第3話 宿敵だった友
更に3年が経ち。
「もう16年か、早かったな義郎」
「蒙古の襲来が時の経つのを早めてくれた様な、そんな気がします」
「早めてくれた?」
ふたりは互いが最初に出会った道を騎馬でゆっくり歩いていた。
「何か、早く時が過ぎて欲しいかのように感じるが」
「お気になさらず。深い意味はござらん」
時宗は馬を止め、沈みゆく夕日に目を細めた。
「お前と出会ってから、毎日感じていたことがあるのだ」
「なんですか?」
義経はほのかに微笑んでいた。
「俺たちは出会うべきして出会ったと」
「運命のような?」
「そう。赤い糸ではないが、絡んで解けない糸に繋がれた」
「殿もそうでござったか。某も同じ感情を抱いておりました。そして、その絡んだ糸の謎が解けた様な気が致します」
「謎が解けた?それ、聞いても良いか」
「いいえ」
義経は首を振った。
「なぜだ?」
「心の準備が必要でして」
「そうか」
「明日、そうですね。明日も天気が良さそうなので、少し遠出をしませぬか。由比ヶ浜まで」
翌日、出掛ける準備をする時宗の元に、妻の智恵がやってきた。
「何処に行かれるの?」
そう聞かれ、時宗は唇に人差し指を当てた。
「内緒だ」
「ここ最近、お身体の調子も良くない様ですし、春と申しましても、未だまだ冷えます。どうかゆっくり休まれては?」
「心配するな。少し風邪をひいただけだ。夕方までには帰る」
「殿様」
「ん?」
時宗は智恵に振り向いた。妻は悲しい顔をしている。
「どうしたのだ珍しい」
居間を出ようとしていた時宗は、妻の元へ歩いた。
「なんだか怖くて」
「なにが怖い?」
智恵は首を振った。
「わからないのです。ただ漠然とした不安が。もう二度と、貴方と会えないのではないかと」
「そんなことはない」
時宗は妻の髪を撫でてから部屋を出た。
由比ヶ浜に到着したのは昼前であった。ふたりは暫く馬で浜辺を走り、疲れた頃に砂浜に寝転んだ。
「覚えているか?」
「ええ?」
義経は時宗の方に顔を向けた。
「二回目の元軍襲来の前、其方がいったのだ。神風が吹くと」
「そんなこといいましたかね」
「一度目の戦で、多くの島民を無残に殺させてしまった学びから、防塁のみならず色々な策を講じたが、どうして不安が消えなかったのだ。そんな時に聞いた神風のひと言は、心に響いたな」
「殿」
義経は起き上がり、仰向けになる時宗を見た。
「神風など吹いておりませぬ。日ノ本が元軍を倒す事が出来たのは、全て殿の采配の賜物」
「そうか、しかしなあ義郎。戦いには勝ったが、いつまた三度目の襲来があるか。それに備え、御家人を九州の防備に動員しておるだろう。それはいいのだが」
いいながら、時宗も身体を起こした。
「戦いに勝利したにも関わらず、防衛戦争だったこともあり、新しく獲得した領地も賠償金も存在しない。御家人たちの間で不満が起きている」
「御恩と奉公ですね」
「え?」
時宗は、義経の顔を覗き込んだ。
「いやいや、気になさらず」
「ん、うん」
「とにかく、御家人としてみれば、御恩として給される土地がなければ、ただ働きだと同然。更に平時に置いても異国警固番役などの負担を強いられ不満が高じても不思議はありません」
時宗は何も答えなかった。ただ海を眺めている。
「殿、殿は立派にこの国を守り抜きました。しかしこのままでは御家人の不満は高まるばかり。何れ、内乱を招き兼ねませぬ」
「わかっておる。なんとかせねばならぬのだ。だからお前に相談しておる」
「殿、話しは少々逸れますが。これ、以前から気になっていたのですが、お痩せになられましたか?」
「ああ、気づいた?実は」
お前にだけ話そうと、時宗は笑顔を作った。
「もう1年になるかな。食欲が落ち、酒も飲めない。腹が張り、夜も良く眠れず」
「医者には?」
時宗は首を振った。
「なぜです」
「お前は、きっと理解してくれるだろう。人生の終わりは、目に見えるものなのだよ。年下の俺がいうのも何だがな」
「……」
「わかるよな義郎」
「某もその様な気が致します」
義経は立ち上がり、砂浜を海に向かって歩いた。袴の裾が濡れている。
「どうした」
時宗も後を追おうとしたが、義経は振り返り、片手を前に出して、彼を制した。
「ここ、由利ヶ浜って言うのですが、ご存じで?」
「無論、ここは地元の海だ」
「遠い昔、某の子は殺され、捨てられたのです。この海に」
「そうなのか……」
時宗は青白い顔をうつむけた。
「何かの話しに似ているとは思わないのですか?」
時宗は首を細かく立てに振った。
「昔、そういう話を聞いたことがある。しかし」
顔を上げた時宗は驚いた。義経の身体が薄く透けて見えたからだ。時宗は焦っていた。
「待て、待て義郎。聞いてはくれぬか。あの時は仕方がなかったのだ。静殿が懐妊していると聞いてからずっと、腹の子は、おなごであって欲しいと祈っていた……と聞いている」
「男児といっても、出家の道もあったのでは」
時宗は首を振り、声を荒げた。
「そんな甘い考えをしているから平家は滅んだのだ。源氏の嫡男である頼朝と義経を生かした事は間違いだったと、そう清盛公のみならず、平家一門は思ったであろう」
「まるで見て来たかのように話すのですね」
「そこら辺の話しは良く聞かされたから」
目眩がしたのか、時宗は手で顔を覆ってから、瞼をしばたたせた。
「九郎」
義経の身体の半分が完全に透明になり、海と同化していた。
「何と呼ばれましたか?」
「えっ」
時宗は視線を左右に動かし考え、そして口を押えた。
「もう隠すのは止めましょう。兄上」
時宗はその場に座り込み、咳をした。
「私はもうすぐ行きます。お察し下さい。その前にどうしても聞いておきたかった事があるのです。心残りがひとつ」
「わかった」
目を瞑り、時宗は納得した様に深くうなずいた。
「兄上はどうして、私にあんなに怒っていたのですか。私を毛嫌う梶原が、私が戦功を独り占めしようと多くの人を勝手に処罰していると嘘を風潮したからなのですか?」
「いや違う。梶原の言葉など信じていなかった。言い訳になるやも知れぬが、壇之浦の戦いの折、お前は平氏追悼を優先する余り、安徳天皇と三種の神器のうち、宝剣を失ってしまった。それがなんとも遣りきれず。しかも、朝廷に近寄りすぎたのだお前は。時に優秀すぎるお前の考えが理解できず、怖かったのかも知れぬ」
「……やはり、そうでしたか」
義経は微笑んでいた。淀みのない笑顔だった。
「なんで怒っているのか、ちゃんと教えてくれないので、随分と悩みましたよ兄上」
「許してくれるのか、いや許せる道理がない」
「許すも何も、某はもう消えます。首実検されたでしょう昔」
時宗が瞳を閉じると、涙が溢れ出た。
「いつから気づいていた?」
「つい最近のことです。最初は、兄上のお顔と時宗の顔が似ているのは親戚だからと思っておりましたが、良く考えたら血の繋がりはないのですね。それを思いつくのに時間が掛かりました。兄上はいつ?」
「自分が時を超えたと知ったのは、割と早い段階だった。お前が義経だと気づいたのは、最初に道で会った時だ」
義経は笑い出した。屈託のない少年の様な笑い声に、頼朝も和やかな顔つきになった。
「義経、なにゆえ、儂を殺さなかった?」
「兄上を殺すためにこの世に落とされた訳ではないと、そう思ったからです」
「時を超えたら、下剋上も狙えたのに?」
「ん?そういえば、そうでした」
義経は手のひらを拳で打ち、また笑った。この屈託のない笑顔を頼朝は好きだった。がゆえに、人に慕われ、能力のある義経を恐れたのかも知れない。
「あの、気になっていたのですが、本物の時宗殿は、まさか兄上が?」
「違う、違う。儂が落馬し、死の縁からこの世に戻された同時期に時宗公も落馬で亡くなった。しかし時宗公は谷から落ちてしまい、御遺体は見つからなかった。現状を理解できずその辺りに倒れていた某を、時宗公の家来の者が殿本人と勘違いして城に連れ帰ったのだ。どうやら顔が瓜二つみたいだ」
「そっか、運命の悪戯ですね兄上」
「運命の悪戯か」
「もう行きますね」
「どうしても行くのか。天はお前と儂に、もう一度だけ、兄弟の時間をくれたものだと思っていたのに」
「向こうの世では、私が来るのを首を長くして待っている者たちがおります」
「家来や、妻や子か?」
「はい、そうですね」
「おいおい、静御前ももう、あっちに着いているのではないか?」
「忘れておりました。ややこしいことです」
義経は首の後ろを叩いて渋面を作っていた。
「また会えるかのう?」
「…兄上と過ごした日々は、最高に愉しかった。忘れません」
義経は笑顔だったが、語尾のところで涙を見せた。
「来世で、また」
これが義経の最後の言葉だった。時宗はその日の午後、城内で倒れ、数日後に死亡した。のだが、亡骸は消えて無くなっていたという。
令和4年正月。
ある一家に、次男が誕生した。名前は義郎。兄の頼明は12歳。弟が産まれて来るのを指折り数えて待っていた。
「義郎、可愛いね。君の方が先に行ったのに、もう12年も待ったよ」
頼明はふっくらな弟の頬を指先でつつき、頬ずりをした。
もう二度と兄弟が殺し合う時代が来ないことを祈りつつ。
源義経が殺したかった鎌倉武士 藤原あみ @fujiwarami1999
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