第6話 エピローグ
耕平、食べ過ぎじゃないか?」
古見澤は袈裟丸の箸を遮る様にさらに乗った肉に箸を伸ばす。
「まだあるからいいでしょ?」
「お前ら食い過ぎだぞ。俺の分残ってんだろうな」
台所の居石が包丁を振り回しながら叫ぶ。
「おい、要、包丁は振り回すもんじゃない。心配しなくても、腐るほど買っただろ?」
けっ、と言いながら再びキッチンに向かう。
事件から一週間が経過した。
本日、金曜日の午後に三人は塗師の店にバイト代を受け取りに行った。
塗師の店は東京都内の下町にある。
左隣が文房具屋、右隣がコンビニという、国道沿いの立地に店を構えている。
塗師の店は五階建てビルの二階にあり、一階はテナント募集の張り紙が張られているが、その文字が薄く消えかかっていた。
テナント入れる気がねぇな、というのは居石の弁である。
店に入ると、ゆのが、いらっしゃいませー、と元気な声で三人を迎えた。
塗師はゆのを引き取った。
島からゆのを保護という名目で連れ去った時点で、まだ親権は神野隼人である。その後どういった手続きを踏んでいるのか、三人は不思議に思っていたが、古見澤から藪蛇だから聞かないことにしようと提案があり、三人とも塗師に聞くことはなかった。
ゆのは店の手伝いをしながら、都内の学校に通っている。
塗師はこのビルの所有者であり、三階以上は塗師の居住スペースになっている。
往年の少年漫画みたいな家だな、と言うのは袈裟丸の弁である。
三人は笑顔の塗師からバイト代を受け取ると、その金額に驚く。
コンビニでアルバイトするのがバカバカしい金額だった。
三人とも、島でまともに働いた記憶がないと塗師に伝えたが、塗師は迷惑料だと言った。
塗師自身も神野の依頼にこうした裏があったとは思わなかったということだった。
そう言うことなら、と三人は有り難く受けとり、ゆのと少し遊んでから帰路についた。
ゆのの、また遊びに来てねー、という言葉に、居石が名残惜しそうに手を振っていた。
そのまま都内の居酒屋でいつもより高めのお酒を飲むか、という話も出たが、古見澤が暫く外で飲み食いは勘弁、という主張を残りの二人は渋々受け入れた。
グレードの高い居酒屋にはまた出向くことにして、今日は居石の家で焼肉パーティーだ、という子供の発想に大学院生の三人とも納得して、今に至る。
「ほい、追加はまだあるからな」
缶ビールを片手に居石がキッチンから戻ってくる。テーブルに置いた皿には、切り分けられた肉が置かれている。テーブルにはその他にも野菜や居石お手製のキムチやカクテキが置かれている。
決して広いとは言えないリビングで鉄板を三人で囲む。
帰り道に、業者が仕入れるような肉屋に入って、肉食獣の一日分くらいの肉を買ってきた。
「今更だけどさ、こんなに食べられるのかな?」
古見澤の疑問は居石のロース肉十枚一気食いの前には、黙るしかなかった。
「古見澤、疲れとれた?」
袈裟丸は五本目の缶ビールを飲み干す。
古見澤の周りにいる同期はもれなく酒に強い。
教授や後輩達からは、酒神に愛された世代、という異名を欲しいがままにしている。
「まだ身体、変だね。使ったことない筋肉とか、雨に濡れて風邪引いたり、後遺症がしんどいよ」
古見澤は芋焼酎のロックを傾けている。
仲間内で飲む時は、古見澤は芋焼酎のロックしか飲まない。
「要だけ次の日もピンピンしているんだよな」
「何言ってんだよ。口の中血だらけにしただろ?」
「すぐに帰って酒飲んでただろ?それでまた血だらけになって。こっちが焦るって」
「血の巡りが良くなったからね。でも要、助かったよ。公家さんを追い詰める一手になったから。土を焼いたものでも組成がわかるんだな」
「でも精度は低いと思うなぁ。スポーツドリンクを水で薄めた感じ」
居石は次の十枚を口に放り込む。口内の状態はもう問題ないようだった。
「お前にしかわからない例えだな」
「例えっていうのは他人でもわかりやすく言うもんだろ?これで分からないっていうんならお前の想像力がねぇってことだよ」
はいはい、と言って袈裟丸は肉を焼き始める。
「島の人たちはどうなったんだ?」
袈裟丸は古見澤に尋ねる。
「うん。姉の死体は殺人ってことになったらしいよ。翌日には警察や救助隊がやってきたけど、島民全員、台風で被害はなかったが一人殺されたと。それで不審な人物が刀で差したところを見たっていう証言も出てきたみたい」
「それって諌だろ?」
「結局そうなるね」
「でも殺せって指示したのはおっちゃんなんだろ?」
古見澤は頷く。
「最初からあの交渉人に被せるつもりだったんだよ。一切合切、全部ね」
手に持つグラスの中の氷が、カランと音を立てる。
「その神野さんはどうなったのかな?」
袈裟丸は質問してから肉を口に運ぶ。
「どうもしてないだろうね。それは公家さんだって同じ。二人共、いつも通り、淡々とした毎日を送っているんだよ」
「諌はどうなったんだよ?俺台車で殴っちゃったんだけど…警察行った方がいいか?」
「交渉人は島から姿を消したらしいよ」
「マジ?」
居石はほっとしたような、驚いたような表情だった。
「要、台車なんてどこから持ってきたんだよ。鉄塔の脇の倉庫か?」
やっと肉を飲み込んだ袈裟丸が尋ねる。
「え?違げぇよ。俺が気が付いて、お前の後を追おうとした時に降ってきたんだよ」
「台車が?」
「台車が。そんで、坂道の途中でお前と塗師が諌に対峙してただろ。でやべぇってなってとりあえず台車担いで、諌の後ろに回って…そんな感じ?」
「ふーん、タイミングよく台車なんて降ってきたな」
居石は、うーん、と少し唸る。
「いや、あれさ…多分将太さんが爆弾運んでた台車だぜ」
「は?なんでそんなもん降ってくるんだよ」
「そんなこと知らねぇよ。台車に聞いてくれ。でも焦げてたし、車輪が取れてたり破損してたからな。直近で台車見たのが将太さんの運んでいたやつだったから、そう思ったのかもしれないけどな」
「あの世から将太さんが復讐しに来たんじゃないか?」
古見澤は微笑みながら言った。
「笑いながら言うなよ。気味悪りぃな」
将太が一矢報いるためにあの世から、と言うのは古見澤の冗談だとしても、袈裟丸はそれでも良いと考えていた。
「じゃあ、おっちゃんは?しおりや、ゆののこともそうだけど、おっちゃん自身は今どうなんだ」
古見澤はグラスから焼酎を一口飲む。
「さあね…」
「まあでも、ゆのちゃんも塗師さんが面倒見てくれそうだし、何とか俺らも死ぬことなく帰って来れたから良し、じゃないか?」
袈裟丸は話を変える。
「本当に、良し、か?」
居石は睨むように袈裟丸を見る。
口を開いたのは古見澤だった。
「何も変わってないからね。結局、月神町と月神島は、これからも変わらずに同じことやっていくんだよ」
「何とかなんねぇかな…」
「要、どうにもできないよ。彼らはそれで良いと思っている。ならそれでいいじゃないか。彼らが自分たち以外を巻き込まないのであれば、こっちも巻き込まれに行く必要は無い」
「ったく冷てぇ奴だな」
「居石はのめり込みすぎなんじゃないかな」
「馬鹿なんだよ」
「おい、耕平、テキーラあるぞ?」
「すまん、勘弁してくれ」
この二人が無事でよかったと、古見澤は心から思った。
そうした気持ちは、自分達の風習や因習だけを考えて他者の事は顧みない、月神町と島の人々と、じつは何ら変わりはない。
窓の外に視線を向ける。
月が静かに空に輝いて浮かんでいる。
その輝きは太陽の光が当たっているからである。
そのことを月はきっと何も考えていない。
月はただ、そこにいるだけで、太陽のことなど考えない。
でもそれでいいのだと古見澤は自分に言い聞かせた。
月が綺麗に沈んだから~The moon was fallen slowly~ 八家民人 @hack_mint
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