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理屈と感情についての愚考3

 外寛内明という四字熟語がある。簡単に言えば、「人に優しく、自分に厳しい」という意味だ。この心がけができている人は、美しい人だと思う。(これは主観である。)では僕はどうなのかと問われれば、「人に厳しく、自分にも厳しい」人だと自己分析する。

 前回、理屈と感情をそれぞれ武器と農具に例えた。これを応用すると、それぞれを厳しさと優しさと捉えることもできるのではないか。そこから出発し至った結論が、「僕は人に厳しく自分にも厳しいのだ」というものである。換言(もしくは還元とも言えるか)すると、僕は人のことも自分のことも理屈で評価する人なのだ。

 では、外寛内明な人になるにはどうしたらよいか。これは言うまでもなく、感情を重視することが大事になる。では感情を大事にするというのはつまりどういうことなのか。これがいまいちよくわかっていないのだ。

「人の気持ちを考えたことがあるのか」

 これは僕がよく言われるセリフの一つである。その時は答えをごまかすが、心の中では「知るかばーか」だ。なぜなら僕は自分の感情すらもあまり理解できていない。まして人の感情を想像することなど雲の向こうの話しである。

 ここで勘違いしてほしくないのだが、僕は決して「僕には感情がない」などと言う中二病的な考えを持っている人ではない。感情はある。怒っているときは怒っていることを自覚しているし、悲しい気持ちになることもある。ただ、自分の感情を重要視していないがために、それを解釈することができていないのだ。

 このようになった理由の大半は、母の教育と中学生時代の黒歴史にあるが、この話は長くなるので割愛する。とにかく、僕は自分の感情を大事にできるたちではない。不快なことが発生しても理屈で解釈し、これは仕方のないことなのだと呑み込む。自分がなぜ不快に思ったのかを考えたり、不快にさせた人物のことを非難したりはしない。自分が何か言ったところで何かが変わるわけではないし、相手にも何か事情があるのだろうと考える。一番多い結論は、相手は僕のことを傷つけたなどと思っていないのだろう、というものだ。これは本当に多い。相手が僕のことを傷つけようとして僕が傷つくのならともかく、相手にその意図がないのに僕が勝手に傷ついたら、それは僕がナイーブだっただけということだからだ。

 ん? あれ? 何かがおかしい?

 相手は感情に任せて僕を傷つけに来ている可能性は無いのか? もし有るのだとしたら「感情」=「優しさ」の等式が成立しなくなる。やはりこの考え方は成立しない。

 白紙に戻して考え直そう。

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