視界の髪の毛

高黄森哉

髪の毛

「おーい、浅野ぉ」

「なんですか課長」


 課長の健の元に、浅野が駆け寄る。


「いや、ちょっと髪の毛ついてないかい」


 浅野は、けばい、とも取れる化粧の濃い顔でのぞき込んだ。しかし、堀が深く肌が黒い健の顔には、何もついていない。浅野のまん丸の目が、くるりちくりと動いた。


「いや、ついてませんけど」

「本当? よくみてよ、ほら、ここ」

「さあ」

「抜け毛かなぁ」


 健は眉をひそめる。浅野は、この一連の行動を、健のかまってちゃん、と解釈した。浅野は、きっとこのダンディは、若い私に興味があるに違いない、と考えたのだ。


「まあ、課長。課長の髪の毛なら、一本や二本抜けたくらいで、禿げませんから」

「川で泳いだのがいけなかったな」


 健は酔った勢いで、川を遊泳したのを思い出した。そこは遊泳禁止の看板が設置されていたはずである。


「川ではげるなんて聞いたことありません」

「気になるなあ、もっと近くでみてよ、浅野くぅん」

「課長~」


 浅野は、またがる勢いで身体を近づける。いろっぽいと思われる表情を、必死に演じるが、健には、眼を細めて髪の毛を、捜索してるようにしか見えなかった。


「ちゃんと探してるのかね、君。ほら」

「もっと近く、ですか?」

「違うぅ。違うの、浅野」

「ついてませんけど」


 冷めてしまった彼女は、すっと立ち上がる。この人は本当に、ただかまって欲しかっただけだったのだ。失望の色を見せた。


「逆さまつ毛かなあ」


 実は健は、浅野の推測通りではなく、本当に視界に髪の毛が写っていたのだ。眼球を眼窩で転がすが、視界の髪の毛はついてくるので、表面にくっついているのだろうとあたりをつける。そして、スマートフォンで眼を確認してみる。


「うーん」

「課長、自撮りですか?」

「表面について、ないなあ。あっ!!!!」

「ん? どうされたんですか、課長」


 課長は恐ろしい結論に思い至った。さーっと血の気が引いていく。


「表面じゃない。………… 中だ。中に居る」


 スマホで見ると、黒目の中心に、細い線が走っている。この線がピクリピクリ、と揺れた。当然、健の視界にも、その様子が写る。風景をたてに割る、鉛筆で引いたような直線が、体をくねらせる。健は、寄生虫を川で拾ってきてしまったのだ。

                  

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視界の髪の毛 高黄森哉 @kamikawa2001

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