エピローグ
「兄さまっ」
つないだ手がするりと抜けて、隣を歩いていた兄ウェンリーが倒れ込んだ。成長したとはいえ、まだ7歳では倒れた兄を起こすことなどできない。ピクリとも動かない兄を見て、その異様さにウォルターはすぐに気が付いた。
「に、兄さまっ」
慌ててその体に触れようとした時、大きな声が響いた。
「触るんじゃねえ」
異変に気が付いて駆け寄るジェダイドとは違う大人の声だ。出しかけた両手を思わず握りしめながら、ウォルターはその声の方へと頭を動かした。帝国の闇の神官の服を身につけた、大柄な男である。どこかがさつそうな雰囲気は、兄の前世アトレとどこか似ていた。
「アトレ」
駆け寄ってきたジェダイドが、地面に突っ伏したまま動かないウェンリーのそばで膝をついた。そうして、両手で自分の口元を覆い隠すしぐさをして、大きく目を見開いたまま動かなくなった。やはり、ジェダイドにも見えているらしい。ウォルターにもはっきりと見えている現象だ。
「触んじゃねえぞ、魂の抜けた体は脆いんだ」
がさつそうな闇の神官は、またもや大きな声でそう言った。どうやらこの男にも見えているらしい。
「兄さまの、魂が……」
ウォルターがそう口にすれば、男がスッと指さした。其の示された方角を見れば、完成した闇の神殿をまっすぐに突き進むウォルターの兄の魂の姿があった。
「そんな、安寧の地に旅立つだなんて……」
あまりのことにいつもは穏やかなジェダイドが悲鳴に近い声を上げた。それを背後から見ていた四人のお揃いの制服を着た、ジョエル、セス、ディオ、アルフレッドは覚えたての祈りの言葉を口にした。
「そ、やめ……あっ」
祈る4人を止めようとしたウォルターが、そのことに気が付いたのは、その男が反対側の光の神殿の方を向いたからであった。同じように、闇の神殿を見つめていたジェダイドは、すぐさま膝をついた姿勢で光の神殿に向かって詩を歌い始めた。
黄昏時には真っ直ぐおうちに帰りなさい。
かつてそんな言葉を養母に言われた。それが、なぜなのか、どうしてなのか、あの日に答えは見つからなかった。けれど今、今日この時はその答えを知っていた。
神官らしくない雰囲気をもつ男は、黒い長い髪を束ねもせずに風に踊らせていた。その立ち姿は、いつか見たあの日のあの人似ている。
祈る者の影が随分と長くなった頃、光の神殿から一筋の光がやってきた。それは、迷うことなく突き進み、夕焼けの色を纏いながらそこに戻った。
「んぁ、おれちゃま……」
口に土の味がしたのか、ペッペッと唾を吐き出して、両手を地面について起き上がった。不思議そうに自分の両手を眺めて、手のひらに着いた土を払う。
「兄さま」
「ウェンリー」
一番近くにいた2人が思いの籠った言葉を紡ぐ。
「おお、ジェダイドにウォルター、二人ともおちょろいの色だな」
呼ばれたウェンリーが夕焼け色に染った髪の二人に返事をした。長い影が自分にかかったのを感じて顔を上げれば、そこには見た事のおる男が立っていた。
「んっと……ウェッツか」
探るような目線を向けて、ウェンリーは考え込んだ。はて、何かがおかしいのだが、何がおかしいのか具体的に出てこない。はてさて、着ている服も少し汚れているので、手で払う。視界にある時分の足を見て、ゆっくりと視線を上げていく。目の前にいる闇の神官は幼なじみのウェッツだ?
「あ、れ?俺様……なんで、体が、縮んだ?」
ハッキリと言葉にしてみたが、どうにも上手く喋れていない。なんだか聞きなれない言葉を話しているようだ。
「ジェダイドも縮んだのか?あの戦いの影響か?」
じっくりと隣に立つはちみつ色の子どもを見つめる。しかし、よくよく見れば、こいつはジェダイドでは無い。記憶にあるジェダイドの髪は、もっと薄くて夕焼けを浴びれば真っ赤に染るような、そんな髪色だった。首を傾げて考えてみれば、傾けた視界の先に見知った姿のジェダイドが、立っていた。
「なんだ?何がどうした?どうして俺様だけ縮んでいるのだ?」
事態を把握しきれていないウェンリーは、あわあわしながら回りの様子を確認した。ジェダイドに、ジェダイドを縮めた子ども、それからウェッツ、自分と同じ制服を着た黒髪の子どもが4人。
「ん、んんんんんんん?」
向こうに見えるのは光の神殿だ。しかし、ジェダイドの背後にそびえ立つアレはなんだ?
「んんんんんんんん?」
驚きすぎて言葉が出ないとはまさにこの事だろう。
ぺちぺちと自分の頬を手のひらで触り、ジェダイドを見て、それからウェッツを見た。記憶にある姿から、少し老けている。それからジェダイドを縮めた姿の子どもを見て、自分と同じ制服を着た子どもたちを見た。
「俺様、アトレでは無いぞ。俺様ウェンリー・ディアスレイなのだ。つまりお前は俺様の弟ウォルターだな。そっちはジョエル、セス、ディオ、アルフレッドだ」
不意に思い出したのか、その場にいる全員の名前を口にする。そうして、はたと気がついたのか、自分の両手のひらを見つめた。しばらく考え込むような素振りを見せて、ウェンリーはようやく口を開いた。
「うむ。俺様安寧の地に行ってきたのだ。結構駆け足で走り抜けてきたのだが、色々浄化されてしまったみたいだ。アトレの時に覚えた魔法が使えなくなってるぞ」
たどたどしい言葉使いはなりを潜め、ずいぶんと滑舌よく話し始めたウェンリーを、回りは静かに見守った。
「さて、困った。俺様、一から闇魔法を習わなくてはならないでは無いか」
八歳の子どもとなったウェンリーは、そんなことを言いながらもまるで悲壮感など見当たらない。
「安心してください。アトレの忠実なる下僕、私がアトレより教わった全てをお教え致します」
「そうか、それはいい案だ」
ウェンリーが、そう答える。
「だーいじょーぶっ、の俺もいマース。かつてアトレと共に学んだ幼なじみ、ウェッツにお任せ。お前らまとめて面倒見ちゃうぜ」
そう言ってウェンリーを抱きしめてきたのは闇の神官ウェッツだった。
「な、何を勝手なことを」
慌ててジェダイドがウェンリーをウェッツから奪い取る。
「ざーんねーんでーしたー。正式にアラザム大国から依頼状が届いてんだもんね。闇の神殿からベテランの神官を遣わせますってことで、アトレの幼なじみにして大ベテランの俺が正式に依頼されました」
ドヤって豪奢な紙をヒラヒラと見せてきた。
「んなぁ」
その紙に書かれた文字を読み、ジェダイドかワナワナと震えていた。
「衣食住、俺がぜーんぶ面倒見見るぜ、安心してくれよな」
「ひとつも安心できる要素がありません。いいですか、ウェンリーは侯爵家の子息なんですよ。手とり足とり世話をしなくてはならないのです」
「安心してくれよ。俺、こう見えてもアトレの初めての相手もしてるから」
そんなことを言われても、ジェダイドの腕の中でウェンリーはキョトンとしていた。安寧の地で浄化されてしまったから、諸々の記憶はもうないのである。
「そんなハレンチな人はお断りです。兄さまのお世話は僕がするんですっ」
ウォルターが真っ赤な顔で叫び、ジェダイドの腕の中からウェンリーを引きずり出した。その衝撃なのか、
「うっ、俺様、トイレに行きたいぞ」
ウェンリーの顔が青ざめた。トイレがありそうな建物は随分と遠い。光の神殿は確かずい分と奥に隠されるようにあったはずだ。それと、見慣れない建物が見えて、何やら煙が上がっているから、おそらく食堂かなにかだろう。そちらの方が近そうではあるが、この小さな体では走らなくては間に合わないかもしれない。
「よし、まかせろ」
そう言うやいなや、ウォルターの腕からウェンリーを奪いさり、ウェッツが走り出した。
「あ、兄さま」
ウォルターが叫ぶように呼んだけれど、ウェッツは魔法を使いあっという間に宿屋兼食堂に行ってしまった。
「兄さまのお世話は僕がするのにっ」
追いつけないことを悟ったウォルターがガックリと膝を着いた。だが、そんなウォルターをみて、それから4人の黒髪の子どもたちをみてジェダイドは葛藤した。いや、葛藤するところでは無い。保護者である立場である以上、5人を置いて追いかける訳には行かないのである。
「にゃにゃにをするぅ」
食堂のトイレからウェンリーの悲痛な叫び声が聞こえた。
「やめりょお、俺様、俺様一人でできりゅのだぁ」
光魔法の使い手は闇魔法の使い手を何とかしたい ひよっと丸 @hiyottomaru
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