2084年6月1日②

 目を覚ますと同時、強い光に顔を顰めた。

 夏の朝日によって温められた空気が、べっとりと身体にへばり付いている。


 斑鳩紫龍が自室のベッドに寝転んでいる。

 目覚ましが鳴る前に目が覚めたらしい。白い天井に陽光が線を引いている。

 1階の方から微かに生活音が聞こえてくる。


 一度熱を吐き出すように深呼吸して、目元を手で覆い、こめかみをグリグリと指で揉んだ。


 いつもながら、頭も身体も重い。


 普段であれば、深夜までゲームをしていたというただそれだけの理由で片がつくのだけれど、今日に限って言えば、少し違う事情があった。


 「お祭り」である。


 年に一度開催される佐渡島前線基地で行われる明日のお祭り。

 紫龍が通う高校では、一応名目上「全生徒有志」、しかし実質「強制」でイベントに参加しなければならない。毎年各クラスがテキ屋を出すというのが一般的だが、クラスによっては演劇をしたり、練習したダンスを披露したり、というケースもたまにある。


 紫龍の所属するクラスに関して言えば、「焼き鳥屋」を出すことになっている。


 そしてこれが実はただの焼き鳥屋ではない。

 地元の名物焼き鳥店「鳥ニティ」全面監修による、地鶏を贅沢に使った焼き鳥串を提供する焼き鳥屋である。


 冷凍の焼き鳥を焼いて出すだけでも素人の自分達には大変なはずだろうに、この予想外のクラスメイト達のこだわりによって、下拵えを始め、準備がかなり大変なものになっていた。

 昨日は急遽「炭」が足りないということが判明して、七輪を使って、深夜になるまで黙々と炭を作っていたのである。おかげで今もまだ鼻の奥で灰の臭いがする。


 ちなみに紫龍本人は、一番楽そうだからという理由で「中古ショップ」を提案した。各自が家から何かしら持ち寄り、ブルーシートに並べて販売する。

 もし売れ残ったとしても、最後は各自、自分でもってきたものをそれぞれの家に持ち帰るだけ。


 準備も片付けもラクチン。


 票は残念ながら、自分の一票しか入らなかった。


 そして生来の貧乏くじ体質というか変に生真面目な性格のせいで、紫龍は他の人達の希望した「焼き鳥屋」のため、一番働いている人間の一人になっている。


 汗ばんだ襟元をパタパタして風を送る。

 ベッドの上であぐらをかき、一度大きなあくびをする。


 先ほどまで見ていた夢のことを思い出そうとする。

 いつも見る夢をまた見ていたような気がする。


 しかし不思議なもので、目が覚めてしまうとなんの夢を見ていたのか思い出せない。

 思い出せないのに「いつもと同じ気がする」というのも変だなとは思う。

 頭が重くて考えがまとまらない。


 ただ−−


 自分は誰かと会話をしていて−−

 最後に言葉を言ったのは、多分自分だったはずなのだ。

 なぜかその内容を、全く思い出せない。

 なにかとても……

 なにかとても−−大切なことだったはずなのに−−。


 ドタタタタ!

 階段を勢いよく駆け上がる音に意識を取り戻し、紫龍は今、自身が大変な脅威の中にいることに思い至った。


「やばいやばいやばいやばい」

 慌ててベッドの上に起きあがろうとする。

 ほぼ同時に、バーーーン、と大きな音がして部屋の扉が開いた。


 開いた扉の向こう。

 すごい美人が立っている。


 肩までのセミロングを後ろで縛り、白いTシャツに白ラインの入った黒いドルフィンパンツというラフな姿。そのパンツからは、すらりと長い脚が伸びている。腕を組んでいるせいで、ただでさえ大きな胸が余計に強調されていた。


 特徴的な少し赤みがかった瞳が不気味に嗤っていて、その口が、にまぁ、と大きな笑みを浮かべた。


「おーい、ねぼすけ! まだ寝てるのか!」

「いやいや! 見て見て! 起きてる起きてる! ほら、起きてるでしょ⁉︎」


 完全に忘れていた。

 「姉さん」が昨日帰国していたことを。


 遥香が獲物に飛びかかる猫のようにお尻をふりふり。ジリジリとこちらに近付いてきて−−

 突然、ピョーンと飛びかかってきた。


「うわあっ⁉︎ やめて姉さん!」


 タオルケットを引っ張り上げて自身を防御しようとするも、遥香の圧倒的なパワーの前でそんな行為は無為に等しい。


「はーっはっはっはっはぁーっ! 良いではないか良いではないか!」


 タオルケットどころかTシャツやズボンまで脱がされそうになって紫龍が必死に抵抗する。

 これも昔から変わらない彼女なりの愛情表現なのだけれど、この年にもなってあまりにも度が過ぎる。


 やがて疲れが限界にまで達し、電池が切れたようにベッドに倒れた紫龍は、遥香にお気に入りの人形ででもあるかのように抱きしめられた。

 2連装のロケットのような胸に左右から挟まれて、紫龍の呼吸が完全に止まる。

 遥香が紫龍の頭にグリグリと頬擦りをする。


「紫龍ー、なんで昨日待ってないんだよー! 普通、お姉ちゃんの帰りなんだから遅くなっても待ってるもんだろ? なんで先に寝てるんだよー!」

「んむーっ! んももーっ⁉︎ んんぐっ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」


 拷問されるテロリストのような呻き声を上げる紫龍を、しかし遥香は離さない。

 頭を胸に抱えたまま、ぐるんぐるんとジャイアントスイングを開始する。


 薄れゆく意識の中で、紫龍は幼なじみの「佐々木桃太郎」のことを思い出していた。


 桃太郎はことある毎に、「紫龍は良いなぁ」と言う。

 一緒に飯を食っていても、連れションをしている時にも、暇さえあればそう呟く。


 年相応に女性と女性の胸に興味を持っている桃太郎はつまり、「紫龍は『美人でおっぱいの大きい遥香姉がいて』良いなぁ」と言っているのである。


 薄れゆく意識の中で思う。


 −−桃太郎、お前は呑気すぎる。


 −−本気になったおっぱいは……

 −−本気になったおっぱいは……人を殺す。


 そして紫龍はカクンと肩を落とし、そのまま動かなくなった。

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カグツチ 斉藤すず(斉藤錫) @mm0612

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