0922 天使の描いた風景

「ドロテア!!」


 リチェルカが叫ぶと、中庭で異形の姿をした何かがこちらを向いた。


「ドロ・・・テア・・・? 何を言っているの? 私は・・・」

「君は、ドロテアだよね?」

「違う!! 私はドロテアなんかじゃない!! 私は捨てられたりしていない!! 私はパパに殺されたりなんてしてない!! わたしは・・・ドロテア愛されなかった哀れな少女なんかじゃない!!」

「・・・いや、君はドロテアだよ。」


 冷静に、ただ冷静にそう事実だけを突きつけると、叫んでいた彼女はとうとう観念したようにそこへ降り立った。


「・・・そう、私はドロテア。病気がわかってすぐにこの家に引っ越してきた。パパと一緒に。ここは私のために建てられたお墓。パパは新薬を作って私の身体を実験台にする傍らで、怪しい実験を繰り返して人間のように動く人形を生み出した。その頃にはもう、私の身体はボロボロで、だから用無しの私は捨てられた。パパの優しさなんて全部嘘。アンジェリナはただの人形、あれだってパパの命令で動いてただけ。愛していたのは私だけ。誰も私を愛してなかった。何も知らない私だけが馬鹿を見た!! ・・・ねぇリチェルカ、リチェルカは私を愛してくれる? ここは私の世界。私を愛してくれるのなら、何でもあげる。あなたの望みかなえてあげる。」

「それはできない。」


 そうできたなら、どんなに良かったかもしれない。そうしてここで彼女と生き続ける選択もあっただろう。だけど、それではドロテアは救われない。

 だからこそ、リチェルカはドロテアに真実を伝えると決めた。


「そっか・・・リチェルカも私を裏切るんだね。私の事綺麗って言ってくれたのに・・・」

「それは違うよ。君はすでにたくさんの愛情に包まれている。そこに僕が入り込む余地はない。」

「ふざけないでよ!!」

「事実だよ。ドロテア。マクレーン博士は偉大な人だった。だけど、その書籍にはこう書き記されているんだ。

【どれだけ新薬を生み出したとしても、どれだけたくさんの命を救ったとしても、私の心は救われない。私の一番大切な人を救うことはできない。何故なら死者を蘇生させることはできないのだから】 とね。

 博士が研究者になったのは大切な人が重い病気に侵されたから。明記されてはいないけど、それはドロテア、君の事だよ。博士は君の為に日夜薬の研究をした。その傍らで、例え君の命が果てたとしても一緒にいる方法を模索していた。死者蘇生、ホムンクルス・・・そうして生み出されたアンジェリナだってみんな、君と一緒にいるための研究の一環だ。」

「・・・。」

「博士は君とずっと一緒に居たいと心から願っていたと思う。だけど、周囲からの反対や世間の厳しい目の中で痛みに耐えながらなんとか君を見た時、現実に引き戻されてしまったんだよ。生きたいと願うのはドロテアの願いなんかじゃなく、生きてほしいという自分博士のエゴだったのだと、気づいてしまった。だから全てを取りやめて、君を安らかな眠りにつかせることを選んだんだ。自分の娘を、自分のエゴに突き合わせ苦しめてはいけないとね。」

「パパ・・・」

「それでも、全てをかけた望みを捨てては、博士は生きていけなかった。だから、この屋敷に君とアンジェリナを残したんだ。ここで娘は生きているのだと、そう思いたかったんだと思う。」

「・・・パパは・・・私の事を愛していてくれたの?」

「それは、君がよく知っているでしょう? 君が日記につづった日々は、まやかしだった?」

「・・・違う・・・だって私は、パパが大好きだったもの・・・パパ・・・パパも・・・辛かったんだね・・・」


 今まで異形の物体であった彼女の姿が、写真で見たドロテアの姿へと変わていく。

 はにかむドロテアの手を取って、リチェルカはなんとなしに庭の散策を始めた。他愛ない雑談は盛り上がりはしなかったが、お互いに悪い気はしなかった。


「・・・僕は正直君が羨ましい。僕よりずっと不自由なのに、その心はずっと豊かだった。僕はずっと、下を見て歩いていたから、周りにこんな景色があることを知らなかった。こんな暖かい世界に、もっと早く触れていたのなら、僕の空虚な心も、少しは埋まっていたかもしれないのに。」

「何言ってるの? リチェルカにはこれから先があるでしょう? そう思ったなら、今から変わればいいんだわ。」

「今ここにあることに感謝をして、素直に愛を受け入れて? 無理だよ。大人になると、そういうの、少し難しいんだ。」

「あら、私を子ども扱いしないで頂戴。年数だけみれば・・・私はリチェルカよりも大人なのよ!」

「あはは。そうだけど、それじゃおばあちゃんになっちゃうよ?。」

「っ。それはちょっと・・・まだ早いわ。」

「あはは。・・・・・・・・・ねぇ、ドロテア、やってみようかな?」

「何を?」

「ここへきて、やりたいことが一つ見つかった。今までだったら絶対にやらないようなこと。馬鹿馬鹿しい事かもしれないけれど・・・ドロテアのおかげで。」

「まぁ、それは素敵、私応援するわ!!」

「ありがとう。」

「ふふふっ。なんだリチェルカ、もうすっかり変われてるじゃない。」


 少し悪戯に笑う、ドロテアの見せる晴れ晴れとした姿が、別れが近いことを告げていた。その時が来る前に、何か恩返しをしたいとおもい、リチェルカはひとつの提案をする。


「そうだドロテア、よかったら今から僕とお茶会をしてくれないかな? 本当は、紅茶もお菓子も大好きなんだ。」

「まぁ、嬉しい! お友達とお茶会をするの、夢だったの。でも、ここにお茶はないし・・・そうだわリチェルカ、町で茶葉を買ってきてもらえるかしら? 私の大好きな赤いバラの紅茶よ。私はここで準備をしておくから。」

「分かったよ。」


 軽く了承して、リチェルカはドロテアに教わった抜け道から屋敷の外へ出た。町で有名な紅茶屋で、一番高い薔薇の紅茶を買って屋敷に戻る。その道すがら「おやおや、リチェルカさん。会えてよかった。」と不意に声をかけられた。どこかで聞いたことのあるその声の主は前仲介人の男だった。


「あれから連絡が取れなくて心配しましたよ。お元気そうで何よりです。」


 その台詞に嫌な気配がして、仲介人の男を押しのけ屋敷の中庭へ急ぐ。

 伸び放題になった雑草、錆びて塗装の禿げたテーブル、ささくれ立った椅子。


『どうして僕は、戻れると思っていたんだ・・・』


「ドロテア? ドロテア!!」


 いくら叫んでも返事が返ってくることはなかった。

 ドロテアは逝ってしまったのだ。お別れも言わずに・・・


 ***



 ドロテアとの別れの直後、リチェルカは屋敷の購入を決めた。屋敷をもとの姿に戻し、綺麗に整えられた薔薇の咲く中庭を開放するように、小さなカフェをオープンさせた。

 給仕に当たるのはアンジェリナ。仲介人に紹介された、彼女を直せるという怪しい団体に積んだ金と、屋敷のリフォームにより全財産を投げうつどころか多額の負債を抱えることになり、そうこうしている間に恋人にも別れを告げられたが、心は晴れ晴れとしていた。


「おじさん! これあげる。猫が持っていたの!」


 客の娘。どこかドロテアに雰囲気の似た、赤いワンピースの少女が薔薇のあしらわれた封筒をリチェルカに渡した。中には同じデザインの便箋。もちろんの文字も書かれていない。ただの白い紙切れに、思わず涙が流れた。


「どうかなされましたか? リチェルカ様。」

「いや、何でもないよアンジェリナ。 ただ・・・ドロテアはどうしているかなと思って。」

「ドロテア様は、身体が弱い割に外遊びが大好きな方でしたから・・・きっと健康な体に生まれ変わって、思う存分野山を駆け巡っている事でしょうね。」

「だといい。いつかここにも来てくれるだろうか・・・お茶の約束があるんだ。」

「リチェルカ様とのお約束なら、きっといらっしゃいます。」


 白紙の手紙を大切に胸にしまい、「いつでも待ってるよ・・・ドロテア。」と言葉を風に流して、リチェルカは薔薇の紅茶をゆっくりと味わうのだった。




 ――― 

 親愛なるリチェルカ

 私が愛した風景は、今もそこにありますか?

 あなたが探していたものは、みつかりましたか?

 別れの言葉は言いません。だってきっとまた会えるから。

 ありがとう、リチェルカ。

 私には、出会うすべてが宝物でした。

 あなたの目に映る世界が、少しでも光り輝くものでありますように・・・

 ドロテアより愛をこめて


                                      ED 天使が描いた風景 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使の住む家 細蟹姫 @sasaganihime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説