エピローグ
第41話 エピローグ
「綺麗な色ですね」
「緑は確か、永鈴グループのシンボルカラーじゃなかったかな?」
「そうなんですか。……あ! そう言えば、館での制服のネクタイも深緑でした」
「あの制服、あんまり活躍しなかったな」
そう言うと、玄記さんは立ち上がり、キッチンの方へ歩き出した。
「朋世、コーヒー飲むか?」
「はい、お願いします」
玄記さんは自分がコーヒーを飲みたくなると、ついでに私の分も作ってくれるようになった。私はソファに腰を下ろし、カウンター越しの玄記さんを見つめた。
「砂糖はどのくらいにする?」
「角砂糖ですか?」
「いや、粉末の黒砂糖」
「黒砂糖ですか⁉︎ ……じゃあ、ティースプーン2杯分で」
「朋世はいつも、砂糖は控えめだな」
「そうですか?」
「うん……俺はもう少し多く入れるな……」
そう言って、玄記さんは首をかしげた。私は笑いながら、またお願いをした。
「じゃあ、玄記さんがコーヒーに砂糖を入れる時と同じ量にしてください」
「了解」
玄記さんは私に笑いかけると、下を向いて作業を再開した。
玄記さんは最近、インスタントコーヒーではなく、レギュラーコーヒーを使ってハンドドリップでのコーヒーを作り始めた。私も詳しい淹れ方をインターネットで調べて、最初は玄記さんと一緒にハンドドリップの方法を試していた。玄記さんは大体の工程を5日でできるようになり、そこから更なる上達を目指しているようだ。
「朋世、コーヒーシュガーって知ってるか?」
「コーヒーに入れる砂糖のことですか?」
「そうだけど、あの……コーヒー専用の甘味料で、コーヒーシュガーっていうのがあるんだよ。氷砂糖にカラメルが入っているんだそうだ」
「へえ」
「今度、ネットで買ってみようかな」
玄記さんは、パソコンも使えるようになった。NAGASUZUに就職する前に、館の食堂で玄記さんと私は2人並んで1つのパソコンと向き合っていた。時々、時山さんや三佳さんが来て、のぞいていったりもした。玄記さんは、私がパソコンを教え出して5日目に要領を得たようだった。今では、インターネットで情報の検索もできるし、商品の購入もできるようになった。
「牛乳はどうする? 今日は生クリームもあるけど……」
「生クリーム? うぅぅん……牛乳でお願いします」
「わかった」
玄記さんは、にやりとしながら作業を進めていく。手元は見えないが、手際がいいのがわかる。なんで最初はなんでも不器用なんだろう……と不思議に思う。
玄記さんは自分でコーヒーを作れるようになってから、玄記さんが飲むコーヒーを私に作らせてくれなくなった。それは、リリーの小説を読んだからだということは明らかだった。リリーは自分が玄記さんにコーヒーを作れないこと、私が玄記さんにコーヒーを作っていたことによって傷ついていたのかもしれない。コーヒーを飲んだりコーヒーのパッケージを見たりなど、コーヒーの何かに触れるたびに、私はリリーの切なさを想像してしまうのだった。
「お待たせ」
「ありがとうございます」
温かいカフェオレはほろ苦く、甘い。これが、玄記さんの好みの味なのか。
「美味しいですね」
「これでもいいだろ?」
「はい。砂糖はどれくらい入れたんですか?」
「ティースプーンに小盛りで3杯。今日は黒糖だったからな。グラニュー糖ならいつもは2杯だよ」
「ぇえ! じゃあ私、今まで少なかったのかな……」
「朋世の作るコーヒー牛乳はあっさりしてて、それはそれで美味しかったよ」
「それ、褒めてます?」
「うん……」
玄記さんはマグカップを口に付けながら、笑っているようだった。私たちはソファに並んで座りながら、しばし静かに甘いコーヒーを飲んだ。窓から見える景色は、空しか見えない。ふと、私は玄記さんの日課を思い出した。
「玄記さん、今日はリリーの小説は書き写したんですか?」
「今日は終わったよ」
「どのくらい進んだんですか?」
「ええとな、1日1ページ書いてるから……今日で14ページ目だ」
玄記さんは4月から、リリーの小説をリリーの入っていた本に書き写している。物語がなくなって寂しくなっていた本は、玄記さんの字によってまたにぎわい始めたようだ。
「リリーが書いた小説の本はラウからもらったのがあるし、単なる俺の自己満足だけどな」
「リリーも喜ぶと思いますよ」
私の言葉に、玄記さんは寂しい笑顔を見せた。すると不意に玄記さんが、何かに気づいたような顔をした。
「朋世、次の土曜日に自動車学校の入校式に行くよ」
「いよいよですね」
「ああ」
玄記さんは車の免許を取るために、自動車学校に行くことを決めた。そのことに関して私は不安はあるが、一度コツを覚えれば大丈夫な玄記さんだから、何とかなると思っている。
「裕也は自動車学校の合宿に行って、2週間とちょっとで免許を取ったらしいな」
「裕也は結構、努力家ですからね。4月から美容師を目指すことになったし……」
「俺も頑張らないとな」
「めげないで、頑張ってください!」
「なんだ朋世、俺が上手くいかないって決めつけてないか?」
「玄記さんなら大丈夫!」
「頑張るよ」
玄記さんは笑顔で私を見ていた。そして玄記さんは、目の前のテーブルにマグカップを置いた。私は空になった2つのマグカップをキッチンへ持っていきシンクに置いた。そして、コーヒーかすの入ったフィルターを絞ったあとビニール袋に入れ、ゴミ箱に捨てた。それから、ドリッパーやサーバーなどを洗い始めた。後片付けや食器洗いの方法は、まだ玄記さんに教えていない。教えなくてもいいと思っているが、玄記さんが聞いてきたら教えようと思っている。
私が食器を洗っていると、玄記さんが話しかけてきた。
「朋世、桜の花はもう散ってしまったかな?」
「そうですねぇ」
「……去年は、リリーやラウも一緒に桜を見にいったな」
「はい……」
私が玄記さんに目を向けると、玄記さんは窓の外を見ていた。その後ろ姿からは、寂しさが伝わってきた。すると玄記さんはこちらを向き、外出を提案した。
「今から行ってみようか? まだ残って咲いている桜があるかもしれない」
「残ってるかなぁ?」
「行ってみよう」
「はい。……残ってるといいですね」
私は洗い物を中断して、簡単に外出の用意をした。薄手のジャケットを羽織り、小さなショルダーバッグに携帯電話と財布などを入れた。玄記さんはカーディガンを着ると、先に玄関の方へ行った。私も玄関へ急ぐと、玄記さんはすでに靴を履いており、少し開けた扉に寄りかかって私を待っていた。外をのぞいた玄記さんは、私に振り返って「寒くないようにな」と言った。
サクラクラゲの西洋館 LIIN @LIIN
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