団地ロケット

飯田太朗

親団地を目指して

 窓の外に「あんず六号」を確認した。調べてみると五十年前に役目を終え地球の周回軌道から離れた人工衛星らしい。あんず六号がどれだけの速さで宇宙の彼方へと消えていったのか、俺には想像もつかないが、しかし随分遠いところまできたものだなぁと思う。

 宇宙に流れて早二年七カ月。一年を過ぎた辺りで地球からどれくらい離れたのかを計算するのをやめた。まぁ、今でもその気になれば計算はできる。何なら各部屋付属のコンピューターに計算させることさえできるが、しない。些末な問題だからだ。自分がどこまで来たか、なんていうことは。

 と、チャイムのような音が鳴ってアナウンスが入った。俺は耳を澄ませる。

〈本日の回転角度は基準機より七度、回転数は七/秒です〉

 そうかそうか。基準機より七度じゃ比較的落ち着いてるな。ほとんど縦回転だ。まぁしかし、毎秒七回の回転じゃほとんど洗濯機だろうな(洗濯機の回転速度なんて知らないが、まぁ経験上)。一応家具や物を固定しておくか。

 せっせと荷造り(俺は勝手にそう呼んでいる。実際に引っ越したりするわけではないのだが、荷物を紐で縛るのが引っ越しみたいだからだ)を済ませながら俺は考えた。地球を旅立つ時。俺は胸を躍らせた。これから宇宙の果ての「親団地」へ向かう。親団地に行って何をするのかなんてことは考えてない。軽く言えば、放課後に友達の家に遊びに行くようなものだ。

 日常の延長線上にある非日常。友達の家というのはそういうものだろう。放課後という魔の時間で、その「日常と非日常の境界線」へと赴く。あの時の気持ちに近いものを俺は団地ロケットに感じていた。

 ……団地ロケットの説明がまだだった。俺が魔界のような魅力を感じたこの計画について、少し長くなるが説明しよう。



 去ること五年前。未曽有のウィルス騒ぎが起こった。それは今までのウィルス騒ぎ……例えば中国で生まれた新しい肺炎だとか、何百年に一度大流行する風邪だとか、そういうレベルではなかった。

 クマサカ彗星。正式な名称ではないらしいが民間人の間ではそう呼ばれている。

 高名な天文学者でも全く予測していなかった謎の彗星が地球に接近したのだ。その存在が認知されたのは地球接近の僅か二年前。突如として太陽系に現れたその彗星は急速に地球に接近。そしてそのことを認知したのは国営の観測所や宇宙研究機関じゃない。民間の天文台だった。

 このことが事態を悪くした。多くの人間が「見間違いだ」としたのだ。事実オフィシャルな観測台はクマサカ彗星についての発表があった時「誤報だ」と主張。「そんなものはこちらからは影も形も見えない」としていた。

 しかし彗星がかなりの距離に近づいた頃になって、地球上の様々な民間観測所でもその彗星の姿を確認できるようになった。何かおかしい。そう判断した人間たちが抗議のメッセージを全世界に発信すると、さすがに看過できなかったのだろう。各国政府もクマサカ彗星について認めるようになった。しかしその頃にはもう、遅かった。

 クマサカ彗星には未知のウィルスが付着していたのである。

 そのことは火星の表面に変化があったことから分かっていた。火星にくっつけられていた観測機「ホークアックス」に搭載された人工知能が、火星表面に棲息していた苔の生態系が変化したことを報告してきたのだ。

 まず、多くの苔たちが枯れた。だがその変化は一時的なもので、やがて苔たちは急速に「触手」と呼ばれる突起物を発達させ、盛んに胞子を飛ばすようになったのだ。

 本来、火星表面に胞子を広げるだけならそれほど立派な触手を伸ばす必要はない。地表で小さく花を咲かせて胞子を撒く程度で事足りる。しかし「触手」は明らかに異常だった。二メートル近い長さを誇り、天に向かって……文字通り、宇宙という天に向かって、スプレーのような胞子を吹きつけるようになったのである。

 この変化がクマサカ彗星に付着していたウィルスによるものだということは「ホークアックス」の人工知能が診断していた。そして苔の遺伝子を操作したと思しきウィルスは既存のウィルスのどのパターンにも合致しない。生命に多大な変化を及ぼす可能性がある。

 地球にクマサカ彗星が接近していた。このままでは地球にクマサカ彗星のウィルス(後にイグゾノフォーラと名付けられた)が散布されるのは避けられない。

 果たしてイグゾノフォーラは地球を支配した。それは人々の巨大化という病相を示した。

 感染者は成長ホルモンが分泌される脳下垂体のブロック機能が破壊され、永遠に成長ホルモンを分泌し続けるようになる。感染者はこれまで確認された最長の長さで十年連続、どんなに短くても半年間、眠り続ける。そして眠っている間はぐんぐんと末端の組織が発達するのだ。足、手、ひいてはその指、毛髪、頭頂部、男性は生殖器なども、どんどん発達していく。

 そうして巨人化した人間たちには重度の知的障害が見られるようになった。ただどの患者も一貫して高いところに上りたがった。それは人間というより、霊長類……例えばオランウータンになってしまったかのような変化だった。高いところに上った奴らは例外なく落下して死んだ。飛び降りるのだ。

 必然死体は大きく損壊する。おまけにウィルス持ちの死体が飛散するのだ。感染危険度が高まる。政府は感染者を隔離し、その生死に関わらず接触を一切禁止した。かくして「健常者」と「障害者」が生まれた。

 対策が急がれた。しかし地上でいくらウィルス対策をしたところで、地球に接近したクマサカ彗星は排除しようがなかった。それは地球の周回軌道に僅かに乗っかり、永続的にとは言わなくとも数百年単位で地球の周りを回り続けることが分かっていた。

 するとある学者が提言した。クマサカ彗星を調べれば、ウィルスに対する策も見つかるのではないか。

 果たしてクマサカ彗星への接近計画が練られた。しかしその計画は困難を極めた。そもそも地球との位置関係が固定された月に行くのでさえかなりの問題をクリアしなければならなかったのだ。離れたり近づいたりを繰り返している彗星へのアプローチなどどれだけ困難か分かるだろう。

 人類は全力を注いだ。それは、そう、経済活動や文化活動、果てはロケット開発に関係するものじゃなければ教育にも無駄が一切排除されるほどのレベルで熱烈に……力をかけた。やがて人々は車を運転できても車の中身を知らない人に、電子レンジを使えても電子レンジの中身を知らない人に、なっていった。

 しかし計画は人類の執念とも呼べるもので一度は結実した。我々が今「親団地」と呼んでいるロケットがクマサカ彗星に不時着したのである。

 親団地は搭載された高性能コンピューターにて彗星表面の生態系を把握。イグゾノフォーラへの抗体を持つ新種の虫(回虫の一種でかなりの小型)を捕獲し、その体液から「昆虫の血清」とも呼べる薬品データを採取した……しかし、データだった。

 この頃クマサカ彗星は地球の周回軌道を離れ徐々に宇宙の彼方へ消えてしまいそうになっていた。そうして恐れていたことが起こった。血清データを保存した親団地がクマサカ彗星から帰れなくなってしまったのである。

 データさえ送信してしまえば職員たちは尊い犠牲だと考える案もあった。何とか手を尽くして親団地を帰還させようという根性論もあった。しかしそのいずれも無意味だった。データの転送を行うにはクマサカ彗星は離れすぎていた。仮に光の速度で通信をしても(そして人類にそんな速度を出すことは不可能なのだが)数年かかる。その間に地球上で爆発的に増えるであろう患者数はもはや人類の過半数を占めてしまうだろうという予測があった。また根性論も無意味だった。光の速度で数年かかる距離まで行ってしまったのだ。普通の手段ではとてもじゃないが帰還できない。

 イグゾノフォーラへの研究が長期化することを見越して、親団地には数十年間生活できるだけの物資が積まれていた。このことが功を奏し、親団地の職員はしばらくの間彗星上で過ごすことが可能だったが……しかし相手は何光年という単位を使わなければならないような、広大すぎる宇宙空間なのだ。このままどんどん離れていってしまえば、数十年という猶予さえ……瞬くまでしかない。

 策はひとつ。親団地に追加の動力を与え、それを用いて帰還するより他ない。

 かくして親団地回収ミッションが発生した。各国の研究機関はこのミッションに専念したが、着手から五年後。地球上のウィルス対策、それに関連する国民の管理統制、それらに並行してロケット開発をしていた各国政府は音を上げた。

「民間の宇宙開発関係者でも構わない。今すぐロケットを開発して親団地の回収を行ってくれ」

 各国各地で親団地回収計画が一気に立ち上がった。この頃、親団地開発の知見が公開されたこともあり、民間の宇宙開発能力は大幅な発展を見せていた……つまり、民間人による親団地回収ミッションも、決して不可能な話ではなかったのである。

 人々の間に野望が生まれた。我こそが親団地回収ミッションの成功者になる。そしてそう、そんな夢追い人の中には……俺がいた。



「訓練。訓練。親団地回収プランλ-D-109983の訓練を開始します。訓練。訓練……」

 回収プランの番号は一千万単位でギリシャ文字が一桁上がり、百万単位でアルファベットが一桁上がり、十万単位まではミッションの通算が数字で表される。すなわち、「親団地回収プランλ-D-109983」とは十一億四百十万九千九百八十三回目の施行であるということである。当然ながら俺の人生をかけてもそんな回数はこなせない。

 親団地回収ミッションには既に多くの「子団地」が関与していた。この十年で何機飛んだのか、オフィシャルな数字は知らないが……しかし各ロケットが親団地の回収に挑んだ回数は記録として保管され、後続ロケットに搭載されたどのコンピューターにも認識できるようにされていた。すなわち、先輩ロケットたちの施行数が後輩ロケットには分かるようになっているのである。

 つまり十億回以上の施行ということはそれだけの回数先輩団地ロケットたちが親団地へ接触を試みたということであり、そしてカウントが止まらないということはそれだけ……失敗しているのである。

 俺たちも上手くいくのか。俺たちも宇宙の塵になってしまうのか。その命運はこの訓練に賭けられているのであり、つまり失敗は……できない。

 しかしミッション自体は、言ってしまえば簡単だった。親団地にくっつきさえすれば、子団地に搭載された動力源モーティブが親団地に注がれ、二機とも離脱……という計画である。つまりくっついてさえしまえばいい。

 ただ、先程も言った通り、広大な宇宙で動き続ける点に点がくっつくのだ。どれだけ複雑かは分かっていただけると思う。

 団地職員……つまり俺たちは、常に自室のコンピューターで親団地の位置を多次元的に把握、そうしてそれぞれの情報を同時に団地中央コンピューターに送り込むことで親団地の正確な位置を割り出す……そういうプランだった。

 訓練ではこれが試される。つまり、自室コンピューターが観測した情報を、俺を含め各室の職員が「せーの」で中央コンピューターに送りつけるのである。言ってしまえばそれだけなのだが……それだけだからこそ、難しい。

 ベルが鳴る。合図だ。カウントが始まる。六十……五十九……五十八……。

 十秒前。俺はボタンに指を這わせる。八、七、六、五、四……。

 一。

 その合図で俺はボタンを押す。隠して俺の部屋から観測された親団地のデータが(訓練なので仮のデータだが)が送信され、中央コンピューターがその結果を算出……。

 ……するはずだった。しかしベルは鳴りっぱなしだった。



「何事だ?」

 各室から職員が……住人が出てくる。この団地ロケットに乗り組んでいる住人は総勢十名。その内、俺を含め九人の人間が通路に顔を出した。しかし十人目がいなかった。各々ドアが開いていない部屋を確認する。

「305号室だな」

 誰かがそうつぶやいた。

「集まろう」

「そうしよう」

 サンダル、と呼ばれる特殊シューズを履いて部屋の外に出る。無重力空間で地上と同じように歩行ができるのはこのサンダルのおかげである。

 かくして305号室の前に住人が集まった。インターホンを鳴らすが反応がない。

「この間、隕石群を抜ける時に通信系統のいくつかが破損していたよ。中央コンピューターに繋がる線が生きていたから特に警告は出なかったが、もしかしたらその関係でインターホンが壊れているのかもしれない」

「ドアを叩こう」

 バンバンバン、と荒々しい音が鳴り響く。しかし彼女からの応答はない。

「鍵は」

「俺のでいいか」

「開くだろうか」

「そういう設計だ。問題ない」

「鍵の意味は」

「一応プライバシーを守る意味があるんだろう」

 各々つぶやきながら鍵を取り出す。一番ドアに近い奴が鍵を差し込みドアを開けた。果たしてその先に女は倒れていた。全員で駆け寄る。真っ青な顔。額には脂汗。

「医者は?」

 その声に俺が応える。

「いない」

「本当か?」

「随分前に死んだ。遺体は有機物分解機にかけた。今はこの団地に搭載された医学コンピューターが医者だ」

「見せるか」

「スキャナーを持って来ていない」

「予断を許さなさそうだぞ」

「とりあえず何か薬を投与すればいいんじゃないか」

「パナシアは?」

「この部屋にもあるだろう」

 パナシアとは団地ロケット開発に当たり製造された、いわゆる万能薬である。身体的な故障でなければ大体どんな症状にも効果を発揮する。いや、身体的な故障でさえも修復機能を強化する作用があるので長期的に見れば効く。住人の一人が部屋を漁ってパナシアを取ってきた。

「水を」

「ここに」

「薬を」

「そら」

 女を抱き起し、パナシアを飲ませる。しばらく顔色を見ていたが、様子は変化しない。

 苛立つ。この女のせいでミッションが失敗したらどうしてくれる。こちとら何年もかけてこんな宇宙の彼方まで来ているんだ。健康管理くらいしっかりしろ。俺だってこの計画のために何年も不摂生を避けている。余計な男性ホルモンの分泌を抑えるために(男性ホルモンは寿命を縮める作用があるらしい)自慰でさえ我慢しているんだ……。と、彼女に向ける意味のない怒りを煮る。

 そもそも俺はこの計画に並々ならぬ期待を寄せていた。俺は孤独な(なんて自分で言うのもおかしいが)人生だった。

 一人っ子の一軒家。親は共働き。小さい頃から家で一人だった。そして社会人になってからも隣人の顔も分からないような狭いアパートで独り暮らしをしていた。団地はある意味、俺が長年求めていたものだった。みんなで生活し、みんなで作業する。

 そもそも、そもそもだ。

 この未曽有のウィルス騒ぎの中。もうとっくに個の尊重なんてものは奪われているのだ。今は地球人が一丸となって戦わなければならない時なのだ。それを何だ。一個人の体調不良? ふざけるな。死ぬまで働け。死ぬまで動け。そうして死んだら死んだで、有機物分解機にかけて宇宙の肥やしだ。これは比喩表現なんかじゃない。惑星はいずれも宇宙の塵が集まって固まったものだ。宇宙に塵となって放出されるのは、新たな星の誕生に一役買えるのだ。名誉なことだと思え。つまり、そうだ。死ぬまで働くことは、名誉なことなのだ。働け、動け、止まるな、進め。そうすることでしか前に行けないのだ。前に行けない生き物は滅んでいくのだ。貴様は滅んでいいのか? 嫌だろう。そうじゃなければ団地ロケットになんか乗らないはずだ。つまり、そうだ。女。貴様は起きねばならない。いかに苦しかろうとも、いかに辛かろうとも、起きて、立ち上がり、働き、動き、ボタンを、観測データを送信するボタンを、押さねばならない。そうしなければならないしそうすべきだ。そうしてくれ。そうしろ。そうするんだ。

 しかし彼女の容態はよくならない。

 心の中で舌を打つ。こいつ抜きでやれるか。九人だと観測データの数も少なくなり、中央コンピューターの算出結果にも不確定要素が増える。ミッションは成功するのか? 俺たちはまた作戦ナンバーの肥やしにならないか? 再び舌打ちをする。今度は顔に出ていたのか、住人の一人が気まずそうな顔をする。

 ここまで来ると女への期待は霧散した。もうこいつはどうでもいい。最悪ミッションまでボタンを押す右手だけ動けばいい。パナシアよ、仕事をしろ。この女の脳の一部と右手を動かす機能だけでも回復させろ。

 そしてその願いが叶ったのか、彼女はやがてぱちりと目を覚ますと、むくりと体を持ち上げた。顔色はよかった。さっきまでが嘘のようだ。

「ミッションは?」

 訊いてくる。

「上手くいきそうだったよ」

 俺は皮肉を言う。

「君のおかげでね」

 しかし彼女はほっとしたような顔になった。

「ならよかった」

 頭の悪い女め。

「夢だったのかしら」

 女が独り言ちる。

「親団地に吸い込まれていく夢だったわ。親団地はとっくにクマサカ彗星の一部になっていて、私たちは彗星の中に吸い込まれていくの……吸収されるの」

「何だその夢は」

 俺は棘を隠さずにつぶやいた。

「馬鹿馬鹿しい」

 しかし女は窓の外へ……無限の宇宙が見える窓の外へ目をやった。それからつぶやいた。

「長い夢だったわ」

 彼女がぼやぼやとつぶやく。

「この団地に入居する前の健康診断からの夢だったの。かなり精密な数値まで取られたじゃない?」

 取られた。身長体重視力聴力運動能力はもちろん、血液果ては髄液、生殖機能まで、およそ生物にくっついている機能は余すところなく検査された。我々はその検査を通り抜けた人間であるはずなのに……このザマだ。

「あれには理由があったのよ……」

 しかし彼女は俺の失望など意に介さず続けていく。

「私たちは健康である必要があったんだわ」

「そりゃそうだろうな」

 俺はまた皮肉を言う。

「そうじゃないとボタンが押せない」

「何のためにボタンを押すの?」

 馬鹿馬鹿しくて俺は笑う。

「親団地にくっつくためだ」

「どうしてくっつくの?」

「動力を与えるためだ」

「動力って?」

「このロケットに搭載されているモーティブ(ロケットの動力源となる、原子力発電を遥かに凌駕する新しいエネルギーシステムのことだ)だ」

「モーティブってどういう仕組み?」

「あのなぁ」

 俺はついに我慢が出来なくなる。

「車を運転できる奴はいても、車の中身を知る奴はいないだろう。電子レンジを使える奴はいても、電子レンジの中身を知る奴はいないだろう」

「じゃあ、知らないってことね」

 あまりにつっけんどんな態度に俺はまた腹を立てる。

「君は知っているのか」

「今分かったわ」

 彼女はこちらを向いた。

「お医者さんは?」

「死んだ。有機物分解機で原子レベルで粉々だ」

「その粉は?」

「宇宙に撒いた」

「本当に?」

 彼女の目線に背筋が凍る。

「あなたが撒いたの?」

「いや……」

 俺は言葉に困る。

「機械が撒いた」

「じゃああなたが撒いたわけじゃないのね」

「だから何だって言うんだ」

「地球では感染者の死体をどうしたのかしらね」

「接触は一切禁じられている」

「ねぇ、思うのだけれど」

 女は続ける。

「火星の苔はどうやって胞子をスプレーみたいに噴射するなんてことを覚えたのかしら」

「そんなのは知るわけ……」

「知能でもあったのかしら」

「苔だぞ」

「そう、苔よ。ウィルスに汚染される前の、ね」

「汚染されたら違うと言うのか」

「ねぇ、政府は何で国民にロケットを作らせようとしたのかしらね」

「自分たちじゃできなくなったからだろう」

「政府にできないことが国民にできるのかしら」

「できているだろう」

 俺は両手を広げた。

「だから俺たちは今、こうして宇宙にいる」

「スプレーで拭き出されたみたいに?」

「……何が言いたい」

「二つあるのよ、きっと」

 女がぼんやりとした顔になる。

「ひとつめはその種を破壊する機能だわ。人類には末端の肥大化という作用で発現した。そして二つ目は、その破壊によって発生した危機への解決策として、宇宙に出ようとする意志を持たせるのよ。それは、そう、カタツムリに寄生した虫が、天敵の鳥に見つけてもらいやすくなるように、カタツムリの見た目を派手にするのと同じように……」

「何が言いたい」

「食べられるんだわ」

 視界が、急に回り始めた。

「食べられるんだわ」

「たべ……?」

「食べられるんだわ」

「俺たちが……」

「食べられるんだわ」

「お前が……」

「食べられるんだわ」

「何で……」

「食べられるんだわ」



 気づけばベッドの上だった。だが駄目だった。頭の芯が痺れている。じーんとして目が開かない。それでも何とか瞼をこじ開けて、綿みたいになった筋肉を動かす。起き上がる。グラグラ揺れる床を、サンダルで踏みつける。

 カウントが始まった。

「これは訓練ではありません。これは訓練ではありません。クマサカ彗星に接近。親団地回収プランλ-D-109983を実行します。カウントダウン開始。六十、五十九、五十八……」

 俺は何とかボタンの元へ行く。

「四十七、四十六……」

 ふと、俺の部屋のコンピューターが何を観測したのか気になった。

「四十二、四十一……」

 まだ時間はある。だってほら、ボタンまでたったの十秒だ。

 俺はふらふらと歩き出す。そうして窓の外を見る。広大な宇宙。どこまでも広がる星の海。それが見える、はずだった。それが見える、はずだった。

 しかしそこに、見えたのは。

 乱立する棟。団地だ。地上の様々な人たちが作った多様な「団地」。

 それはまるでウニのようだった。棘みたいに伸びた団地の棟がうねうね動いていた。遠くから見ても分かる。生命の気配がない。生命の、命の、ああ俺は、俺たちは……。

「二十六、二十五……」

 待てよ。そうだ、誰だ「クマサカ彗星」なんて言い出したのは。

 再び窓の外を見る。そこに、見えたのは。

 周りのものを自身に付着させて巨大化する、クマサカ貝のような。

 巨大な団地の、姿だった。


 了

 

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団地ロケット 飯田太朗 @taroIda

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