課税の真実

湾多珠巳

課税の真実

  

 後になって考えると、その騒動は三つの要因が重なってヒートアップしたものだった。

 一つは、今さらのことだが、少子化の深刻さが改めてクローズアップされていた時期だったと言うこと。出産率がいくつ下がったの、国の一人当たり教育コストが十年前の何倍になっているのと、意図的とも見える話題づくりがやたら多かった。

 当然、俺達ジャーナリストは警戒していた。どうもこれは、政府が今までにない思い切った政策を発表する前触れなんじゃないかってね。噂に踊らされている空気がなきにしもあらずだったが、スクープの臭いもそこはかとなく漂っていた。政治部以外の遊軍記者が、自己流であちこち嗅ぎ回りだしたのも、まあ無理のない話だったさ。

 だからその夜、記者仲間の田島が帰宅途中の俺に電話してきた時は、一瞬でピンときた。こいつ、とうとう例の件をつかみやがったなってね。

『は、初崎か? 俺だ』

 平素はお気楽で超軽量級のネタしか振り回さない奴が、異様に怯えた様子だった。まるで誰かに追われているような。俺は慌てて自動車を停め、運転席で携帯を構え直した。

「田島? お前か? どうした、大丈夫か?」

『だ、だめかも知れん』

「! それはどういう――」

『いいか、一回しか言わんぞ。政府は子供を作らない成人に対して、懲罰的な特別課税制度を導入しようとしている』

「何だって? 特別課税を? 特別支援じゃなくて?」

『課税だ。間違いない』

「バカな。一体何に対する課税なんだ」

『一種の贅沢税だろう。つまり、その、子作りに貢献せず、無駄に遊ばせている生殖器官、というモノに対して』

「せ、生殖器官って……課税の話なんだぞ。そんな露骨な単語で――」

『真面目な話なんだ。裏もある』

「いや、それが事実だとすれば……ほとんど人権侵害じゃないか。いったいどこがそんなむちゃな提案を――」

『俺は文字情報で確認したんだ! 三日間大臣の旦那の個人メールを……う、もう来やがったか!』

 電波の向こうで、複数の足音が入り乱れているのが聞き取れた。

「田島!? お前、まさか閣僚関係者の私信をハッキングしてたのか!?」

『初崎! これが証拠だ! 裏を取ろうとしたら、こいつら、血相変えて俺を追いかけ回してやがるんだ!』

「おい! 今どこだ!? 大丈夫か、おい!」

『後を頼む! このスクープを……に……ってくれ……』

 数人の男が罵り合う声がして、衝撃音が重なり、電話は切れた。すぐにかけ直したが、田島の携帯は電源が切られていた。

 本当にネタを追って政府から拘束されたのだろうか。それほどまでに政府は本気なのか。

 俺は急いで社に戻り、上司にあらましを伝えた。いつもの習慣で、通話内容をボイスレコーダーに記録していたのが効果的だった。話そのものはかなり荒唐無稽だったし、事実としてもそれで彼の身が危険にさらされるようには思えなかったが、録音記録は臨場感満点で、誰だって事態の深刻さを見て取らずにはいられなかったのだ。

「大至急、A班はこの件の裏を取れ。B班は公安関係を当たれ。田島の身柄拘束が本物なら、スクープの真実度もかなりのものになる。連絡を絶やすな。用心して行け!」

 デスクがハッパをかける中、俺達はとにかく厚生労働相に当たってみた。大臣は井坂元子、五十八歳、内臓系の病気持ちだという噂のあるおばさんだ。これも後から考えれば、だが、この騒ぎが必要以上に大きくなったのは、彼女のような人物が大臣をやっていたからだ。彼女その人が、騒動の二番目の要因だと言える。まあ、その点を責めるのは酷だけれども。

 井坂大臣に接触したのは翌朝だ。この上なく誠実に振る舞ったにも関わらず、やたら冷たくあしらわれた。日頃は記者の質問を無視し通すような人じゃないだけに、疑惑だけが募った。田島の行方も知れないままで、事務官によっては明らかに何かを隠しているような素振りも窺える。

 俺達はもちろん一連の調査を内密に行っていたつもりだったが、スクープを追って記者が一人行方不明になったという事実には、他の同業者も見て見ぬふりをいたしかねる部分があったらしい。あるいはたまたま田島の周辺には、あえて空気を読まずに大騒ぎをしたがるタイプの人間が固まっていたのかも知れない。田島を知るフリーの業界人の一部が田島の安否についてやや大げさな記事を発信し、そこから社の外側からうちの政治部に問い合わせが複数来たことから秘密は破れ、翌日の午後には他の社にまで広く知れ渡ってしまった。

 この時点でうちの上層は一社での独占スクープを諦め、業界全体で政府へ情報公開を迫っていく方針に決めたようだ。田島の件も公開で捜索する形となり、俺達はありのままを他紙に語った。色めき立った何紙かが夕刊でフライング記事を載せ、「取材の権利」と「結婚・恋愛の自由」という二方面から、硬軟取り混ぜた議論が展開された。

 何しろ、スクープが本物なら「人体器官に対する課税」という、前代未聞の税制が成立するのだ。まして、その器官の部位が問題である。

 あるスポーツ紙などでは、わかりやすさ最優先で、一面にでかでかと「性器に課税!!」という題字が踊っていた。さらに二日後、その表現は一般紙にまで広がり、スポーツ紙はさらに直接的な仮称を使うようになったが、それを記すのは控えておこう。

 話が一挙にややこしくなったのは、三日後、田島がある病院で昏睡状態でいるのを発見されてからだ。運んできた男達は、「勝手に滑って頭を打った」と語って姿をくらましたらしく、ますます闇が深まってしまった。

 ついに厚生労働相自ら記者会見を開いた。それによると、彼女の側近達がたまたま転倒した田島を見かけて病院に運んだのは事実とのことだ。しかし、それ以外に何らやましいことはないし、流れている噂も全くでたらめだと、強い調子で訴えた。

 誰も納得しなかった。田島とのつながりが明らかになった以上、録音記録は強力な追及材料だったし、彼の取材に行き過ぎの面があるにせよ、問題の〝法案〟はそれ以上に過激なしろものなのだ。

 一ヶ月後、田島は依然目覚めず、世論はますます混迷の度を深めていた。「国に益さない生殖器への税」という発想はある意味斬新であり、少子化対策としても一理あった。法学者や宗教家は、それぞれの見地から活発な発言を繰り返した。彼らはいっそ楽しそうだった。が、実現すれば国民の相当数が不利益を被る法案だけに、庶民レベルでは感情論が目立ち、マスコミは例によって部数アップのためのマッチポンプしか考えてなかった。

 事件から一ヶ月半後、井坂大臣が辞任した。健康上の理由という話だったが、一連の混乱に対する引責辞任という見方が一般的だった。

 真相が明らかになったのは、大臣が辞任の二週間後に子宮ガンで急死して、それと入れ替わるように田島が目覚め、事の次第を聞いてからだ。

 ほとんど同じタイミングで、亡くなった大臣側の情報も公開されたため、田島の一言一句はそれほど障害もなく、裏取り作業を短時間で進めることができた。

 結果、社全体に激震が走った。

 これを表にすれば、大嵐が吹くのは、会社一つの中どころではない。会議は揉めに揉めた。いっそ、田島を始末しろ、と言い出す者さえ現れた。

 だが、我々はマスコミ人だ。全国民的な興味を集めていただけに、俺達はその真相をオフレコに出来なかった。結果、国中が脱力し、海外メディアは「史上まれに見る不毛な六十日間」と銘打って、さんざん笑いものにした。

 つくづく思う。この騒ぎの三番目の要因、それは田島という我らが愛すべき新聞記者が、どうしようもないほどそそっかしい、誤読の天才だったと言うことだ。

 彼は井坂大臣の夫がファイル共有ソフトを使っていたのをいいことに、情報の断片を盗み読みし、親類の医師から発信された、大臣の病状の周辺的な説明であるはずのごく平凡な文章から、とある部分を「性器税」と読み取り、隠語混じりの政略通信であったと解釈してろくに検証もせずにその一言に飛びついたあげく、前後を彼なりに補完して俺に電話したのだった。

 お分かりだろう。全く、大臣には気の毒なことをしたと思っている。

 その三字熟語は「性器脱」だったのだ。



<了>


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