第2話




【A面 三上佳佑(34)】




 当日、俺は待ち合わせのカフェから、少し離れた場所で時間を過ごしていた。


「早く来すぎたな」


 仕方ない。何処かをウロウロしていればいいか。俺は手近の通りを右に進み始める。


 行儀は悪いがスマホを見ながら歩く。スマホと言っても、何らかのアプリを見ているのではない。ただ……時計を眺め、約束の時間が来るのを待っていた。




【B面 椎奈沙百合(32)】




 寝不足のまま、私はちょうど1時間前に待ち合わせ場所の近くへと到着しました。寝不足は語弊がありますね。寝ていません。寝られませんでした。幸い、昨日見た天気予報通り、今日は晴れています。多少の顔色の悪さはお化粧で誤魔化しています。


 朝からお風呂も入りました。脱毛も多少は行っています。服装は普段着です。一応、折りたたみ傘も持ってきました。頭の中で考えた予定は一個を除いては完遂できています。唯一、出来ていないのは……コンビニに行き損ねたことです。これでは、デート中にお腹が減ってくるかもしれません。ですが、一食程度抜いても……なんとかなるでしょう。腹ごしらえは出来ませんでしたが、今日は予定通りサラダだけを頼むつもりです。


 そんな事を色々と頭の中で考えていても、思ったより時間は経ちません。ちょっと歩きましょうか。心が落ち着くかもしれません。


 そして、私は手近の通りを左に進み始めました。


 歩いている最中も、時間の経過が気になって仕方がありません。私は、すれ違う人にぶつからないように気をつけながら、スマホの時計を見ながら歩いて……約束の時間が来るのを待つのでした。




【A面 三上佳佑(34)】




 12時。俺は約束のカフェに歩いていくと……ちょうど向こうから椎奈さんが歩いてきた。時間ピッタリみたいだ。良かった。


「先日はありがとうございました。あぁ……いえ、本日も来て頂きましてありがとうございます」


 営業仕事で培われた成果なんだろうな。まずは謝辞から入る。多分、デートとしてみたら不正解なんだろう。でも、俺にはこれしかない。


「いえいえ。今日は仕事じゃないんですから、そんな頭を下げなくても大丈夫ですよ」


 そう言うと彼女は笑った。彼女がどういう人物なのかは事務室の他の子に聞いてみたので、多少は知っている。だが、聞かされていたのとは様子が違って見えた。話では……彼女は短気で、威張り散らして、性根がねじ曲がっていて、年増で、お局様で、感情を失ったロボットだとか……耳にタコが出来るくらい聞かされたものだったのだが………その話は嘘だったんだろう。彼女の素直な微笑み……惹かれるには十分すぎるほど人間らしかった。


「さあ、行きましょうか。席が埋まってしまうかもしれません」


「そうですね。行きましょう」


 俺は彼女の先を歩くようにして、そのカフェに足を踏み入れた。




【B面 椎奈沙百合(32)】




 12時。私は約束のカフェに歩いていくと……ちょうど向こうから三上さんが歩いてきました。時間ピッタリみたいですね。良かった。


 お互いが近づくなり、三上さんは……


「先日はありがとうございました。あぁ……いえ、本日も来て頂きましてありがとうございます」


 そう頭を下げます。先日と言うと……領収書の日ですね。ああ、せっかくのデートだというのに……仕事の事を思い出すのは嫌ですね。


「いえいえ。今日は仕事じゃないんですから、そんな頭を下げなくても大丈夫ですよ」


 私はそう返しました。それを言ってから気付いたんです。仕事の事を考えるのは嫌だと思っておきながら、私がそれを口に出してしまったら……彼の方も仕事を思い出して嫌な気持ちになってしまうかもしれません。私は……それを取り繕うべく、笑って誤魔化しました。その笑いはひきつっていた事でしょう。


「さあ、行きましょうか。席が埋まってしまうかもしれません」


 彼は私を先導するように歩いていきます。あ、手を取るとかはしないんですね。それは……もっと上級者向けの所作なんでしょうか? わかりません。何と言っても、私の持てる全ての知識は恋愛系のマンガからの受け売りです。


「そうですね。行きましょう」


 頭の中がいっぱいいっぱいの私は、彼の言う事をオウム返しする事しかできません。




【A面 三上佳佑(34)】




「じゃあ……ゴルゴンゾーラで」


 俺は店員さんに注文を通した。頼んでおいてなんだけど……ゴルゴンゾーラって何だろうな。知らないまま頼んだのには理由がある。流石にデートでミートソースを頼むのは恥ずかしかった。だからメニューを穴が空くほどに眺めて……一番格好良さそうな名前のメニューを頼んだんだ。大丈夫、多分……美味い。それにしてもゴルゴンゾーラって名前、ボスキャラみたいだよな。しかも強そう。


「私は……このボウルサラダでお願いします」


 椎奈さんはサラダだけを頼んだ。やっぱり女性は食が細いんだな。ここで……それで足りますか? とか言うのは野暮なんだろう。その言葉をぐっと飲み込むと、俺は彼女との会話を楽しもうと話題を振った。




 俺と彼女は同世代なんで、会話は思った以上に盛り上がった。やはり10代の頃のような青臭さがないからなのだろう。互いが相手を尊重して、話をする、話を聞くのがバランス良くできるのが心地よい。若い頃は、ただ……良いところを見せようと気張って見せていたのが、何だか馬鹿らしく思えてくる。


 そんな感じで、会話が盛り上がった時……注文の品が届けられた。これが……ゴルゴンゾーラか。一見、その色は白く、カルボナーラのようにも見える。その名前からして漆黒なRPGゲームのボスをイメージしていた俺は、真逆を付かれたことに動揺した。いや……動揺した理由は、それじゃない。俺は……あまり白い系の食べ物が得意ではないのだ。好きなのは茶色の食べ物。まあ……でも、この方がデートには相応しいのだろうな。格好良く見えそうだし。


 俺は覚悟を決めると……白色のパスタを食した。うん、苦手な味だ。これは……短期決戦で食べないと負けるな。そして、俺はゴルゴンゾーラと雌雄を決する戦いに挑んだ。恥ずかしながら……その間、デートであることを忘れてしまっていた。




【B面 椎奈沙百合(32)】




 メニューには、多数の料理名が文字だけで記載されていました。ですが……私にとって必要なメニューはサラダだけです。


「じゃあ……ゴルゴンゾーラで」


 三上さんが先に注文を通しました。私はボウルサラダにしましょう。これなら量も多いでしょうし、朝に食べ損ねた分は取り返せそうです。


「私は……このボウルサラダでお願いします」


 店員さんが離れると、私達は会話に興じました。特に盛り上がるのは……やはり同世代トークですね。楽しかったです。もし、こういった会話を事務室でしようものなら、あの子達は『え? そんなのあったんですね』とでも言うのでしょう。若さマウントを取ってくるのは目に見えています。だからこそなんでしょう。この会話は心底……心地良く感じました。




 そして注文が届きます。私の目前にはボウルサラダが置かれました。あれ、想像以上に大きい。ボウルが本当にボウルのサイズです。おそらく、これは多人数用。それに単体で挑もうとする私は、まるで草食の家畜。朝、コンビニに行き損ねた事が悔やまれます。そして……恥ずかしさが襲ってきました。


 私は覚悟を決めると、サラダボウルに手を付けました。その量は多く、減っているようには見えません。あぁ……私、彼に何と思われているんでしょう。私は彼に視線を向けます。すると、彼は勢いよくゴルゴンゾーラを食べていました。やはり男性は、豪快に食べるんですね。その食べっぷりに、私は新鮮な感動を覚えました。そして、自分も……そのように出来たらいいのにと、そう思うのです。




【A面 三上佳佑(34)】(ここまで)




 頭の中に勝利のファンファーレが鳴り響いた。勝った。ゴルゴンゾーラに勝ったぞ。俺は勝利の余韻に浸るように、椅子に深く沈むと、少し深めの息を吐く。その時に見えてしまった。俺はスマートフォンを取り出すと……


「えっと……椎奈さんってラインはやってます?」


 彼女にラインのIDを尋ねる。いきなり失礼だろうとは思った。でも……今、言わなければタイミングを逸してしまうかもしれない。


「あ……ラ、ラインですか。やってないです」


 椎奈さんはラインはやっていないようだ。それなら……


「じゃあ、ツイッターとかはどうです?」


「えっと……アカウントはあります。ほとんど使っていませんけど」


 よし! 俺は彼女のアカウント名を聞くと、彼女をフォローする。彼女もスマートフォンを取り出すと、俺にフォローを返してくれた。そして……俺は彼女にDM(ダイレクトメッセージ)を送る。




【B面 椎奈沙百合(32)】




 サラダボウルは半分ほど減っていますが……もはやこれまで。私はこれ以上の野菜の摂取を諦めました。その時です。


「えっと……椎奈さんってラインはやってます?」


 え? あ……これが、ひょっとして世間で言うライン交換でしょうか? 都市伝説だと思っていましたけど……本当にあるんですね。でも、私はラインはやっていません。あぁ……恥ずかしい。こんな事なら流行に乗っておけば良かった。


「あ……ラ、ラインですか。やってないです」


 嘘をついても仕方ありません。私は素直に返事をしました。どうしよう、彼に幻滅されたりしないでしょうか。


「じゃあ、ツイッターとかはどうです?」


 良かった。ラインをやっていない事で、会話が終わってしまったりしたら……後悔してもしきれません。幸い、ツイッターなら……何年か前にアカウントを作ってあります。作っただけですけど。


「えっと……アカウントはあります。ほとんど使っていませんけど」


 私は急いでバッグからスマートフォンを取り出すと、滅多に使わないアプリを起動しました。そして、彼に私のアカウント名を伝えると……彼からフォローされたと通知が来ました。私は不慣れな手付きで……フォローを返します。




 すると見慣れない通知が来ました。DMというものが届いたそうです。わからないまま触れてみると……そこには彼からのメッセージが届いていました。


【振り返らないでくださいね。今、椎奈さんの後ろ側の席に事務室の女の子達がいます】


 意味がわからない。私は振り返りそうになるのを、必死に堪えました。


【ご時世、マスクは当然でしょうけど……彼女達は変装していますね。多分ですけど、見られてますよ】


 意味がわかりました。あの子達……私達のデートを覗きにきたんですね。突然の野次馬の乱入に腹が立ってきます。


【食事済ませて、逃げちゃいましょうか?】


 彼のメッセージが届きました。そして……


「パスタだけでは少し足りないんですよ。ちょっと貰ってもいいですか?」


 彼はそう口にしました。私は頷きます。


「それじゃ、失礼して」


 彼は私が諦めたサラダボウルを自身に引き寄せると……勢いよく食べていきます。これもまた豪快でした。そして、何よりも彼は……私が先程まで食べていたものを食べています。何ででしょう、嫌悪感は感じません。ただ、何だか……彼から眼を離せない。そんな気持ちです。




 彼はサラダボウルをキレイに平らげてました。そして……


「じゃあ……行きましょうか」


 と、席を立ちます。私もそれに続きました。横目にあの子達をチラッと見ます。彼女達も私達を見ていました。焦っていますね。私達が会計を済ませて出ようとしているのに、自分達はまだ食事中。どちらもがリスのように頬を膨らませています。若い子達は、こういう時に写真を撮ってインスタとやらに公開するんでしょうね。


 気がつけば、会計は彼が済ませていました。私もお金を払ったほうがいいと思いましたが……それは、今言うことではなさそうです。私達は急ぎ足でカフェを後にしました。




【エピローグ】




 日曜、昼間の公園は静穏そのもの。その静寂は男女が駆けてくると破られる。彼らは公園のベンチで、ようやくその足を止める。男は女の手を離した。


「ここまで来れば、もう探せないでしょう」


「まったく……あの子達ったら……」


 まだ女の呼吸は整っていない。女はベンチに腰を下ろした。


「すいません。明日……叱っておきます」


 女は申し訳無さそうに言う。呼吸は落ち着いてきたようだ。


「叱らなくてもいいですよ。それに……ちょっと面白くありませんでした? ほら、マンガのストーリーみたいで」


 男はそう答えると、無邪気な笑いを浮かべた。


「そうですね、少し……仕事を増やす程度にしておきます」


 女も笑顔を返すと、男に答える。


 それから、少しして……女は、急に真顔になると……


「私……こんなデートは初めてです」


 そう言った。


「そうですね。俺も……こんなデートは初めてです」


 その発言に女は……心底嬉しそうに破顔してみせた。




「少し走りましたし、サラダだけでは持たないでしょう。どうです……ケーキでも食べにいきませんか?」


 男はベンチに座る女に手を差し出すと、次の行き先を提案する。


「ケーキですか?」


「はい……ツイッターで風船が飛んでいましたよね。お誕生日おめでとうございます」


 女は……男の手を取るとベンチから立ち上がった。




【not young anymore】 了




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