやの…… スダシイ

にんきものの! コナラ


さあ! いちばんつよい

どんぐりは どれなのでしょう?



「——康介、どう? 今の感じ」

「——へ? あ、ああ……いいんじゃねぇかな。どんぐりの紹介も特徴にあわせて、口調変えてんのは好印象だ」


 感じた事を、俺はそのまま口にした。さっきもそうだが、由衣は普通に朗読がうまい。声がいいのもあるが、間の置き方とか、丁度良いリズムっていうか。一言一句、耳に届いてくる。声かけられなかったら、一生聞いてたかもしれんレベルだ。


「ほかには?」

「ほ、ほか⁉︎ うーん……ねぇよ。抑揚よくようの付け方もいいし、身振り手振りで見てる方も楽しい。子供相手の読み聞かせなら、十分合格点だぞ」

「……でも、なんか物足りないと思う」

「なんだそりゃ。演劇じゃあるまいし、絵本なんてオーバーリアクションで子供を喜ばせてやるもんだろうが」

「……」


 広げた絵本を、由衣は静かに見つめていたが、どこか不服そうなのは流石に分かる。俺が言った事に対してじゃない。こいつ、相変わらず自分に対して厳しい奴だな……。


「うん、分かった。続き読むね!」


 由衣は気持ちを切り替える。ふと覗かせた向上心を側から見て思い出したが、この絵本のモチーフは『団栗どんぐり背比せいくらべ』からきている。優劣なんてくだらねぇ、みたいなのを絵本を通して子供に教養していきたい一心で作った。



まずは コナラとクヌギのとりくみです

みあって みあって——

はっきよいッ!

のこった! のこった!


クヌギは からだがまるくて

おおきい ちからもちさん


でもコナラは こがらで

せがひくくて ちからがでません


かったのはクヌギでした!


 ——文より絵に力を入れただけあって、俺は絵本に集中していた。クヌギは過剰なくらいでっかく描いた。一方の小楢コナラはチビに描いて、こんなん勝ち目ねぇよって一発でわかる絵に仕上げている。人気者設定は、どんぐりのイラストと言えば、この種のどんぐりが一番親しまれてる事から来ている。


つぎは シラカシと

マテバシイのとりくみです


みあって みあって——

はっきよいッ!

のこった! のこった!


シラカシは かわいいぼうしと

からだ ぴかぴか きれいずき

おしゃれな どんぐりさん


マテバシイは せがたかくて

げんきで ねばりづよい 

じょうぶな どんぐりさん


かったのはマテバシイでした!


 ——個性的などんぐり達の相撲が展開されていく。白樫シラカシは、横しま状の帽子が特徴の見た目がいいどんぐり。馬手葉椎マテバシイは全国の公園に分布する銃弾みたいな形のどんぐり。イラストは、ほぼ互角な相撲に見立てたが、力比べでどっちが勝つかは、文章でイメージしてくれって感じに作ってみたんだ。


はずかしがりやの スダシイは

きりかぶの そとでまっていました


なぜなら とりくみのあいてが

いないのです


なかまはずれ にしないでと

なかなか いいだせずにいます


 ——ここで、首陀椎スダシイの登場だ。仲間外れが出る争いに、意味がない事を示していく。殻が堅果全体を覆っていて、いい感じに陰キャ感を出してるぞ。俺の絵にしては、なかなかの出来栄えだ。


「…………」


 ここまでいいペースだったのに、由衣に長い間が入って俺は眉を顰める。こりゃ余計な沈黙だ、子供が相手の読み聞かせにおいては致命的だぞ。


「おい、由衣!」

「え……ごッごめ! ボー……っとしてた」

「しっかりしろよ、感情移入が台無しだぜ」

「そうだよね……あー、もうッ!」


 由衣は絵本を膝に置くと、バチィッンと両頬を思いっきり叩く。ここまでする事ねぇのに、と……思うんだが、これが樋口由衣ひぐちゆいって女子なんだ。マジで、自分に甘えを許さない。落ち着きのある、可愛い雰囲気から、想像できねーだろうけど——俺には、分かる。


「……ふー……ッほんっとうに、ごめん!」

「まぁ、そんなに気ィ張らずに肩の力を抜けよ」

「……うん。ありがと、康介」


 どうしたんだ急に。なんかこの絵本を手に取ってから由衣の様子がおかしい。やっぱ俺の一言が悪かったよな、試験が難関って分かってんのに、余裕で保育士になれるとか言うもんじゃねぇよ。今日だって大学受験の不安を忘れたかったから、俺ん家来たかもしれねぇのに。


「由衣あのさ、さっきの俺が悪——」


きりかぶでは クヌギとマテバシイが

すもうをとって いました


スダシイが さびしそうに

すもうを みていると


まけた シラカシとコナラが

スダシイに あやまりました


スダシイはちいさくて じみだから

なかまはずれに しちゃったんだ 


でもすもうにまけて ぼくらにも

ちからがないって きづいたんだ


スダシイは メソメソしている

シラカシとコナラを はげまします


シラカシは ぼくよりおしゃれで

コナラは ぼくよりせがたかいよ


みんな すごいところがあるんだ!


スダシイが じしんまんまんに いうと

すもうをしていた クヌギとマテバシイが

きりかぶのどひょうから おりてきました


しょうぶはまだ ついていません

じょうがいにでたら まけになります


クヌギと マテバシイも

スダシイに あやまります


ごめんなさい なかまずれにして

スダシイのやさしさに ぼくらはまけた

どんぐりたちは はんせいしました 


でも このままでは

だれがいちばんか わからないままです


すると はずかしがりやの スダシイは

いいことを かんがえました


いちばんは みんなで

わけあうってどうかな!


「——おしまい」


 終わった……途中からちょっと、強引感はあったような気がするけど、感情表現は流石だった。普通に動画配信でやったらどうだよって言いたくなるくらい、由衣は魅力的な朗読をしてんだ。っていうか、どんぐりですら謝罪してるってのに、俺はまだ出来てないぞ!


「あのさ由衣、さっきは俺が悪かった!」

「え、急に——何⁉︎」


 由衣は絵本の世界から戻ってきたばっかりなのか、いきなり謝る俺にキョトンとしている。とにかく、このまま知らんぷり出来そうだが、感性やら感情表現が武器の『作家』目指……そうとした俺が、悪い事を放置したくない。体操座りからペタペタ畳を這って、由衣に土下座した。


「余裕で保育士になれるとか——俺、無神経な事言っちまった。受験大変なの、知ってるくせにさ——」

「康介……」

「マジでごめん、大事な時期に。……簡単に、夢叶えられる訳ねぇのによ」


 視界には畳しかない。由衣への申し訳無さがここまでくるのは——この絵本作ったきっかけ、今になって思い出したからだ。


高校生になって、はじめて——絵本作家を将来に見据える難しさを、分からせられた。親からは食べてけない仕事を目指すなと否定され、進路指導には将来性が皆無とまで言われた。


「由衣はすげえよ。保育士になる為に、ピアノ教室通い続けて、学童ボランティアにも積極的で、勉強だって頑張ってる……俺とは、比べ物にならない努力家だ」


 ——ずっと並んで歩いてきた由衣が、一歩一歩確実に夢に向かっていく。……それに焦りを感じた反動で出たのが『どんぐりの すもうたいかい』だ。由衣に並びたいのに、追い付きたいのに、どうしたら絵本作家に近づけるか——わかんなくなったんだ。


「違うよ、康介! 私の方が……負け組なんだよ」


 その声に俺は顔を上げた。由衣は脱力した様に膝を畳に付けていた。悔しそうな顔をしてる——自分に腹立ってる時の、顔だ——そんな風に不機嫌だと、絵本の読み方が途中から強引にもなるよな。


「保育士は……道標がある。頑張れば、誰だって叶えられるんだよ。でも——康介は、本当に『夢を掴む』って感じで、私なんかと——比べ物にならないよ」


 土下座からあぐらに姿勢を変えた。ただただ驚く。俺なんかよりずっと頑張ってて、劣等感感じるくらいだったのに——。


「少子化と収入不安——保育士だってそうだけど、まだ世間から理解がある。でも康介が目指してる絵本作家は、副業しないと食べてけないし……今、絵本の需要……全然無いし」


 ゲームにのめり込む子供、親しまれ続けられる絵本を出す難しさ。過酷に思っていたのは、俺だけだと思ってた。俺以上に由衣は——分かっていたのか。


「はぁー……んだよ、俺のじゃなかったんかよ〜」

「私は保育士、康介は絵本作家……どっちがより多くの子供に好かれる大人になれるか、勝負だって約束したよね」

「……そうだな」

「私——不戦勝だけは、嫌だから」


 俺はその言葉にハッとなる。目の前の由衣は真剣そのものだ。そうだよな。俺だって——本当は真剣だ。絵本作家になりたい。誰がなんと言おうと。


「俺だって嫌だっつーの。俺は日本のエリック・カールになる男だ、名作量産する絵本作家だ」

「ふーん……じゃあ、この最後の一冊がいかに駄作か、確かめてみようかな〜」

「おう、読んでみろ読んでみろ」


 俺が煽ると、由衣はニヤッとして、三冊目を手に取る。なんつうか、わだかまりが溶けた感覚がする。由衣の読み聞かせのお陰で。こいつは——世の中の逆風に負けない、強い保育士になれる。絶対に。

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