希ガスは貴ガスな気がする

静 寒寝具

希ガスは貴ガスな気がする





「お母さんね、お父さんからラブレターを貰ったことがあるの。その手紙……何処どこに置いてあったかわかる?」


「……ゆうびんうけ?」


「ううん。それは……学校のね、下駄箱の中に入っていたのよん」


 私がまだ幼い時、母からそう聞かされました。それを語る母は……とてもとても嬉しそうでした。




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 まだ身体からだが暑さに慣れきっていない夏の始め。私は額の汗を抑えながら校門をくぐると、玄関へ……そして自分の下駄箱から内履きを取ろうとしました。その時です。


「え?」


 違和感を感じた私は下駄箱を覗き込みました。すると、私の内履きの上には……一枚の紙が置かれています。


 その瞬間、私は心臓の高鳴りを感じました。高鳴る心臓は血液を全身へ……特に顔へと送り届けます。低血圧を自覚しているはずの私の顔は、普段ではあり得ない程に真っ赤になっていたでしょう。これが下駄箱ラブレターなんだ。そう認識するや、私の心の半分は嬉しさに満ち……そして、もう半分は恥ずかしさであふれていました。


 しかし……今、その余韻に浸ることは出来ません。そんなことをしては、周囲に感づかれてしまうかもしれない。私を余韻を惜しみながらも、ラブレターを内履きと一緒に取り出します。そしてラブレターはカバンにササッとしまい込むと、内履きに履き替え……まるで何事もなかったかのように、教室へ向かいました。



 

 幸いなことに、私の席は教室の一番後ろなんです。私は平静を装いながらも自分の席へと辿り着きました。そして、腰を下ろすと……


「顔……真っ赤だけど大丈夫?」


 隣席の男子が声をかけてきました。小学校以前からの幼馴染です。私はどうやら……平静を装うのに失敗していたようですね。


「あ……うん、大丈夫。夏は苦手なの」


 私は、すべてを暑さのせいにして誤魔化しました。我ながら良い判断ですね。


「そっかそっか。春が好きって言ってたもんな」


 隣の男子は、そう言うと……頭部を机に預けます。どうやら寝るようですね。普段から、よく見ている光景です。


 さあ、これで邪魔者はいません。私はカバンから先程のラブレターを取り出すと……まずは、観察から始めます。よく見れば、その紙はルーズリーフを軽く折り込んだけのものでした。ラブレターならば……やはり、それ相応の便箋を使ってほしいので、ちょっとガッカリしたのですが……肝心なのは内容ではないでしょうか。私は中身に期待を寄せつつ……その紙をゆっくりと広げていきました。すると、そこには……




希ガスは

貴ガスな

ミスな気がする


ヘリウム・アルゴン・クリプトン・キセノン・ラドン




 と、だけ書かれています。心底甘いラブレターを想定していた私は、呆然ぼうぜんとすることしかできませんでした。


 そして、これはラブレターではなく怪文書だったのだと……そう認識を改めるのです。




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 一限目の授業を終えた私は怪文書の謎を追うため、職員室へ向かいました。入り口で一礼をすると……理科の先生の元へ足を運びます。


「ん……どうかしたの?」


 私達の理科を担当しているのは、今年度に赴任してきた若い女性教師です。理系教科で女性の先生というのは珍しいですよね。それでいて私達と世代が近いこともあり、先生は多くの女子生徒から好かれていました。例に漏れず、私も先生の事は大好きです。


「えっと……これ、見てもらっていいですか?」


 私はそう言うと、先生に怪文書を手渡します。そして、先生はそれを見ると……


「私、授業中に間違えた?」


 そうおっしゃいました。


「いえ、そういう訳ではなくて……」


 私は、この怪文書を入手した経緯を先生に伝えます。


「ああ……良かった。貴ガスと希ガスを書き間違えて教えたかと思っちゃったわ。これ、最近になって変わったのよ……って、それは授業で話したわね」


 はい、聞いています。近年になって希ガスは貴ガスへと表記が変わったから気をつけてと……そう聞きました。私はその返答を頷きで返すと……


「えっと……それで、この手紙は何を意味してるんでしょうか?」


 先生に怪文書の意図いとするものが何なのかを尋ねてみました。


「そうねぇ……まずはネオンが入ってないのに意味がありそうかな。わかる? 原子番号10番のネオンね。この手紙で言うのなら、ヘリウムとアルゴンの間に書かれるべきなのに、それが書かれていないの」


 流石は先生ですね。私も理科の授業で周期表は見ているはずなんですが……ネオンが足りないだとか、原子番号10番だとかは思いつきませんでした。私も、もっと勉強しなきゃと思います。


「だから10が無い。とすると……あー、そういう事か。時間があれば解けそうね。考え方としては……とりあえずは平仮名にでも直すのがいいんじゃないかな。後はそれを見ていれば気づくかも。ほら……どうせ、真面目に受けない授業とかあるんでしょ。せっかくだから、その授業の時にでも考えてみたら?」


 先生はそう言うと、私に怪文書を突き返しました。それと同時に……


 キーンコーンカーンコーン。


 と、職員室にチャイムの音が響き渡ります。私は慌てて教室へと戻るのでした。

 



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「今日は……文法です」


 先程に理科の先生がおっしゃった授業とは、今に他なりません。この時間は国語の授業です。しかも先生はお爺ちゃん。私は授業を露骨にサボるようなタイプではないのですが、この時間は苦手でした。理由は簡単、眠くなってしまうんです。ほら、案の定……隣の男子は寝ています。


 ただし、今日は寝ることはないでしょう。この時間を使って、怪文書の謎に挑むのです。私は例の紙を取り出すと……それを眺め始めました。




希ガスは

貴ガスな

ミスな気がする




 そして、理科の先生の発言を思い出します。『10が無い』と、そう仰っていました。それはきっとですが、10文字目を抜くんでしょうね。試しにやってみます。




希ガスは

貴ガスな

ミ な気がする




 さらに理科の先生の言ったことに従い……平仮名に直してみましょう。私は自分のノートにペンを走らせます。そして……




きがすは

きがすな

み なきがする




 このような平仮名の羅列が出来上がりました。黒板前で先生が話している内容を気にも留めず………私は『後はそれを見ていれば気づく』と言われた通りに、ひたすらにそれを眺め続けます。しかし……何もわかりません。そして集中力とは、なかなかに続かないものですよね。そんな時に……ふと授業の声が耳に入りました。


「答えは……1番が体言止め、2番が倒置法……」


 今、先生が読み上げている解答は……私には意味がないものでした。何故かといえば……私は、その問題を解いていません。ですが、その解答が不思議と心に引っ掛かります。それは……意味がないはずのものに意味を感じた瞬間だったんです。


 あ、ひょっとしたら……




 その時、私の集中力は復活を遂げました。そして、私は……そのままに怪文書の解読に取りかかるのでした。




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 国語の授業はもうすぐ終わろうかという時刻。私は……遂に解読を完了させたのです。


 それは……手がかりさえ見つかれば、あっと言う間の出来事。こういうのは【アナグラム】と言うんですよね。言葉を並べ替えて文章を作るんです。例えば……【きがす】を【きすが】と並び替えれば、【キスが】もしくは【きすが】と読ませることが出来ます。さらには【きすがすき】と並べれば……【キスが好き】か【鱚が好き】になります。


 やっぱり最初にラブレターを想起したのが良かったんでしょう。そういった文章を元にして考えてみたら……すぐに解答は浮かび上がってきました。


 それは……【はるがすきな きみがすき すなが】と並べるんです。そして……【春が好きな君が好き 須長】と漢字に直せば……。


 私は隣で寝ている男子に視線を向けました。彼の名前は……須長君。私の好きな季節を知っている幼馴染。今は……寝ていますね。




 そうだ……私もやり返してみよう。私はノートを一枚破ると、そこに記しました。


【ネオンも貴ガスだよ】と。


 ただ……ひとつだけ問題があります。【ん】の処理をどうしましょう。


 そうですね……語尾に【ん】をつけて喋ってみましょうか。


 あ……彼が起きそうです。私は……彼に小声で話しかけました。


「おはよーん」と。





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