祈りの魔王を継ぐ者:後編

 いつからだったでしょうか。

 世界には「勇者」の存在が囁かれるようになりました。


 生まれながらに強大な力を持った彼は、生まれたそのときから「勇者」になりました。

 聖なる力を持った彼は、多くの人、多くの国の援助を受けて、その力をさらに輝かせました。

 そして出向いたのは、闇の底、魔王の城。


 魔王は、かつては祈りの間だった広間で、彼を待ちました。

 魔王も彼を、勇者と認めていました。自分と同じ、力を持つもの。だからきっと「争いを終わらせる者」だと。


 しかし、負けるために彼を待っていたのではありません。

 負けてしまったのなら「人々が争わない世界」を守れません。

 だから魔王は、勇者を返り討ちにする気でいました。

 ところが。


「あなたは世界のために、魔王になったのですね」


 魔王の前にやってきた青年は、剣を抜くことも、魔法を構えることもなく。


「ここまでくる間に、あなたのことを調べました。あなたは、本当は魔王ではない。私と同じく力を持つ人間で、かつて『聖女』と呼ばれた人ですね」


 魔王は何も言えなくなってしまいました。

 勇者は続けます。


「――もうやめましょう。あなたは理想のために、心を殺しすぎた」


 ――魔王は泣き崩れてしまいました。

 自分の力により、人々は人間同士で争わなくなりました。

 けれども世界は、平和になったといえるのでしょうか。

 魔王が存在し、魔物がはびこるこの世界は、果たして平和といえるのでしょうか。

 いまもどこかで、悲鳴が上がっているというのに。


「わからないんです」


 魔王は泣きながら言います。


「私は世界のために正しいことをしているはずなのです。でも、間違っているとも、思えるのです」


 だって多くの人が苦しみ。

 だって多くの人が悲しみ。

 だって多くの人が亡くなっている。


「けれども、私が魔王をやめたとして、それで世界に真の平和が訪れるのですか? 私がいることで、人々は私という共通の敵を前に、手を組んでくれました。人々は争うことがなくなり、戦争もなくなりました。でもやめたのなら――」

「私が、魔王を引き継ぎましょう」


 勇者は涙をこぼす魔王の前に屈みました。


「五年。五年待ちましょう。魔王がいなくなり魔物もいなくなった世界で、五年の間に人々が人間同士で争い始めたのなら――今度は私が魔王になります」


 勇者の前にいるのは、ただの女でした。


「もう、魔王をやめて、聖女に戻っていいのです。そしてあなたはもう二度と、魔王にならなくていいのです」


 優しい勇者の言葉に、魔王は涙を拭います。そうしてようやく微笑むものの、


「いいえ、私は聖女には戻りません。魔王をやめたのなら――私はただの、罪人です」

「魔物を生み出し、世界を混乱に陥れたからですか? しかしあれは、あなたの祈りだった。あなたの愛だった。愛は、罪なのですか?」

「――魔王になる決意をするために、私は人を殺しました。親友と言うべき人を」


 魔王が勇者に差し出したのは、銀色のナイフ。祈りのためのナイフであり、過去に人の命を奪ったことのあるナイフでした。


「魔王をやめていいというのなら、どうか勇者様、私に断罪を」


 勇者はナイフを手に取りました。



 * * *



「どうか安らかに」


 胸を赤く染めた罪人の死体を横たえて、勇者は祈りを口にします。


「あなたとの約束は守ります。その証に、私はあなたを殺したという罪を背負います。この罪が、私の決意となり、私の道を断つのです」


 こうして、魔王はいなくなりました。

 魔王を根元としていた魔物達もいなくなりました。

 魔王城は白亜の神殿に戻り、そこにいるのは断罪に微笑みながら亡くなった女と、新たな罪人だけでした。


 世界に平和が訪れました。

 世界は平和に包まれました。

 世界は平和に飽和しました。

 世界は平和の意味を忘れました。


 魔王が消えて、五年も経たないうちに、小さな争いが起こりました。

 その争いは大きく膨れ、やがて人と人が争い、殺しあうような事態に発展しました。

 そういったことは、世界の各地で起こっていました。


「東の地方では盗賊が村を襲った」

「西の地方では王族同士の争いで裏切りや暗殺が耐えない」

「南の地方では殺人鬼が暴れ回っている」

「北の地方では民族同士でいがみあっている」


 ――かつて勇者と呼ばれた青年は、銀色のナイフを手に取りました。

 あの日、魔王と呼ばれた聖女を刺し殺した感覚を、思い出しながら。


 その日より、彼は魔王となりました。

 世界の平和のために。人々の争わない世界を祈って。



【祈りの魔王を継ぐ者 終】

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祈りの魔王を継ぐ者 ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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