第5話 収まって、外

 月神島 月神荘


「で?」

「で、ってなんだよ」

「どうやって犯人捕まえんだ?」

「隔離されたこの島で、殺人犯の確保っていうのは、簡単じゃないよ。まして俺たちただの一般人だろ?」

 広めの食堂に二人だけが着席している光景はそれだけ切り取れば滑稽に映るかもしれない。照明も二人が座っている位置だけ点灯している。

「浜田さんだって警察じゃないんだろ?自警団みたいなもんで。やれるよ、俺たちにだって」

「ちょっと…実際に捕まえる方法とかは置いておこうよ」

 そう言うと、袈裟丸は腕を組む。

「まずは人物の特定だ」

「え?いきなり誰が殺したかってことに切り込むんか?やるな耕平」

「唐突過ぎるだろ。順序を追って考えないと…」

 じゃあ、と言って居石は顎に手を当てる。

「今から島民に聞き行くか?変な人見ませんでしたかぁって」

 居石は背筋良く座り、マイクでインタビューをするふりをした。

「現実的じゃないな。それは」

 だろ、と言って居石は体勢を崩す。

「とりあえず、前提条件ってやつだよ。いいか、この島と外の町を繋ぐ唯一のルートである月神橋は今日、爆破で通行できなくなった」

 居石は頷く。

「ということは、しおりちゃんを殺害したのはこの島の人間だってことになる。これは良いか?」

「そうだな、しおりが殺害されたのは、あの橋が壊された後だ」

「島の住人全員のアリバイとか、調べることは不可能だ。それは浜田さんがやってくれるだろうから、それもとりあえず置いておく…」

 居石は黙って何か考えている。

「どうした?」

「あのさ、さっきは息巻いていったけど…。しおりは自殺っていうことはねぇのか?」

 居石としては可能性を潰したかったのだろう。

「どういう状況が想定される?」

「自殺した理由とかは、わかる訳ねぇから無視するぞ。思い詰めたしおりは、自棄になった」

 うん、と袈裟丸は頷く。

「そん時、しおりは何を考えたかなって思ったんだよ」

 居石は誤解されやすい。

 やりたい放題、自由気ままな性格だが、人一倍相手がどう思うのか、考える人間である。

 損することもあるだろうが、本人がそれで良いと思っているので、仲間内では指摘するようなことはしない。

 それは袈裟丸もそうだった。

 だから、居石が発言したことに袈裟丸は懐かしい安心感を覚えたのである。

「やっぱり、本当の親の事とか、おっちゃんの事とか、それと島の事とか。考えたんじゃねぇかなって」

 袈裟丸は相槌を打ちながらそれを聞いていた。

「もっと想像するとだな。多分、最近この島が変だって思ってたんじゃねぇかな」

「変?」

「んー。やっぱり、開発機構が入り込んで島は変わったって思ってたんじゃねぇかな」

 確かに、外部の人間が入り込んで自分の生活圏で活動し始めると気になる人間もいるだろう。

「だから、それへの当てつけのためにあそこを死に場所に選んだっていう…」

「なるほど」

 袈裟丸は座り直す。

「しおりちゃんのこと考えてたんだな」

 そんなんじゃねぇよ、と居石は顔を赤らめていた。分かりやすいことも居石の良い所だと心底思う。話の中でも島のことを考えている。神野や浜田はしおりが殺害されたことを前提としているが、袈裟丸が指摘したように、その場合、島の人間であることは確定である。島へのアクセスが出来ず、救助も出来ないような状況の島である。外部からの人間が殺すことはできない。

 その場合、島の人間が殺人犯にされてしまうことが居石は嫌なのである。

 私情でしかないが、物事への入り口として、まず私情をオープンにしてぶちまけるという居石の方法は嫌いではない。

「この話をし始めた動機とおんなじだって。なんであいつは死ななきゃいけねぇんだって思っただけだ」

 口元は綻んでいたが袈裟丸は、わかったよ、と言った。そろそろ居石の話の方向性を正す時間である。

 居石自身もそれを望んでいるのかもしれない。

「じゃあ、粛々とお前の話のおかしい所を指摘するな。まず、そもそも自殺のセンは無い」

「どうして?」

「凶器が見つかっていない」

 居石は腕組みをして唸った。

「自殺ならば凶器が残っていなければおかしいだろ。死因は浜田さんが推定したように心臓への一刺しだ。想像を絶するけれど、自殺だっていうのなら、今もしおりちゃんの胸には今も刃物が刺さっていなければいけない」

 居石は唸った。うめき声に近い。

「まだ譲らねぇからな。じゃあ、死んだあと自動的にナイフを持ち去る仕掛けを準備していたっていうのはどうだ?」

「具体的には?」

 居石は、えーっと、と考える。

「訓練した鳥に運んでもらった」

「この台風の中で一匹でも鳥を見かけたか」

 居石は天を仰ぐ。

「じゃあ、これだ。刃物の持ち手とロケット花火をワイヤとかで結んでおいて、自分を刺した直後に火を着けた」

「ナイフはロケット花火の威力でしおりちゃんの身体から抜け出てどこかに飛んで行った?」

 居石は親指を立てる。

「もう一度言おうか?この台風の中でか?仮にそれが上手くいったとして、ロケット花火なんて飛んでいったら大きな音と破裂音がするだろ?」

 椅子の上で項垂れていた居石は、最早グロッキーだった。

 しかし、まだ食いつく。

「ちょっと待てよ…そうだ。あれはどうだ?風力発電」

「ほう」

「つまり…自殺した後の凶器の処分が重要ってことだろ。だったら、刃物にワイヤとか結びつけるのは同じで、ロケット花火じゃなくてあのへんてこな風車に取り付けんだよ」

 マグヌス式縦型風車の名称は居石の頭から抜けているのだろう。

「しおりが倒れていたのは真ん中の鉄塔だろ?そうだな…右隣にある、二番目の鉄塔に風車に取り付けたんだと思う。あとは、風で回ってっから、ワイヤが巻き付けられて持って行ってくれる。これどう?」

「んー。イマイチ」

「どこがだよ」

「巻き付けた後の凶器の回収ができない」

「…また短くまとめやがって…」

 居石は不貞腐れる。

「でも…今は方法が思いつかないけどさ、そうしたことをクリアできる方法があるかもしれないだろ?」

「そうだとしてもあそこで自殺は無い」

「お前も強情な奴だなぁ。具体的な策は言えてねぇけど、可能性ぐらい感じてもらっても良いだろう」

「無いものはない。少なくとも、あの場で自殺はしていない」

「ちょっと待て、それは話が少し違うな。お前、自殺は無い派じゃねぇのか?」

 居石が身を乗り出すと、真剣な眼差しになった。

「無い。でも、あの羽のところでの自殺を考えた場合だ」

「場所が違うっていうのか?」

「自殺の場合な」

「しおりは…ゾンビだった?」

「ちょっと待て。思考が小学生レベルだ。少し落ち着いて考えろ」

 居石は椅子に深く腰掛け、目を閉じ、腕を組んだ。

 嘘だろ、と思いながらも袈裟丸は居石が口を開くのを待っていた。

「しおりは…違う場所で自殺した?」

「そうなるだろう?もし自殺っていうことを考えるのであれば、あの状況から風車の中で自殺した、っていうことはあり得ない」

「そうかぁ?自分が言うことじゃねぇかもしれねぇけど、想像が過ぎるんじゃないか?」

「根拠はある。しおりちゃんの死体発見現場だ」

「風車だろ?それがどうしたよ?」

「下から見る限り、鉄塔に血が付いていなかった」

 居石の動きが止まる。意味していることが分かったからだろうと袈裟丸は思う。

「刃物で胸を一突き、しかも突き抜けていたっていう話だ。だとすれば出血量も多かったのは簡単に想像できる」

 袈裟丸は指でテーブルをトントンと叩く。それほど大きな音ではない。ただリズムを取っているだけだった。

「でも、鉄塔や風車に血液が付着している様子はなかった。寝かされていたところには多少はあったかもしれないが、傷の規模を考えればもっと血液が流れていても不思議じゃない」

「なるほど…つまり、その跡がなかったってことだから…そこで自殺しているわけではないと…。ん?ちょっと待て。それは他殺だとしても同じじゃないか?」

「そう。とりあえずお前の自殺説も含めて、しおりちゃんは、風車のある場所で死んだんじゃない。どこか別の場所で命を落とした後、あの風車に運ばれたんだと思う」

「凶器の刃物がなかったっていうことも説明がつくってことか…」

「そう。だから、自殺であっても、少なくともしおりちゃん以外にもう一人関わっている人間がいたっていうことだ。その人間が、しおりを殺害、あるいは自殺したしおりを風車まで運んだ」

 居石の口角が僅かに上がる。

「お前、やっと自殺説も認めるようになってきたな」

「勘違いすんな、何度も言っているけれど、自殺は無いって」

「何でだよ」

「刃物で胸を一突きするっていう自殺方法があってたまるかよ」

「そこは…」

「無視できないからな。自殺説をとるなら、そこはクリアされないとダメだ」

「そりゃ…難しいな…。あ、じゃあしおりは絞殺されたっていうのはどうだ?」

「首を絞められた痕跡は、死体を確認した浜田さんが否定している。死因は刺殺だっていうのを忘れんなよ」

「首を絞めた後、刺されたって思ったんだけどなぁ」

「そんな痕跡なかったからなぁ」

 居石は暫く黙って考えていた。

「分かった。やっぱ…他殺なんだな」

 袈裟丸は頷く。

「だから、さっきまでの話をまとめると、しおりちゃんは、鉄塔とは違う場所で、殺害された後、あの風車まで運ばれたっていうことになる」

「いやーまとまったな」

「お前が自殺とか言わなければもっと簡単にまとまってたんだよ」

「必要じゃねぇのかよ。可能性を潰していくっていうのは検証の過程で必要だろうよ」

「さすが実験屋は違うね」

「お前も同じだろ?」

 袈裟丸はそれには答えず、さて、と言った。

「次は凶器の問題だ」

「それの何が問題なんだ?」

「少しはお前も考えてくれよ。いいか、使われた凶器は人を突き刺せるような鋭く、そしてある程度の長さが必要だっていうことだよ」

「うん。身体の後ろまで突き抜けてたんだろ。そりゃそうだな」

「この島の中でそれだけの条件が揃った凶器っていうのはそんなに数は無いんじゃないかな」

 居石は顎に手を当て、ゆっくりと左右に摩りながら考える。

「そんじょそこらのナイフじゃあ、難しいってことだろ?」

 んー、と唸る。

「そう考えると、おっちゃんの言ってることも、意外と間違ってないんじゃないかなって思うわなぁ」

 諌に詰め寄り、お前が殺したんだろ、と言った神野の声が再生される。

「極めてシンプルに考えりゃ、そうだろうな。諌の持っている刀が凶器、っていう方が全員納得するだろうし」

 でもなぁ、と居石は立ち上がる。

 そのまま食堂を歩いて行って、キッチンの方に向かう。勝手に冷蔵庫を開けて、自分の家の冷蔵庫の様に中身を物色する。

 業務用冷蔵庫ではあるが、居石が漁っている姿が堂々としているので違和感がない。

 居石は缶ビールとチーズを持ってきてテーブルに置く。

「一応、お前の分も持ってきたけど、無理して飲まないで良いからな」

 居石なりの気遣いだった。自分はすぐに缶を開ける。

「いや、少し飲もうと思う」

 真面目な顔をして袈裟丸は言った。缶のプルトップを開けると、居石と黙って缶を突き合わせる。

「しおりに」

 一口袈裟丸は飲む。炭酸が喉を刺激する。長い一口を飲み終えた居石はチーズを口に放り込んだ。

「耕平、可能性としてさ、諌の刀以外にあると思うか?」

「そうだな…直接傷口とか見たわけじゃないから…何とも言えないけど…」

 袈裟丸は少し考える。

「例えば、包丁、刺身用の柳葉包丁ってあったと思うんだ。細身で長い。刀よりは短いけれど、似ているっちゃ似ている」

「包丁ねぇ。どこの家にもあるけどな」

「柳葉包丁は文化包丁よりもマイナだからな。どこの家にもあるわけじゃないよ」

 ふーん、と居石は言う。

「他の可能性を考えたいのか?」

「いや…あの交渉人はさ、ずっと肌身離さず刀持ってるって言ってたような気がするんだよな」

「言っていたかもしれない」

「だったら、あの刀を使ってしおりを刺すのは諌しかできないってことだな」

「うん」

「これで凶器と犯人の問題は片付いただろ。諌がしおりを刺し殺した。刺した場所が都合の悪いところだったから風車の上に移動させた」

「ちなみに刺した理由は?」

 それ、と居石が声を上げる。

「交渉人の依頼主は誰だったか」

 ほう、と袈裟丸は言った。

「交渉人の依頼者は、あの爬虫類だろ?あの爬虫類は風力発電やらそういう施設の建設に反対していた、さらにこれからもあの会社は島でなんかするつもりだっただろう?つまり、しおりはこれ以上島の開発を進めさせないために殺害されたんだよ」

「開発中止に追い込むってことか…」

「そう。島民全員の許可を得ずに勝手に作りやがって、ってことでしおりを殺害して見せしめに風車に乗せたんだよ。ったくひでぇな…」

「盛り上がってるけど、まだ決まったわけじゃないからな。今にも飛び出して行きそうだけど、勘違いするなよ」

「お前は怒りが湧かねぇのか?見せしめのために殺されるってどんだけ理不尽か…」

「だから、決まったわけじゃないって言ってるだろう?」

 怒りが過ぎる居石へ、酒取り上げようか、と言ったら黙った。

「要、開発を中止にしたいなら、なぜしおりちゃんが殺されるんだよ。効果的なのはどちらかと言えば、開発機構の職員の方じゃないかと思うんだけど?それにすでに建設した風力発電機で…というより、これから建設される施設の予定地で殺害するほうがさらに効果的だろ」

「そう…か?」

「殺害したから新しい施設の建設を取り止めにするとか、島から撤退を促すっていう効果は薄いんじゃないかな」

 さらに、と袈裟丸は続ける。

「爬虫…じゃなかった。石田さんが言うには、諌はよほどのことが無ければ刀は抜かないって言ってたけどな…」

「そんなん信じるのか?」

 頭から信じているわけではない。しかし、あんな格好で交渉人を名乗って、それでいて石田も仕事を依頼するような人物である。ある程度そのスタンスは評価されているのではないだろうか。

 んー、と袈裟丸は唸った。

「やっぱり…それに答えを出すにはまだ島の事、俺らは知らなすぎる」

 置いておこう、と決め台詞を言う。

「話は凶器に戻そう。とはいっても…凶器の事もこれ以上言えないか…」

 お、と居石が食堂の端にある島の観光案内用のチラシ類の中から、日本電力開発機構のチラシを持ってきた。

「これ…白田さんたちのチラシじゃん」

 袈裟丸も覗き込む。

「ああ、あれだよ、風力発電の建設の時に説明のために使ったチラシだね」

 説明会の開催案内で、会場や時間帯、説明会プログラム、賛成派代表神野のコメント、特徴的なのは島に移り住んだ五人のプロフィールまで書かれていることだった。

「五人とも島の出身だったんだな」

「おっちゃんが外に出て行っても結局、島に戻ってくるっていう話、してなかったっけ?」

「そうだっけ?」

「あ、そうだ。こうしたチラシをさ、たくさん集めて丸めて槍みたいにするっていう…」

「却下だ。どんだけ時間かかんだよ」

 凶器に関しては、それ以上の進展はなかった。

「じゃあ、次はしおりちゃんをどうやって風車に横たわらせたかだな」

「一番高い鉄塔だったしなぁ。無理じゃん」

「ざっくりとした感想だけれど、確かにそれは思う」

「おっちゃんがやったように鉄塔の中を担いで登って行くっていうのは?」

「いや、厳しいだろ。人が一人通れるくらいの内径だって言ってたよ。白田さんが」

「入り口近くまでしおりを引張って行って、ロープを着けておいてさ、階段を上った段階で上から引っ張り上げるっていうのは?これイケんじゃね?」

「同じだよ。むしろ足場が悪いから、引っ張り上げるっていうこと自体が難しい。それにそこから先だって、もっと危険だろ。外に出るんだぜ?」

「あの高さはなぁ…俺でも怖えぇ」

 袈裟丸も同感だった。神野がしたのと逆に、ハーネスを着けて鉄塔の外に出てから引っ張り上げるのも苦労するだろう。

「でも、神野さんがやったように外に出てから引っ張ることはできるか…」

「降ろしたんじゃなくて逆に引っ張るんだな」

「ああ…。あ、でも駄目だ」

「出来そうじゃねぇか?」

「殺された時間帯だよ。雨風が大人しくなったのは夜の九時頃からだ。それ以前は強い雨風が吹いていたはず」

 居石も、ああ、と言った。

「そりゃ無理か…。おっちゃんの時はかろうじて台風の目に入ってたんだったな」

「別の方法を考えないといけない…」

「じゃあ…逆だな」

「下から?」

「そう、しおりの死体だけ持ち上げんだよ。こう…トロッコみたいなもの使って」

「トロッコ?えっと…滑車のことか」

「そう言っただろ?」

「言ってない。トロッコと滑車間違えんなよ。そうだな…でもそれだけだと難しいかも」

「どこを解決する必要があんだよ」

「滑車で持ち上げられたところでどうやって風車の中にしおりちゃんを置くかってことだよ」

「滑車を風車の中につけとけばいいだろ?」

 まあそうなんだけれど、と袈裟丸は言う。

「忘れてることがあるだろ?しおりちゃんが殺害されたと考えられる時間帯は台風の影響が強かった時間帯だ」

「知ってるよ。だから上からだと難しいっつって、下からってことだろ?」

「だから、風も雨も強かったんだよ。だとすると風車は結構な勢いで回っていたはずなんだ」

「お…おう…なるほど…」

「そんな状態で風車に滑車を取り付けてしおりちゃんを持ち上げることは難しいだろ」

「下からも駄目ってことか…」

「いや、駄目ってことじゃないと思う。上から吊るして持ち上げるっていうのが無理なんだから、下からってことになるんだよ」

「方法が違うってことか。なんだろ…重機を使うか?」

「そんなもんこの島で見たか?」

「どっちにしても台風って条件が足かせだな…。しおりを風車に寝かせた時間帯がわかりゃ多少は…」

「そりゃ午後九時半だよ。ほぼ間違いないと思う」

「解答が早えぇよ。なんで分かんだよ」

「川角さんが言ってただろ。風車のモニタリングをしているって。回転に異常が起きたのが午後九時半頃で、見に行ってみたら、しおりちゃんが風車に横たわっていたっていうんだから、その時間帯で風車に置かれたってことで間違いないだろ」

「ぐうの音もでねぇな…。でも…どっちなんだろうな」

「何が?」

「乗せるために風車を止めたのか、乗せたから風車が止まったのか。同じかもしれねぇけど、微妙に違うよな?」

 袈裟丸は考える。居石の指摘も、もっともなことだった。

「これは…しおりちゃんを乗せるために回転を止めたんだろうなって俺は思う」

 居石は唸る。

「回転したままの風車に人を乗せるのは難しいだろうからね」

「ということは…しおりを殺した奴は最初から風車に乗せようとしていたってことだな」

 袈裟丸は頷く。

「そういうことだと思う。だとしたら、これも犯人側の理由があるってことなのか。今の段階ではわからないってことなのかもしれない…」

「わかんねぇこと多すぎるだろ」

「仕方ないって。知ってる範囲の中でしか推論できないだろう」

 袈裟丸の発言を聞いていたのか、居石が突然、あ、と言った。

「おい、おい、あのさ、あれって風力発電なんだよな?」

 早口で居石が捲し立てる。

「なんだよ。急にびっくりするだろ。そうだよ。白田さんも言ってただろ。マグヌス式風力…」

「ってことは、発電するってことだよな?」

「文字通りだ。そうだよ」

「発電には、モータを使うんだよな?俺の理解の範囲だと」

「まあ…そうだね」

 だんだん居石が何を考えているのか、気になってきた。

「つまり…えっと…風を受けて、モータが取り付けられたプロペラが回ってそれで発電するってことだな?」

 袈裟丸は黙って頷く。

「じゃあ、そのモータに電気を流せば、好きなようにプロペラを回転できるってことだな?」

 やっと居石が何を言いたいのかが分かった。

「今回の場合、あの変な形の…マグヌス式っていう風車を使っているんだろ?あれを見た時にずっと、どっかで見た形だなって思ってたんだよ。さっき急に思い出した。あれ、田舎のばあちゃんが使っていた糸巻きに似てるんだよ」

 居石の抱いていたイメージが、すんなりと袈裟丸の頭に入ってきた。確かに似ている。

 居石は目を見開いて興奮しているようだった。

「モータに逆に電気を流して、回転させることができりゃ、それを使ってロープを巻き取れるんじゃないか?」

「可能性としては、ありだな。マグヌス式の三つの筒に巻き付けるように、それこそ糸巻きのようにして、巻き取れればしおりちゃんを風車まで運ぶことが出来る。後は最小限の手間で発見時の状況が再現できるよ」

 居石は、よし、と言って手を叩いた。

 二人共、議論が落ち着いて席に戻った。

 ビールを一口飲んで、喉を潤す。熱を持っていた喉が冷やされるのを感じた。

「ここら辺までかな。話しできることって」

「あとは…見てみねぇと分かんねぇよ」

 二人の視線が交わる。それぞれの真意を探っている。

「行く?」

「行く」

 瞬く間の回答に袈裟丸は溜息を吐く。

「んじゃ、行くか。外は…風がさらに強くなってきたな。傘は危ないからレインコートだな」

 勢いよく立ち上がった居石は玄関から二人分のレインコートを持ってきた。神野が用意していたものらしい。蛍光色で暗闇でも安全に違いない。

「ん?」

 テーブルの上で振動を感じた袈裟丸は置いてあったスマートフォンを見る。

 古見澤からの着信だった。

「あ、古見澤からだ」

「忘れてた。あいつどうしてんだ?」

「さっき言ってた、知り合いの先生の家だろ。いいもの食べてるんだろうな」

 そう言って袈裟丸はスマートフォンを耳に当てる。

「もしもし、古見…」

『二人共逃げろ』

「はあ?」

 袈裟丸の声が思いのほか異様だったのか、レインコートを着ようとしていた居石の動きが止まる。

 その時、玄関のドアが開く音が聞こえた。

「おっちゃん帰ってきたんじゃねぇか?浜田さんも一緒だったら連れていってもらおうぜ」

『いいか、とりあえずその場から逃げるんだ。早く』

 居石が玄関に続くドアに向かおうとすると、勢いよくドアが開く。

「うお、ちょっと、おっちゃんびっくりするだろ」

 神野は浜田を従えていた。神野は食堂の電気をすべて点灯させた。

 表情を変えることなく、ゆっくりと袈裟丸と居石を確認する。

「なんだ、お前ら、まだ起きていたのか」

 ため息交じりに神野は言った。

『いいか、誰とも会うんじゃない。風力発電機の先に小さな船着き場がある。そこまで行くんだ。塗師さんが待っている』

 神野は袈裟丸が電話をしていることに気が付くと、目つきが変わる。

「おっちゃん、いや、浜田さんにお願いした方がいいか」

「要、ちょっと待て」

 神野の後ろからゆっくりと出てきた浜田の目は据わっていた。

 浜田は素早く腰から伸縮式の警棒を取り出す。それを伸ばすと同時に居石に振り下ろした。

「ちょ…」

 居石は一歩踏み込んで両手を交差させ、その交点で浜田の腕を受ける。

「何すんだよ」

 浜田は前蹴りで居石を蹴る。

 居石は腹に蹴りを受けたものの、後方に飛んでそれを受け流す。

「痛ってぇ。なんだよ」

 居石は二人から視線を外さずに、後ろ歩きで袈裟丸の所まで戻ってくる。

「要、逃げるぞ」

 小声で袈裟丸が言う。

「何で逃げるんだよ」

「古見澤がそう言ってる」

 居石は一瞬躊躇したが、再び神野たちの方を向く。

「なあ、おっちゃん、俺たち、誰がしおりを殺害したかってこと、議論してたんだよ」

「ふん、そうか。それで…何かわかったのか?」

「やっぱ見ねぇとわからんことが多いんだよ。だから浜田さんに連れていってもらいたいところがあるんだよ」

 そうか、と神野は残念そうに言う。

「お前らはしおりを殺した犯人を捜してくれているのか」

「さっきまで話してたんだよ」

 にこやかに言う居石の腕を袈裟丸は引張っていた。

「居石、行くぞ」

 その声はまだ届いていない。

 神野は顔を上げて二人を見て言った。

「しおりを殺したのは、俺だ」

 その時どんな顔をしていたか自分ではわからなかった。

 居石は感情が消えた、何も考えられていないような表情をしていた。

「おっちゃん?何…言ってんだ?」

「聞こえなかったらもう一度言うが?」

 それに居石は、もう一度行ってほしい、とは言わなかった。

 二人が考えていた、しおりを殺害した犯人が、目の前にいる。

 何も言えなくなっていた二人に、神野は続ける。

「次は、ゆのの番だ」

 その言葉は空しく響いた。

 袈裟丸の視界は狭くなり、息苦しくなる。

 見ている世界がぐるぐると回っているように感じた。


 月神町 安田氏別荘


 一階リビングには古見澤と安田家の三人が集まっていた。

 警察と救急が到着するのは時間がかかるということだった。

 それがどれくらいか、電話をした重岡も分からないということだった。

 リビングのソファでは知美が顔を覆うようにして泣いている。

 その知美を慰めるようにして安田が肩を抱いている。

 古見澤は窓際に立って庭を眺めていた。

 濡れていた服を着替える暇もなく、まだ湿っぽい。

 重岡は黙ってリビングの入り口付近に立っていた。

 発見された安田幸助は重岡と古見澤で確認したところ、間違いなく息絶えていた。

 後頭部から出血を確認できたため、現時点の理解としては後頭部に強い衝撃が加わったことによる死ではないか、という判断だった。

 可能性としては高所からの転落も考えられる。

 まだ断定はできないが、いずれにしても死んでいることには違いない。

 遺体は、流石に風雨にさらしておくのも良くないということで、安田のスマートフォンで撮影の後、室内の幸助の部屋に移動させている。

 動かさずにその場に静置しておく方が、警察にとっては最適な方法だったかもしれないが、知美の懇願を退けることは誰にもできなかった。

「すまないな…古見澤君。こんなことになってしまって…」

 古見澤は返す言葉がなかった。

 その間も知美はしゃくりあげるように泣いていた。

「幸助さんはどこにいたんでしょうね」

 古見澤の質問は、この場にそぐわないように思えたが、古見澤としては気遣ったつもりだった。

「知らん…。部屋にいたんだろう…。知美もそう言っていた」

「ですが、今は外に…」

 古見澤が言い終わる前に、知美の叫び声が響いた。

「どこだっていいでしょう。あなたが…あなたが来なければ…あの子は死ななかったかもしれない…」

 知美はそうやってまた顔を押さえる。

「やめないか…。なんの根拠もないだろう。古見澤君、気にしないで」

 安田は慰めているのだろう。

 知美がそう言いたくなるのも理解できた。

 今日だけで二件、幸助の件を含めれば三件の人が死んでいる。

 行く先々で人が死ぬ。

 古見澤は疫病神とは自分のことを言うのかもしれないと思った。

「そう言いたくなりますよね。分かります」

 でも、と古見澤は続ける。

「幸助さんがなぜ亡くなったのか。知らなくてはいけないと思うんです」

 安田は顔を上げる。

「それは…警察がやってくれるだろう」

 古見澤は頷く。

「その通りですが、こちらでも亡くなった前後の幸助さんの行動を説明することになると思います。それはを把握しておくことが必要だと思うんです」

 安田と知美は困惑した表情だった。

 知美は目を腫らしている。重岡は表情を変えずに黙って古見澤を見ていた。

「今日、最後に幸助さんを見たのはどなたでしょうか?」

 返事を待たずに古見澤は続ける。

 安田は知美に視線を送る。

「知美さんですか?確か、僕がここに来た時にさっきまでこの部屋にいたって言っていましたよね?」

 知美は落ち着いたようで、深呼吸をしていた。

「ええ…ちょうどここに座って…携帯を見ながら、真剣な表情をしていました…」

「幸助さんが席を外したのは、いつごろでしょうか?」

 タイミングが合い、会話が成立したので古見澤は質問を続けた。

「十時半を回っていて…あなたが来るって知っていたから…食べ物の準備をしようと思ってキッチンに立ったら…あの子も…」

「部屋を出て行った?」

 知美は頷く。

「先生と重岡さんはその後、幸助さんを見ましたか?」

「私は…君と一緒だっただろう?」

 安田の発言に古見澤は頷く。

「私は、古見澤様をお迎えした後、自室に行きまして所用を済ませておりました。奥様のお手伝いをしようと部屋を出ましたら、幸助様が家から出る所でした」

 重岡の証言に安田夫妻は興味を示した。

「それは本当かね?」

 知美も懇願するような目で重岡を見ている。

「はい。確かに後ろ姿でした。丁度家を出る所で…声をおかけする前に扉が閉まってしまったので…あの時、お声かけしておけば…」

 重岡は残念そうに言った。

「重岡さん、あなたのせいではないわ。気を落とさないで」

 知美の発言に安田も頷いている。

 古見澤は別の質問をすることにした。

「その…聞きづらいのですが…幸助さんは思い詰めていたということはありませんか?」

「自殺だって言いたいのか?」

 そういう訳ではない、と言いかけるが、聞いている内容はそれを想起させる。

「再現性の検証範囲内で自殺という可能性があるのかどうか、それを知りたいのです」

 安田は古見澤の回答を聞くと、ゆっくりと知美の方を見る。

 安田自身は自分の子供が日常どう考えているのか、分かっていないようである。

 研究や教育に時間を費やしている生活である。

 古見澤には強がっていたものの、実際はどうか、自分の意見が無いのである。

 自分に視線が集まっていることに気が付いた知美は、促されるように思い出し始める。

「あの子は…口数が少なくて、親の私でも何を考えているのかわかりませんでしたけど…私や夫の誕生日にはお小遣いやアルバイト代から自分でプレゼントを送ってくれるような子でした。それに…友達も多くはありませんけれど、いないことはないですし、これから大学受験に向けて頑張ろうと言っていましたし…」

 黙っていればまだ出てくるような気がしたので、古見澤はありがとうございました、と言って遮った。

「思い至らない、ということですね」

 古見澤は腕を組むと、庭を眺める。

 先程まで幸助が倒れていた道が東屋へと伸びている。

「外に出て行ったって…この台風の中どこへ?」

「旦那様、奥様、お心当たりは御座いませんか?」

 立って見ていた重岡が尋ねる。

 安田は知る由もない、と言う顔をしている。

 知美は素直に心当たりを思い出そうとしていた。

 古見澤は迷っていた。

 真実を告げるべきかどうか、悩んでいた。

 幸助は間違いなく、殺害されている。

 自殺ではない。

 この場で告げるべきかどうか。

 その後に起こりうるであろう出来事が想像できない。

 一つ溜息を吐く。

 しかし、この場にいつまでも留まっているわけにはいかない。

 島に行かなくてはならない。

 安田から聞いた話と、これまでの事から、古見澤は一つの結論を出していた。

 それが正しければ、幸助殺害も無関係ではない。

 それに、自分は関わりすぎてしまった。

 もう終わりにしなければならない。

「ふー」

 古見澤は覚悟を決めた。

 振り返った古見澤は、溜め息で注目を浴びていた。

 怪訝そうな安田家の三人に告げる。

「幸助さんを殺害した人間に自首してもらいたいと思います」

 三人とも見事に怪訝そうな表情を見せた。

 誰かが口を開く前に、話を始める。先手必勝である。

「さて、まず、皆さん幸助さんが家の外に出たということで話を進めていますが、それはあり得ません。重岡さん、あなたは嘘をついています」

 重岡が目を見開く。

「重岡さんは幸助さんがこの家を出て行く後姿を見た、と証言しました。これがあり得ません」

「何があり得ないというんだ?」

 安田が言う。

「先生、お忘れになっています。先生と奥さんが気付かないといけないことです」

 夫婦でお互い顔を見合わせる。

「仮に幸助さんが家を出て行ったのであれば、あの大きなサイレンが家に響いていたはずです。僕はもちろん聞いていません。お二人はどうですか?」

 安田も知美も首を振る。

「特に、奥さんが気付いていないのはおかしいです。奥さんの耳が悪いために取り付けられたサイレンです。非常に高い音でしたが…すみません、話が逸れますが、奥様は低すぎる音が聞き取りづらいのではないですか?」

 知美は頷く。

 ありがとうございます、と古見澤は言った。

「そうなると、そんな音はしなかった、ということが事実になります。ということは、家の外に誰も出ていない、ということです。しかし、実際には幸助さんは庭で倒れていました」

 古見澤は庭を指し示す。

「これが僕には不思議でした。サイレンが鳴らなかったのになんで幸助さんは外にいたのか」

 安田家の三人は黙って古見澤を見ていた。

「答えは単純です。扉以外から外に出ていたんです」

「なんの…ためにでしょうか?」

 重岡はおずおずと尋ねた。

「すいません、言い方が良くなかったですね。自発的に外に出ていたわけではありません」

 落ち着き払った顔で重岡は古見澤を見つめている。

「幸助さんは殺された後、外に出されたんです」

 安田がはっきりと困惑した表情を見せた。

「幸助は殺害されてから庭に放置されたと?」

「はい。幸助さんの遺体は、殺されてから外に出された。でも殺された直後ではありません。一度、仮り置きされて、その後庭に出現した、と言うのが正しいです」

「何が違うのか…わからないのですが…」

 知美は掠れた声で言った。自分の息子が殺されたのならば、その理由を知りたいという気持ちは古見澤にも理解できた。

「言い方を変えます。殺された時間と庭に現れた時間には差があるということです」

「待て、そうすると…幸助は家の中で殺されたということなのか?」

「そうです。サイレンが鳴っていない以上、そうなります」

「なぜ庭なんかに…」

「幸助さんを発見した時に犯人自身にアリバイが必要だったからです。幸助さんの発見を誰かと一緒に体験することで自分は容疑から外れようとしたのだと思います。ですが…これは良く分かりません」

 困惑する表情を崩さすに安田は古見澤を見る。

 古見澤は話を進める。

「恐らく、幸助さんが殺害されたのは自分の部屋でしょうね。後頭部を殴打されています。自分の部屋の机に座っているところを後ろから襲われたのでしょう」

 そうなると、と古見澤は続ける。

「誰か部屋に入ってきても背中を見せることができるということはそれなりに近しい人物、この場合、皆さんの誰かということになります」

 知美が息を飲む音が聞こえた。

「あとは消去法です。安田先生とはこの家に来てから僕と一緒にいました殺害のチャンスはありません。そして奥さん、こんな夜更けに来た僕なんかのために美味しい料理を作ってくれていました。ほぼキッチンから離れることはできなかったでしょう。それに幸助さんとの体格差もあります。なにより、お酒を飲み始めてからしばらくして席を離れて、先に休まれています。幸助さんが庭に現れるタイミングを一緒に見ることはできません」

 全員の視線が一点に集まる。

「重岡さん、幸助さんを殺しましたね?」

「はい。殺しました」

 あまりにもあっけなく、いつもの調子で言う重岡に、安田夫妻は暫く黙ったままだった。

「重…岡さん?あなたが…」

 知美がだらしなく口を開いたまま言う。安田は目を見開いて重岡を睨んでいた。

「あなたは、奥さんがキッチンで料理をして、僕と先生が書斎で話をしている間に犯行に及びました。幸助さんを撲殺した後、シアタールームに幸助さんの遺体を運び入れました」

 重岡は柔和な笑顔を崩していなかった。

「最初にシアタールームを見せてもらった時に気が付きませんでしたが、入ってすぐの正面にあるスクリーン、その後ろには窓があったんですね」

 安田は頷く。

「庭に出た時に気が付きました」

 古見澤は笑顔で返した。

「重岡さんは幸助さんを殺害後、シアタールームに運び、スクリーン後ろの窓から外に向けて吊るしました。その時に傾けておいたんです。こう、組体操のサボテンみたいに。首に紐を巻いて、足を外壁に突っ張らせるようにしてセットすると上手くいくと思います」

 この例えで三人が納得するかはわからなかったが、誰も疑問を上げなかった。

「そのまま放置しておけば、台風の風でバランスを崩して庇に落下、その後、勢いで庭の十字路に落ちました。バランスがギリギリでしょうから、弱まっている風でも落ちたでしょうし、だんだんと風も強くなりますからね。最悪落ちなかった場合、夜中にこっそりと自分で落としに行けば良いんです。蓋然性が高い仕掛けですけど、上手く行ったようですね。」

 重岡を見ながら古見澤は説明していた。

「自分だけが知っていますからね。もし庭に落ちたら、それとなく発見すれば良い。さっき発見した時も、あなたが誰よりも最初に見つけましたね」

 安田も思い出したようだった。

「重岡さん、何か付け加えることはありますか?」

「いえいえ、何もございません」

 飄々としている重岡の顔は先程と変わらなかった。

「なんで、うちの子を?どうして…」

 知美が嗚咽気味に重岡に詰め寄ろうとするが安田に抑えられる。

「どうして…それは先生が良くご存じではないでしょうか?」

 安田は怪訝そうに重岡を見る。

「私は知らん…」

「そうですか、残念です」

「重岡さん、あなたは…月神島のご出身ではないでしょうか?」

 初めて重岡が動揺を見せた。

「そんな話は…聞いていない」

 安田が驚いた表情になった。

「古見澤様、どうしてそう思いますか?」

 古見澤は説明しようと口を開くが、それを重岡が遮る。

「いえ、聞くのはやめておきましょう」

「重岡さん、なぜ息子を殺したんだ。理由を言いなさい」

「先生、それはあなたが島の事を調べ始めたからでございます」

「な…趣味で勝手に調べていただけだ。それでなぜ息子が?」

「今日、古見澤様にお話になりました。先生がご趣味の範囲だけでとどめておけば、こうはなりませんでした」

 安田は首を絞められたように顔が青ざめた。

「そ…それだけの…理由で…」

 知美は脱力したようにソファにもたれかかっている。

「お二人には、それだけの理由でございましょうが、私にとっては、人を殺めるに値することでございます」

 そういうと重岡は頭を下げる。

「重岡さん、なぜ安田先生ではなかったのですか?あなたが言う理由ならば、対象となるのは先生のはずだ。息子さんを殺害することはなかった」

 はあ、と重岡は言うと、申し訳なさそうな顔をする。

「先生を殺してしまったら、自分がしたことを後悔できませんので。今後の成長に繋がりません」

 低姿勢に話す内容を、全員が静寂の中で聞いていた。

「そうですか…申し訳ないですが、僕にはあなたの言うことが理解できないようです」

「本当に…そうでしょうか?」

 古見澤の喉がぐっと締まる。

「本当は分かってらっしゃるのでは?」

 古見澤はその言葉がスローモーションのようにゆっくりと聞こえた。

「重岡さん、いずれにしても、あなたは人殺しに変わりありません。法で裁かれてもらうことになるでしょう」

「はあ、そうですか。そうなるでしょうね」

 重岡はスラックスのポケットに手を入れると、折り畳み式のナイフを取り出し、自然な流れで自分の首を切りつけた。

 あまりにも自然な流れで誰も動けなかった。

 それは、首から血が噴き出し、壁を真っ赤の染め、重岡がその場で倒れてしまっても続いた。

 我に返る様に古見澤は飛び出すと、テーブルを拭くために置いてあったタオルを手に近づくと首を押さえる。

 同時に安田が立ち上がり、知美は掠れた叫び声を上げた。

「先生、血を止めるもの、タオルとか、何でも良いから、早く」

 安田はリビングを飛び出して行った。

 あっという間に血に染まったタオルをきつく首に当てる。

 横たわっている重岡は力ない目で古見澤を見ていた。

 警察や救急車が到着した気配はない。

 自分の額に汗が浮かんでいるのがわかる。

「重岡さん、大丈夫ですか?」

 そんな時でも重岡は柔和な笑みだった。

 重岡はゆっくりと目を閉じる。

 重岡の身体の下に血液が溜まっていた。

 古見澤が持っているタオルも真っ赤に染まっている。

 どたどたと音をさせて、安岡が戻ってきたが、古見澤はゆっくりと重岡を床に寝かせた。

「…駄目か?」

 古見澤は黙って頷く。

 ゆっくりと立ち上がった古見澤の膝に重岡の血液が付着していた。

 短い時間で二人の命が消えて行った。

 安田は動かなくなった重岡の身体を見下ろしている。

 古見澤はジーンズの尻のポケットからスマートフォンを取り出した。

 振動を覚えたからだった。

 表示を見ると塗師からのメッセージだった。

「先生…申し訳ないですが、僕はもう出ます」

 安田は古見澤と外とを交互に見たが、ああ、としか言わなかった。

 外は雨と風が強いことは見ても分かる。

 それでも安田が止めなかったのは、静かに混乱していたのかもしれないと古見澤は思う。

 冷静に洗面所で手に着いた血を洗い落とすと、二階に上がり、自分の荷物を持ってきた。

 最後に再びリビングを見るが、安田も知美も同じ体勢で惚けた様にしていた。

 重岡自身が通報したので、待っていれば警察も救急隊も到着する。

 それでもこの二人を残していくことに少しの後ろめたさはあった。

 その感情を振り切って、けたたましいサイレンを背に、外に出る。

 傘を持っていなかったことに気が付くが、もう、この天候では意味がない。

 ゆっくりと歩いて門扉を開ける。

 車が二台停車している駐車場から僅かに離れたところで、軽自動車が止まっている。

 ナンバーを見てレンタカーであることに気が付く。

 古見澤はゆっくりとそれに近づく。

 軽自動車の運転席には塗師明宏が座っていた。

 古見澤は助手席ではなく、後部座席を開けて中に入る。

 塗師は黙ってシフトレバーを操作して車をバックさせた。

 さらに方向転換をすると安田家へ来た道を引き返した。

「ずぶ濡れだね?」

「どこまで知ってたんです?」

「答えになってないね」

 塗師は笑った。

 古見澤が黙ったままだった。

 車は林道から県道に入った。

 途中で三台の警察車両とすれ違った。

「先生の家に残らなくて良かったの?」

 すれ違った車を見送って塗師は言った。

「神野さんから、アルバイトの依頼があったって言いましたよね?」

「ああ、うん。そうだよ」

 軽やかに塗師は答える。

「どういう依頼だったんですか?」

 バックミラー越しの塗師は僅かに顔を顰めた。

「どう…って人手が少ないんで活きのいい若い奴、数人送ってって」

 最後は笑顔で締めくくった。

 塗師から聞き出すことは諦めることにした。

 短いやり取りで、時間の無駄だと古見澤は悟った。

「お願いした件はどうですか?」

「それはバッチリ。いつでもどうぞ」

「じゃあ、塗師さん一人でお願いします」

「君は行かないの?海の上は気持ちいいよ」

「残念ですが」

 ああそう、と塗師は言った。

 車は駅に近づく。

「ここで良いです」

「は?ここでいいの?雨だよ?傘持ってく?」

 塗師は言いながら車を路肩に止める。

「意味ないでしょう?」

「壊れちゃうか。そりゃそうだ。あ、そう言えばさ、人も同じだよね。ちょっと思っちゃった。自意識過剰なやつとか、自分勝手などうでも良い理由で殺されちゃったりするもんね。台風で壊れちゃう傘みたい」

「何ですか、それ。傘は自分の仕事を全うして壊れるんですよ。どうでも良い理由じゃない」

 塗師は笑顔を返すだけだった。

「もう一つお願いしても良いですか?」

「お願いがいっぱいだね。流れ星の気持ちが分かった気がするよ」

「これを居石に渡してください」

 古見澤はジッパ付きの袋に入った土器の欠片を渡す。

「何これ?チョコレート?」

「わかりません。でも食べ物ではないです。土器の欠片みたいなんですが」

「ふーん。これを居石君に渡せば良いの?」

「はい。それで三つとも口に入れさせてください」

「え?彼ってそういうプレイが好きなの?」

「それで感想を聞いて僕に連絡してください」

「君がそういうプレイが好きなのか?」

「良いですね?」

 塗師は、オッケィ、と言った。

「ここで君降ろして…君はどうするの?」

「考え事しながら歩きます」

「へぇ…青春だねぇ」

「塗師さんの送ってきた青春には少し興味がありますね」

「じゃあ、話そうか。まず…」

「あ、ちょっと電話するんで静かにしてもらえます?」

 塗師は残念そうな表情をする。

 頭の後ろで腕を組み、シートを僅かに倒して、終わったら教えて、と言って目を閉じた。


 月神島


「おっちゃん、冗談にしては面白くねぇぞ」

 居石は神野の言葉を冗談として受け止めようとしているが、表情から緊張が取れない。

「浜田がお前を襲っただろ?それを受けてもまだ言っていられるか?」

 居石は腕を摩る。

 痛みがまだ残っているかのようだった。

 袈裟丸は目の前で起きていることを理解しようとしていた。

 なぜかは知らないが、神野と浜田は、ゆのを殺害しようとしている。

 そしてしおりを殺害したのは自分達だと宣言している。

 神野の口から語られている内容が本当なのかどうか、わからない。

 だからと言って黙って見ているわけにはいかない。

 身体にじんわりと汗をかいている。

 暑いからではないことは分かっている。

 少なくとも良い汗ではない。

 最悪の場合、自分達の命の危険も考えられる。

「いや、おっちゃん、何言ってんだよ。しおりを殺した?ずっと一緒にいただろう?将太さんの家に俺たちと一緒にいただろうよ」

 居石の言う通りだった。

 自分より居石の方が頭は回っている。

 それは袈裟丸と同じく極度の緊張状態に置かれた結果、発揮されたものかもしれない。

「要、お前はもう少し落ち着いて考えろ」

 神野は親が子に言うように居石に語りかける。

「俺は自分が殺したって言ったか?」

 自分の顔が熱い。

 嫌な気分しかしない。

 居石もやっと神野が言いたいことが分かったようだった。

「おっちゃん…あんた…」

 神野が笑顔を浮かべた瞬間に、居石が沸点に達した。

 一歩で神野の目前に辿りつき、大きく拳を振りかぶった状態になっていた。

 しかし。

 浜田の膝が、居石の拳を遮る。

 さらに、浜田は警棒の柄の部分で居石の腹を打つ。

 腹を押さえて後ずさりする居石を袈裟丸は抱きとめる。

 そこからの居石の行動は早かった。

 テーブルに乗っているグラスや皿などを二人に向かって投げつけると、素早く住居スペースに向かって走り出す。

 袈裟丸も反応してすぐに身体が動いた。

 これは、二人が同じことを考えていたからである。

 しおりは、諌に殺害された。

 神野は明言しなかったが、高い確率で事実だろうと袈裟丸は考えた。

 何より、居石とのディスカッションで、しおりの死因に当てはまる凶器が、諌の刀しか思いいたらなかったからだった。

 だとしたら。

 ゆのを殺害すると宣言した神野は、その実行を諌に任せている可能性がある。

 石田についていた諌がなぜ神野の指令を実行するのか。

 不明な点はある。

 だが、今動けば、ゆのを救える可能性がまだ残っているのである。

 二人は住居スペースへ続く扉を押しながら入る。

 浜田が追いかけてくるが、袈裟丸はドアを閉めて体で押さえる。

 簡単に押されそうになるが、廊下に突っ張る様に手足を伸ばして耐える。

 居石が振り返る。

「行け、ゆのちゃんを頼む」

 居石は目的の扉を見つけて体当たりするように入る。

 扉を押す力が強くなる。袈裟丸は座り込んでさらに手足に力を加えた。

「ふぇえ…お兄ちゃん…何?」

 次に居石が廊下に姿を現した時、ゆのを背中に乗せていた。

「耕平、行くぞ」

 居石は背中にゆのを置いたまま、廊下の途中にあった段ボールを押してきた。

 何が入っているのかわからないが、居石が重そうにしているのだから、簡単には動かせないものであることは間違いない。

 居石はそれを扉の蝶番側に密着させて置いた。

「耕平、立て」

 力を抜いて立ち上がった耕平は、重いとは言っても、ドアの高さの四分の一程度の段ボールでドアを押さえられるのかわからなかった。

 しかし、簡単にドアは開けられない状態になっていた。

「ほら、早く」

 居石は自分たちの部屋に入ると窓を割る勢いで開ける。

 外を見るが、他に人はいなかった。

「一度、配送の人に玄関ドアの所に荷物置かれてな。実家の母ちゃんからの差し入れで米とか入ってたんだけど、今みたいな位置に置かれたんだよ。そしたら全くドア開かねぇの。あの時は窓から出たんだけど、今回もだな」

 居石は袈裟丸の鞄を持って放り投げる。

「耕平、これ持って行って。ゆの、行くぞ。少し濡れるけど振り落とされんなよ」

 そういうと居石は颯爽と窓を飛び越えていった。

 袈裟丸もそれに続く、

 居石はすぐに建物の裏手に回る。

 袈裟丸もそれに続くと息をひそめた。

 しばらくすると、神野と浜田が民宿から出てきて何やら会話を交わす、そして二人は車に戻り、公民館の方に向かって走り出した。

 それを見届けた居石は、玄関から民宿に戻る。

 下駄箱から靴を取り出すと再び雨と風の中に戻る。

「お兄ちゃん…濡れるの嫌だ」

「ゆの、今は言えねぇけど、緊急事態だ。この状況でお前も感じるだろ?間違ったら、お前は死ぬ」

 死、という単語でゆのの身体が固まったのが分かった。

「いいか?俺と耕平の言うこと、しっかり聞くんだ。いいな?」

 袈裟丸が初めて聞いた、穏やかな居石の声だった。

 パジャマ姿のゆのは、静かに頷く。

「よし。じゃあ、耕平、どこに行けばいい?」

「それは俺任せかよ」

「俺に任せてもらっていいのか?」

「それは不安だな…わかった」

「だろ?それで、どこだ?」

 袈裟丸は少し考える。車の方角から恐らく公民館である。

「よし、将太さんの家に行こう。そこで体勢を立て直す」

 言い終わる前に居石は走り出していた。

 極力、こそこそと動くように意識して居石は進んだ。

 風も雨も極めて強くなっている。

 視線の奥に見える風力発電の鉄塔は、今三本とも風車が回っている。

 風は強いながらも一定のリズムで猛烈に流れている。

 鉄塔の周囲の木々も風の強弱と共に何度もしなりを繰り返していた。

 袈裟丸は考えていた。

 居石が体力面で活躍してくれている。

 あの窮地を脱してゆのを今ここに連れてこられたのも、居石の活躍が極めて大きい。

 だから、自分は頭を使うのが役目だろうと思う。

 だが、この台風の中ではしおりの事件のことよりも自分の命を守ることの方に頭の領域が使われている。

 しかし、なぜ古見澤から逃げろという連絡が来たのかという疑問は常に頭にあった。

「耕平、なんで将太さんの家なんだ?公民館に近いじゃんか」

「月並みだけど、灯台下暗しってやつだよ。それに生活用品がある程度揃っていたはずだ。次の行動までのベース基地ってことで」

 居石は頷くと先を急ぐ。

 雨戸を締め切った民宿や土産屋がひっそりと並んでいる。

 外灯も点々としているので暗がりが多い。

 諌が関わっている以上、こうした暗がりにも気を配らなければならない。

 居石を先頭に民宿土産物の並びを抜けると、目前に二股の道が見える。左が鉄塔の置かれた草地に繋がり、右手が公民館や将太の家がある一帯に向かう道である。

 居石が黙って右側の道を指で示す。

 袈裟丸は頷いた。

 思い立ち、居石の前を歩くことにする。居石が考える時間をなくすような配慮だった。

 幸いなことに誰にも会うことなく将太の家まで到着した。

 家の照明は全部消えている。

 先に袈裟丸が玄関を開けて中を確認することにした。

 一階廊下の電気を点ける。玄関の照明は点けなかった。

「大丈夫そうだ」

 居石とゆのを招き入れる。三人ともびしょ濡れだった。

 静かに上がると、三人で一階の奥の部屋に向かった。将太の部屋は二階だが一階の奥の部屋は仏間だった。恐らく親が寝室に使っていのだろうと考える。

 袈裟丸は窓際に近づき、閉まっている障子を開ける。

 窓は雨戸が閉められていた。

 それを確認した袈裟丸は、部屋の照明をつけた。

「ああ、疲れた」

 ゆのを降ろすと畳の部屋に大の字になって転がる。

「要、そのまま身体を休めててくれ」

「ああ、そうするわ。あ、そうだ。お前の鞄、その中にゆのの着替え入れてきたからゆのを着替えさせてくれ」

 あの短時間でそんなことまでしていたのか、と素直に感心した。

 パジャマ姿のゆのにバッグごと渡して風呂で着替えてくるように伝えた。

 袈裟丸も畳に腰を下ろす。

「どうすんだ?これから」

「神野さんたちが来る直前に古見澤から電話があった」

「ああ、そう言えば…何だって?」

 居石は涅槃像のポーズで尋ねる。

「逃げろだって」

「へ?あいつなんで知ってんの?」

「わからん。けど、それですぐに頭を切り替えられたのは確かだよ」

「まあ、会ってみりゃわかるか」

 再び大の字になって顔を両手で揉むようにする。

 時刻は午前二時になっていた。一日動き回って居石も体力がきついのかもしれない。

「あ、あと、港…船着き場って言ってたかな…そっちの方に行けって」

「なんで?」

「塗師さんが待ってるって」

「あいつかよ…っていうか船着き場ってどこだよ」

「鉄塔の広場の先じゃないかな。多分だけど」

 ゆのが戻ってきた。

「お兄ちゃん、タオル勝手に使っちゃったけどいいかな?」

「ん?ああ、大丈夫大丈夫。ここの家のもの勝手に使っちゃっていいから。髪も濡れてんじゃねぇか。ドライヤぐらいあるだろうから乾かしてきな」

 うんわかった、といって再びゆのは風呂場に戻って行った。

「すっかり父性が出てきたな」

「おっちゃんができたんだから、俺にもできんだろ、そんぐらい。それに殺されようとしてんだぞ」

 確かにそうだった。

「でも、しおりちゃん殺害が諌だっていうのは分かったな」

「分かったっていうか、そのまんまじゃねぇか。鉄塔の所で諌と一悶着あったあれはなんだったんだ?」

「演技ってことかなぁ…」

 馬鹿が、と言って涅槃像に戻る。

「どうやって風車に乗せたんだ?」

「少なくとも複数人が関わっているってことだから…複数いれば簡単にできるだろ」

 うーん、と居石は唸る、

「いや、でもやっぱりさぁ、風車止めないといけないじゃん?」

「そうだな」

「風車止まったら、モニタリングしている開発機構の人たちにわかっちゃうんだろ?」

「さっき言ってた発電機のモータを利用する方法でも同じだと思うけどな」

「そうかもしれねぇけど…やっぱり開発機構の人間が来ちゃうからなぁ」

「現実的ではないと?」

 居石は頷く。

「複数でやれば短時間でできそうだけどな」

 まだ居石は納得していなかった。

「お兄ちゃん、乾いたぁ」

 ゆのが戻ってきた。

「おお、そうか。まあ、座って休んでろ」

 うん、と元気なく言うゆのは、着ている半ズボンのポケットに手を入れて小さな紙を取り出して眺めていた。

「お兄ちゃん、しおりお姉ちゃんは?」

 袈裟丸は困惑した。ゆのにどう言えば良いのかわからなかった。

 居石はじっとゆのの目を見ると、座り直した。

「ゆの、あのな、お前の姉ちゃんだけど…」

「死んじゃったの?」

 ゆのは今にも泣きそうだった。

 彼女なりに何かを感じ取ったのだろうか。

 居石は頷く。

「そう。悪い奴に殺されちゃったんだ。そいつは今、ゆのの事を狙ってんだ。お話の世界のことじゃない」

 ゆのは黙って、居石の目を見て聞いていた。

「だから、これから俺と耕平はお前を逃がそうと思う」

「島から?」

「そう。そしてもう島には戻ってくるな」

 ゆのは悲しそうな顔をしている。

「というより、戻って来れない」

 袈裟丸が付け加える。

「うん…わかった…」

 声は元気そうに言ったが。表情は寂しげだった。声だけは装っていられたのだろう。

「ちょっと寂しいけど…お姉ちゃんもいないけど…でも、がんばる。私とお姉ちゃんは島の外にいたんだって。だから島の外に行けば本当のお父さんとお母さんに会えるかも知れない」

 ゆのは目に涙を貯めながらそう言った。

「耕平…俺…くっ、こいつ、健気だな…」

 居石は号泣していた。

「お前が泣いてどうすんだよ。ほら、しっかりしろよ」

 涙を拭きながら、わかったよ、と居石は言った。

「ゆの、ちょっと教えて欲しい。港だか、船着き場だかがここら辺にあるか?」

「うん。あるよ。あの鉄塔の先だよ。原っぱを抜けていくの」

 袈裟丸の予想は合っていた。

「よし、原っぱの先な。わかった」

 その時、ガチャ、という玄関扉が開く音が聞こえた。

 居石と袈裟丸は身構える。

 廊下の電気を消しておくべきだったと後悔する。

 木が軋む音が仏間に近づく。

 居石はゆのを背中に隠すようにして立つ。

 ゆっくりと襖が開く。そこに立っていたのは、全身真っ赤な人物だった。

 袈裟丸は身体が凍り付く。

 しかし、よく見ると、それはポンチョだった。

 その人物はポンチョのフードを上げる。

「ここにいたのか…」

 それは黒木だった。

「黒木さん…」

 袈裟丸は見知った人物だったことに対しては安心した。

 ただ、黒木の目的がまだわからない。

「なぜこんなところにいる。早く逃げろ」

 淡々とした言い方だった。黒木は仏間に入ることなく、廊下で話を続けた。

「あなたも俺らを追ってきたのですか?」

「俺だけじゃない。この島の全員が、君らを探している」

 その目的は、と聞きたかったが、聞くまでもないことだった。

「この島の全員がゆのを殺そうとしてんのか?あんたは、なんでそんなこと教えてくれるんだよ」

 居石の後ろに隠れているゆのが、濡れたアロハをぎゅっと握っていた。

「俺は殺したくないから。ただそれだけだ」

「黒木さん」

 黒木は袈裟丸の方を見る。

「ゆのちゃんは…なぜ殺されなければならないんですか?」

 袈裟丸は涙ぐんでいるのを感じていた。

 黒木は一度視線を落とすと悲し気な表情を袈裟丸に向けた。

「それは業だ」

「あのさ、黒木さん、具体的に言ってくんないかな。人が殺されようとしてんだよ。それがなんでだって聞いてんの、こっちは」

 居石が堪りかねたのか、大声で言った。

「しおりちゃんも業が理由だったっていうことですか?」

 黒木は頷く。

 袈裟丸は頭を切り替える。禅問答をしている時間はない。

「黒木さんたちはしおりちゃんの殺害に関わっているのですか?」

 黒木は答えない。

「月神橋を爆破したのも、皆さんなのですか?」

「爆破したのは、将太っていう男だっただろ」

 つまり、指示はしたということだろうか。

 さらに質問を変える。

「爆破した理由は?」

「この島をどれだけ見ている?」

 黒木は冷めた目で言った。

「いいか、この島には…」

 その瞬間、黒木の身体が、くの字に折れ曲がった。

 身体の横から一点に衝撃が加わった状態である。

 本来曲がるはずのない方向に身体が曲がっていた。

 黒木の身体は廊下の奥に吹き飛んでいった。

 袈裟丸が一瞬の間視界に入ったのは、飛び込んできた諌だった。

 諌は刀を黒木のわき腹につき刺して一緒に廊下の奥へと飛んで行った。

 居石は廊下に出る。

「耕平、ゆの、頼む」

 袈裟丸は考えるより先に身体が動いていた。

 ゆのを抱くようにして廊下に出ると、袈裟丸を背に玄関へと走った。

 二人の靴と、居石のビーチサンダルを持ち、転がる様にして表に出る。

 風と雨が再び身体を刺激する。

 ゆのに靴を履かせて自分も履くと、風車の方に向かって走りだす。

 ゆのは自分で走り始めたが、袈裟丸と比べれば遅い。

 袈裟丸はいったん戻って、ゆのを抱きかかえて走った。

 その瞬間、轟音が響く。

 振り返ると、将太の家の一階、仏間のある位置から居石が吹き飛んでくる瞬間が見えた。

 居石は畳を抱えるようにして飛んでいき、家の隣にあるビニルハウスの上に落下する。

 その音に気付いたのか、周囲から懐中電灯の光がチラチラと視界に入った。

「要!」

 袈裟丸は叫ぶ。

 すぐに潰れたビニルハウスの残骸から、居石が飛び出してくる。

 袈裟丸が投げたビーチサンダルを片手で受け取った居石は軽やかにそれを履く。

「何が起こったってんだよ」

「んあ?あいつ爆弾みたいなの投げてきたんだよ。それを仏間の畳で受けたら吹き飛んだっていうだけ」

 簡単に言うが、居石だから出来たのだろう。

「何で爆弾なんか持ってんだよ」

「知らねぇよ。でも将太さんも持ってたんだろ?送られてきたんだっけ?そういうことなのかもな」

「そこから始まってんのか…」

「でも、将太さんの家ってことでなんとなく爆弾っていう発想があったからさ、すぐに畳を引っぺがすことが出来たよ」

 居石は笑っていうが、そんな簡単なものではないだろう。

 居石の身体を吹き飛ばすほどの爆発だったということは、諌もすぐに追ってくることは無いだろうと袈裟丸は推測する。

 居石はゆのを背中に背負うと全速力で走り出す。

「お兄ちゃん、大丈夫なの?」

「心配すんな。また濡れるけど我慢しろよ」

 ゆのは、笑顔でうん、と言うとしっかり居石の背中に捕まった。

「要、懐中電灯の光の方には行くなよ」

 分かってるよ、居石は言う。

 しかし、鉄塔に向かう道中に三つほどの灯りが見えた。

 袈裟丸の言葉を無視して、居石はそちらに向かう。

「要!」

 袈裟丸が叫ぶより早く、居石はレインコートを着ている島民三人を蹴りだけで制圧する。

 呆気にとられながら、三人はその脇を走り抜ける。

「おい、前から思ってたけど…お前めちゃくちゃだな」

「この島と…どっちがめちゃくちゃだ?」

「まだ…ここの方が異常だな」

 同感だ、と言って笑うと居石は坂道を登り始める。

「要」

「何だよ」

 先程は途中まで車を使った道を徒歩で向かっている。

 服が水分を吸って重くなっている。

 突然、袈裟丸の視界に、断片的な映像が連続で浮かんできた。

 今、目の前の地形や風景はしっかりと認識できている。

 脳の別のところで、浮かんできた映像は処理しているように思えた。

 黒木の姿、破壊された橋、それを見ている居石と袈裟丸、そして月神島で見た景色。

 それらがトランプのシャッフルの様に袈裟丸の頭を駆け巡っている。

 それらの光景が有機的に結びつき、溶け合い、離れて、重なる。

「要、俺、少し分かったかもしれない」

「ああ?何がだよ」

「月神橋を落とした理由だよ」

 前を歩いていた居石が少し振り返る。

「しおりとゆのを殺すためにじゃねぇのか?」

「要の言う通り、さっきまではそう思ってたよ。その方が島の外から警察が介入できないからな」

「違うのか?」

「いや、それもあると思うけど…」

 袈裟丸は息を整える。

「主目的は別だな。要、俺たちは月神橋の爆破の現場に居合わせた。それに、公民館でも橋が爆破した時の映像見ただろ?その時に、橋の上下で爆破があったってお前言ってたよな?」

 言ったよ、と居石は返答する。

「その時はそれだけだったけど、ふと、思い出したんだよ」

「自宅の鍵の閉め忘れか?」

「この状況でそんなこと思い出せるくらいのメンタルは本当に欲しいよ。そうじゃなくて」

 袈裟丸は振り返って周囲を確認する。

 懐中電灯の灯りが集まってきているのが見えた。

 あまり時間はない。

 鉄塔は徐々に近づいてきている。

「要、お前も気が付かないか?」

「何がだよ」

「この島、景色が綺麗だろ?」

「耕平、十分メンタル強いと思うぞ」

「そうじゃないよ。よく見てみろ。この島、電柱が一切ないんだよ」

 坂を上っていた二人はすでに島全体を見渡せる位置に来ていた

 。暗いが、点々と立っている外灯からかろうじて見ることが出来る。

「あ、本当だ。そう言えばそうだな。気が付かなかった」

 居石は立ち止まり、振り返って島の全景を観察する。

「うん、そうだよ。この島、電柱って無いの」

 ゆのも言った。

「え?でも電気来てんじゃん。なんで?」

「そこだよ」

 居石は怪訝な表情で袈裟丸を見る。

 目を細めているのは、水が入らないようにしているからである。

「あ、分かった」

 すぐに居石は口元に手を当てる。

「悪い。いや、あの橋、送電線が通ってるんじゃなぇか?町の方から電気が送られてきて、それで島の電気にしてんだろ?」

「お兄ちゃん、それじゃあ、今電気使えないでしょう?」

「ゆのちゃんに突っ込まれているぞ?」

 そんな話はしているが歩みは止めていなかった。

「要、橋に電線が入っているところまでは良いと思う。でもそれは島で使われる電気じゃない。理由は、ゆのちゃんが言った通りだ」

 居石は頷く。

「でも町から電気が送られているっていうのは間違いないと思う。ただ、ルートが違う。橋の中を通ったケーブルじゃなくて、海の中だ」

「海?」

「海底ケーブルで町から電気が送られてるんだよ。だから、あの橋のケーブルはこの島に向けて電気を送っているわけじゃない」

「じゃあ、あれは何だよ」

「島から町に電気を送ってるんじゃないかな?」

「島から町…」

 居石は繰り返して言った。

「それが…なんか関係あんのか?」

「月神橋を爆破した理由だよ」

 いつの間にか後方を歩いていた居石はまだ不思議そうな表情をしていた。

「黒木さんの話で、この状況を作ったのは島の人間達だという確率が高くなったと思う。まあ、間違いないとまで言って良いと思うけどね。ならば月神橋を爆破したことは何かしらのメリットがあったはずだ」

 黒木本人は、それを告げることなく諌に殺害された。

「話の途中で悪りぃけどさ、実験的とは言ってもいくつか発電施設がこの島にはあるんだろ?それで今の島の電気を賄ってるってことは無ぇのか?」

「俺たちは風力発電の風車しか見てないけどさ、あのシステムでは発電した電気が一旦蓄電池に貯められるようになっているし、一部はマグヌス式の風車の回転に使われるはず。島全体を賄うくらいの電気量は得られないと思うよ」

 居石は息を切らしながら、ふーん、と言う。

「じゃあ、なんで町の方に電気なんか送ってんだ?」

「それは知らん」

「潔くなった時の耕平は凛々しく見えるんだよな」

「開き直ってんだよ。知らんもんは知らん。ここに一日もいないんだぞ?濃すぎるんだよ」

 居石はそれにコメントはしなかった。無言の同意という奴だろう。

「耕平の推測がまあまあ当たっているとしてだ」

 よいしょ、と居石はゆのを背負い直す。三人ともびしょぬれになっている。

 将太の家からゆのの分のレインコートくらい持って来れば良かったと袈裟丸は思う。しかしそれどころではなかったのも間違いない。

「町に電気を送れなくしたってことと、しおりとゆのを始末しようっていうことにはどんな関係があるんだよ」

 居石の指摘は当然のものだった。

「確かに言う通りだな…」

 袈裟丸も同意する。

「お兄ちゃん…寒い」

「え?寒いか。ああ…まずいな」

 居石は一度ゆのを降ろすと、ゆの額に手を当てる。アロハを脱いでタンクトップ一枚になるとアロハに染み込んだ水を絞る。そのアロハでゆのの身体を拭くと、再び背負う。

 無駄かもしれないが体温の低下をわずかでも防げるだろう。

「急ぐぞ、要」

 二人はさらに先を急ぐ。

 事件について議論をしている時間はない。

 ここからの脱出を最優先にする理由ができた。

 急に居石が立ち止まる。

「何だよ要、急ぐぞ」

 居石は憤怒の表情だった。

 その視線の先、一点の灯りが見える。

 懐中電灯の灯りだった。

 その灯りがゆっくりと近づいてくる。

「こっちだったか」

 立っていたのは神野だった。二人と同じく、傘もレインコートもなく、全身びしょ濡れだった。うつろな表情は今までの神野とは違うような印象を受けた。

「おっちゃん…」

「ゆのを置いていけ。お前らには手を出さない」

「信じられねぇし、置いていけるはずもねぇ」

「要、お前は馬鹿だな。損得勘定ぐらいは知っておけ」

「ゆのを殺すことが、損とか得とかっていうレベルの話なのかよ」

 神野は黙る。居石の背中のゆのは肩越しに神野を見ていた。

「お前らが立ち入ったところで、どうにもならないことだってあるんだよ。それを分かれって言ってんだ」

「知らねぇ。俺たちはただ、誰かが理不尽に不幸せになるのが、すこぶる嫌いだってだけだ」

 雨が容赦なく叩きつける中、神野と居石は向かい合う。

「お兄ちゃん、降ろして」

 ゆのは自分から居石の背中を降りると、顔の雨を拭いながら神野の方まで歩く。

「ゆのちゃん」

 居石と袈裟丸が身を乗り出す。

 ゆのは神野から一メートルほど離れたところで止まると、ポケットから小さい短冊状の用紙を取り出した。

 雨に濡れているが、丁寧に広げて神野の前に突き出す。

 神野はゆっくりとした動作でそれを受け取ると懐中電灯の灯りをその紙に向ける。

「なんでも…いうことをきくけん…」

「ゆのが小さい頃にお父さん、誕生日にくれたでしょ?ゆのずっと大事に持ってたの。だから、これ今使う」

 袈裟丸も居石もすぐに飛び出せるような体勢でそれを聞いていた。

「お父さん、ゆのとお兄ちゃんたちを、島から逃がして。お願い」

 神野は憑き物が取れたように、顔を崩し、そして膝も崩れて項垂れた。

「ゆの…行こう」

 居石はゆのの肩に手を置く。

 居石の表情は袈裟丸の位置から見ることはできなかったが、置かれた手が妙に優しく見えた。

 ゆのを背負った居石が神野の横を通り過ぎても、神野は動くことはなかった。

 こういう時に、雨だったのは、三人の男にとって好都合だったのかもしれない。

 どんなに泣いていたとしても、悟られることはなかった。

 居石は歯を噛み締めるようにして歩いている。

 水を吸ってさらに重くなった服が体に纏わりつく。

 袈裟丸も雨に打たれて体温が低下したのか、頭がぼうっとしてきた。

 それでも足は動いているのだから、人間の身体は良くできていると思う。

 ふと、頭に、父親の言葉が響いた。

 台風が来ている時に外を出歩くのは馬鹿だ、ということを父親は台風が来る度に口にしていた。

 今まさに、自分が置かれている状況が、それに該当することに袈裟丸は嘲笑する。

 その対象は自分である。

「これは違うと思うよ、父さん」

 居石にも聞こえない声で袈裟丸は呟いた。

 皮肉なことに、その台風が言葉をかき消してくれたことに、袈裟丸は少しばかりの感謝をしていた。


 月神島 三十分後


 意識が戻った袈裟丸は、体中に痛みを覚えた。

 すぐに記憶が再生される。

 自分の不注意で盛大に転んだわけである。

 身体が地面に接している部分が泥で汚れている。

 足を踏み外したことと、泥で滑りやすくなっていたためだろうと考える。

 泥だらけになりながら身体を起こす。

 痛みが走ったが、気にしていられない。

 周囲を見渡す。

 ゆのの姿は見えなかった。

 ゆっくりと立ち上がり、身体に力を入れる。

 痛みはあるが、骨が折れていることはなさそうだった。

 下り坂の下も上も人影は無かった。

 どれだけ気を失っていたのかは分からない。

 上り坂の上、鉄塔のある草地では諌と居石がいるはずである。

 ゆのがそちらに向かうとは思えない。

 下り坂の方に目を向ける。

 坂は途中で右へと緩やかにカーブしている。

 船着き場までの距離はそう遠くないはずである。

 ゆのがそちらへと向かって行ったことを信じて歩き出す。

 袈裟丸が歩き出した直後、地面に衝撃が走る。

 それは後方からだった。

 咄嗟に振り向く。

 半仮面の諌が、憤怒の表情で刀を地面に突き刺していた。

 それは、たった今、袈裟丸が立っていた場所だった。

 あと一歩、遅ければ、諌の刀によって袈裟丸は串刺しになっていただろう。

 諌に気が付いて袈裟丸は後方に飛び退く。

「なんだよ。どっから湧いて出た」

 情けなく尻餅をついて後ずさりをする。

 諌は力強く刀を抜くと、刀身に付着した泥を振り抜いて弾く。

 諌がはっきりと殺意を袈裟丸に向けていることに恐怖を感じる。

 しかし、そのことが、ゆのが生きていることを証明しているとも考えられる。

 諌の今の標的は、ゆのただ一人。

 諌が受けた依頼の遂行を阻止しようとしている袈裟丸と居石はただの邪魔ものである。

 袈裟丸は落ち着いて諌と対峙する。

「交渉人なんて肩書、もう出さない方がいいですね」

 表情は変わらないものの、諌は袈裟丸の言葉を聞こうとしているように思えた。

「俺がここに来て、あなたを見てから、一切交渉している姿なんて見てない。知っているのは、あんたが何の罪もない人間を一人、殺したってことと…」

 袈裟丸は極力声を張って言った。

「これからもう一人、殺そうとしていることだ。あんた、もう交渉人なんて言うなよ」

 諌が刀を持つ右手に力が籠められる。

 諌を挑発しながら、ゆっくりと後ずさる。

「あんたはただの殺人者だ」

「言っている意味が理解できない?」

 諌は冷静な声で言った。

「私は交渉をしている。結果として死人が出ただけだ」

「他人事みたいに言うなよ。俺には、あなたを含めたこの島の人間が、寄ってたかって一人の人間を殺したようにしか見えない」

 諌は刀を上段に水平に構えると、腰を落とした。

「しおりちゃんを殺した時は…何も感じなかったのか?」

「仕事だ」

「へーそうか。大した仕事だな。あんたがしおりちゃんを殺した時のこと、教えてやろうか。正確に言えばあんただけじゃないだけどな」

 諌の表情がピクリと動いた気がした。

「俺たちが将太さんの家に行っている間でしおりちゃんを殺した。それは間違いない。ただ、殺された場所は分からなかった。でも、灯台下暗し、もっとシンプルだ。あんたがしおりちゃんを殺害したのは、あの鉄塔の草地だ。それしかない」

 ふん、と諌の鼻息が聞こえた。

「理由は二つ。一つはあんたの刀だ。さっき黒木さんを殺した時に思ったよ。そんな刀を家とかの狭いスペースで振り回すことは不可能だ。さっきみたいに黒木さんに突き刺すことはできるかもしれないが不意を突く必要がある。だったら、広いスペースを準備したほうが簡単だ」

 諌がにじり寄ってくるのと同じ速度で袈裟丸も後退する。

「だから、しおりちゃんをあの草地に呼び出した。ただ、あんたが呼び出しても来ないだろうと考えたから、呼び出したのは別人だ。多分…川角さんか徳田さんのどちらかだ。俺は…徳田さんだと思っている」

 諌が攻撃を仕掛けてこない。上手く時間が稼げていると袈裟丸は考える。

「彼女だけ俺と居石は会ってないし、年齢もしおりちゃんと近い。呼び出し易かったんだろうな」

 刀の切っ先から滴が垂れている。袈裟丸の心臓が早鐘を打つ。

「俺が将太さんの家から帰る時に見た姿はポンチョを着た徳田さんの姿だった。開発機構のメンバの中で、暗闇で目立たない色をしているのは川角さんと徳田さんだけだ」

 諌が刀の構えを右から左に変える。

「縦型風車にしおりちゃんを乗せる方法が、最後までわからなかった。複数人で協力してやったとしても、風車を止めることは難しいからだ。でも、開発機構の人たちが関わっているってことが分かってから、一つ、考えが浮かんだ。あのマグヌス式風車は三つのローラが回転することで揚力を生み出して風車を回転させている…。ならば、それを使って風車を止めることも出来るはずだ。それぞれのローラを回転を打ち消す方向に回転させれば良い。調整が難しいだろうけれど、開発機構のメンバが仲間だったら簡単だと思う」

「もう一度言おう。あの娘はどこだ」

 諌は叫ぶように言った。

 そろそろ限界だろうか。

 何とかなるかと思い、時間を稼いだが、何も起きなかった。

 居石も姿を見せない。

 もう、諌にやられてしまったのかもしれない。

「残念だけど、俺はゆのちゃんの行方を知らない」

「では…お前を始末した後、探して依頼を遂行する」

 諌はしっかりと地面を蹴って、袈裟丸に突っ込んでくる。

 何もできない自分が、ゆのを逃がしてやることが出来なかったことだけが心残りだった。

 袈裟丸は目を閉じる。

 最後に見たものが、半仮面の交渉人というのは嫌だと思った。

 もう、刀が身体を貫いていてもおかしくないくらいの時間が経った。

 まだ生きている。

 刺されたような痛みは無い。

 ゆっくりと目を開ける。

 目の前には、刀をあらぬ方向に向けて動けないでいる諌がいた。

 刀を握る手に、横から雪駄が貼りついている、袈裟丸は最初そう思った。

 視界が広がると雪駄から足が伸びているのが見えた。

「ごめん、遅れちゃった」

 その足の先に、黒い作務衣を着て、頭に黒いタオルを被った塗師がいた。

 今更気が付いたが、雨はほとんど降ってなかった。

 まだ風は強いが、そのためか、西の空はすでに明るくなっている。

 諌は塗師の足を弾くように刀を振ると、後方に飛び退く。

「頑張ったねぇ。ゆのちゃんは保護しているから安心して。今、この先の船の中」

 笑顔のまま、労いと、今知りたいことを手短に袈裟丸に伝える。

 袈裟丸は、ゆのが保護されたことに安堵の表情をした。

「古見澤君に頼まれてきたんだけど…」

 塗師は諌を見る。

「あれはコスプレ?」

「…本人に聞いて下さい」

「立てる?肩貸そうか?あ、泥だらけじゃないか。触んないでね」

「感情の振り幅が酷いです…」

 袈裟丸は自分で立ち上がる。

 その途端、塗師から突き飛ばされる。

 直後、塗師と袈裟丸が立っていた間を諌の刀が空を切る。

「おお…危ない。袈裟丸君、刃物は気を付けないと」

 今度は背面が泥だらけになる。

 間違いなく、今後塗師から手を差し伸べられることは無いだろう。

 諌は再び避けられたことに逆上して、返す刀、下から塗師を切り上げる。

 床に落ちたものを踏まないように後ろに下がる、といった程度の動きで塗師は刀を避ける。

 袈裟丸が塗師の動きに呆気に取られていると、諌の顔が仰け反っている。

 困惑した袈裟丸は、塗師が足を蹴り上げていることに気が付く。

 刀を避けてすぐ、蹴りを諌の顔に当てたということである。

 諌は、顔に手を当ててよろめきながら後ろに下がる。

「袈裟丸君、船乗る時に着替えてね。一応借りものだから」

 まだ言っているのか、と思った矢先、塗師の懐に諌が入り込んでいた。

「あっ…」

 袈裟丸が声を上げようとする。

 その前に、塗師の頭突きが諌の額を打つ。

 その衝撃で半仮面が割れた。

 仮面で覆われていた諌の顔は、頬骨から頬にかけて火傷の跡があった。

「もう少し硬い仮面にすることをお勧めするよ。スペア、持ってる?」

 塗師は挑発目的で言ってるわけではないのだろうが、諌にとっては苛立つだろう。

 完全に逆上した諌は大きく刀を振りかぶって塗師に向かう。

 塗師は自然体でそれを見ていた。

「あうっ…」

 突然、諌が声を発すると、前に倒れる。

 泥が盛大に跳ねた。

 諌の立っていたところには、居石が汚れた顔で立っていた。

 手にはなぜか台車を持っている。

「要…」

「悪りぃ、待たせた」

「居石君、台車で殴るっていうのは、暴力を通り越して殺人行為だね」

「ああ?殺されそうになったのはこっちだっつうの。百歩譲って過剰防衛だろ」

 ああ疲れた、といって居石は台車を投げ捨てる。

 袈裟丸に近づくと、手を引張り立ち上がらせる。

「生きてたんだな」

「あの雨で爆弾は使えないだろうからな。あんなもん使えなきゃこっちのもんだよ。刀だけ避けてれば大丈夫なんだから。でも、避けたところで蹴られてさ。頭打って意識飛んじまった」

 笑って言うが、良く生きていられたと思う。

「じゃあ、この子が起きないうちに、トンズラしましょうか」

 塗師が笑顔で言う。

 そしてゆっくりと居石をしたから上に眺める。

「君も泥くらい落してね」

 そう言って歩き出す。

「俺そんなに汚ぇか?」

「まあ…俺よりはましだと思うけどな」

 船着き場に向かって先に歩いていた塗師が、あ、と言って振り返る。

「忘れてたよ。これ」

 塗師は作務衣の懐からジッパ付きのポリ袋を取り出す。

「なんですかこれ?」

「かりんとうか?」

「居石君、このタイミングで食べ物はないでしょう?」

「あんたなら出してもおかしくねぇかなって」

「君が俺をどう見ているか気になるけど…まあ置いておこう。これはね、君たちの友達からだよ」

 袈裟丸と居石はお互い、泥に汚れた顔を見合わせた。


 月神町


 台風一過の早朝、午前六時を回った。

 天候はすっかりと晴れて、太陽が低位置で自分の仕事を始めている。

 公家は月神橋崩壊現場に立っていた。

 台風が過ぎ去ったのは午前四時ごろ。

 すでに復旧作業は開始されている。

 とは言っても、すぐに橋が通れるわけではない。

 完全復旧までは時間がかかる。

 橋の周辺では警察や工事関係者がひしめき合っている。

 公家はそこから離れたところで、それを見ていた。

 立っている位置からは海、橋、そして月神島が視界に入っている。

 すでに海も落ち着いて、日常通りに海岸線へ波が寄せては返している。

 公家は大きく息を吸って吐いた。

 潮風が鼻腔を刺激する。

 公家は踵を返して橋の方へと進もうとする。

 まだ早朝である。車が数台通るが、まだ町は眠っている。

 出勤時間帯でもなく、駅も橋とは反対側にあるため、人が全くと言ってよいほどいない。

 その中、橋に向かって歩いて来る人物が公家の視界に入った。

 目を凝らして見たその人物は古見澤だった。

 片手を耳の近くに上げながら口を動かしている。

 古見澤はスマートフォンで会話をしていた。

 しばらく見ていた公家は古見澤がじっと公家の方を見ているように思えて、その場から動けなくなっていた。

 車道を挟んで、公家と古見澤は向かい合う。

 信号が変わる前に古見澤は通話を終えた。

 信号が変わり、古見澤は公家の方に渡ってくる。

 その途中で通話は終わっていた。

「教授の家はゆっくりできたかい?」

 公家の方から声をかける。

「ゆっくり…はできませんでしたね」

 不思議そうな表情の後、笑顔で言う古見澤だが、その表情には疲労が浮かんでいた。

「良い家だったじゃないか。良いベッドで寝れただろう?」

「駅前の漫画喫茶で一晩を過ごしました」

 公家は表情を変えずに髪を掻き上げる。

「そうか、それは残念だったな」

「そうですか?ある程度予想できたんじゃないですかね?」

 淡々と言う古見澤を公家は見る。

「どういう意味かね?」

「そのままの意味ですよ。分かっていたんでしょう?この状況になることを」

「君が漫画喫茶の堅い床で寝ていたってことかい?」

「漫画喫茶に行ったことないですよね?」

 その指摘が的を射ていたのか、公家は目を大きく開く。

「最近はソファや、簡易的なベッドがあるところもあるんですよ」

「そうなんだな。初めて知ったよ」

 公家の発言を最後に二人は黙った。

 ただ、視線を外すことはなかった。

 海風が吹き抜ける。

「それだけを話にここまで来たのかい?駅は反対側だぞ?」

「どうしてそう思うのですか?」

 公家は口を閉じたまま首を傾げる。

「どうして僕がもう帰るところだと?島でバイトが残っているんですよ?それに友人が二人、島に残ったままなんです」

「その二人はもう島から出ただろう?」

 古見澤は小刻みに頷く。

「ああ、そうでした。でもどうしてそんなこと知っていたんですか?」

「古見澤君、私の職業は警察官だよ?そんな情報入っているよ」

「その割に、僕が巻き込まれた事件の事は知らなかったんですね?」

 公家の目つきが僅かに鋭くなる。

「何を言っているんだ?コミットの事件のことだろう?」

「いいえ」

「キャバクラか?」

「いいえ」

「…先生の家で何かあったのか?」

「息子さんが殺害されました。警察の方は捜査に向かっているみたいですよ」

 古見澤はじっと公家の目を見る。

「そうか…。キャバクラの事件の犯人がまだ逃走中でな。そっちの方に時間を取っていて…。先生の家で起こったことに関してはまだ連絡がないんだ」

 それを聞いても古見澤は表情を変えなかった。

 鼻から息を吐くと、古見澤は肩に掛けていた鞄を地面に降ろす。

「やっと島に救助が向かいましたね」

「ああ、君の友達は間に合わなくて済まなかった」

「公家さんが謝ることではないです」

「そう言ってもらえると、心が楽になるよ」

「そういう意味で言ってないですけどね」

「まあ、良かったじゃないか。友人が無事で」

 はあ、と古見澤は言う。

「今はいないのか?」

 公家さん、と言う古見澤は島の方に視線を送っている。

「ここに来たのはもう一つ、目的があって。これ、お返しに来たんです」

 鞄からジッパ付きのポリ袋を出すと公家の前に突き出す。

「ああ…これは…君が持っていたのか」

「ええ。勝手に持ってきて申し訳なかったです」

「三つも欠片があるが?」

「一つはコミットで見つかったもの、もう一つはキャバクラで死んだ木下さんの死体の側に落ちていたもの。最後は安田先生の家で見つかったものです」

「木下の死体の側にも落ちていたのか…。それと教授の家でも…。それにしても、なぜ君が持っていたんだ?」

「その点については謝らなければいけないのですが、コミットのバックヤードで拘束されていた時に、間違って鞄に紛れ込んでしまったようです」

「いや…戻ってきたから問題ないが…」

 公家は大事そうに袋の上から土器の欠片を触っている。

「二人から島で起こったことも聞きました」

 そうか、と公家は言うと、視線を島に向けて歩道の欄干にもたれかかる。

「もう帰りますけれど、一つだけ良いですか?」

「なんだい?」

「もうこれ以上、あなたたちのくだらない諍いに、関係ない人間を巻き込まないでください」

 夏の日差しは、高層ビルなどない海辺の町に容赦なく降り注ぐ。

 どこからともなく聞こえる蝉の鳴き声だけが、二人の間に訪れているはずの沈黙に合いの手を出しているようだった。

「意味が解らないな」

「どんなコメントをされても自由ですが、僕の友人たちは危うく命を落とすところでした」

 公家から一切目を逸らさずに古見澤は続けた。

「僕は恐らく、知っているのだと思います」

「何を?」

「島と町の事です」

 公家は無表情だった。

「安田先生は町と島の関係を調べていました。僕も簡潔にですが、教えていただきました」

「ああ、本来、この町の住人は島を拠点にしていた、というやつか」

 たわいもないこと、といった言い方で公家は古見澤に返す。

「ええ。そうです。逆に島にいる方々の祖先はもともとこの町で暮らしていた。それが島の資源を目当てに、もともと島に住んでいた住人を追い出して自分たちが住み始めた、と言う話です」

「それがどうしたんだ?昔話だぞ?」

「話は昔のことでしょうけど、本質は今でも変わってないのではないですか?」

「回りくどいな。私は君の話に付き合っているほど時間が無いんだが?」

「僕の友人二人は島で殺人事件に遭遇しました」

 ほう、と公家は息を漏らすように言った。

「お世話になるはずだった民宿のオーナーの娘さんが殺されたんです」

「そうか…もう島には捜査員が向かっている頃だろうから、そちらもいずれ解決するだろう」

「オーナーの娘さんは姉妹でお姉さんが殺されました。しかし、妹もまた殺されようとしていたんです」

「殺人犯に追われていたということか?」

「姉妹の姉を殺害して、妹もまた同じ道を辿らせようとしたのは、他ならぬ父親と島の住人達でした」

「島の住人…だとすれば島内は大参事だな」

「妹の方は友人と一緒に保護されました。今も一緒にいます」

「ほう。ならば医者を向かわせよう。どこにいるんだ?」

「そんなこと、勝手にしないでください。三人とも歩けるので不調があれば自分達で病院に行きます」

 公家の提案を古見澤は切って捨てるが、物言いは静かだった。

「しかし…」

「ポイントはそこではありません。島での殺人事件と、町の殺人事件が、交互に力点と作用点になっています。そして支点が…同じなのです」

「話が戻っているね。その例えは…シーソーってことかな?つまり町と島で交互に殺人が起きていると?」

 そうではありません、と古見澤は言う。

「イメージとしては近いですね…町も島でもそれぞれ三件の死体が出ています。しかし…正しくは町では二件、島では一件ですね。シーソーとはなり得ません」

「細かいな」

「イメージを浮かべたのはそちらです」

 公家は腕組みをする。

「民宿のオーナー、神野さんは姉妹の本当の父親ではありません。施設から引き取ったという話でした」

「立派な人物じゃないか」

 古見澤は公家の発言を無視する。

「これが、今回の一連の事件の引き金でした」

 蝉の鳴き声が大きく響く。

「神野さんが姉妹を引き取ったのは九年ほど前です。これは妹さんの方から聞きました」

 公家は表情を変えなかった。

 二人は、早朝の太陽によって汗ばんでいた。

「先月まで姉のしおりさんは海外にホームステイに行っていたそうです。きっと初めての海外だったのでしょうね。海外に行くためにはパスポートが必要です。その手続きを神野さんはしていた。その過程で、彼女たちの出生を知ることになったんだと思います」

「パスポートの申請で出生まで気になるか?」

「それまで気にしていなかったから調べたのでしょうね。そこら辺は推測でしかありません。ともかく、それで二人の出生を調べた。その時に始めて二人が月神町の出身だと気付いたんです」

「調べてきたように言うのだな」

「実際に調べました。僕ではなく、別の人物ですけどね」

 公家は頷くと、しかし、と言う。

「それが何だと?」

 古見澤はじっと公家の目を見つめる。

「由々しき問題ですよ。だって、島に町出身の人間がいるんですから」

 初めて公家が動揺の顔を見せた。

「公家さん、そうでしょう?だからあなたは、島出身の人間で、町に住んでいる人を殺害していったんです」

 大きな波が海岸線を打ち付ける。

「正確に言えば、あなた達、ですけれどね」

 カモメが町と島の間を滑空すると上昇気流に乗せて身体を天高くまで舞い上がらせる。

 公家が口を開くことはなかった。

「島で生まれ育った人の中にも、島に定住することなく、出て行くことはあったのでしょうね。流石に現代まで頑なに風習を守っている人たちは多くないと思います。それは町に住む人々も同じです。島だ、町だ、ということを気にしない人間が多数だろうと思います」

 ですが、と古見澤は続ける。

「それを良しとしない人間もいます。偶々なのか、町から島に住む人間はいなかったようですね。もしいたら、大変なことになっていたでしょう」

 具体的にいいましょうか、という古見澤に公家は首を横に振る。

「それはわかった。しかし、それは君の憶測の域を出ない。そうだろう?」

「ええ。そうです。ですが、月神町で島出身の人間が殺害されたのは間違いない事実ですし、島では町出身の姉妹が殺害、あるいは殺されそうになったことも事実です」

「栗田陽菜や木本あかりはその可能性はあるが、安田教授の家では息子さんだろう?島出身ではないと思うが?」

「二つ目までの殺人とは種類が違います。あなたの手が及んでいるのは同じですが、意味が違う」

 鼻から息を吐くと公家は、意味ね、と言った。

「安田先生はこの町と島の事を調べていました。いずれ、あなたたちがやっていることにも気が付く可能性があります。いや、もしかしたらすでに気が付いているかもしれない。だからあなたたちは釘を刺した。ただ、それだけのために幸助さんは殺されたんです」

「息子さんは幸助という名前だったのか。それは知らなかったよ」

 古見澤の目つきが鋭くなる。

「しかし、わざわざ月神島で作られている土器の欠片を置いて、その話もして、島の人間が関わっていると関連付けられただろう?」

「いえ、失敗だったと思いますね」

 早口で古見澤は言った。

 公家は首を傾げる。

「仮に殺されたのが島の人間だったとしても、わざわざ観光客用の土産物を常に持っているとは思えませんし、殺した犯人が置いていったにしても意味がわかりません。誰に対してのメッセージなのか、対象が不明です」

「手厳しいな」

「ですが、念のため確認しました」

「何をだい?」

「あの土器の欠片が本当に島のものかどうかです」

 公家の目つきも鋭くなっていた。

「居石にお願いしました。友人の一人です。ぼろぼろの中、無理を言って確認してもらっています」

 公家は不思議そうな顔をしていた。

「お話ししていたかどうか忘れましたが、彼はちょっと特殊なんです。彼は土を口に含むとその組成や成分を判断できます」

 公家の視線は空に向けられていた。

「焼き物はやったことが無かったみたいですが、口の中を切りながらやってくれました。この土器は島の土で作られたものだと聞いていましたが、結果は…」

 古見澤は公家の表情を確認するように見ているが、先程から変化はない。

「島の土壌成分は無いという判断でした。居石の口内判定はほぼ百パーセントです。この結果は正しいと見て良いと思います。だとすると、あの土器は島で製造されたものに似せて作られた偽物ということになります」

 公家は大きく息を吐いた。

「このことから何がわかるか。あらかじめ計画された殺人ではないということです。僕が遭遇した三件の殺人事件は被害者の関わり合いも、場所もバラバラです。その中で唯一土器の欠片が落ちている、その一点で関連性を持たせています」

「三件の事件はバラバラだと?」

「バラバラですよ。幸助さんの殺害は違うと否定しましたよね?」

「そうだな」

「一件目では、犯人は僕が指摘した通りですが、殺人と土器を置いたのはあなたの指示だ」

「根拠は?」

「容疑者の方々から、土器に関しての証言が無かったからです。僕が遺体発見に出くわした時、大勢の人間が栗田さんを取り囲むようにして立っていました。その状況で土器に関して証言が無かったのはおかしい」

 日差しが強くなった海岸線に潮風が吹き抜ける。

「僕がバックヤードに連れてこられて初めてその欠片が出てきたんです」

 公家は何も言い返さない。

「二件目はもっと直接的です。木本さんを殺害したのは逃走中とされる杉田さんではないし、宇喜多さんでもない」

「君は杉田だと指摘したのではないか?」

「人間ですから、間違うこともありますよね」

 公家は含み笑いをする。

「無実の人間に罪を着せるのがどれだけ最低な事かちゃんと知らないといけないな」

「無実の人間を殺害するのとどちらが悪いですかね?」

「君は…私が木本あかりを殺したと考えているのか?」

「はい。理由は宇喜多さんです」

 口を微かに開いて公家は硬直した。

「店から運び出して、しばらくしてから意識を取り戻した宇喜多さんは取り乱したように叫びました。僕は最初まだ意識がはっきりしてないのだな、と思っていましたが、よく考えてみれば、あの時、宇喜多さんの視界にはあなたの顔が最初に映ったはずなんです。その表情を見て取り乱した、と考えると違ったことが見えてきます。木本さんを殺害して宇喜多さんに致命傷を負わせた人物があなただったならば、目を覚ました宇喜多さんにとっては悪夢の続きのような状況だったでしょうね」

「だが、杉田は逃げ出しているぞ?」

「当初の計画では杉田さんが殺人犯となる予定でストーリィが進んでいましたが、宇喜多さんの事は話に入ってなかったんではないですか?」

 公家は無表情だった。

「僕には木本さんの時より、宇喜多さんを発見した時の杉田さんの方が取り乱していたように思います。あなたの仲間の杉田さんはとりあえず木本さんの殺害犯として捕まる予定だった。ですが、もう一人殺害未遂が加わることになる。本人としては怖くなったのではないでしょうか?」

「だから逃げ出した…と?」

 古見澤は頷いた。

「もう一つ。少なくともあなたはコミットの事件の前にあのフロアに訪れています」

 公家は薄ら笑いで片手を差し出す。根拠を尋ねているのである。

「あのフロアの非常口です」

 再び公家の表情が強張る。

「あのフロアだけかは確認していませんが、非常口の扉が横開きなんですよね。これって珍しいと思います。普通あまり見かけません。僕も最初開け方がわかりませんでした。それと、ドアの開錠に関してもそうです。たまに防音室とかでありますけど、レバー式のドアノブで、下げるとロックがかかって上げると開錠になるドアノブです」

 公家の額に汗が滲む。

「杉田さんを追うときに、あなたは迷うことなくドアレバーを上げてドアを開いていました。一目で良く分かりましたね」

「…同じタイプのドアを知っていたんだ」

「そうですか。あ、あともう一つ。あのドアは一度閉まると、外から開錠できないようになっているんですよ。僕も危うく閉じ込められました。公家さんが開けてくれたんですよね?」

 公家は頷く。

「杉田さんを追いかけてから戻ってきたあなたはエレベータを使っていました。階段を使うのは疲れるからだと反論できますけど、僕は外から戻ってきても非常口が開かないことを知っていたんじゃないかなって思います」

 どうですか、と尋ねる古見澤に、公家は何も言い返せないでいた。

「幸助さん殺害の時は、さすがにあなただとは言えません」

 公家の反応を見ながら古見澤は続ける。

「ですが、重岡さんはあなたと目的を共有している人物の一人です。あ、一応言っておきますけど、島で起こった事件が島の住人たちの共謀によるものだ、ということと同じ構図です。月神町で起こった事件もあなたのような目的を持った人たちが共謀しています」

「島と町で何をやっているんだろうな」

「それは僕の台詞です」

 矢継ぎ早に古見澤は言った。

「重岡さんはあなたから連絡を受けて実行に移したのでしょう。安田先生は僕と常に一緒にいましたから、流石に殺害することはできませんでした。だから息子の幸助さんを殺害することで、島と町についてこれ以上深入りすることを止める目的もありました」

 脅威だったんですね、と古見澤は続ける。

 公家はすでに諦めの表情を浮かべていた。

「確かに、君が言う通り私が指示して殺させたし、土器の欠片を置いたのも私だ。だが、君がコミットの事件に巻き込まれなければ発覚することはなかった」

 蝉もカモメも鳴き止んだ、その瞬間、古見澤の声が響いた。

「いいえ、これはあなたと神野さんが仕組んだことです」

 ジッパ付きのポリ袋が地面に落ちる。

「もともと僕を含めて三人とも島にいるはずでした。そこで神野姉妹の死を目撃することで第三者として事件に巻き込まれる。そもそも二人共自殺かそれに近い状況で殺すことを狙っていたんでしょうね。それがストーリィでした。ですが、実際、僕は遅れて到着することになった」

 海沿いの道にも人が増えてきた。それに伴い車も増える。

「急遽、計画を変更することになった神野さんは、あなたに連絡を取ります。お互い島と町のしきたりを忠実に実行している間柄です。正反対のベクトルですが起点は同じ。あなたは急遽コミットでの事件を画策します」

「君があの店に入ることを私が予見できたと?預言者だな。まるで」

「いいえ、どこでも良かったんです。これは僕の想像ですが…」

 古見澤は少し黙る。首筋の汗を腕で拭う。

「あの日、町では一斉に殺人が起こっていたんではないですか?時間と場所を変えて。いたるところで、あなたの指示で動く町の住人が、島の住人を殺害していた。そのうちの一つに僕が遭遇した」

「おいおい。そんなことがあるか。ただの暴動じゃないか。警察が黙ってはいないだろう」

「警察も、あなたがいる以上手が回っていると考えるのが自然ですよ」

 じりじりと二人の肌が焼けている。

「だから、月神橋を落としたのですね。あれは、島で起こる殺人に警察を介入させることを拒む、という推理小説でよくある役割にプラスして、第三者の介入を一ヶ所にまとめるという目的もあった」

 公家は無表情でそれを聞いている。

「計画変更後、神野さんは島での殺人を実行させます。それに対するように町でも事件を引き起こして、そのどれかに僕が巻き込まれれば成功です。その現場にあなたが姿を現せばよい。ただ、思い付きかどうか知りませんが、土器の欠片を置いたのは良くないですね。短時間で島原産の土で作られた土器を準備できなかったから、よく似たもので欠片を作った」

 もういい、と公家は大きな声で言った。

「君が…遅れてこなければ、普通のストーリィになったんだ。全くなぜ遅れてきたんだ」

「思い通りに人なんて動かせないですよ。あと計画にバッファが全くないのが稚拙です」

「手厳しいな」

 数秒二人は黙る。

「君はどうするんだ?」

「何をですか?」

「告発でもするのか?」

「僕の要望は最初に言った通りです。無関係な人間を巻き込まないでください。後は勝手にあなた達でやれば良いでしょう」

 古見澤は大きな声で叫ぶように言った。

「それだけか?」

「金でも無心すると思いましたか?」

 公家は頷く。

「言い返す言葉もないですね」

 古見澤は地面に置いた鞄を持ち上げると歩き出す。

 公家も黙ってそれを見ていた。

 大股で歩くとその横を通り過ぎる。

 真横で古見澤は立ち止まる。

「今度無関係な人間を巻き込むようなことがあったら…」

 古見澤は公家の顔を睨み付ける。

「今度は僕が殺しに来るからな」

 公家の口元が綻ぶ。

「手厳しいな」

 古見澤は振り返ることなく歩き出した。

 月神橋の入り口の横を通り抜ける。

 古見澤は視線を島の方に向ける。

 島の緑がまだ少し強い風に揺れている。

 象徴的なマグヌス式風力発電装置は、来た時と変わらずとクルクルと縦型風車を回している。

 すぐに正面を向いて歩き出す。

 横を見ている暇などないのである。

 月神橋を通り過ぎたところで、一台の黒いワゴンが停車している。

 助手席から居石が手を振っていた。

 古見澤は自分が笑っていることに気が付いた。

 少し小走りで車に近寄る。

 今度は遅れないように。

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