第5話 さよなら おじさん
老人はトンネルの前でそれぞれの動物の身体に杖を当てながら、身体を色々変えさせていった。そしてその都度、何故このような大きさになるのか、何故力を弱めたりまた加えてあげたりするのかを、各々によく分かるよう丁寧に教えてやった。僕はこれらの動物が、どんどん小さくなったり大きくなったりしていくのを見ながら、老人が強さを平等に保つ為の工夫をよく考えたものだと、つくづく感心してしまった。
とうとうこの島に到着してから随分と長い時間が過ぎて行った。
丘の上から海を眺めると、巨大な氷山はもうそこまで近づいて来ていた。と言ってもあまりの大きさに、すぐそこまで来ていると思えても実際にはまだまだ遠いのかも知れないが、発見された時から比べれば本当にすごいスピードでやって来ているようだった。
巣ごと空から脱出するという老人のアイデアがどうにか間に合ったらしいので、皆はほっとして気持ちも落ち着いて和やかになってきた。
皆がどうにか無事に巣に収まると、最後になった僕は初めて巣をしっかりと見ることが出来た。今まではハチの巣なんてとても恐くって、近くでじっくり見たことがなかったけれど、こうやってよく見てみると、六角形にきっちり分けられた沢山の部屋はとても正確で無駄がなかった。僕はそれが家の近くの大きな団地の、数え切れない程ある沢山の窓のようにも見えて、そこからおさむ君やタケちゃんが今にも顔を出して合図をするんじゃないかなと勘違いしそうだった。
その一つ一つの部屋の窓から、動物達が手を振って「さよなら、元気でね。」って叫んでいる。僕はびっくりしてしまって「えっ、僕は行かないの?」と老人に尋ねると、
「お前はいいから、家に帰るのだ。」
と怒鳴ったかと思うと、長い杖を天に突き上げてピューッ、ピューッと空に向かって
口笛を鳴らした。
すると何処からか一羽の大きな鷹が飛んで来て、翼を大きく広げながら老人の頭の上をぐるぐると回った。その鷹はしばらくゆうゆうと飛んでいたが、また老人がピーッ、ピピピッ、と口笛を吹くと、鋭い爪で突き刺さるようにしっかりと杖を掴んで止まった。
僕は誰もが信じられない光景にはもうすっかり慣れっこになっていたから、どんなに鷹が鋭い目で僕を見ようが、爪が鋭いカマのようで恐かろうが、もうぜぇんぜん平気でいられた。
老人は巣を提供してくれたハチ達に深々と頭を下げ、心の底から厚くお礼を述べた。そして皆にはこれから何処に越してどんな暮らしをしようが、絶対に彼らに対する感謝の気持ちを忘れないようにと、口がすっぱくなるほど言った後、鷹に何やら呪文のような言葉で号令をかけた。
すると鷹は鋭い爪で巣をしっかりと掴んで木から持ち上げると、老人や僕の頭の上をぐるりと回ってから、遥か遠くを目指して飛び上がった。 大きな大きなハチの巣であったが、空高く昇るにつれてそれはスズメバチの巣くらいの大きさになり、それからごく普通のハチの巣の大きさになり、豆粒のようになったかと思うと、やがて一つの点になり雲の彼方へと消えて行ってしまった。
僕は一人取り残された寂しさと心細さもあったが、それよりも何が何だか分からないこの現状に呆然としてしまって、その間に老人が消えていたことも、僕がいつの間にか家の門の前にいたことにも暫く気がつかなかった。
それから暫くたったある日のこと。
僕はお母さんと一緒におじさんの写真の前に立った。広い会場の祭壇には沢山の菊が飾られていて、その花に囲まれた写真のおじさんはちょっぴりだけど笑っていた。僕はたまらなく懐かしくて、会場にいる大勢の人達と同じように、おじさんの写真を見つめては泣いてばかりいた。
「おじさんによくお礼を言うんですよ。ずいぶん可愛がっていただいたわね。」
そう言ってお母さんは目にいっぱい涙を浮かべながら写真に手を合わせた。僕は自分の声が震えているのがよく分かったし、心臓もドクドク音がしているのも分かった。そんなだからきっとおじさんには聞えなかったかも知れないが、僕は一生懸命に写真に話しかけたんだ。 おじさん、僕はここに越して来て本当に良かったよ、と。
あの夏、おじさんの畑で遊びながら野菜を採ったり、その野菜で色んな料理をごちそうしてもらったお蔭で僕は野菜が大好きになったんだ。顔に水がかかっては泣き出しておじさんに叱られていたのに、すっかり泳ぎも上手になっちゃったし、虫だって恐がらない少年になれたんだ。それはみんなおじさんのお蔭だよ。
そして秋には山にも連れて行ってもらってすごく楽しかった。初めてだよ、僕。あんなに高い山に登ったことなかったもの。だけどおじさん、残念だけど僕はまだ、冬の本当の楽しさは教えてもらっていないよ。雪国の冬は寒いけど、寒さの何倍も楽しいっておじさんは言ってたでしょ。
おじさん、僕がおじさんからこの冬に教わったことは、一年の初めにはいい夢を見て、その年がいい年になれるように過ごすんだぞ、ということだけだったね。だから僕はあのへんてこだけど、何だかとてつもなく大きなすごい夢をみたことを伝えたかったのに、おじさんは僕に何も知らせてくれないで、遠い所へ行ってしまったんだね。
おじさん、おじさんの写真に話かけている人や周りにいる人達が、おじさんを懐かしんで話している言葉の中に、僕の全く知らないおじさんがいて本当にびっくりしたよ。おじさんって本当は偉い人だったなんて、お母さんも全然知らなかったって驚いていたよ。だからこんなに沢山の人が、色んなところからおじさんを偲んでお焼香に来ているんだね。
初めて会った時のおじさんから、僕はぜんぜん想像がつかなかったよ。
えっ、そうだったの?今となりでおばさんが話していたよ。おじさんの夢は無人島で色んな動物と一緒に暮らすことだったんだって?
初夢で富士山と鷹とナスの夢をみると縁起がいいって、おじさんは教えてくれたね。僕の夢には鷹も富士山らしい山も出てきたけど、ナスは出てこなかったよ。でも僕にはとてもいい夢だったと思う。もしかしたらあの夢の中の老人は、おじさんだったんじゃないの。絶対そうだよね。
あの日、おじさんは僕に手を振って、病院に向かったそうだね。それからずっと一生懸命に病気と闘っていたんだってね。そして最後に夢の中で僕に色々と伝えてくれたんだね。力が強いからって威張ってはいけないとか、みんな平等に仲良くしなさいとか、見栄を張ってはいけない・・・などと。 僕はおじさんにいっぱい教えられたことを、絶対に忘れないって心に決めたよ。
僕はお線香がどんどん小さくなっていくのを眺めながら、あの夢の続きを考えていた。そして僕はこう最後を結んだ。
「あれから老人はおじさんに変身すると、急いでハチの巣につかまって大空へぐんぐん昇って行ってしまいました。そしていつまでも、空のずっとずっと高い所で、ジローや沢山の動物達と一緒に幸せに暮らしているのです。お・し・ま・い」 と。
あぁ、ぼくの初夢、なんてすばらしいんだろう!
初夢 @88chama
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