佐渡島前線基地 機能停止(サドシマフロント ブレークダウン)

2084年6月1日①

 朝の微睡の中、いつも同じ夢を見る。


 *****


 僕の目の前で、小さな女の子が泣いている。

 僕はどうしたら良いのか分からなくて、ただ彼女のそばに立っていて、その肩をできるだけ優しく撫でている。


 やがて少女が顔をあげ、涙で濡れる目で、僕の目をじっと見つめた。


「お兄ちゃんは……なんであんなに上手に飛べるの?」


 この問いは、これまで何度か繰り返されてきたものだった。

 僕は少し腰を落とし、彼女の頭をそっと撫でながら、いつものように口を開く。


「無理やり言うことを聞かせようとしないで、もっと飛行機に任せてごらん?」


 素直な彼女は僕の目を見て、こくり、と小さく、しかしはっきりと頷いた。


 操縦桿を握っているのは僕たちだけれど、実際のところ空を飛んでいるのは彼らの方で、つまりは僕たちは、彼らの声をもっと上手に聞かなければならない。


 操縦桿から伝わってくる、機体が受けている風の状態、気圧、温度、燃料の燃焼状態。機体が感じているG、強度限界を訴えている部品。

 声を正確に拾い、僕らはただ、彼らが一番上手く飛べる状態に調整してあげさえすれば良い。


 主役は僕たちではない。

 僕たちはパートナーで、そしてどちらかといえば、主役は彼らなのだ。


 少女の頭を撫でていると、彼女はやがて、嬉しそうに小さく笑った。

 その笑顔に、僕の胸はきつく締め付けられる。


「やっぱり、僕が行く」


 考える前に言っていた。そして言葉にしてみると、やはりそれがあるべき姿なのだと分かった。


「僕の方が上手く飛べるなら、僕が行くべきに決まってる。そんなの当たり前だ」


 少女は驚きに目を見開いて、しばらく僕のことをじっと見ていて−−

 やがて再び幸せそうに微笑み、そして、首を横に振った。


「一番の人は、最初には絶対に行かせないって」

「でもっ」

 詰め寄ると首を横に振られた。


「最初のパイロットが死んでも、二番目の人が死んでも、大人の人は、『まだ一番がいる』って言えるから。だから、お兄ちゃんの順番は、まだ先」


 奥歯が勝手にギリ、と音を立て、噛んだ唇から血が滲んだ。


 僕たちは、大人には逆らえない。

 逆らっても、結局大人の思う通りに、最後はそうなってしまう。

 それを僕らは、これまでの経験で嫌と言うほど学んでいた。


「あのねっ」


 大きな声がして、少し驚いて顔を上げる。

 彼女は変わらず笑顔でいて−−


「私ね、恐くないよっ」


 言った瞬間、彼女の顔が泣き顔に潰れ、しかし無理やり、頬を歪めて笑顔に戻した。

 それを見た僕の目から、涙が勝手に溢れていく。でも彼女が笑っているから、辛くても、悲しくても、苦しくても、僕が泣くことは許されなかった。ただ馬鹿みたいに、唇を噛み続けて、涙が出ないようにした。


「私ね……お兄ちゃんのために戦う」

「……え?」


 何を言われているのか分からなかった。

 僕たちは今日までずっと、人類のために戦うために生きてきたから。


 少女は泣きながら、しかし今度は、はっきりと笑って見せた。

 大きな笑顔を作って、今度ははっきりと頷いた。


「私ね、お兄ちゃんのために戦う。お兄ちゃんの順番が来ないように。お兄ちゃんが生きて、幸せになってくれるために戦う。そうしたら……戦って、もし……もし、死んでも、全然、恐くないから。それでも良いって思うから」


 思わず両手で彼女の両腕を掴んでいた。

 思わず睨むようにして、彼女のことを間近で見つめていた。


「死ぬなんて言うな。絶対、絶対、絶対に、帰ってくるんだ」


 そんな剣幕は初めてのことだったから、彼女はきっと驚いたのだろう。

 しばらく僕のことを見つめていて、しかしやがて、ぽろぽろと涙を流してから、コクリと頷いた。


「もし……」

 そこまで言って、少女が一度言葉を切る。

「もし、将来、私が帰って来られたら、お兄ちゃん、一個だけ、お願い聞いてくれる?」


「え? う、うん! もちろん。なんでも言ってごらん?」


 僕の言葉に、少女は涙で濡れた頬のまま、嬉しそうに、一度笑った。



「帰ってこられたら、また一緒に……また一緒に、二人で空を飛びたいな」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る