第4話 ネネズハッピーエンド 

 水を飲み、缶詰を食べる生活を何日かつづけて、ネネは元気になった。

 そして僕にまとわりつき、「愛してる」だの「大好き」だのとささやきつづけた。

 僕がエリの冬眠カプセルを見ていると「その女を見ないで!」と叫んだ。

 ネネはエレベーターが壊れているのを知っても、落胆しなかった。

「梯子があるのね。これで地上に登ろうよ」

「その梯子は錆びて、朽ちかけてる。もっと多くの人が目覚めてから、技術のある人に補修してもらって使うべきだよ。いまはまだ登るときじゃない」

「いまが登るべきときよ。あたしとハルくんだけで地上に行って、新世界のアダムとイブになるの」

 僕は首を振った。

 しかしその直後、ネネは倉庫からバールを持ち出し、エリのカプセルの上で振りかぶった。

「登ろう、ハルくん。でないとこの女を殺すよ。もう死んでいるかもしれないけれど」

 僕はネネを制御できないことをあらためて思い知った。

 愛とエゴが大きすぎる。

「やめろ! やめてくれ!」

「このカプセル脆そうだよね。くちゃってつぶれそう」

「登るから! ふたりで地上に行こう!」

 狂気が宿るネネの目を懸命に見つめながら、僕は言った。

「水と食料をたくさん持って行きたいけれど、重みで梯子が壊れそうだね。少ししか持って行けそうにない」

 地上へつづいている錆びた梯子を見上げて、僕は暗澹たる気持ちになった。

「なんとかなるわよ。地上はきっとあたしたちの天国よ」

 ネネは意味不明なほど楽観的だった。 

「ふたり同時に登るのは重くて危険だ。ひとりずつ登ろう。きみが先に行っていいよ」

「だめよ。ふたりで一緒に登るの。先頭はハルくんよ」

「どうして? レディファーストだ。同時だとしても、きみが先に登ってよ」

「あたしが先に行って、ハルくんがあの女のもとに戻ったら困るもの。先に行くのはハルくんよ」

 そう言ったときのネネの瞳には光がなかった。氷のような笑みも浮かべていなかった。完璧な無表情だった。

 彼女は僕の本音を見抜いていた。途中で引き返し、エリのところへ帰ろうと思っていたのだ。

 僕はしかたなく先に登りはじめた。

 梯子がギシギシミシッと音を立てた。赤錆が手のひらにべったりとついた。足を乗せたときにビキッとひびが入った箇所もあった。危険すぎる梯子だ。やはり怖い。怖すぎる。

「らんらんらーん」

 ネネはうれしそうだった。なにを考えているのかわからないが、彼女の頭の中にはお花畑があるにちがいない。

 僕は慎重に登った。

 ネネは無造作に登った。

 途中で彼女は梯子を一段踏み壊してしまった。バキッと大きな音が響いた。

「大事にしてよ。次に目覚めた人が使うものだから」

「うん。わかった」

 全然わかっていなさそうな明るい声音で彼女は答えた。

 時間をかけてゆっくりと進み、半分ほど登ったころのこと。

 下から微かに声が聞こえてきた。

 懐かしい声だ。

 泣きたくなるほど好きな声。

「ハ……ル……ハル……どこ……」

 エリの声だ。生きていたんだ。目覚めてくれたんだ。

 僕は梯子の半ばで止まった。

「エリー!」と叫んだ。

「ハル……」

 彼女は僕の声を聞きつけて、梯子の下に歩み寄った。

「止まらないで! 登って! 登りつづけるのよ。地上まであと100メートルと少し。なにも考えないで登りつづけて!」

 ネネがかん高く喚いた。

「エリが下にいる」

「あの女の名前を口にしないで!」

 ネネは自分の足元の梯子をめちゃくちゃに踏みつけ、破壊した。

「やめろーっ!」と僕は絶叫したが、彼女は制御できないのだ。

 ますます激しく梯子を蹴った。

 錆びた鉄管が落下していった。

 ガーン、ガーン、ガーンという音が竪穴に反響した。

 エリにぶつかったかもしれない。

 彼女は無事だろうか。

 生きていたとしても、もう梯子は登れるような状態ではなくなっていた。

 エリはあそこにとどまるしかない。

 残りの1997人も、エレベーターか鉄梯子を直せる特別な技術を持っている人が覚醒しない限り、シェルターで死を待つしかなくなった。

「行こう、ハルくん。らんらんららーん」

 ネネは楽しそうだった。

 罪の意識なんてかけらもない。

 美少女の皮をかぶった悪魔、と僕は思った。

 この子と一緒に生きる?

 無理だ。

 僕は絶望していたが、上をめざして手を伸ばした。

 降りることもできなくなったのだ。

 登る以外になにができる?

 地上が地獄になっていたらいい。

 核の冬がつづいていたらいい。

 飲める水がなかったらいい。

 雑草ひとつ生えていなかったらいい。

 ネネの泣き顔を見てみたい。

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バッドモーニングトキオシェルター みらいつりびと @miraituribito

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