【21】突入作戦③

「水谷!」


 俺は彼女の名を叫びながら駆け寄った。

 汚い床に倒れていた彼女の身体は、信じられないほど傷つけられていた。

 水谷はほとんど裸の状態でぼろきれの様な布を羽織っているだけだった。

 素肌にはまだ新しい切り傷が無数にあり、殴られて青く変色している所がたくさんある。


 いったい、彼女はどれだけの拷問を受けてしまったのだろう。

 彼女の身体を起こして名前を何度も呼ぶ。

 身体を起こした時、彼女の目が布で覆われているのに気が付いた。

 万が一逃げられないようにしていたのだろうか?


 俺はその布を解いて、そして絶句した。


 本来あるはずの目が無かった。

 彼女の両目はくり抜かれていたのだ。

 布の裏を確認すると赤黒い血が付いていた。この布はそれを隠すための物だったのだ。


 怒りと後悔の感情が押し寄せてきた。


 どうしてこんなことになってしまったんだ……。

 もし俺が探偵事務所に入らなければ、水谷の依頼を断っておけば、俺が水谷と出会わなければ、こんなことにはならなかったかもしれない……。


 気が付くと、涙があふれていた。


 あんなに無邪気な、悪く言えば天然な、可愛らしい瞳はもうどこにもない。

 俺は泣きながら、彼女の目を布でそっと結び直した。


「……ぁ」


 ほんの小さな声で、水谷が声を発した。

 まだ生きている!

「水谷?水谷!」

 俺は再度彼女の名を呼び続ける。


「……あれ?……先輩?」


 小さく、擦れた声で彼女は話した。


「そうだ俺だ!水谷、今までよく頑張ったな!助けに来たぞ!」


「……あぁ、そうなんですね。……神様、ありがとう……」


「え?」


「……先輩、私捕まっている時、ずっと神様にお願いしていたんです。死ぬ前に、どうか先輩に会わせてって……。お願い、叶いました」


 彼女はそう言うと、手を動かした。

 俺の身体を何度かぎこちなく触り、頬に手を当てた。

 その行動で、彼女は目が見えないことを自覚しているとわかり、また涙がこみ上げてきた。

 今にも泣きだしそうな自分を必死に諫めて、俺は彼女の右手を強く握った。


「水谷、お前は死なない。今すぐにここから出してやる!」


 俺はそう言うと、彼女を背負い立ち上がった。酔いつぶれた彼女を家に運んだ時よりも軽く感じた。

 高木は俺を見ると、小さくうなづいた。

 俺と水谷が部屋から出ようとした時。


「おい、今天井に何かが……」


 部屋の中を探索していた隊員がそう言った。

 彼が向けている銃の先に、他の隊員達もライトを向けた。

 俺も振り返ってそこを見た。


 大きな目と、目が合った。


 妖怪名『一つ目坊』。それが天井に張り付いていた。

 4本の腕を、器用にコンクリートの壁にめり込ませて。


「しののめさん?」


 化物の口が動いた。


 その場にいた全員に衝撃が走った。

 まるで時間が止まったかのような感覚を覚えた。

 最初に動いたのは高木だった。


「妖狐!!!」


 高木がその名を口にしたとき、傍にいた狐の妖怪が、『一つ目坊』目掛けて跳んだ。

 一つ目坊は天井ごと腕を引き抜いて、コンクリートの塊を『妖狐』に投げつけた。

 コンクリートが狐に直撃するが、『妖狐』はそれを粉砕して、怯まずに向かい続けた。

 すると、『一つ目坊』も『妖狐』目掛けて跳躍し、その巨大な腕で『妖狐』を殴りつけた。

『妖狐』が床に叩きつけられる。


『妖狐』が床に落ちたことと、『一つ目坊』が天井を破壊したことで、部屋中に土煙が舞う。

 舞い散るコンクリート片から水谷を必死で守る。


 すると、誰かが俺の身体を強く押した。

 押し出されるように俺は部屋の外に倒れ込んだ。

 その刹那、再び強い衝撃が起きた。

 煙を払いながら周りを見渡すと、高木が『一つ目坊』に押さえつけられていた。

 部屋の壁をぶち抜いて、廊下側の壁に埋め込むように『一つ目坊』は、高木と『妖狐』を押さえつけていた。


 高木の姿を見た時、俺は唖然とした。

 高木の右腕が無くなっていた。ちぎれた右腕から血が洪水のように溢れ出ていた。


「あ……あ……」


 呆気に取られている俺に向かって、高木は怒鳴った。


「……早くっ……逃げろ!!!」


 残った左腕で一つ目坊の腕を掴みながら、食いしばるような声で彼はそう言った。

 彼の言葉で我に返った俺は、水谷を背負って、必死に廊下を走り抜けた。


 廊下を走り抜けている時、耳についているイヤホンから隊員達の声が聞こえた。


『こちらA小隊!a6で目標の妖怪と交戦中!至急増援を!』


『了解。CPよりB、C小隊。A小隊がa6で妖怪と交戦している!B小隊は至急援護に向かえ!C小隊はB小隊の移動を援護しろ!』


『今だ!撃ちまくれ!目を狙え!!!』


 しばらく廊下を走っていると、水谷が何か言い始めた。


「……ねぇ、先輩?」


「どうした?」


「あの夜、言えなかったこと、言っていいですか?」


「あぁ」


「私、先輩のことが、好きです」


「……あぁ、分かってる」


「もし生きてここから出られたら、付き合ってくれますか?」


「当たり前だ」


「……やったぁ」


 廊下の曲がり角が見えてきた。出口までもうすぐだ。

 そう思った時、部屋から男が突然現れた。

 馬鹿な!?この道は一度調べられているはず。犯人達が隠れられる場所なんて無かったのに。何処かから移動してきたのか?

 男が笑みを浮かべながら、斧を俺達に向けて振りかざす。

 不意を突かれ、しかも水谷を背負っている俺はまともに抵抗することができない。


 あと少しだったのに……。

 諦めかけたその時。

 突然、男の身体が二つに割けた。腹が切り裂かれ、上半身がごとりと床に落ちる。

 男の後ろにいたのは、カラス頭の化け物だった。

 東雲さんが使役している妖怪、『網切』だ。

『網切』のすぐ後ろに東雲さんが立っていた。


「大丈夫ですか?神崎さん」

「東雲さん……。ありがとうございます。助かりました」


「背中に背負っている女性は、知り合いの方ですか?」

「そうです」


「そうですか。生きていて本当に良かったです。石神さん、誰かに神崎さんの護衛を頼めますか」


 東雲さんは護衛の男性に向かって話した。


「分かりました。中村、お前が行け」

「了解」


 護衛には中村さんがついてくれることになった。以前、東雲さんと映画を見に行った時、付き添っていた女性だ。


『CP!増援はまだなのか!?』


『CPよりA小隊。現在B小隊がそちらに向かっている。持ち堪えろ!』


『無理だ!もう持たないぞ!』


 イヤホンから再び隊員の怒声が聞こえてきた。

 かなり状況は悪いようで、報告に交じって悲鳴声や銃声が聞こえていた。


「では神崎さん。また後で」


 東雲さんはそう言うと、小隊のメンバーを引き連れて、『一つ目坊』がいる大部屋に向かった。


 その後、中村さんに護衛してもらいながら、俺と水谷はなんとか館から脱出することに成功した。


「救急車は事前に待機させています。神崎さんは彼女に付き添って病院に行ってあげてください!後は私達にまかせて!」


 中村さんはそう言うと、東雲さん達に合流するため、再び館へ入っていった。


「水谷!やっと外に出られたぞ!」


 俺は彼女に呼びかけるが反応がない。

 どうやら気を失っているようだった。彼女の今の状態を考えれば無理もない。

 しかし、生きているということは確実に分かった。

 なぜなら、背中越しに彼女の心臓の鼓動が伝わってきているからだ。


 無理に起こす必要もないので、俺はすぐに救急車を探すことにした。

 警察が貼っている規制線のおかげで、野次馬が詰め寄っていることもなかったので、救急車はすぐに見つかった。

 水谷を救急隊の人に任せて、高木のことを思い出した。


 高木はあの時、俺のことをかばってくれたのだ。

 もしあの時、彼が俺の身体を押さなければ、『一つ目坊』に俺と水谷は殺されていただろう。

 今度は俺が彼を助ける番だ。

 無線音声を聞く限り、A小隊は『一つ目坊』にかなり苦戦していた。何人かの隊員は殺されてしまっているかもしれない。

 非力だが、俺も何かの役に立てるはずだ。

「彼女のこと、お願いします」

 俺は救急隊員にそう言うと、拳銃を握りしめて、館へと戻った。




 館の中では、まだ銃声が鳴り響いていた。まだ犯人達は全滅していないのかもしれない。

 周囲を警戒しながら、大部屋へと進んでいると、突然、巨大な振動が館を震わせた。

 始めは遠かった振動も、だんだんとこちらへ近づいてくる。


 一体、何が起きているんだ?この振動は妖怪の仕業なのか?

 拳銃を構え直して進もうとすると、目の前の廊下の壁が思い切り砕けた。

 飛び散る破片から頭を守るために、反射的に身構えた。

 立ちこめる土煙にむせながら、状況を確認する。


 壊れた壁の向こうに何かがいた。


『一つ目坊』だ。


 高木達との戦闘で負傷したのか、4本あった腕は2本になっていた。

 身体には大量の返り血が付いている。


『一つ目坊』が手に何かを持っている。


 俺はそれをみて戦慄した。


 虚ろな目をした東雲さんが、そこにはいた。


 下半身は失われていて、乱暴に引き千切られた上半身からは内臓が露出していた。


 目に映った光景が理解出来なかった。


 ……東雲さんが死んだ?


 高木は?隊員達は?


 みんな死んだのか?


 なんで死んだんだ?あんなに強そうな妖怪が味方なのに?


 何度も俺のことを助けてくれた東雲さんが死んだ?


「ひひっ、ふひひひひひひひ」


 俺を見た『一つ目坊』が不気味に笑った。


「一体……、いったい何なんだ?いったい何なんだ!お前はぁぁぁあああああああ!!!」


 俺は怒りに身を任せ、手に持っていた拳銃を、目の前の化け物に撃ちまくった。

 弾倉に入っている弾を全て撃ち切ったかどうかという所で、突然、目の前が真っ暗になった。

 途端に意識が遠のいていく。


 あぁ、きっと俺は東雲さんのように、化け物に殺されてしまったんだろう。

 死ぬ時というのは、こんなにも一瞬の出来事なんだな……。

 ごめん水谷……。


 約束、守れなさそうだ……。


 意識を失うまでのほんの僅かな時間、館の中では、乾いた銃声が散発的に鳴り響いていた。

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祓う者 ながとん @Nagaton

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