せんすいかん公園のおもいで

地崎守 晶 

せんすいかん公園のおもいで

 あのころぼくはせんすいかんのキャプテンで、ぼくらはせんすいかんののりくみいんだった。

 

 『きょうもみんなとせんすいかんであそびました。きょうはカリブ海までいってみなみの島に上りくしました』

 拙い字で書き殴られた短い文の上に、色鉛筆で描かれた絵があった。緑色で塗りたくられたのはどうやら海らしい。海の中に黄色い筒のようなものがあり、あぶくらしい丸で縁取られていた。海の上空には赤い丸と何本かの放射状の線。太陽のつもりだろう。

「ねえパパ、せんすいかんって?」

もうすぐ五歳の誕生日を迎える息子が私の手元にあるぼろぼろの日記帳を覗きこんでいた。いつの間に近くにきていたのだろうか。大した遊び道具がないから、退屈しているのだろう。

 押入れの中身を整理していた手を止めてその小さな頭を撫でてやりながら、

「見てみたいか? 潜水艦」

 掌の下で、小さく頭が上下した。

「あなた、おでかけ?」

 階下に降りると母と台所に向かっていた妻が声を掛けてきたので軽い口調で、

「ちょっと潜水艦を見てくるよ」

「はい?」

 目を丸くしている妻の後ろで母がうっすら笑っていた。

 息子の手を引いて外に出ると、港から漂う潮風の生臭さが鼻についた。

 実家から歩くこと五分。小さな公園の敷地のなかに、昔と変わらずそこに潜水艦が横たわっている。

 黄色のペンキが塗られた大きな土管の側面に窓のような丸い穴が開き、上のほうには潜望鏡やハッチの形をしたものもある。

 二十年ぶりの再会だろうか。日記を見るまで、忘れていた。

「これが、パパが友達と遊んだ潜水艦だよ」

 わあ、と声をあげ、繋いでいた手を解いて息子が駆け寄った窓から中を覗く。脇についている梯子で上に昇る。降りてくると今度は中に飛び込んで乗組員になりきる。

息子の遊ぶ姿に、昔一緒に遊んだ友人達を思い出さずにはいられなかった。無邪気な歓声が耳に蘇る。潮騒の音が、古びた思い出に色を着けた。


「とりかじいっぱい!」

 とりかじよし!

「せんぼうきょうようい!」

 りょうかい!

 キャプテン、むじんとうがみえます!

「みんな、むじんとうに上りくするぞ!」

 この島にはフルーツがたくさんあるぞ!

「よーし、たくさんあつめるんだ! フルーツをきょうのおやつにする!」

 

 そのときは、それぞれの家からオレンジジュースやお菓子を持ち寄って騒ぎながら食べたのだったか。

あの頃私は、一日のほとんどの時間をこの潜水艦で過ごしていたような気がする。乗組員になった幼い子供達はどこへでも行けた。太平洋、インド洋、大西洋、カリブ海、マリアナ海溝。名前しか知らない大海原、想像でしかない深海。毎日、小さな公園の中で大冒険が繰り広げられた。小さな体には大海への憧れと希望がいっぱいに詰まっていた。

やがて黄色い潜水艦の冒険にも終わりが訪れる。大きくなった乗組員は去って行った。当然のことだ。潜水艦はいつまでも潜ってはいられないし、いつかは港に戻らなければならない。それに、みんな気付いてしまったのだ。潜水艦が多少装飾を加えられただけの土管に戻ってしまったことに。けれど私は、誰もいない潜水艦の中で彼らが来ないか、しばらく待っていた。

 友達が来なくなった潜水艦を後にして、大きくなり、都心の大学に進み、就職し、妻と出会い、子供が生まれ。今また、この遊具の前に立っている。平凡な人生だが結構満足している。それを、かつてひみつきちでもあったこの場所に報告したい気持ちもあったかも知れない。

「パパ!」

 息子が潜水艦から顔を出して小さな手を一杯に振っていた。

 手を振り返しながら、黄色いペンキが新しく塗り直されていることに気付いた。どうやらこの潜水艦、まだ現役のようだ。きっと元気いっぱいの小さな乗組員に恵まれているのだろう。私も負けていられない。

 息子に向けた笑みが深くなるのを感じた。


 その晩、夢を見た。

 雲一つない青い空。波の音とカモメの鳴き声が聞こえる。

 エメラルドのような緑色に輝く一面の大海原が広がり、水平線は緩やかに湾曲している。

 白い波を立ててゆっくりと浮かび上がってきたのは、南国の太陽をたっぷり浴びてぴかぴか光る黄色の潜水艦だ。ぼくらのせんすいかんだ。懐かしい誰かの声が聞こえた。

 ハッチが開いて人影が現れる。息子だ。まだ小さいのに一人前に海兵服なんぞ着込んでいる。双眼鏡を取り出し、水平線のあたりを見つめているようだ。ハッチの中からは楽しそうないくつもの声。

仲間に呼ばれたのだろう、彼はいそいそと潜水艦の中に戻り、ハッチを閉じた。白い泡を盛大に立てながら黄色い船体が沈んでいく。これからどこへ向かうのだろう。幼い私が行ったよりも遥かな遠くへ、冒険に向かうに違いない。

 やがて完全に潜水艦の黄色が緑の水面に隠れて見えなくなるまで、私は手を振っていた。

 さようなら、ぼくらのせんすいかん。

 そしていってらっしゃい。小さなキャプテンさん。




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せんすいかん公園のおもいで 地崎守 晶  @kararu11

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