第6話 ぽぽちゃんと高橋冬彦のその後。

 高橋冬彦は一週間の停学になった。そしてそのまま登校してこなくなった。ショックだった。自分の行動がなぜ彼の不登校につながったのかよくわからなかった。自分は彼のためを考えて行動したのに、ありがたみを感じてもらえなかったらしい。彼を楽にするためのことだと思っていたので、砂がついたかのように心がざらざらした。


 ぽぽとも疎遠になった。クラスメートとして当たり障りのない挨拶程度はしてくれたが、以前のような同じ中学を出た者同士としての親しさは消えてしまった。そして三年生になってクラスが分かれてしまうともう完全な他人になった。


 翔はしばらくこの件について思い悩んでいたが、それから四ヶ月ほど後、これらのことが一気にすべて吹き飛ぶ出来事が起こった。


 新型コロナウィルスの登場だ。


 翔たちの学校生活は一気にめちゃくちゃになった。授業は休校となり、部活も停止になった。進級したが、新しいクラスの人間との交流の場はなかった。


 そして最悪の事態、考えたくなかった現実が襲ってくる。


 全国高校野球大会の中止だ。


 翔たちは甲子園を夢見ることさえ許されなかった。感染者数に一喜一憂している間に時は過ぎ、グラウンドに戻ることなく、引退の日を迎えた。


 翔はリトルリーグから足掛け十二年野球をやってきた男だ。すべてが奪われたに等しい。


 その後やる気が戻ってくることはなく、再開された学校になんとなく通い、流れのままに就職活動をし、製造業の人手不足に救われて正社員として工場に内定、感動もへったくれもなく高校を卒業して社会人になった。


 高橋冬彦は一年留年してから復帰し、翔やぽぽの一年後に卒業できた、とのことだ。風の噂で東京の学校に進学して引っ越したと聞いた。翔は自分の罪が少し軽くなった気がして救われた。具体的に何の勉強をしているのか、四年制大学なのか専門学校なのかもわからなかったが、生きていてくれるなら充分だ。


 ぽぽは美容系の専門学校に入って自宅から電車通学を始めたらしい。それも本人から聞いた話ではない。けれど、高橋冬彦とドラッグストアで化粧品を選んでいた時のようにメイクで楽しんでくれるというなら、それもまた救いだ。






 ぽぽからLINEが来たのはこの前の正月のことだった。


 高校を卒業してからの二年間まったく音沙汰のなかった彼女が急に会いたいと言ってきた。何かあったのかと尋ねたら、どうやら高橋冬彦が地元に帰省したらしく、彼がこれを機に翔と会って話したいと言っているとのことだった。


 翔は一瞬ためらった。いきなり殴ってきた高橋冬彦の姿が眼裏に焼きついて離れなかったからだ。恨み言を聞かされることを考えるとあまり会いたくなかった。だがそれは翔の勝手な言い分だ。もしかしたら高橋のほうは当時のことを清算したいのかもしれない。それこそセクシュアリティのカミングアウト以上に受け入れてやるべきことのように思えた。自分の何が悪かったのか聞けるかもしれない。


 決着をつけよう。


 翔がイエスの返事をすると、ぽぽは懐かしのドラッグストアの前での待ち合わせを指定してきた。このご時世で飲食店に入るのは気が引けるので、広大な駐車場で野晒しになって語らおう、とのことである。嫌な思い出の店だが、家から自転車で五分の距離まで来てくれるというのはありがたい。翔はOKと返した。




 思い出のドラッグストアにたどり着いた。


 田舎特有の収容台数が百台はありそうな駐車場の隅に一組の男女が立っている。黒髪の男と金髪の女だ。印象が変わっているが高橋とぽぽだろう。二人ともマスクを外して缶ジュースを飲んでいる。


 近づくと金髪の女が大きく手を振ってくれた。やはりぽぽだ。


 ぽぽはすっかり垢抜けた女になっていた。もともと高校でも都会的で美人なほうだったが、金に脱色された長い髪には傷みがなく、カラーコンタクトを入れているのか大きなライトブラウンの瞳は神秘的で、すらりとした長い足に裾広がりのパンツルックが似合っていた。


 高橋冬彦はというと、彼もまた美しい男になっていた。さらりとした前髪が横に流されていて顔がわかる。自然な明るさの肌の頬は滑らかで、ベージュの唇も浮いておらず、二重まぶたの目元のまつ毛が長い。しかし肩幅に開いた脚といい軽く胸を張っているように見える上半身といい、立ち姿は男性的でむしろ高校の時よりたくましく力強くなっていた。


 翔が近づいてくると、二人はマスクを元に戻した。


 目元が笑っている。敵意はなさそうに見える。


「久しぶり。カケル、なんだかくたびれてない?」


 翔のよく知っているぽぽだった。


「コロナで家からあんまり出てないからストレス溜まってる。正月なのに忘年会も新年会もなくて、家族でテレビばっかり見てるのが逆に疲れる」

「カケルは運動好きだったもんね、みんなでキャッチボールとかしたら元気になるかもね。屋外なら別にいいんじゃん?」

「呼び出すだけで気ィ使うわ。めちゃめちゃ倫理観試されてる」

「じゃ、今回カケルを呼び出したわたしの倫理観も疑われちゃうね」

「屋外なら別にいいんじゃん?」


 ぽぽがふと声を漏らして笑った。翔も安心して笑った。


「呼び出したかったのは僕なんだ」


 高橋冬彦が言った。


「持田と話をしたくて。誤解を解いておきたくて」


 翔は彼の一人称が僕であることも翔を持田と呼んでいることも知らなかった。


「あの時ちゃんと話せてたらよかったんだけど、ごめん。僕は子供だったから、自分をうまくコントロールできなかった。だからいきなり殴っちゃった。あの時のことちゃんと謝ってなかったね」


 感動した。彼がこんなに流暢に話せるとは思っていなかった。前からそういうやつだったのにコミュニケーションを取れていなかったのか、この三年で変わったのか。いずれにせよ、大人っぽいな、と思った。


 前髪を耳にかけながら続ける。


「二十歳になっていい区切りだと思ったし、ぽぽのご両親に会った」


 その、耳に髪をかける左手の薬指に銀色の指輪をしていた。


「まだしばらくは難しいと思うけど、将来はぽぽと結婚しようと思ってる」


 嬉しそうに目を細める。


「怪しげな濃厚接触者じゃなくて同居の家族でいられるようにね」


 翔はただ黙って高橋冬彦を眺めていることしかできなかった。


「僕は一人の男として一人の女性である高梨たんぽぽさんを永遠に愛そうと思うよ。ゲイでもトランスジェンダーでもなくてごめんね」




 翔と冬彦はインスタを教え合った。冬彦のプロフィールには『2.5次元俳優を目指して芝居の勉強をしながら体づくりをしています』と書かれていた。投稿の半分くらいは彼と同じように美しい顔に引き締まった体の役者志望の青年たちとの自撮りだった。そういえば紅白歌合戦にそんなようなのが出演していたな、と思い、翔は自分の世界の狭さを思い知ったのだった。





<終>


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ぽぽちゃんの恋人 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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