〈舞〉・七


 試験と言えど、国を上げた祝祭でもある。

 次の舞の試験になるまで、衣装や調律などの準備時間しか与えられておらず、一喜一憂している暇などない。


ツァンの舞踊は舞台右へ、黑暗フェイアンは舞台左で舞うわよ」


 琵琶の名手であり、舞の腕前を見初められ宮中入りしたと言われる燗美ランメイが、楽器を下郎に運ばせながら声を張る。


 流石にこの場で争う気はないのか、女人たちも頷き衣装に着替えるため奥へと進んでいく。


 その光景を見ながら、冰遥ヒョウヨウは感心していた。争わないこともできるのか、と。


 思いもよらなかった合格に、呆然としてふわふわと現実味のない感覚のまま、衣装を探す。剣と共に舞うための、闇に映える漆黒の衣装を。


 そして、すぐ異常に気がついた。



 どこからか、感じる意味ありげな視線。


 けれども、その出所が掴めない。



 さぁ、と顔が青ざめるのが分かる。


 手に取った自分の衣装が――びりびりに、破かれているのを見て。





 持ち上げ、恐る恐るといった様子で広げると、それは身に纏う本来の役目を果たしきれず、ただの布端となっていた。


 身体の線を美しく際立たせるための生絹すずし※スカートに至っては太腿までが露出してしまうほどだ。


 ――一体、誰がこんなことを……!!


 懐疑的な目で見る趣味はないが、疑ってしまうのが人間の心理だ。


 冰遥は顔を上げ、準備をしている女人たちの幕舎ばくしゃの入り口をばさりと手で開く。


「きゃっ……!」

「おしとやかになさいませ!」


 入り口に立ち竦む冰遥に、責め立てるような視線が注がれるが――悪意の目は、ない。


 ――ここには、いない?


「冰遥さま、いかがなさいまして?」

「っ!」


 背後から声をかけられた冰遥が狼狽し振り向く。


 そこには、不気味なほどに綺麗な笑みを浮かべた朱氏の杷雅パヤが立っていた。


「あらその衣装、どうされたのですか」

「……破かれていたのです。……これでは使い物になりません」

「破かれていた? 破いたのではなくって?」

「……はい?」


 うふふ、と笑う杷雅に微かな怒りを覚える。


 ――破いた、だって? あたいが?


 とんだ言いがかりだ、と胸の内で怒りを抑えるが、ふと、気づく。


 杷雅の目には、純粋な悪意しかない。衣装を破くという行為に出てもおかしくないような、悪意よりも毒々しい恨みがない。


「……それでは、舞うことができませんね」


 可哀想に、と笑う杷雅。

 話を聞いていた女人は、杷雅と同じように意地汚い笑みを浮かべるのが半数、心配そうに冰遥を見つめるのが半数。


 だが、その誰にもいない。


 悪意がいない。


 ここでは、ない。


 この時点で合格を二つも貰っている冰遥を邪魔だと思うのは、同じ試験を受けている女人たちだけだと思っていた。


 だから、衣装を破いた犯人もその中にいるとばかり思っていた。


 だが、やはり、おかしい。


 先程まで同じ儀式の場にいた彼女らに、隙を見てここまで移動して冰遥の衣装だけを探し当て破くことなど不可能なのだ。


 冰遥は、はたと気づく。――もしかして。




 銅鑼の音が鳴り響く。

 初めの試験を受ける女人たちが舞う音楽が流れ始める。


 冰遥の番は、運良くも後ろから三番目の組である。他の女人と二人組で踊る、だけ知らされていた。


 時間はまだ、ある。


 間に合う。


 否、間に合わせる。



 悪意を持った正体は、もう絞られている。試験を受ける女人たちではないというのなら、残るはただ一人だけ。


 だけだ。


 もし彼女が誰かに危害を加えようとしていて……その妨害なのだとしたら。


 庖厨くりやで皿を割られていた時、彼女は言った。



『殺しに来たの』



 だがその殺意は冰遥に向いたものではなかった。


 その時は考えないようにしていた。――誰を、殺しに来たのか。


 冰遥の頭の中で、巻物がするりと紐を解く。ぱたぱたと素早く書が、開かれていく。


 点と点が繋がる。

 そして繋がり、一本の線となり、果てなく伸びていく――。



 冰遥は弾かれたように走り出した。制止の声も脇目にふらず、駆け出す冰遥の頭上に一羽の大きな影が並走する。


 黑々フェイフェイだ。


 冰遥はその影へと手に持った衣装を投げ、叫んだ。



「文琵の元へ!」



 黒い影が遠ざかっていく。


 お願い、と呟いた声が小さく掠れていた。


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《完結編始動》紅い花と天龍のこと モモニカココニカ @Naru-araki

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