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挫折と葛藤の連続

どうも。皆さん、こんにちは。覚えてますか……? 醍醐潤でございます。本当にお久しぶりです。


今回は、晴れて高校を卒業、そして、僕の進路が決定したということで、そのご報告とまたちょっといい機会ですので、僕が高校3年間であまり公にしてこなかったことなどをちょっと語っていきたいなと思っております。


で、すみません。今回、かなり長くなると思います……。はい。いつも長くても大体1000文字とかぐらいに収まるようにやってきたんですが、間違いなく超えます。ただ、それぐらいの文量を使ってでも読者の皆さんに伝えておきたい僕の思いとか歩んできた道のりがございます。よろしければ、最後までご覧になっていただけたらなと思います。



で、さっそく300文字を使ってしまいましたが笑 最初に、進路のことについてお伝えしておきます。



僕は4月から大学に進学することになりました。京都にある私立大学で、これから4年間、法学部に所属して学びを探求していくことになります。


まあ、この大学受験というのも紆余曲折、色々ありまして。それら含めて、今からちょっと書いていこうと思います。



で、最初は高校1年生のところから始めますが、初っ端から結構暗黒でした笑 はい笑


第一志望の高校に落ちて、併願受験していた、いわゆる「滑り止め」の学校に通うことになり、ため息が出続ける毎日でした。まさか自分が行くことになるとは思いもしていなかったので、憂鬱な思いで新しい制服に腕を通し、入学式に参加しました。


第一志望の高校に入ったら何をしたかったのかといえば、文芸部に入部したかったんです。その高校の文芸部はしっかり活動していて、毎年県高文連のコンクールで部員が入賞しているなど輝かしい功績があったので、一員になってもっと創作を極めたいなと。「部活で学校を選ぶもんじゃない!」とか言われそうですが、実際、それが当時高校受験するうえでのモチベーションだったので。


僕が通った高校にも文芸部はありましたが、そこは前者とは対照的で、全くと言っていいほど活動しておらず、集まっても各々が宿題やゲームをしたり、好きな時間に来て好きな時間に帰る(もちろん、無断欠勤しても誰も文句は言わないそう……)。そんな内部事情を部活見学の際に知りまして笑 ここで3年間過ごすのはな……、と思って入部することは止め、しばらく色んな部活見学を繰り返す日々を続けました。1カ月強ほどそんなことを続け、5月の終わり頃にようやく所属先を決めました。それが、放送部でした。


放送部に入部した理由は、お昼の放送がやりたかったからなんですね笑 今、そこそこ知名度が上がってこられた、もののけさんという方のYouTubeの動画『深夜のラジオを聴き続けて放送委員になった奴』というコント動画が大好きで、「こんなことやってみたいな」というあんまり真面目じゃない理由です笑笑


ただ、この決断は今振り返って、非常にいい選択だったなと思います。放送部はお昼の放送や体育祭の実況だけでなく、校外にも積極的に出て行く部活で、大会に出す番組制作のために、個人や企業、あるいは役所などにアポを自分たちで取って、実際にお会いしてインタビューをする、というようなことをやっていましたので、自然と視野が広がりました。


もちろん、時にやらかしたり、時に顧問と喧嘩するみたいこともありましたが、それでも非常に楽しくて、入部してから5カ月後には県大会で入賞して、翌夏の鹿児島聡文への切符を掴むことになりました。


しかし、そんな嬉しい結果に胸がいっぱいになった晩、事件が起きました。


僕の母型の祖父が他界しました。


普段、「じいじ」と呼んでいましたが、僕に無償の愛を注ぎ、そして、困っている人がいたら助けることを身をもって教えてくれた、本当に言葉通り優しい人でした。幼少期にはよく一緒に色んな場所に出かけて、それがきっかけで鉄道ファンになるなど、人生に多大なる影響も与えてくれました。小説も実はそうで、最初は公にせず、ただの趣味に留めようと思っていたのを、原稿を読んだ祖父が「出版社に見せてみたら?」提案してくれたのをきっかけに、自分の将来の夢にしようと決めたもので。


喪失感は大きくて、しばらく毎日のように写真を見たり、故人を思い出すたびに泣いていました。


さらに追い打ちをかけるように、そのちょうど2カ月後には父型の祖父も亡くなってしまい、おじいちゃん子だった僕の心の支えであった人はどちらも永遠に会えなくなってしまいました。


その年の3月には、僕が小説を書くきっかけとなった本を執筆され、憧れの存在だった西村京太郎先生も鬼籍に入られるなど、この年は本当に辛いことが多かったです。



年が明け、目まぐるしく忙しい日々の後、3学期を終えて、2年生に進級しました。学校生活などにかなり慣れ、部活や私生活でも自由奔放に色々やっていた中で、とあるお知らせが目に飛び込んできました。それが、カクヨム甲子園2023です。


カクヨムに登録したのは、実は中学2年生の冬の時で、高校に進学する前から存在を知っていたので、もちろん前年度の回にも応募しました。しかし、中間選考に通ることもなく落選。ここで、他の同年代の人たちの凄さをはっきりと思い知らされたんですね。小学生の頃から書いてきたとはいえ、周りに同じように執筆している人がいたかといえばそうではなく、他人と比べて自分がどれほどの力があるのか全く知りませんでした。唯一、中学2年生の時に応募した短編小説が、集英社の新人賞に名前が載ったことぐらいで、「ある程度の力はあるんだろうな」とは考えていましたが、正直、舐めていたところはありました……笑


サイトを見て、「どんな作品を書こうか」と色々考える中で、湧いてきたのは、「負けたくない」ということでした。


前回は一切、箸にも棒にもかからず、数々の作品の中に埋もれてしまった。2年連続で同じような結果はどうしても避けたい。じゃあ、いい作品を書けばいい。でも、それはどんな作品だ? 小説を書く上で色んなアンテナを貼ったりしてきた。でも、カク甲で最終選考を含めて上位に載った人は、現実、自分よりも勝っている。カク甲だけじゃない、全世代を対象とした公募賞を受賞し、作家デビューするための実力が今の自分にはないではないか……。


色々と悩んだ末、人に相談してみようか、ということになりました。そして、「小説を書くためには何をすればいいか」という悩みや疑問を鈴木輝一郎すずききいちろう先生という方にお伺いしました。


鈴木輝一郎先生は、岐阜県在住の作家で、歴史小説や推理小説などを執筆し、日本推理作家協会賞を受賞された経験がある方です。御自身が講師を務める小説講座も開設されていて、多くの受講生の方がプロデビューされています。


YouTubeでラジオ形式の動画を制作されていて、そこでお便りを募集されているということで、早速Googleフォームに投稿しました。


後日、動画を制作して下さり、そこで色々と仰っていただいたのですが、結論として、


「勉強をちゃんとやっておこう」


ということを教えていただきました。


僕が勉強を全くしていない、あるいは出来ないからという意味ではなくて、「本業をちゃんとしよう」という意味です。本業をちゃんとやっていれば、まだ趣味の段階である執筆活動をしていても、周囲からの理解を得られ、協力してもらえるようになる、と。


また、学生なので、小説を書く大人と比べて経験等が圧倒的に不足しているので、本を沢山読むことも大切だと仰っていただきました。特に、「役立つ本」よりも「感動する本」を読んだ本がいいということを教えていただきました。


※ その他、丁寧にお答えいただきました。厚く御礼申し上げます。


※ 動画タイトル『小説を書くためにはまず学校の勉強【鈴木輝一郎の小説書き方講座ラジオ】 2023年6月17日』


学校の勉強はそこそこやって来て、これまで特段悪い成績を取ったことはありませんでしたが、それでも「とりあえず、平均点ぐらい取れるようにすればいいか」と甘く考えていたところがありました。よく考えれば、それは本業を疎かにする一歩手前で、そこからは心を入れ替えて励むようにしました。


そして、忙しい中で時間を見つけては取材やプロット作り、執筆、そして推敲を繰り返して、Nコン(NHK杯全国高校放送コンテスト)全国大会前に完成させたのが、『14.1キロの追憶』でした。


この作品は完全に僕自身がベースとなっています。小説のアイデアを挙げていく中で、ふと、自分自身の原点に立ち返ってみようと思い、これまでの人生を辿ってみました。その結果、鉄道が好きなこと、そして、週末に祖父と一緒に出かけた際に祖父母の自宅の最寄駅からJRに乗り換える駅まで必ず乗った京阪電鉄けいはんでんてつ石山坂本線いしやまさかもとせんでの数多くの思い出に到達したんですね。これまで、自分の経験から執筆することはなかったので、僕にとっては新たな試みでしたが、大好きだった祖父も関わっているので、詰めに詰めて公開しました。


この作品は非常に多くの反響を有難くもいただきました。レビュー数も自己記録最多となりましたし、PVもそこまでかからず1000を超えたと記憶しています。何よりカク甲2023の中間選考突破できたことは、前年の雪辱を少しでも果たせたという意味で良かったと思います。


その後の最終選考には残れず、大賞を含む受賞は出来ませんでしたが、確かに手応えは感じていました。次がラストイヤーだから、さらに力を入れて『14.1キロ』を超える作品を書いて受賞するぞ、と意気込みました。



カクヨム甲子園がラストイヤーということは、部活もラストイヤーとなるわけで。2023年12月中旬、ちょうどカク甲の最終結果が公表されたのと同じ頃、僕は顧問から個別に呼ばれていました。また夏に開催されるNコンへの参加をどうするのか、ということでした。


Nコンには、読み部門と番組部門という2種類の大きな括りがあって、その中に、読みなら「アナウンス」「朗読」の部門、番組なら「テレビ」「ラジオ(※音声作品)」のそれぞれに、「ドキュメント」「ドラマ」の部門があるという感じなんですね。


※1人1部門のみではなく、別部門にも参加可。(※ただし、『アナウンス』と『朗読』、『テレビドラマ』と『テレビドキュメント』といったような場合は不可)


前年度(2023年度)は、「校内放送研究」というまた別の部門に僕は参加していました。少しややこしいと思いますが、この部門が穴場でして。あまり、というか、全く競合相手がなく、審査らしい審査もなしに地区大会を突破して全国大会に行けてしまうという(※僕の学校のある県はそうでした)感じでして。パワーポイントと原稿作成して発表、という労力的にも負担が少なかったです。


なので、「今年も『朗読』と『校内放送研究』でいきたいです」と面談の際に伝えました。ただ、そこで顧問の先生からは「創作ラジオドラマ班に来ないか」、そんな誘いを受けました。


僕の所属した放送部は、2年連続でラジオドラマ部門で入賞を果たしていて、その年は全国トップ10入りするなどしていました。


3年連続入賞という期待がかかっていた状況下。もちろん放送部に関係する全員も「取れたらいいね」と思っていました。そしたら、白羽の矢を刺されてしまったんですね。


で、その理由が意外なことに、カクヨム甲子園でした。どうやら、カク甲の中間選考突破したことを先輩方や同期とかに報告したのを聞いていたらしく、「なんか載ったんでしょ? やってみるか?」と。正直、びっくりはしましたが笑 ただ、よくよく思えば、顧問から直々に誘われることはそんなにないよな、と思い、「じゃあ、やります」答えて、最後の夏に向けて僕はラジオドラマを制作することになりました。


4人の制作班が結成され、いよいよ約半年後の大会本番へ向けて始動しました。所属が決まった際、僕は「ある目標」を掲げました。


それが、「Nコン全国大会でTOP3に入ること」。


Nコン決勝は、大晦日の紅白歌合戦でお馴染みのNHKホールで開催されます。しかし、番組部門の場合、そこで流されるのは、1部門につき、3つまで。ラジオドラマ部門の場合、地区大会を突破した合計100作品以上が全国大会初戦の準々決勝に進みます。またそこで、ふるいにかけられ、準決勝には20作品が。そして、準決勝まで上がった作品の中からさらに3作品に絞られて、NHKホールで放映された後、優勝などが決定されます。


昨年までは、「放映」という、舞台の前まで行けるチケットは得ることができた。3年目となる今年は、そのチケットだけでなく、舞台に行けるチケットを得たい。そして、叶うのなら優勝カップを地元へ持って帰って、自分たちの名誉だけではなく、地元としての名誉にもしたい。


上記のようなラストイヤーにかける僕の思いを、みんなにも明かし、「全国の高校生を爆笑させる作品を作ろう!」一致団結して制作活動をスタートさせました。


活動開始から30日ほどして、僕の提出した案でプロジェクトを進行することになりました。余談ですが、ドラマのプロットに関してかなり厳しいことで有名な顧問が、僕のプロットに目を通した瞬間、瞳の色が変わりまして笑 「いいよ!いいよ!」と思っていた以上に高評価をもらいました。


本格的にドラマ作りに入ると、原案、脚本、さらに演技指導や監督、と有難いことに幅広い役割を担わせてもらえました。それなりに順調なスピードで完成に至ると、いよいよ、第一の関門の地区大会当日を迎えました。


地区大会ごとによりますが、僕らの場合、ラジオドラマ部門で全国大会に行こうと思うと、優勝と準優勝、つまり上位2作品の中に入らなければなりません。あんなに意気込んで始めたのに、ここで終わることだけは絶対に避けたい。本当はどこか不安だと感じている気持ちを隠して、審査結果を待ったのをよく覚えています。


すべての部門の発表が終わり、NHKのアナウンサーによる講評の末、審査結果が発表されました。



制作したラジオドラマは、優勝しました。



「優勝」の言葉を聞いた瞬間、僕は思わず涙を流してしまいました。自分の作品が評価されたこと、全国に行けないかもしれないという不安が杞憂であってくれたこと、なにより、信頼してくれたメンバーを地区大会止まりにせずに済んだこと……。色んな思いが込み上げてきて、泣きました。


大会終了後、僕は祖父母宅を訪ねました。線香をあげ、優しい笑みを浮かべる祖父の遺影に手を合わせ、優勝を報告しました。没後1年半を経て、自分が続けてきた創作でようやく良い報告ができた。でも、本当は生きている間にそれをしたかった……。嬉しい気持ちと寂しい気持ちになって、遺影を前にまた泣いてしまいました。


全国大会開幕までの1ヶ月間、勝って兜の緒を締めよ、僕らは寄り良い作品にするため、細かい修正を重ね、ついに全国大会初戦を迎えました。準々決勝では、先ほども書いたように計100作品以上が集結し、激しい争いとなりました。ここでも、有難いことに勝ち上がり、準決勝20作品の中に入りました。3年連続の入賞は確定しました。


いよいよここまで来た。昨年度と同じ門の前へ行ける切符はもらえた。あと、もう一歩……。NHKホールのステージ上のスクリーンを祈りながら見つめ、準決勝の審査結果を聞きました。



が、上位3作品の中に、僕たちのラジオドラマは入っていませんでした。



結果は制作奨励賞受賞。順位は17位。前回大会より11位ダウンという結果になりました。上位3作品入りどころか、先輩たちが作った前作をも超えることは出来ませんでした。「うわー……」「まじか……」結果にため息をつき、顔を険しくする。「悔しい」という言葉さえも言えない。腕を組んでホールの高い高い天井を仰ぎました。


個人の複雑な感情を他所に、大会はどんどん進行していきましたが、かなり苦しかったです。上位3作品は、前日の準決勝の際に「これ、面白いな」と思っていた作品たちで、それらが、NHKホール中を爆笑や驚きの声で包む度に、胸を痛くしました。


なにより、一緒にやってきたメンバーに対して本当に申し訳なく思いました。創作の経験があるからと、信頼してくれて、時には「大丈夫」と言ってくれたみんなに対して、自分が勝手に掲げた夢は叶えられず、それによって、もっといい景色を見せてあげられず、すごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


夏は、終わりました。


東京駅より乗り込んだ新幹線の車窓から東京タワーやビル群を見て、形容し難いぐらい暗い感情を抱き、「東京なんか嫌いだ」睨みつけていました。



そこから、始まったのは、暗黒の日々でした。


放送部を引退してからの夏休みをすべて捧げて出願したAO入試は、書類選考の段階で呆気なく落とされ、公募推薦入試という大学入試は不合格に。そして、昨年の『14.1キロの追憶』超えをしようと忙しい中で何とか書き上げた『おくりもの』は、カクヨム甲子園2024で、中間選考を突破せず落選。


立て続けに不本意な結果が続いて、完全に打ちのめされて。本当に嫌で嫌で。自分の得意な分野、創作もそう、プレゼンテーションみたいな何かアピールしたりすることも好きだけど、そこで全然評価されなくて。何やってるんだろなって。でも、まぁ、俺の人生のことだしこういうもんだろ、結局いつも、他の誰かが選ばれて、自分はその横とか離れたところで見てるだけ。諦めたいけど、胸は苦しくて。1人で泣いて。この状況を誰かのせいにもしてみたかった。でも、誰のせいにも出来なくて。また1人で泣く……。


このまま、果たして大学生になれるのかなと将来への不安を抱えながら、受験勉強をしていた頃、顧問から1つの連絡を受けました。


「ラジオに出ませんか?」


関西でも有名な地元のFMラジオで、放送部が1時間に及ぶ特番を放送する話がきていて、そこに後輩である現役部員たちと混ざって出演しないかという連絡でした。


この時、共通テストまで残り1ヶ月、しかも、最終の共テ模試ではガタンと判定が落ちて母に激詰めされるという相変わらず最悪な状態でした。が、ラジオ局に行くなんてことは、これから先滅多にないし、それにリスナーだった番組のパーソナリティの方とも会える。せっかく巡ってきたチャンスは掴める時に掴んでおいた方がいい。そう思って、カクヨム甲子園の最終結果が公表されたのと同じ日にラジオ局へお伺いし、収録しました。


年が明けて2週間後。特番放送日になりました。録音放送なので、リスナーさんからのお便りをもらうことはなかったのですが、その代わりに、数日後、番組で御一緒したパーソナリティの方がレギュラーで出演されている生放送番組内で特番のことを取り上げて下さいました。


そこでなんと、番組を聴いて下さっていたという方たちからのお便りが何通か紹介されました。


特番では、僕らが制作したラジオドラマも放送されていたのですが、お便りを送って下さったリスナーの方々からは、そのラジオドラマについて、「本当によかったです」「ほんまに高校生!? ってなるぐらいクオリティが高かったです」などの感想が寄せられていました。


正直、救われたと思いました。


僕はラジオドラマのことが好きになれなくなっていました。しかし、顔も名前も知らない誰かに「面白い」とか「すごい」と感じてもらえたことがすごく嬉しかった。たしかに結果は上手くいかなかったけれど、でも、確実に、聴いてくれている人の元に届いていて、それはあの夏の大会の時もきっとそうだったんじゃないか。ようやく、自分のことを素直に褒められるようになりました。


結局、受験自体も拗れまくって、ようやく最後の最後に決まるという感じでしたが、なんとか受かりました。


本当にヤバかったんですよね。前期色々受けたのにことごとく不合格。滑り止め1つしか受からなかったという……。学校中の先生から大変心配されましたね……。もちろん、親にも「大丈夫なんか」と……。


精神的にもかなりキツかったですが、そういう試練を乗り越える、というのも貴重な経験だったかなと思います。無事に第一志望校に受かりましたしね。ただもう、、やりたくないですが。



最後に、これからの僕の夢であったり、やりたいことを書きたいと思います。すみません。もう少しで終わりますので、お付き合いくださいm(_ _)m


僕は前々から、というより、このカクヨムに小説を掲載している時点で皆さんご存知かと思いますが、僕の将来の夢は作家です。それも、吉川英治賞や直木賞などを受賞し、作品がメディア化もされるというです。


かなり、壮大です笑


そして、壮大な夢だけじゃなくて、もっとあるんです笑 ラジオパーソナリティに、鉄道会社の企画・広報部門の社員、司法書士などの法律関係、そして書店員。職業以外なら、在来線で日本縦断、長距離フェリー乗船などなど……笑(※これ以上書くと大変なことになるので割愛)


とにかくやりたいことがたくさんあります。今の時点でこんな感じですから、絶対大学に入れば増えます笑 


正直、実現しないことが多いでしょう。今まで以上に傷付くことも増えるはずです。それでも、ある程度自由が許されている今だからこそ、追い求められることだと思っています。全力でやってみて、自分自身が少しでも豊かになるように。それを死ぬ前に振り返って、「いい人生だった」と思えるように。これが、僕の本当の最終目標です。


ここまでバーっと書いてきましたが、以上です! 自分自身でもこんなに長くなるとは思いませんでした笑 本当にすみません💦



そして、お知らせです!



このブログに関しては、この回をもって終了とさせていただきます。長きにわたってご覧いただき本当にありがとうございました。



続編となる大学生版に関しては、まだやるかどうか決めていませんが、僕の旅行の様子は、これからは「note」の方で、写真を交えて掲載していこうかなと思っています。よろしければ、そちらの方もチェックして頂けるとありがたいです。



改めて、ここまでご覧いただきありがとうございました。読者であるあなたからのハートマークやコメントが、何より僕を支えてくれました。



これからも、醍醐潤をよろしくお願いします。


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醍醐潤オフィシャルブログ in カクヨム〜つれづれなるまま今日もをかし〜 醍醐潤 @Daigozyun

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