古希こき妄想日記

伊東へいざん

古希こき妄想日記

 気が付いたら70歳になっていた。この年になってやっと律儀に生きるほどの世の中でもなかったということが分かった。若かりし頃は正義感に燃え、少しでも道を外れている行いを見るたびに万遍無く目くじらを立て、何としても糺さなければ気が済まなかった。お蔭でいつも心か体は怪我だらけ。誰のためにもならない効率の悪い生き方をしていたものだ。

 70歳になった日、心を入れ替えることにした。かといってこれまでの人生を反省するつもりなど毛頭ない。


 世界のATMに成り下がった日本。政府の責任回避の引け越しに向かっ腹の立つことばかり。とてもじゃないが現実を真面に見ていたら頭の血管が切れて命が持たない。何をどう思おうが言おうが書こうが日本国憲法19条で保障されているとなれば、妄想日記こそ己を縛りつけるさまざまな柵から自らを解き放ち、己に穿った前進には絶好の手段であり、誰にも迷惑を掛けずに老後を謳歌出来る “無視道” の極意に至ると悟った。蜘蛛の糸を垂らさずに蓮池を覗いて楽しむ心境である。


70歳になっちまったその日(令和3年9月13日)

 “お幸せに” という言葉がある。相手の幸せを祈る言葉であると同時に、逆説的な強い皮肉または脅しでも使われる。

 支那から見れば今の日本に対しては正に後者を呟く段階であろう。“平和主義”とやらの言い訳のもと、改憲に目を瞑り、軍事に於いて非常時から逃避し続け、遺憾砲一本やりで根拠のない虚勢を張っている今の日本は絶交の攻め時であろう。アフガン危機に1mmも対応出来なかった日本の危機意識の脆弱さ、無責任さが露呈された。日本国籍を嘯く三国人に血税を注いで生活を保障し、国を危うくする自傷行為の間抜けぶりも笑えない。

 日本を同盟国と嘯いている米国にとっても疾うに期待できる国ではなくなっている。日本人は米国の思惑どおりファンタジー憲法に酔って腑抜けになったはいいが、その憲法で米国自体にとっても役立たずの国になってしまったことは皮肉な結果であろう。

 北京五輪閉幕後、どんな悲惨な事態が待っているか空恐ろしい。台湾人が支那国籍でなければ出場を認めないなどと、主催国は厨房並みのケツの穴の小ささ。究極、北京五輪に於ける支那人以外のゴールドメダリストは全員処刑などという暴走が起こっても何の不思議もない。更に、北京五輪開催が阻止された場合は、台湾への軍事行動が早まるだけかもしれない。

 そう考えれば、台湾及び日本侵略阻止への準備期間の猶予はあと2年しかないという結論になる。残された幸せの2年間、悔いなき老後をどうクリエイトするか考えようと思う。


70歳0ヶ月と1日(令和3年9月14日)

 可笑しな雲行きがある時、そこには “無視すべき透明人間” がいる。イスラム教の聖戦を遂行する国が、イスラム教地域の新疆ウイグル自治区に凄惨な弾圧を続けている支那と、イスラム教徒のクリミア・タタール人を迫害しているロシアの支持を受けている。アフガンのイスラム教とウイグルやクリミアのイスラム教は違うとでも言うのか・・・

 確かに、創価学会といえども水面下では信者が三派に分裂している。同じ宗教でも信者の都合で別物に変わるのだろう。全く整合性のない現実は、人の限りない欲にあろう。欲というのは実に虫のいい例外を生む。新入社員の誰かだけが理不尽な扱いをされ始めた時、彼は知らぬ間にその会社組織に蔓延る踏み入ってはならない人間関係の渦中に不用意に足を突っ込んでしまったからに他ならない。特に肉体関係のある溝の中は厄介だ。

 ドラキュラが大蒜と日光を嫌うように、薄汚れた人間は清んだ心に強い違和感を持つ。それがときに嫉妬となって歪な毛嫌いに変わる。かつて純粋だった己の汚れっぷりに腹を立てているのかは分からないが、世の中は “無視すべき透明人間” が全体を濁す強力な感染力を持って蔓延っている。免疫力を付けるしかない。


70歳0ヶ月と3日(令和3年9月16日)

 詐欺・・・拙者の知る人に、損益覚悟で投資会社に莫大な投資をしているお金持ち老人がいる。投資会社のスタッフはその老人に至れり尽くせりの待遇を提供している。老人は投資の資産目当てだということが分かっていても “有難い” と投資会社のスタッフに感謝の念を絶やさない。このように、世の中には詐欺師が好きな人もいる。


 “どれにしようかな~神様のいうとおり” という神頼みのおまじないがあった。衆院詐欺議員は皆、国より己の保身を第一としている。『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する欲に塗れたねずみ男を彷彿とさせる。偉そうなことをほざいても、たかがねずみ男じゃねえかと思えば心なし笑顔にもなる。今年も国のおさ選抜大会に偽善的甘言が得意な優柔不断男、日本にとって役に立たないハニトラ議員と詭弁人気議員が支持する油断ならない男、介護的親中派腰巾着女とかが揃った。国の長はその中から選ばなければならないが、その茶番を保身議員どもは元気に闊歩する。そんな彼らには生活が保障された未来がもれなく付いているからであろう。

 皇室では、親への反抗期のお嬢さんが、雁字搦めの立場から恋する第三者に救いを求める逃避の試みを重ねるうちに、出会った何人目かの恋人が運悪くはずれくじ。手練れの母子結婚詐欺師だったことはお気の毒であるが、それでも雁字搦めの立場から脱出したかったのであろう。しかし、皇室だからといって特別視して事実をオブラートに包むのは国民を愚弄する本末転倒だ。大枚の税金をドブに捨てていいはずがない。せめて事実は全て公にし、皇室人のあるべき姿を問うべきだ。導けない親が、家族が、天皇になる資格があろうはずがない。


 日本はどこもかしこも脆弱と詐欺の渦である。今や日本はその偉大な歴史を存続できる器にない。ファンタジー国はとどのつまりに来ている。


70歳0ヶ月と8日(令和3年9月21日)

 「われわれ素人からみて、あの話はまったく噓だったって話になるんですかね。よく分からないね、俺は」

 専門家と称する分科会のお偉いさんの舌が抜かれるんじゃないのかと思う程に辛辣な麻生太郎氏の指摘は、実は多くの国民の本音であろう。しかし、本音はうざったい同調圧力で潰される歪な時代だ。

 お隣の国では愈々バブル崩壊・・・守銭奴たちの椅子取りゲームが終末を迎えているようだ。純金などはそれ自体に価値があろうが、人の利用しない不動産を資産扱いして投資したところで、いつかはかつての日本のように豪遊生活が一夜にして夢の跡になろう。これまで支那に追随していた世界の守銭奴たちも余命いくばくもない事態になろう。

 余命いくばくと言えば、“ガラケーが来年3月から段階終了” となるそうだ。誤報も甚だしい。正しくは3Gが終了ということでスマホにしても使えなくなる機種がある。ガラケーをスマホに替えさせたい業社の思惑満載のとばし記事。

 開発とは身勝手なものである。愛用している者の気持ちなどどうでもいいのであろう。なれば、ガラケー愛用者である拙者も外との交流が煩わしい年齢となったので、段階終了にお付き合いしてこの機会に携帯電話はやめようかと考えたが、4Gなので終了しない。なれば “もっともっと” マイペースで生きる晩年を送りたいと思っている。携帯電話を持たない人の気持ちが分かったような気がする。他者との関わりによって人生を謳歌している人たちや、依存している人たちは別だろうが、拙者は他者との関わりは仕事以外不要の “精神的引籠り人生” を謳歌しているのでもう必要ない。インチキ情報満載のPCで充分である。“無視道” で歩めば人為的な流行や同調圧力にも全く影響を受けずに合理的に過ごせる。空気を読むなどというルールは自己否定か自傷行為だとしか思っていない。拙者を “変わり者” と評しながら流行や同調圧力に心を病んで沈んでいく人を見るたびに、やっぱり無理していたんじゃないかとその自業自得ぶりに溜息が出る。

 健康に生を受けることは実に低い確率だ。折角低い確率で生まれて来た自分を、安易に嫉妬と理不尽塗れの吹きっ曝しで苦しめることもなかろう。人は一人で生まれ一人で死んでいく。孤独こそ自然な姿なのだ。人望があれば黙っていても人は寄って来る。友と同席して居ながら、互いの携帯に熱中している光景をよく見掛けるが、拙者から見ればそれこそ実に孤独で寂しい光景にしか見えない。何のために同席しているのか拙者にはさっぱり分からない。


70歳0ヶ月と11日(令和3年9月24日)

 命を狙えば建前ではただのテロリストでも、本音では英雄になれる可能性が極めて濃厚な事態になったといえる。しかし、それをやってのけられる強者は今の日本に存在するだろうか? 精々オレオレ詐欺で小金を稼いでタワマン目指すのが関の山であろう。将又、自粛警察に煽られて “誰でも良かった” 無差別犯はいるだろうが、措置入院送りで無罪になれるお優しい国にはそういった骨のある御方などいないだろう。

 標的を絞った信念のある暗殺者など今やアニメの中の夢想であろう。最も老害狂人のためにならないのは、老害狂人の腰巾着どもである。役立たずの寄生虫に憑りつかれた老害狂人の行く末は、孤独一択。時代錯誤の“ソ連病” という不治の病である。


70歳0ヶ月と12日(令和3年9月25日)

 北海道根室市の花咲港では今期になってさんまが豊漁のようだ。一方で北海道に実在する業者と同じ屋号を名乗るコロナ過の同情詐欺の商法が問題になっている。一業者の泣き言に耳を傾ける薄っぺらな偽善など仇になる油断ならない世の中だという事を知るいい授業料になったことだろう。善意を裏切られて腹が立った時点で、その善意は偽善でしかなくなる。易々と見ず知らずの他人を信ずるなど、おめでたいにも程が有るというものだ。


 さて、日本一と言われる観光都市、京都では観光地の無電柱化事業の中断を決めたそうだ。特定民族の大量爆買いでも肝心なところは潤えず、市を財政破綻に追い込む政府の観光立国宣言は大失策という証しである。内需で成立していた観光業社に守銭奴欲を芽生えさせ、あるべき美しい土地の姿をズタズタにし、何百年と続く老舗まで閉店に追い込んだ観光立国宣言は愚の骨頂だ。

 コロナ禍は味方によっては先の大震災同様、国民に次々と現実を見せてくれた有難い気付け薬かも知れない。コロナ禍のお陰で、見ることの出来ない世界が多くの国民の視界に入って、今まで何となく政府に対する気持ちの悪い違和感が露呈された思いだ。違和感の渦中にある長どもは皆、保身で腐り切っていた。そして公僕皆がいずれそうなる。国民は制度の “偽善” をうまく利用するしかないのだ。

 去る21日の中秋の名月はいくつもの雲を渡りながら輝いていた。その美しさわびさびは、「空」に近い者ほど感じられるものなのだろう。特定外国人に汚された観光地が、ああ、ここは日本だと思える日はもう来ない気がする。


70歳0ヶ月と13日(令和3年9月26日)

 自死する者へのララバイ・・・

自分はどんな世界を期待して生まれて来たのか・・・誰にどんな未来を言い含められて今を過ごして来たのか・・・

 夢を追うには同時に人一倍現実を把握する必要がある。誰にどんな甘言を吹き込まれたのか、夢を追っている最中にやっと現実に気付き、手痛い仕打にへたばる者も多いだろう。

 コロナ過で現実を見過ぎて自殺に走る者が増えているという。生き続けるのが必ずしもベストではないのかもしれない・・・が、取り敢えず生き続けることは現世の苦行に立ち向かえていることにはなろう。

 誰と比べて自分は敗者なのか、あるいは勝者なのか。究極、己に比べれば殆どの他人はどうでもいい存在である。人類皆兄弟だなどと気持ち悪いことを抜かしおる輩がいるが偽善もいいところだ。真に大切な存在は誰もがほんの一握りの筈だ。

 その人たちの前で、死ぬ前に一瞬でも真にかっこよい己の生き様を見せたくはないか・・・


70歳0ヶ月と14日(令和3年9月27日)

 東京のICU(集中治療室)ベッドは1000床以上あり、フル稼働すれば重症患者が今の10倍になっても対応出来るという。

 ただ、コロナ患者を受け入れている病院は全体の2割。そのためにあのおっさんは医療崩壊の危機だと国民を煽り、理想論を騙るだけで、医療制度の脆弱性に触れることはしないクソ専門家様であることが知れ渡った。令和のオオカミ少年・・・いや、オオカミじいさんなのであろう。

 今朝は台風が逸れたのか、晴れ渡った東京である。


70歳0ヶ月と15日(令和3年9月28日)

 すっかり秋である。やや冷たいがゆえの清々しい空気だ。いよいよ天皇制も崩壊の始まりを予感させる。日本のシンボルと成り得る次の代の天皇・・・多くの疑問が生じるではないか。拙者は令和限りで尊王を捨てる決意に至って気分爽快。久し振りにデスク周りの掃除をして邪魔なものを一掃する。そうなると本棚も整理したくなる。買って期待外れだった本も少なからず溜まっている。作者には悪いがこれから古書店を通過して清掃局に奉納。

 コロナ過では決して悪いことばかりじゃない。拙者に取っては寧ろいいことずくめ。日本中、衛生観念が高くなった。人流が閑散として爽やかな時を過ごせた。目を背けたくなる特定外国人のマナーの悪さも街から消えた。綺麗好きな人間にとって、やっと普通の生活になった。

 軒並みに店舗が閉店・開店を繰り返している。人心を読めない運営には過酷な時代であろう。一線から外されて口惜しかろうが、その現実は人望のある者への追い風にもなる。

 総裁選がクライマックスだ。お邪魔虫がお邪魔虫を担ぎ上げようとしている。笑えない傷の舐め合いの喜劇だ。片付けのついでに情報煽りのゴミも掃除したいものだ。


70歳0ヶ月と19日(令和3年10月2日)

 触法少年・・・遺族の怒り悲しみより優先する “更生” という名の無罪放免。

 旭川でいじめにより凍死させられた女子中学生を思えば、加害者の未来・人権・・・学校教育を取り巻く絶望的な薄汚いものに触れて空を見る。


70歳0ヶ月と21日(令和3年10月4日)

 またかというヘドロ・・・ガキどものヘドロとクズ校長以下教員どものヘドロが生んだ悲劇。

 東京都町田市立小6年の女子児童(当時12歳)がいじめを訴えて自殺。何故被害者である自分を抹消する前に加害者への報復に出ないのか・・・クソどもを生かしたまま己の命を絶つのはまだ早い。何をしようと触法少年は守られているではないか。

 平和ボケ教育のまやかしに洗脳されてはいかん!


70歳0ヶ月と22日(令和3年10月5日)

 国民的人気投票「衆院選」が19日公示31日投開票の日程で行われるようだ。新聞はまた薄っぺらい予想屋の選挙記事一色の候となった。

 “専門家” が、緊急事態宣言を解除すれば冬よりも前に第6波が来る可能性があると吠えている。可能性はあるだろう。地震、雷、火事、台風、事故、病気、何だって可能性はある。だからこそメンテナンスの賢さが必要なのだ。

 水管橋が崩壊したそうだが、点検は “目視” だそうだ。笑ってしまった。“目視” などと超能力レベルで点検していたわけである。ただ、実際を言えば内部的には危機感を持って進言していたスタッフもいたはずである。しかしインフラに関しての莫大な改修費用に政府は消極的であり、進言は厚い壁で潰されていたのであろう。正にメンテナンス軽視の愚である。ぶっちゃけ、事故が起きなくても、起きそうでも、起きても、永久に “黙視” であろう。

 日本は、自分の頭で考えない、自分を守れない無責任依存時代にどっぷり浸かっている。開発、開発で利便性追求は結構なことだが、肝心なアナログの足下は杜撰。ぼんやりしていると一億総依存症候群の手抜きの火の粉があちこちから飛んで来る。政府が国民に求めるものは殆どが自己都合だ。国民は選挙の度に詐欺に遭って来た。公約を完璧に守った議員がいたか思い起こせば、自分のことは自分で守るしかない。くわばら、くわばら。


70歳0ヶ月と23日(令和3年10月6日)

 先日、早々とインフルエンザワクチンの接種を済ませた。感染拡大は手薄なところを狙う。O157、ノロウイルス、黄色ブドウ球菌が報道上では影を潜めているが、それらの感染からコロナ感染が誘発される可能性は十分にある。

 このところ、緊急事態宣言解除とやらのまやかしで、急に街に人が増えた。男女ペアや学生の小団体、幼い子供連れも増えた。シルバーカー頼りに歩くご老人の姿も増えた。

 歩行者のギリギリを激走する自転車配達員に雑じって、子どもを乗せたおばちゃんたちの自転車事故も増えた。彼らは人の少なかった通りを混んできても今までどおりに暴走する。死人が度重ならなければ規制もないサバイバルが始まった。

 一方で後ろ姿が行方定まらぬスマホ歩きのバカは大分減った。あの徘徊ぶりは実に邪魔だった。残念なのは路上の隅に体育座りで寛ぐ若者たちが復活したことだ。その辺りは夜中に誰ぞが立小便やらゲロを吐き捨てている場所であることをご存じか。また、我が地域は路上喫煙全面禁止区域であるが、颯爽と喫煙しながら罷り通る“字の読めない”喫煙者があとを絶たない。そのたびに側頭部に一発妄想弾丸をお見舞いしている。

 街が少しづつ変わっている。今冬に間違いなく来るであろうコロナ第6波の準備は整ったということであろう。


70歳0ヶ月と24日(令和3年10月7日)

 『中国 2025年に台湾侵攻可能』というタイトルが朝刊の一面で踊っていた。悠長な予測である。拙者は冬季北京五輪開が最後の晩餐であろうと予測している。憲法改正を吠えるだけの政権の日本は、スパイ天国の無様を観光立国などと取り繕っているが、精々崩壊の予測を謳歌するしかない現況に来ている。

 日本というファンタジーの国は、綺麗事にどっぷり浸かって敵に牙を剥くことの出来ない国に堕ちてしまった。お花畑国民はそれが平和だと思っている。何歳児なんだ?

 せめてこの『古希こき妄想日記』を書き終える70歳12ヶ月までは生きていたいものであるが・・・その一方で侵略の憂き目に遭って総国民が “こんなんじゃなかった” という断末魔の面も拝んでみたいものと・・・


70歳0ヶ月と25日(令和3年10月8日)

 公明党が来る衆院選で親の投票権を10万円で買うそうだ。

 信用できない与党獅子身中の毎度の虫っぷりに吐き気を覚える。流石、日蓮宗破門でも “南無妙法蓮華経” のお題目を無断使用する図々しいカルト会が支援する党である。

 今日の一面は日大理事が背任疑惑で逮捕された記事が躍っていた。背任・・・要するに無分別になった長が我欲のままに大学の金をくすねるみっともない行為だ。

 一方で競泳の日本学生選手権50m自由形ではその日大勢の白血病から立ち上がって来た池江璃花子選手以下揃って表彰台を独占したそうだ。これもまた長不作の今の日本の縮図である。

 長がぐうたらでも民衆、特に子どもが逞しく真っ直ぐ育っているのは、拙者の故郷も同じだ。しかし殆どは何れ怠惰な環境にに染まって行く哀しい現実が待っている。

 導く大人が見当たらない子どもたちには酷な社会である。


70歳0ヶ月と26日(令和3年10月9日)

 今更ミサイル防衛力強化などと・・・所信表明が全て泥縄でしかない100代首相はお気の毒である。

 今般の千葉地震で都市基盤の脆弱さ露呈なんちゃらと騒いでいるが、日本全土のライフラインはもうガタガタであることは2012年の笹子トンネル天井板崩落事故で露呈して久しい。昨今の水管橋の崩壊の点検が目視というのにも笑ってしまった。無知は更に暴走している。

 事故だけでは飽き足らず、死者が出てやっと腰を上げる怠慢。大震災で露呈された手抜き・妥協の人災的惨劇に究極の体験をしているにも拘らず、己の身に降り掛からなければ全て他人事。石原慎太郎氏の “大震災は天罰” という極めて的を射た表現を理解できないカスどもがのさばる国でもある。

 コロナ対応のみならず、対応の後手後手は日本の国技となった。長どもは国民を心配をする “ふり” に長けている信用ならないぐうたらどもだらけだ。選挙に立候補する面子の中に真の国家思いの人間は何人いるのだろう。一桁いればマシだろう。

 国が終わる前にしゃしゃり出る国民が終わっている。見事に侵略されたものだ。


70歳0ヶ月と27日(令和3年10月10日)

 今度は初 “デジタルの日(10月10~11日)” だそうである。又しても寝耳に水とも思える記念日制定。昨年もそうだった 。いきなりの山の日・海の日・スポーツの日。日頃の仕事の手柄がないから記念日制定で帳尻を合わせようとする官僚の偽善的お祭りか、守銭奴に都合のいい売上アップ政策か、いずれにしても傍迷惑な記念日大量生産だ。

 “初「デジタルの日」官民祝う” のタイトルが片腹痛い。どこで官民が祝っているのだ? 街はコロナ過で疲弊して死んでいるように静かである。


70歳1ヶ月と0日(令和3年10月13日)

 同じような夢を見る人がいたものだと・・・

 漫画家・たつき諒さんの夢予言本『私が見た未来 完全版』が話題になっている。2025年7月に起こるであろう阪神大震災を越える超大震災。彼女は絶筆を押してこの本で最期の使命として警鐘を鳴らしている。予言を外したら何チャラ警察から総批判を喰らって炎上しかねない勇気ある警鐘であろう。

 尚、もう一つ拙者の夢に出て来た『皇族の身分を離れた者が離婚するときは、その者につき新戸籍を編製する。』なる “皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に関する法律” 第三条の条文は、その超大震災の前に履行される夢を見てしまった。世界一物価の高い土地で新婚生活を送っておられるあの皇族が “離婚” という拙者の見た夢は生々しかった。それらの夢を見てしまったという事は実に気が重い事態である。


 拙者が夢見に心を傾けるようになったのは高校生の頃からである。夢は幼い頃からよく見たが、普通にこの先に起こることを示していたので、みんなも見ているものだと思って過ごしていた。高校生になって、ひょんなことからそうではないことが分かってから気になるようになった。

 夢見には個人限定のパターンがあるようだ。拙者の場合は夢判断の書籍はどれも役に立たなかった。良いことが起こる前兆はめったに見ないし、悪い夢見は中る。だから誰にも言えない。精々家族に気を付けてと言うぐらいだった。

 たつき諒さんの夢予言本を見て、予言内容よりも、他にもそう言う人がいるんだと安心した。氏が仰るように拙者にも霊感は1mmもない。しかしこれまでも悪い夢見が外れたことはないが、残念ながら肝心の自分に起こる不測の事態を予言出来たこともないポンコツの夢占いである。


70歳1ヶ月と1日(令和3年10月14日)

 日本の病巣・・・性質の悪いヘドロの湧く日本の脆弱ぶり。

 人を轢き殺しても身体拘束を伴う逮捕を免れられる人間が居るという異常な国。候補者が交通事故を起こしながら選挙に当選して議会活動をせずに仮病で雲隠れしても報酬が満額支払われるという異常な国。それを黙認する保身ヘドロ議員どもの不合理ぶりには順調な日本を感じる(笑)

 時代のヘドロを前に、事件とは関係のないその身内の方々は取材陣や大音量の街宣車に付き纏われるなどの予期せぬ大サービスを蒙ることになる。都道府県の人気投票より、ワーストヘドロ順位を見れば日本の現状は良く把握できる。

 さあ、いよいよ保身詐欺選挙も始まった。日本は実に楽しい偽善の打上げ花火の国である。


70歳1ヶ月と3日(令和3年10月16日)

 また “通り魔” に人が刺された。そのたびに犯人の責任能力云々が叫ばれる。そして“弁護士”という匠が精神鑑定のお題目を唱える。被害者がいる以上、責任能力のあるなしに関わらず責任はある。加害者に人権を思うままにさせ、被害者には泣き寝入りさせるのがファンタジー国・日本の法律。

 犯行後は加害者の “人権停止” があって然るべきだ。収監後に犯罪者を名前ではなくナンバーで呼ぶのと同じである。他者の人権を侵害した時点で、加害者は己の人権を放棄したものと見做せばいいだけの話である。

 盲目的人権擁護の結果、巷のあちこちには恐らく “責任能力のない壊れた御方” が闊歩していることであろう。咄嗟の防衛力が問われるスリル溢れる日常である。抹消しても飽き足らない連中に大きな被害を蒙りたくなければ、時に“合法的”に加害者を抹殺するだけの攻撃力が必要となろう。

 日頃、誰もが合法的に所持しているものの中には、強力な “武器” になる物がある。最初の一撃を交わせるショルダー、相手の目への攻撃武器となるペンや自宅の鍵、目のみならず金的への攻撃には老人の杖、怪我人の松葉杖、耳を喰い千切る歯だってあろう。

 攻撃へは、それ以上の攻撃でしか身を守ることは出来ない。“防衛” などと高度なテクニックは簡単に身に付くものではない。被害を目前にして咄嗟の殺意がない者は犠牲を覚悟せねばならないのが現実であろう。寸止めは腕に心得のある者だけが可能なことで、拙者のような老人は、後日の責任能力の是非を鑑みれば、緊急避難の権利を行使し、決死の返り討ちを決意しているのが精一杯である。


70歳1ヶ月と5日(令和3年10月18日)

 最近、皇室の婚礼話には聊か目を逸らしたくなる感があって、新聞の一面に載っていたりすると、その新聞辞退が汚らわしい存在にさえ思えてしまうのはどうしたことだろう。

 一票詐欺選挙記事の方がまだいい。総ねずみ男どもの我欲祭りは笑える。民にしても、開票後の当落で大騒ぎするのはその日だけで、翌日から何もなかったかのように普段に戻る。スポーツ観戦と大して変わりはない。違うところがあるとすれば、一票詐欺選挙の我欲祭りは、自分たちの税金で賄われていたことだが、候補者も投票者もそんなことなど眼中にない。

 誰が当落しようと、拉致被害者が帰還するわけでも、コロナが収束するわけでも、南海トラフ大震災の悲劇を免れるわけでも、間抜けな憲法が改正されるわけでもない。精々、どうでもいい祭日が或る日ぽっこり出来たり、杜撰な政権運営の目くらましに覚せい剤芸能人をカムフラージュに大騒ぎさせることぐらいしか出来ないだろう。

 何にも変わらない。期待するだけかったるい。だから安心して日本国憲法25条にある「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という保証の元、堕落したまま過ごせることに甘んじるのが一番楽なのだろう。

 “日本に生まれて本当に良かった” というのは、そこから発しているのかもしれない・・・が、生き恥を曝して、それに甘んじて何の己かなという考えもあろう。人間は自尊心と良心の葛藤に苛まれる実によく出来た生物である。人生の収支決算は死に際にやって来るという。堕落していた者には残酷な末路も用意されている。

 拙者に取っての最高の魅力は、自尊心と良心を堅持できれば、堕ち往く壊れた人間を物見遊山できるという特典だ。これを楽しまずに生きて来た意味はどこにあろう。滅びゆく姿こそ芸術である。その時の人間の必死の形相には胸を繰り返し抉るほどの感動がある。

 堕落した日本は、イスラム教にも北朝鮮にも学ぶべきところがあるかもしれないが、学んだところでもう元の木阿弥であろう(合掌)


70歳1ヶ月と6日(令和3年10月19日)

 案の定、県と市は自己保身のための時間稼ぎに舵を取ったようだ。結局、犠牲者は犬死になる公算である。やはり熱海の長どもも我欲に群がるねずみ男どもの集団だったようだ。権威ある者のみに利のある風化待ち・・・彼らは他界までの平和を貪るための時間稼ぎに長けている。いつも予想を裏切らない醜態である。

 人災の犯人は違法廃棄の土建屋もどきどもだけではない。そこに、かつて黙認して漁夫の利を得た行政も加わる。危険な可能性のある土地に宅地を許可する “確信犯的な” 無神経さを見れば分かるように、「政治は一番弱いところに届かない」のではなく、「敢えて届けない」 のだ。政治は国民のためにあるという幻想は捨て、政治運営者だけのためにあると認識すべきだろう。

 国民は、その傲慢な制度をどう逆手に利用するかが醍醐味であろう。くわばらくわばら。


70歳1ヶ月と7日(令和3年10月20日)

 京アニ放火被告の“精神鑑定” ・・・何の意味がある。被害者が存在する限り量刑は必定であろう。かつての時効制度同様、被害者置き去りの “精神鑑定” 制度など廃止すべきだ。罪は罪であり、罪に対する賠償は犯罪を犯した全ての人間が追うべきことだ。“精神鑑定” で誰が利を得るというのだ。犯罪者と“精神鑑定” で被害者を逆撫でする妖しげな妖怪弁護士だけであろう。

 “精神鑑定” すべきは妖怪弁護士初め、制度を重んじる人間どもだ。


70歳1ヶ月と9日(令和3年10月22日)

 年金喰いの老人があからさまに票田でしかなくなった今日この頃、高齢離婚激増も相まって、姥捨ての如き独居老人たちのコロナ禍に於ける認知症が噴き出した。

 ここ数年、拙者は頓に生き易くなった。もしかしたら老人は解き放たれ、真の自由を得たのかもしれないと思っていた。しかし、それは拙者だけのことで、現実はそうではなかった。

 足下の自給自足を軽んじ、国土の三分の二もある山森を放置し、貿易依存に慣れ切ったセンセ方が、今日も雨の中、一票に血眼になって出来もしないホラを吹聴して街を周っている。オレオレ詐欺とどこが違うのか拙者には分からない。

 支那は戦狼外交の結果、泡沫的な在庫で裕福に見える泥船。一方の日本は風見鶏国家。他人の顔色ばかり見ている根性無し。賢い企業は双方から退散し、国民は自己防衛がこれからの鍵だが、政府は “議論” で暇潰し。

 認知症に至った老人には最早自己防衛の気力もエネルギーもなくなり、忘れたい事が一気に襲って来たのであろう。その先には彼岸への船が待っている。ちょっと前まではコロナワクチンに群がったように、老人は今、彼岸への船に群がっているのだ。

 耳触りの肌寒い東京は秋の雨。


70歳1ヶ月と11日(令和3年10月24日)

 コロナ移住が増えていたようだ。豪雪の僻地から退散して来た拙者にとって、彼らの過疎地移住の決断は命知らずに思える。

 人生に勢いのある御仁にとっては艱難辛苦も何のそのであろうが、絶対に変えられないことがある。それは、IターンとUターンは根本的に違うという事。例え自然の艱難辛苦に耐えられたとしても、Iターン組への人為的颪に耐え抜くことは至難の業であろう。Uターン組にしても、土地の長老の嫉妬から端を発した地元の村八分に遭って、村民皆殺しの凶行に追い詰められた者もいる。諸悪の根源は土地の長老である。土地の者は誰もが追随して無視を決め込む。それだけ地元の閉鎖性は根深い。

 地方創生・・・余所者を寄せ付けぬ地元民には “行きはよいよい、帰りは恐い” の原理が根強く潜んでいる。自治体の移住促進パンフレットに誘われて、最初は移住して来た余所者に対し、地元民は役場の要請どおり誰もが諸手を挙げて歓迎するふり“は”するだろう。さてその先はどうなるのか・・・取るに足らん心の行き違いが生じてた場合、Uターン組は地元の身内が防波堤になってくれる可能性がある。しかし防波堤のないIターン組にはたったひとつの行き違いで不本意なことが連続して襲う。善意すら悪意にとる地元民からの拒絶の螺旋地獄が待っている。

 移住前に膨らませた夢で、それまでの住まいを引き払って移住したIターン組はどうなる・・・帰る場所を失うのだ。


70歳1ヶ月と12日(令和3年10月25日)

 6党が足並み揃えて “絵に描いた餅” 作戦。投票率を上げるための合同詐欺選挙公約。本来、公約は政権を握った者が果たさなければ重罪であるが、日本国民は正義の暴走 “同調圧力” のエネルギーが有り余っているにも拘らず、選挙公約を守らない者には実に寛大である。

 コロナ阻止は実行して当然の政策であり、公約以前の問題であろう。それを “我が党は、我が党は” と政争の具にしている厚顔候補者が軒並みだが、国民を軽んじた一票のための釣り餌に過ぎない。コロナ禍は後手後手の政府に苦虫を噛みながらも国民自身が犠牲を払いつつ乗り越えて来たことだ。

 政権を握った者にしか導けない憲法改正、防衛、制裁、拉致問題、自給自足政策、原発再稼働、外資による水源侵略阻止、山林放置による人為的自然災害・・・これらに真剣に取り組む議員が過少の中、良くて牛の歩みの骨抜き着地であり、全てが悪化の途である。拙者に取って保身の風見鶏どもへの一票のために足を運ぶのは当然「不要不急の事項」に値しない。


70歳1ヶ月と13日(令和3年10月26日)

 とかく世間は親の因果が子に報い・・・どこでどう貧乏くじを引いてしまうのか子々孫々はスリル一杯の生涯であるが、拙者ら夫婦はどうにか潜り抜けたらしく、幸せな老後に着地出来たようだ。奇跡だ。

 自分の子どもたちが選んだパートナーを見た親は、彼らの未来はある程度想像が付いているものだ。特に男親は娘のパートナーを見る目は我を忘れて何処も厳しいようだが、それは往々にして当たらずとも遠からずのきらいはあろう。不幸になってほしくないがゆえの反対一点張りか、不幸になった場合に命賭けで救い出す覚悟を決めるかの選択を自問し、娘のパートナーには厳しい目となってしまう。

 拙者の故郷は未だ長兄制度の臭いの残る土地が多い。長男の嫁は代々引き継がれてきた多大の労を強いられ、次男以下の嫁どもはその小間使い同然の扱いの地域が未だにある。それを仕切るのは長男の嫁として姑に気遣い長年苦労して来た老女である。この御方の出来不出来でその家の行く末が決まるといっていい。もし、制度に反旗を翻し、家の柵から脱出すれば自由を得られるかもしれないが、全て己の責任に於いて姑の仕掛ける茨の報復を乗り越えて生きてゆかねばならない。況して、結婚を脱出の手段として選択したならば、それは脱出ではなく宿を替えただけで、今以上の枷を強いられ、自分で選んだ柵が全て重い枷になる可能性もある。その時、助けを求める術を見出せなくなっても全て自己責任であり、後悔したところでもう命運は尽きている。


70歳1ヶ月と16日(令和3年10月29日)

 族議員どもと業者の “未必の故意” に、県と市がだんまりを決め込んで久しいが、やっと県警が不動産管理会社の強制捜査に動き出した。尤も、市民が騒ぎ出したからであろうが・・・

 守銭奴どもは逃げ切れるか・・・池袋暴走事故を起こしてシラを切り続けた老害に似た悪臭がする。ネットの誹謗中傷が “量刑軽減” の理由なったとは可笑しな話である。被害者と何の関係があるのだろう。誹謗中傷は事件の量刑の是非とは無関係であり、別問題として当人らに問うべきことであり、決して、「(被告側に)有利に考慮すべき事情の一つ」では有り得ない。バッシングによる量刑軽減など、被害者側にとっての “予期せぬ二次被害” でしかない。

 1873(明治6年)年2月7日、明治政府が「復讐禁止令(仇討ち禁止令)」を布告して以来、 “安易な不法行為” がのさばる時代になった。加害者は精神鑑定と人権を武器に逃げの一手に出る。被害者救済には余りにも時間が掛かり過ぎる。『いかなる国民も自らの権利を強制的に実現するためには裁判所の手続を経なければならない』などと、自力救済禁止を謳っている。更に裁判費用が無ければ泣き寝入りの世の中だ。犬猫は粗相したらその場ですぐに叱らないと “それが正当なことだ” と勘違いする。世の秩序は犬猫以下となった。

 憲法は合法的な人権侵害には 御咎めなしということだ。その恨み、晴らさでおくべきか・・・逆手に取れば被害者でも浮かばれる手段はあるという事だ。なにせ、合法的な人権侵害には 御咎めなしなのである。今や合法的報復の代理業が存在する。悪法に対峙する良い世の中になったものである。それにしても抜かりなく法律をお勉強するに越したことはない。


70歳1ヶ月と17日(令和3年10月30日)

 国民の反対を押し切って皇室を離れてご結婚なさった御方は『複雑性PTSD』と診断されたそうだ。

 『複雑性PTSD』とは、正常な判断能力が欠如し、トラウマ的な出来事を覚えている意識状態と普段の意識状態が別の意識状態にあり、それらが連続していない解離症状を抱える。従って『複雑性PTSD』とは、とても仕事が出来る状態にはないばかりか、結婚生活を送ることなど到底困難な状態・・・そういう御方が渡米なさって新婚生活とお仕事を両立なさるそうだ。

 古の宮内省には身を挺して皇室を守った方々が居られた時代もあったが、GHQの置き土産である「宮内庁」は順調に皇室解体装置として作動しているようだ。「宮内省」と「宮内庁」は劣化する日本の象徴である。


70歳1ヶ月と19日(令和3年11月1日)

 新幹線車内、小田急線車内に続き、今度は京王線車内に人生に満たされない哀れな方々が出没するようになった。

 『人をたくさん殺すのには東京がいいと思った』・・・東京に住む人間が少なからずそういう対象で見られているという事に危機感を持つ人間はほぼいないだろう。いざ想定外の“こと”が起こって蜂の巣を突いたように逃げ惑う東京人も、元は田舎から出て来た者も多かろう。何れそういう方々の中にも、或いは端から江戸人の中にも、満を持して “緊急避難” という合法的加害行為に出る確信犯が現れ、法のオブラートに包まれた天誅を加えようとする狂人バスターが手薬煉引いて待機するケースも起ころう。加害者への逆襲はときにヒーローとなり得る。

 それにしても京王線の犯人・・・死を目的とする一世一代の花道にしては、そのファッションが誠に哀れである。末路が“震えた手で喫煙” とは、絵に描いたような “特殊な小者” ではないか・・・こんな形で終わるために生まれて来たわけでもなかろう。


70歳1ヶ月と22日(令和3年11月4日)

 土日祭日となると我が町の賑いぶりがウザくなって来た。しかしながら、声のでかい “あの” 特定外国人はまだ見当たらないので、観光立国宣言前の住み好い我が町に戻ったという体裁は未だ何とか保たれてはいる。

 この “平穏” がいつまで続くのかは知らんが、長く続くことはなかろう。誰もがそう思い、束の間の今を何事もなかったように、そして今がいつまでも続くものと妄想して歩いているのかもしれない。ファンタジーの国に生きる国民はそれでいいのだろう。

 今冬はワクチンの品不足でインフルエンザの大流行になると煽り立てている “いつもの” 情報屋がお祭り騒ぎのようだ。衆院選予測を外しても恥も外聞もなく、また次の煽りに勤しんでいる。プロの情報屋も堕ちたものである。

 涼しくなってランニングに励む人たちが増えてきた。地元の彼らは人通りの少ない道を知っている。コロナ過に甘えて籠りがちの拙者も、そろそろ下っ腹の出具合が気になって来た。近所の坂如きで息切れがするほどすっかり体力も落ちた。出先で不様に転ばないように下半身の強化から始めてジョグろうと思う今日この頃。


70歳1ヶ月と26日(令和3年11月8日)

 また公明党の買収公約・・・“18歳以下に10万円” とは大笑いである。

 例えば、街頭演説会を盛り上げるために投票を期待して日当を支払った場合は『投票買収』、日当を払って観客を動員し、拍手や声援を行わせた場合は『運動買収』となり、いずれも公選法違反の可能性がある。金銭ばら撒き公約の場合はどうなのだろう。投票を期待した公約は『投票買収』にはならないのだろうか…いや、なったとしてもカルト信仰のお題目のお力で『投票買収』にはならないのかもしれない。

 選挙のたびに送迎バスが迎えに来る創価学会員は信心の賜物と謹んで受け入れるかもしれないが、生活に直結する経済対策には程遠いズレたばら撒きだ。経済の視点から見たら貧乏神ではないのか。これは親の金ではなく “ボクの金なのだ” 。親なんかに給付金を渡してなるものかと、手にした10万円を子どもたちは何に使うのか・・・感謝して一票を投じ、カルト信者になるのだろうか・・・そこまでバカでもなさそうだ。


 カルト党のお友達の暴走で、台湾海峡の緊張が高まっている。与党たる責任としての防衛政策の足を引っ張るばかりの公明党。信者一同でお題目を唱え、9条を崇め、平和に祈りを捧げ、支那に追随している。北京五輪参加を目指すアスリートも無神経だ。何より、福島復興や支那に対するコロナ賠償請求はどうなったのか・・・と、がなったところでコロナ第6波はやって来る。相変わらず無策の政府に期待はないが、相変わらずの都知事の役立たず標語には大笑いである。非現実的で役に立たない戯言だ。焼け石に水の投票のお駄賃10万円のほうが余程いいのかもしれない。


70歳1ヶ月と27日(令和3年11月9日)

 支那の妨害を避け、ギリギリまで公開が伏せられていた香港映画『時代革命』が日本上陸していた。希少な “役に立つ” 表現の自由だ。タブーには触れまいと惚れた腫れたの浮足立った恋愛ものや、受け狙いだけの易いお笑いネタとはわけが違う。

 今や報道すら当てにならない。やらせ、煽り、飛ばし記事の連続。コメントなど不要の “事実のみ” を知りたいがそんな記事は極少だ。虚構を貪って一生を終えるほど虚しいことはない。


70歳1ヶ月と28日(令和3年11月10日)

 “木下富美子”・・・現在、日本で最も恥晒しな名前となっている。同姓同名の方々が大迷惑を蒙っているだろうことは容易く想像出来る。どうすればこういう厚顔人間が湧くのか・・・それはムードにほだされて盲目的に投票した都民がいるからである。投票することに意義があるらしいが、それが役立たずの迷惑人間だと分かっても、当選したら後の祭りなのだ。

 一票に取消が効くものなら収拾の付けようもあろうが、無記名投票ゆえにどうにもならない。宝くじは外れても買った分だけの損失だが、役立たずが当選すると任期の数年間、強制的に都民全員が税金をドブに捨て続けなければならない。投票の怖さをもっと自覚すべきだろう。“木下富美子” に投票した者が “裏切られた” とかほざいているようだが、寧ろ己の節穴ぶりを反省した方が宜しかろう。

 “富美子”・・・親の期待を一身に受けた名前である。「富」と「美」に恵まれて幸せになってほしいという願いであろう。しかし、今の姿はどうか・・・消したい人生を送っている娘の姿を見たら、親は此岸にあっては生き地獄、彼岸にあっても浮かばれはしまい。


70歳1ヶ月と29日(令和3年11月11日)

 飽食の時代、体の中でも戦争は起こり、人は知らず知らず老化に勤しんでいる。

加工肉・・・アルツハイマー病やパーキンソン病を引き起こす

焦げた肉・・ダメージを受けたコラーゲン

缶スープ・・塩分過多

揚げ物・・・心疾患のリスクを増加させるトランス脂肪酸

辛い食べ物・静脈が目立つ血管拡張

パンとパスタ・多くの食物繊維が失われ血糖値が上がり老化

マーガリンとバター・トランス脂肪酸が紫外線ダメージを加速

餅・・・・・血糖値の急な上昇を招く

フライドポテト・飽和脂肪酸と活性酸素が老化を促進

ピザとホットドッグ・添加物が炎症を起こし老化を早める

コーヒー・・歯のエナメル質にダメージをもたらす

紅茶・・・・タンニンが歯の表面に汚れを蓄積させやすい

炭酸・・・・歯を強力に侵食する

エナジードリンク・老化を早める

アルコール・心疾患・高血圧・肝機能障害・記憶障害を招く

焼き菓子・・体重の増加、歯へのダメージ、体内での炎症の促進

ポテトチップ・免疫力を低下させて老化促進

アイスクリーム・腸内環境の悪化

糖分の多い菓子・終末糖化産物AGEがコラーゲンを傷付ける


 時代最先端の便利な文化生活が自傷行為だったとは笑える。無神経な時代のセンセ方も間抜けなことばかりやってけつかる。『困窮学生に10万円支給』という詭弁。要するに公明党のばら撒き公約に対する帳尻合わせと、参院選への買収行為。醜態の帳尻合わせ。泣ける。

 給付対象世帯が年収960万円というのは自治体の手続き上の都合であり、その対象世帯が一律『困窮学生』とは可笑しな論法である。年収960万円なら給付など蛇足だろう。

 とは言え、一票欲しさに他党も自公の折衷バラ撒きと同じ行為をしただろう。人気取りに忙しくて『クソガキ』と『困窮学生』の見分けも付かないらしい。『困窮学生』という政府認定の学生諸君は精々懐の温まりに暫しほくそ笑むがいい。お気の毒なのは対象外の真の『困窮学生』である。進学すら出来ない困窮青年がいるのだ。いきなり間抜けぶりを露呈する政権に、野党もほくそ笑んでいることだろうと思ったら右倣い。これも大笑いである。


70歳2ヶ月と0日(令和3年11月13日)

 財力に任せて強豪選手だけでチームを固めたら、試合に勝って当たり前の状況だと誰もが思う。勝って当たり前、しかし、負ければそれだけ大きな不満を生むことになる。

 某局の朝ドラの視聴率が低迷続きらしい。最近は新人発掘の手を抜き、民放の売れっ子ヒロインに的を当て、脇も売れ筋俳優で固めているにも拘らず、視聴率には結び付かないという結果が出ているそうだ。

 出演者も題材も脚本も鉄壁の布陣なのに・・・強豪選手ばかりなのに・・・なぜ想定の結果が出ないのか・・・制作局も野球チームと同じ負のスパイラルに見舞われているようだ。自ずから視聴者にハードルを上げて惨憺たる結果を招いてはまた同じことを繰り返している。人の顔色ばかりを窺っても、人は本音を顔色に出すはずがなく、あざとい作り物には何の感動も覚えない。寧ろ嫌悪感が湧く。更に悲惨なのは、視聴率の低迷だけならまだマシで、出演者の薬物汚染が暴露されたら全てが夢の跡だ(合掌)

 視聴者は、おしきせの大衆迎合ではなく、たゆまぬプロの姿勢を待っているはずだ。そんな絵しか流れないテレビはやはりゴミである。


70歳2ヶ月と2日(令和3年11月15日)

 京都東映撮影所・・・仕事が入ると東京から赴くのは赤字だった(笑)

 しかしながら、京都東映撮影所ではいい仕事をさせてもらった思い出ばかりで先人に感謝しかない。東映東京撮影所然り、需要が無ければ貸しスタジオ化し、寂れて行くのは世の常であろうが、芸術より利益が先行する今のご時世では、目の前にある価値あるものに対して無頓着になり、貴重なものを失う流れは止められない。

 拙者がたまたま武具の “ 草摺くさずり ” を知っていたことで親しくなった小道具さんと、その後、大船の松竹で再会したことがあった。当時の京都はまだ数本の時代劇を撮っていたが、彼曰く、当時既に不景気の波は押し寄せていたのだ。数十年前のことである。東映東京撮影所が規模縮小で大型量販店が入った波はその更に数十年前の事だから、半世紀以上前から映画界全体がゆっくりと縮小していたのだろう。

 一時期、地方ロケブームがあった。大歓迎の土地で次第に撮影隊のマナーが悪くなり、協賛してくれる土地が激減し、次第に地方ロケから撤退せざるを得なくなった時期もあった。今の撮影現場は、空き家・公園・営業時間外の店舗など経費節減の現場で御苦労なさっているようだ。予算が有って鳴物入りで大宣伝する局もあるが、視聴者が求めているものが見えないと惨めな結果しか得られないのは前述のとおりである。

 ヒットに自信を込めたアニメ実写化ブームは、どうしても演技ど素人のアイドル頼みの “二番煎じ” の哀愁が漂い、ブランド物に着られている感が否めない。アニメの世界に手出しするのは、昔話をパロディ化して空回りで面白がるような軽薄さがある。

 大衆迎合を狙って空振りし続ける姿は、政界が手本を示している。拙者のような外野人生にとっては、そうした懲りない醜態はドラマより実に面白い見物である。


70歳2ヶ月と3日(令和3年11月16日)

 外来クソ野郎どもが蠢き出したようだ。しかし、“遺憾” の一つ覚えはもっとクソ野郎だ。敗戦国へのお仕置きを馬鹿正直に未だに受け入れている日本はもはや精神病だ。“竹島は日本固有の領土” だと叫んだところで、負け犬の遠吠えでしかない。“遺憾” “遺憾” と紳士面している保身詐欺が最も遺憾であろう。政権が変わったばかりだというのに、他国に愚弄されている。

 支持率を上げているのは何処のバカなんだろう? “大衆迎合” を勘違いしたこのバカどもは、現代人の象徴だ。他人の顔色重視のいい子ぶりっこで人生を台無しに生きている在来種。己を持たない “みんなで渡りたい信号組” 。何の為に生まれて来たのか分からぬまま、己を冒涜して終末を迎える一生。出来もしない拉致被害者救済を吠えて一過性の支持率を上げるのに躍起な保身詐欺野郎と何ら変わりない。“国民のために” という御まじないがあれば何でも罷り通ると思っているようだが、それが “国民” には一番気に入らない詐欺用語であることも気付かない在来クソ野郎どもも票稼ぎに余念がない。


70歳2ヶ月と5日(令和3年11月18日)

 生活困窮者でもあるまいに生活保護世帯以上の優遇・・・国会議員は日本一の生活保護者。楽して国税を貪っていれば堕落していくのは当然であろう。

 それでも真面目に生きる日本国民は何と崇高だろう。同じ日本国民でも目を背けたくなる落ちこぼれも彼方此方に湧いているが、堕落している国会議員よりはまだマシな気さえする初冬の薄ら寒さである。


70歳2ヶ月と6日(令和3年11月19日)

 2003年に刊行された解剖学者・養老猛司氏著の『バカの壁』が令和になっても重版を続けているというニュースに、にんまりしてしまった。

 拙者以外にもバカの観察を趣味とする方が少なくないと思うが、可笑しな事が起こるとその中心には必ずバカがいる。そのバカを見つけ出すのが至極快感なのである。アベノマスクの立役者にも大笑いしたものである。

 ひとりのバカのお蔭で社会全体に大迷惑が及ぶ。そのバカが消えたところで、すぐに順番待ちの次のバカが中心に現れる。バカはきっと赤い糸で繋がれている。

 バカには話し合いが通用しない。何故なら “バカ” だからである。バカが中心に蔓延っているからこそ日本国民は賢くなければバカを見る。バカ同士が揉め合う姿はお笑い漫才並みだ。バカは物事の読解力が歪んでいる。例えば、路上喫煙禁止でも車中は問題ないと思っている。車中でも路上は路上である。バカにはその程度の事が分からない。

 バカはビギナーズラックに味を占め、見付からなければ無罪だと思っている。罪は罪だ。バカは罪を後悔するのではなく、見つかった事を後悔する。だからまた罪を犯す。

 石を投げればバカにあたる世の中になって久しい。小池百合子知事の唯一役に立った奨励は “ソーシャルディスタンス” である。この生き方は、コロナ禍に関係なく重要な心得であろう。バカは感染する。赤い糸が伸びて来る前に逃げるが勝ちである。“ソーシャルディスタンス” はバカから身を守る最も容易な手段である

 施設の入口で条件反射の如くアルコールで手を消毒している人がいる。ドクターXでもあるまいに、皮膚常在菌まで殺菌して “手荒れ” の危険を招くこともなかろう。帰宅してから2度洗い後に保護クリームを塗れば完璧。他力に頼って何となく生きて、バカに感染して金輪際を迎えたくはないものである。


70歳2ヶ月と8日(令和3年11月21日)

 今から40年以上前、約200人が虐殺された韓国南部に於ける “光州事件” を題材にした映画が韓国で大ヒットしているという。誰が市民への発砲命令を下したのか・・・結果、「対北朝鮮ビラ散布禁止法」やら「メディア仲裁法改正案」なる可笑しな法案が可決された。

 日本でも事あるごとに役にも立たない責任逃れの誤魔化し折衷案が可決されるが、それとよく似ている。日本は国の一大事に関わる映画はタブー視されているため、そこに切り込もうとする芸術家は稀である。百田尚樹氏の「永遠のゼロ」劇場公開は奇跡だとさえ思ったものだ。かつて、カルト教を題材とした映画制作を前にして命を落とした伊谷十三氏の死は悔やみ切れない。氏を追い詰めた元凶は何か・・・誰もが推測する “あの団体” であろう。日本は民主国家ではなく、“偽善的民主国家” なのだ。


70歳2ヶ月と9日(令和3年11月22日)

 世界的カルトな脱炭素教が愈々日本の国境の過半数を侵して来た。長どもは目先の小金欲しさにここまで見て見ぬ振りをして来た。今更泥縄でもないだろう。熱海の土砂崩れは象徴的な日本の堕落した姿だ。百万ドルの夜景とまで言われた観光地・熱海が、政・官・業の癒着で百万ドルの土砂崩れを起こした。

 支那の人参、太陽光発電なるまやかしで日本の水力源も次々と破壊されている。あそこは或る日一気に支那の軍事基地に成り得る。農業による自給自足の未来が潰えるのも最早時間の問題になった。

 新政府の “やるやる詐欺” がまた始まった。国が侵略されつつある時、危機感に背を向ける票稼ぎ保身議員が何を叫ぼうと、腑抜け憲法を変えずに何一つ実現するわけもない。偽善臭の充満した掛け声だけでは1mmも期待を持てない。半世紀を越えて拉致被害者の家族が次々と他界する日本は、今になっても犯行を自白している国から拉致被害者を救出できないへたれ国家なのだ。

 二度とこの世に戻らぬ事を願い、長どもの更なる醜態を冥途の土産に楽しく観劇させてもらおう。


70歳2ヶ月と11日(令和3年11月24日)

 高齢者による運転事故を理由に “免許返納” が謳われているかと思えば、毎日約90頭以上の犬猫の殺処分をなくすために里親制度が持て囃されている。

 その前に双方の免許や認可の取得を厳しくしたらどうなのだ。殺処分すべきは悪質なブリーダーのほうだろと思う今日この頃。

 この世の理不尽は悪意と偽善の寒風に舞う枯葉の如く、どこにでも屯し蔓延る。 十把一絡げに燃やしてしまえば、高騰する焼きいものひとつも喰えるのだが、今は消防法やらヒステリックな二酸化炭素がどうたらで、外野にとっては何事も見て見ぬ振りが無難な世の中のようだ。

 東京は久々に気持ちのいい晴れっぷりである。寒気と程好い風で富士山もくっきり見える。わけへだてなく降り注ぐ太陽光がコロナ禍で燻んだ人間を一層際立たせている。この世の中、そんなに真っ正直に生きなくてもと気の毒になる。


70歳2ヶ月と13日(令和3年11月26日)

 愛知県弥冨市の市立中学で起こった刺殺事件は、全容を表沙汰にするには自力救済禁止の原則から腰が引けてるようだ。

 被害者が加害者になるあっぱれなケースはこれからも増えるだろう。そうした窮地を乗り越える助言を与えるべき大人の背中は幼児化の一途を辿っている。拙者は個人的に(合法的)自力救済を容認する考えを持っている。この世の中は、そうしたテクニックを持たないと己の身を守れない陰湿残酷無責任極まりない性悪が蔓延っている。“無駄死にせず生き延びる” ためには、時に已む無く自力救済の必要に迫られる可能性の高い世情である。正直者が法の下で自己を守れる時代ではなくなっている。品行方正な生き方を貫こうとすればするほど犠牲を強いる危険と隣り合わせになる。

 愛知中学殺人事件は “自殺せず生き延びる” ために起こった事件であろうと拙者は推測する。いつものことながら確実に分かっている事は、教育委員会がここでも絵に描いたような責任逃れの役立たずだったという事だ。不必要どころか生徒側には危険極まりない邪魔な組織だ。


 “邪魔”といえば、ご近所に韓国の慰安婦像の顔にそっくりな女性がいて、擦れ違うたびに気になっている。しゃんとした身なりにも拘らず不潔感漂う空気で、擦れ違う時は本能的に息を止めてしまう。最近はすっかり噂の有名人になっていたようだ。ご近所の生き字引のような物知りのおばちゃんが “ちょっと、ちょっと” と拙者に近付いて来た。その慰安婦像顔の女性の噂である。慰安婦像顔の彼女は独身アラフィフ女性で、意外にも住んでいるマンションの理事長らしい。気に入らない業者を個人的な恨みで追い出し、理事長になったはいいが、他の理事をおざなりに独裁を布いているわりにはマンションの事は何もしないらしい。その上、話は全てメールでなければ受け付けないという事から、“引籠り理事長” というあだ名が付いているそうだ。生き字引のおばちゃんが一層声を潜めて真顔になった。会計理事の男と深い仲になって、それが奥方にばれて男は離婚。しかし略奪婚に発展するわけもなく、会計理事元夫婦は二人ともマンションを立ち退いて今は他人・・・なぜ生き字引のおばちゃんは拙者に話してくれたのか、いや話すのはもう隣近所では拙者だけになってしまったからだったようだ(笑)

 最近追い詰められていやいや辞任した都議会議員を彷彿とさせる。何もしたくないが名声だけは欲しい人種が増えている。そのために軽蔑されたら身も蓋もない。都議ならまとまった金も入りまだマシであろうが、マンション理事長たる者は区分所有者の下僕であるということが分からないらしい。長という肩書で何らかの地位に付いていることで安堵するのだろう。軽薄である。ブランドに着られて満足している輩と一緒である。

 次にすれ違う時、あの不運とも思える慰安婦像顔が更に哀れに映るだろう。人の人生は人相と背中に出る。生き方には気を付けねばなるまい。


 なにより、噂のアラフィフ女性と擦れ違う時に吹き出さないよう気を付けねばならない。


70歳2ヶ月と14日(令和3年11月27日)

 北京冬季五輪拒否の動きが活発になる今日この頃・・・

 支那の国威発揚「抗米」映画に韓国が噛み付いた。韓国は国威発揚「抗日」映画を制作しているが、支那映画の “支那発祥” に業を煮やして配給中止の大抵抗だ。厨坊レベルの心理である。

 プロパガンダは国民の意気に危機感を覚えた時に、怠惰な己から目を背けさせる戦略だ。そういう意味で日本は韓国のお得意様であろう。しかし、キムチやチマ・チョゴリが “支那発祥” であるという主張には、普段上げ諂っている隣国といえども我慢ならなかったようだ。

 世界に通用しない手前味噌的国家のCM映画に絶賛する集団・・・なんかどこぞのカルト団体が劇場で大拍手して喜ぶ映画を想起した(妙法蓮外道)


70歳2ヶ月と16日(令和3年11月29日)

 今流行りの用語・ブースター(英語:booster)を直訳すると “増幅器” の意味らしい。ワクチン接種で既に免疫を得た人が、更なるワクチン接種で追加免疫を得ることで、コロナの場合、1~2回の接種がワンセットと考えての追加接種ということらしい。米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のファウチ所長は『オミクロン株のワクチンは少なくとも3カ月程度掛かるだろうが、ブースター接種を受けるもう一つの理由ができた」と、結局はまた接種を受けなければならないようだ。オミクロンの感染力は “議員の票取り執着ウイルス” 並みで治まるところ知らずらしく、ブースター接種後もワクチン接種が終わりとは思わないほうがいいようだ。世界治験ブームが花盛りであるが、正直無料ほど怖いものはない。

 こういう時期、嫌でも人との接触を強いられる公僕はつらかろう。更生しない人種がいることを絶対に認め(たく)ない平和ボケとかが最も危険な存在。“人間としてあるまじき行為” などという表現があるが、人間だからこその不合理・理不尽で愚劣な何でもありの世の中がある。己を律すべき公僕こそ生き難いのが世の常かもしれない。しかし、公僕の暴走も迷惑この上ない。

 福島第一原発事故の現場を大混乱させた元首相の地元(武蔵野市)で、今度は市長が市民不在で外国人参政権の骨子案を提出したそうだ。女性の社会進出に水を差す腑抜けぶりが笑える。秋だから市長も赤く紅葉したのだろう。

 “平等” や “差別無し” を勘違いして、順位を否定する運動会にしたり、昔話を改竄したり、現実的ではない校則に縛り付けたり、笑い話のような教育で育てば今の世の中に至るのは無理もない結果であろう。しかし、その最中でもしっかり賢く育っている子たちもいるわけだから、やはり根本はその子を育てる大人にあるのだろう。自分を育てる者に恵まれない子は、日常的に不運の芽を植え付けられることになる。

歌舞伎町のトー横が話題になっている。あそこに溜まって歪んだ形でSOSを放つ子(もう子とは言えない年齢)たちはどんな大人環境で育ったのか興味はあるが、しかし、人間は結局、生まれながらに持って生まれたもので将来が決まると拙者は思っている。

 持って生まれた者には賢愚双方に追い風が付いて回る。その子が窮地の時、賢愚の風が吹き進む道が大きく別れる。邪悪な誘惑や嫉妬塗れの中傷が訪れたら合法的な報復で身を守る術を身に付ける必要のある時代である。“みんなと仲良く” の洗脳時代は疾うに過ぎた。

 トー横に少年たちを屯させたくなければ、これ見よがしに空間を囲むように四方に交番を配置し、児童相談所を併設すれば済む話であろう。公僕といえど春には役立たない世間知らずの警察官が多数排出される。世間の現実を知るトレーニングには持って来いの勤務先になろう。


70歳2ヶ月と17日(令和3年11月30日)

 悪質な「難民問題」は、難民より役立たずの野党や寄生与党議員を国外退去させれば全て解決とか妄想する今日この頃、日本政府は全世界に舐められている、いや、舐められて仕方のないことをしている。やるやる詐欺の議員どもが一番関心のあることは国の行く末ではなく保身のための票集めだけだ。


 悪質といえば、お隣の韓国でも面白いトラブルが起きている。“ポスティング” に関する出来事だ。記事は年老いたポスティングの老女に同情的だが、拙者は “ポスティング” で投函されるチラシはゴミでしかないと思っている。余計なお世話であり、無神経な投函は非常に迷惑である。ポストは郵便局用に用意しているものであり、ポスティング会社のために用意しているわけではない。入口にもしっかり「訪問セールスお断り」と「チラシ投函禁止」を掲げている。法的にみると以下の場合は違法となる可能性がある。


①無断で住宅の敷地内に入ると「住居侵入罪」

②「ポスティング禁止」といった張り紙や注意書きがあるにも関わらず、無視してチラシを投函する

③チラシの内容が成人向けなど、公序良俗に反するチラシをポスティングした場合、風俗営業法に違反


 拙者は、“不法投棄” であることも主張したい。ポスティングの方と揉める必要はない。面倒でなければその場で警察に通報するのが最も合理的である。但し、厳重注意はするものの、①~③を厳しく取り締まる警察官は皆無である(笑)

 コロナ禍ですっかりポスティングが減ってくれたと思っていたが、また増えてきた。これも第6波だ。


70歳2ヶ月と18日(令和3年12月1日)

 オミクロン株世界的大流行に備え、本日から医療従事者への三回目接種が始まるそうだ。

 北京五輪の開催が、人権弾圧よりオミクロン株の世界的流行で影が差してきた。支那マンセイのあのドーピング国の長は敢えて開会式出席を発信しているが、そう発言するからには当然代理ではなく自身で出席するのだろう。支那に尻尾を振るからには “重要なみかえり” でもあるのだろう。

 大会出場意向のアスリートが、スポーツには人権弾圧など無関係と考えて黙視するならば可笑しな話である。オリンピック憲章には「スポーツをすることは人権の1つである。」と謳っている。主催国に人権弾圧されている人々に目を瞑り、己の人権は謳歌し、人権迫害国からメダルを授与されるのを夢見るのはクソオタにも劣る。


70歳2ヶ月と19日(令和3年12月2日)

 驕れるもの久しからず・・・老いて覆水盆に返らずに “あの頃は良かった” と悔恨の念を抱いて人生を終わろうとしている特撮俳優を知っている。彼は結局、“訛り” が直らないがために古巣の特撮番組からステップアップすることは出来なかった。

 京都での長編時代劇ドラマで彼と一緒になった。そのシーンの武将が一堂に会する中、彼は監督に集中攻撃を受ける場に遭遇していた。特撮番組での監督は彼の主張を温厚に通していたが、時代劇の監督には彼の主張する一切が通らない。拙者は途中からこの撮影に合流したが、既にその前から彼と監督の間には不穏な空気が流れていたようだった。そしてその時に監督の堪忍袋の緒が切れたのだ。物語全体を指揮している立場の監督と、俳優個人の我欲の衝突だった。監督の理詰めに彼はついに黙した。その場で共演した多くの俳優の顰蹙を買っていたことなど彼の眼中にはない。あるのは大勢の共演者やスタッフの面前で自尊心を打ち砕かれた悔しさだけだろう。長年、特撮番組で主役を張っていた彼の自尊心は根底から切り崩された。作品には俳優の過去の栄光など関係ない。栄光のある俳優など五万と居る。如何にその役を物語に沿って監督の期待値を越えて熟すかにかかっている。彼のファンがこのような不様なヒーローの撮影風景を目にしたら、恐らく多大のショックを受けたことだろう。

 特撮ファンの温湯にどっぷり浸かり居心地良くても、老いると特撮番組ですらヒーロー俳優としての潰しなど効かなくなる。特撮俳優は今に見切りを付け、老いる前に社会派ドラマに進出しなければ、俳優としてその時の “老い” を活かせなくなる。いつまでもヒーローではいられない。潔く後輩に譲り、新たな花道を模索し、賢い引き際を示すことこそ未來への入口なのだ。

 どこぞの国の長の如く、君臨に固執すればするほど孤立に向かい自分の首を絞めることになる。そこには氏が今実際に体験している実にご愁傷様な未来が待っていただけだ(合掌)


70歳2ヶ月と20日(令和3年12月3日)

 支那は農民の反乱で王朝転覆が繰り返されてきた歴史があるが、今また繰り返されようとしている。歴史に学べないのは不幸であるが、傲慢な対象が崩壊して行く様には究極の美を覚える。しかし、今回の反乱の契機が傲慢な長による性的スキャンダルだとすれば薄汚い嘲笑いの対象でしかなくなる。

 結果、WTA(女子テニス協会)が支那大会を全面中止にした果断には、日本にも遠い昔に存在し、持て囃されたであろう “人格者” の幻影が浮かぶ。更に、東京五輪で株を上げたかに見えたIOC会長が、実は単なる不様な拝金主義者だったことも露呈された。

 「人生100年時代」と仰るが、老害だらけの薄ら寒い未来しか想像できかねる。


70歳2ヶ月と23日(令和3年12月6日)

 床屋の椅子でウトウトしているとテレビから歯切れの悪い台詞の応酬。名曲 “役立たずのララバイ” が聞こえてくるようだ。そんな名曲なんてありもしないが(笑)

 大衆迎合詐欺の “汚れた政府” なら処刑の心配もなく地位に胡坐をかいて忖度の日々を送れるだろう。役立たずたちは選挙の票だけに涎を垂らしている。永田町は餓鬼どもの昨今の地獄絵図は、朝ドラや大河並みの学芸会である。


70歳2ヶ月と24日(令和3年12月7日)

 日本政府は未だに優柔不断を世界に発信し続けている・・・すっかり日本の国技となった “遺憾” 砲が竹槍に思えて久しい。

 支那の現実を黙認できるアスリートは、それはそれでスポーツ脳のアスリートなんだろう、家庭など顧みない仕事の鬼の如く。支那冬季五輪の輝かしいメダルは、虐げられた人々の血で出来ている貴重なものだ。日頃の己の努力への栄光を手に入れるためなら他を顧みないのがアスリートだとすれば、拙者にはそんなやつらがクソにしか思えない。

 クソといえば相変わらずのクソが居る。税金をドブに捨てている道府県・・・

北海道 172万円

福島県 17万円

長野県 170万円

岐阜県 90万円

静岡県 87万円

愛知県1567万円

滋賀県 149万円

京都府 418万円

兵庫県 5192万円

岡山県 20万円

愛媛県 50万円

 今時、朝鮮学校に侵略者養成補助金を出している自治体があったとは寧ろ驚きである。自分の故郷が該当していなくてホッとした。自治体の長のおつむは大丈夫か。


70歳2ヶ月と25日(令和3年12月8日)

 米だから出来る「五輪外交ボイコット表明」。

 皮肉にもGHQ下でお仕着せられた憲法で浮き足だった日本の政権運営が笑える。武力行使出来ない国がどんな正論を主張したところで目障りな蝿でしかない。

 政府の「国益を考慮」という強国への辻褄合わせの忖度が空しく響く。役に立たない憲法下の政権に期待するのは酷というもの。では、スポーツ界は人権弾圧に目を瞑るつもりなのか。東京五輪とはわけが違う。人権弾圧五輪に参加して “ひとでなし” のお仲間入りをするのか・・・いや、アスリートみんなでスルーすれば、考えない日本国民は皆、応援してくれる・・・


70歳2ヶ月と26日(令和3年12月9日)

 『北京五輪はジェノサイド五輪』・・・派遣される選手団には「弾圧の犠牲者と連帯して非難の声をあげる必要がある」というワシントン・ポスト社説の直球が冴える!

 どこぞの鼻垂れ国家の風見鶏加減が益々卑屈に見える。政府はすぐにでも支那に尻尾を振りたいだろうに。しかし、尻尾を振った途端に、またしても福田康夫政権以来の世界の恥晒しになるだろう。そればかりか上目線の乱暴者に尻尾を振ったところで、どんな未来が拓けるというのだ。引け腰の風見鶏が行き付く先にはウイグルの二の前が待っているだけだ。

 “武士の居ない武士道の国” とはよく言ったものである。生麦事件で “無礼者” を抹殺した奈良原喜左衛門、久木村治休、海江田信義の信義などどこに消えてしまったのだろう。


70歳2ヶ月と28日(令和3年12月11日)

 ノロウイルスの集団感染が始まった。

 修学旅行中の高校生、保育園の園児たち・・・コロナ禍のアルコール消毒信仰で、ノロウイルスに不可欠な流水による手洗いが疎かになったせいなのだろう。

 食中毒は細菌が増殖しやすい夏場に多いが、低温や乾燥を好むウイルス性の食中毒は冬場に増加する。中でもノロウイルスは感染力が強いため、結果として食中毒は夏場よりも冬場の発生件数や患者数が多くなる。

 問題なのは、症状が治まった後も一週間~一ヶ月程度は便と一緒にノロウイルスが排泄されるため、二次感染が油断できない厄介なしろものだ。

今時の日本人は、“治まったから大丈夫” と言えるための回復から一ヶ月以上も自粛できる国民性はない。今は、人を見たらノロウイルスと思え的な用心が必要な時期なのであろう。

 人心が劣化した国には次から次と試練がやって来る、実にサバイバリィな時代である。


70歳3ヶ月と0日(令和3年12月13日)

 一向にテナント店舗が埋まらない。

 地元に即した店づくりを目指しているようだが、店の態様のターゲットは若い観光客。営業形態が良く分からない店舗がぽつぽつと埋まり始めている。下北沢は老人が多い。施設完成から数カ月経つというのに地元住人には魅力のないテナント店の所為か、疎らな店舗に客は皆無である。未だに空きスペースが多い。すでに閉店したテナントすらある。

 小田急が地元の意見を尊重した運営を目指してるようだが、早めに運営方法を考え直した方がよさそうだ。理想多く裁量のない二代目たちに開発計画を任せるほど馬鹿げたことはない。そこに住んでいる人間が街を疲弊させたのだ。その彼らに任せたら、また元の木阿弥、シャッター通り化するのは目に見えている。

 地方の “町おこし” の悪夢を思い出す。立て直しの手柄を余所者に取られるのを地元の人間は最も嫌うがために、成功寸でのその度に町おこしの計画が潰される例を知っている。町おこしに一転の灯りが見えた瞬間、中心的功労者を余所者扱いで弾き出すのは “町おこし失敗” の宿命ともいえる。

 地元の人間は自分たちの裁量の限界を自覚したほうがいい。餅は餅屋に任せたほうがいい。羽田空港のレストラン・ショップなど実に的確なお手本もある。頭でっかちのバカが蔓延るシャッター通りはもう腹いっぱいである。


70歳3ヶ月と2日(令和3年12月15日)

 今朝の産經の新聞マンガ『あてにならないクーポン』は笑えた。

 米と支那に忖度する岸田首相と林芳正外相の二枚舌ぶりが『あてにならないクーポン』に例えられている。腰の引けたネコ目の首相と、支那贔屓の外相でこの先日本はどうなるか・・・益々、支那侵略が確固たるものになるだけだろう。

 外相になったから “日中友好議連会長” を辞任とは、国民に晒しながらあからさまな猫かぶりをするようなものだ。頭隠して尻隠さずどころか、頭すら隠さない傲慢詐欺氏だ。


70歳3ヶ月と4日(令和3年12月17日)

 ジェノサイド五輪なのか、戦狼五輪なのか、オミクロン五輪なのか・・・ボイコットの理由豊富な支那冬季五輪である。歴史は確実に繰り返し始めている。そのきっかけは結局、長の自業自得なる自爆。女神はどんな采配を下すか・・・


70歳3ヶ月と5日(令和3年12月18日)

 ファンタジー国・日本は、今国会での “対中非難決議” 採択が見送りになったそうだ。そのいつもながらの優柔不断なへっぴり腰ぶりが笑える。岸田内閣になってから八方美人の不様が際立って、拙者のような世捨て外野には堪らなく面白い見せ物である。米を同盟国だと声高に叫ぶ壊れた風見鶏連中にも笑いしかない。笑いと言っても冷笑だが・・・

 突然襲ったコロナ禍での政府の右往左往ぶりは、非常時の日本を容易く想起させた。この国を信頼するには相当な勇気と捨て身が必要だ。海外に住まいの拠点を構える富裕層は大正解である。「人生100年時代」の悲惨な津波がもうすぐ日本を飲み込む。


70歳3ヶ月と8日(令和3年12月21日)

 「人生100年時代」といわれるが、やはりぞっとする言葉だ。

寿命には、『平均寿命』と『健康寿命』がある。

 『健康寿命』とは、心身ともに自立し、健康的に生活できる期間(2000年にWHOが提唱)だそうだが、『平均寿命』は男性が81.41歳、女性が87.45歳。『健康寿命』から引くところの差は、男性で8.73歳、女性で12.06歳。最期を遂げるまでの約10年間は多くの人は病まねばならないのである。

 現在、自立できている『健康寿命』の平均は、男性72.68歳。女性75.39歳。拙者も『健康寿命』のマックスが近付いている。自律できない人生はパスしたいものである。

 理想的な死に方の標語に古式ゆかしい “ピンピンコロリ” というのがある。その表現には地方によって多少の差はあるようだが、病気で苦しむことなく、元気に長生きし、死に際しては病まずにコロリと逝きたいという意味だ。

 「人生100年時代」の蓋を開ければ、なんてことはない。 “寝たきり” で過ごす高齢者が増加したことを意味する残念な時代の到来を表している。それを揶揄して “ネンネンコロリ” というそうだ。そこまでは知らなかったが、スッと恐怖の笑いが込み上げる。

 次に死に逝く階段をご案内しよう。『健康寿命』を消化すると、三つの下り階段がある。一段目は歩行困難。二段目は排泄困難。そして最期の階段が食事困難。想像しただけでも切なくなる階段だ・・・いや、怪談か。

 “芸能人は歯が命” という言葉があったが、人は誰しも歯が最期の砦になるようだ。歯科医師会は8020運動を奨励している。80歳までに少なくとも20本の歯を死守しようという試みだ。自分の力量では敵わない諺に “歯が立たない” があるが、生存に歯が立たなくなるまでにどうしても通らなければならない10年間の病の試練の壁は分厚い。

 佐久市野沢の成田山薬師寺の参道に、「元気に長生きし(ぴんぴん)、寝込まず楽に大往生(ころり)したい」という心からの願いを成就してくれる “ぴんころ地蔵” が見守ってくれているそうだ。最後は神頼みも気休めにはなろう。


70歳3ヶ月と9日(令和3年12月22日)

 気持ちよく年を越せそうだ。

 気になっていた。喉に魚の骨が引っ掛かったような不愉快な展開だった。女性の社会進出などと謳う言葉にうんざり感すら芽生えていた。

 「外国人住民投票条例案」を否決した武蔵野市議会に拍手を送りたい。こんな危ない市長など当選させるべきではなかった。この女・・・背景にどこの国の人間どもが蠢いて居るんだ?


70歳3ヶ月と11日(令和3年12月24日)

 北京五輪国・支那の西安ではついにデルタ株のみならず、出血熱の感染拡大。感染症の博覧国である。北京と西安の距離は約910km(東京から福岡の距離)とは言え、世界的な感染拡大を見ればその距離に意味はない。

 ジェノサイド国にゴリ押しで向かうアスリートは、自己中心的な使命感もいいが、五輪憲章に謳われる人権尊重の理念をどう正当化して大会に臨むのであろう。横暴な国にも自己中なアスリートにも女神は微笑まない。


70歳3ヶ月と18日(令和3年12月30日)

 順調に数が増えている・・・

 笑い事ではない・・・いや、笑い事だ。懲りない一部の国民がその数を増やしている。オレオレ詐欺を栄えさせる我欲老人と、自制心と向上心に欠ける平和ボケ脳が常に社会の足手まといになる。そこに出しゃばる偽善が、理不尽と同調圧力を増長させる元凶となる。馬鹿馬鹿しい笑い事である。

 幸せが崩れていく姿は、運命を切り開いていく姿と同じく、どんな芸術より心を揺さぶる。理不尽と同調圧力のまやかしの中で、忖度の分、流された分、誰のための人生を生きたのかと気付くか気付けないかで、生きた価値感は決まる。

 帰省の時期、オミクロン株が拡散の時・・・オミクロン株だけではない。コロナの陰に隠れたノロ、ロタ、RS、そしてインフルが猛威を振るう可能性があると予測されている。更に、性病が蔓延しつつあることは黙認されている。

 この現状を鑑みれば “よいお年を” などと口が裂けても安易に言えそうにない年の暮れである。


70歳3ヶ月と19日(令和3年12月31日)

 昔、“非国民” という罵倒の言葉が水戸黄門の印籠のように使われた時代がある。そうした同調圧力の世相の中で、建前の “ぜいたくは敵だ” に抵抗した何者かの落書きで “ぜいたくは素敵だ” になった話は痛快である。

 拙者は常々、理不尽に遭ったら笑うのが最高級の粋であると思っている。まともに受けるだけ時間の無駄。馬鹿馬鹿しさを見破れば笑うしかない。例えそれがこの身を危険に陥れるものでも、やはり笑って “それ相応の残虐さ” で立ち向かう因果応報と自業自得の競演を理想と考えている。その先には理不尽の元凶を蔑む爽快さが待っている。

 崩壊は美であり、バカは笑いである。古希を迎えて達した “無視道” の境地である。崩壊とバカをとっくり味わう生き方になって早3ヶ月と19日になった。快適である。


70歳3ヶ月と19日(令和4年1月1日)

 元旦の産經の一面に “さらば「おめでたい憲法」よ” という乾正人氏の論説があった。おそらく今年もおめでたい憲法に “さらば” は出来ないであろうが、実に痒いところに手が届く内容であった。真面が残る新聞社は少ないが、産經はまだ真面が3割は残っている。今年も少しは楽しめそうだ。

 拙者はコロナが明けることなど望まない。観光地の人汚染や特定外国人の大声は二度と聞きたくない。健康より “衛生” に神経質な昨今こそ拙者にとっては望ましい世の姿である。


70歳3ヶ月と23日(令和4年1月5日)

 支那事業継続7割という日本企業。人権が二の次の拝金主義の実態が明らかになった。人権が二の次・・・考えようによっては利己主義が罷り通る “楽な” 世の中かも知れない。支那に忖度する日本企業・・・敗戦国の負け犬ぶりが堂に入っている。

 忖度とは本来「相手の気持ちを考慮する」ことだが、昨今の辞書では「特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられる」と新たな解釈もある。要するに “ご機嫌取り” 、さらに言えば “金魚の糞” の意であろう。

 お偉いセンセ諸氏は “金魚の糞” の己を、恰も相手の気持ちを推し量る人格者の体を装っているが、その実ただの糞である。思わず踏み付けぬよう警戒せねばなるまい。石でも投げてやろうか・・・

 今年は夏までに参院選挙がやって来る。当然、その中の糞どもに一票を投じるなど考えられない。何しろ「不要不急の外出」は控えなければならない。


70歳3ヶ月と26日(令和4年1月8日)

 “カード・スマホ決済が普及している” という噂を喧伝するメディアが殆どだが、買い物客で賑わう暮れ正月では “現金払い” が圧倒的に多かった。実態はどうなのだろう・・・

 拙者は料理が趣味のひとつなので各量販店にはよく足を運ぶ。拙者の街に限っては主婦の皆さんがカードやスマホ決済をしている所を見るのは稀だ。同時に、カードやスマホ決済をしている人がいればすぐに分かる。レジに時間が掛かって流れが止まるのが現状だ。レジ打ちの店員さんの問題ではなく、カードやスマホの読み込みに時間が掛かっている。これは人的にはどうしようもないことであろう。量販店は還元ポイント率でスマホ決済より現金を歓迎している。

 新年の変化は、暮れの流れの便乗値上げ。物の値が高止まりになっている。しかし、主婦は強かである。値が下がるのを待って量販店はこの時期、閑散としている。そして逸早く平常値に値を下げた店に殺到するのが毎年の恒例だ。結局、我が町に関してはメディアの記事は “希望的観測で煽っている” と理解するしかない。

 昨日は大雪の東京だった。東京で大雪といっても、故郷で言えば “ゴミレベル” である。にも拘らず、随分と交通事故や負傷があったらしい。この時ばかりは雪国に育ったことを感謝する。雪国に育てば雪掻きも “消える” 掻き方をするが、都会育ちの方は消えない雪掻きが得意である。残雪を楽しみたいのであろう。

 今年も “現金生活” を楽しもうと思う。キャッシュレスなどと、どこで何が起こっているか分からないシステムにどっぷり嵌るのは勿体ない。ショッピングは支払いも含めて目で見て楽しみたい。昨年は新硬貨の五百円が発行されたはずだが、まだお目に掛かっていない。新紙幣は2024年上半期の発行予定だそうだ。楽しみである。生きていればの話であるが・・・


70歳3ヶ月と29日(令和4年1月11日)

 また花街の猥褻なお遊び “恵方巻き” の季節到来。あちゃらの方角(2022年は北北西とやら)を向いて喰えば運がいいの何のと太巻きを丸かじりなさっている姿は(拙者には)浅ましくさえ見える。やはり、花街芸者が太巻きに齧り付いているあられもない姿に下半身の秘め事を想起するエロチックさのほうがしっくり来る。

 太巻きは(拙者としては)適度の大きさに切って、わさび醤油をちょいと付けて食するのが美味しい。由来改竄は “遺憾” である。堂々と花街発祥の縁起物であることを謳った上で丸かじりさせるべきであろう。尤もそれだとインチキ行事は普及しなかったろうが・・・


70歳4ヶ月と0日(令和4年1月13日)

 都市封鎖が拡大している国での大運動会に参加するアスリートは己の背負うものを認識してるのか・・・

 スポーツマンシップは “黙認” を容認するものなのか・・・日本の五輪の時とはわけが違う。北京五輪は参加することに “異議” がある。形振り構わず民族弾圧国に尻尾を振る拝金主義・・・その拝金主義に尻尾を振る政治屋。その政治屋に媚を売るスポーツ界。その下のアスリートに何が出来ようということか・・・(合掌)


70歳4ヶ月と3日(令和4年1月16日)

 寝坊の出来る老後となった幸せを噛締める日々である。

 布団の温もりを満喫して起きたら、共通テストの初日の昨日はいろいろなことがあったらしい。

 成績に行き詰まった高2の男子が殺傷沙汰を起こして、一部の地域では試験が延期になったという。“荒れる成人式” より “荒れる共通テスト” のご時世になったのか。世界では南太平洋の島国トンガの海底火山が噴火して太平洋岸に津波が押し寄せた。

 さて、我が家では妻との “ころころ論議” が勃発している。妻は拙者と違い、老いに立ち向かうタイプだ。ころころで掃除をするにも体力の消耗を惜しまない。拙者はころころの限界を主張し、早く新しい面に替えないとゴミが取れなくなると主張する。妻はその助言を一向に受け入れずに、いつまでも取れ難くなっているころころを回している。

 老いれば皆ポンコツになる。若かりし頃は “自分を信じて” などと気合を入れていたが、今は信じられるほど自分の性能は良くない。如何に効率よくポンコツの自分を使い熟すかに懸かっている。そのための工夫をするかしないかで老後の快適さが違う。

 老いを受け入れるのが負けだと思うのは大きな勘違いであろう。老いをコントロールする知恵こそ、老いたる楽しみ方である。

 親のエゴで社会に真っ向立ち向かおうとすると、件の高2のように行動に狂いが生じる。年とともに己の身の長けと理不尽を狡猾に利用するのが人生の醍醐味である。これは老若男女にも言えることだ。生きていくことは、日々、己自身に生じる未知との遭遇なのだから。


70歳4ヶ月と7日(令和4年1月20日)

 退治期限を疾うに過ぎた獅子身中の虫のあの党が大暴れ。八方美人の腰砕け(けつまくり)政権は役立たず。『 “シェイシェイ茂木” から “ジェノサイド茂木” に昇格!』という記事もある。

 醜態は瓦解前の美である。偽善の票喰い虫どもは堕ちるところまで堕ちたはずなのに、まだ堕ちる。人間の愚は底無しの進化を遂げている(合掌)

 ゆえに日本国民は崩壊の覚悟さえ出来れば、日々の暮らしは天国となる! 政府の “要請” はまやかし。己の身は己で律することを前提とすれば、人生を謳歌するのは今が絶好の時!


70歳4ヶ月と12日(令和4年1月25日)

 南海トラフ巨大地震が秒読みといわれている。

 東日本大震災の予言をした “たつき諒” 氏の『私が見た未来 完全版』は2025年7月の大災難を予言している。日本の南方のフィリピン海で海底爆発のようなものが起こり、隆起によって香港、台湾、フィリピンが地続きになるというものだ。東日本大震災の3倍の津波が押し寄せるとも予言されている。

 拙者の頭に浮かぶのは、今秋から印刷が開始され、予言の前年の2024年から出回るとされる新紙幣にお目に掛かれるか否かである。完全にお花畑老人になっているのかもしれない。


 今は日々の小さな事件がボケを留めてくれている。スーツケースに死体が入っていた記事を見ても、普段なら残虐な愚行に唾を吐きたくなる程度だろう。 しかし、今回の記事を見て、拙者の記憶はこの事件の数日前に遡った。“赤いスーツケース” が自宅の裏の敷地内にポツンと立てて置かれてあるのを発見した。入ろうと思えば誰でも入れる場所だが、ない物がある日突然わけもなくそこにあるというのは実に不自然な光景である。しかも、赤はどぎつい印象を放つ。ゴミか、酔っ払った誰かの置忘れか・・・次の日も、そのまま動かされもせず、そこに置かれたままだった。

 迷った。もし、爆発物なら・・・もし、死体が入っていたなら・・・もし、子どもの死体なら・・・もし、まだ生きていたなら・・・“まだ生きていたなら” 110通報しなかったことを一生後悔することになる。そして110通報した。

 スーツケースを無造作に開ける警官・・・爆発物だったら深刻な結果になっている。生憎、枕とシーツのようなものが入っていただけだった。ただの遺失物となった赤いスーツケース。この拙者の行為を近隣住人が大袈裟と取ろうと、当然と取ろうとどうでも良かったが、日光のゴルフ場跡地で死体入りのスーツケースの一件が報道されて以来、拙者の行為を大袈裟と取った近隣住民は今、何故か拙者に会うと目を逸らして俯く。

 赤いスーツケースより不自然な存在になった(笑)


70歳4ヶ月と14日(令和4年1月27日)

 “バッハ”と聞けば、昭和の人間は偉大なる音楽家を想起する。

 しかし、今やバッハと言えば “ぼったくり男爵(米紙)” とまで揶揄されるらしい。堕ちたものである。欲の皮の突っ張った者同士、話も合うのだろう。その周りで金魚の糞のようにおこぼれに与ろうとする世界の拝金主義者どもが連なっている。それは日本の企業にしても政界にしても右倣いだ。これを遺憾と見るか、必要悪と見るかは個人の自由であろうが、崩壊していくものに “美” を覚える拙者は、記事の二人が並んだ姿は、正に “醜態の美” と捉える。

 どれだけ善良な人々に嫌われて朽ちて逝くかの競い合い・・・楽しそうである。


70歳4ヶ月と15日(令和4年1月28日)

 「外務省発表集10号」というものがあるそうだ。高市早苗氏だけはぶれずに毅然と頑張っておられる。

 “厚顔クレーマー” と揶揄されるあの国は、日本をいつまでもATMにして置きたい。現・外務大臣はその追い風になって偉ぶっているが、曖昧な答弁しかしないは、支那マンセイではあるは、日本にとってはオレオレ詐欺以上の疫病神そのものである。過去にどれだけ輝かしい名誉ある経歴の持ち主であろうと、疫病神は疫病神である。

 永田町界隈を中心に昔から売国奴と呼ばれる人々が多数存在する。今は売国奴層が少し変化している。目先の我欲ゆえの風見鶏バカが多い。

【売国奴】概説 「国賊」が「自国の独立や尊厳、利益を故意(または過失)により傷つける者」、「非国民」が「思想・信条その他において異質であり国民の統一や一体性を乱すもの」という意味合い・ニュアンスであるのに対して、「売国奴」という言葉は「母国を外国に売って私益を図る者」を指している。

 有名大学を出た秀才の売国奴ぶりが笑える。そうした成長ぶりに、さぞご両親もお喜びであろう。どうやらあの大学こそが疫病神を育てる悪の巣窟らしい。


70歳4ヶ月と16日(令和4年1月29日)

 今朝の朝刊のタイトルに大笑いしてしまった。

 「公明、自民に不信感」だそうだ。今更何をタイトルにしているのだろう。支那マンセイの党が何をかいわんやである。今まで国防に関して散々足を引っ張って来たばら撒き党が、寄生宿主党に “やっと” 不振を懐いたのかと大笑いせずにはいられない。

 来る参院選は、隠れ公明議員は皆落選すればいいだけの話で、獅子身中の虫が一斉排除されるなら、今迄二股を掛けて来た似非自民議員が減ったとしても万々歳である。自民の真の姿が浮き彫りになるだけであろう。

 カルト国家になるか、神国を維持できるか、日本の腐り具合がはっきりする。それでいいのだ。なるようにしかならない。今は発酵の段階。腐るか優れた栄養食になるかすぐに明らかになる。拙者は既にゲップの段階だが・・・


70歳4ヶ月と18日(令和4年1月31日)

 “ヲタ” のタイプは幾多あるが、やつらにとって鏡に写った己の姿は “正義” に見えるらしい。拙者も病的なヲタに付き纏われた経験があるが、正体見たり枯れ尾花である。身の丈を弁えない称賛に飢えた不安と嫉妬だけで生きている気の小さいヲタどものその行く末は惨めなものだ。

 前・米大統領は、ある狂人ヲタを “ロケットマン” とか “狂った老いぼれ” と揶揄したが、今般のオリンピック憲章無視の大会に参加する “スポーツヲタ” をどう見ているのであろう。

 拙者は今般の冬季五輪参加選手に限って言えば、見方がすっかり冷めてしまった。相田みつを調に言えば「ただのスポーツヲタだもの」とでもなるのか・・・


70歳4ヶ月と19日(令和4年2月1日)

 “アサリ” の産地偽装! “支那産” を “熊本産” だとぬかしおる。長年黙認していた熊本県漁業協同組合連合会も重罪。2ケ月程度の “あぶり出し” 出荷停止だそうだ。たった2ヶ月の出荷停止・・・限りなく組織ぐるみの確信犯であろう。

 地元で国産養殖している正直者までが何故バカを見る。今時、連帯責任などと馬鹿げている。何という怠慢で優柔不断なお役所仕事なのだ。国産養殖の彼らは、停止されるようなことはしていない。これが世の理不尽。永田町のアホどもの迷判断。該当者だけの永久追放及び科刑が筋であろう。

 “配慮” と “優柔不断” は全く違う。日本の姿勢は、弱腰遺憾砲と優柔不断のまやかしで、加齢臭漂うセンセどもは永田町引籠りの防衛策。日本は、経済、経済と、強請り集りどものために金策に忙しい。まさか、近隣国のハニトラ作戦に溺れているわけでもあるまいが、どうにもならなくなれば “国民” というATM頼り。国債854兆円の95%は日本国民が保有しており、日本のGDPの2倍という国民へのおんぶにだっこ状態。日本は先進国第一位の国民に対する大借金国。借金も財産のうちと嘯く御仁もおられるが、借金は借金。生活設計のだらしなさに変わりはない。あの太陽光発電大借金詐欺外来おじさんの所為で日本の自然も次々に無駄な破壊を余儀なくされている。

 そこでひとつ、今流行っているらしい “冬の怪談” を・・・今の日本の危機と、数年後の夏に来ると予言もされている自然の驚異も含めて、国債は国が滅びる前に売り払って新天地への脱出に当てたほうが賢明かもしれないと思い始めた主なる国債の債権者である富豪層が其処彼処(合掌)


70歳4ヶ月と20日(令和4年2月2日)

 ついに “天下の無能” とまで揶揄されてしまったか・・・

 いつもの事であるが、過半数を越えているはずの世論調査の支持率とは大違いの結果である。永田町の腰の “病” にはいろいろあろう。ぎっくり腰、弱腰、逃げ腰、へっぴり腰、及び腰 etc・・・それを治せないのは、獅子身中の足を引っ張るカルト党と手を組んでいるからだということは誰にでも理解出来よう。

 手を切ったほうがいいのに切れないのは、来る参院選の票稼ぎのための自業自得の “病” 。そこに国民は居ない。来る参院選でも、こいつらに一票投じるのは実に危険な行為である。一番危険なのは、比例代表で返り咲く落選議員と縁もゆかりもない見ず知らずの候補者だ。国民は投票の義務があるというなら、拙者はソーシャルディスタンスで自己防衛の権利を優先する。


70歳4ヶ月と22日(令和4年2月4日)

 支那冬季五輪の後は?

 1936年ベルリン五輪後にヒトラーがユダヤ人の大虐殺に突き進んだ例が産經抄で触れられていた。歴史を繰り返す国は “あの国” か、それとも “あの国” か、将又何事もなく過ぎ去るのか・・・

 ヒトラー後、ドイツがどうなったかは言わずもがなであるが、皮肉にも、支那の迫害から逃れたウイグル族の人々が結成した組織「世界ウイグル会議」の本部がそのドイツにあるそうだ。

 組織のラヒマ・マフムト英国所長は「人権を無視した残虐行為を犯す支那に五輪を開催する権利はない。国際オリンピック委員会(IOC)は集団殺害を行った政権に(五輪開催の)名誉を与えてしまった」と表明している。あの強欲ジジイの顔が浮かぶ。

 人権侵害五輪後、支那は本格的に台湾虐殺に向かって愚かな歴史が繰り返されるのか・・・こんな大会に参加する選手はどう思って参加しているのか・・・名誉であろう成績を残しても、真の感動など受けられるわけがない。犠牲を強いた血のメダルなのだ。呪われたメダルなのだ。

 アスリートがメダルを齧って犠牲の血が滴る風刺画を想起する。


70歳4ヶ月と23日(令和4年2月5日)

 若かりし頃、「ソイレント・グリーン」という映画を観た。

 それを彷彿とさせる小説が出た。この二つは、近未来映画と実話の違いがある。

 前者は止むを得ない飢餓対策を題材にしたSFに対して、後者は征服欲に塗れた中米の拝金主義者が暗躍する堕落した世界の実話である。

 民族弾圧国の五輪開会式に於ける台湾の「中華台北!」というアナウンスに、客席から大きな歓声が上がったという記事があった。しかし、戦時中にB29に竹槍で闘わせようとする血気だけ盛んな国があったが、それと大差ない。美談では何も変えられない。絶対的な武力でなければ弾圧を跳ね返すことは出来ない。


70歳4ヶ月と26日(令和4年2月8日)

 お茶の間でメディアの空騒ぎに振り回されたいなら好きにすればいいが、今を知っておきたいなら・・・

 いつまでもオミクロン株じゃないだろうと思う今日この頃、侵略の危機はそこまで迫って来ている。隣人にすら油断ならない時代に、役にも立たないテレビに張り付いている場合でもないだろうと思うが、考えることが嫌いな高齢者が多い時代、“観光立国” の次は “100歳時代” などと馬鹿げた宣言をして、その実態が死んでから火葬場に行くまで盥回しの現実を知ろうともしない。都合の悪いことがなかったことに出来る特技は、流石ファンタジー国Nippon国民!


70歳4ヶ月と27日(令和4年2月9日)

 1990年代、故・野村克也さんの「(巨人戦は)13対9で戦わないかんのだから大変だよ」と発言していたことを思い出す(笑)

 ジェノサイド国の冬季五輪で、今、それと似たようなことが起こっている。対戦に際しては判定者を囲い、理不尽な “反則” “妨害” でジェノサイド国に有利な判定。自国の恥報道に対しては画面妨害。これがジェノサイド国の五輪なのだ。参加することに “異議” があったのにゴリ押しで参加した結果がこれだ。分かり切っていたことである。

 不当な扱いを受けることを押して参加したのだから自業自得であろう。文句を言うな! 本筋に目を瞑ったたわいもないリスクである。今すぐ試合放棄してお帰りにならない限り、支那の思う壺であろう。ただのスポーツヲタはそれすらも出来まい(ご愁傷様)


70歳4ヶ月と29日(令和4年2月11日)

 やること為すことはっきりしない “遺憾” と “厳粛に受け止める” だけの国。最近は日の丸の旗を靡かせて国家の祝日を祝う家など殆ど見掛けない。それだけ誇れる国ではなくなったということか・・・


 さて、かつて若乃花虎上(まさる)氏が破れた大相撲疑惑の判定で、「はっきり勝たなければ…」というセリフが未だに記憶に残っている。同時にその名言は拙者の基本理念にもなっている。

 しかし、ジェノサイド国五輪では、はっきり勝っても、ジェノサイド国以外の国の選手たちは “言い掛かり判定” で次々と失格の憂き目にあっている。フィギュアスケート女子のカミラ・ワリエワ選手のドーピング問題に関してだけは、中露の関係に罅が入る危険があると感じたか、何故か表彰式が行われない。共産党がどう繕うか見物である。

 ジェノサイド国五輪の楽しみ方を間違えなければ毎日の記事が大笑いである。IOCと審査員を丸抱えにして、国ぐるみのインチキ判定で手にしたメダルの価値は歴史に残る “恥の象徴” となる事すら理解出来ずに、世界に醜態を晒し続けるのは実に愉快である。また、そんな茶番劇に参加したスポーツヲタの無思慮ぶりも笑える。予想どおり、未成年だからと的外れの大茶番。WADAは急ぎ「未成年を含む要保護者でも、暫定資格停止処分の例外にすることは許していない」と主張している。中露の茶番、茶番、茶番! 茶番冬季五輪は恥の歴史に残る!

 毎日の記事が笑いの壺に嵌って来る。無思慮の覆水を盆に還すには、試合放棄で帰国するのが最良であろう。星一徹のちゃぶ台返しに学べば天晴れであるが、自己中のスポーツヲタどもには絶対に出来ないのも笑える。


70歳5ヶ月と1日(令和4年2月14日)

 義理チョコも廃れる今日この頃。政府のコロナ対策後手後手顛末の根幹にあったクズたちを晒した書籍「秘闘 私の『コロナ戦争』全記録」がスポットを浴びている。

 「まあ、政治だからね、五輪は。時機を見てね。なんでも時機と頃合いがあるからね。君はね、女だから正論言えるのね、純粋に生きられるのね」という尾身氏の分かったふうなセクハラ発言。

 “男の発言は正論ではなく、保身からの発言” であるという氏の老害的考え方が露呈した。分科会・・・端っから胡散臭かった組織の正体は老害の巣窟だった(笑)


70歳5ヶ月と8日(令和4年2月21日)

 昨日幕を閉じたジェノサイド茶番五輪は、スポーツヲタを利用して『世界は支那のジェノサイドを黙認する』という大義を取り付けた。おめでとう!

 スポーツヲタは、何に敗れ、何に勝利したというのだろう・・・東京の空は雲一つない快晴、今は。


70歳5ヶ月と17日(令和4年3月2日)

 支那の諺に「水に落ちた犬は叩け」というのがあるそうだ。しかし、もとは「水に落ちた犬は打つな」という諺だったそうだ。それを支那の思想家・魯迅が「水に落ちた犬は打て」としたそうである。面白いのは、魯迅の格言を愛用している国は “韓国だけ” というのが笑える。

 「水に落ちた犬は打つな」は武士道精神にも合致しているが、魯迅は、道義を弁えない犬畜生は徹底的にやりこめるべきという。確かに、権勢を誇った者が暴走した場合、その凋落の様は誠に文学的美であり、感動的に溜飲が下がる感動を覚える。最も記憶に刻まれたのは1989年のクリスマスの日、ルーマニアを恐怖のどん底に突き落とした独裁者のニコラエ・チャウシェスクが処刑された姿だ。無残な死様が世界に流れた。

 今、世界はどっちに転ぶか、水に落ちたのはどっちなのか・・・拙者のような物見遊山的野次馬も多かろう。今こそ九条信者の出番であるが、いつもの如く彼らは肝心な時にはその主義主張を黙して語らず、吠えているのは日本共産党だけに過ぎないのはどうしたわけだ?


70歳5ヶ月と18日(令和4年3月3日)

 国連常任理事国(中・仏・露・米・英の五か国)が全会一致でないと国連は何も決められない。そこで、やれることはというと “孤立” の苦痛を味わわせ、糠に釘の如き制裁を科して自己満足すること以外にない。

 まるで田舎の “村八分” と変わらないのが笑える。“村八分” は、制裁対象の家の “不幸と火事” 以外は “遺憾” の意を表明する必要はないという掟である。大犯罪を犯している常任理事国が大災厄に見舞われた時、救いの手を差し伸べるかどうかは拙者には分からないが、“村八分” 制度では犯罪常任理事国には手を差し伸べるという根本的にはお優しい部分もある。

 そこでファンタジー国日本に於ける「法律と道徳の違い」を復習してみた。それによると、犯行現場や死傷者を “見て見ぬ振り” をしても、“死んでしまえ” と思っても、110番通報したり “犯行を止めなくても” 犯罪にはならない。不作為(何もしなかったこと)は法的には罪には問えない。正義感に燃えて拘ったばかりに無駄死にする可能性があるからであろう。

 例外は、保護責任者遺棄罪(刑法218条)に該当する者は法律違反になる。それは、老年者、幼年者、身体障害者又は病者を「保護する責任のある者」がその対象。ちなみに拙者は老年者なので “どこのどなたさんであろうと” 知らんぷりしても罪にはならないが、例えば妻子の被害に対して相手に報復した場合、その加害状況が被害状況と同等でもそれ以下でも罪になってしまう。ところが、加害者が少年であったり、精神に異常を来している場合の被害に対しては被害者は一切報われない。笑えるほど不条理である。

 更に刑事訴訟法に公務員の場合も例外的に「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」という規定があるため、業務と関係があれば罪になるが、業務に関係ない犯罪については “申告” 義務がない。“勤務中は公務員、また、明け番は見て見ぬ振り” でいいのである。

 つまり、国連加盟国193か国の大多数が賛成しても、常任理事国が犯した犯罪に対する制裁は、最大 “村八分” 止まりという、常任理事国にとっては実に虫のいい決まりなのが天下の国連である。今時、実に馬鹿げたルールである。

 日本は常任理事国としての発言権もないのに、世界3位の分担金を支払って国民の税金をドブに捨てている。ファンタジー国は国債を乱発して見栄を張る世界のATMなのである(笑)


70歳5ヶ月と19日(令和4年3月4日)

 ある日、突然の訃報が来そうだ。

 ウクライナからの傭兵募集に日本人もかなりの希望者がいたと聞いている。ファンタジー国日本の政府は慌てて渡航を禁止した。国として参加したとなれば重大な国際問題になり、軍人ではなく一般人として参加して敵軍人を殺傷した場合、捕虜としての保証は得られず、ただの犯罪人となり、厄介な現実が待っている。しかし、どういう結果になろうと自己責任の証にサインしてもらえば済むことであろう。ところが、自国の長の「生死は不問」の懸賞金を出す勇者も現れたという。「生死は不問」・・・リアルゴルゴ13への依頼だ。

 強かな某国の煽りに乗せられて、征服欲に執着して恐怖に陥った長の被害妄想が、現実化した感じだ。本人はもう後へは引けなくなっているが、“失敗” だと思っているのは間違いないだろう。これからは辻褄合わせの連続になろう。覆水盆に返らぬ自分で招いた業である。何れ、世界中から集まって来るリアルゴルゴ13の仕事は全うされるだろう。コロナ過でこんなエキサイティングなリアルゴルゴ13が拝めるとは、長生きする暇潰しにはなる。我々は野次馬以外にどんな聖者に成れるというのだ。リアルゴルゴ13の活躍なら、誰にでも応援出来る。

 次に続こうとしている柳の下の蛙が固唾を飲んで、長の暴挙が成功するまで “棄権” の立場を維持しているだろうが、リアルゴルゴ13の成功で敢え無くその野望は砕かれ、わが身の保身に更に神経を尖らせることになるだろう。支那五輪のあの不様は、その予兆でもあろう(合掌)


70歳5ヶ月と20日(令和4年3月5日)

 政府は拉致問題解決に於いて北朝鮮にお茶を濁されたまま、半世紀以上も “放ったらかし” 状態である。その間に拉致被害者家族はどんどん他界している。それが政府の取り組みの現実であるにも拘らず、そうした意志のない政府に「政府の意志見えぬ」と、未だに期待を賭けるのはどういう事なんだろうと引っ掛かる。

 現実を鑑みれば、政府にはその意志がないと判断するしかない。家族会は “その意志” のない相手に期待したところで解決しないことを認識したほうがいい。

 日本国憲法は自国民を救えないし、票に繋がらなければ動かないさもしい議員が殆どだ。更に、平和主義の国民ひとりひとりがブルーリボンに細々と風を送っても、半世紀以上もこの状態では効果なしと判断するしかない。

 拉致被害者を救助する最も現実的な策は「民間軍事会社」を頼って荒療治をすること以外にない。政府が前向きにならないのだから自力で救出するしか解決の道はない。国際問題に発展することを躊躇するならば、家族の犠牲を黙視するしかない。

 繰り返すが、救出したいのなら「民間軍事会社」を頼って荒療治をするしかない。「民間軍事会社」に掛かる費用を半世紀に渡りクラウドファンディングを繰り返していたならどうなったであろう。その額こそ民意であろう。政府が前向きにならないのだから自力で救出するしかない。

 ただ、拙者が拉致被害者なら、、半世紀以上も自国民を救えない日本になど意地でも帰る気にはならないだろうと妄想する今日この頃。


70歳5ヶ月と22日(令和4年3月7日)

 ラス・プーチンから「らする」= 豹変する・・・という新語を作ってみた。 力で制することが容認されたら、DVのおっさんたちも勢い付くだろう。ラス・プーチンの歴史は暗殺の歴史。そして、ついに自分に「生死は不問」の賞金が懸かってしまった。絵に描いたような自業自得だ。核のボタンが押されて甚大な被害が出るまで一刻の猶予もない。彼を狂人と認定して御託を論じたところで何も解決しない。戦にしろ喧嘩にしろ、頭を潰すのが常道だ。世界は経済制裁で弱者から痛め付けていく戦法に出ているが、何しろ他人の痛みに鈍感な時代錯誤の爺様たちだから痛くも痒くもないだろう。罪のない国民だけが散々痛め付けられた挙句、下手をすれば極悪人だけに逃げられるパターンだ。理不尽を絵に描いたような現状だ。

 前回は拉致被害者救出にクラウドファンディング策を妄想したが、「生死は不問」の懸賞金にも応用したなら、世界からどれだけの支持が集まるのだろうと “今だけ平和” な東京の青空を見る。


70歳5ヶ月と23日(令和4年3月8日)

 保護犬猫の里親になるのは善行という都市伝説がバカらしいほどに罷り通っている世間さまだ。

 里親制度など大いに疑問である。 売れやすい犬猫を産ませるために過剰繁殖させる守銭奴の悪質ブリーダー業の後始末をする保健所。捨て犬猫の殺処分は年間3300万匹。月に2800匹、1日92匹ということになる。内訳は犬が5600匹、猫が27000匹。だから保護が必要だ・・・となるのがバカらしい。永遠に抜本的な解決にはならない。

 寧ろ殺処分の担当を強いられている保健所員のほうを保護したらどうなのか。彼らはこれから殺処分をする犬に尻尾を振られて日々精神を痛め付けられている。もっと怖いのは、いつの頃からか、そのことに無神経になることだ。

 拙者が殺処分担当の保健所員だったら、犬猫ではなく悪質ブリーダーの殺処分を望むだろう。悪質ブリーダーを黙認する保護犬猫里親制度は偽善であり、不幸な犬猫増加に一役を担っていることを認識したらどうか・・・プーチンは親日家などと馬鹿げた妄想を懐くのと大差ない。


 侵略戦争後、未だに3度目の停戦交渉も合意に至らずとあるが、何度交渉しても合意に至らないことは誰もが分かっている。合意するという事はウクライナが降伏するという事だ。一方的に侵略戦争を仕掛けられた国が降伏するという事はどういう事か分からない者はいない。ただ、停戦交渉は被害国には重要な時間稼ぎにはなる。ロシアは交渉の足踏みを心理作戦にしているだろうが、その間に世界の風は必ずウクライナに吹く。ウクライナへの軍需支援も増えて行く。やっと危機の尻に火が点いたフィンランドとスェーデンもNATOに加盟しそうだ。日本も北方領土問題で夢を見ていたバカどもがこれで目が覚めるだろう。北方領土を返還させたければロシアを潰すしかないという現実、ちゃんと自覚してもらいたい。

 狂人ひとりとぐうたら取り巻きのために、世界は戦争にまっしぐらだ。気を付けなければならないのは、その雲行きを横目で見て虎視眈々と後に続こうとしている下衆野郎がいることだ。ロシアを潰せれば、こいつにも王手を掛けられる。いっその事、ロシアを崩壊させて豊富な 石油、天然ガス、石炭、貴金属資源をNATOで占拠したらみんな潤うだろうなどと妄想する小雨の東京。


70歳5ヶ月と24日(令和4年3月9日)

 ロシア側の交渉 “ヘッド” はプーチンの重要な懐刀。ウクライナとの停戦交渉でロシア代表団を率いるウラジーミル・メジンスキー大統領補佐官は、民間人を退避させるための人道回廊について、ウクライナ側が遮断していると非難したそうだ。「人道回廊」を進むバスには全て中国旗を描いたらどうなのだ(笑)

 戦争経験なしの交渉ヘッド、ウラジーミル・メジンスキー氏はお利口さんのようだが、ミスればこいつも真っ先に処刑される。ケツに火が点いていることも知らない実に気の毒な人だ。オーム真理教でご活躍なさって死刑におなりになった学歴あるお利口さんたちの臭いがする。


70歳6ヶ月と0日(令和4年3月13日)

 かつてタレントスクールの演技指導に携わっていた頃、多くが “タレントの卵病” に罹っていた。

 “タレントの卵病” とは拙者が考えた造語だが、彼らの多くは誰と競争するかを見間違えていた。経験の浅い彼らが競争すべきは、常に今の自分であるにも拘らず、常に他との差に一喜一憂し、その差に押し潰されて自分にしかない才能を見失い、辞めてしまう人が多かった。

 一方、寄らば大樹の作戦で生き残り、金魚の糞に徹して世渡り旨く生き延びている卵たちも居たが、結局はタレントとしては大成しなかった。


 ロシアのお偉い人たちを見て “タレントの卵病” を思い出して冷笑してしまった。そういう金魚の糞が大樹に寄ると、自分がない分、真人間にとっては実に迷惑この上ない同調圧力集団の僕として洗脳情報をライフスタイルに出来る人種になる。


70歳6ヶ月と1日(令和4年3月14日)

 隣国からの攻撃は絵空事ではない。そこに迫っていると分かっていながら目を瞑る日本。それは憲法前文のまやかしに洗脳されているからだ。

 現実を見れば、決意に関しては急ぎウクライナに学ばなければならない事態に来ているが、日本の長は平和ボケで “他人事” だ、“助けてやる立場” だと偽善を取り繕っている。永田町にミサイルが一発飛んで来たら、きっと “遺憾だ” と竹槍で空を突く程度の事しか出来ずに思考停止状態になるのが関の山だろう。

 FAO(国連食糧農業機関)によれば、日本の森林率は68,5%だそうだ。他国が侵略して来た場合、ウクライナのように地続きの隣国に避難するというようなわけにはいかない。海に囲まれた日本は山に避難するしかない。


 田舎は利益を生まない税金喰いの山林を持て余している。生き残りたければ、その山林に集落ごとに自主防衛と攻撃の備えをすることが必須であろう。九条信者だけには “敵との話し合い” のために町に残って矢面に立ってもらえばいい。それによって命を落とす事になっても本望であろう。

 “戦争をしてはならない” とお題目を唱える戦争反対論者は、ウクライナのような事態に陥った場合、無抵抗を奨励している。戦争を起こさなくても、仕掛けられたら “戦争をしてはならない” という論理は、“死ね” ということになる。戦争をしてはならないのではなく、戦争を仕掛けられないように備えろというなら理解出来るが、戦争反対論者はきっとその時が来たら無抵抗で死を待つのだろう。止めやしないが、他人をそのバカ論理に巻き込まないで貰いたい。

 それにしても、九条信者はおとなしい。どこに逃避したのだ。


70歳6ヶ月と2日(令和4年3月15日)

 夢見る泥縄国ニッポン!

 ウクライナの惨状に、知識人とか有識者と呼ばれる役立たずの爺様どもが、今更ながらに自給自足を叫び出した。日本はずっと以前から自給自足の復活も怪しくなって、只管海外依存に喘いで便乗値上げの花盛りである(大笑)

 泥棒が入ったら誰でも縄が必要だと分かる。但し、警察に突き出そうと考える平和主義者ならばの話。老いた拙者はその余裕がないので、必死になって “あの世” に突き出してしまうかもしれない。知識人や有識者なら、必要のない平常時にこそ万一の備えに付いて訴える裁量があるはずである・・・ないからこうなってしまった。

 今、日本のバカメディアが知識人とか有識者と持ち上げている連中を信用してはならない。やつらは局犬。俄か印のお騒がせ人員でしかない。我々が自分で考え、自分で確かめ、自分で決断することを止めさせ、マスコミ孑孑を増産することに心血を注ぐ偽善者でしかない。

 「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」という著者の知識人論から言えば、日本は本来あるべき姿の知識人が実に稀少な国であろう。

 真夜中にひとり、鏡で顔を覗き見入った時、自分はどんな反応を示すかで過去の自分に対する憎悪が見れると言う。願わくば鏡に写った自分の顔には “愛しい感情” が生まれて欲しい。知識を己の出世のためにしか使えない輩が彼岸に渡る時、気付いて青褪めることがあるという。人生は金輪際に答が出る。

 戦争終結前に暗殺される一国の主の姿がちらついてしょうがない(合掌)


70歳6ヶ月と3日(令和4年3月16日)

 「既に支援が行われている住民税非課税世帯などを除く年金生活者」らにコロナ対策という名目の給付金5000円だそうだ。選挙が近づくと政府は恒例の “抹香臭い” 大風呂敷を広げる。今回は大風呂敷とまでは行かない渋めの “お車代” 程度だが、連立内閣の浅ましさは軽蔑風味のおかしさがある。

 さて、犬に愛の鞭を加えようとした時の “あの目ぱちくり顔” は多くの方々がご記憶だろう。拙者だけだと思うが、お利口を装う犬に上機嫌の飼い主はバカに思える。習性を理解してきちんと躾けるには、日本の“要請” 病の風潮は合わない。

 共産圏の長は、征服欲のために都合の悪い存在は軒並みに抹殺出来るようだが、今、己の暴走により、その身の恐怖に戦いて眠れぬ日々を過ごし、全てを猜疑し、凶暴さに輪を掛けてこの世の地獄を味わっている長がいる。怖れの原因は己で作った。

 加害者と被害者の心の痛みの差はそこにあろう。被害者は強くなるが、加害者は弱く卑しい一生を送ることになる。寧ろ、殺害した相手に対して羨ましささえ覚える領域に追い詰められるだろう。

 拙者はかつてクソオタの被害に遭い究極の苦しみを味わった。しかし、反撃に出てからクソヲタが追い詰められていくのを目の当たりにし、この上ない快感を覚え、その策を永遠に持続させることにした。“加害者の苦しみ” は被害者にとって蜜の味である。

 あの長は今、鉄槌を予期した犬のような心境であろう。あの長と同じ名の人やペットが “ラスられている” のを妄想すると実に気の毒ではあるが、被害者の与り知らぬことである。

 弱い犬ほどよく吠えるというが、今の日本政府の口だけ首脳陣には絶対に出来ないであろう東欧三国首脳陣の勇気あるキエフ訪問! ウクライナの加盟に引け腰だったNATO加盟国は帳尻合わせで生贄を訪問させるパフォーマンスで骨のあるところを見せるしかなかったのだろう。

 それにしても、ちまちまとした経済制裁で罪のないロシア国民を追い詰めて不満を煽るのは結構なことだが、その間にウクライナの人々の犠牲が刻々と増えている。狂人は死ぬまで狂人だというのにお行儀のよい制裁は “努力アピール” の偽善にしか見えないが、ゆっくり真綿で閉める手法は狂人を追い詰めるには効果絶大であろう。


70歳6ヶ月と6日(令和4年3月19日)

 昨今の状況下、頭ごなしにウクライナは全て正しいと思い込んでいたが、ゼレンスキー大統領の日本の戦時に於ける歴史認識はいただけない。世界に問い質す好機でもあるが政府にその裁量があるはずもない。

 氏の米連邦議会向けのビデオ演説によれば、ロシアの残虐行為を真珠湾攻撃と同等に見る歴史観を述べたという。産經抄では氏の “無知と偏見” であると断じていたが、その “無知と偏見” を世界に正す千載一遇のチャンスでもある。

 被害者を盲目的に支援救済するのは必ずしも相応しくない。そうした傲りと偽善と油断は、後日大きな誤解を生む。海千山千の “諸国民” に強請り集りの食い物にされる。だから、目から鱗の記事であった。

 偽善で票取りに励む国会の風見鶏センセどもに、5000円給付するから勇気を持ってゼレンスキー大統領の歴史観を問い質す者はいないか聞いてみればいい(笑)


70歳6ヶ月と7日(令和4年3月20日)

 こんな国で命長らえて、何の益があろう・・・遠い昔の期待外れのグリコのおまけを思い出す。理不尽の一日一日がいとおかし。

 “要請” と “遺憾” のファンタジーの国は、国債を乱発する国民のスネカジリ。国の行く末など高が知れている。そんなファンタジー国でも毎年桜が咲く。

 今頃、日ウクライナ「桜2500キャンペーン」の桜はどうしているだろう。 しかし隣国はもっと理不尽だ。最悪の事態とは、ロシアが世界の嫌われ国になることより、ロシア人が世界の嫌われ者になることだ。“プーチン” という響きに対する嫌悪が世界に広がっている。ルジニキ・スタジアムで「ロシア! ロシア! ロシア!」と連呼した国民が、己に覚めて青褪める日も近いだろう。


70歳6ヶ月と9日(令和4年3月22日)

 責任逃れの緊急避難姿勢である “引け腰” 人を考えてみた。

 古き良き日本は確かにあったはずだ・・・しかし、その歴史を継ぐ者が皆我欲まみれでは “古き良き時代” など絵に描いた餅であり、覆水盆に返らぬ現実を受け入れなければならない。

 この世は160万円の高級ジャケットを着れるひとりの時代錯誤の殺人狂のために核戦争が秒読みになっている。恐らく核のスイッチが押され、それは世界に伝播して第三次(大惨事)世界大戦に発展するだろう。“引け腰” だった国々は大後悔し、無責任だった国は被害者面をするだろう。

 その時になって初めて、何をしておくべきだったかに気が付く。丁度、生死を問われる重い病になってやっと我欲の愚に気付くように、運良く生死から生還した者は己の使命に思い至る可能性もあるが、神の断罪の前で風前の灯となり、殆どが臨終に際し大後悔のまま彼岸に渡る。

 被害は加害者によるものだけではない。“引け腰” の人間の存在が互いに被害を大きくしている。いじめが無くならないのは皆 “引け腰” で利己的に生きているからであり、被害者は一瞬で加害者になり得る世の中だ。被害者だけが加害者に対して正面を向かなければならない偽善者だらけの時代なのだ。

 引け腰時代は誰もが洗脳されやすい状況になっている。後悔したくなけれなば、聞く耳半分で空気など読まない生き方が正解なのだ。“引け腰” どもは、死を覚悟して抵抗する者には怯む小心愚劣な存在なのだ。


70歳6ヶ月と11日(令和4年3月24日)

 ロシアのウクライナ侵略でやっと日本の票取り風見鶏どものケツに火が点いたようだ。火が点いたと言っても来る参院選挙までの風前の灯であろうが・・・

 北方四島、樺太、尖閣諸島が実効支配されても、九条の大義名分で偽善のへっぴり腰は、流石ファンタジー国日本の慣れた遺憾風景である。自衛隊には国防どころか自治体がやるべき復旧までさせて公僕を甘やかしている。限界集落とは公僕の頭の中と同じだ。自力で現状打破をする術を失い思考停止している。

 ウクライナは死体臭と火薬臭に塗れた中で軍隊のみならず国民が武器を手に国を守ろうとして立ち上がっている。だらけ切った日本には絶対に出来ないことであろう。WHOをはじめ世界の平和ボケシステムに一石を投じた点ではロシアの功績といえよう。


 往年の人気アイドル歌手にキャンディーズというグループがあった。そのヒット曲のひとつ「微笑みがえし」を思い出した。裸の王様の “非友好国返し” は何とも泣ける。ロシアでは意にそぐわない側近の粛清が行われているそうだ。共産圏は何処も同じだ。側近に使命されて出世したはいいが、その時から粛清の恐怖が始まることになる。しかし、最も粛清の恐怖にあるのは誰かは言うまでもなく己自身であろう。

 血気盛んな若かりし喧嘩の時代を思い起こせば、この場合、側近殺害専門の傭兵を雇って、冷徹に “粛清返し” をするのが最も効果的であろうが、頭にはその恐怖が己に迫る様をゆっくり味わってもらう時期でもある。


70歳6ヶ月と12日(令和4年3月25日)

 時折、“大山鳴動鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)”という諺が取り沙汰されるが、安倍・岸田内閣も大山騒動の詐欺に見事に引っ掛かって来た。

 ロシアの実効支配をめぐる樺太と北方四島返還交渉に於いて、夢見る夢子ちゃんのファンタジー国日本は、平和条約締結という人参を前に経済協力というロシアの手玉に取られた歴史を繰り返して来た。何の事はない、ロシアは実効支配した領土を返す気など1mmもなかったことがウクライナ侵略の暴挙で歴然とし、領土交渉が如何に無意味だったかを露呈した。

 その間、プーチン側近のラブロフはロシア人の愛人とふたり人目を忍んでぬくぬくと原宿の青山ハウスで贅沢三昧の逢瀬を重ねていたわけだ(大笑)

 “大山鳴動鼠一匹” とは、事前の騒ぎばかりが大きくて、実際の結果が小さい例えだが、ロシアとの交渉は大きなマイナスばかりの結果だったわけで、相応しい喩えでもなかろう。ウクライナ問題が解決したところで日本の対ロシア領土問題が解決するわけではない。解決のためにはロシア崩壊しかないのだ。それは酷な話だと思う諸氏は随分と犠牲的精神に長けた方だ。但し、その犠牲の中に自分が存在して居ればの話だが・・・


70歳6ヶ月と13日(令和4年3月26日)

 「防衛に努めぬ国と共に戦う国はない」・・・ “防衛に努めぬ国” 、正にそれは日本だ。

 憲法前文 “平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して” がそれを物語っている。今のロシアをどう信頼出来よう。諸国民の公正と信義を信頼している間に、日本はすっかり近隣国のATMに成り下がった。諸国民の公正と信義を信じている間に自国が亡びようとしている。

 太平洋戦争敗戦記念になると多くの戦争経験者が “二度と戦争を起こしてはならない” と叫ぶ。分かり切っていることである。それにも拘らず、戦争を起こさないためのテクニックを語らない。語る能力がない。いい加減、現実を直視して戦争を仕掛けられない国になるしかない。

 ウクライナはロシアの “公正と信義を信頼して” 今の結果がある。ゼレンスキー氏が仰るように、NATOに加盟していれば戦争を仕掛けられることもなかった可能性がある。

 日本にとってどうかを考えれば、現実が見易い。判官贔屓でどちらが正しいかとなれば情に流されて現実を見誤る。ゼレンスキー氏は日本という国を相当誤認している。いくら追い詰められている国に対しても、違うことは違うと否定することは絶対に必要である。


70歳6ヶ月と14日(令和4年3月27日)

 「任務達成」と世界に発信せざるを得ない金魚のウンコたち。日本の政界にもこういうのがうじゃうじゃいる。ロシアのオッケーマンは、そうしなければ粛慎の憂き目に遭うしかないのだろう。その醜態は見応えがある。子どもたちに見せるべき人生教育の課題である。

 あのフィギアスケート界の覇者であり、フィギアスケートのアスリートの誰もが尊敬しているであろうプルシェンコ氏に至っても、ウクライナの抵抗や世界からの経済制裁を「ジェノサイドをやめろ! ファシズムをやめろ!」などと夫妻揃って強硬な姿勢だ。それに対して世界がどう反応しているかは言わずもがなであるが、積み重ねた尊敬と信頼を一気に失った憐れな結末となった。プルシェンコ夫妻が御国を思えばこその暴言は理解出来ないわけではないが、絶対に受け入れるわけにはいかない。何を考えようと自由だが、世界に汚物を発信するのはみっともない。

 さて、ロシア依存のカニやウニ、明太子の類が値上げだそうだ。拙者が食さないものばかりだ。カニが美味しいとは思わないし、ウニはプリン体が多く痛風になる危険性が高い。明太子はプリン体と塩分が高い。老体にはハードな食材なのだ。防衛は食から始めんと・・・(笑)


70歳6ヶ月と15日(令和4年3月28日)

 岸田首相はゼレンスキー大統領との電話会談で「日本はウクライナとともにある」と伝えたそうだが、軽薄なリップサービスもいいところだ。他人の痛みが分からない日本がウクライナと共にあるわけがない。

 かつて石原慎太郎氏が都知事の折、東日本大震災に際して「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して春の花見は自粛すべきだと進言したところ、国民から大批判を浴びている。この“国民”とはいったい何者なんだろうと思ったものだ。岸田首相は何を根拠に「日本はウクライナとともにある」などと言ったのか・・・結局、氏が理想とする絵に描いた綺麗事であり、軽薄なリップサービス以外の何ものでもない。

 ウクライナ危機に小池の婆さんはだんまりを決め、都民もどこ吹く風の体で、東京は上野公園、目黒川、井の頭公園の花見で大賑わいだし、孑孑どもは選挙を前に票集めで必死だ。少なくとも東京ではウクライナと共にある気配はない。


70歳6ヶ月と16日(令和4年3月29日)

 何処にも限度を知らないコメディアンはいる。日本でもお笑いタレントの劣化は目に余る。

 暴力を無条件で否としたり、報復(自救行為)を否定する風潮も生き難い。 コメディアン司会のクリス・ロックが公の場で、脱毛症に悩まされていたウィル・スミスの妻・ジェイダをネタに「わたしは、GIジェーン2はそれを見るのが待ちきれない」と揶揄してびんたを喰らったことが話題になっている。『GIジェーン』とは1997年の女優デミ・ムーア製作・主演映画の劇中でデミ・ムーアが地毛を短く刈り上げ、女性上院議員の政治的策謀から、海軍特殊部隊の特訓に挑む女性将校の姿を描いた映画だ。

 ウィル・スミスの妻は脱毛症を告白している。そうした身体的問題ネタで受けを狙って “大外し” したクリス・ロックは無神経なバカとしか言いようがない。主演男優賞を獲得したウィル・スミスが受賞の場でびんたに至ったことを「アカデミーに謝罪したい。仲間の候補者全員に謝りたいと思います。アカデミー賞が、私をまた招待してくれることを願っています」と述べ、その後、罵倒したクリス・ロックに公の場で謝罪したことは断腸の思いだったろうと思う。バカコメディアンのクリス・ロックも自分の傲りと無神経さに目が覚めたろう。いや、バカは冷めないか(笑)

 何よりもバカらしいのは、ウイルスミスの暴力を否定する風潮である。現況のウクライナ情勢でロシアに反撃するなと言っているようなものだ。拙者ならびんた程度では手ぬるいと思っている。自分のことならいざ知らず、妻の病気をネタにされたら激しい殺意に常軌を逸するかもしれない。ウイル・スミスは誠に冷静としか言いようがない。闘病中の本人と家族の痛みが分からない人間は、いざ当事者になった瞬間に地獄に落ちる地雷を踏んでしまったことに気付くべきだ。


70歳6ヶ月と17日(令和4年3月30日)

 かつて、某戦争の時、敵戦犯の手配写真を載せたトランプカードが軍隊に配られたことがあった。今回はタイムリーなゲームソフトが出来そうだ。

 この妄想のソフトは、殺戮の限りを尽している侵略の首謀者を早急に地獄に落とすゲームだ。服従の上に平和など有り得ない。そこには反乱とテロが育つだけだ。側近を一人づつ消し、最後にババ抜きの如く戦争首謀者を残し、孤独に追い込んで狂い死にさせれば、最も課金が高くなるというゲームだ。戦争首謀者に残された選択肢は、潔く自決するか、狂い死にするか、いずれにしても死一択のみ。

 戦いの途中、戦争の首謀者に勇退の道を提供すべきだと主張する平和ボケ国があり、その国は武器を持って立ち上がる国防の意気込みなどなく、あっという間に侵略されて泣きを見るオプションもある。単なる無思慮な依存型鈍感国の主張に惑わされず、平和を守る勇者たちは、血だらけで敵からの侵略を撥ね退けてゲームクリア。

 ゲームソフト名、絶賛募集中!(笑)


70歳6ヶ月と19日(令和4年4月1日)

 4月1日といえばエイプリルフールで嘘を突いても許される日だったが、今は官民問わず毎日がエイプリルフールで、“騙されたもの損” という風潮になっているスリリングな世の中だ。

 拙者の区では「モデルナ社ワクチンを使用する一部の会場では、予約不要で(3回目)接種を受けられます」とモデルナ社大安売りである。一方で “障害ある11歳以上の方、5~11歳の方” はファイザー社を使用している。毎回、接種には “偶然”、給付と選挙がおまけで付いて来る。そして今回、茂木敏充幹事長センセの5000円給付案で下手こいた。公明党関係者が『 5000円だけとは、うちをばかにしているのか 』と憤ったそうだが、的外れで50歩100歩の恥ずかしい政策に変わりはない。内容の狭い、ともすると冷めるお笑いより余程冷笑出来る。

 さて、ウクライナの現実に、敗戦国日本に深刻な影を落としている戦後GHQの墓穴が浮き彫りになった。拙者がよくファンタジー国と表現する日本国家が “諸国民の公正と信義” 信仰で今まで似非平和で来れたのは奇跡に近い。しかしこの先、国債のまやかしでATM国家に成り下がってまで体裁を保って来た日本の奇跡は間違いなく続かないだろう。問題はそれでも目覚めない輩がこのファンタジー国の中枢に蔓延していることだ。

 ウクライナは “公正と信義” であるはずの隣国から残虐な攻撃を受け、惨状の中で国民が護国に立ち上がっている。平和ボケにまったり依存している日本国民には絶対に無理だ。日本国民には彼岸に渡るカウントダウンに入っている現実に危機感もない。“普通の決断” が出来ずにお互いの怠慢に因る醜態の膿を舐め合っている。日本で普通の決断の出来ない役立たずを整理したら、残る議員は一桁か…このまま泥縄の票取り虫の長どもの醜態を見せ付けられるのは敵わない。かと言って、指示待ちで無責任な役立たずの平和ボケらと肩を並べる気は毛頭ない。

 現実を見ようとしない怠慢傲慢さは、どこぞの国の自己中で残虐な裸の王様とそれを取り巻くジジイどもと何ら変わりない。この現実は冥途の土産にもならない話。


70歳6ヶ月と20日(令和4年4月2日)

 “ミイラ取りがミイラになる” 洗脳。氷上の皇帝とまでリスペクトされたプルシェンコ氏が未だ連日のように制裁や戦争反対を唱える他国選手に対する批判を続けているという。

 虐待の負の螺旋を想起した。躾とか正義の大義のもとに執行される虐待は、社会のあらゆるところに蔓延っている。平和を “装い” たければそうした理不尽な行為を無視するか絶えるしかない。すると加害行為をしている側は図に乗り、その悪質なストレス発散が常態化し、エスカレートし、その矛先は自分より弱いと思う(加害者が勝手に思う)対象に向かって更に広がって行く。

 氏による他者への批判は正義の大義に基く自己防衛であろう。しかし、一度他者への批判が口火を切るともう自分で止めることが出来なくなる。プーチン老人の行為は実はそれと同じ行為であり、“ソ連崩壊”以来の被害妄想の恐怖が伴っている分、残虐になって覆水盆に返らぬ精神状態になっている。

 己の矛盾した行為の正当化のためには、更なる理不尽な洗脳が必須になる。自分が原因を作った加害者にも拘らず、相手が防衛行為を取ると、それを攻撃と捉える蚤の心臓となる。そういう族の生存は被害者を生むだけであり、彼らを裁けるのは法ではなく力しかなくなる。特に日本の法律の場合、自救行為は認められていないので “やられ損” となる。そして周囲の人間はその残虐な様をただ静観している冷酷な存在にならざるを得ない。いじめ行為を咎めると、咎めたものもいじめの対象になるうんざりな世の中である。

 今や “報復(自救のための行為)” は、殺られる前に殺るための “必要悪” である。


70歳6ヶ月と22日(令和4年4月4日)

 戦争の悲惨さを後世に伝える “語り部” がうざい。最も焦点としなければならない戦争を回避する術は黙して語らない。力には力で対抗するしかないことは、今回のウクライナを見れば誰にでも分かる。そこを素通りして戦争の悲惨さのみに病的なまでに執着して語り続けている。いい加減、気が付かないのか・・・その先には無抵抗の死のみが待っていることを。やつらは敵の愚を嘆いてただ死ねというのか・・・彼らのやっていることは事実上、敵の “騙り部” でしかない。

 自分や家族が性的暴行を受けて焼かれる死体になるのを防ぎたければ、憲法前文のまやかしや9条信仰から早く目を覚ますことだ・・・いや、もう遅いか(笑)


70歳6ヶ月と23日(令和4年4月5日)

 ロシアには『釣りの話をするときは両手を縛れ』という諺があるそうだ。ロシアの釣り人は両手を広げて示す魚のサイズがどんどん大きくなってしまうからだそうだが、日本の歴代の総理を初めとするセンセ方はその魚の大きさを信じて騙され続けてきた。

 ロシア人が平気で嘘を吐いたり、決して謝らないのは自己保身のためだという。それは密告や投獄が日常茶飯事の「正直者が馬鹿を見る」共産主義社会で生き残るための止むを得ない知恵でもあるそうだ。しかし、日本人の中にもそうした族はかなりいる。生まれ育った家庭がまるで共産圏と同じだったのかもしれない。

 かつてKGB(ソ連国家保安委員会)でご活躍のプーチン氏は、偽情報工作や根深い嘘の文化を発信するお家芸にどっぷり浸かってお育ちになられた御方である。ところが今、吐いたその嘘の仕掛けが次から次とばれている。『嘘吐きはロシア人の始まり』とまで揶揄されるようになって久しい。お気の毒なのは、正直でバカを見ている潔白なロシア人の方々であるが、それ以上に悲惨なのはロシアの攻撃で大量に惨死しているウクライナ人である。そればかりではない。当のロシア人も戦死者が急増しているのだ。いつまでも洗脳に甘んじている場合でもなかろう。

 現地では明日が見えなくなった露軍の一兵卒の焦燥感が恐怖に襲われた集団心理となり、徒党を組んで現地の住民に対して残虐な暴走行為を繰り広げているようだ。護憲の平和主義者はあと何万人の命の犠牲を必要とするのだろう。敵に命の危険に曝されている人々がいる中で、法律全書を紐解いて御託を並べている隣国の長は実に落ち着いていらっしゃる。恐らく自宅が火事になっても消火より火災の原因について調査するのを先回しにするだろう。

  “語り部” が戦争の悲惨さを伝えるのは、戦争を起こす狂人ではなく、 “戦争による被害者” になり得る人々が対象であろう。戦争を起こす狂人にいくら戦争反対を唱えたところで、永久に解決には至らない。最も重要なことは、戦争を仕掛けられても対応出来る力を持つしかないということは今般のウクライナの惨状を鑑みても明白だ。“力” とは武力だけではない。ウクライナはITを駆使して敵の攻撃に対処し効果を上げているそうだ。

 日常生活では護身術を身に付けるのは当前視されているが、こと戦争の防衛に関しては正義の戦争体験者であるはずの “語り部” すらスルーしている。8月の敗戦記念日が来る度にあの偽善に包まれた空気にはうんざりする。

 ところで、我らがヒーローの9条信者はロシアとの話し合いにはいつ行くんだろう? あれだけ憲法9条が平和維持に有効と喧伝しているわけだから、証明するには今が絶好のタイミングのはずだ。日々、9条信者からの朗報を楽しみにしている昨今である。


70歳6ヶ月と23日(令和4年4月5日追記)

 ロシアの『特別な軍事行動の開始』の大義(事実上の侵略)は宣戦布告なき戦争といわれている。

 そこで、ウクライナがロシアに “逆宣戦布告” をする可能性を考えてみた。今のところ、陸海空ともロシアの軍備は圧倒的だ。『特別な軍事行動の開始』当初は数日でロシアがウクライナを陥落するだろうといわれていた。しかし、そうはならなかった。

 原因は多くの国のロシアへの経済制裁と武器供与。プーチンはウクライナ国民はロシア兵を歓待してくれると嘘を突いては派兵した。ところがウクライナ国民が一斉に対ロシアで護国に立ち上がって必死の抵抗に出て来た。ロシア兵は面喰った。国家の言うことと現場は真逆なことに驚き、隊の士気は迷走した。『特別な軍事行動の開始』の大義はウクライナ国民を守ることにあったはずだ。しかし、いざ現地に入ると、守ろうとしたウクライナ国民の思わぬ抵抗に遭ったロシア兵はやっとプーチンの嘘に気付いた。ロシア兵の使命感はそこで打ち砕かれた。

 拙者がロシアの一兵卒ならどうするのか妄想して見た・・・ウクライナ人が反撃して来る以上、防衛のために攻撃するしかない。しかし、ウクライナが攻撃に出て来るとは聞いていなかった。指揮に対する信頼がぶれる。ウクライナを攻撃することには違和感を覚える。しかし他の一兵卒らが逆襲の恐怖とそれに対する報復心で常軌を失い始めて悪さをし出した。無抵抗に怯えるウクライナの女性をレイプする者まで出た。虫の好かないウクライナ人を平気で撃ち殺すのが当たり前になった。拙者も、これは戦争だからそれも仕方がないと思うようになった。助けを乞うて拙者に縋り付いて来る老婆がいた。その老婆を仲間が撃ち殺した。「油断するな」と拙者を助けた気でいる。

 “どうせ帰れない” と思い、拙者も異常な空気に染まることにしたら次第に心が解き放たれたように楽になった。同時に、隊の仲間が犠牲になっても何も感じなくなった。自分さえ助かればラッキーだ。ここで起こっていることは全部命令を下している国の長の所為だ。ここで何が起きようと拙者個人の知ったことではない。生き残るためにはどんな裏切りでもする。だが、一番怖いのはウクライナが宣戦布告することだ。拙者に護国の精神など疾うにない。ウクライナが本気で反撃して来たら生きている保証はない・・・そう思う一兵卒の自分が出来上がった(冷汗)


70歳6ヶ月と25日(令和4年4月7日)

 復習してみた・・・

 日本は第一次世界大戦後の国際平和を維持する目的で発足した国際連盟の常任理事国だったが、満洲国建国が引き金となって日本以外の全加盟国は満洲国を否認。昭和8(1933)年3月8日に日本は国際連盟脱退を決め、同年27日に正式に脱退した。

 国際連盟は、終戦後の1945年の10月24日に現在の「国際連合」へと継承された。敗戦国日本は国際社会復帰のために改めて国際連合加盟を目指したが、最後まで反対したのはソ連だった。昭和31年10月に日ソ共同宣言が調印されたことで、同年12月、日本の国際連合加盟が認められ、再び国際社会への本格復帰を果たした。

 今般、ウクライナの「NATO」入りの意向にプーチンが “切れた” のは、NATO発足がソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む目的だったからだ。何しろ東ドイツはプーチンの青春時代(KGB)の輝ける5年間の諜報活動の古巣だ。

 さて、夫のDVに似てはいまいか・・・妻と子を自分の “所有物” と考え、絶対服従を是とする夫は、妻と子の自発的考えを悉く拒絶する。プーチンはウクライナの自立を残虐なまでに阻止しようとしている現状は、傲慢夫のDVが世界規模で行われているのと変わりない。その考え方は永久に変わらない。プーチンにとってはウクライナは今もなお “ウクライナ・ソビエト社会主義共和国” なのだろう。


70歳6ヶ月と28日(令和4年4月10日)

 酒浸りの国といわれている所以なのか・・・ひとりの狂人の所為で一気に地に堕ちた国のことをずっと『平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して』来たわけだが、どうやら何れ複数の隣国からの侵略によるウクライナのブチャやボロジャンカが明日の日本の姿らしい・・・日本はウクライナのように隣国への逃げ道はない侵略待ちスパイ天国。平和ボケもここまで来るとプーチン以上の狂人だ。


70歳6ヶ月と29日(令和4年4月11日)

 ロシアの第37独立親衛自動車化狙撃旅団の兵士が自軍の旅団長を戦車で轢いて重傷を負わせたという “あっぱれ” なニュース。4月5日付けの拙者が成り得る一兵卒の反乱がおこった。

 ロシア兵の逃亡も相次いだため、逃亡兵や投降兵らを射殺するロシア軍「督戦隊」が投入されたそうだ。自軍に命を狙われる逃亡兵はウクライナ軍の標的でもある。万に一つも助かる術はないだろう。運よく生き延びて地下に潜り、ロシア軍に対するテロ組織に育つことを祈る。

 この侵略戦争は、前身がKGBのFSB(ロシア連邦保安庁)配下の特殊部隊が中心になって蠢いている。内部文書では「中国が今秋に台湾侵攻を検討していたが、ロシアのウクライナ侵攻によってその機会は失われた」とする内容が露呈されたという。プーチンを勇み足に駆り立てたのは誰だったのか・・・

 さて、偽善で平和を叫んでばかりいる連中は、その地獄絵図が間もなく自分の足下に及んで来ることを覚悟しなければならない。疾うに試合開始のゴングがなったのに気付かずに票集めに必死こいているのは何処のバカどもだ?


 この世はやはり「力」だ。

 『アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む』という目的で結成された多国間軍事同盟NATOがなぜロシアの残虐な侵略に腰が引けているのかの象徴的な出来事があった。フランスのマクロン大統領は「あなたは性的少数者(LGBT)を禁じる極右の反ユダヤ主義者だ」とポーランドのモラウィエツキ首相をなじると「マクロン大統領、あなたは何を成し遂げたのか。犯罪者とは話し合いより、戦うべきだ。あなたはヒトラーやスターリンとも話すのか」と反論した。この非常時の一国の長同士のあられもない口喧嘩の根源はマクロン氏の大統領再選。日本でも近々参院選挙がある。保身のためなら候補者は “何でも” する愚狂人と化す。

 選挙は短期間で愚狂人候補者の足掻きを鑑賞するショーだ。投票は国民の義務だ何だと国民を巻き込んで空騒ぎする政府関係者の一大税喰いイベント。日本に於ける選挙の餌は今回もワクチン接種と給付金のバラ撒き(5000円案は失敗)。いい加減冷める。一票は二票の迷惑。軽率に拘ると後悔する。選挙は若者に任せて、老人は冷ややかに高みの見物をするのが丁度いい。若者にしても金欠ゆえに甘言詐欺に引っ掛かり、手痛い授業料を払わされている甘ちゃんもいるが・・・


70歳6ヶ月と30日(令和4年4月12日)

 かつて拙者に誹謗中傷の限りを尽くしていた特撮ヲタを思い出して思わず噴き出した。

 そのクソヲタは悪足掻きの末に自爆した。蓋を開けてみると、悪事は拙者に対してだけではなかった。結局多数の関係各位への悪事がバレた。傲慢の矛先を拙者にも向けたのが運の付だったのだ。拙者は人生に於いて “合法的報復” を旨とし、それをエネルギーに今まで向上心と安全を得て生きて来た。

 クソヲタの被害者の方々は世間的空気を読み、聖人の如く誹謗中傷にじっと耐えておられたが、空気を読まない生き方をしている拙者は徹底的にクソヲタの悪事を “合法的” に晒し続けた。結果、クソヲタの悪事は全て陽の目を見ることになり、暴露の輪が広がり、クソヲタは行く先々で匿名の正体を見破られていった。クソヲタが弁護士に相談したという “吉報” が入って来た。弁護士は嘘を取り繕う依頼者は救えない。クソヲタは弁護士に己の悪事を全て話すしか身を守る術はない。さてどうするか・・・クソヲタは弁護士に真実は話せず撃沈。期待外れだったが、取り敢えずは害虫駆除成功のけじめを付けたことで故郷の戦友と共に傾けた美酒が腸に沁みた。しかし、そのクソヲタへの合法的報復は今も戦友と共に続けている。持って生まれた人間の本質はは変わらないことを、うんざりするほど見て来た。もはやこちらも習慣となったレクリエーションである。

 そのクソヲタが主張することは “自分が被害者” であることだった。自分が “一方的に攻撃” したことを全く棚に上げて、防衛のための “反撃を攻撃と恐れる” とんだ屁垂れ野郎だった。全ての間違いの始まりは、被害者である善良な特撮関係者が空気を読んでクソオタの執拗な誹謗中傷に目を瞑り耐えていたがために、そのことを “勝利” と勘違いさせた事だ。今や、悪評を恐れて偽善に満ちた今のクソヲタの豹変ぶりが笑えるが、悪癖が再発すれば今度こそ息の根を止めようとする者が現れることは間違いない。それだけ皆に恨まれているという事だ。人の恨みが消えることはない。拙者はその行為を黙視すれど止めるつもりなど毛頭ない。

 さて、ロシアの一方的な悪行は、もっと大々的に世界に晒すしかないだろう。それでも己の悪癖に気付かなければ総攻撃で国を潰すしかないのだが、そんな勇者はこの世にはおらんだろう。狂人の被害妄想と詭弁程、大迷惑なものはない。身近から切って捨てるしかない。


70歳7ヶ月と0日(令和4年4月13日)

 記事では、ソ連時代の国家保安委員会(KGB)の治安部門を引き継いだ機関である『連邦保安局(FSB)』所属の情報員約150人を追放とある。

 プーチンの手法はKGB時代のままだ。この自爆が加速すれば追放組が反戦派と手を組んで反旗を翻すことは歴史で繰り返されて来た。そうなればNATOの思う壺だろう。

 『母の会』再び・・・プーチンの娘たちが助かる道は一つ。反戦の旗頭になるしかないが、プーチンの顔を立てる勝利の結末を叫ぶ知識人やタレント連中も居る。狂人の顔を立てる・・・金魚のウンコぶりは金メダル級だ。結局、プーチンはヒトラーと同じ最期を想起させる歴史的大スターとなった(合掌)


70歳7ヶ月と1日(令和4年4月14日)

 世界教会協議会(WCC)がロシア正教会を除名の可能性!

 英国国教会(聖公会)の前カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズが『ウクライナであなたの群れが、あなたの群れの他のメンバーによって殺されているのです。自分の群れの殺害を非難するのはあなたの責任であり、あなたはイエス・キリストに対して彼らの責任を負っているのです』と仰ったそうだ。要するに“天に唾する愚か者”と諌めたわけである。

 また、米首都ワシントンに拠点を置くディートリッヒ・ボンヘッファー研究所のロブ・シェンク所長は『ロシア軍がウクライナで行っている戦争犯罪を、キリル総主教が助長していることを考えると、WCCは道徳的勇気、倫理的責任、霊的誠実さを持って行動し、ロシア正教会のモスクワ総主教庁を除名しなければならない』と仰ったそうだ。

 というわけで、ロシア正教会のモスクワ総主教キリルの命乞いの詭弁は断罪されそうだ。どこぞの連立内閣の寄生虫と同じ抹香臭い老害臭がする。この国のトップは恐怖のあまり、ついに総主教を脅して神頼みか(笑)


70歳7ヶ月と2日(令和4年4月15日)

“負け惜しみ”という語・・・

 何かにつけて言い訳がましく自分を正当化しようとする人は、中々自分の負けや失敗を認めないで、強情を張る。部不相応の大風呂敷を広げたはいいが、思うままにならず “勝ちたい” という欲求や苦しみだけが膨らみ、そこからの逃避をするために、相手に更に責任を転嫁し、自分の自尊心や体面を守ろうとして、自分が優位に立っていることをアピールするためにまた負け惜しみを言う。そうした負の螺旋に嵌った人間を、一般には “頭のお病気” という。

 負け惜しみの原因は、欲に対する努力実力の及ばない人間の『僻み』だ。“負け惜しみ” の類語には、「漱石枕流(支那古事)」「負け犬の遠吠え」「引かれ者(罪人)の小唄(鼻歌)」などがあるそうだが、いずれにしてもウザい存在である。ソーシャルディスタンス(社会距離拡大戦略)で対処するしかない。


70歳7ヶ月と5日(令和4年4月18日)

 ロシアは核のスイッチを押すしかなくなっている。

 フィンランドとスウェーデンのNATO加盟が第三次世界大戦のきっかけになるだろうし、ロシアが核のスイッチを押した時点でロシア崩壊が秒読みになるだろう。

 ロシア国民が国家の老害長どもの所為で世界から偏見の目で見られている。それは先のドイツ国民の苦しみに匹敵するものになろう。ロシアの長どもの先を見誤った思い込みと風見鶏気質が自滅に向かっている。

 九条信仰の日本の未来はウクライナの現状をリアルに予期させる。しかも、もっともっと最悪の事態を容易く想起させる。日本は自国防衛能力も核も逃げ場もない。どこぞの国からの侵略が始まれば、数日、いや数時間で崩壊する。同盟国からどう哀れみの目を向けられようと日本国民を守るものは何もない。


70歳7ヶ月と8日(令和4年4月21日)

 ロシアのマリウポリ製鉄所に対する兵糧攻めが始まった・・・NATOもロシアに劣らぬ腰の引けた困った老害ジジイどもだらけだ。ウクライナの犠牲者をどれだけ増やせば隣国の痛みを我が痛みと感じられるのだろう。ロシアへの対抗策が無神経過ぎる。いずれ全て己の国に及ぶ事態なのだ。

 NATOが立ち上がれば、今のロシアは短期間で崩壊するだろう。文句を言うのはあの国とあの国ぐらいであろうに、寧ろ暴挙に対する見せしめにする絶好のチャンスだ。いつまでもロシアの暴挙を観ながらただ指を銜えているのは厨房と同じいじめられてる子を庇うと自分がいじめられるという屁垂れの恐怖か・・・

 ロシアは5月のXデーに向けて勝ち誇る大義を模索しているようだが、NATOがロシアを崩壊に追い込み、ロシアの資源を支配するほうが余程合理的だろう。

 もしロシアが核のボタンを押せば、被害は各国甚大になるが、勝負は国の再建にある。ロシアの国の再建にだけは手を貸す国など永久に現れないだろう。狂人の頭にこびり付いた “ソ連再建” の亡霊はロシアという国と共に完全にこの世界から消えさるのみ。世界にとってはそれが最大のメリットである。


70歳7ヶ月と9日(令和4年4月22日)

 “目くじらを立てる” について考察してみた。

 意味は、目をつりあげて人のあらさがしをすることだが、最近は “目くじら” が其処彼処に充満している。

 沖縄で高校生が片目を失明したことで警察がマスコミの “目くじら” の的になっている。これは、スクーターに乗っていた高校生が警察官の制止を振り切って逃亡した結果の顛末。高校生が警察から逃げなければならない理由は何だったのか明らかにすれば済む話である。

 退官する海上自衛隊上司のため200人の部下が人文字で感謝したのが北朝鮮がミサイル発射2時間後ということで “目くじら” を立てられている。業務に支障はなかった。美しい話ではないか・・・

 何様が “目くじら” をお立てになっているのか知らんが、どうでもいいことにまで “目くじら” を立てるほど暇な御方がいる日本は実に平和なんだろう。拙者はそのあたりに “目くじら” が立ちそうだ。しかし、無視道からすれば、取るに足らんどうでもいいことだ。


70歳7ヶ月10日(令和4年4月23日)

 北海道斜里郡斜里町の知床半島西海岸沖のオホーツク海域で遊覧船が消息を絶った。現場周辺の海水温は4~5度。17度以下だと30分~1時間で意識不明。予想生存率2~3時間。17度以上でも24時間程度の生存率。これらは乗船前に認識しておくべきことであろう。運営側に対する “信頼” など何の役にも立たない。最悪の事態に自分が(同行者とともに)助かる確率を考え、命を賭しても乗船するかどうか考えれば答は簡単に出るが、それをスルーした瞬間、今回のように予期せぬ事態が起きた場合、運営側の責任のみが問われ、「二度とこのようなことが起きないよう・・・」なんちゃらと、聞き飽きた反省の弁で結ばれて終るだけだ。

 運営側を “信頼” して乗船した自分が、自ら “自分の命を危険に曝した” という現実を忘れてしまうことのほうが実は怖ろしいのだ。


70歳7ヶ月と11日(令和4年4月24日)

 北海道斜里郡斜里町の知床半島西海岸沖のオホーツク海域で昨日消息を絶った遊覧船「KAZU I(カズ ワン)」は、船内浸水後に沈没した。事故当日、斜里町には強風注意報や波浪注意報が発令されていたため、午後に運行される予定だった他の観光船は皆運行中止となっていた。遊覧船「KAZU I(カズ ワン)」には、子ども2人を含む乗客24人と、船長・甲板員を含む合計26人が乗船。13時18分、船長は乗客の携帯電話を借り遊覧船から「船首が浸水している。エンジンが使えない。救助を頼む」と118番通報したまま消息を絶った。

 地元ウトロ漁港の関係者は、消息を絶った「KAZU1(カズワン)」は昔からやっていて、座礁したことはあるとは聞いているが特に管理が悪いという評判は聞かないというが、過去が無事故だから未来も無事故と言う根拠などどこにもなく、寧ろ “慣れ” の分、これから事故が起こる可能性の方が大きいと拙者は考える。“慣れ(運営側)” とか “信頼(利用者側)” による慣れない土地や秘境での観光は命の危険と隣り合わせであることを再認識した事故である。

 沈没していれば漂流物や油が浮くというが、それも見つかっていないことで漂流の可能性も出ている。知床遊覧船所有「KAZU1(カズワン)19トン」運営会社の公式サイトに船長や代表者の名前がないという。


 拙者は郷里の墓参りなど家族同伴の場合、観光はしない。風光明媚な分、救急車は30分以上来ないし、熊被害が頻発している。春先の空気は温かくとも、川、海の水温はまだ冬並みに低い。川の事故などもそうした地元への無知と油断から起こる。業者だから信用するなどという根拠のない考えは拙者にはない。信用できるのは自分の知識と本能だけだ。


70歳7ヶ月と12日(令和4年4月25日)

 民主国家なのに共産圏のように本音を言えない国になっていく。本音を言って “同調圧力” の暴力にハブかれることを皆が恐れている。幸せじゃない腹癒せを匿名戦隊になって弱者に晴らす大暴れ。政治家も上目線の大ボスと金魚の糞が徒党を組んで保身に励んでいる。

 原因は責任の所在を誤魔化す制度が蔓延っている世の中だからだろう。誰もが責任回避に汗している。責任を取らない生き方こそ自由だとでも言わんばかりだが、責任を取れない生き方をしている人間はまるで透明人間だ。居ても居なくてもいい存在だ。自分の存在価値のない一生など送りたくもない。

 この世は透明人間が大好きらしい。透明人間自身、知らぬ間に騙されることには寛大だが、気が付いた途端に大慌てであられもない悪臭を解き放つ。根底にあるのはコンプレックスと嫉妬だ。透明人間が透明人間に被害を受ける。喜劇である。

 透明人間の世界では、言いたい事を言っても、すぐに失言として言説を訂正すれば、無罪放免。あきれた世の中だ。


70歳7ヶ月と13日(令和4年4月26日)

 コロナ過のお陰で、重要な地位にある役立たずと、実績ゼロの屁理屈野郎が炙り出されるエキサイティングな時代になって来た。

 プーチンの亡霊に支配された “あの” 嘘八略のガルージン駐日ロシア大使に某男性インタビュアーが手を焼いていた。それに引き替え、櫻井よし子氏のインタビューは圧巻だった。

 東京都にも役立たずはちゃんといる。自己宣伝に税金を9億も使い、6年間実績ゼロで役にも立たないカタカナ語録乱発のバア様だ(合掌)


70歳7ヶ月と15日(令和4年4月28日)

 支那の “ゼロコロナ” 政策が “効果ゼロコロナ” 政策になりつつある。

 ワクチン不足の頃、富に任せて支那製のワクチンを接種した一部の日本人にはご愁傷さまでした。今迄、支那が感染を押さえていると嘯いていたのは、ワクチンの効果ではなく、強引な都市封鎖だったようだ。日本も経済活動停止を懸念して “解禁” を目指しているようだが、人が動けばウイルスも動く。かの国と違って効果的なワクチンのお蔭で今があることを感謝しなければならない・・・が、3回目、4回目と選挙の道具にするのはいただけない。3回目が人気のないモデルナ社製とあって今やワクチン効果期限切れの大量放棄処分がなされる寸前にある。知人など3回目のワクチン摂取後にひどい目に遭っている。痛みと高熱で寝込んでしまった、ワクチンの撃ち過ぎによる“感染”ではないのかと思う程だった。


 さて、ゼレンスキー首相のツイッターが話題になっている。タレントをちやほやして天狗にさせた症候群か。歴史認識の誤認は2回目。調子こくのはいいが、“あの国” のように自己都合で誤った歴史認識を世界に喧伝するのはいずれ墓穴を掘ることになる。

 “日本国民” は、天皇を揶揄した者には執拗な遺恨を残す、実は恐ろしい国民なのだ。もし今後、個人にとって不本意なお人が天皇にご即位なさったとしても、“日本国民” の心中に存在する天皇はそれとは区別された存在にある。

 ゼレンスキー首相は無礼なツイッター削除と謝罪によって取り敢えずの遺恨から回避したとは言え、“日本国民” には確実に警戒心を持たれただろう。真相を無視した判官贔屓の平和ボケ国民は別として、国家間の紛争の行方と関係なく、歴史認識誤認の失言はもう認められないだろう。次の失言次第では多くを失う事になるかもしれない。今後の反撃次第では、当のゼレンスキー首相が侵略者の写真の中に入るやもしれないのだ。世界的ジェノサイドの王様がすぐそこにいるではないか。そこはスルーなのか。

 情けない醜態を晒したものである。2度目の歴史認識誤認であり、首の皮一枚繋がっただけに過ぎない。

 しかし天はまだウクライナに味方している。ロシアの大型空母がまさかの撃沈。こういう画像に快感を覚える戦争の憎しみは恐怖からの脱出・・・動物の野生にはない人間だからこその残虐性は次第に “喜び” に変わる。「ウクライナを侵略するつもりはない。対話での解決を望む」というプーチンの嘘に気付き「Я не хочу снова видеть лицо Путина.」と泣き寝入りするしかないロシア国民が増えているようだ。軍隊に行った自分の子と連絡が取れなくなり、実質消息不明となり、戦死を知らされるまで、プーチンを敬愛していた彼らは、やっとウクライナ国民と同じ立場にあることを悟ったろう。プーチンとロシア国民の乖離は広がる一方だ(合掌)


 恐怖が裏返ったプーチンは「(ロシアに干渉する国に対して)我が国への脅威と捉え、直ちに反撃する」との言葉どうりに必ず核のスイッチを押す。核攻撃の矛先第一歩は、最も “穏便” に済むと確信している(甘く見ている)日本に向かう可能性は高いだろう。しかし、第二歩はない。その時がロシア惨劇の時であり、国の崩壊は確実となろう。

 そして日本は、被害の大惨事の最中でも永遠に “議論” が繰り返されるだけであろう・・・どんよりとした東京の空に死の閃光を妄想する。


70歳7ヶ月と15日(令和4年4月28日追記)

 秋田の親韓お殿様が、まさかの痛快な発言をなさった!

 佐竹敬久秋田県知事「核保有の議論を避けるべきではない。トータルとして日本の防衛力には欠陥がある」

 素晴らしい発言だ! 尤も、いつお気が変わるか補償の限りにはない(笑)


 さて大赤字続きの秋田内陸線は、策もなく人員削減で持て余している。内陸部の緊急ライフラインである貴重な価値が分からないまま、今以って廃線の危機に瀕している。

 拙者にとっては田舎の墓参りの時の唯一の公共の足でもあるが、このままでは消え失せるのは秒読みだ。拙者の上京はかつて森林鉄道だったこの路線の公共化の敷設にあった。そのためにかつて家の立ち退きを余儀なくされた。結果オーライで感謝しているが(笑)

 北海道の観光悲劇もまだ治まらない状況だが、秋田の観光も万が一の場合、すぐには救急車は来ないのでお覚悟あれ。限界集落や秘境には必ず観光リスクがある。事故が起こった場合、安全を怠った運営者を責めるのは当然であろうが、“そもそもの安全” を怠たったリスクは危機に楽観した自分が負わなければならないことを忘れてはならない。

 かつて、ご近所の親切な保護者の方が、同級生数人を海に連れて行ってくれるからお宅のお子さんもどうですかとお誘いを受けたことがある。丁重に辞退させていただくと “私を信頼できないのか” とでも言いたげな不満顔をされた。野生で育った拙者は、人より自然を信頼していない。自然の変化は余所者には読めない危険なものだし、さらにそこには危険な生き物も介在している。 万が一の事故が起きた場合、誰に責任を負わせようというのか・・・万が一の不幸が起こった場合、被害者となってしまった我が子のために出来ることは何もない。

 “そもそも” 海への同行を許可した時点で我が子の安全を放棄したことになる。それから自己納得するために他者を責任追及する行為は、実質無意味である。何も元へは戻らない。


70歳7ヶ月と18日(令和4年5月1日)

 “やゆ”?・・・記事のこんな表現にがっかり!

 何故漢字にしないのだろう。読者が読めないからと言うならルビでいいだろう。“やゆ” などと明記されても、“揶揄” でなければ意味が分からない。

かつて石原慎太郎氏は、天気予報士の「今日は厚着をして出かけたほうがいいでしょう」という一言に「余計なお世話」と言ったことがあった。まさしく天気予報を越えた余計なひと言である。着る物ぐらい自分で決める。それより本業の予報が外れまくるのは何とかならないのか・・・“余計な親切” をするより、もっと予報の精度を高めてほしいものだ。予報を外しまくりやがって、海や山で働く人に直接聞いたほうが余程正確である。

 外しまくるというと、“専門家” と称する怪しき物体どもは、「5月9日宣戦布告か」と大騒ぎだ。今ロシアが宣戦布告をしたらNATOの軍事介入で集中攻撃を浴びるだけだろう。有り得ない。プーチンの時代錯誤の野望を脅かしているものは、ウクライナの人々の勇敢な抵抗、NATO、世界各国の制裁・・・それだけではない。当のロシア国民、そして漁夫の利に血眼な戦況風見鶏の支那であろう。20年超という長期政権で天狗になった裸の王様を矢面に、この暴挙の根底に蔓延って己の野望の羅針盤にしている支那を、最後の砦と信じている裸の王様自身、哀しいピエロである。

 あの世へ逝ったなら寺子屋にでも行かれるがよい・・・『色は匂へど散りぬるを、我が世たれぞ常ならむ。有為の奥山今日越えて浅き夢見じ、酔ひもせず』(合掌)


70歳7ヶ月と20日(令和4年5月3日)

 ゴールデンウィークに入った。拙者の街は閑散としているが、すぐ近くの街は人出で賑わっている。ただ、街は賑やかでもその店内はどこも閑散。地元の売り上げ貢献には程遠い。コロナ過の反動で “徘徊” が主流だ。何れにしても国内・海外旅行は活発なようで感染ウイルスも大喜びだろう。

 一昨日は「メーデー」・・・コロナ過で彼らの叫ぶ声を聞かなくなって久しい。“メーデーは晴れる” というジンクスが今なお続く。かつて狭いアパート暮しの新婚当時、すぐ前の通りをメーデーの団体が声を揃えて通り過ぎたものである。彼らが去った後、向かいの八百屋からキュウリやトマト、すももなどが消えた。彼らが喉を潤すために買い漁った結果だった。

 時代は大きく様変わりした。「汝、平和を欲するなら、戦いに備えよ」を証明する惨事がウクライナで起こっている。そうした最中でも日本には9条信者が他人事のように偽善をかまして蔓延っているが、ウクライナは国民が緊急時には何の効果もない“対話”など眼中になく一致団結して行動で侵略者に抵抗し、今や反撃の狼煙を上げて好戦にすら転じ始めている。

 浪曲に ♪ バカは死ななきゃなんとやらと、まるで9条信者を唄ったような唸りがあるが、彼らは死んでも治らないだろう。幸福は合法的報復に長けたものにだけに訪れる。話し合いで解決出来ると夢見る連中とは、犬死する前から一線を引いておきたいものである(合掌)


70歳7ヶ月と21日(令和4年5月4日)

 今般の侵略戦争はなぜか新田次郎氏の小説「八甲田山 死の彷徨」を原作とする日本映画「八甲田山」を想起する。

 ロシア軍の勢いが停滞し、戦局は “専門家の予測” に反し、形勢逆転するかの勢いである。プーチンが核のボタンを押すのは時間の問題であろうが、その後の “復興” を予測した時、世界が援助を優先するはウクライナであろう。

 今年は、旧陸軍青森歩兵第5連隊(青森隊)が1902年(明治35年)に八甲田山の雪中行軍訓練210名中199名が死亡してから120年となるそうだ。一方、綿密な準備をしてから訓練に臨んだ弘前歩兵第三十一連隊雪中行軍隊(弘前隊)は全員生還した。

 来る日曜日から大相撲夏場所が始まる。柔よく剛を制すの如く、プーチンの凶行は最も相応しい形でねじ伏せられるであろうことを切に祈る。


70歳7ヶ月と24日(令和4年5月7日)

 オレオレ詐欺?

 「皆さん、貯金をやめて投資しましょう」とか、英国の金融街シティで恥ずかしげもなく「岸田に投資を!」とか、支那に腰の引けた八方美人総理がひとり相撲の何様になっている。

 陸海空が無防備。日本のストリップ劇場を見ているようだ(拙者、ストリップ劇場に入ったことはないが ^_^;)

 余計なお世話をするより、国防にこそ本腰を入れてもらいたい。


70歳7ヶ月と25日(令和4年5月8日)

 老後は「無視道」を謳歌!

 趣味は人それぞれである。拙者は散歩以外、出歩くことは好まない。旅好きでも食通でもない。流行りの製品やラーメンのために並ぶなど飛んでない。専ら現実をリサーチすることが趣味である。現実を把握していれば、煽る輩の意図が見える。それを無視するのが何とも快感である。

 お茶の間で “今すぐに、ああしなければ、こうしなければ” とテレビなる害獣に強迫観念を植え付けられている隣人を “優しく” 論破して白けさせる快感は、最早近所のむかつく意地悪爺さん並みであろう。

 昨今、オーブンレンジと洗濯機が同時に不調になった。情報では電化製品は品切れ間近とのこと。通常ならご他界あそばすまで使用し続けるのだが、不安定な世情に危機感を覚え、急いで買い替えることにして量販店を訪れた。“今このキャンペーンで契約するとお買い求めになった製品が全部無料になります” という “親切” な若者の案内を受けた。何の事はないPC関連の機種変更によるキャッシュバックキャンペーンだった。“お金が余っているので使いたいんです” と契約をお断りする「無視道」は堪らなく痛快であった。高々数万のために下らんキャンペーンの餌食になるつもりなど更々ない。

 最近はやたら還元、還元と煩い。“かんげん” なら市川海老蔵氏の御曹司で充分だ。こちとら目に見える現金を使いたいのだ。パイパイだかポイポイだか知らないが、ポイントを集めて何になろう。無駄遣いさえしなければ “そのまんま” 後腐れのない現金払いが気持ちいい。

 3Gだ4Gだ5Gだと急かされても、事実さえ把握していれば “お先にどうぞ” とお見送りする方が気楽である。老後は「無視道」こそ安心と幸福感を高めてくれる。冥途の扉が開くまでは、今日も散歩と読書と執筆と無視道で快適な老後を送るだけだ。


70歳7ヶ月と27日(令和4年5月10日)

 案の定、露骨なロシア叩きが始まった!

 この風がヨーロッパ全土から世界に広がって長年続くだろう。ロシア国民にとっての暗黒の時代がやって来た・・・たったひとりの老害ジジイの所為でこの先何世紀にも渡ってロシア人バッシングが続くのだ。


 老害ジジイといえば、宇田川の伏魔殿に張り付いている大手アイドル事務所の老害ババアも居た。紅白だけではなく大河なども老害ババアの大手アイドル事務所に毒されるまでは殆どが優れた番組だった。途中から不器用過ぎるアイドルの学芸会になってテレビを捨てた(笑)

 宇田川の伏魔殿は、お家騒動が起こる分、まだ瀕死の自浄作用が働いているのであろうが、日本一の高給取りの巣窟で何が起ころうと、国営放送に変わらなければ意味がない。


70歳7ヶ月と29日(令和4年5月12日)

 コロナ後、心身の病などによる「健康問題」が要因で自殺者が急増しているという。死のうかどうしようか迷っている時、俳優ら著名人の自殺に影響されるケースも多かろう。相談窓口もあるようだが、死を模索している者に相談の余裕があるのだろうか、“かまってちゃん” なら別だが。

 刑法199条では「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」とある。自殺は自分を殺す行為なので殺人罪にあたるようにも思えるが、自殺をする時の状態は「責任能力のない状態」であり、憲法でも「自己決定権」が認められているため罪には問われない。本当に「責任能力のない状態」だったのか、自死の死者に聴いてみたいものだ。

 キリスト教では自殺は大罪であると考えられているが、かつての日本の場合、『切腹』は武士のみに許された名誉な死に方であり、『殉死』は、家臣が主君に対して忠義を示す名誉とされた時代がある。

 現代日本に於いて自殺は罪に問われないまでも、自殺によって他人の権利を不法に侵害した場合は別のようだ。例えば、賃貸での自殺は無責任この上ない。その部屋が “事故物件” になる。それだけではない。家賃の損害賠償、物件の改修費用、家主や隣人への慰謝料などで、総額が数百万円になるそうだ。仮に、野垂れ死にをしてもただでは済まない。“野垂れ死にコース” の場合、遺体の身元調査、火葬、遺骨の保管や埋蔵、遺産の取り扱いなど人手に掛かる費用を含めて最低でも20万円以上は掛かるという。払う者がいなければ全て税金である。

 彼岸へは銭六文では渡れない。欲と柵で “生きるも地獄、死ぬも地獄” のどす黒い湯に浸かっている人は、実は死ぬことすら許されない身なのだ。

 死ぬ前に、欲と柵を捨てて海路の日和を待つしかない。


【古希のお勉強欄】※事故物件について

 不動産には三つの瑕疵かし(不具合・欠陥・欠点などの意)物件があるそうだ。①心理的瑕疵、②物理的瑕疵、③法律的瑕疵の3つだ。その中で事故物件といわれるのは①の心理的瑕疵。心理的瑕疵とは、建物内(または敷地内)で死亡した者がいること。所謂これが「事故物件」といわれるやつだ。他に、反社会的勢力の事務所が近いこと。お墓に隣接していること。その他 “心理的に住みたくなくなる事情があること” というが、これこそ怪談話で引っ張りだこの “幽霊” などの意世界との遭遇が描かれる最も代表的なものである。


70歳8ヶ月と0日(令和4年5月13日)

 土下座をしたり、頭を丸めたり、事態の解決には何の役にも立たない自己満足の反省パフォーマンスには冷笑するしかない。

 “下座” は貴人に対して行う礼だ。“土下座” は江戸時代に道端で大名行列に出会った庶民が通り過ぎるのを待つ姿勢で “そのまま斬首されても異存はない” という意味合いだったらしい。

 かつて某首相が某国の植民地刑務所跡地で土下座したことが話題になったが、お坊ちゃまのバカさ加減に大笑いした。以来、拙者は土下座を見ると笑いが込み上げるようになってしまった。

 また、頭を丸めるとは “出家” を意味し、心を入れ替える反省の証とされるが、人の心は頭を丸めた程度で簡単に変わるはずもない。拙者は仕事で度々丸坊主を指示されたが、“強面” の強度が増して、出家した僧どころか “やくざ” だと思い、避ける諸氏も多かった。

 世界には歴史認識を自己都合で履違えて肩肘を張ったまま自滅に向かう御方もおられる。他人にどう思われようと何の問題もないが、己自身が周囲の腐った目で未來への現実が見えなくなったらお終いだ。


70歳8ヶ月と1日(令和4年5月14日)

 侵略が先か財政破綻が先か・・・日本国債の安全神話はいつまで有効か・・・

 「日本は世界で一番借金が少なく世界中に金を貸している世界一の債権国」と豪語している御方がいる。信じたいものである。

 国債に於いて、日本の国民は「国の借金」の貸主であり「国の債権者」といわれるが、それは正確ではない。ここでいう “国民” とは一握りの富裕層だけである。敢えて一般国民と言うなら、個人が銀行に預金し、銀行がそのお金を日本国債に投資する流れだから日本国民全体が国の債権者と言う事になろう。詭弁である。

 ろくに利息も付かない銀行に国債のためにと預金する人は殆どいない。何故銀行に金を預けるのか・・・自宅に置くより安全と考えるからだろう。

 さて、国債の債権者である富裕層は、後戻りできない財政破綻が起これば即刻国を捨てる。日本は借金と貧乏人だけが取り残される運命にある。

 政府はちょくちょく可笑しなことをする。増税をあてにして実現する保証もない『年金交付国債』とか聞きなれない政策を次から次からこっそり登場させてその場を凌いでいる。小細工はいいが、いずれ交付国債を発行国債の利払、償還、新規発行が出来なくなって国家予算が組めなくなったら元の木阿弥であろう。

 海外に拉致された国民一人まともに救出出来ない国などに何を期待出来るというのか。後は野となれ山となれである。結局、この先は拙者のような貧乏人が一番気楽である。今を謳歌せねば(笑)


70歳8ヶ月と3日(令和4年5月16日)

 “専門家”と名乗る人種の信頼性が悉く失われる昨今・・・ウクライナで先月24、25日に起きた『アントノフ国際空港の戦い』で侵略戦争の火蓋が切られた。プーチンご自慢の世界トップクラスの特殊傭兵部隊「スペツナズ」が投入されるとあって短時間で決着がつくだろうと “専門家” 諸氏らは豪語した。

 ところが、1997年に米海軍特殊部隊「SEALs」を退役したエリック・プリンス氏により創設された米民間軍事会社「アカデミ(旧称ブラックウォーター)」の傭兵部隊がウクライナ軍に代わって “スペツナズ” をアントノフ国際空港で全滅させたことでキーフ陥落を免れたことが判明した。

 英国の「SAS(英陸軍特殊空挺部隊)」もゼレンスキー大統領の護衛の一役を担っていた。所謂、公式に明かされることのない各国の特殊部隊がウクライナ防衛に暗躍していたし、今もウクライナを支えているのはそうした傭兵特殊部隊である。

 当然、プーチン暗殺の任務を負った特殊部隊も、今か今かと “GOサイン” を待っているはずで、彼が核のボタンを押した時が命尽きる時であろう。

 当初は、ゼレンスキー大統領以下、政権幹部と最高会議(国会)指導者らが北大西洋条約機構(NATO)域内の国などに脱出し、亡命政権を樹立することを想定していたが、ゼレンスキー大統領はそれを拒否。キーフに留まって闘う事を決意して今に至っている。

 この侵略戦争は長引くと仰る “専門家” は多数おられるが、拙者は侵略はもうすぐ終息し、その戦後処理こそ長引くであろうと思う。特にロシアは、ひとりの夢見る少年が暴走し、権力を持って老害化したことで国としての存続すら危うくなっている。


70歳8ヶ月と4日(令和4年5月17日)

 岸田首相は喰えない餅を絵に描き続けている。核廃絶とかシェルターとか所得倍増とか自公国路線とか、絵に描いた餅の連発だ。政治家より売れない絵描きのほうがしっくり来る。

 もう一人の売れない絵描き・・・小池都政の公約である「無電柱化法案」はどうなった? メンテナンス費用現行の20倍、地震国、土地の権利者への掘削承諾はクリアした? 「7つのゼロ」とか公言していたが「7つの苦しい言い訳」ばかりしか聞こえない。いつまで売れない餅の絵描きを続けるつもりなんだろう。赤いきつねと緑のたぬき・・・喰えない。


70歳8ヶ月と6日(令和4年5月19日)

 背筋が凍り付く東京都夏の怪談『老害』・・・

 あらすじ・・・国民の献金・献木・奉仕で造営された明治神宮外苑の樹木約1000本が、国民への説明もなく、神宮球場、秩父宮ラグビー場移転計画のためにこっそり切り倒される。再開発の計画案は東京都都市計画審議会の老害どもの賛成多数で承認された。

 貴重な緑地として守られてきた神宮外苑の背景に見たくもない “蜃気楼” が浮かんだという夏の怪談『老害』を拝聴して、拙者は “姥捨て山制度”の復活が必要であると思った。老人は世のため人のためには老害を発症する前に彼岸に渡るべきであろう。


 背筋が凍る話といえば、5月15日にアメリカ・カリフォルニア州のキリスト教会で政治的な動機によるヘイト銃撃事件が起こったそうだ。銃撃現場からは2丁の拳銃と複数の弾薬、4つの火炎瓶のような装置が発見されたとある。ならず者国家の洗脳狂人の所業だ。台湾人医師のジョン・チェン氏が勇敢にも加害者に立ち向かって突進し犠牲となった。双方の国柄を示す象徴的な事件である。

 現場にいた多くの人々は容疑者を逮捕ではなく射殺してほしかったと思ったに違いない。ならず者国家の洗脳狂人どもが世界各国に散っている。こいつらの犠牲にだけはなりたくないものである。

 狂人を責めるにはふたつの手段がある。ひとつは鏡を見せてその醜い姿を本人に曝すこと。しかしこの方法は、己の醜さに気付くより悪行をする己にうっとりっさせて徒労に終わる。もう一つは、嘘で繕った現実を世界に曝すことだ。決してやつらと “話し合い” で解決しようなどと考えてはならない。それは最も犠牲を広げ、事態を長引かせる危険な取引方法だ。


70歳8ヶ月と7日(令和4年5月20日)

 管理が行き届いていない大型犬への動物愛が強くて “ドーベルマン窃盗” に走ってしてしまった日本警察犬協会会員(笑)

 動物愛が不幸な境遇と思しき動物窃盗を正義としてしまう一線を越えた間抜けな話だ。他人様の飼犬と飼い主の関係に行き過ぎた干渉をしてしまうほど動物愛優先思考に染まると、そういう事が起こるのだろう。世の中は完全と不完全が入り乱れて調和がとれている。いちいち不完全に目くじらを立てると自分の置かれた現実が見えなくなる。

 拙者の故郷秋田では、動物愛護組織の動物愛で “人が熊に喰われる” ようになった。かつてシカリ(熊狩りの首領)に動物虐待だと目くじらを立てた動物愛護団体員がさんざん主義主張を並べ立てるうち暗くなり、帰る段になって、「熊は出ませんか?」と不安げに聞いて来たそうだ。シカリは答えた。「あんたなら何が起こっても本望でしょ」・・・

 独りよがりのバカのすることは実に傍迷惑だ。一線を越えるのは人間が傲慢になっている証しだ。熊が人を喰うようになった原因を作ったそういったバカの所業が、動物の習性に長け、節度を弁えた他の動物愛護の方々まで色眼鏡で見られる結果となる(合掌)


70歳8ヶ月と9日(令和4年5月22日)

 快晴の東京は爽やかな風が吹いているが、洗濯物が見える建物は疎らである。 かつてマンションの景観が損なわれると、ベランダへの布団や洗濯物干しを禁じた居住者の環境権を無視する飛んだ見栄っ張りの論理があったが、今も続いているようだ。

 廊下のドアを開け放つのも防犯上問題があるとして禁止されているらしいが、マンションとは部屋干しやコロナ過での寒気も出来ない不衛生な住いらしい。 人々の憧れらしきタワーマンション上層階で事故が起こって救助に日数が掛かり、ライフラインに閉ざされた監禁同様の生活を長期間強いられたという記事も目にした。不潔や危険より、高いところから下々を眺めて悦に入るほうがいいのだろうが、かっこいい生活を送るにはデメリットは覚悟しなければならないらしい。老婆心ながら、優越感に飢えているのが哀れに思える。

 新築マンションが売れているというが、それに並行して空き家が激増し、過疎化する地域が増えている。都市計画に於いて内務省も国土交通省もそのことには黙認同様。土地開発でマイホームブームになった時代、随分と酷なことをなさると思ったものだ。地名は土地の正体を現す。“さんずい”の付く地名は湿地帯だったとか、蛇や竜を想起させる地名は宅地に相応しくない土砂崩れや水害地域であることを警告していた。バカがそれを無視して体のいい名称に変えた。

 老人には賃貸が厳しい昨今、持ち家がなければいつ令和の姥捨て山に放られるかわからない時代となった。スリリングなサバイバルゲームの人生100年時代の清々しい日である。


70歳8ヶ月と10日(令和4年5月23日)

 昨年の今日の妄想日記を抜粋すると「システム発注をしている日本企業が、蓋を開ければスパイだらけの支那企業に委託している防衛相がこの国を守れるわけがない。笑うしかない。防衛相も自衛隊も、スパイには風通しが良過ぎるようだ。さすが自国より世界の平和を願う憲法の国である」とあった。

 昨年の日記の時点では、自衛隊員の支那人との妻帯者が陸上自衛隊だけで500名。陸海空を合わせると800名だった。これは2013年の統計である。しかし、驚くかな昨年2022年には既に3万人に膨れ上がっていた。自然交際による結婚は5割、残りの5割は風俗や出会い系サイトだそうである。さらに、韓国・北朝鮮人との妻帯者は約1万3000人。フィリピンやベトナムなどアジア他の国でも2万7000人。

 仲のお宜しいことは結構なことだが、自衛隊は下半身から侵略され続けている・・・暑さに向かって、早、鳥肌の立つ候である。


70歳8ヶ月と12日(令和4年5月25日)

 「固定電話恐怖症」というのがあるそうだ。


 某記事によると、現代のメディアは「官憲の弾圧や暴力集団の実力行為にではなく、匿名の有象無象によるクレームに怯えている」不治の病に罹っているという。メディアの管理職が一様にクレーム恐怖症の重篤患者であることで、対症療法として “書いてはならないことを如何にして書かないか” を厳守しているようだ。

 日本のメディアは “特定の特殊な意思を持った集団” ウイルスに侵されて久しい。“特定の特殊な意思を持った集団” ウイルスは保身と無責任を好む。彼の国の侵略は、どうやら “特定の特殊な意思を持った集団” ウイルスを操って無血開城の仕上げに近付いているようだ。


70歳8ヶ月と13日(令和4年5月26日)

 「地震が来るぞー!」と緑のオオカミ婆さんが選挙前とあって “仕事をしているふり” をして叫んでいる。

 大きな首都直下型地震が来たら、件の “予測” 程度では治まらないだろうということは誰もが自覚しているのではないか・・・それとも依存都民はこんなガセを信じる? それとも無関心? それにしても随分と甘い想定をしたものである。00大きな首都直下型地震の被害は東日本大震災並みかそれ以上の結果になろう。ライフラインの復旧は数年~十数年に渡るだろうし、寧ろ新都市計画の青写真を用意しておいたほうがいいかもしれない。

 興味深いのは避難所の件。拙者は、避難所が犯罪泣き寝入りの宝庫になると確信している。被災後最も危険な場所は避難所なのだ。


70歳8ヶ月と14日(令和4年5月27日)

 出世魚は幾多ある。


 例えばボラ。オボコ ⇒ スバシリ ⇒ イナ ⇒ ボラ⇒トドと出世して行くが、その先に何が待っているかといえば、必ず死である。寿命か、天敵に喰われるか、食卓に出るか、様々な死の形があろう。

 人間は名門小中校から名門進学校を経て一流大学に進学し、職に就いて何れ人の上に立つ。しかし、トドのつまりには “老害” という人生の落とし穴がある。その先には認知症や刑務所、病院のベッドでの後悔の金輪際の選択が待っているかもしれない。そこでは出世コースで駆使した偽善と忖度など一切通用しない。

 余命を告げられる分、運がいいかもしれない。自分に残された使命に気付けば、一秒たりとも無駄に出来ない本来自分のあるべき人生を再スタート出来るかもしれない。

 しかし、老害という中毒に堕ちた者だけは、必死に過去の原状復帰にのみ躍起になろう。思いどおりにならない周囲が全て役立たずか敵に見え、現世で惨めな地獄を味わうことになる。

 ただ、その醜態は、拙者にとっては鯛の味でもある。なぜか、堪らぬ高揚感を覚える。


70歳8ヶ月と15日(令和4年5月28日)

 「新しい道で、好奇心を持ってもっともっと生きていきたい」「治療と学習。すぐ病院を選んで入院しながら、リハビリをしたい。体力を回復できれば、また皆さんに会えると思う」

 70代の老人の立派なお言葉。これが主義主張の御旗で多くの人の命を犠牲にして来た人間の言葉と知れば実に空々しい。吐き気がする。


70歳8ヶ月と16日(令和4年5月29日)

 県知事は何故会議の冒頭に「ゼレンスキーです」と言ったのか・・・地元で囁かれている話を参考に妄想してみた。


「知事、そろそろ会議のお時間です」

 政府とは対立の立場を取る支那追随の県知事は、この会議の結果に自信を持っていた。提灯持ちの部下はその傲りに追い打ちを掛けた。

「知事はまるでゼレンスキーのようです」

「そうか?」

「そうですとも。政府の圧力にも微動だにしないその強いご意志。ロシアの猛攻に敢然と立ち向かうゼレンスキーそのものです」

「言われてみればそうかもしれないな」

 提灯持ちの部下に空気を入れられてご機嫌で会議に臨んだ。


 県知事は、アメリカ軍基地問題に関する有識者会議の席に着き、冒頭に「ゼレンスキーです」と言って得意満面の体で不気味な揉み手をした。

 ところが、突然の意味不明な県知事のゼレンスキー発言を受けた有識者諸氏の顔色が変わった。それはそうである。今や世界中の注目を浴びて侵略戦争を仕掛けて来た狂人と戦っているゼレンスキーはウクライナの存続を背負って必死にの真っ只中にある。支那従順の県知事如きが名乗れる立場にはない。只ならぬ出席者の空気に “まずい!” と思った県知事は、咄嗟に「冗談です」と取り繕ったが、後の祭りだった。案の定、午後の会見で記者たちからの質問責めに遭い、失言を認めて謝罪するしかなかった。一旦口から出た言葉は世間を独り歩きし一気に日本国中の批判の的になってしまった。

 支那の温湯にどっぷり浸かった驕れる知事も鳴かずば撃たれまい。今頃、提灯持ちの取り巻き連中の前で泡盛を呷りながら精一杯の虚勢を張って更に醜態を晒していることだろう(合掌)


70歳8ヶ月と17日(令和4年5月30日)

 大笑いではないか、国民は制作局の犬と同じ扱いを受けている。“やらせ” “やらせ” でギャラ稼ぎ。国に都合の悪い発言をした者は老若男女問わず見え透いた謝罪の“カンペ”で取り繕う馬鹿馬鹿しさ。 

 結局、今は露国民の自堕落が勝っている。従って、強力な正義の内乱或いは首謀者の暗殺か処刑でしか収拾されない。何十年、狂人の仕掛けた侵略戦争を傍観しようというのだ。ソファアに寝そべって戦争ゲームでもしているつもりか。風見鳥国の “経済制裁” や 守銭奴国の “軍事援助” などでは絶対に解決するわけがない。経済制裁をしていても、軍事援助をしていても、戦争が終結しては困る守銭奴国もあるからに他ならない。 

 お体裁援助なら糠に釘の抜け道はどこにでもあろう。茶番の戦争援助劇の間に、ケツに火が点いてやっと自国のウクライナ化を防ぐことになる。それまでにどれだけの命が無駄な犠牲を強いられることになるのか。

 モスクワを火の海にするしかないとやっと気付き、運よく間に合って露国内がウクライナの惨状と同等の事態になった時、初めて事態は収拾に向かう。

 他人事だと弱い犬は良く吠える。日本国内は、選挙の前だけ大騒ぎするその場凌ぎの拉致被害者救出詐欺が蠢いている。この不条理、大笑いだ。いずこも精々我欲に励め。


70歳8ヶ月と18日(令和4年5月31日)

 神宮外苑辺りで大手不動産が調子こいてやがる・・・


 山手線内に残された最後の再開発地で不動産開発業者の垂涎の的が神宮外苑である。今や、守銭奴にとってアイドル並みの人気である。

 7年前、週刊誌「AERA」が『新国立競技場計画を迷走させた「5人の男」 すったもんだの末、白紙撤回』とすっぱ抜いた(2015年9月14日号)。そして7年後の今年、東京都都市計画審議会で外苑の銀杏並木1000本が伐採されることが決まった。

 銀杏並木伐採の背後にどんな力が働いていたのか・・・「五輪便乗焼け太り案件」の背景にラグビーをこよなく愛した元 “大物” 政治家の影がちらつく。

 かつて「新国立のこけら落としにラグビーワールドカップを外したことを後悔するだろう」と辛酸の言を発したほどのラグビー場建設への執着。その執念の炎は消えていなかったようだ。ラグビー場建設のために外苑の銀杏並木1000本を伐採する計画が “こっそり” 実現されようとしている。

 秩父宮ラグビー場と、咬ませ犬の神宮球場移転を含む計画は公表されたものの、銀杏並木伐採の説明はなかった。再開発計画を進める事業者が都に提出した資料と空撮写真を突き合わせ、地上を歩いて木を1本ずつ調べて数えあげた人がいる。都市環境計画の権威、石川幹子・中央大学研究開発機構教授だ。そうして外苑銀杏並木1000本の樹木が伐採されることが明らかになった。

 翌日、その事実を東京新聞が一面トップで報道。すると慌てた東京都都市計画審議会はさらに翌日の2月9日に計画案を賛成多数で承認。老害の執念が守銭奴を随行させて動き出した。

 明治神宮外苑は「風致地区」に指定されて15メートルを超える建造物は禁止されていたが、五輪招致を機に一部の建物の高さ制限がちゃっかり「80メートル」に引き上げられたことで、今やあの地区は高層ビルが軒並みに乱立している。

 権威を持った1人の老人の執念は、守銭奴の大手不動産会社と結託し、多くの国民の夢を喰い漁っている。大迷惑な話である。老害はいずこも忘れた頃にやって来るし、守銭奴は恥の掻き捨てである。


70歳8ヶ月と19日(令和4年6月1日)

 そこに「ウクライナ」はあるんか?・・・家電量販店に寄ったら奇妙なCMが目に入って来た(笑)

 さて、ロシア VS ウクライナは別として、ロシア VS 米英は対戦前から既に米英の勝利が確定していた。侵略が長引けば長引く程、米英は利を得る仕掛けになっている。特に露が目の上のタンコブだった米にとっては、飛んで火に入る夏の虫状態であろう。一方の露は、“文化大革命病” の支那に空気を入れられ、侵略に勇んだ “ソ連病” 老害ピエロぶりが物悲しい。血圧が高いのか、このところのピエロは顔がパンパンに脹れているそうだ。相当血がのぼっていることだろう。吉本新喜劇に “顔パンパン” という愛称の芸人さんがおられるそうだが、その日ではない程、顔パンパンでらっしゃるようだ。あとちょっとのところで脳血管が切れそうだ。

 ウクライナの勝利は見えている。ゼレンスキー氏には、防衛の傍ら自らの監督主演で、チャップリンの名作映画「独裁者」を凌ぐ映画制作を期待する。悲惨な現状記録映像はふんだんにあろう。世界で今最も望まれる映画公開になろう。パートⅠからシリーズ何部作になろうが侵略を受けている間、ヒット間違いなしだ。


70歳8ヶ月と20日(令和4年6月2日)

 支那の湖北省武漢市で2019年12月8日にコロナが火を噴き、世界中のゴミが痛快なまでに一斉に露出した。

 折悪しく老害も我武者羅に狂い咲きしている。世界情勢が混沌とする中、日本の芸能界までもが今、宇田川町辺りから勢いよく “嫉妬” の爆炎が噴き出そうとしている。

 芸能人に聖職を強いる一部の理想ボケな一般人には、酷な流れになりそうだが、東京国税局職員がガキに給付金詐欺の指南をする時代である。人間とは如何なるものかもう一度しっかりと目ん玉かっぽじったほうがいい(合掌)


70歳8ヶ月と23日(令和4年6月5日)

 ITが齎す利便性は当前で、そのトラブルによる不便を受け入れないというのは馬鹿げている。

 利便性の齎すリスクに対しても当然覚悟は必要であろう。アナログと違って一ヵ所に問題が出ると全てがストップする今の時代の “利便性” と称するまやかし。良薬の副作用を甘受するしかないように、それが嫌なら拙者のように出来る限り理不尽な空気は無視し、他力の及ばないアナログな生活を心掛けるしかない。

 昨今、デジタル庁なるものが出来た。拙者はデジタル社会なる管理社会に空恐ろしささえ覚える。デジタル=高速正確処理の反面、全てに於いて強制的な全国同時障害の世の中になりつつある。スパイ天国なる日本にデジタル庁が創設されることを首を長くして待ち侘びていた隣国がある。その国にとっては日本は玄関の表札にパスワードまで記載する “開かれた国” なのだ。傍迷惑な話だ。

 生活が便利になり、ママたちは子どもを放ったらかしでスマホに忙しい。夫は通勤の電車の中でゲームに勤しんでいる。便利の与え賜うた余暇に甘え腐っている。利便性の余暇が底無しに人心を貶めている(笑)


70歳8ヶ月と24日(令和4年6月6日)

 誰も勝利しない第三次堺大戦に発展させるより、究極、ひとりの時代錯誤の老人の死を待つのが得策?

 米は露国内への長距離攻撃用の武器は供与しない方針というから、ウクライナはこれからも焼け石に水の防衛を強いられていく。

 露国民に現実を知らしめ、尻に火を点けるためには、モスクワや他の主要都市を一気に攻撃することが最も効果的だが、敢えてウクライナにそれをさせないのは、第三次世界大戦に発展させないためのお優しい配慮だろうが、ウクライナ国民の犠牲と引き替えでもある。

 それは今後も起こるであろう “ある日突然” の侵略に喘ぐことになる国への現実であり、そうした事態が刻一刻と迫る日本も、覚悟せねばならない。

 露国内への長距離攻撃武器の供与やNATOの宣戦布告が成された場合、露国を支持している国がそれに参戦するほどバカでもなかろうと思うが、国民を国民とも思わない権力を持ったジェノサイドヲタやミサイルヲタが長に君臨する国が露国を支持している。対処を一歩間違えば、その数人の狂人ヲタのために全世界が大惨事に巻き込まれることになる。言い掛かりを付けられぬよう、内紛テロやヲタ狂人の死を待つ以外に術はないらしい。


 拙者のように棺桶に片足を突っ込む年にもなれば、誰しも人の念とは通じるものだと思える体験はいくつかあろう。その最たることは “死の念” である。念を送った相手の死が続けば最早偶然とも思えなくなる。罪深き拙者の場合、これまで4人が悲惨な死を遂げた。凝りもせず、今、5人目に念を送っている。

 世界を見れば、今、世界で最も “死の念” を送られている御仁は想像が付く。念の数が多ければ多いほどその分悲惨な死を遂げることになろう。

 但し、正しき行いをしている者が受ける “死の念” は “徳” 以外のなにものでもないことにも気付く。負い目のない人生を送る者にとって、他人の殺意も嫉妬も憎悪も、実は大歓迎すべきことなのだ。


70歳8ヶ月と25日(令和4年6月7日)

 施設内すべて現金使用不可などと・・・

 政府お勧めキャッシュレス化の今、クレジットカード決済を残して全ての「ペイ」を廃止したお店があるという。“あっぱれ!” と思う。

 強引なキャッシュレス化は支払いの選択権を侵している上、実はお店も手数料が負担になっている。何様が頑張っておられるのか知らないが、アベノマスクのような肌寒い臭いがしてならない。

 そのうち、日本の札もコインも分からないバカが出そうだ(笑)


70歳8ヶ月と26日(令和4年6月8日)

 特撮ヲタ、骨董ヲタ、地位ヲタ、権力ヲタ、そして戦争ヲタ・・・ヲタにもいろいろあろう。“アル中” や“薬物中毒” もヲタに入ろうか。

 趣味が高じれば誰でもヲタのドツボに嵌り、最終的に全てを失う。誰の同情も得られない。

 今、駄々を捏ねて世界を騒がせている老害ヲタは愈々金が尽きるようだ。ヲタに共通して言えるのは、そうなった時の落胆だ。誰から見ても驚くほど一気に老いる。その時ヲタが初めて気付く周囲の冷酷と憎悪の視線。拙者のようにほくそ笑む者もあろう。

 ヲタの終末の醜態に、一時は誰もが溜飲を下げるだろうが、結局人々の怨念は永久に残る。古の日本には全ての人は死後に仏になると言われて来たが、やっと他界してくれた厄介者のヲタに、仏として手を合わせる気など拙者にはない。


70歳8ヶ月と27日(令和4年6月9日)

 拙者の知人に自主映画制作に勤しむ才ある御方が何人かいる。

 その中にクラシックカーの愛好家が居て、自らの脚本監督作品にそのクラシックカーを使用するほどだ。撮影は順調に進んでいた。ところが移動中に事故が起こってしまい、緊急の修理が必要となった。クラシックカーの維持は部品が手に入るかどうかが重要となる。クラシックカー専門の部品店があるが、必要な部品が果たしてすぐに手に入るかは運である。例え店に目指す部品があったとしても、かなりの高額になる。海外取り寄せとなれば更に期間と費用が嵩む。結局、金欠で部品の調達敵わず、撮影の再開は見込めなくなった。

 同じようなことが自衛隊で起こっているという。防衛予算のあまりの窮状に、戦闘機の部品が買えず、一機を犠牲にして部品を取り出し、他の戦闘機の部品供給に当てているという。

 その連鎖がどういう結果を招いているか想像すると鳥肌が立つ。海空の侵犯で日々瀕死の緊急発進が続いている。部品の共食いで軍備は縮小の螺旋にある。それでなくともスパイ天国の日本の防衛は満身創痍の状態なのだ。

 自衛出来ない国が自衛権などと何を息巻いていられるのだろう。“平和主義” という得体の知れない美辞麗句で “戦争反対” を叫んだところで、ウクライナのように侵略されたら、今の日本の現状では5分で終わる。今から備えに走ったところで後の祭りである事に変わりない。

 或る日、隣人が見知らぬ隣国人に成り代わっていたら、そこはもう侵略されたエリアであろう(合掌)


70歳8ヶ月と28日(令和4年6月10日)

 “おとり広告” なる聞き慣れない広告・・・

 しかしながら、商いは大なり小なり “おとり広告” で集客している。早い者勝ちの消費者ゲームと思えば合点もいく。どうしてもそれが喰いたいのか、手に入れたいのかは甚だ疑問だ。煽られている場合も往々にしてあろう。余計な政策や開発や要請が果たして国民のためのものかも甚だ疑わしいのと同じだ。

 “おとり広告” に釣られる己れの心理状態のバカさ加減を量る絶好の目安にもなろう。オレオレ詐欺同様、無視すれないいだけの話だ。商いなんて大なり小なり “だまし” だ。随分とお盛んな “産地偽装” のあくどさに比べれば “おとり広告” なんて丸っきりの嘘でもない分、まだマシだ。

 今は正直商売で表舞台に立てる世の中でもなかろう。産地偽装には腹も立つし永久に許せんが、“おとり広告” なら、なければ店を出ればいいだけの話だ。今は思惑通りおとり客が群がったにしても、群がった分の信用が落ちるのも覚悟するしかない。業者にはその信用を取り戻すゲームが待っていよう。“おとり広告” なら、信用を取り戻すチャンスもあろう。お楽しみあれ。

 比して、“産地偽装” の業者は地獄に堕ちればいい。


70歳8ヶ月と29日(令和4年6月11日)

 令和の不細工女の記事が今日のどんよりとした東京の空のようだ。

 “保護責任者遺棄致死罪”・・・マインドコントロールされた共謀者が件の不細工女だ。

 5歳といえば可愛い盛りである。その命がバカ親と嫉妬塗れのこの不細工女の犠牲になった。

 世間の同調圧力を恐れるあまり、自分の大切なものを犠牲にしてしてまで “空気を読む” バカさ加減には呆れる。この世は理不尽と嫉妬で動いている。空気など読む価値もない。無視と合法的報復で乗り越えるしかないのだ。

 それにしてもこの不細工女・・・実に醜い。醜い風体には気を付けたい。


70歳8ヶ月と30日(令和4年6月12日)

 ゼレンスキーが・・・いや、玉城デニー氏が9月投開票の県知事選に再出馬表明したそうだ。

 拙者が沖縄県民なら投票用紙に “ゼレンスキー” と書いてしまいそうな気がする(笑)


70歳9ヶ月と0日(令和4年6月13日)

 7月1日から教員免許状更新講習制度が廃止になるそうだ(笑)

  運転免許更新も無駄な制度だろう。事故を起こす人間の比率がどこの教習所が多いかも興味深い。

 1975年のジョンソン・トイレの消臭剤シャットのCMのキャッチコピーじゃないが、“臭いニオイは、もとから絶たなきゃダメ ” なんだろうが、全ての元はやりっぱなしの無責任で知らん顔だ。気軽で大迷惑な取るに足らん世の中である。


70歳9ヶ月と1日(令和4年6月14日)

 給付金詐欺で大騒ぎだが、国会議員全員が毎月文通費の名のもとに100万円の給付を受けている。やつらは国民にが5000円給付するのにも目くじらを立てる。

 使途公開という案も出たが、また今国会では結論見送りだそうだ。永久に見送りだろう。そんなに寛大なら各地で頻繁に起こっている給付金詐欺犯も見送りにしてやったらどうだ(笑)


70歳9ヶ月と2日(令和4年6月15日)

 泥船からネズミが逃げ出している現状は実に見応えのあるドラマだ。いや、ノンフィクションだ。

 露の経済崩壊が、若年層の頭脳流出と富裕層の海外避難で止まらない。長が狂えば当然の自己防衛であろう。プーチン崇拝で高を括っているのはソ連病の情弱な老人たちだけだ。彼らが現実を見ざるを得ないのは露が崩壊した時だ。

 支那は世界征服に涎を垂らしている。弱小国への脅しも反撃がない事に味を占めて激しさを増している。一方で、侵略の矢面に立てた露への支援も、沈む泥船となれば引き際を模索中であろう。支那にしても、無駄金を使う程内情は楽ではない。いや、寧ろ火の車だろう。

 はがゆいものである。モスクワなどの主要都市に総攻撃を喰らわして露国民のケツに火を点ければ事態も急変するものを、ウクライナ支援国はソ連病のジジイどもをじんわりと真綿で狂い死にさせたいようだ。支那のプーさんも他人事ではなくなっているだろう。侵略に走れば次に真綿ゲームを強いられるのは自分だ。


70歳9ヶ月と3日(令和4年6月16日)

 bitFlyer、Coincyeck、LINE BITMAX、GNOコインなどの “暗号資産” なる仮想通貨が増えているようだが・・・もっと増えているのはその暗号資産詐欺。

 著名人をイメージに信用を得ようとする “暗号資産” への宣伝努力は涙ぐましい。並行してその虎の威を借る詐欺も横行している。このコロナ禍の行き詰った世の中で、うまい話などあろうはずもないが、うまい話を信じたがる輩は数多だ。詐欺にはうってつけの入れ食い状態であろう。我欲で詐欺の餌食になる事に目くじらを立てる気は毛頭ない。分相応な暮しに満足できない人間のリスクだ。

 無欲と、目に見える現金が最強なことはバカでなければ誰にでも分かろうが、どうやら人間の “欲” は反抗期のガキの如く出来心を従えて独り歩きしがちなようだ。

 給付を渋られる日本国民はまだいいのかもしれない。詐欺に遭うのも豊かさのうちだ。ない金なら詐欺に遭う事もなかろう・・・素通りしがちな暗闇では今日も難民申請叶わぬ外国人は病死・餓死・自殺が相次いでいるようだ。(合掌)


70歳9ヶ月と4日(令和4年6月17日)

 このごろ違和感がある。 

 気付いてみればマスメディアがこぞってゼレンスキー氏擁護に立っている。これまでの流れから、メディアは信用ならない存在だった。今回は信用出来るのか・・・いや、そのはずはない。 

 暴力絶対反対の見地からだと、不幸な結果に至った根本原因を軽視して見誤る。拙者は被害者には少なくとも40%の過失があると肝に銘じて来た。被害に至らないためには “その隙” を謙虚に自省してみる必要がある。被害に至ってしまった場合は “その隙” を改善すれば最も早く解決乃至報復の糸口が見える。 

 情報を漁れば溜飲の下がるものがそこかしこに、同調圧力に押し潰されながらそっと息づいていよう。

 ゼレンスキー氏は、真珠湾や昭和天皇の件では謝罪はあったものの、無知とは言え随分と侮辱してくれたものだ。日本の八方美人首相は「日本はウクライナと共にある」などと軽薄なリップサービスをしていたが、それが非常に危険な言葉であることになど気付いていない。 

 北方領土で日本を騙し腐ったプーチンは冷酷な食わせ物だが、だからといって、ゼレンスキー氏が日本にとってプラスであることにはならない。現に他国に支援を求めるばかりで、国民には一向に未来を見せられない裁量の無さだ。米の思う壺にはまっているだけであろう。


70歳9ヶ月と5日(令和4年6月18日)

“エコチェンバー効果” なる用語をお勉強してみた。

 その意味は、「似たような意見を持つ人々が集まる場において、互いの意見が肯定されることで、それが正しい内容であると思いこみ、特定の意見が増幅される現象。この結果として、異なる意見を排除することが正当化されやすくなる」というものだそうだ。

 空気を読まない人間は “エコチェンバー効果” には嵌らない(笑)


70歳9ヶ月と6日(令和4年6月19日)

「民主主義の魚」・・・ハタ。

 パイナップルの次は高級魚ハタの禁輸。支那の傲慢が日本の食卓を潤わす(大笑)

 日本大震災の折、被災地の福島に真っ先に義援金を送ってくれたのは台湾だった。その恩返しの機会が来たようだ。支那のガキじみた言い掛かりが「民主主義の果物」と「民主主義の魚」を生んでいる。次の民主主義の食材は如何なるものになるか非常に楽しみである。


70歳9ヶ月と7日(令和4年6月20日)

 昨日は能登半島で地震があったらしい。一部が崩壊した観光地「見附島」も “軍艦島” の異名があって人気があったらしいが、出不精の拙者は記事を見るまで知らなかった。

 軍艦といえば、岸田首相は各党の顔色伺いで原子力潜水艦の保有に慎重姿勢を示した。“ウクライナと共にある” とまで発言した首相がこのざまである。“ウクライナと共に” 侵略に甘んじるということだったらしい(笑)

 産經抄の記事では某番組に出席した乾正人論説委員長が「9党どこにも(票を)入れたくないね」と仰ったそうだが、来る7月10日の参院選に、わざわざ “ふぬけ” どものために足を運ぶ投票者はご苦労なことだ。


70歳9ヶ月と8日(令和4年6月21日)

観光立国然としたい日本に諸外国から観光客がやって来て、観光関連業社だけが潤う。それがどれだけの日本に国益になるのだろう。ウイルスの大移動でしかない。

 トルコは時代に乗った。実践に於ける成果が大宣伝になっている。ドローンTB2が大いなる国益になっているのは羨ましい限りである。腑抜けの憲法前文と我欲に塗れた綺麗事と忖度に明け暮れる日本とは大違いだ。

 原子爆弾被害国の日本こそ平和を守るには核武装しかないと胸を張れる国のはずなのに、核廃絶を唱え、米の核の参加で安穏と勘違いしている姿は卑劣を越えて滑稽ですらある。

 崩壊寸前の国債に齧り付いている国が世界平和などと片腹痛い。日本こそ軍需開発産業しかないというのに、それをタブー視している洗脳バカ国民には軍靴の音しか聞こえないらしい。哀れである。

 軍需開発は歴史的に見ても日本の得意分野であろう。観光立国などと外面をよくしている余裕などないはずだが、侵略の悲劇を迎えるまでは夢見る夢子ちゃんでいたいのだろう(合掌)


 “何様老害” 現る・・・この手のクソ老害もいるんだな(笑)

 「選挙に行かないやつは日本から出て行け!」と息巻いてる爺様がいるそうだ。投票に値する候補者も党もない場合、投票所に何しに行けというんだろ。投票用紙に落書きでもして来たらいいのか・・・それなられっきとした不要不急になる。日本から出て行ってもらいたいのは何様のおまえじゃねえのか?


70歳9ヶ月と9日(令和4年6月22日)

 16~24歳の若年層のほぼ4人に1人が、望まない性的な言動(性暴力)の被害を受けたことがあるという調査結果が内閣府から公表された。

 加害者は学校の教職員、先輩、同級生、クラブ活動の指導者などが多いという。「どこにも相談しなかった」と回答したのが半数近くあったことからして、調査に応じられない事情のある人のほうが深刻であろう。内閣府はどこを調査したのか知らないが、教職員を性犯罪の矢面に立てている “更にその背後の実態” の景色が見てみたいものである。

 選挙前は必ず不可解な報道になる。この時期、給付金詐欺の報道一色だ。こちとら、先送り案件になった “文通費” のほうが余程重要な案件だと思っている。大物政治家の不祥事隠蔽にはタレントの覚醒剤案件で報道一色になる(笑) 随分とメディアは政府想いのお利口なワン公になったものだ。

 週刊新潮が “脛にキズ「参院選の俗物図鑑」” なる記事を掲載した。この時期、最も必要な類の情報だろう。


70歳9ヶ月と11日(令和4年6月24日)

 都の婆様が、“一戸建てへの太陽光の義務化” を叫んでいる。

 建築物省エネ法改正案では各地の事情を勘案して設置義務化は見送ったが、婆様は30年に温室効果ガスの排出量を「00年比で半分」にすると息巻いている。

 無電柱化の件はどうなった? デメリットは何も解決されていない。思い付きのカタカナ標語も何一つ役に立っていない。言い出しっぺで何もしない婆様は自己宣伝のパフォーマンスに既に6億~9億円のムダ金を使い果たしたんだから、もう任期満了までこの先も何もしないで貰いたいものである。都税がこれ以上、自意識過剰なババアのためにつぎ込まれるのは都民にとって不本意であろう。

 日本だけじゃなく世界にも老害ウイルスは万遍無く感染を繰り広げている。

 露はウクライナ攻撃の成果を必死に世界に喧伝している。冷める。敗戦末期の日本とダブる。米からの最大射程約80キロの高機動ロケット砲システム(HIMARS)がウクライナに届いたという。戦況は激変するだろう。米にとっては猫がゴキブリと遊ぶように「露VSウクライナ」の戦況で露の疲弊を静観している。その残虐さは嫌いではない。かつて敗戦の骨抜き憲法で米のワン公になった日本人なら、露がこの先どうなるか想像はつくだろう。

 気の毒なのは露国民である。戦地に於ける露軍の凄惨さが次第に明るみに出てきた。ナチに匹敵するか或いはそれ以上の嫌悪感を世界に放っている。長の老害は人を不幸に陥れる最悪のウイルスだ。古の日本には、危険人物と認定したらどこまでも探索の手を緩めることなく末代まで消去して来た歴史がある。その牽制として村八分があった。

 今、地方移住がブームだそうだが、行きはよいよい帰りは怖い(帰れればいいが)の法則があり、移住の先には洩れなく村八分が用意されているという。自治体が必要なのは移住者が落とす税金なのだ。潤うのは間に入る不動産業者だけである。やつらは移住者の夢を喰うバクだ。それもこれも老害ウイルスに感染した守銭奴の蟻地獄なのだ。

 空気など読まず、己の器以上の欲は出さず、好きなように生きる姿こそ、人間の完成形であろう。


70歳9ヶ月と12日(令和4年6月25日)

 公僕どもの厚顔無神経な責任回避ウイルスは根深い。淀んだ温室に屯する公僕どもは、職場での傷の舐め合いに恍惚としている。気持ち悪い。

 どうせ何れ日本国民の個人情報は全て支那に渡る。ポイントを釣り餌に政府がせっせと国民の情報を一極集中し終わるのを、支那は今か今かと手薬煉引いて待っている。それは尼崎市のレベルどころではない。USBを失くしたという40男の背景にハニトラ支那女の存在がないか徹底的に調べてみたら面白そうだ。ていのいい稽古台にされていたとしたら大笑いだ。

 目先のポイント如きで自分の個人情報の大安売りをする日本国民は実におめでたい。“要請” だけで尻尾を振れる神経が羨ましい(笑)


70歳9ヶ月と13日(令和4年6月26日)

 侵略失敗で大見得を切れなかったプーチンがいくら繕っても、兵士の逃亡やら内紛による車の爆破テロで足下がぐらつき出した。そりゃそうだろ。ろくでなし連中を兵士に雇えば、作戦など理解出来ずに欲のまま戦地で蛮行に走るだけだ。キチガイを野に放ったも同然の醜態だ。

 賢者には、プーチンの取り繕いの強がりが、寧ろ小気味いい風景に見えよう。それにしても独仏伊の体裁ぶりには冷笑するしかない。信頼できない国は(日本も含めて)何処も老害マックスである。

 さて、ご飯の大好きな拙者には “ロシアの兵糧攻め” の中身は普段喰わないものだらけ。食通にはお気の毒な限りであるが、ロシアの食材を喰えなくても死にはしない。やっと自給自足に舵を取り始めた農家さんも増えて来た。国産率が高くなれば産地偽装のクソ老害組合も減るだろう。

 ウクライナの二の舞になりたくなければ自国の領内で蠢いている外国船を即撃沈出来る憲法にするしかないし、軍拡及び核開発も欠かせない。それが現実である。現実を見ようとしなければ侵略を受け入れるしかない。崩れゆく者にはどこの国も誰も手を差し伸べることはない。自らが立ち向かい、“触らぬ神” になるしかない。

 “遺憾砲” は崩壊と背中合わせの最も無責任な平和主義者の愚行である。


70歳9ヶ月と14日(令和4年6月27日)

 政府にはまともなことを話す人もいるが・・・

 「殴ったら殴り返される」という意識を相手に持たせることが防衛の第一歩。正直、殴られて殴り返すだけでは気が済まないが・・・(笑)

 所詮、これも絵に描いた餅で大見得を切っているに過ぎないのだろう。思い出す。2014年に小笠原諸島と伊豆諸島周辺の日本の領海と排他的経済水域で支那の漁船によりサンゴが大規模に密漁されながら、手出しひとつ出来ずに、“遺憾砲” しか放てなかった事件。

 日本は常任理事国入りを目指しているという。頭は大丈夫かと思う。軍事行動の出来ない国が、他国の軍人を危険に曝す国連決議に賛成出来るのか・・・恐れ入った。


70歳9ヶ月と15日(令和4年6月28日)

 「わーかわいい!」と言って不用意に手を出すと噛まれる場合がある。犬の習性を無視すると思わぬ災厄を招く。犬だけではない。人間もそれは同じだ。生まれ育った環境によって皆違う。対応を間違えると、これもまた思わぬしっぺ返しを受けることになる。

 他国の文化を無視すると国が亡びるほどのしっぺ返しを受け、永世に渡ってその国の子孫に至るまで世界の爪弾きになる。敗戦後の日本ですら未だに立ち直れない勘違い反省老害が蔓延っている。今、正に消滅しようとしている国もある。それを楽しみにしている人々も数多いる。

 しかし、国際法を順守する側のハンディは大きい。モスクワを総攻撃すれば一気に状況を変えられるものを、正義を貫こうとすればするだけの犠牲を伴う。経済制裁を叫んでも足を引っ張る国がある。傲慢な老害どものやりたい放題に自制を促したところでお笑い草だ。

 今、ジュネーブ条約追加議定書第47条でウクライナの雇い兵が危機に立たされているという。相手が悪質ならそれ以上の悪質な手段でなければ対抗できるはずもない。「わ~かわいい!」と言って手を噛まれる平和ボケと大差ない。

 今、日本の首相は平和のためにと世界に大盤振る舞いをしているが、最も重要視すべき日本国民には、5000円の給付金すら出来ないでいる飛んだ大見得野郎である。


70歳9ヶ月と16日(令和4年6月29日)

 殊更 “幸せ” を自己顕示するのは往々にして “不安” の裏返しであることが見て取れる。

 真に “幸せ” な人は、能天気でない限り、寧ろ “幸せ” であることをカモフラージュする。インスタグラムでの幸せ投稿には哀しささえ覚える。かつて高額の宝くじに当選して大はしゃぎの挙句の果てに不幸に包まれた御方もいた。他人様の嫉妬はこの世で最も気を付けなければならない代物だ。

 現役時代から自己愛の権化だった件のオッサンは、悠々自適の隠居生活を自身のインスタグラムでアピールした。すっきり影を潜めていれば済むものを、蛇足の如きインスタグラムでのアピールとは、相当な不安を抱えてのことのようだ。

 この投稿は、悪いことをした犬に手を振り上げた時の、正にあの顔と同じ空気である。韓国の歴代大統領は辞任後悲惨な末路を辿るという都市伝説が繰り返されようとしている。インスタグラムが哀しい画像になる日もそう遠くはなさそうだ(合掌)


70歳9ヶ月と17日(令和4年6月30日)

 命を賭す価値のない戦場で起こることといえば、兵士の我欲が暴走した卑劣な顛末ということになろう。明日をも知れない命となれば残された人生で我欲を満たしたくなる気持ちは分かる。その時に至っても身を律し通せるかは、その人が裏切りたくない人がいるかどうかで決まるだろう。それでも人間は魔が差す。同調圧力という悪魔も囁く。

 “我欲が暴走した卑劣な顛末” はなにも戦場に限ったことでもない。人目の届かぬあらゆるところで我欲が暴走した弱肉強食の連鎖が繰広げられている。ときに自分が強者だと思い込んでいても返り討ちに遭うバカもいるだろう。同情の余地のないものがどんな目に遭おうとも見てみぬ振りに越したことはない。

 「欧州のパンかご」とも呼称される世界的な穀倉地帯のウクライナが助けを乞う一方の姿勢には、どんな綺麗事を謳っている国でも軍事の備えなき国は悲惨な事態になることを証明している。正義の前に武力がないと多大の犠牲を覚悟しなければならないという事だ。 

 日本はエネルギー自給率11.8%、食料自給率38%、軍事ランキング世界5位。しかし、手出しできない法律の壁がある。ゆえに実質軍事力ゼロに等しい。つまり、日本は今正に滅ぼされようとしていても、憲法9条信仰に於ける “平和主義” を貫くために、世界に軍需の助けを乞わない崇高な国なのである。まるでガンジーのようだ。

 もし、日本を侵略する国があったとすれば、侵略を目論む国は批判されるものの、正義の前に軍事力が圧倒し、侵略は数日で成功するだろう。日本はフーリガンウエルカムな国なのである。自分は今何をすべきなのか・・・死の淵から一先ず戻って来たもののみが気付く日本国での生き方よ(合掌)


70歳9ヶ月と18日(令和4年7月1日)

 今、世界で最もみっともない人間・・・ウクライナ侵略の「楽観シナリオ」を描いたというボルトニコフFSB長官か(笑)

「ロシア軍が来れば、ゼレンスキーは逃亡し、政権は短期間で崩壊する」

「ウクライナ国民は、ゼレンスキーネオナチ政権にうんざりしており、ロシア軍がくれば、花束をもって大歓迎するだろう」

 今の現状を鑑みれば、大風呂敷を広げた酔っ払いの戯言でしかなかった。しかしその楽観シナリオが世界にとんでもない大迷惑な波紋となって広がっている。

 プーチンマンセイのKGB崩れの側近が続々とプーチンの信頼を失っていく・・・と見るのはおかしい。抑々、プーチン自身、およそ信頼に足る人間ではなかった。文句の言えない数多の少数民族や移民を生活苦の足下や脅迫で追い詰め、無理矢理捨て駒の契約軍人として戦地に送り出し、彼らの絶滅すら容認している。自国民には嘘八略を並べ立て、その矛盾に気付いて疑問の手を上げる者全ての口封じをしている。

 老害ボタンのかけ違いを次々と嘘で繕うファッションは、戦時の貧乏人の風体さながらだ。こういう国が国連の常任理事国なのだ(合掌)


70歳9ヶ月と19日(令和4年7月2日)

 支那の経済減速が止まらないようだ。

 中華経済圏構想「一帯一路」の資金提供が停滞して久しい。プーチンの侵略戦争への大風呂敷のリスクで資金が底を突き始めたようだ。最大の貿易先・欧州との関係が不穏な流れになって慌てて穏健派と呼ばれるお役人に欧州行脚をさせるも、ジェノサイドやら臓器殺人が相まって、かちかち山のたぬきの如き火に油。

 世界征服の前哨戦として台湾も香港化したいようだが、資金繰りがそれどころではなくなって来たようだ。支那はある時を境に強引とも思えるほど他国に攻撃的になった。要するに経済の減速はそこから始まっていたのだろう。

 ふたつの大国の読み違いは “NATOの結束強化” だ。「陸地国境法」とか「海警法」とか随分と傲慢を垂れ流したものだが、支那の竈が火の車だと分かれば合点がいく。「特別軍事作戦」に始まる露の強がりの詭弁の数々は哀しいほどに足下が見える。

 今、支那共産党員の頭を過るのは戦争であろう。NATOの結束を促してしまった露のウクライナ侵略戦争に倣って、台湾を侵略することでBRICS(ブリックス=ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国の新興5か国)の結束を強められるのではないかと、柳の下の2匹目の泥鰌を狙っていそうだ(笑)

 支那の台湾侵攻は近い。恐らく露との軍事同盟のもとで行われるであろう。生あるうちに、とくと “老害どもの美しい不様” を拝めそうだ。


70歳9ヶ月と20日(令和4年7月3日)

 便乗値上げもたけなわである。電気料金も上がるそうだが、原発嫌いと燃料の高騰では当然の結果だ。しかし、以前から強制的に洩れなく徴収されている「再エネ賦課金」はおかしな制度だ。

 正式名称は「再生可能エネルギー発電促進賦課金」というそうだが、電力会社が買い取る費用をなぜ利用者“全員”が負担する必要があるのかさっぱり分からない。利用者は電力会社の経営者ではない。強引に経営の一端を担わされ、無理矢理寄付を搾取されているようなものだ。悪しき官僚的甘えの制度だ。詐欺にも匹敵する。

 しかし、誰も異論を唱えない。国債が焦げ付いて真っ黒だというのに、その事にも誰も異論を唱えない。一方で目先の我欲には血眼だ。右翼の街宣車ががなり立てて通ると誰もが眉間にしわを寄せるが、票取りに憑りつかれた選挙カーが耳を劈くような大音響で闊歩しても誰も文句を言わない。

 今日は久し振りに在庫が少なくなった画材を買いに出掛けた。電車に乗ると車内は異様な空気感に包まれている。めったにこういう空間に己の身を置かないせいか拙者には極めて異常な光景に見えた。誰もがスマホに夢中になっている。まるで何か怪しいカルト宗教の儀式の場に迷い込んでしまった感覚だ。向こうでひとり本を読んでいる人がいた。やっとの安堵を覚え、神々しくさえ見えた。

 日本は不可思議な国に変わった。何かに憑りつかれている姿は気持ち悪い喜劇だ(笑)


70歳9ヶ月と21日(令和4年7月4日)

 「電力需給逼迫注意報」を出して一般家庭に節電を呼び掛けてどれだけの効果があるというのだろう。

 夜、外を散歩している人は分かると思うが、冷房の排気熱によって爽やかであるはずの風が温風で襲ってくる。“全家庭” が冷房を付けずに窓を開け放したら涼しい風が入るはずだが、地域全体が締め切って冷房を付けてその快感を自ら失っている。

 ビル街は温風どころか様々な臭いが混在する熱風が襲って来る。5分も歩いたら気持ち悪くなって冷房の効いた建物に避難するしかない。ろくでもない悪循環である。

 「電力需給逼迫注意報」・・・開発に夢中になってメンテナンスは軽視。昨日はメンテナンス工事中に大ポカを犯した通信会社があった。

 むかし、先人の小言に、しっかり戸を閉めないで出て行こうとする童に「おまえは、クソをしてもケツを拭かねえのか」というのがあった。今の開発はケツを拭かねえようだ。


70歳9ヶ月と22日(令和4年7月5日)

 参院選は自民党が圧勝するだろうという予測が立っているが、今の政権は、史上最も浮足立った口先だけの政権だ。雰囲気だけで気勢を吐いても説得力がない。

 人権問題担当の首相補佐官を新設したところで何もしない。官房長官に至っては “現地で確認していないので” と支那のジェノサイドに対する無責任極まりない発言だ。G7で人権侵害の制裁法のない国は日本だけというのも苦笑するしかない。日本が先進国などと聞いて呆れる。

 国民に見えないように支那に尻尾を振っているつもりだろうが、しっかり見えている。有能な侵略国工作員の活躍と平和ボケな日本国民が織りなす頓珍漢な滅亡前夜だ。寧ろ、支那はいつまで露発祥 “特別軍事作戦” に手間取っているのか不思議で仕方がない。日本侵略は台湾侵攻の数倍楽であろう。プーチンの大失態が足枷になっているとしたらそれもまたウケる。プーチンもまたいつまで核のやるやる詐欺をやってるんだか。腰が引けた強がり老害どもの無様が滑稽である。

 さて、この度の参院選に投票に行くと “選挙割証明書” というクソ人参が洩れなく貰えるという素晴らしい平和の国・日本の腐り加減の初夏の候、東京は午後から雨のようだ。


70歳9ヶ月と23日(令和4年7月6日)

 日本の与党には、国防に関して獅子身中の虫が居る。宗教とは厄介な代物だ。平和を履違えているか、将又、特定国の傀儡に思える程の妨害が目に余る。 

 かつて、共産主義体制下の露は “宗教は阿片だ” とまで敵視し、弾圧の対象だったはずである。ところが政治利用されるようになって久しい。 

 以前から露正教会のキリル総主教がプーチンに尻尾を振っている不様が気になっていた。キリルが総主教になる前は如何なる人物だったのかを顧みると合点がいった。 

 彼の出はKGBである。工作員として中南米を含む欧米西側諸国の不安定化に暗躍していた。その後、露に帰国してモスクワ総主教に抜擢された。 

 キリル総主教は欧米規範を “悪魔” と敵視し、露のウクライナ侵略を “欧米規範からの汚染を防ぐ防衛戦争だ” と主張する生臭坊主に変身を遂げたのだ。総主教などと聖職ぶっている中身はただの強欲風見鶏老害だった。


70歳9ヶ月と24日(令和4年7月7日)

今年の七夕も天の川は拝めそうもないようだ。幼い頃の田舎は夜空が綺麗だったが、都会暮らしでは晴れたところで街の灯りで夜空の星は台無しだ。 

 節電を叫べど無駄に電気を消費している。最近は田舎暮らしに憧れて移住したはいいものの、意味不明な村八分の憂き目に遭って奈落の底に突き落とされる問題が絶えないようだ。 

 田舎で生まれた拙者は東京砂漠に在ってもUターンに心揺れたことはない。田舎は “余所者” だけでなく、一度たりとも都会暮らしをした者は、隣人たちの上目線が刺さる生活を送らなければならない。都会暮らしに慣れた人には耐えられない理不尽極まりない生活環境だ。隣人とのトラブルが起こっても自治体も警察も問題解決には消極的だ。夢の移住はよくよくお考えになった方が良かろう。美しい天の川を眺めて一年のつらさを流せる人なら別であろうが・・・ 

 さて、“若者は、白票でも投票に行くべきだ” とのたまう御仁がいる。“シルバー民主主義” を、もっと若者の意見が反映されるものにしたいということなのだろう。確かに久しく、色濃い腑抜けな “シルバー” 民主主義が続いている。何故そうなったか・・・メディアとカルト教に洗脳された平和ボケ老害が律儀に投票所に足を運び続けたからに他ならない。“シルバー民主主義” は効率のいい議員垂涎の票田なのだ。 

 反シルバー民主主義は御もっともなれど、“白票” の薦めは限りなく胡散臭い。政治改革のためと力説されても、白票のためにわざわざ投票所に行く感覚も理解に苦しむ。全く響かない。ただただ不正の臭いがプンプン立ち込めるのは何故なのだろう。

 投票したい候補者がいないなら投票しなければ済む話である。問題の岡山創価学会ではないが、白票を薦めるなら洗脳から覚め始めたカルト老害どもにこそ働きかけるべきだ。投票率を上げる必然性は国の見栄でしかない。白票などに出掛けるより、天の川の見られる地に足を運ぶほうが数段有意義であろう。 

 この国の小手先の平和はもう長くはない。今出来ることを明日に伸ばすほどの余裕はないと思っていた方が良かろう。ウクライナ国民はプーチンより、危機意識に疎かった己自身に腹を立てているはずだ。死は、後悔の有無で雲泥の差になる。


70歳9ヶ月と25日(令和4年7月8日)

 『西朝鮮』・・・

 支那が自らを『西朝鮮』と揶揄している動きがある。その理由は、共産党員ですら “うんざり” の押し付け行事、大袈裟な心にもない権力者への賛辞にあるらしい。招待された北のお坊ちゃまですら赤面したほどだという。その結果、富裕層の間では「潤学(ルンシュエ)」というのをノウハウに国外脱出がブームになっているそうだ。

 大物老害議員に金魚の糞が長蛇の列で連なっているどこぞの忖度国と大して変わらない。全ての先行き不安を先送りして綺麗事で誤魔化しているが、国債を占有している富裕層が国外脱出すれば国は亡びる。草臥れた国など捨てて早く脱出なさることは得策だ。

 日本はゆる~い要請民主主義国家である。共産圏の如き死の追手はない。金魚の糞どもは、上げ諂っていた大物老害議員も垂涎票田も放って、何れ一目散に泥船から逃げ出すだろう。西朝鮮による新疆日本自治区誕生の憂き目には遭いたくなかろう。

 近い将来の新疆日本自治区では今、コロナ感染者が急増しているという。当然のことの如く予測出来ていたことだ。都の婆様は “行動制限について検討” だそうだ。今更かと唾を吐きたくなる。シュミレーションさえ描いていれば策を即実行出来ていたはずだ。都政を運営している “ふり” はもういい。役にも立たないクソ標語で付焼刃の自己宣伝パフォーマンスをしようとしているなら何もしないで、その腐った椅子に黙って座っていてもらいたい。無駄金が掛かるだけだ。

 先日、ファーストの会の参院選応援議員一向に威圧的に囲まれそうになった。目の前に強引に近付いて来る連中に危険を感じ “寄らば斬る” の殺意さえ覚えた。拙者の表情を見るや一行は後退って離れ、何もなかったかのように通り過ぎて行った。クズどもの所為で危うく犯罪者になるところだった。

 国が危機に瀕している事に目を瞑り、防衛費増に沈黙する候補者どもはクズでしかない。


70歳9ヶ月と26日(令和4年7月9日)

 昨日は大事件が起こっていたようだ。奈良市大和西大寺駅前で“さとうけい”氏の応援演説中の安倍晋三元首相が後方からの凶弾に倒れ、他界した。奈良県警や、選りすぐりであろう1名のSPの大失態であることに間違いはない。特にSPは犯人を取り押さえるより要人警護が第一目標であるはずだ。盾になる任務を果たせなかったことは、凶行側でなかったら後悔の念に苛まれて生きることになろう。

 犯人は奈良県奈良市大宮町3丁目在住の山上徹也なる41歳の男。あろうことか国防の立場にあった元海上自衛隊員だそうだ。第三者に依頼を受けた政治犯であれば次に殺されるのはこの男。個人の犯行であればこれから縁者全員の個人情報が身ぐるみ剥されて晒され、社会制裁の憂き目が待っている。

 心理的瑕疵ある事故物件となってしまった犯人の住まいも暫くの間 “観光客” で賑わうだろう。奈良市平松の実家は既にマスコミが居座って家人を待ち構えているそうだ。一役、暗殺者の歴史に残る有名人となったが、他界した祖父と父親、そして自殺した兄以外の家族(母親と妹ら)縁者にはこれから子々孫々に渡って黒歴史を背負わされたご愁傷様な人生が待っている(合掌)

 理不尽と不合理と嫉妬と怨念が渦巻く世間。“人を見たら泥棒と思え” の時代から、無差別殺人犯が横行する中、“人を見たら狂人と思え” の時代になって久しい。SPがガードする要人ですら簡単に毒牙に倒れる日本の危機管理は全く信用出来ないということでもある。平和ボケの日本は無責任で能天気な狂人天国であることを一時も忘れてはならない。誰しもが、殺意の伴った反撃を前提にした自己防衛策を真剣に準備しておかなければならない。この期に及んでも国の防衛の何たるかに気付けないとすれば最早バカでしかないだろう。


 さて、今日は「東京浅草観音ほおずき市」だそうだ。

 幼い頃は生家の裏の畑に生っていた。甘酸っぱくて後味が良いので、遊びのついでにひとつふたつ採って食べていた。女の子たちは口の中で熱心に熟れた中の実を空にしてから空洞になった皮を鳴らし、蛙が踏み潰されたような音を出して楽しんでいた。

 今では、鬼灯(ほおずき)にはビタミンAや鉄分などのミネラル、カロテンが含まれて、免疫力アップなど活性酸素を減らす効果があることが分かっているが、当時は母に “虫下しの効果がある” などといい加減なことを言われていたものだ。確かに鬼灯の実には若干の毒性はあるらしいから、まんざら嘘でもなかったかもしれない。

 栽培は我が故郷・秋田県が最も早く、医師問題で悪評が立った隣村・上小阿仁村の「恋どろぼう」というブランド名の特産品となっているが、拙者が上京して何十年も経ってからの話なので知る由もない。鬼灯を思い出すたびに、味と音の懐かしい記憶が蘇る。


70歳9ヶ月と27日(令和4年7月10日)

 言霊は本性を物語っている・・・

 最近はプーチンの強がりが痛々しいほどになっている。

「ロシアを敗北させられるなら試してもらおう」・・・これは敗北を恐れる者が思わず漏らす無意識の敗北宣言以外のなにものでもない。敗北を自覚した者は他者に責任転嫁を試み、現状を偽わって戦果を水増しし、自己正当化に走る。勝利を確信したものにはそんなことをする必要は全くない。淡々と敵を追い詰め、油断なく勝利に向かうだけであろう。

 支那は露との戮力協心で台湾、日本、アジア、世界と手中に納めたい一心だ。ウシガエルのイソップ寓話じゃあるまいに、呆れるほどの“夜郎自大” 化に陥っている。老害同志が手を取り合って息巻いている姿は、安呑み屋で声高に息巻いている傍迷惑な酔っ払い客同然だ。核の存在がそうさせているのだろうが、そのボタンを押せば露はNATOの全面攻撃を喰らう事になる。「ロシアを敗北させられるなら試してもらおう」どころではなくなる。ウシガエルの腹がパンクするのだ。

 戦後の復興に誰が手を貸すというのだ。支那か・・・残念ながら支那は、手のひらを反して勝者に組し、ケツを捲るだろう。“夜郎自大” の膨れた腹がぶよんぶよんになる醜態を晒し、国内各地で起こる内乱に戦く日が近いかもしれない。そうなれば、新疆日本自治区誕生の夢どころでもなくなるか。

 東京は涼しい晴天が続いている。朝のランニングに不快な熱風が過るのも稀になった。無駄に冷房をつける住居も減少しているらしい。窓の締切で冷房暮らしをしている御方も、暫し鼻毛の伸びが治まっていよう(笑)


70歳9ヶ月と28日(令和4年7月11日)

 次第に事件の真相が剥がれて来る。

 原因は「長期政権が招いた」などと発言したクソ老害議員もいたが、今回の参院選では勢いに乗った自民党に地元の議席を奪われた。東日本大震災の折に地元を捨てて脱出した老害議員は、妻に見放されて以来、老醜を晒している。無残だ。

 さて、件の殺人事件はふたつの問題を別けて考えたい。ひとつは要人警護について。もうひとつは宗教について。要人警護は杜撰の一言に尽きるので語る気もない。重要なのは犯行に至る動機だ。

 山上徹也の怒りは、母親が特定宗教団体にのめり込み、多額の寄付をしたことによって家庭崩壊したことが発端だ。母親の影響で山上徹也も教会員だったが、脱会。その後、協会は分列したため、母親は分派会員に。

 抑々、山上徹也の当初の殺人ターゲットは母親に多額の寄付をさせて家庭崩壊に至らしめた宗教団体の幹部だった。母親への憤りは宗教団体の幹部へ向い、現に犯行前日に地元の宗教団体施設に試し打ちらしき発砲をしている。

 真の敵は生活の器を顧みなかった母親にあるはずだが、袂を別けた本家の宗教団体が故・安倍氏の(祖父の代から)関わりが深いことから、次第に山上徹也の憤りは安倍氏に向かい、的外れの犯行に及んでしまった。見方によっては、山上徹也は毒親の被害者でもある。だから拙者は安易に犯人を批判したくはない。寧ろ宗教団体が諸悪の根源であろう。

 人の恨みはその発端からどんどん歪んで、とんでもないところからそのとばっちりが飛んで来る。お飾りのSPなどお呼びでない交通事故より回避が難しい世界である。痛烈な安倍批判をしていた族どもが白々しいほどの哀悼の意を述べているが、その空気こそ山上徹也を安倍抹殺に洗脳させた感がある。寧ろその族どもの空気が安倍殺害の真犯人であると拙者は思っている。

 自分の身を守れるのは張り詰めた危機感の持ち主だけであろう。何度啓示を授かっても、被害の憂き目に遭うのは自分 “以外” と高を括る日本国民の平和ボケ思考は変わらない。こうした事件は人心が地に落ちている日本では今後も増えていくのは間違いない。被害の憂き目に遭う自分を救えるのは自分しかいない。

 それにしても一国の首相までがありきたりのどん臭い綺麗事の追悼の言。薄ら冷めた。


70歳9ヶ月と29日(令和4年7月12日)

 新聞は選挙結果一色だ。何かの空騒ぎに思えて近付きたくない紙面。興味ある情報が何も得られない。新聞は古くなると “新聞紙” となるが、朝刊は昨日も今日も拙者には新聞紙だった。

 お盆の迎え火が近付いて来た。今年もあのナスとキュウリで作る動物型のお供え物が少し前からスーパーの店頭で売られるようになった。

 幼い頃、田舎では老人たちが作っていた。家々によって個性的な牛馬が墓地や盆棚を賑わせた。拙者も手伝うように促されたが、完成度が低い工作には興味がなかった。今思えば、何と意味深い味わいのあるデザインだろうと思うが、そんなわびさびなど小童の拙者に解ろうはずもない。

 故人やご先祖様の霊の送迎用に、ナスは “ゆっくり” お迎えする「精霊牛(しょうりょううし)」、キュウリは迷わずに帰ってもらうための「精霊馬(しょうりょううま)」だそうだ。迎えと送りの速度の差が何か滑稽でもある。霊の立場だったら、さっさと帰されるのは何か後ろ髪引かれる思いだ。帰りもゆっくり送ってくれたっていいじゃないかと思うが、霊が迷うのは禁忌だったようだ。

 今年こそは墓参と思っていつもの宿に連絡を入れると、コロナ時代を反映してか、東京からの予約は受け入れてもらえなかった。しかし、菩提寺が快く宿泊を歓迎してくれて思わぬ高揚感を覚えた。こんな時でもないと宿坊になんぞ滅多に泊まれるものではない。拙者も一歩、あの世に近付けた気がした(笑)

 常に思うのだ。次に来る時は “お骨” かなと。生は必ず一日づつ減って行く。いつ何時何があるか分からない。無駄に出来る時間など一時もないはずだが、すぐに死の近付きを忘れる。

 他者への忖度のために生まれて来たわけじゃない。不合理と理不尽と嫉妬はこの世を退屈させない浮雲だと思えば生きる喜びも一入である。


70歳10ヶ月と0日(令和4年7月13日)

 豪雨が続く・・・

 雨降って地固まる時代でもなかろう。雨が降ったら漏れなく土砂崩れが頻発する日本は、すっかり箍が緩んだ。未だにスマホ片手に真っ直ぐ歩けない輩が蔓延している。スマホがカルト教の教本だと思えばしっくりくる(笑)

 自己否定の原因は驕り。自己否定しがちな人間は、思っているほど己の性能が優れていないのにショックを受けるからだ。徒党を組んで同調圧力に染まったり、自粛警察に与したりすることこそ、その証拠だ。

 己の性能を知る者は靡かない。如何なる同調圧力や自粛警察も無視し、マイペースで生きることが最も安全であることを知っている。

 世間はコロナ過の2年如きで偏った正義感暴発、嫉妬心暴走、不安の垂れ流しで巧言乱徳大盛況である。お盆の迎え火に誘われて来た先祖霊も、この稚拙な現世を見たら、送り火を待たずに帰りたくなるであろう(南無)


70歳10ヶ月と1日(令和4年7月14日)

 カルト信者を皆殺しにするゲームが発売された・・・夢を見た。

 カルトの種類によって加点ポイントが違い、カルト以外の宗教信者を撃ち殺した場合は大幅なペナルティが課される。見事カルトの本拠地に辿り着き、教団施設を破壊し、教祖を血祭りに上げればゲームクリア。よく出来たゲームだった。

 ゲームに縁のない拙者がなぜこんな夢を見たのか・・・

 カルト宗教とは “特定の人物や事物に対して熱烈な崇拝や礼賛をすることやその行為を行う集団”を指すが、犯罪行為を侵すような反社会的危険集団を意味する。宗教が通常の宗教かカルト宗教かのフランスに於ける国民会議の採択例を見ると次の宗教がカルト宗教であるという。

① 創価学会…東京都新宿区信濃町

② エホバの証人…神奈川県海老名市

③ 幸福の科学…東京都品川区

④ Aleph(オーム真理教の後続団体)…埼玉県越谷市

⑤ ひかりの輪(Alephから派生)…東京都世田谷区

⑥ 第3救済 慈喜徳会(解散)~天華の救済(よろこび家族の和)

⑦ 統一教会(世界平和統一家族連合)…韓国


 世の中には自分を信じることの出来ない人が数多ということでもあろう。それだけ受け入れ難い現実を生きているのだろうが、抑々現実とは受け入れ難い代物だ。到底期待を持てる類のものではない。それを乗り越えるには奇跡を生む忍耐という神が必要だが、彼らにとっては己の内なる神は不在らしい。八方塞で救いを求める者にとって、“生活保護を受けるには創価学会に入信すればいい”という都市伝説もあるそうだがそれは誠であろうか・・・(笑)


70歳10ヶ月と2日(令和4年7月15日)

 日本はならず者国家のATMであるばかりか、日本国民は某国カルト宗教のお得意様ATMだったようだ。借金させてまでお布施を強要するなど狂気の沙汰だ。神頼みで幸せになどなれるわけもないのに、依存体質の夢見る国民性には閉口する。

 ATMどころか雑巾だ。嘘八百を並べ立て搾り取れるだけ搾り抜く。それがカルト布教の醍醐味らしい。“HG” = 早く現金 = 借金献金。どこぞの代議士の孫タレントさんのアルファベット略語じゃあるまいに、洗脳信者から金を巻き上げる物悲しい響きの合言葉がお笑い草だ。 

 洗脳された人間がまた洗脳に勤しむ。詐欺親亀が詐欺子亀を下敷きに、詐欺子亀は詐欺孫亀を下敷きに、下敷きが潰れても親亀だけ潰れないシステムがカルト宗教だ。何が「あなたのために・・・」だ。余計なお世話である。

 1974年頃、安倍氏のご祖父・岸氏は統一教会の本部教会で統一教会創設者の文鮮明と会談し、講演もしている。その講演録は残っている。自民党の中には秘書らを中心に密やかにカルト臭が蔓延っているそうだ。この事に対する批判云々ではなく、これが現実で “このこと” が事件を誘発した根本原因である。 

 今から警備体制をどうのこうのと間抜けなことを抜かす前に、まずこの根本原因を排除しなければ同じような国家の存亡を揺るがす事件が頻発する恐れがある。国交断絶レベルの非常事態であるが、票取り議員にはカルト教団排除など絶対に出来はしない。

 従って、残念ながらすっかり腑抜けになった日本では、今後どんな災いが起こっても “風化” を見送るだけだ。たまには黴の生えた遺憾砲を放つだろうが、これまでの大惨事後の態様を見れば、物事を根本解決出来ずにただただ先延ばしに走る堕落した国であることは誰もが知るところであろう。

 人が危篤状態に陥ると、寿命が尽きようとしている細胞を守ろうと、体のあらゆる器官が活発化し、「脳内麻薬」と呼ばれる微量物質を分泌して「最後の回復」状態になるという。そうなると自分に都合の良い様々な幻覚を見たり「中治り現象」が起こるという。日本では蝋燭が燃え尽きる様子に例えられてきた。今の日本が平和ボケになっているのは、どうやら「最後の回復」が起こっているためと思えば至極合点がいく(笑)


70歳10ヶ月と3日(令和4年7月16日)

 ウクライナ有事は日本を怠慢から叩き起こしてくれている。

 今度は後発薬(ジェネリック医薬品)の海外(主に支那)依存が記事になっていた。分かり切っていたことを今更騒ぎ立てるのは溜息を吐くばかりだ。

 支那のジェネリックの製造現場の不衛生は随分と以前に指摘されていたことだ。以来、病院の薦めるジェネリック医薬品は辞退している。ここに来て、原材料の支那依存が経済界に打撃を与えたことで、やっと国内製造の必要性を言い出した。日本の泥縄ぶりは隅々まで満遍ない。

 日本人は平和だ。国の異常時に気付かない(笑)


70歳10ヶ月と4日(令和4年7月17日)

 日刊ゲンダイの調査に因れば、旧統一教会と関係のある国会議員112人のリストによれば自民党議員が圧倒的に多い。衆院議員78人、参院議員20人、立憲民主党6人、日本維新の会5人、国民民主党2人が統一教会系の団体等との何らかの関わりが確認された。そして旧統一教会との関わりが認められる議員の多くが、第二次安倍政権以降、大臣や副大臣、政務官などに起用されてきたそうだ。第四次安倍、第二次改造内閣(2019年)では、閣僚20人のうち10人が旧統一教会関連だったという事実・・・選挙がカルト臭を放つ議員どもに対する凶行のチャンスであることを知ったカルト宗教被害者らは、カルト教団抹殺までは挙って第2の凶行を企てようとしてもおかしくはない。

 ちなみに、今後拙者が凶行の場に居合わせたとした場合、彼らの行動を止めようとするイメージが全く浮かばない。カルト臭のする議員先生には充分お気を付け頂きたい。

 今、毒親・夫婦問題専門心理研究家の影宮竜也氏のタイムリーな詞が眩しい。


『毒親ブルース』 かげみや★たつや作詞

毒親なんか蹴っ飛ばせ!

毒親なんか蹴っ飛ばせ!

あんな奴から産まれたせいで人生めんどうたらありゃしない

お前のせいで人生曲がりくねって危うく折れそうだったぜ

毒親なんて蹴っ飛ばせ!

毒親なんて蹴っ飛ばせ!

いい加減俺に付きまとうな

お前とはもう親子じゃないだろう!

ほんと執念深いやつ

カネ、カネ、カネ、カネ、カネほんとにうるせぇ

毒親なんて蹴っ飛ばせ!

親なんて蹴っ飛ばせ!

いい加減俺に付きまとうな

お前とはもう親子じゃないだろう!

ほんと執念深いやつ

カネ、カネ、カネ、カネ、カネほんとにうるせぇ

毒親なんて蹴っ飛ばせ!

毒親なんて蹴っ飛ばせ!

弁護士に聞かれたよ。

「本当に血のつながっている親なんですか?」

俺はこう答えてやったぜ!

「私の記憶が間違いでなければ血が繋がっているはずです」

溜息こぼして弁護士が黙り込む

毒親なんか捨てちまえ!

毒親なんか捨てちまえ!

周りの人間騙しても俺だけは騙せねェぜ

俺とお前にしかわからない世界だからな

お前の人生嘘だらけ

いつまでも俺はお前のオモチャじゃねーぞ

毒親なんて蹴っ飛ばせ!

毒親なんて蹴っ飛ばせ!


 氏は「いつしかこの詩に曲がついてお披露目する機会がくるかも?そのときは思いっきりシャウトしてやるぜ!」と意気込んでおられる。非常に楽しみである。


70歳10ヶ月と5日(令和4年7月18日)

 「自由ロシア軍団」というのがあるそうだ、ウクライナ側へ自発的に離反(投降)したロシア軍の中隊(500人以上)で結成されたグループだそうだ。

 ロシアでの反戦・抗議運動のシンボルとして白青白旗(はくせいはくき)を掲げ、ウクライナ軍と共にロシア軍と闘っている彼らは、ロシア軍からの離反者の他、元々軍隊に所属していないロシア人やベラルーシ人の義勇兵で構成されているという。

 カルト宗教を脱会した元信者が己の布教活動に罪の意識を持たないわけはないだろう。であるならば、山上徹也を教祖にカルト教団と闘う選択肢もあるわけだ。教祖を崇めて力を発揮する才能は群を抜いて長けておられるはずだ。脱会の先には布教に対する償いの責務があろう。クラウドファンディングでその是非を問えば宜しかろう。

 嗚呼、今日も古希の妄想に拍車が掛かる!


70歳10ヶ月と6日(令和4年7月19日)

 昨日の大相撲の結び “まわし待った” の記事が失笑を誘った。

 “行司の大失態” がトレンド入りになったとか・・・バカらしい。拙者が思うに、“行司待った” にも拘らず、指示に従わなかった関取は反則レベルだ。立行司の権威も失墜したものだ。


 さて・・・

 ニューヨーク危機管理局が、核攻撃に見舞われたときの対策マニュアルを盛り込んだ1分半の動画を公開したという。ニューヨークに限らず全世界にとっていよいよの時が近付いているのであろう。

 核攻撃が発生したら、急いで屋内へと避難し、外にいたならば、すぐ服を脱いで体を洗い、放射性物質が付着した可能性のあるものは、すべて袋に入れて隔離する・・・などの緊急対処を指示しているという。

 老い先短い拙者などは何が起きたところでどうという事もないが、備えあれば憂いなしである。人生100年などという痴呆政策に洗脳されている輩はお頑張りあれ。しかし、いつまでも政府への補償信仰のお題目が通用するとは限らない。真っ先にケツを捲るのは誰かお楽しみである。

 今を自己責任に於ける納得のいく人生に慣れて置かなければ、必ず後悔の中で被爆死する。そんな人生の終末・・・淋しかろう。堪え性のない自由を求めて居酒屋で大騒ぎしてコロナ感染を広げている場合でもなかろう。知識より気合を優先させても何の意味もない(合掌)


70歳10ヶ月と7日(令和4年7月20日)

 本来であれば今日が「海の日」だったはずだ。記念日があっちに行ったりこっちに来たりで、列島が豪雨で荒れるのも無理はない。

 「海の日」を7月2日に指定したのは列記とした理由があるはず。政府の都合で日にちを変える愚はその土地を探る上で重要な地名を変える愚に等しい。有名大学をご卒業なさったお坊ちゃまらのお仕事とは到底思えない。


 ところで、噂の詐欺メールがやっと拙者の所にも来た。なんか嬉しいクソメール。03-5810-2081 から「携帯電話の停止に伴いご利用料金の確認」。“至急” “本日中” “24時間以内” と煽るメール。これは不特定多数へのなりすまし架空料金請求詐欺。最近の詐欺被害総額は年間約340億円に上るそうだ。毎日9千万円を詐欺に支払って泣き寝入りしている人がいる事になる。

 このご時世、何事に於いても空気を読まず、うすら恍けていればいい。まじめに生きていたら洩れなく詐欺が寄って来る。羽振り良くタワマンに住んで、明日刑務所に入る御仁の追い風になることもなかろう(笑)


70歳10ヶ月と8日(令和4年7月21日)

 公明党が改憲の足枷となって久しい。

 公明党と言えば創価学会。隣人が創価学会かそうでないか人目で見分けられる方法があると友曰く。第一が正月に玄関飾りをしない、第二に玄関の取っ手に紙袋などが掛けられる(学会員同士や布教相手へのコンタクトの仕方)と聞いた。

 かつては毎朝どこからともなく強烈な線香の臭いがしてきたり、定期的な人の集まりもあったが、今はコロナ禍と防火対策でそれも激減して久しい。

 創価学会は「南無妙法蓮華経」をお題目としているが、平成3年11月に日蓮正宗から破門されている。これによって創価学会は、日蓮大聖人の仏法から離れ、日蓮正宗の信徒団体ではなくなった。かつて、ともに広宣流布の実現に向け協調して信心していたが、平成二年以降、創価学会は本来の使命と目的から大きく逸脱して、御法主上人および日蓮正宗をあらゆる手段を用いて攻撃し、本宗伝統の血脈相伝による下種仏法、化儀化法、信仰にも著しく背反した。日蓮正宗は創価学会に対して再三にわたり教導したが創価学会はこれを無視。一片の反省懺悔もないまま、ますます誹謗攻撃を加えたため、平成3年11月に日蓮正宗から破門された。

 ・・・にも拘らず、信心する掛け軸にある「南無妙法蓮華経」のお題目は、破門された日蓮正宗のお題目だということを創価学会員は知らぬまま御大層に拝んでいる。創価学会員の多くは創価学会を知らない。

 創価学会員は公明党の票田であり、経済破綻した人を優しく生活保護に導いてくれる有難いカルト団体なのだ。その出所は税金である(笑)

 なぜ水と油のような党同士で連立内閣が組めるのか・・・上記の事実から誰もが導き出せる答え、それは創価学会と統一教会の間にぶっとい要が存在するからに他ならない。信者に経済破綻を強いれば、先日のような恐ろしい事件が頻発するのも無理はない。今日は暑くなりそうな東京の空。


70歳10ヶ月と9日(令和4年7月22日)

 「ジェンダー・ギャップ指数」というのがあるそうだ。日本は146ヶ国中、116位。 

 この数字が恥ずべき数字であるかのような空気だが、どれだけの意味があるのか拙者には分からない。性別に関係なく能力次第で済む話だろうと思っている。しかし、男女格差の根本原因であろう入試の “男女別定員制” は全くバカな話である。一般に男子に比べ、女子の合格点が高過ぎる。女子が優秀になったということを認めたくない連中の愚だ。性別如きで優秀な人材を失っている。 

 戦後、男女共学制を導入するにあたって、昭和25年度(1950年度)から男女別の定員が設けられたことや、私立の受け皿が男子には少ないことが起因になっているようだが、駄目な者は駄目でいい。伸上りたければ血反吐が当然のリスクであることを学ばせないから責任転嫁塗れの国になった。 

 試験に合格すれば落第や退学は稀なようだが、それが諸悪の根源だ。単位乃至及第点をクリアできない者はその都度容赦なく削って行けばいいだけであろう。落第など生温い。単期間の “歩留学生” 制度を導入し、中途合格枠を設ければ、クズ学生は排除出来、前途ある学生を堕落させることもない。一年間を浪人という無駄な時間を強いる無神経は勘弁してもらいたい。 

 「ジェンダー・ギャップ指数」は、入学試験合格がゴールの如き勘違いと、馬鹿げた “男女別定員制” が齎す当然の結果だ。優秀な人材は性別に関係があろうはずがない。男女の合格点差など男尊女卑の時代錯誤の愚だ。これを数多の長が容認しているという。“みんな通って来た道だから” とでも嘯くつもりだろうが、てめえらゾンビかと言いたくもなる(笑)


70歳10ヶ月と10日(令和4年7月23日)

 最近の記事には「動機に飛躍」とか「(殺害対象に)乖離」とかの文字が躍る。果たしてそうなのだろうか・・・

 安倍氏銃撃事件から2週間以上が経った。カルト宗教に対する関心が消えていた闇に、今般の事件によって再び光が当たった。犯人の殺害ターゲットは最も社会に反響を与える結果になった・・・ということは、真の原因である母親をターゲットにするより数段の社会提起の効果があったということでもある。

 カルト宗教に狂った毒親一人、息子の凶弾に倒れたところでどれだけの人間がカルトの闇に関心を持とう。事件が起こっても、毒親はカルトにのめり込んだままだ。そんな毒親を凶弾に掛けても何の意味もなかったろう。また、カルト教団の長を凶弾の的にしていたら、某国に対する不必要な負い目を生み、日本は不様なへっぴり腰を曝すことになったろう。

 事件の是非を顧みなければ、結果的に犯人の目的は的を射て達成されている。今地獄を強いられている数多のカルト教団被害者の方々は、犯人の行動に溜飲が下がる思いもあろう。更に、彼らは知ってしまった。どういう行動を取ればカルト教団にダメージを与えて報復できるかを。

 さて、先の選挙では創価学会員が公明党への無言の抵抗 “無効票” を投票したそうだ。おフランス指定のカルト教の温かい選挙送迎バスに乗った創価学会員が、しれーっと無効票を投じたかと思うと、その強かさに笑いが込み上げる。

 政権に胡坐をかき、今般の銃撃事件にだんまりを決め込む長に不信を募らせるのは至極真っ当なことだ。件のカルト教団を明確に糺弾出来ない姿勢は “己も同類” と認識してるからに他ならない。

 国葬・・・反対を叫んでいる “かまってちゃんパフォーマーども” は捨て置き、公僕は事件に区切りを付けて風化を急ぎたかろう。犯行現場には今だ献花が絶えないという。「こんなことは二度と起きてほしくない」と願ったところで何の解決にもならない。況してやカルト被害者の方々の誰一人1㎜も救われない。

 政府が風化を急げば急ぐほど同様の事件が頻発するだろう。特に風化祈願初日ともいえる “国葬の日” は象徴的に危険極まりない一日となろう(合掌)


70歳10ヶ月と11日(令和4年7月24日)

 人は誰しも弱点を公表されるのは気分がいいものではない。その際、万全の守備固めをしようとするが、時として語るに落ちて、蛇足、勇み足の醜態を晒すことがある。

 真の強者は敵を前に嘯く必要もなく、ただ粛々と事を成せばいいものを、批評如きに目くじらを立てた時点で “強者” ではないことを自ら暴露することになる。つまり、目くじらを立てたところこそその食わせ者の責めどころであることを自ら露呈している。

 敵の責めどころを見定めるのは困難であるが、支那は目くじらを立て捲る弱点だらけの、内情は火の車の国である。メディアの思考に逆らえば真実に近付くという都市伝説があるように、支那の目くじらで支那の弱点が露呈しているとなれば非常に明解となる。

 例えば、2022年の防衛白書に台湾記述を10ページに倍増したことに支那は目くじらを立てている。これは非常に効果的な弱点ということだ。更に、支那外交部は米英豪による原子力潜水艦協力の撤回求めている。つまりそれは支那にとっては極めて都合の悪いことなのだろう。弱点晒しまくりの目くじら大増産である。

 歴史的に見れば支那が潜水艦にこだわる理由がある。他国の海軍の艦船を沈めたことのない海軍をもっている国が戦争に勝ったためしはないが、支那は正に公式な敵国海軍の船を沈没させた実績がない。つまり、目くじらを立てた海は支那の弱点なのだ。

 陸軍に於いても惨憺たる記録が残っている。漢民族はあらゆる点で優秀を装っているが、こと戦争だけは拙劣な歴史を繰り返して来た。現在、日本列島の領海、接続水域、排他的経済水域を露軍と共に仲良く威圧的な周回行脚をしている。圧力を掛けるのは怖れの現われだ。

 撃沈を七夕の短冊に書いて祈りを捧げたが、その願いが届くのはいつの日だろう(笑)


70歳10ヶ月と12日(令和4年7月25日)

 不利になると権力者ほどぬけぬけと都合の悪い現実を有利な嵩増しで偽装する。しかし、必ず誰かがその愚を見ている。

 そうした嘘を暴いている “ベリングキャット” という民間グループがあるそうだ。“ベリングキャット” という名称は イソップ寓話 『 ネズミの相談 』に因むらしい。彼らはウクライナ侵攻におけるロシアの虚偽情報と戦争犯罪を暴き続けている。分析に使うのはSNSや流出データベースなどインターネット上のオープンソースだけだそうだ。テレビの前で洗脳に浸っている民族とは大違いだ。

 “ベリングキャット” の功績の中でも、露の国技 “毒殺” の牙に掛かったセルゲイ・スクリパリ父娘の毒殺事件(失敗)の真相を暴いた功績は世界が認めることとなった。

 さて愈々ロシアもウクライナ捕虜や露国内に点在する少数民族の戦地派遣が底を突き、都市部の中流家庭の若者を招集せざるを得なくなったようだ。何が「特別軍事作戦」だ。虚勢とは裏腹に相当な戦死者が存在するというお粗末だ。穀物の輸出再開に向けた合意すら僅か24時間後に破る背水の陣は噴飯ものだ。露は攻撃には関係していないと言い張るが、それが真実とすれば、最早指揮系統の崩壊ということになる。ひとつの嘘は永久の嘘を招く。ロシアは間違いなく終焉に向かっている。

 露の弾薬も次第に枯渇する一方で、ウクライナは米やNATOの支援と訓練が充実し、反撃体制も整ってきたようだ。この先一ヶ月で大きな変化が起こりそうだ。

 招集された露都市部の中流家庭の若者が、戦地でウクライナ兵やその家族に起こったことと同じ憂き目に遭えば、プーチン支持の空気が一変するだろうか・・・いや、洗脳はそんな容易く覚めはしない。安倍氏殺害犯の毒親は息子の凶行にも懲りずに「今回の事件で統一教会を批判にさらして迷惑をかけてしまい申し訳ない」と統一教会へ謝罪をし、今だ年金から献金しているそうだ。洗脳は、たとえ取り繕ったところで覚める代物ではないようだ。一旦洗脳されれば遅きに失している。

 自己正当化のための数多の露の虚言は世界の多くの人々の怒りを買って久しい。今更露の国家としての存続は誰も望まないだろう。粛々と国家の崩壊を待つのみ。共産圏の怖さはカルト宗教の洗脳と大差ない。ドイツや日本のように敗戦国の轍を踏み、これから永年再起に苦しむことになろう。


70歳10ヶ月と13日(令和4年7月26日)

 コロナの感染者が激増しているという。そりゃそうだろ、何もなかったかのように飲み歩いている御方がコロナ前と同じになっている。堪え性のない連中や反ワクチンを唱える御方が闊歩する街は、感染拡大は当然の結果だ。

 日本人の人心劣化があちこちで因果な結果を招いている。感染数は人心劣化度だと思えば至極納得がいく。従って今後もどんどん増えるだろう。『バカの国』は健在である(笑)

 マウス実験では臭覚を感知する脳細胞が破壊されるそうだ。認知症と深い関係のある部分だそうだが、コロナ前から臭覚の鈍い若者が多いなと思っていた。物を食べる時に、食べ物から出る香りより、咀嚼中に鼻から息を抜いて香りを楽しむことを知らない若者が多かった。拙者が敏感過ぎるのかと思っていたが、若年性認知症が急増していることで自分なりに腑に落ちた。味覚や臭覚の劣化はコロナだけの所為ではなかろう。

 さて、大笑いな自己正当化の偽善があった。支那公安省は25日、今年3月以降に起こった女性や児童の誘拐・人身売買事件(のうちの極々一部の恍け切れなくなったであろう)906件を摘発し、長年失踪していた被害者1198人を捜し出したと意気揚々に発表した。拘束された容疑者1069人は寝耳に水の御方も多かろう。景気の急速ダウンで共産党大会の前に国家の威厳をアピールすることが何もないための急遽の偽善策であろう。拘束された方々は世論を沈静化させるプロパガンダの犠牲者だ。しかし、政府を信頼し切っている彼らは国のためになるなら本望であろう(なわけねえだろ)

 日本はバカでいられる国だ。目くじらを立てなければ(今のところ)快適に過ごせる。金と性欲と毒親に溺れた連中の犠牲にならなければ何の問題もない。


70歳10ヶ月と14日(令和4年7月27日)

 ウクライナが世界の軍事アンテナ情報ショップになりそうだ。露はこれまで兵器輸出国第二位を誇って来た。(一位は米であることは言わずもがなである)

 露は創業当初、武器の輸出先はインドと中国のみだったが、安価で管理も簡単だという事で今では70ヶ国にのぼる。ところが、ウクライナ侵略で露製兵器が多大の損失を受けたことでその性能の低劣さが露呈した。

 日本に於いては自衛隊での災害救助や軍用の国産ドローン配備に本腰を入れて久しいが、尖閣情勢の緊迫化や外国漁船による違法操業が問題化する “大和堆” など、各地に25年度までに最新巡視船81隻体制での配備を計画しているそうだ。泥縄にならなければいいがと懸念する。

 “漁をしない漁船群” が大挙しても “放水” 一辺倒の警告がかったるい。早く実弾防衛の日が来ることを切に願うばかりだ。憲法9条の足枷で長年騙され続けた北方領土問題の平和ボケぶりにも恐れ入った。

 ウクライナ侵略は様々なバカさ加減を白日の下に晒してくれる世界の国々への “啓示戦争” だ。そんな事など何処吹く風と、東京は今日も人心劣化度を更新している。こいつらの所為で感染した人が死に至っても、秋葉原の無差別殺人犯の如く死刑執行されることはない。感染すれば皆が被害者。命を落とせば犬死同然・・・日本は偽善的平和信仰を楽しむカルトなサバイバルゲーム国家である。


70歳10ヶ月と15日(令和4年7月28日)

 “実行したくば騙るなかれ”・・・予想はしていたが、やはり興醒めする輩が現れた。 

 大義があれば、来る国葬を皮切りに、山上徹也を “教祖” と崇め、粛々と準備を重ねている集団は存在するかもしれない・・・が、この記事のような輩は軽薄な威嚇だけで満足している飛んだアホであろう。でなくば、山上事件への自粛警察ならぬ便乗警察だ。山上徹也のターゲットはカルト教団であることが理解出来ていない。 

 今後事件が起こるとすれば予告は有り得ない。カルト教団関係者が粛々とその毒牙の犠牲になって行くだけのはずだ。例えば、件のカルト集団はバザーを開いて信者や献金を集めるきっかけにしているそうだ。バザー会場は警戒ゼロ。犯行容易な場である。 

 警護の厳しいカルトに染まった議員だけがターゲットではない。これからは警戒の薄い一般カルト信者も頻繁に犠牲になるご時世になろう。

 最も懸念すべきは、教団潰しの旗揚げは国葬に端を発するのが理想であろう。国葬には一般人が参加できない可能性が高い。政界の関係者と記者クラブ関係者のみの参加になるようだ。2022年9月某日、この日の日本武道館は危険極まりない場になるかもしれない。 

 ところで、“カルト信者症候群” という虐待的カルトの犠牲者に典型的に見られる精神的疾患があるそうだ。症状の特徴は、愛着や愛の自発的感情が抑制され、生気がないか、逆に不自然に活気に満ちていて、時として体の劣化や虚ろな目つきで無表情になったりと、かなりやばい状態になるようだ。拙者にはとてもとても救えない避けて通りたい人種である。


70歳10ヶ月と16日(令和4年7月29日)

 楽しい本『呪いを科学する(著:中川朝子)』が出た(笑)

 カルトとオカルトの大本の語源はともにラテン語の語源のカルティオ(cultio)で、意味は「畑を耕すこと」「養成」「修養」だそうだが、人間の理解の仕方でその意味に大きな違いが表われている。

 オカルトは「隠された真実」「秘密の知識」という理解に於いて超常現象などについての “研究” に焦点が当てられる。しかし、カルトは人間の心を耕し(洗脳し)、熱狂的で反社会的な宗教活動へと導き、カリスマ的な教祖や指導者のもとに、危険性の高い “反社会的な宗教的活動” のあり方の方に焦点が当てられる。

 人間が生まれて来て、最も興味あることは “この世の真実を知る” ことであろう。件の本は人生を楽しく知る(研究する)タイプの理解である。何もカルト的な崩壊に向かって焦げ付くこともなかろう。


70歳10ヶ月と17日(令和4年7月30日)

 JR東日本の “地方切り捨て” がまた始まった。

 

 新幹線が通れば過疎駅が増える。開発は同時に “地方切り捨て” が背中合わせだ。新幹線で得た利益で地方路線を維持する・・・はずだった。高速道路と似ている。無料になるはずの道路は未だに有料だ。間違いなく廃線の準備だ。所謂出来レースの前段階に他ならないだろう。

 かつて旧国鉄の経営再建では「地方交通線」「特定地方交通線」などに分類し、バスや三セクに転換された。確かにチャンスにすることも出来るはずだ。某ローカル線のように “濡れせんべい” で第三セクならではの色を出し、独自の地方色を発信出来る。

 何より田舎の単線は最速の救急ライフラインである。過疎地の救急車は大概傷病者が死んでからやって来る確率が高いにも拘らず、その価値はスルーされ、バスに置き換えられる。

 今回はどういう段取りで “廃線の体裁を繕う” のだろう。我がふるさと秋田は奥羽本線の深浦~能代~大館~弘前ラインが該当している。これが廃線になれば取り敢えず第三セクになろう。そして赤字は地方自治体に丸投げ。数多の過疎にさらに拍車が掛かる。

 田中角栄氏の列島改造は、あの逸見政孝氏の手術を彷彿とさせる事態だ。改造は “地方切り捨て” による副作用に苛まれ、地方創生が遅々として進まない。開発に絆された自業自得である。

 秋田はこれで2回目。かつて拙者は阿仁合線の民営化の立ち退きによって故郷を離れざるを得なかった。そのローカル線も廃線の憂き目に遭っている。立ち退きによって拙者の運命は激変した。拙者にとって立ち退きは理不尽や不合理が渦巻いている田舎からの脱出のきっかけになり、大吉と出た。

 故郷には疑問が多かった。一年の半分が雪害と言っていいが、豊富な資源と考えれば現代は有効利用する技術はあるはずだ。しかし、除雪作業を冬の稼ぎとして貪ることに終始して開発には蓋をしたままである。

 多くの都会人は田舎を “純朴で美しい” 土地という妄想を描いている。

地方創生・・・期待に胸が膨らむ。

風光明媚・・・心が洗われる。

田舎暮らし・・・安堵に包まれる。

 しかし、拙者には何れもパンドラの箱にしか思えない。過疎駅が増え、箱の中身は更に恐ろしいものになろう。


70歳10ヶ月と18日(令和4年7月31日)

 事件が起きると、必ず犯人に反省を要求する。反省するしないは犯人の自由であろう。確信犯であれば尚更のことである。反省の弁など確信犯にとって全く的外れなことである。

 無意味に刑を軽くするための方便にすら思える “更生” への期待。被害者の家族を逆なでする加害者への “思い遣り” は残酷ですらある。加害者への量刑は罪は罪とし情状酌量無しに下すべきであろう。情状酌量は受刑態度で図るべきものであろう。不確実なことに予測や期待で判断する意味はない。その人自身の問題である。第三者は結果で判断する。それが全てだ。

 世の中で一番邪魔な存在が匿名だ。自分のことを棚上げした上目線の評価は説得力ゼロでり、害にすらなる。堂々と名乗れない己の雑魚ぶりに目を瞑っている様は気の毒ですらある。

 今般、「山上容疑者の減刑」署名運動が矛盾だとのたまわっているが、山上容疑者が憎き毒親を殺せないのも矛盾…この世の殆どのことは矛盾だ。竹を割ったように生きておられる御仁にだって必ず矛盾の陰はある。

 変化の先にある矛盾が安倍氏への凶行に走らせた。その結果、悪いことばかりでもなかったろう。政府のお偉いさんが誰一人逆立ちしても出来ないカルトと政治の癒着を白日の下に晒した結果になった。“「殺人を肯定してない」というもFacebook にあった矛盾” を、山上容疑者の凶行結果に対する人々の賛同が越えたことになる。寧ろその現実こそ痛快ではないか!

 安倍元首相銃撃事件は「京アニ事件に近い」と仰る評論家もいるが、京アニ事件は社会に何らプラスを齎さなかった。全くずれた評論だ。山上事件は正に “災い転じて” 何とやらの色彩が濃い。蜂の巣を突いたような事態に陥っている輩の何と多いことか! カルトに染まった日本こそオカルト並みだ(笑)


70歳10ヶ月と19日(令和4年8月1日)

 大阪府が65歳以上の外出自粛要請したことに関して、ある高齢者が「感染者は若い人にもいる。社会の健全さを取り戻すなら全体に自粛を求めるべきだ」とご不満だったようだ。

 要請は感染率の高い高齢者を慮ってのことであろう。若者は高齢者より免疫力が高い。多くの若者たちのうちの堪え性のない連中が街を思うままに闊歩している。そして当然の如く感染数が激増した。今や “ソーシャルディスタンス” は化石と化した。

 エスカレーターに乗ってふと振り返ると、すぐ後ろにババアの顔があってゾッとする。離れろ!と怒鳴りたいがその人相は拙者の言葉を理解出来ない世界にあると自己納得してあきらめるしかない。

 街はコロナウイルスだらけ。そこに免疫力の不完全な高齢者が入れば、途端にウイルスのお得意様となろう。堪え性のない若者たちに自粛を強いるのも酷であろうし、高齢者は自宅でおとなしくしているに限る・・・か。

 それにしても世の中を牛耳る議員には高齢者が多い。また政府の後手後手まつりが始まった。対策が未だのろいし、肝心な対策の度にあれやこれや理屈を垂れて先延ばしだ。やはり、高齢者は家でおとなしく静養していたほうがいいのかもしれない。

 さて、今後どういう議員が凶弾の犠牲になるかのヒントになる記事が出た。カルト教と関わって「何が問題か分からない」という議員は、件の記事をよく読んで理解をし、お気を付けになったほうが宜しかろう。票集めで狂っている間に命を落としかねないご時世だ。いや、最後まで理解出来なければそれはそれで幸せかもしれないが・・・


70歳10ヶ月と20日(令和4年8月2日)

 大阪府寝屋川の女性市議が逮捕されたそうだ。

 美人市議となれば十数億円の詐欺グループの一員だとは誰も思わない。人は大きな勘違いをする。美人は心もきれいだ、議員は悪事を働かない、田舎の人は正直だ、警察は助けてくれる・・・果たして本当にそうかと問われれば「?」となる。

 何ら根拠のない信頼に心が傾く対象にほど “油断” が生まれる。小さな欲が大きな被害を生む。コロナ過で不景気に喘いでいた被害者らは原状回復の “支援金” という甘言に引っ掛かった。

 この女性市議の変遷が興味を引く。民主党~新党大地~希望の党~大阪阪南市長選に次々と落選し、やっと得た市議の議席だった。そして、詐欺。

 その要因は何だったのか・・・彼女が望む であろう“もっとビックな自分” “この程度の私は本来の私ではない” という欲を刺激する甘言には弱かろう。そんな最中に女性の社会進出が齎す蟻地獄にでも堕ちたのであろう(合掌)


70歳10ヶ月と21日(令和4年8月3日)

 支那が吠えている。キャンキャンキャンキャン、うるせったらありゃしねえ。本当は弱い国だということがバレちまうじゃねえか(笑)

 今日は午後に突然の雷と雨。暑いだけの夏が、やっと本来の夏らしい天気だった。幼い頃に涙した雷雨の日を思い出す。

 俄か雨の中、家路を急いでいたらキャンキャンキャンキャン煩く吠える犬の声がして、突然静かになった。通りすがりにふと見たら幼犬がぐったりしていた。即殺処分だった。

 拙者の田舎では、この手の犬は生かしておいてもろくなことにならねえと大事の前の当然の対処だった。

 今の世の中は飼い犬に手を噛まれても、人道上の何チャラだと “良い人” を装い続ける。挙句の果てに飼犬が狂暴になって世の中を牛耳ろうとしても “法に則って” などと賢人を装う。こういう世の中になったのは善意の押し売りの結果だ。幼犬のうちに即殺処分すればこんなことにはなっていなかった・・・とさ。


70歳10ヶ月と22日(令和4年8月4日)

 拙者は絶縁に躊躇はしない。

 かつての友人の中に紹介魔が居た。拙者の感覚では、紹介は依頼されるもので、例え依頼されても、紹介するかしないかは熟慮し、更に相手の意向を鑑みてから決める。“難しく考えないで紹介してくれよ” と言われても難しく考える。連絡先と同じで、本人の許可を取るのが筋だと思っている。

 かつての友人に “紹介” の真意を問い質した。すると “紹介するのは自分の自由で、紹介後の一切に責任は持たない” との事だった。即絶縁した。友達の友達は友達ではない。突然、“誰それの紹介で” と来られても甚だ迷惑な場合が多い。紹介されて来た人間の中には往々にしてねずみ講の勧誘、宗教の勧誘、意味もなく友人を増やしたいからというのもあった。拙者にとっては迷惑以外のなにものでもない。

 カルト臭で腐り切った衆議院議員がいる。カルトで腐っている彼らは自分の腐り加減に無神経になり、“カルトとは関係ありません” と吠える。周囲は臭くて堪らない。


70歳10ヶ月と23日(令和4年8月5日)

 三年前の日記を懐かしむ・・・

 コロナ以後、拙者は外食を一切しなくなった。食べたいものがあれば具材を購入して自分で料理する。全く苦にならない。これは料理好きの特権である。しかし、料理には向き不向きがある。食べることは好きでも作ることが嫌いな人は数多いる。通販で何でも手に入る便利な時代に無駄な抵抗はしなくていいと思う。食材が勿体ない。


(2019年8月5日の日記)

「冷やし中華はじめました」の文字を見るようになった。

 拙者が外食で冷やし中華を注文しなくなったのはいつの頃からだったろう。麺も具もタレも然程冷やしてもいない “ 冷やし ” は気色悪くてこれ如何にってなもんだ。

 調理後に冷やす料理は、急いで10℃以下に保存しないと、知らぬ間にお呼びでないウエルシュ菌やカンピロバクターも具のお仲間入りをしている可能性がある。調理人やスタッフの誰かが衛生観念低めなら黄色ブドウ球菌までトッピングされる。食中毒は翌年への病弱を約束してくれる実に危険なものなのだ。外食でそんな無意味なスリルを味わう気などさらさらない。

 「冷やし中華はじめました」の文字は実に魅力的で唾液を誘うが、ふと調理場に目をやり、国際色豊かなスタッフをじっくり拝見する儀式の後、注文しようと思うことはなくなった。

 冷やし中華は手の掛からない料理である。食べたくなったら外食の冒険などする必要はない。拙者はこの時期、自宅の台所に「冷やし中華はじめました」の貼り紙を貼る。それは外食で注文する誘惑から解き放す厄除けの御札代わりになる。

 誘惑を乗り越えて帰宅したら、キンキンに冷やしておいた好みの具材と中華麺のみならず、好きな麺(そーめん、ひやむぎ、しらたき)もちょい添えして舌鼓を打つ。妻の食欲には敵わない。


70歳10ヶ月と24日(令和4年8月6日)

 多くの自民党員が、尻が丸見えなのに頭を隠したがる躊躇ぶり。カルトと大の仲良しなのに友達じゃないふりをする。カルトと縁を切れば次期選挙に落選者激増だろうから、票取り虫には緊張(金鳥?^^)の夏だろう。

 公明党は創価学会、自民党は世界平和統一家庭連合(悪名高き旧・統一教会)に認定されているのだからジタバタ誤魔化しても始まらないだろう。

 次期選挙で国民がどう判断するか恐れまくりはみっともない。いい加減、居直って高を括ったらどうだ。

 さて、昨日はコロナウイルス伝道師たちが闊歩する街を縫って、人通りを避けながら妻と何回目かのワクチン接種で某所に出向いた。接種人気も下火とあって案の定、会場はがら透きだった。

 我ら夫婦は結婚当初から流行には関心がない。ダサいからだ。“来年は○色が流行る” ・・・おかしな話だ。来年、何が流行るかなどその時になってみなければ分かるはずがない。結局、毎年似合いもしない色を着せられて歩く姿に興醒めだ。

 思えば、コロナ騒ぎが勃発した頃、ワクチン接種はどの会場にも予約殺到で躍起になる老人が数多だった。我々夫婦はもう充分生きたしと “接種流行” が去るのを待った。あの時も関心が薄れた頃、まだ生きていたので妻とふたりガラガラの会場でワクチンを接種した。残り物に福があった感だ。

 ワクチン接種後、過ごし易い夏で助かる。これも残り物に福か(笑)


70歳10ヶ月と25日(令和4年8月7日)

 2016年の今日の日記は笑えた。今この時も同じことが言える。それだけ日本はバカを繰り返しているという事だ(笑)

(2016年8月7日の日記)

「尖閣での支那の行動を見ていると、拙者の幼い頃の田舎での「バカ犬」を思い出す。躾のできない飼い主は軽蔑されたものだが、生来性質の悪い犬もいた。何れにせよ、犬が人を噛もうものなら、その場で即殺すのが田舎の掟だった。ゆえに賢い犬だけが繁殖するサイクルに人が関わっていた。

 犬は心の底から叱らないと全く従わない。尖閣に来る支那の行動に口先だけで抗議する外務省は軽蔑に値する飼い主に匹敵する。況してや、生来性質の悪い犬が国際法を犯して領海侵犯したら、その場で即殺さないとバカ犬がどんどん増えていくだけだ。

 自己中の飼い主がその場の癒しに(尖閣や竹島の喫緊の恐ろしい現実を報道しない自由に)甘んじて、躾に目を背けている間にどんどんバカ犬が増えて、そのうち飼い主が噛まれる事態があちこちで起こるだろう。自己中の飼い主は犠牲者が出なければ学べない・・・ま、犠牲者が出ても学べないからバカのバカたる所以だろうが・・・」


 さて、山上徹也の凶行は “筋違い” とされるが、そうではない話が絶えないために、世間の風はカルト掃除に拍車が掛かって来た。山上徹也の犯行が思わぬ方向に向かい、諸悪の根源を蔓延らせた元凶が一番困っている。

 カルト被害者が声を上げても届かなかったのは、この元凶が壁になっていたからだ。その壁を破ったのは “筋違い” な犯行とされる二発の銃弾だ。皮肉なものである。思い当たる関係者は犯人を死刑にしたかろうが、そうなれば “愈々恐ろしい” ことになることも重々学んだようだ。

 伊丹十三氏ならこの事件を題材にどんな映画を制作してくれたろうと、センセーショナルな事件が起こる度に思ってしまう。


70歳10ヶ月と26日(令和4年8月8日)

あのメディアがまた火病を発症して国民を煽り始めた。

 米軍が支那に敗れる・・・だからどうだというのだ。日本が如何にあるかを全くスルーしている火病の風見鶏思考。いつまで経っても火病の見地にしか立てない。

 米が日本を救うわけもないし、支那だけの思いどおりに進むことも有り得ない。支那は経済破綻を前に焦っている。来る共産党大会という手前味噌大イベントに酔いしれ、ランナーズハイのような無敵感状態になっている。

 日本は日本で、腰砕け政権が問題なだけだ。自民党は改憲を掲げて結党したはずだが、未だに実現の目途が立たない詐欺政党になりつつある。米中より、日本の国内姿勢が問題なのだ。いつまで鬱偽善を装っているつもりなのか・・・結局今の現実は、口だけ政権がこのまま世界の恥晒し国家に突き進む前兆だということに間違いはない。

 何度も同じバカを繰り返す国に期待を持つほど無意味なことはない。まるで夢遊病だ。危機に瀕して死んだふりをする生物がいるが、恐怖、忖度、風見鶏、同調圧力、神頼みと、日本は度が過ぎた自虐的現実逃避国家である。

 戦後復興の副作用が今日も街を闊歩している(合掌)


70歳10ヶ月と27日(令和4年8月9日)

 日本にとって最も重要と評される代議士が凶弾の犠牲になったことで、SP体制の立て直しに躍起になっている。

 ここで友曰く・・・“SP体制を建て直ししてまで守ってほしい議員はどれだけいるのか?”・・・一同、目から鱗である。

 SP建て直しより、国防の立て直しが優先であることは明確だ。SP建て直しなど票取り虫議員の得意とする “先送り” で充分である。代議士が運悪く凶弾に伏したのは、たまたま現場にいたSPと警護の采配を受け持ったヘッドがボケだっただけだ。

 現在の危機を鑑みれば、国防は経済より喫緊であることは言うまでもない。議員の命の重さは議員自身が軽くしている。護るは議員より国が優先であろう。

 今日は暑くなりそうだ。風もある。布団干しをして綿に溜まった平和ボケを抜くには絶好の日和だ。


70歳10ヶ月と28日(令和4年8月10日)

 茂木幹事長は模擬幹事長だった・・・なんて言葉遊びをしている場合でもなかろうが、票取り詐欺議員は必ず来るべき時が来るものだ(笑)

 犯人がカルト教祖に対して本望を果たしていたならば日韓の煩わしい政治問題に発展していたろうが、本来のターゲットである似非教祖が危険を察知して自国に遁走してくれたことで最悪の事態は免れたわけだ。

 今、とんでもないところに飛び火して、野党もメディアもお祭り騒ぎだ。カルト臭の温室で安穏と怠慢を張っていた議員連中が蜂の巣をつっ突いた状態になったのは冷笑ものであると同時に、拙者のような通りすがりの野次馬にとっては痛快だ。

 これは凶弾に伏した偉大な政治家が最期に残してくれた置き土産と思っている御仁も結構おられるかもしれない。

 東京は今日も暑い。青森は甚大な水害に瀕しているが、新聞は内閣改造サンプルが躍っているだけ。知りたい情報はネットを頼るしかない。正確率10%程度のネットでは真実が中々世に出ない。目隠しで正月の伝統遊びの “福笑い” の如くネットの情報を繋ぎ合わせる労力で、知りたくもない事実を知ってゾッと涼むのが今夏の醍醐味であろうか・・・。


70歳10ヶ月と29日(令和4年8月11日)

 “タブー視” の背景には往々にして権力者の思惑がある。“まとも” に目を瞑らせる洗脳がある。

 良い本が出た。タイトルがズバッと “まとも” を指摘している。「被爆者=反核」ではない!・・・溜飲ものだ。そしてキャッチコピーが続く。“広島で被爆した祖母は言った「皇軍はこの新型爆弾を持っていないから、米軍は使った。日本が持っていたら報復合戦になるから使うはずがない」”

 侵略されたウクライナ戦争では、ロシアが原発施設を盾にしている。そこを攻撃すれば大惨事になり、ウクライナは世界の批判を浴びることを読んでいる、だとしても、この戦争を早く終わらせるには原発施設を総攻撃すればいいのだ。タブー視が悲劇を生んでいる。


70歳10ヶ月と30日(令和4年8月12日)

 判で押したように、今度は “ウクライナ支援詐欺” がご登場のようだ。被害なんて不用意な平和ボケの親切心が齎す自業自得の不幸だ・・・なんて言ったら顰蹙を買うだろうか。詐欺師の御方んは、騙しで稼いだ金で贅を尽くしても、老いて病む未来が必ず来る。ご愁傷さまとだけ申し上げておこう。 

 しかし、ウクライナ支援金だが、拙者を含め、ウクライナ問題を十分把握出来ていない者が “金で支援” などと、見方によっては “高慢” “無謀” “浅慮” な感がある。ウクライナ事変は明日の日本だ。日本の現状を鑑みれば、軍事の遅れがウクライナ以上の大惨事を招く。母国の現状を黙認して “ウクライナ支援” などと考えること事態、平和ボケの最たるものだ。 

 さて、台風が近付いているそうだ。酒場などで感染した輩が家族に持ち帰ってコロナを広げている。家呑み愛好家の神々しい時代だが、拙者は酒を呑まなくなって以来、外食もめっきり減った。外食に対する不潔観念も “冷やし中華” の危険を把握して以来日増しに強くなる。 

 仕事に誇りと責任を持たない者が厨房に入っているかと思うと、飲食店に入ろうとする足がすくむが、マスクのお陰で花粉症だけは無縁の生活になって久しい。 

 ウクライナ事変といい、コロナ過といい、枷は現実を忘れさせないでくれる気付け薬だが、あの東日本大震災然り、人間は教訓をすぐに忘れる厄介な動物だ。


70歳11ヶ月と0日(令和4年8月13日)

 今年4月に起きた、遊覧船「カズワン」の沈没事故から4ヶ月が経った。遊覧船の乗客乗員26人が犠牲になり、未だ10人以上が行方不明のままだそうだ。

 地元の遊覧船業者の運航中止の協定を破った経営者の言い分けは『船員の練習のため』と強引に船を出しての大迷惑惨事。起こる惨事が目の前にあると分かり切っているにも拘らず、“平和” を履違えて目を瞑る国防に無頓着な平和ボケと何ら変わりない。

 事故を防ぐには、馬鹿者に対しては笑顔で実力行使する決意がないと惨事はなくならない。“想定外” などと甘え腐った言い分けをしてるようではいつになっても自分も国も守れるわけがない。

 黙認するなら己も犠牲を覚悟しなければならない。飛び火が嫌なら実力行使しかない。血を見ない“平和”などない。

 台風8号がもうすぐ関東を直撃する。体験が被害を予測し、覚悟が出来ているから立ち向かえる。ウクライナの惨劇に学び、受け入れ、備えれば日本も救われる。しかし、バカが多過ぎるがために、それは絶望的だ。身を守るには、観光に託けて民主国家に海外脱出するしかない。


70歳11ヶ月と1日(令和4年8月14日)

 大学が軍事研究を忌避する傾向にあるそうだ。そうした大学で平和ボケ生徒を育てているとは思いたくないが、それが現実らしい。

 平和ボケの象徴とも思える “日本学術会議” という偉いセンセ方の組織の影響もあるそうだが、“大学が政府の有事研究の下請け” だとか “安全保障は軍事で悪” だとか宣う学生を育てる大学に政府の補助金は必要ないだろう。

 軍事を身近に置かなかったウクライナの惨事はこういう想像力に乏しい輩が招く。

 今日明日は旧盆の中日。迎えた先祖に一汁三菜の霊供膳(れいぐぜん)を供え、僧侶を迎えて読経してもらい、盆提灯を絶やさぬようにするならわしらしいが、住まいの事情で略式にして久しい。霊界の怒りを買いそうだ。これじゃ惨事は防げねえか(笑)


70歳11ヶ月と2日(令和4年8月15日)

 結局何れは、“真実” こそが無敵となろう。しかし、それまでにはあまりにも時間が掛かり過ぎ、多くの犠牲を強いられる。

 各国の協力はウクライナの追い風になっている。SAR衛星(電磁波での地上分析)、スターリンク(高速インターネット通信)、OSINT(フェイクなどの分析網)、べリングキャット(民間被害の証拠収集をするボランティア調査員で構成された組織)など、時が経つに連れてロシアの嘘が白日のもとに曝されている。しかし、その間にもロシアは多くの惨劇を起こし続けている。この世は理不尽である。諸悪の根源を切り刻んだところで何の意味もない。後の祭りである。

 世界から消えてもらいたい国々が闊歩する笑えるほど理不尽な時代である。


 今日は終戦(敗戦)記念日。「戦争反対!」というシュプレヒコールのバカさ加減を、「交通事故反対!」「ガン反対!」「泥棒反対!」「いじめ反対!」と同じレベルの滑稽なものであると切り捨てた金子賢一氏の発言をまた思い出した。

 日本政府もまた、どれだけ入れ替えてもカルト色豊かな金太郎飴のような新政権をスタートさせている。出世のとどのつまりが、揃いも揃って “誤魔化しごっこ” では、先祖霊も送り火を待たずにお帰りになるだろう。拙者もこの世は疾うに飽きているが、中々お迎えが来ない。来る送り火で彼岸に渡る先祖が羨ましい限りである(笑)


70歳11ヶ月と3日(令和4年8月16日)

 今日は旧盆の送り火。彼岸に戻ったご先祖様は “やっぱり彼岸が一番落ち着くな~” とでも仰っていることだろう。

 理不尽な此岸も偽善尽くしで住めば都であるが、目くじらを立てれば立てただけ荒が目立つ。終戦記念日明けの今日の新聞は、挙って “二度と~” なんちゃらとのたまっているが、その策もない使い古しの言葉は二度と聞きたくもない。

 物価が気持ちいいほど上昇している。飽食の時代を卒業してダイエットに転換だ。詐欺が巣食う時代、カルトがオレオレ詐欺どころではない蔓延りには感動すら覚えた。被害に打ちひしがれている一般市民を無視すれば、時の偉人を一瞬で失う。

 家に籠りきりで趣味の執筆ばかりに時間を費やしていると、世の中の怠慢と暴走が良く見える。拙者にとってはバグだらけの開発は “そんなに急いで何処へ行く” 感があるが、蝋燭の炎の如く、消え去る前の最期の灯火であろうと思えば合点も行く。

 幼い頃、学び舎の為体に押し潰されそうになって人間不信に始まった拙者の人生は、復興の支柱である東京タワーの秘話を知って救われた。奈良時代の歴史書『日本書紀』の記録では、確かに日本に神風は吹いたとある。今のこのカルト臭漂う温い風はいただけないが、一瞬にして失った偉人の事件を思えば、負のエネルギーは其処彼処で確実に蓄積されている気配を感じる。

 浮浪雲に乗った身としては、もう少しこの崩れゆく世の中を見てみたいものだ。


70歳11ヶ月と4日(令和4年8月17日)

 原子力発電所の再稼働を阻む「バカの壁」が電力危機を招いている日本。

90%近いエネルギーを輸入に頼らねばならない日本は無意味な修行をしている僧のようだ。何の意味があろう。背に腹は代えられない事態になっている。ケツに点いた火に気付けもしない「バカの壁」など無視すればいい。

 原発汚染に見舞われた福島のための復興五輪も招致のための体裁でしかなかった。未だに後を引く恥晒しは何だろう。今頃になって暴かれた金の亡者の逮捕劇が付録で付いて来るとは呆れたものだ。

 何の事はない。偽善など騙らずに、原発の再稼働をガンガン実施し、福島を原発都市に再生させるぐらいの強かさがあってしかるべきなのに、何だこの及び腰国家は・・・と思うが、残念ながら、日本はバカが長になる国だった(笑)

 カルト臭の愛に包まれた崩れゆく国家崩壊に拍手を送り続けよう!


70歳11ヶ月と5日(令和4年8月18日)

 航空機のハイジャック事件が起きた当時の首相が「人の生命は地球より重い」とのたまった。その舌も乾かぬその場で「あなたとは違うんです」と取材記者を軽視した自分の命の軽さには気付かなかった。

 かつて新憲法のもとで死刑の是非が争点となった最高裁判決の冒頭部分にも「生命は尊貴である 一人の生命は、全地球よりも重い」と使われた。

 双方、明治の愛読書『西国立志編』の序文「一人の命は全地球よりも重い」から引用したものらしい。学識のある事は結構なことだが、名分を参考にするのと屁理屈で悪用するのでは雲泥の差がある。

 ウクライナが侵略の惨劇に遭って以来、地球は随分と軽くなったことだろう。立党マニフェストの憲法改正も出来ない自民党は「軽人党」に名称変更したほうが良さそうだ。

 時代は、我欲溢れの狂気に満ちた軽さで生きるほうがフィットするらしいが、拙者は潔癖症なので、そうした “現代人” とは多めのソーシャルディスタンスがフィットする。


70歳11ヶ月と6日(令和4年8月19日)

 新人議員の生稲晃子女史への大人げない魔女狩りが今のクズメディアの玩具らしい。カルト祭りを政争の具にし始めた堕落党もいる。

 慢性バカはさておき、今朝の産經記事のオピニオンに『プーチン農場』という表現があった。溜飲ものだ。

 今、好きな本を2冊挙げろといわれれば、「ゾウの時間 ネズミの時間」(著者:本川達雄氏)と、「動物農場」(著者:ジョージ・オーウェル氏)となる。何れも根本に “平和” のヒントが描かれている。件の『プーチン農場』は「動物農場」の実写版ノンフィクションといったところだろう。

 “脱原発” は票取り虫どもの怪しい餌だ。脱原発を平和の象徴と祀り上げて平和ボケ国民を洗脳し地位を得ている。

 「プーチン農場」の暗躍で平和ボケではいられなくなったウクライナの現状に、欧州各国は原発推進に舵を取り始めた。人間が生き延びるためには捨てなければならないものがある。要は未来への選択による過去の捨て時であろう。ところがいつの世も、征服欲に染まった票取り虫どもが “詐欺農場” を開いてそれを妨害する。

 人間の欲とは滑稽である。彼らは皆 “だから何?” の呪縛の中で数多の人々に犠牲を強いて死んでいくただの大迷惑人間である。果樹なら間引きの対象である。


70歳11ヶ月と7日(令和4年8月20日)

 パルチザンがウクライナ戦争に変化を齎し始めた。

 定義によると「パルチザン」とは、“戦時に武装した一般人民によって組織された非正規の戦闘集団。多く正規軍と連携しながら遊撃隊として活動する別動隊”とあるが、恐らく武器を供与したものの新兵器を使いこなす訓練には時間が掛かるため、他国軍兵士が非正規の戦闘集団の名のもとにウクライナ軍に先行して戦闘に加わったものであろう。実質的には世界大戦である。今のうちに南部を奪還しなければ不都合な事情があるのだろう。

 いずれにしてもラストシーンは露の荒廃が民主国のシナリオだ。“プーチン農場” で権勢を誇った者もその柵に服従した者も同罪である。早く露本国を総攻撃して国滅ぶ日を夢想する。

 “平和教”ですっかり思考停止した日本に “戦争を起こしてはならない” から“戦争を起こされてはならない” に目覚める日は来るのだろうか・・・100%来ないだろう。過去から何も学ばない長どもの巣食う “選挙農場” の為体はとどのつまりに来ている。今日も後手後手ショーが盛況である。


70歳11ヶ月と8日(令和4年8月21日)

 米からの武器供与でウクライナが攻勢に転じつつある中、欧州からの支援が停滞しているという。

 ならば、欧州支援停滞を理由に原発を攻撃する絶好のタイミングだ。

 露は原発には攻撃が来ないとして軍事拠点にし、何れ立て籠もり地点となり、戦争を長引かせる。原発を攻撃すれば大惨事は起こるが、民主国家にとって戦争を早期に終結する事のほうがメリットだ。被害の影響は東側、つまり、放射能は露全土の “プーチン農園” に向かうだろう。

 ウクライナの次の台湾侵略戦争が秒読みに来ている以上、今しかない、今だから可能な必要悪だ。

 欧州も農園化し始めるのか、今隣国の痛みに鈍感だと、痛い目に合うのは必須だろう。日本の “選挙農園” も然りだが、我が故郷は休耕地が激増して農園すら荒廃し、その痛みすら感じなくなっている(笑)


70歳11ヶ月と9日(令和4年8月22日)

 “宗教農場” にとって、宗教団体は票のATMである。

 数多の宗教団体に支えられている政党は、宗教団体が「票田」であるがゆえに、カルト党であっても絶対に解散させない。

 信者に対して仏罰が下ると脅して、献金・集金活動をしているカルト党に対して、国民の批判を100%受けても解散させられない。

 あまりにも悪質な高額献金、霊感商法で、例え日本にとって無二の太政を失っても、その組織を解散させることはない。

 正義のズブズブ票田隊である、日本会議、新生佛教教団、解脱会、念法眞教、佛所護念会、崇教真光、大和教団、霊友会、立正佼成会、ワールドメイト、そして数多のローカル宗教団体らは、政府の擁護にどっぷり浸かって今日も余裕を扱いているのだ。

 それが日本の現実・・・洗脳に成功した人たちを犠牲にして日本の平和ボケ偽善政治が成り立っていると思うと、太政が凶弾に倒れる負のエネルギーは日本の深部でまだまだ息衝いていることは間違いない。

 第2第3の山上徹也砲が “選挙農場” を狙っていることは確かである。それを遺憾と思うか必要悪と思うかは国民の自由であろう。


70歳11ヶ月と10日(令和4年8月23日)

 迷走日本はこの数日に於いてもご愁傷なことが随分と起こっている。

 “選挙農場” 主がコロナに感染したり、観光立国宣言に絆された観光業者が相次ぎ自業自得の倒産をしたり、バンドメンバー仲間の酒席の無駄ないざこざで命を落としたり、毒親殺しの予行練習にと中学娘が関係ない人を血迷って殺したり、理不尽真っ盛りである。

 結果的に知識欲のない限度を知らない者が理不尽の蟻地獄に堕ちて行く。この世は “軽薄な自己主張” で生きられるほど緩くもないということだろう。息をする如く、復讐心と警戒心を纏っていないと、いつトバッチリ被害を蒙るか分からない時代だ。

 熊に出遭ったら死んだふりをすれば助かるなどと、いい加減なデマを流しすバカを信じた時代もあったが、今、熊除け鈴は熊を呼ぶ場合もあることをご存じか、その境界は、“人がおいしい食べ物を持っている” 或いは “人はおいしい”と学習した熊は、熊除け鈴の音を聞いたら真っ先に近寄って来るのだ。

 ご愁傷なことは、知識と限度に無神経な輩も、復讐心と警戒心を纏っていない平和ボケにも、十羽一絡げに襲ってくる。

 今や化石化した “ソーシャルディスタンス” こそが、実に多様性のある特効薬だということが皮肉ですらある。


70歳11ヶ月と11日(令和4年8月24日)

 “専門家” と称する輩は何の専門家なのだろうと常に思う。事あるごとに非現実的な役にも立たないバカ論が暴走する。もう、無視でいいのではないか・・・

 “全数把握”・・・だから何? 意味がない。感染者の増減は当たり前のことだ。現場が機能する対策に終始するしかない。

 “専門家” もカルト認定した方が良さそうだ。後手後手の政府自体もカルトかもしれない(笑)


70歳11ヶ月と12日(令和4年8月25日)

 世間さまはカルト臭に塗れた票取り議員への魔女狩り・人狼裁判がお盛んである。自分が選んだ候補者を後から批判する・・・詐欺に遭ったような被害感があろう。

 抑々、国民に投票の義務を強いるならば、合わせて立候補議員蘭に並んで「棄権」という蘭を設けてもらいたいものだ。“投票の義務” には当然 “棄権” の選択肢があって然るべきだ。

 投票すると高い確率で “後悔” が待っている。“クーリング・オフ制度” のない投票など危なくてしょうがない。鉛筆での記入もどこか如何わしい。消しても消えないボールペンに何故しない。

 “棄権” は国民としての義務違反というが、“棄権” も列記とした意思表示である。投票所に足を運んで “棄権票” を投票出来るなら一番望ましい。妥協の上でも候補者指名を義務付ける・・・後の祭りに目を瞑ったシステムである。

 支那が枯れているそうだ。電力が欠けるとどうなるか、パニック状態寸前の支那に学べるはずだが、日本は学べないだろう。国民は支那の二の舞になる日を覚悟すべきだ。


70歳11ヶ月と13日(令和4年8月26日)

 ロシアの右派思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘ダリヤ氏の運転する車が爆破された事件は100%自作自演であろう。彼女以外にも露で反戦を匂わせる者はKGBの残党を使って葬り去られている。それをウクライナのテロにするにはあまりにも無理があり過ぎる。

 密告や投獄が日常茶飯事の共産主義社会で生き残る国民は自己保身のために平気で嘘をつく気質になるそうだ。そこには「正直者が馬鹿を見る社会」が根付く。そうした中でKGB(ソ連国家保安委員会)の偽情報工作がお家芸となった。プーチンはその真っ只中で育った。自己都合こそ正義と真実なのだ。

 稚拙な嘘が齎す重罪・・・偽旗作戦、フェイクニュースは何れバレる。かつて拙者に誹謗中傷の限りを尽くして墓穴を掘ったクズヲタクを思い出す。クズは被害者を装って同情を買うために嘘を吐く。ひとつ嘘を吐けば、その嘘を守るために更に嘘を吐かなければならなくなる。自己正当化のために嘘を吐き続けた結果、一周回ってどっと矛盾が表面化する。自爆である。クズの周囲には被害者が充満していたことが露呈するや、彼らは怒涛の如くクズへの報復に転じる。クズの終末の悲惨さは爽快である。

 それがこれからロシアに起こる(合掌)


70歳11ヶ月と14日(令和4年8月27日)

 大阪の小学校で実に切ない事態が起きた。特に拙者にとっては身につまされる出来事だ。

 拙者の忌まわしい小学時代を思い出す。教師たちにいじめられた原因は “貧乏人の小倅のくせに成績がいい” ことだった。ある日、金持ちの息子が県の絵画展で賞を取った。落選した自分はいじめられる原因がなくなって安心した。出品した生徒に絵が返って来た。金持ちの息子の所に拙者の絵が、拙者の所に金持ちの息子の絵が返された。子ども同士、その意味はすぐに分かった。そうした不条理が日常茶飯事だった。拙者は小学校生活でそんな大人たちの背中を見せていただいて育った。

 5年生の夏に初恋の子が遠い街に引っ越して行った。自分の中で何かが切れた。あの子がいたから教師たちの理不尽に我慢出来ていた自分に気付いた。教師全員に復讐することを決意した。

 担任が家庭訪問に来る日を皮切りに実行に移そうと決めた。その日、凶器の鎌を持って納屋に隠れて教師を待ち構えていた。しかし、計画は母の機転で失敗に終わった。母は拙者の殺意に気付き、教師が来るなり急用が出来たと偽ってすぐに帰ってもらった。

 “あんちくたら(あんな)ゴミを殺してなんになる”・・・その年、父が他界した。父は内陸線の軌道で家の立ち退きを迫られていたが執拗に拒否していた。父の死後、母が立ち退きを了承してすぐに引っ越した。新しい町の空気は依怙贔屓もなく風通しが良くて小学6年からの新学期から高校卒業までの7年間を伸び伸び謳歌出来た。小学時代の殺意以来、いい加減に生きることをやめたお蔭だ。

 数年前、忌まわしい生まれ故郷の寂れた墓を新しく建立した。拙者なりのけじめだった。

 

 今強いられている水を悲観して命を絶つ子たちにとって、毎日が地獄だ。自分の存在を消すか、拙者のように相手の存在を消すか、2択を迫られた切羽詰まった世界だ。

 誰かがそこから遠ざけてやるしかないのだ。形ばかりの “善処” は、また子どもに地獄を強いる。その時の更なる絶望感が子どもには重く圧し掛かる。新しい水なら子どもは毎日少しづつ強くなれる。いつか賢い報復の仕方を身に付けることも出来る。

 

 その後、偶然、引っ越した町で殺し損なった担任と出会った。再び殺意が蘇ったが、あの頃の狡賢いさまなど見る影もなかった。拙者は一言も発しなかった。ただ黙って途中から青くなっていく担任の顔を見ていただけだ。すぐに目の前から消えた。そう、もう拙者にはいない存在なのだ。

 

〔追記〕

 児童相談所はかつてもこれからも “虐待” に於ける問題に関しては役に立つ組織ではない。児童相談所職員は、公務員の移動先のひとつに過ぎず、虐待も児童福祉の知識も相談業務の経験もない。世間知らずの新卒職員もいる。研修数日で現場の職員となる。期待する方が間違っている。「こども庁」創設構想も根幹の “子どもの命を守る” 問題からは遠い絵に描いた餅。票稼ぎ政策の一環でしかない。昔は “親はなくとも子は育つ” と言われた時代がある。今の時代、良い保護者に出会えなければ子どもは死ぬ。運の悪い保護者に見舞われた子どもは命の危機に瀕し、日々、死のカウントダウンにある。


70歳11ヶ月と15日(令和4年8月28日)

 金太郎飴の一片が欠けてもまた同じ金太郎飴だ。

 警視庁長官と奈良県警本部長がそれぞれ入れ替わってホッと自己満足したのは誰・・・関係者以外にとっては無意味でしかない。それに辞職する当人が「阻止できた可能性高い」というのは可笑しな話である。阻止出来なかった当人の言うべき弁ではなかろう。涙ながらの辞任の弁に気持ち悪い自己愛・・・寒気がした。

 このまま金太郎飴では、国葬で “阻止出来ない事態” が起こるのは確実であろう。ウクライナ侵略レベルを想定した守備・攻撃態勢が取れなければ(警視庁長官の言を模倣させてもらえば)大惨事を招く “可能性が高い” だろう。国葬はテロ犯の大量無差別殺人には絶好の好機となる。海外からの参列者にはひとりたりとも犠牲者が出ないことを祈る。

 さて、支那に巨額の資金が投じられているアフリカに日本は4兆円の支援だそうだ。利息返済の一部に使われるだけだろう。無駄金を溝に捨てるより軍事費に回せばいいものを。

 一つ事が起こればすぐに浮き足立つ。偽善病末期である。崩壊ドラマは見応えがある。


70歳11ヶ月と16日(令和4年8月29日)

 「核」「いじめられっこ」「国葬」の三つの話をしたいと思う。

 NPT決裂を受けて我が国の長は『ロシア 一ヶ国の反対は極めて遺憾』だそうだ。非現実的な条件を押し付けて “極めて遺憾” もないものだ。被爆国である日本こそロシアの反対を逆手に “なれば、止むを得ないが、我が国も二度と同じ被害を蒙ることのないよう、核開発に転じる必要を表明する” と現実的な主張を述べるべきだろう。済崩しの我を受け入れるような正義ごっこで自己防衛出来るわけもなかろう。

 自己防衛と言えば、ナルシスト的な格闘家と八方美人的なお笑いタレントの共通性が興味深い。双方ともかなりの確率で、かつて “いじめられっ子” だった過去を持っている。それぞれ自分に合った身の守り方を模索した結果なのだろう。とすると差し詰め我が国の長は、後者のお笑いタレントのほうか・・・少なくとも、凶弾の的になるようなタイプでもなかろう。

 凶弾と言えば、来る9月27日安倍元首相の「国葬」が日本武道館で実施決定されて久しい。自民党と警察庁の威信を掛けた国民扇動の一大イベントだ。24時間テレビに倣って慈善を叫びながら高額なギャラが支払われるジャニーズでも起用して警備隊長にでも雇ったらどうなのか・・・もしその席でテロが起こったら、今度こそ無条件にミーハーな平和ボケ国民の総批判を喰らわせて票田増加に繋げられる・・・そう簡単にはいかないか。

 現状では、カルト被害者の山上徹也への追い風はかなり強いことをもっと自覚した方が良い。彼の存在は単なる犯罪者の域を遥かに超えてしまった。そのどさくさに紛れる単独テロ犯、機に乗じた侵略国の暗躍、自暴自棄無差別犯らの絶好のタイミングになっている。金太郎飴の公安警察組織がそれを阻止できるとは到底思えない(合掌)

 国葬は、日本の防衛レベルが明確になる日・・・金太郎飴組織のお手並み拝見の日である。


70歳11ヶ月と17日(令和4年8月30日)

 日本の八方美人の長が、若い女子たちに「決断力全くない」と、ついにいじりキャラになっているそうだ。日本の長がプーチンだったらと思うと、日本は素晴らしい平和ボケ国家であることが実に誇らしい(笑)

 国家の終焉は身内の臨終より立ち会いたくなっている自分の老後は、すっかり無責任な野次馬に脱皮した感じだ。この脱皮は、高齢者がこの世を楽しく生き抜くための新たな確信的認知症とでも言っておこうか。

 最近は、永田町の鳥獣人物戯画でも描き残したい心境である。永田町の鳥獣人物戯画の登場人物は、自己愛のみで生きている鏡に写らない物の怪である。物の怪の周囲には孑孑住民が永田町から放たれる汚物に、洗脳された陶酔の表情で群がっている。それを“確信的認知症”の住民が高みの見物をしてほくそ笑んでいる。遠くからは侵略の “農場主” が家畜軍団を引連れて、空飛ぶドローン蝿にうんざりしながら近付いて来る甲・乙・丙・丁の全四巻からなる構図である(笑)

 昨今、食糧危機が迫っている。少ない餌で豊富なタンパク質などが採れる栄養価の高い食用コオロギの生産が拡大しているそうだ。コオロギとゴキブリの区別が付かない若年層も多かろうが、今やコオロギ煎餅は品切れになるほどの大人気だそうだ。これが今の現実とは到底思えないが、まぎれもない今の現実である。イナゴの佃煮は一回だけ食べたことはあるが、馴染めなかった。やはり拙者には理解不能な未来への変貌である。

 既に2013年には国連食糧農業機関(FAO)では、「昆虫食」は食糧危機に寄与するとして推奨済みだそうだ。もう10年前にそんな事態にと、今更ながらに驚きである。永田町の鳥獣人物戯画に昆虫愛護団体によるコオロギ一揆の場面も追加せねばなるまい。


70歳11ヶ月と18日(令和4年8月31日)

 「兄弟福祉院」について記しておきたい。

 1960年から90年代初め、某国某市の警察と市が、法的手続きを取らずに「障害者」「浮浪者」「不良」らに無銭飲食などの軽犯罪容疑を理由に「兄弟福祉院」という福祉施設に収容していた歴史がある。

 収容者は1975年から86年に掛けて約3万8000人が連行され、虐待や強制的な労働を強いられ、収容中の死者678人に上ったことから、「某国のアウシュビッツ」と言われている。最もひどかった某政権下の1981年。「物乞い行為者を一斉取り締まりするよう」浮浪者の強制収容を支持した時代があったという。

 その某国が今、支那経済不振の直撃を受けるている。となるとまた、支那の産業スパイのお得意先でもあるATM国日本への物乞いの熱視線は必須であろう。慰安婦問題と徴用工問題に関しては、強制労働の証拠などないにも拘らず某国との基本条約(1965年)と慰安婦問題某国との合意(2015年)で被害者と言われる人たちへの謝罪と補償という大盤振る舞いだ。以来、某国は日本をATMと認定している。

 慰安婦問題と徴用工問題は「兄弟福祉院」問題とは全く別物だが、それらを同類に見る某国人は少なくないという。歴史を厳しく検証する裁量がある国家ならば、某国軍によるベトナム戦争時の虐殺問題は解決に向かうはずであるが、それは黙認したまま遅々として進めないのは何故だろう。

「兄弟福祉院」に入ったら理解出来たのではないのか(合掌)


70歳11ヶ月と19日(令和4年9月1日)

 河野太郎消費者相が息巻いておられるようだ。

「霊感商法などに関する消費者庁のこれまでの対応をしっかりと検証して頂いて、被害の未然防止、被害の救済、事業者への対応について最近の動向を踏まえて議論して頂きたい。スピード感をもってやっていただきたい」・・・と、カルト臭漂うセンセ方に促している非現実的な熱い声明である。

 検討会の委員には旧統一教会の被害者救済の実力派、紀藤正樹弁護士などを起用なさって体裁を繕っているそうだが、効果のほどはといえば、精々岸田政権への駆け引き材料による揺さぶりで河野氏の存在感は守られる・・・その程度のことだ。国民には何の利もない。現実は今後と何も変わらない。期待するだけ徒労になる。旧統一教会も創価学会も永遠に不滅なのだ、信者高齢化の20年後までは。

 しかし、カルト被害者によるウルフテロは活発になることは間違いない。山上徹也が意図せずしてその道筋を切り拓いた。また、コロナ失業の才ある若者によってカルト抹殺代行組織が出現すれば、オレオレ詐欺より効率のいい一大事業になるかもしれない。カルト被害者にとって、大義名分を必要とする治安維持法の適用を待っていたら復讐前に一生が終わる。金で迅速に “けり” を付けてくれるカルト被害者のための報復代行会社があれば大忙しになろう。

 毒親被害が蔓延した社会から弾き出されている14歳未満が激増している。彼らはその不合理な怒りの捌け口に飢えている。彼らの心の的を射た使命に目覚めて実行部隊となれば、送致までは大忙しで富を得られる。運悪く送致されても、そこには児童福祉法26条1項によって、公務員が緩く勤務している児童相談所が優しく待っているだけだ。これからは14歳未満が活躍するウルフテロ産業が栄えよう。

 厚労省は永田町農場温泉にどっぷり浸ったセンセ方で大賑わいの狂い咲きだ。学歴ある官僚さまは湯あたりで、子どもたちに見せる背中は醜態を晒して真っ赤に百花繚乱・・・迷走する世の中、面白さ満載である。


70歳11ヶ月と20日(令和4年9月2日)

 「国葬」だ、「国葬儀」だ、「合同葬」だというが・・・

 国葬とは、国葬令のあった戦前に全て国費負担で行われた葬儀で、国葬令の廃止された戦後に於いては、国の儀式として閣議決定で執り行われる国葬儀と称するそうだ。従って国葬令のない戦後に於いては「国葬」ではなく「国葬儀」と呼ぶのが正しいことになる。

 ノーベル平和賞の佐藤栄作元首相の場合は “国民葬” だったそうだが、国民葬の場合は一部遺族も葬儀費を負担したようだ。中曽根康弘氏や宮沢喜一氏は合同葬で、半分国費負担で残り半分は内閣や自民党の負担だったそうだ。

 それより、危惧するは複数のウルフテロに対する警護対策であろう。国葬儀に2憶5千万掛けるというが、警備には別途約26億円掛かるという試算も出ている。「総経費は葬儀の後で報告する」という政府の見え透いた詭弁が笑える。

 海外の現役首脳が出席の答を出していない。中には代行を立てて出席のお茶を濁している首脳もいる。それはそうであろう。国葬儀の当の故人は “警備の失態” で凶弾に倒れたのだ。海外の首脳には、故人の偉大さには賛辞を送れども、日本の警備への信頼はないということだ。政府の威信を賭けた “弔問外交” の目論見は失敗したのだ。

 岸田政権はいつまで “夢見る夢子ちゃん” でいるのだろう。これからも “思ってたんと違う” 結果が出て “内閣支持率” とやらのインチキ数字が下がる一方だのどうだのとマスコミが囃し立てて、互いにその役立たずぶりを発揮するのだろう。悲惨な喜劇である。


70歳11ヶ月と21日(令和4年9月3日)

 合掌の日々である。

 世論に押されて已む無く自民党は旧統一教会との関係を絶つという党の基本方針を「守れない議員がいた場合には、同じ党では活動できないと考えている」との見解を示した。

 旧統一教会側からの逆襲リークに戦くのは「賛同会員」なる票取りムシどもだ。因果応報のドラマを期待する。大学生の青田刈りに暇がないカルト臭濃い教団が “今回はこの人にお願いします” といえば信者は盲目的に一所懸命だった。それを体裁づくりの絶縁宣言で次の票田になる信仰を強制させられていた信者の子どもたちの票も失う事になった。

 日本人でありながら鳥居を潜れない、門松も飾れないカルト臭濃い信者の子らは、生まれた時から訳も分からず神社や露店や奉納相撲やみこしには縁がなかった。一生をカルト臭濃いインチキ教に縋り付き、数多の人たちに不幸を撒き散らす使命で彷徨っている(合掌)

 日本国内のグダグダに比して、世情は急速に戦争に向かっているようだ。IAEAが露軍の占拠する欧州最大のザポロジエ原発に到着するや露軍はその原発に砲撃して調査を妨害。まるでやることが餓鬼だ。一方、ウイグルの虐待を国連がやっと認定する中、台湾は国籍不明と称する支那の撮影用民用無人機を撃墜した。米擁護のもと徹底抗戦の象徴となろう。世界大戦に発展するはっきりとした兆しと見る(合掌)

国内が一方向に向かって態度がはっきしている台湾やウクライナと違い、露も支那も国内が一枚岩ではない。両国とも僅かの切っ掛けで各地で一斉に内紛が勃発する常態だ。また歴史が繰り返されようとしている(合掌)

 米の傘下にあると勘違いしたまま優柔不断をよしとして箍の緩んだ意志薄弱な日本は、世界情勢の渦の中で無策に因る甚大な被害を蒙るだろう。強い国防の意志のない国に相応しい自業自得の結果が出るだけである(合掌)

 GoToキャンペーンでの地獄めぐりはとても楽しいが “人生100年時代” に乗せられるのは勘弁してもらいたい。今は我ら老夫婦とも元気溌剌だが、いつか妻を看取って一段落したらすぐにお暇したいぞと思う(合掌)


70歳11ヶ月と22日(令和4年9月4日)

 かつて拙者が猫を飼っていた頃、彼女(雌だった)から闘い方を学んだ。猫パンチの使い方である。猫はやたらと猫パンチを使うわけではない。敵(または死の玩具遊びの生き物)に強烈な一発を浴びせたら動き始めるまで手は出さない。動き始めた途端、また強烈な猫パンチを浴びせる。それを敵が息絶えるまで続けるのだ。嗜好の活殺レクリエーションを猫は知っていた。生かさず殺さずの知恵があれば、自分に害ある存在、目障りな存在は猫パンチゲームで一生楽しめるということだ。

 『百姓は生かさず殺さず』のもとを糺せば、本多佐渡守正信の『江戸雑録』に因る。その意味の真意は「毎日の生活に困らない程度の財は残せるような政策に務めることが、百姓を治めるには最も良い方法である」という意味だった。要するに “ほどほどに” ということであろう。しかし今の世の中、“ほどほどに” などという生温い対応では全く油断出来なくなってしまった。やるなら徹底的に根絶やししなければ足下から切り崩される。少なくとも敵がこの世に存在する限り、プーチンの如く逆襲の恐怖に怯え続けなければならない。

 さて、ウクライナの逆襲が本格化し、プーチンの恐怖の幻想が現実となり始めた。世論は何処まで露を叩き潰すことを望んでいるのか・・・拙者には “支配” の野望すらちらつく。猫パンチの適時打によって世界に露の燃料が解禁されれば世界経済は一気に復活する。“夢でござる” と雄叫びを挙げて彷徨うプーチンの姿が猫パンチで一蹴される姿が目に浮かぶ。


70歳11ヶ月と23日(令和4年9月5日)

 ついにウクライナ侵攻に加わったロシア軍兵士が亡命手段に出るなど、戦争への支持が低下するロシアで・・・

 ウクライナ侵攻を「悲劇的出来事」としたロシアの石油大手ルクオイルが病院の窓から転落(させられた)。立て続けに起きているオリガルヒ関係者の不審死や自殺未遂。ロシアの思想家、アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘、ダリア・ドゥーギナ氏が爆殺された事件。強硬派・連邦保安庁(FSB)がロシアの各都市でテロを組織し、大量の民間人の死傷者を出している。強硬派の思い通りにならない場合、プーチンはこの戦争には必要のない人間になる。

 強硬派とは・・・国家安全保障会議書記のニコライ・パトルシェフ、国防相セルゲイ・ショイグ、ロシア対外情報庁(SVR)トップのセルゲイ・ナルイシキンの3人といわれる。彼らは元KGBのエリート幹部としてプーチンと共に育った。彼らの思想は『ロシアの敵である西側諸国に傾くウクライナはロシアの脅威である。伝統的価値を守る最後の砦はロシアである』という自己中心的な時代錯誤だ。

 かちかち山のたぬきは早々に亡命先を決めねばならなくなっている。そこは何処なのか・・・国が真っ二つに割れているイランか、強かな支那か、ロケットお坊ちゃまの北か、それとも獅子身中の強硬派の猫パンチか・・・己の保身如きで国家の未来にどんな悲惨な状況が待っていようと、今の為体から抜け出せはしないだろう(合掌)


70歳11ヶ月と24日(令和4年9月6日)

 日本に於ける犯罪被害者と加害者に付いて考えてみた。

 加害者は自分を正当化する手段として “被害者” を装う。例えば戦争に於いて、露は “ナチズムからの解放” と嘯いて特別軍事活動と銘打った。何の事はない一方的な侵略である。

 指揮の優劣は犠牲に対する耐久力で決まるといわれる。指揮に於いてウクライナが露を越えているのは、“被害者” だからだ。露がいくら被害者を装っても現実的な被害者のウクライナに露の指揮は及ばない。

 さて、日本の国内情勢ではどうか・・・犯罪被害者が報われることのない国である。日本国憲法は加害者の無責任を増長するように出来ている。例えば、犯罪被害によって経済力が断たれた場合、加害者に支払い能力がなければそこで終わりだ。犯罪被害給付制度はあるが一時的な給付など焼け石に水である。更に加害者が14歳未満であればその責任能力は少年法の “更生” の大義名分で藪の中になる。

 日本は、一旦不意の被害を蒙れば遺族は苦難の道を強いられる国だ。箍の緩んだ日本で己の身を守るには、被害を受けたら過剰防衛の覚悟がなければ身を守れない。加害者の残虐さが剥がれた時の負のエネルギーの大きさを認識しておく必要がある。

 “みんなと仲良く” などと非現実的で危険な妄想は捨てなければならない。性善説を盲信する“話し合い”ありきの平和ボケでは命を失う。“話し合い” は加害者に致命的なダメージを与えられた者だけに与えられる“余裕”であり、ほぼ絵に描いた餅であろう。加害者を守る偽善に惑わされてはならない。

 ウクライナに学ぶところ大である。被害者が報われるまでの道のりは遠い。その日は来ないかもしれない。加害者の理不尽が罷り通る世界なのだということを肝に銘じておかなければならない。

 街を歩けば、どのへたれが牙を剥いて向かって来るか分からないスリリングな時代だ。人間の急所は結構ある。加害行為で命を落とすことが寿命や病気で死ぬより不本意であれば、せめて、合法的所持品や見渡す環境の中で何が咄嗟の凶器になるか確認して急場に備えるしかなかろう。

 巷は今日も五輪汚職の芋蔓ごっこがお盛んだ。人生が恥の掻き捨てにならぬようセンセ方を見倣わねばなるまい(合掌)


70歳11ヶ月と25日(令和4年9月7日)

 老害ひとりの所為で世界規模の数多の人生が破壊されている。

 ロシア軍の士気低下は給与未払いも原因という英国防省の分析。君子危うきに近寄らざるを得ずに亡命に走るロシア兵も気の毒ではある。会社なら倒産ということで「社員は悪くありません。悪いのはすべて経営陣です」と号泣してくれる長もいるし、世間の同情も得られるが、命令に従って人の命を奪ってしまったロシア兵にはひとかけらの同情も持てない。

 「祖国を守る」という明確な目標があるウクライナ兵に比して、何のために戦っているのか納得出来ない露軍の兵士。報酬も払えずに泥船化している国からは兎に角立ち去るしかないだろう。露軍にこのまま留まれば戦況悪化と共に死を待つしかない。

 露軍最強のワグナー部隊と呼ばれる残虐部隊は、恩赦で動員したロシア刑務所の囚人兵からなり、一時は正規軍より兵員がいたが、この部隊の損耗も大きくなっているようだ。露軍にもウクライナ軍にも居なくていい存在であろう。何しろ国の長は保身と贅沢三昧の為体で忙しい。洗脳に乗って出兵した一兵卒連中如きに、況してや囚人上がりになど無い袖は振れないだろう。仮に、折角届いた給与も現場の指揮官の腐敗でウヤムヤの可能性もある。理性を失った人間にとって金と性への執着は所構わずだ。

 簡単な解決方法がある。粗雑に扱われた一兵卒は残る弾薬全てを、自国に集中 “誤射”してから欧州に亡命すれば、幾分刑も軽くなろう。更に囚人の恩赦兵にしても晴れて異国の娑婆で第2の人生を歩めるかもしれない・・・という甘い汁は如何(合掌)

 巷は “何が問題なのか分からない内閣” 支持率の世論調査祭りが始まった。認知症や自殺も激増しているという。そうした彼らのほうが“まとも”に思える東京の曇り空。


70歳11ヶ月と26日(令和4年9月8日)

 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)“隠し” 強化週間が続いている。カルト団体は負けじと消費生活センターに「被害相談が寄せられた場合は連絡してほしい」と要請するは、目の上のたんこぶであろう全国弁連の紀藤正樹弁護士に「紀藤君 君は何十年も旧統一教会を食いものにしてめしを食って来たね。今回もテレビで見ました。君の身体の細胞が死んでいる 気をつけたまえ!!」などと稚拙な作文を送り付けるは、浅まし過ぎる姑息さには寒気がする。

 形ばかりの強化月間が明ければ、憲政史上最長の8年8ヶ月にわたり重責を務め安倍氏の国葬儀である。公明党は創価学会、自民党は統一教会という縛りがすっかり定着した。韓鶴子教団総裁を“マザームーン”と讃えた信者政務官のことはスルーだ。信者を地獄に落とし、財産や魂を剥奪する加害者教団が称賛される開かれた時代の法に基づいた謙虚なる “要請” 政治。日本は何と素晴らしいどうでもよい国なのだろう! 日本国万歳!

 さて、身の毛もよだつヨイショはこれくらいにして、今日の妄想日記をしたためるとする。

 先月末に岸田首相は「(国葬儀には)諸外国から多数の参列希望が寄せられている」と言っていたはずだが、締め切りの8月中旬を過ぎて9月になっても多くの国からの参列の返事がないという。またしても “夢見る夢子ちゃん” の “思ってたんと違う” 事態が起きているらしい。

 弔問如きで命を危険に曝すバカはいない。“弔問如き” と言ったが、拙者は生存中の交流が全てだと考える。親子でも “死に目” に会う価値のあるなしは全て生存中の交流にある。故人も大切な人であればあるほど “命の危険”を侵してまで弔問に来てほしいとは思わないだろう。

 葬儀は生前に拘った関係各位の自己納得でしかない。生存中に精を尽くした者は “死に目” などには拘らない。遠くにあって手を合わせるだけで納得できよう。況してや他人の死を政治利用するなど腐った人間のすることだ。この期に及んでも警備の無様を晒せば目が覚めるのか・・・いや、終生 “夢見る夢子ちゃん” であろう。

 カルトも姑息、政府も姑息・・・偽善の代替エネルギーより厄介な代物だ(合掌)


70歳11ヶ月と27日(令和4年9月9日)

 本日は重陽の節句。

 古来支那伝来の「陽の日」の節句で、3月3日や7月7日など、奇数が重なる日を祝う中で最も縁起のよい日とされる。別名「菊の節句」と呼び、酒杯に菊の花を浮かべて不老長寿を願うそうだ。人生100年時代に相応しい趣向のようだが、拙者は遠慮したい。菊はコロナ過で不作法のままだった墓参に手向けることにした。

 巷では、息子がいじめを受けている相手を問い詰めようとした父親が傷害容疑で逮捕されたという理不尽な記事があった。父親はそれでいいと思う。息子には逞しい父の背中が見えたことだろう。いじめ加害者の中学生は、いじめ被害者の父親が話をしている最中に刃向って来る愛情に飢えたクソガキである。拙者だったら学校ではなく・・・発言はここまでにしておこう。

 こういうクソガキも何れ所帯を持って “昔はやんちゃしてた” 云々と抜かしおる姿には常に “ふざけるな!” と思う。“終わってねえんだよ!”と思う。加害者への報復は“自力救済”とやら称して禁じられている。しかし、報復は時を越えても消えないのは人間の尊厳が満たされないからだ。国が代わって判断する報復刑は加害者に有利に働く以上、この世から報復は亡くならない。

 意味も分からずツキに見放された人生だと思っているやつの中に、過去のいじめ被害者からの合法的な報復の贈物の場合もあるから気を付けた方が良かろう。

 いじめを受けた者は、今さえ乗り越えれば、いじめ加害者より数段必ず強くなれることを信じて欲しい。不幸なのは “思ってたんと違う” 親の愛に飢えて加害行為を暴走させるしかないクソガキなのだ。そういう魔物に負けてはならない。いじめ加害者は生きている限り、過去の愚が暴かれるのを恐れ続けなければならない。それがバレたら(被害者がバラしても法には触れない)世の中からはクソ扱いされる。

 一方、いじめを乗り越えた被害者は、人の痛みを理解出来る。これは社会生活にはとても重要なことだ。更に、過去の苦痛について痛みの理解出来る多くの人から好意的に見てもらえる未来が待っている。社会に出れば、毎日が縁起の良い重陽の日になるのだ。

 

70歳11ヶ月と28日(令和4年9月10日)

 十五夜の月は期待出来ようか・・・

 月を見て盃を傾ける・・・すっかり酒を受け付けなくなった拙者には縁のない光景になった。かつて美酒佳肴に目がなかった頃でも、旅先では呑まなかった。折角の旅先での時間の限られた情緒を味わうのに、酔っ払っていては勿体ない。酔うと五感と判断にズレが出る。友と酒席で語り合うのもオツだが、今では友が次第に酔って行く姿を見る方がオツに思える。幸せそうな人を見るのは気分がいい。十五夜の月を見なくても、酒がなくても、拙者には若かりし頃の嗜好の “思い出” が刻まれている。加齢とはそういうことなんだなと思う。

 今朝の一面にエリザベス英女王の死去の記事。そして国民の信頼から遠いスキャンダラスな新国王。エリザベス英女王の望みは故・ダイアナ元妃の愛息・ウィリアム王子への王位継承ではなかったか・・・他人様のお家事情は傍観するしかないが、“国葬” で送られることに誰もが賛同することは羨ましい限り。

 政治は国民の鏡であることに気後れする昨今である。平和ボケは不治の病だ。


70歳11ヶ月と29日(令和4年9月11日)

 今日は立春から数えて二百二十日の台風が来襲する厄日とされるが、9月11日といえば二百二十日より、2001(平成13)年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件を想起してしまう。“9.11” によって世界観は大きく変えられた。そして今は露の侵略戦争がその座にある。

 あまり一般的な知識として普及していないが、この日は既に国有化された尖閣諸島に含まれる一部私有地の魚釣島・北小島・南小島の3島が20億5000万円で国有地となった日でもある。国有化の議論にあたっては当時の駐中大使・丹羽宇一郎氏が支那に尻尾を振って「(尖閣諸島購入を支持する)日本の国民感情はおかしい、日本は変わった国なんですよ」と頓珍漢な国賊発言をして更迭された話を思い出す。いつの世も老害は隈なく存在する(笑)

 さて、事件を笑っては不謹慎だが、笑った。ウクライナの露大使館でタリバンのテロがあったそうだ。露政府の報道官は記者団に「これは紛れもなくテロ行為で、まったく受け入れがたい」と話したそうだが、どの口が言うのかと笑った。


「汝らの中罪なき者、まず石を投げうて」

「人の振り見て我が振り直せ」

「同じ穴の狢」


 露政府の報道官のオツムは大丈夫なのだろうか・・・大丈夫なわけはない。そう言わなければ命がないのだ。露軍戦死傷者がウクライナ軍を遥かに超えるヤバい数になっているそうだが、それは黙認する報道官である。露はオツムが大丈夫では生きられない厄日に見舞われているのだろう(合掌)


70歳11ヶ月と30日(令和4年9月12日)

 古希最後の日・・・

 古希の一年間も妄想を楽しむことが出来た。拙者の妄想はこれからも止むことはなかろう。妄想から見る人間の我欲は賑やかでいい。傍観しているだけで喜怒哀楽が刺激されて退屈することはない。

 いざこの妄想が、現実となって己の身に降りかかって来たら、残る精気を振り絞って返り討ちすら夢見る今日この頃、究極の残虐な光景を妄想する罪深き危うさよ。

未だ血気盛んな七十越えの我が身を鎮めるべく、座席に背を寄り掛け、過ぎゆく景色を時折眺めながら、のんびりページを捲りたいと思っていたら、正に妄想に英気を補給し溜飲の下がる絶好の本が好みの本が見付かった! 読後の妄想楽しみな古希最期の日である。拙者の古希は今日が千秋楽だ。


 古希に一区切りの日記だが、明日からまた五里霧中の妄想の日々を、確実にやって来る千秋楽に向かっての初日が始まる。この先いつまで妄想を満喫しながら浮遊出来るんだろう・・・人間は誰しもいつかは死ぬ。拙者は死を恐れたことは一度もない…と言いたいが、一度だけある。

 かつて拙者は小脳梗塞で倒れたことがある。合わせて癌の治療もしており、余命一年の宣告も受けていた。拙者には泣きっ面に蜂だった。全身が麻痺した救急車の中で、やり残した後悔が蘇り “癌の余命までは死にたくない!” と思った。やり残したこと…いや、し忘れた事と言ったほうがいいかもしれない。妻への恩返しである。全く妻孝行に無頓着な人生を送ってしまっていた。“出来るなら一度だけチャンスをください!” とその存在すら分からない神に願った。

 回復は早かった。翌日には血管の破裂部分が修復されていた。意識障害もなく入院3日目からのリハビリも順調に進み、後遺症は全く残らなかった。余命一年の可能性が出て来たが癌が転移した。しかし、“順調” に余命を消化出来ると抗癌治療は拒否し、余命の期間、妻に全力で孝行しようと決意した。

 ところがかつて看護師をしていた娘に “抗癌治療はしてほしい、死ぬのはあなたの孫の役に立ってからにして”と言われた。孝行をしなければならなかったのは妻だけではなかった。抗癌治療に期待などあるはずはなかったが前向きな姿勢だけでも示す必要があった。そして、抗癌治療で転移が消えて癌も消えた。今、定期的な免疫治療の静脈注射で余命一年が遠い過去になった。

 コロナ過にあって、孫の成長も活力になっている。娘は言った。“居てくれるだけで安心だから” と。抗癌治療で未だ体力が戻らず、“居るだけ” にすら負荷を覚える老人というものの枷を背負ってしまったが、念願のし残した妻への孝行の途にあって5年目を迎えた。

 不合理な世界も悪くはない。若かりし頃は、不愉快こそエネルギーの源だった。ふと鏡を覗けば、拙者の顔には今や人の醜態と崩壊に美さえ覚える不気味な妖気さえ漂って来た。飛べるまで飛んで不様に滑り転げて笑って絶えるのも悪くはないが、人生100年時代には右倣いせずに、妻、娘、孫への孝行の道すがら、己に見合った適当なところで切り上げたいものである。去り際を間違えた老人ほど哀れな姿はない。神のチャンスに感謝する日々である。


( 完 )


※ 『古希こき妄想日記』は『錯乱簿』に続く(毎日更新)

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古希こき妄想日記 伊東へいざん @Heizan

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