親子丼を作って食べるオトコ
ばーとる
本文
仕事を終え、俺はルンルンな気分で会社を出た。今日は金曜日。家とは反対方向にある駅に向かう。飲み屋に行くわけではないが、別の意味でハッピーフライデーだと言えよう。少し離れて住む妻と、やっと会えるのだから。
今日は特別な日だから、グリーン車に乗ることにした。改札口を通る前に、コンビニでビールを買った。ちょっとした前祝いというやつである。
ホームに上がると、列車は既に入線していた。自分の席を探し、どっかりと腰を下ろす。俺は発車も待たずに缶を開けた。
いつの間にか寝てしまっていた。最寄り駅の名を車掌が呼び立てると眠りが覚めた。
「お忘れ物にご注意ください」
大丈夫だぜ車掌さん。俺はちゃんんと出刃包丁を持っている。
* * *
「ただいま!」
愛する妻の待つ家に、俺は帰ってきた。しかし、返事は返ってこない。なぜなら、妻はベッドで寝ているからである。病気ではない。俺への愛が冷めているわけでもない。妊娠しているのだ。オメデタイことに。
さて、楽しいことを勿体ぶっても仕方がない。早速始めよう。俺は鞄から出刃包丁を取り出した。
人を殺める上で、一番厄介なのが騒がれることだ。だから、最初の一撃が重要である。しかし、最初から心臓をグサリと刺しても面白みがない。ツウは声帯を掻き切る。とは言っても、実際のところこういうものにツウがいるのかは知らない。
何も知らない妻は布団の中で寝息を立てている。意識が深く沈んだ状態。無防備な状態。妻は、大きなお腹をさすりながら、『つらいこともあるけど、寝ている時は幾分か平気』とか言っていた気がする。だからこそ、一旦意識を覚醒させてあげましょうというわけだ。その方が、次に意識が消える時に落差が生じる。落差がある方が、俺の愛する妻をゾクゾクさせることができるだろう。地獄へのジェットコースターだ。なんて素晴らしい。
俺は、忍者顔負けの抜き足差し足忍び足で寝室に入った。右手には出刃包丁。心臓が高鳴る。全身を血が駆け巡る。一歩、また一歩と、愛する妻の枕元に近づく。……あと3メートル……2メートル……1メートル……。妻に近づくにつれて、時間の進み方が遅くなる。視界を忌々しい妻の顔だけが埋め尽くしていく。俺は出刃包丁を構えた。30センチ……20センチ……10センチ…………。
血が噴き出した。
妻の目が開いた。
妻の意識を強制的に覚醒させた。
見開いた双眸を覗き込む。そこには、リビングから漏れるわずかな光と、俺の顔が反射している。
妻は何かを言おうとした。開いた口から出てきたのは人語ではなく血、血、血。声帯を動脈ごと掻き切ったのだから当然だ。あ~あ、シーツが血だらけだよ。まるでマグロを解体するすし屋の調理台である。
「何? 聞こえないなあ」
自然と笑みがこぼれてしまう。制御不能な愉悦の感情が体の奥底からみなぎってくる。フハッ。ハハハハッ! 愉快痛快! 俺は怪物かもしれない。
そうだ、妻の腹の中にいる赤子にも挨拶をしておこう。
「きこえまちゅかー。パパでちゅよー。後で会いに行くからもう少しだけ待っててねー」
膨らんだお腹に耳を当ててみる。生命の音を感じた。数分後には血液を失ったショックで止まることが決まっている音だ。このまましばらく聞いていたい。愛する妻の生命活動がだんだんと停止していくのを、目や耳、鼻だけでなく、触覚で感じる。ついさっきまで早鐘を打っていたそれは、だんだんと生きる気力を失っていく。だんだんと弱弱しくなっていく。
「ほら、心臓が止まると赤ちゃんが死んでしまうぞ」
しかし、心臓が頑張れば頑張るほど、血は体の外へと抜けていく。それと同時に妻の筋肉も脱力していく。意識も再びほどけていく。
「せっかく俺が帰ってきたというのに、お前はもうおねむかい? いいよ。おやすみ」
妻の瞳から光がなくなっていく。目のピントを合わせる力も残っていないのだろう。今、彼女には何が見えているのだろう? 何も見えていないのかもしれない。自分の意識を保つのに必死で、視覚情報の処理が追い付いていない可能性もある。
「なあ、教えてくれよ。死ぬってどんな感じだ? 今どんな感覚だ?」
妻、いや、妻だったものは反応をしなくなってしまった。いよいよ絶命か。時計を見ると、深夜1時を回ったころだった。
* * *
死後硬直が始まる前に作業を開始しよう。俺はベッドの上で妻だったものの解体を始めた。これでは本当にすし屋と同じである。まずは右腕から切り離す。以前ベビーベッドを作ったときに使ったのこぎりのおかげで、作業は意外とすんなり進む。この調子だと3時間くらいでばらすことができそうだ。
その後、俺は夢中で妻の体をバラバラにした。右腕、左腕、右足、左足、頭部。その間、体温が少しずつ下がっていくのが分かる。室温と馴染むころには筋肉が固くなり始めていた。
最後に残ったのは腹部。この中に、妻の赤ん坊だったものが入っている。帝王切開とはこのような感じなのだろうか? 俺は妄想を膨らませながら、出刃包丁で縦に一筋の切れ目を入れた。筋に沿って、赤い血がつーっと出てくる。赤子を取り出して、石を詰めて縫い合わせたら『狼と七匹の子山羊』と同じだな、なんてことを考えながら、中を探索していく。
俺は至急に穴をあけた。羊水と思われるものが流れ出たら、奥に小さな生命の終わりを見つけた。人間の出来損ないみたいで気持ち悪い容姿をしている。人と言うよりは何かの動物を思わせる見た目だ。
「初めまして赤ちゃん。キミと血の繋がっていないパパでーす。ごめんねー、お母さんを殺しちゃって。でも気っと許してくれるよね。こんなクソアマに育てられるくらいなら、死んじゃったほうがマシだってキミも思うよね」
俺は、赤子の死体を抱き上げた。へその緒は邪魔なので引きちぎる。
向かう先は台所。俺はこの家で一番大きな鍋を取り出し、その中に死体を寝かせた。そして水をなみなみに注ぎ、火にかける。醤油でテキトーに味をつけ、1時間ほど煮込んだ。アクが出てきたら、丁寧にそれをすくって捨てた。空いた時間でご飯も炊いた。妻の足の筋肉を削ぎ取って、フライパンで焼いた。
戸棚に入っているおしゃれな器を用意し、煮つけを盛りつける。部屋に充満している血の臭いを一瞬だけ忘れさせてくれる、いい香りがした。東の空が、うっすらと明るくなり始めている。朝ご飯にしよう。
俺はご飯をよそい、煮つけと焼肉をリビングルームに運んだ。それをソファーの前のローテーブルに置くと、俺はテレビの電源を入れた。朝のニュース番組がやっている。刑務所に入ると朝のテレビを見る時間もないだろうから、これで見納めだ。
ご飯を一口食べ、箸で煮つけをつつく。1時間も煮込んだのだから、もともと柔らかい肉がほろほろになっている。なるほど、人間ってこういう味がするのだなと感心した。妻の肉を一切れ食べる。臭みがあってあまりおいしくない。しかしまあ、貴重な体験ができたのでとてもテンションが上がる。そうだ。これを同時にご飯に載せて食べたら、人間の親子丼になる。それに気づいたらやらないわけにはいかない。
俺は、ご飯に妻と子供を乗せ、同時に口に運んだ。
* * *
数日後、俺は逮捕された。近隣住民が、我が家から異臭が漂うのを不審に思い通報したとのことだ。別に妻の息の根さえ止められれば良かったので、逃げたりはしなかった。
「どうしてあなたは自分の妻と子を殺したのですか?」
取調室で、警察官と思しき人にそう聞かれた。
「俺の愛する妻は、俺の愛する妻であったが、そいつが孕んだ子は、俺の子ではない。俺の許可なしに、どこの馬の骨とも知らない奴の子を産もうとしてたんだよあいつは。だから俺は、この偽物の幸せを終わらせた。ただそれだけの話」
「犯行の動機は妻の不倫だと、そう言いたいのですか?」
「そうだ。現代の医療に頼れば、俺達でも子供を作ることができたはずなのに。あいつはそれを待つことができなかった」
「あなたたちは不妊治療でも受けていたのですか?」
「いいや、違うね。女同士で子供を作るために病院に通っていたのさ。俺、こう見えても性転換手術を受けた、元女なのさ」
すると、警察官は目を見開いて驚いた。そう、俺の股には男の勲章はぶら下がっていない。だから、子供ができた時点でおかしかったのだ。しかし、俺の愛する妻はバカだったので、俺の卵子を使って受精させてもらったとかぬかした。俺はまだ卵子の提供なんかしていないというのに。
俺は続ける。この際だからすべて吐き出す。
「俺の事情を全て知ったうえで、それを受け入れてくれたのはあいつだけだった。だから人生を共に歩むことにしたのさ。あいつに裏切られさえしなければこうはならなかった。でも、現に裏切られてしまった。俺は絶望した。こんな特殊な事情を抱えた人間と一緒に居たいと思う人を、もう一度探すなんて絶対に不可能なのは目に見えている」
言ってやったぞ、全て。警察官の顔を見ると、ドン引きしていた。
「じゃ、じゃあ、あなたが二人の肉を食べたのはなぜですか?」
この質問が来ることは予想できていた。別に理由なんてない。しいて言えば、赤ちゃんには罪がないのだから、せめて俺の体の中で栄養分として生きさせてやれればいいと思った。まあ、この理由もこじつけだけど。
「俺の人生が終わったのは確定したから、普通の人にできないことをやってみただけ。そう。ただの気まぐれだよ」
俺は、後の裁判で俺は20年の懲役が言い渡された。
親子丼を作って食べるオトコ ばーとる @Vertle555a
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