一冊目『ゆきと いっしょに あそぼ』


「ん〜最初はどれにしようかな〜」


 俺と由衣はお互い見合わせて、居間の畳上に楽な姿勢で座った。目の前の保育士志望の幼馴染は、俺が作った絵本のページをめくっては何冊も往復して、どれから読み聞かせようか悩んでいる。


「……」


 俺はあぐらをかいて、それを黙って見つめる。何でそんな楽しそうな顔で、一冊一冊じっくり眺めるんだ。子供みたいに無垢で可愛いけど、こっちは恥に耐えられそうにない。


「全部駄作だ、いちいち悩むんじゃねえ」

「子供役は黙っててよ、息すんな」

「辛辣過ぎだろ! それが保育士目指してる奴の言う事かぁ⁉︎」

「……。よし、まずはこれで!」


 由衣は一冊両手に持って、紋所の様に俺に見せつけた。それは記念すべき第一作目、中学一年生の時、はじめて自分の手で形にした絵本——。


「……『ゆきと いっしょに あそぼ』……か。なんでそれにしたんだよ」

「登場人物の女の子の名前が『ゆい』だから。これ、モチーフ絶対私でしょ!」

「確かに由衣の名前を借りたが、正直女の短い名前なら何でもよかった」

「マジで適当なやつじゃん! 肖像権侵害で訴えちゃうぞ!」

「パクったのは名前だけだっつぅの! いいからさっさと読み聞かせしろ!」


 付き合わされる身にもなれと、話を進める。今日は休みだ。受験やら就職活動でこれから忙しくなる事を考えれば、本腰前の休みは貴重なんだぞ。幼馴染だからって何でも協力姿勢になると思うな。


「……うん。イメージ固めたいから、もう一回読ませて」


 俺の不機嫌が伝わったのか、由衣はそれ以上言い返さずに絵本に集中し始めた。……ッたくよ。——何、イライラしてんだ俺は——。


「……」


 スマホを見るフリをして、チラッと由衣を見ると静か〜に絵本を読んでいた。目の動きでわかる。絵、文章、全て見逃さないようにしてる。嬉しいのに、どこかムカつくのは——俺が描いた絵本だからだろうな。……読まれたくない。駄作だから。


「——おまたせ。はじめていい?」

「…ッ……お、おう!」


 いつの間にか読み終わった事にビビって、慌ててスマホを後ろポケットに押し込んだ。由衣はまず、表紙を俺に見せる。


 真っ白な画用紙の中心にニット帽と手袋を大きめに描いた三つ編みの小さい女の子。その周りに水色硬質鉛筆で雪の結晶を散りばめた水彩画調の絵だ。タイトルはクレヨンで『ゆきといっしょにあそぼ』と描いた。字ィきったねぇな俺——。


「ゆきと いっしょに あそぼ」


 字の雑さを整えるように、由衣は綺麗にタイトルを読み上げてくれた。描いたのは俺なのに、俺によく見えるように絵本を見せてくれる。じっくりと時間をかけて、これから始まる物語に入り込む準備をさせてくれた後、優しく最初のページをめくった。


あるひ ゆいがおきて

まどをあけると そとがまっしろでした


そらから ふわふわと 

なにかがおちています


それを てのひらにのせると

やわらかくて つめたい


ゆいは なつまつりでみた

かきごおりみたいだと

おもいました


ふしぎなことに

そとにはだれもいません

みんなねているのでしょうか


みていると まっしろなだけで

つめたいし さむいし ころぶし

たのしくなさそうです


でも ゆいは なぜか 

こころが ウキウキ しています

なんでか しるために

ゆいは そとにでてみました



「だぁあああッ声に出して読むなッ!」

「読み聞かせなのに、朗読すんなっての⁉︎」


 二人して絵本の世界に入り込んだのに、俺が現実に引き戻す。すげえ、すんなりと絵本世界に引っ張られた。由衣の朗読がヤバい。


 雪が降った時の嬉しさってやつか。雪をはじめて見た時の不思議な感覚ってやつか。そんな感情が浮かび上がってくる。だから今、押し殺した恥も出てきたんだ。


「いや……もう、練習いらねえよ。由衣の読み聞かせは完璧だ。はい、終わり終わり終わり」

「最後まで読んでもないのに、分かるわけないじゃん! ホラ正座! 大人しくして!」

「ま、まだ読むのか……もういいだろ!」

「何、動揺してんのさ。幼稚園児の方がまだ落ち着きあるよ!」

「く、くそ……わぁったよ……」


 子供より落ち着きがないという説得力が強すぎる。俺はしゅん……と正座し直した。この文章と窓の外を見る女の子の絵を描いたのが俺って考えただけで、ガキみたいに騒ぎ立てたくなる。——でも、由衣の声を……もっと聞いてみたい。俺の全てが、大人しくなった。

 

ゆいが そとにでてみると

となりのいえにすむ

おじいさんが おおきなスコップで

まっしろなみちを つくっていました


ゆいはおじいさんに 

このつめたくて まっしろいものは

なあに と ききました


おじいさんは ニコニコわらいます

これは ゆき といって

そらからふる こおりのけっしょうだよ


そう おしえてくれると

ゆいに おおきくて あったかい

ぼうしと てぶくろをくれたのです


おじいさんは スコップで

ゆきをよいしょと のせました

するとちいさな おやまになりました


あつめると ゆきはかたちになります

ゆいは たのしくなって

ゆきで おにぎりをつくってみました


 パラ……と、ページをめくる音で俺の思考が戻ってきた。やべえ、余計な考えが雪に埋もれる。銀色のミュージックベルのイメージが——リン、リンリン、と降ってくる。由衣の声しか……聞こえねえのに。


ちいさくまるめると

なげることができて

だれかがいたら

おもしろそうです


おおきくまるくして

ふたつかさねると

にんぎょうになりました


おおきくかためて

なかにはいると

あたたかい おうちにもなりました


ゆきのさかみちは

すべることができて

たのしくなりました


つもったゆきに とびこむと

じぶんのからだと

おなじかたちが のこりました


そらからおもちゃが ふったようです

ゆいは あそべるゆきが

とっても だいすきになりました


「——おしまい」


 その四文字を聞いた瞬間、拍手を送りたくなった。でも手がビクッと止まる。いや、今のは由衣の読み聞かせが良いだけだ。絵本は……おまけにしか過ぎない。


「どうだった康介、私の読み聞かせ」

「良かったよ。ゆったりとして聞きやすかった。これなら問題ねぇよ」

「ほんとう⁉︎ んー……でも私的にはイマイチかな。絵本の魅力を、伝えきれてない感あるんだもん」


 ……俺はずっと、由衣の言葉を追っていた。正直いくらページをめくっても絵なんか一切見ていない。だからそれは、駄作なんだ。


「そもそも、その絵本は欠陥だらけだ。絵も文章も読み手に想像を委ね過ぎてる節がある、絵本としては駄作だ」

「えぇー……そういうもんなの⁉︎ いい文章だと思うけどなぁ〜」

「……」

「読んでるだけで雪遊びしてる気分にさせてくれるし、絵もすっごい可愛いけど! これ『ステンシルアート』って奴だよね?」

「ああ……雪がテーマだし、造形イメージを大事にしたかったから採用した」


 形抜きした厚紙を白紙上に置いて、寒色系のスプレーを吹きかける。するとオーラをまとったような真っ白なシルエット絵の完成だ。周りにある噴霧された塗料が、ふんわりとした雪っぽさと、空想世界のような温かみを演出してくれる。


「これさ、シルエットクイズみたいな楽しみ方も出来るよね!」

「そうだな、あえて真っ白なシルエットのままにしてんのは、上からクレヨンやら鉛筆で書き足して『想像を形にする』遊び心を刺激する為だ」

「すッご! そこまで想定してるとかマジで絵本作家じゃん。どこが駄作なの、超意味わかんない!」


「作者が作品に自信を持てなきゃ、駄作なんだよ」


 その言葉に全てが集約されている。俺はその絵本に自信が無かった。いや……自信を保てなかったと言った方が正しいか。


「どういう事?」

「……それさ。完成した時に、読んでくれた奴に思いっきり馬鹿にされたんだよ。……それで、自信無くしたんだ」

「なにそれ! どこの誰⁉︎」

「中学ン時の男友達二人。ステンシルとか、お前は小学生の女の子かよって……一年中、笑い者にされた」

「は——ッ⁉︎ 超しょーもな……ッまさかそんなんで、自信消失したわけ⁉︎」

「う、うっせえな。中学生のプライドってのは、繊細なんだよ!」


 そうだ、しょうもない理由だ。それで俺は否定される味を知っちまった。最初はどうって事なかった。でも——由衣からも、笑われる絵本なのかもしれないって考えたら……冷たいプラケースの中に、雪をかぶせるように絵本を埋めていた。


「バッカじゃないの。作家なんて自己主張なんだから、誰かの肌に合わなかったら否定されて当然じゃん。康介は褒められたくて、絵本作家目指したの?」

「……」

「もう一回、私が言わなきゃ分かんない?」

「……日本のエリック・カールになる為だ。……保育士よりも、子供に好かれる男になる為だ!」


 俺は叱られたような正座から、バッと堂々と立ち上がった。しかし足に力が入らない、へなっと両膝をついた。


「どうしたの康介⁉︎」

「足……痺れた……」


 かっこわる……と、由衣のため息混じりの声が聞こえた。超ダッセェ……正座ごときに負けるとは。……男友達の嘲笑に負けるとは。


「ブッ……康介の足の痺れが取れるまで、もう一冊読んでみるね。……練習、まだ付き合ってくれるよね?」

「……仰せのままに」


 お姫様に仕える従者のように、俺は膝を付いたままそう言うしかなかった。でも、由衣はもう一冊俺の絵本を読んでくれる。……しょうもない恥がいつの間にか、雪のように優しく溶けていた。

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